今日は、朝から雲が多い一日になりました。
午前中、家でブラブラしていましたが、
午後からチョッと職場に行って来ました。
ここのところ、目まぐるしくて机の上に書類が山のようになっていたので、
これを片付けないと、また新たな山ができそうで、
そうするとパソコンまで手が届くなる事も考えられたので、その整理でした。
ほとんどが検討途中の文書なので、処分するだけなのですがね^^
他に何も書く事がないので、何かないかと調べていたら、
今日が志賀直哉の誕生日である事を知りました。
1883年(明治16年)2月20日、現在の宮城県石巻市で生まれていました。
僕は、志賀直哉の「暗夜行路」は
日本文学の最高傑作のひとつだと思っています。
また、志賀直哉の無駄のない簡潔な文章も素晴らしいと思っています。
志賀直哉は何ヶ所か居を移していますが、
その中の一つに、奈良市の高畑サロンがあります。
志賀直哉自身が設計したと言われていて、
数寄屋造りに加え洋風や中国風の様式も取り入れていて、
洋風サンルームや娯楽室、書斎、茶室、食堂を備えた
モダンかつ合理的な建物です。
もう、大分前になりますが、僕も行った事があります。
多分、現在も見学する事ができると思います。
この高畑サロンに出入りしていた人が凄いメンバーです。
武者小路実篤や小林秀雄、尾崎一雄、入江泰吉、亀井勝一郎、小林多喜二、
桑原武夫ら白樺派の文人や画家・文化人がしばしば訪れたとの事です。
志賀直哉は、麻雀好きだった事でも知られています。
どうもこの高畑サロンで覚えたようですが、
志賀直哉の日記を読むと、今日は勝ったとか負けたとか記してあるとの事で、
時々こんなに麻雀にのめりこんでいたのではいけないと
反省もしていたようですが、
しばらくすると、また勝った負けたと出て来ると、
畑正憲さんが書いていたのを読んだ記憶があります。
暇ネタでした^^
午前中、家でブラブラしていましたが、
午後からチョッと職場に行って来ました。
ここのところ、目まぐるしくて机の上に書類が山のようになっていたので、
これを片付けないと、また新たな山ができそうで、
そうするとパソコンまで手が届くなる事も考えられたので、その整理でした。
ほとんどが検討途中の文書なので、処分するだけなのですがね^^
他に何も書く事がないので、何かないかと調べていたら、
今日が志賀直哉の誕生日である事を知りました。
1883年(明治16年)2月20日、現在の宮城県石巻市で生まれていました。
僕は、志賀直哉の「暗夜行路」は
日本文学の最高傑作のひとつだと思っています。
また、志賀直哉の無駄のない簡潔な文章も素晴らしいと思っています。
志賀直哉は何ヶ所か居を移していますが、
その中の一つに、奈良市の高畑サロンがあります。
志賀直哉自身が設計したと言われていて、
数寄屋造りに加え洋風や中国風の様式も取り入れていて、
洋風サンルームや娯楽室、書斎、茶室、食堂を備えた
モダンかつ合理的な建物です。
もう、大分前になりますが、僕も行った事があります。
多分、現在も見学する事ができると思います。
この高畑サロンに出入りしていた人が凄いメンバーです。
武者小路実篤や小林秀雄、尾崎一雄、入江泰吉、亀井勝一郎、小林多喜二、
桑原武夫ら白樺派の文人や画家・文化人がしばしば訪れたとの事です。
志賀直哉は、麻雀好きだった事でも知られています。
どうもこの高畑サロンで覚えたようですが、
志賀直哉の日記を読むと、今日は勝ったとか負けたとか記してあるとの事で、
時々こんなに麻雀にのめりこんでいたのではいけないと
反省もしていたようですが、
しばらくすると、また勝った負けたと出て来ると、
畑正憲さんが書いていたのを読んだ記憶があります。
暇ネタでした^^
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