天然居士の独り言

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九九・・・

2024年09月05日 18時40分54秒 | 日記
 昨日のニュースで、奈良県橿原市にある飛鳥時代の都の
 藤原京の跡から出土した木簡に、
 かけ算の「九九」の計算が記されていたことがわかり、
 専門家は並び方などから
 「九九」の一覧表の一部と考えられるとしています。
 奈良文化財研究所によると、
 2001年に藤原京の門の護衛をつかさどる役所
 「衛門府(えもんふ)」の推定地付近で出土しました。
 当初跡から出土した木簡のうち、
 長さ16.2cmほど、幅1.2cmほどの木簡を赤外線を使って調べたところ、
 上から「九々八十一」「四九卅六」「六八※四十八」の、
 3つの「九九」の計算が記されている可能性が高いことが
 わかったということです。
 ※「四十」は「卅」の縦棒がもう1本です。

 この木簡は、九九を5行ずつ並べて段組みにした早見表とみられ、
 1段目は「9×9=81」から、頭の数を1ずつ減らしながら
 左方向に「5×9=45」まで記したと推定されるとの事で、
 2段目は「4×9=36」で始められている事から、
 九九を5行ずつ並べて段組みにした早見表とみられています。

 右から左へ書き進める九九の早見表は、
 紀元前3世紀~後2世紀の古代中国の木簡に見られ、
 規範的な書式と考えられているそうです。
 日本では九九の木簡は平城京跡(8世紀、奈良市)などで約80点、
 うち早見表は約10点出土しているとの事です。
 今回出土した木簡は、
 見つかった場所などから役所などで使われたとみられ、
 実用的な「九九」の一覧表の木簡としては、
 国内最古級の可能性があるようです。
 奈良文化財研究所の桑田訓也主任研究員は
 「当時は文書行政が導入されて、物や人を数える場面が多くあり、
  役所に置かれていたか、壁に掛けられて使われていたのではないか」と
 話しています。

 元々は「九九」から唱え始めるのが普通だったようですが、
 後に「一一」の一の段から唱えるようになりました。
 九九と呼ばれるのは、元々は九九から唱えていた名残りとの事で、
 これには納得してしまいました。


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