家に帰ってみたら、
ニュースで三遊亭円楽さんが亡くなった事が流れていました。
76歳、肺癌だったそうです。
円楽さんと言うと、何と言っても笑点なのだと思います。
立川談志さんが司会をしていて、
1965年3月から66年4月まで放映されていた、
「金曜寄席」と言う番組が笑点の前身ですが、
円楽さんは金曜寄席からのメンバーでした。
1966年5月、番組が日曜日の夕方に動き、改めて「笑点」となりました。
司会者は1969年11月まで立川談志さん、
その後、1970年12月までが前田武彦さん、
1982年12月までが、亡くなった三波伸介さん、
その後を継いで、円楽さんが司会者をなさっていました。
司会者の期間は、1983年1月から2006年5月までで、
これまでのところ最長だそうです。
僕は、「笑点」は最初の頃は好きでよく見ていましたが、
どうもあのワンパターンに付いて行けず、
更に、日曜日の夕方にあのテーマ音楽を聴くと憂鬱になる、
所謂「笑点」シンドロームが嫌で、最近は見ていません。
円楽さんの司会の途中から見なくなりました。
僕は、余り円楽さんの落語は好きではありませんでした。
少し堅い感じがして、
それでいながら6代目三遊亭圓生のような端正さがないように感じていました。
円楽さんの顔の造作が大き過ぎる感じが、
人情噺にも合わなかったような気がしました。
しかしながら、キチンとした落語家であった事も間違いありません。
思うような噺ができなくて隠退したのは、
円楽さんのお人柄なのでしょう。
今の芸人にはない几帳面さを持った、本当の芸人だったと思います。
ニュースで三遊亭円楽さんが亡くなった事が流れていました。
76歳、肺癌だったそうです。
円楽さんと言うと、何と言っても笑点なのだと思います。
立川談志さんが司会をしていて、
1965年3月から66年4月まで放映されていた、
「金曜寄席」と言う番組が笑点の前身ですが、
円楽さんは金曜寄席からのメンバーでした。
1966年5月、番組が日曜日の夕方に動き、改めて「笑点」となりました。
司会者は1969年11月まで立川談志さん、
その後、1970年12月までが前田武彦さん、
1982年12月までが、亡くなった三波伸介さん、
その後を継いで、円楽さんが司会者をなさっていました。
司会者の期間は、1983年1月から2006年5月までで、
これまでのところ最長だそうです。
僕は、「笑点」は最初の頃は好きでよく見ていましたが、
どうもあのワンパターンに付いて行けず、
更に、日曜日の夕方にあのテーマ音楽を聴くと憂鬱になる、
所謂「笑点」シンドロームが嫌で、最近は見ていません。
円楽さんの司会の途中から見なくなりました。
僕は、余り円楽さんの落語は好きではありませんでした。
少し堅い感じがして、
それでいながら6代目三遊亭圓生のような端正さがないように感じていました。
円楽さんの顔の造作が大き過ぎる感じが、
人情噺にも合わなかったような気がしました。
しかしながら、キチンとした落語家であった事も間違いありません。
思うような噺ができなくて隠退したのは、
円楽さんのお人柄なのでしょう。
今の芸人にはない几帳面さを持った、本当の芸人だったと思います。