天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

西郷伝説・・・

2018年01月08日 20時08分46秒 | 日記
 昨日から、NHKの大河ドラマ「西郷どん」が始まりました。
 僕は、緒方拳の「太閤記」の後は、大河ドラマを見ていませんし、
 今回も観るつもりはありません。
 西郷隆盛については面白い話があるので書いてみる事にしました。

 昔から、悲劇的な最後を遂げた人には、生存伝説があります。
 義経が死亡せずに大陸に渡ってジンギスカンになったとか、
 豊臣秀頼が大阪城を脱出していたとかの類ですね。
 大塩平八郎にも生存伝説があったと思います。

 西南戦争で死亡した西郷隆盛にも、
 鹿児島の城山で死亡していないと言う伝説があります。
 1877年(明治10年)9月24日午前4時、官軍は総攻撃を開始し、
 西郷隆盛は股と腹に銃弾を受け、
 別府晋介の介錯によって死亡したと言うのが史実です。
 しかしながら、その首が見つからない事から、
 生存伝説が生まれたのだと思います。

 西南戦争は、日本では最初の「報道された戦争」でした。
 「東京日々新聞」では、社主の福地桜痴自らが記者として乗り込んだ外、
 「郵便報知新聞」は後に首相となって、
 5・15事件で殺害された犬養毅を記者として送り込んでいます。
 その外、「朝野新聞」とか「東京曙新聞」などが、
 戦争の発端から終結まで、戦場の噂話なども含めて、丹念に報道しています。

 官軍の参軍、川村純義少将が
 「賊魁西郷隆盛首級見当たらず、ただいま探索中」と
 打電した内容を「朝野新聞」が掲載し、
 29日の「郵便報知新聞」も、
 西郷の首が見付からないと言う報道を行った事が、
 西郷生存説に信憑性を与えたようです。

 本邦始まって以来の戦争報道だったので、
 軍の方でも、生の情報をそのまま出したのでしょうね。
 ある意味、それこそが情報公開のあるべき姿なのかも知れませんが。

 西郷が星になったと言う風聞も広がりました。
 この年、火星の大接近がありましたが、
 当時の庶民はこれが火星である事は知らず、
 「急に現われた異様に明るい星の赤い光の中に、
  陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えた」との噂が流れ、
 西郷星と呼ばれて大騒ぎになりました。

 一方、海外に脱出したという噂も広まります。
 後に外務大臣になった陸奥宗光が外人に頼んで支那に潜伏させているとか、
 インドの島で生存しているとか、
 ロシアで生存していて、ロシアの皇太子ニコライの来日に合わせて
 帰国すると言うような、様々な噂があったようです。

 1891年(明治24年)5月11日に、
 日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライが、滋賀県滋賀郡大津町で、
 警備にあたっていた警察官津田三蔵に斬りつけられ負傷する
 暗殺未遂事件が起きます。
 いわゆる大津事件ですね。
 津田の動機は明らかになっていませんが、
 西郷隆盛がロシアに逃げ延び、ニコライと共に帰って来るとのデマがあり、
 西南戦争で活躍して、勲章を授与されていた津田は、
 もし西郷が帰還すれば自分の勲章も剥奪されるのではないかと
 危惧していたという説もあります。
 これが正しいとすると、
 西郷伝説もとんでもない大事件を引き起こした事になります。

 生存伝説が生まれる人物は、
 当時の人々に愛された人物が多いように思います。
 西郷隆盛も、人々に愛され慕われていたのでしょうね。

コメント
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