お知らせ
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
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■『月刊言語』(大修館書店)が今年いっぱいで休刊だそうである。言語学全般と一般読者の間の橋渡しの役目を果たしていた雑誌なので残念だ。以前ここから「通訳の科学」特集号を出してもらったことがある。翻訳研究特集号も出したかったなあ。
さてその10月号は[実践]認知言語学という特集で、鍋島さんが「お笑いと認知言語学」というコラムを書いている(あと「チャレンジコーナー」も)。最近の漫才やコントを例にして、フレームやイメージ、メンタルスペース理論で説明していて大いにためになった。鍋島さんのコラムにもあるが、ユーモアは基本的にはコントラスト(不調和incongruity)と優越感superiorityから説明される。コントラスト(不調和)の方は、「相容れない二つの規範」「相容れない二つの連想脈絡」(アーサー・ケストラー)と言ってもいいだろう。いわゆる「お呼びでない」状況である(復刻版はこちら)。笑いやユーモアは翻訳でも問題になる。ユーモアが言語や文化の壁を越すことができるかどうかという問題だ。数年前にユーモアの翻訳について講義をしたこともあるが、この方面の研究はあまり進んでいないようだ。ユーモアにはだじゃれによるパロディやparodic allusion等もあり、さらにアイロニーもからむからやっかいだ。Curcoなどが関連性理論によって説明しようとしているが結局はincongruityなので新味はない。Pikingtonも関連性理論だが、そこではcontextual garden-pathingという言葉を使っていて、その結果ある種のbrain activityが生ずるというのだが、問題はそこだろう。「ずれ」はなぜ笑いをもたらすような脳活動を生むのだろうか。
■すでにお知らせしたように、明日は立教大学で「翻訳学への招待」という公開講演会があります。午後3時からです。お忘れなきよう。
■東京の5つの路線を縦歩する、というのをやってみた。出発点は中央線の荻窪駅。環八を北上するとほどなく西武新宿線の井荻駅にぶつかる。そのまま直進すると環八は右に逸れていくので、笹目通りを直進。しばらくすると西武池袋線の練馬高野台駅に着く。ここは石神井公園と富士見台の中間にある新駅(1994年開業)で、高架になっている。さらに直進すると谷原の交差点に出る。さらに北上を続けると和光市の標識が見えてくる。アップダウンの多い道を延々と歩き、東武東上線はまだかと思っていると下を走っていた。さらに道なりに進むと終着点である都営三田線の西高島平駅である。ずいぶん長く感じたが、せいぜい12キロ程度である。ただし、歩道が歩きにくいところが多く、景色も面白みがないので二度と歩く気はしないのであった。
西武池袋線の練馬高野台駅 谷原の交差点
和光市に入る 東武東上線
西高島平に到着
■今日は台風のせいで歩けなかったが、最近の散歩記録を。
1)東上線の上板橋で降り、懐かしい雰囲気の駅前商店街を抜け、城北中央公園を通って氷川台に出る。ここから池袋までは一本道と思っていたが、そんな道はなく、迷いに迷ってようやく環七に至る。あとは小竹向原、千川、要町と一直線に池袋へ。
2) 中央大学の坂を上って左折、のりピーが出頭した警視庁富坂庁舎のある道を抜けて白鳥橋から目白通りに入り、鶴巻町交差点を左折して、弁天町、市谷柳町を進み、防衛省を左に見て曙橋。四谷三丁目に出ると右に新宿御苑の緑が見えたので新宿到着したこととして帰る。(以上、写真なし)
3) 三鷹~東伏見~保谷:中央線で三鷹まで行き、成蹊通りを進み、成蹊中学校横を通過。何かのお寺かと思った。
