天然居士の独り言

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世紀末のウィーン・・・

2019年10月28日 18時13分29秒 | 日記
 今日は、ヒカリ座に映画を観に行って来ました。
 その映画が「クリムト エゴンシーレとウィーン黄金時代」でした。
 今年の6月に、東京都美術館で開催された「クリムト展」を観たので、
 この映画がヒカリ座で上映されると知った時に、
 是非観に行こうと思っていました。

 クリムトとシーレは28歳の年の差がありましたが、
 亡くなったのは同じ1918年なのですね。
 二人の没後100年を記念して、昨年製作されたイタリアの映画でした。
 日本語吹き替え版だったので、
 字幕を追わずに済んで、作品をよく観られた感じがしました。

 映画は、画家のクリムトとシーレの作品を紹介しながら、
 彼らの人生と作品の背景などを解説したドキュメンタリー映画です。
 しかし、彼らの作品も例示であって、この映画が描きたかったのは、
 世紀末のウィーンだったのではないかと思いました。
 当時のウィーンは、オーストリア=ハンガリー帝国の首都でしたが、
 第一次世界大戦によって、1918年に帝国は崩壊しています。
 その直前に花開いた文化が世紀末のウィーンの文化でした。
 絵画では、もちろんクリムトとシーレですが、
 クリムトとともに分離派を結成した
 建築家のオルブリッヒ、オットー・ワーグナーなどの建築、
 建築家でもあったヨーゼフ・ホフマンが主宰した
 ウィーン工房で製作された日用品などもあり、
 音楽ではマーラーやシェーンベルクなどがいます。
 そして、彼らに大きな影響を与えたのが、精神分析学のフロイトでした。
 フロイトの動画も出て来て、僕は初めてフロイトの姿を見ました。
 ノーベル医学生理学賞を受賞したエリック・カンデルが、
 フロイトとの関連や精神的な背景を説明していて、
 なるほどと思いながら聞いていました。

 クリムトとシーレ、あるいはマーラー、フロイトなど、
 それぞれ多少は知っていましたが、
 同じ時にウィーンにいて、交流があった事は、全く知りませんでした。
 ある意味、新鮮な驚きでした。

 クリムトは結婚をせず、多くの愛人がいました。
 その死後、多くの女性がクリムトとの間の子どもがいると申し立てたとの事でした。
 シーレは結婚しましたが、その前にやはり多くの女性と関係があり、
 彼らには、下層階級の女性や娼婦と関係を持っても、
 結婚するのは中産階級の女性との観念があったとの事でした。
 今の感覚からすると、許せないと思う女性も多いかと思いますが、
 世紀末のウィーンの半ば常識だったようです。
 しかしながら一方で、クリムトの作品の1つ「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」は、
 全裸の女性が正面を向いた絵ですが、
 この絵は女性のコルセットからの解放を描いたとの説明は面白かったです。
 またシーレの作品は、当初はポルノとして扱われていたとの事でした。

 映画の中では、ウィーンのカフェが世紀末の芸術家たちが議論を行った場所であるとか、
 ウィーン市内の美術史美術館、アルベルティーナ美術館などの様子も映され、
 ウィーン名物のケーキなど、いささか余分かなと思うシーンもありましたが、
 多くの角度から世紀末のウィーンを描いていたような感じがしました。
 いずれにしても良い映画でした。

 ウィーンはかねてから行ってみたい街でした。
 映画「第三の男」に登場した大観覧車に乗りたいと思っていましたが、
 それだけではなくて、
 世紀末のウィーンの残滓を訪ねるのも良いかも知れないと思いました。
 とは言っても、僕が行ける可能性は極めて低いのですが。

コメント
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