MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

MacizoとBajoの新論文

2008年06月01日 | 翻訳研究
When Translation Makes the Difference: Sentence Processing in Reading and Translation (Psicológica, 25, 2004)を書いたPedro Macizo and M. Teresa Bajoが、またReading for Repetition and reading for translation: do they involve the same processes? (Cognition, 99, 2006)という、似たような論文を書いている。似たような、というのは、いずれも翻訳(ないし通訳)にhorizontal viewとvertical viewの2種類を想定して、実験によっていずれが妥当するかを見ているからだ。horizontal viewとは「翻訳はオンラインで2言語の間のマッチを探索する」というもので、典型的にはDavid Gerverが挙げられている。これに対してvertical viewの方は「読みの間にオンラインのreformulationは行われず、翻訳とは理解の後に抽出した意味に語彙表現を付与することである」というもので、Seleskovitchによって代表される。2004年の論文ではスペイン語と英語の間で(1)読んでリピートする、(2)翻訳するという2つの作業をプロの翻訳者に課しており、翻訳の方向と語用論的情報の影響も見ている。2006年の論文の方は、読んでリピートと翻訳という課題は同じだが、今度は被験者に翻訳者とバイリンガルを使い、語彙的曖昧性と同語源語cognateの影響を見ているところが違っている。しかし、どちらもパラメータは読みの時間と全体的理解である。いずれの論文でも、結論はhorizontal viewを支持し、従ってvertical viewは否定されている。すなわち翻訳は、翻訳のための理解の段階で目標言語の語彙的エントリーも同時に活性化させる。それは同一言語での読みよりもより大きな負荷を作動記憶に課す。これはバイリンガルもプロの翻訳者も同じである、というものだ。
  MacizoやBajoは翻訳研究の中でもやや影が薄くなっている原理論的な関心を保持している点で評価できる研究者だと思う。翻訳研究の分野の研究者だけでなく、翻訳に言及する他分野の研究者のほとんどが捕らわれる「意味」の罠、あるいは意味表示の問題を回避して、「理解と目標言語産出はparallelかserialか」というように問題を設定することは、あるいはスマートなやり方かもしれない。しかし、本当にそれ(だけ)でいいのかという疑問は残る。翻訳や通訳における意味あるいは意味表示の問題にはやはり正面から対峙すべきではないのか

最新の画像もっと見る