玉川上水に出る。こんなところでどうやったら入水自殺ができるのか疑問の方もいると思うが、昔は水量もあり、流れも速かったのだという。ここに太宰と玉川上水が一緒に写っているが、やはりどうみても小川である。早稲田大学のグラウンドを過ぎると右のような風景になる。
ほどなく西武新宿線の東伏見駅に到着。鳥居と反対側の変な銅像を見て、北に延々と歩けば、終点の西武池袋線の保谷駅に到着。
■大会準備にかこつけてさぼってしまった。そういえば先日帰省中の息子に付き合って「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」を見てきたが、いまひとつ、いやふたつぐらい面白くない。これではコアなファン以外に広がりをもたないだろう。
■『立原道造・堀辰雄翻訳集』(岩波文庫)。タイトル通りなのだが、誰がどういう方針で編集したものか分からないという、ある意味珍しい本。どうやら岩波書店の編集部らしい。「葬いの行列が墓地に入った。細長い柩が、花環をのせて、六人の人に担われて、二人の人に伴われて。」(シュトルム「忘れがたみ」立原道造訳)「彼女は高い、暑い煉瓦塀にそうて重苦しそうに歩いていた。まだそれが其処にあるかどうかを確かめるためのように。」「人は自分の持っていた病気に附属している死を死ぬのだ」「人々はその建物に所属している死の一つを死ぬのだ」(リルケ「マルテの手記」より、堀辰雄訳)
倒置法、人称代名詞・所有の他動詞・同族目的語の訳出が目立つ。この二人の翻訳を問題にするなら、それが彼等の文体にどのような影を落としているかを見るべきだろう。それから、倒置法を使うような翻訳はいつごろから始まったのだろうか。
■理事会を終えて、翌日から1泊で帰省したら帰りに台風のためにひどい目に遭った。特急に乗ろうと駅に行くと土砂崩れのため不通だという。しばらくして途中までの代替バスが出るというのでそれに乗って2,3駅行ったところで運転を再開するという。それではと、ホームで待っていても一向に動く気配がない。鉄道をあきらめてレンタカーで最寄りの高速入り口に着くと、ここも不通でUターン、次の入り口まで行き、ようやく高速に入れた。特急で2時間ちょっとのところが7時間かかってしまった。しかしまあ、こういう機会はめったにないと思い、こんな写真を撮ったのであった。
■久しぶりにプロフィールの写真を替えました。同じく実家に「出入り」しているラッキー君。すりすりしてくれるのはいいのだが、びっしりと毛を付けられた。門口を犬が通ると、わざわざ跳びだしていって至近距離で威嚇していた。ただし強そうな犬の場合はじっとしているようだ。
■しばらく空いてしまったが、この一週間はいろいろ行事があったのだった。皇居一周をしたものの、翌日から院生コンパ(天ぷらなど)、大学時代の友人との飲み会(焼き鳥)、通訳教育分科会の後の信濃牛焼き肉(すべてビールつき)で、体重は元の木阿弥である。そこで脂肪肝の薬を探すが、先般の法律のせいでネット販売中止(離島の住民のみ可能)になっている。ところがネット薬局に電話してみるとすぐに送ると言うのだ。まったく意味のない法律である。
■それはさておき、ちょっと必要があって、大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿-構造しかない日本』(角川書店)をざっとみた。ひとことで言うと村上春樹の小説や宮崎駿のアニメが「世界に届いた」のは「(物語、神話)構造」があったからだ、逆に言うと帯にあるように「物語の構造だけが世界に届いた」、というだけの本である。(構造というのはパターンと言い換えてよい。平たく言えばテレビの「水戸黄門」である。)この主張に対しては、そればかりでもなかろうと言えば済むと思う。『1Q84』にも言及していて、この作品も「村上春樹が構造しかない作家であることをより徹底した形で露呈している」と言う。この本で特徴的なのは「世界に届く」ために必要な翻訳についてはほとんど触れておらず、検討した形跡もないことだ。