天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

本多正純・・・

2019年10月02日 17時45分38秒 | 日記
 今年は、本多正純が宇都宮に入封して400年になるそうで、
 それを記念して、宇都宮城址公園内の清明館で、
 「近世宇都宮の城下町」と言う企画展があるので、散歩がてら行ってみました。

 本多正純は、徳川家康の謀臣として有名な本多正信の長男です。
 父親の後を継ぎ、徳川家康の側近でしたが、
 1619年(元和5年)に、亡き家康の遺命であるとして
 下野国小山藩5万3,000石から宇都宮藩15万5,000石に加増を受けました。
 1622年(元和8年)、出羽山形の最上氏が改易された際、
 正純は上使として山形城の受取りに派遣されます。
 接収後、正純糾問の使者を受け、適切な弁明ができなかったため、
 改めて出羽国由利(現在の由利本荘市)に5万5,000石を与えるとの命令を受けます。
 しかし、正純は理由がないとこれを固辞します。
 このため、秀忠が激怒し、本多家は改易され、知行は1,000石のみとなり、
 身柄は佐竹義宣に預けられ、出羽国由利へ流罪となり、
 後に出羽国横手に幽閉の身となって、そこで生涯を閉じました。

 宇都宮藩主であった期間は3年足らずでしたが、
 近世宇都宮の城下町を整備し、今日の宇都宮中心部の骨格を造ったと言われています。
 正純の失脚理由については、色々な見方があり、
 とてもここで書ききれませんが、
 秀忠とは上手く行っていなかった事によるものなのでしょう。

 展覧会は無料でしたし、清明館の展示室の一部を使っただけの小さなものでしたので、
 余り期待はしていませんでしたが、やはりその通りでした。
 江戸時代の宇都宮の地図などは見られたので、現在の町並みと比べる事が出来ました。
 中で1点、古川古松軒が宇都宮を訪れた際の「東遊雑記」の写真がありました。
 「また本多上野助正純悪逆の事跡は、ここに記さず。
  土人の物語に、城中にその時巧みし堀の跡残れりといえり。」の件でした。
 古松軒は、宇都宮の街を良くないと言っていますが、それは触れていなかったです。
 「東遊雑記」の宇都宮の記述は、下記をご参照下さい。
 https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/746978517337eb393e5c4874dd6585d6

 本多正純と徳川家康の側室で後に正純の継室となる梅について、
 諸田玲子さんが「梅もどき」と言う歴史小説を書いています。
 史実を踏まえて描かれた、良い小説だと思います。
 この小説によって、本多正純に興味を感じたのも、今日出掛けた理由の1つです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする