天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

菅原道真・・・

2022年02月16日 18時44分54秒 | 日記
 今日は何を書こうかと思ってネットの記事を見ていたら、
 菅原道真が大宰府に向けて出発した日との記事を見ました。
 901年2月16日(延喜元年1月25日) に出発したとの事です。
 菅原道真の歌として、
 「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」が有名です。
 1121年前の今日、この歌を詠んだのかも知れませんね。
 この歌は「春な忘れそ」とも言われていますが、
 初出の『拾遺和歌集』には「春を忘るな」と記されているとの事です。
 道真は梅が好きだったと言われていますが、
 上記の歌を詠まれた梅が道真を慕って京都から大宰府まで飛んで行ったとする
 飛梅伝説があります。

 道真はご承知のように、大宰府で失意の内に
 903年3月26日(延喜3年2月25日)に亡くなりました。
 930年7月24日(延長8年6月26日)に
 平安京内裏の清涼殿に落雷があり、何人かの公卿が亡くなり、
 醍醐天皇もその3か月後に亡くなります。
 こうした天変地異は道真の怨霊とされ、
 当時の御霊信仰によって、左遷が取り消されて復権し、
 947年(天暦元年)に北野天満宮に祀られた訳です。

 僕はかねてから、怨霊であった道真が何故学問の神になったのか不思議でした。
 これについては、以前に読んだ本に、
 1012年(寛弘9年)に、
 大江匡衡が奉じた祭文によって学問の神となったと知りました。
 その文には、「文章の太祖、風月の本主」と讃えているとの事です。
 これについては以前別の所に書きましたので、宜しければご覧下さい。
 https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/d65aba97308f4873969a0614c23db14e

 北野天満宮には、2017年10月30日に行った事があります。
 楼門には、上記の大江匡衡の文言が掲げられていました。
 その時の写真などもありますので、宜しければご覧下さい。
 http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/a66386346.html

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