ことの始まりは、小村神社に行ったついでに訪れた横倉山の杉原神社からでした。
このことが二度目の剣山登山につながり、さらに遠い祖先にリンクすることになろうとは。
行き当たりばったりの行動に意味があったと思うと、なにやら不思議な縁を感じます。
越知片岡の沈下橋近くにある茶園堂の前では、山之内藩主より灯明料が下付された昔より絶えることなく8月14日盆踊りが続いています。
妙福寺に眠る光綱公の墓。
道を尋ねた地元の方が、高齢化が進み頻繁に手入れに登れなくなりましたがと話してくれた石段は・・・確かに大変。
あとで読んだ本によるとここが片岡城のようです。
元禄の大火で二の丸以下全焼したと伝えられているそうです。
ここから東方、黒瀬の境の岡本山に一度訪れたことのある法厳城跡があるのですが、記憶というものはまったく当てにならないもので、車で広い道を登ったと思っていた道は傾斜20度ほどある峻険な坂道。
「行くとこ行くとこ、こんなんばっかりや」ごもっとも
社もこんな風じゃなかった気がするし、いわれを書いたものも見当たらないなあ。
横にある大木が危ないので切りましたって話してくれたことと関係あるのだろうか?
それに眼下に蛇行するに淀川も見えなくなっていたのは残念。
この不思議なつながりのとどめは、来年大河ドラマ「平清盛」
・・・・知らなかった