大塚は「(『1Q84』では)あの誰にでも模倣し易く、今や翻訳家の柴田元幸の「文体」となってしまった感さえある翻訳ふう一人称の「文体」を完全に放棄している。つまり『1Q84』の天吾は「やれやれ」と呟くことはない。シンプルな文体は翻訳してもそこから抜け落ちるものは極めて少ない。つまり、敢えていえば「構造しかない文章」がそこにある」というのだが、少しぐらいは北米での翻訳を検討してみればいいのにと思う。ただ、そんなことよりももっと読みやすい文章を書くように心がけて欲しい。いったい誰が次の文章の意味を理解できるだろうか。
「いつか世界に日本のすばらしさをアニメーションやまんがで伝えよう、と夢見ていた「おたく」はぼくらの時代にはいなかったし、今はいるのでとても始末に負えないが、少なくとも、そういう野心とは別のところで異なる文化圏でただの消費財、ただのサブカルチャーとしてぼくたちの表現は求められていった点に特徴がある」(p.13)。
■坪内逍遙『文学その折々』(明治29年)に、「欧文直訳並に訓点」という項目がある。逍遙は「方今普通に行はるる欧文直訳法の拙劣にして不便宜なること」を嘆き、その原因として英和辞典の訳語が不適当であることと、「其の訓の宜しきを得ざる」ことを挙げる。そして自分も従来の訓読法を不便と感じて新しい訓読法を工夫したことがあるが、うまくいかなかった、と述べ、辰巳小次郎の『訓点英語読本』を推薦する。
「然るに文学士辰巳小次郎氏、近ごろ『訓点英語読本』といふ一小冊子を著し、巧に漢文訓読の法を英文の上に応用して、断然積弊を破らんと試みたり。(・・・)著者の深切と着想とは、吾人が賛同して助成せんとする所なり。」
明治初期の英語学習では英語が訓読されていたことはよく知られている(と思う)が、辰巳の『訓点英語読本』は、例えば森岡健二『欧文訓読の研究』(明治書院)の中の英文訓読資料で挙げられている方法のいずれにも該当しない。
方法はきわめて簡単な原則による。使用する記号は、(1)1,2,3の数字(あるいはabc)、(2)>、(3)-、(4)○の4つだけ。(2)の>記号は前後を逆転させることを示す。(3)は It-is-true-that Alexander was > highly-talented.のように解釈上分離できない語群を示す。(4)の○は相関語句であることを示す。例えば、以下のようになる。
Fuji-san is2 so○ high1 that ○ its top is2 always covered1 > with > snow.
富士山は なり 高山 /ゆえに 其 頂は 有る 常に 蔽はれて 以て 雪を
逆転すべきところを記号で示したこと、語群を一括したこと、相関語句に注目したことは、数字を30も40も並べ替えさせて意味をたどるような「英文訓読法」よりは数段優れている。やりかたは若干異なるが、サイトトランスレーション(原稿ありの同時通訳)の際に、同じような記号を使って逆転させる個所を示す通訳者もいる(馬越さんだったかな)。辰巳のこの訓点法は旧来の訓読法から村田祐治の直読直解法に至る媒介項のように思える。
■最近は1日5キロは歩くようにしているのだが、この雨のせいでなかなかうまくいかないことが多い。近隣はほぼ歩き尽くした感があるので、新しいルートの開発が大変である。仕方がないのでしばらく行っていないところを歩く。最初の写真は江戸川公園(関口)にある水神社の二本の銀杏の木。神社本体は小さな祠である。
三日ほど前には根津から谷中墓地を経て日暮里、西日暮里、千駄木、弥生のルート。写真は谷中墓地の猫。雨上がりのせいか、数が少なかった。夕焼けだんだんの猫のたまり場だった駐車場にはビルが建ってしまい、見かけたのは一匹だけ。
今日は巣鴨駅前から地蔵通り商店街を抜けて明治通りを左折し池袋に向かう。山手線を越えたあたりで雨になり、急いで地下街に潜り込む。