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MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

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シモンズ『象徴主義の文学運動』邦訳6冊

2009年07月12日 | 雑想

新刊やらいただき物やらいろいろたまっているのだが、それは前期終了後に。今日のところは、Arthur Symons: The Symbolist Movement in Literatureの邦訳がそろったので報告。写真下から、岩野泡鳴訳(大正2年)『表象派の文学運動』の入っている全集第14巻、次が久保芳之助訳(大正14年)『文学における象徴派の人々』、次が宍戸儀一訳(昭和12年)『象徴主義の文学』、戦後は比較的最近になって、樋口覚訳(1978)『象徴主義の文学運動』、前川祐一訳(1993)『象徴主義の文学運動』、一番新しいのが山形和美訳(2006)『完訳象徴主義の文学運動』、以上6冊である。新プロジェクトで必要になるかも知れないと思い、持っていなかった久保訳と宍戸訳を入手したのである。無理かと思ったが、簡単に手に入った。
宍戸儀一は宮沢賢治と親交のあった詩人、文芸評論家。宍戸の本には「この訳書を故友石川善助の純貴なる霊に捧ぐ。」とある。この石川善助は詩人で、昭和7年に草野心平の家を出た後行方不明となったが、泥酔して電車から川に転落して死んだらしい。宍戸も友人たちと探し回ったという。
久保芳之助の訳本には本人の序言や後書きはない。本が完成する前に肺結核で亡くなってしまったからだ。京都大学英文科を出て各地の中学校の校長を歴任した人らしい。泡鳴訳が出てから12年後だから、もちろん泡鳴訳は知っていたと思うが、それに対してどういう思いを抱いていたかはついに分からない。ただし、訳文は泡鳴はもちろん、宍戸訳にくらべてもかなりわかりやすい。巻末の友人による後書きに「雪の降り積む北国の寒夜、かすかにひびくストーブの焔の音にはげまされつつ、十二時、一時、学兄の書斎にはペンの音が絶えなかつた」とある。古い本は本筋と関係のないところがまた面白いのである。


ぬかるみ続く

2009年07月06日 | 雑想
更新が少し間遠くなってしまったが、「「翻訳学入門」を読む」の授業の準備が大変なのだ。おそらく最大の難関である第10章「翻訳の哲学的理論」はGeorge Steiner, Ezra Pound, Walter Benjamin, Jaques Derridaを扱う。準備する側にとっても受講者にとっても悪夢であろう。まあデリダはあの調子で仕方ないが、スタイナーもベンヤミンもちょっとひどくないか。特に問題なのはベンヤミンの例の「翻訳者の使命(課題)」(デリダのDes Tours de Babelはその「翻訳」(もちろん比喩だが)ということになっている)というテクストだ。ドイツ語原文は読めないので2種類の英訳と4種類の邦訳を付き合わせながら論理を辿ろうとして分かったのが、これはちゃんと書いていない。論理的に書こうとしていない。とりわけ逐語訳という方法を導き出すところの記述は混乱を極めている。それでもおぼろげながら言いたいことは分かる。ただ、そこを翻訳研究の視点から主題的に扱ったものは見たことがない。(Jacobsやde Manの論考は的はずれに思えるし、もっとも長いと言われるAndrew Banjaminのものもあまり感心しなかった。)それから一つ疑問に思ったのは、ベンヤミンは果たしてソシュールを呼んでいただろうかという点だ。読むことは可能だったはずだが、どうも読んだ形跡がない。
そんなことをぐだぐだやっているのですが、まあしかし、QuineやDavidosonが出てこないだけでもましかもしれない。

"standard pieties"とは

2009年06月30日 | 雑想

Jeremy MundayのIntroducing Translation Studies(初版)にこんな文章が引用されていた。
A true interdiscipline is...not easily understood, funded or managed in a world already divided along diciplinary lines, despite the standard pieties...
最後の"standard pieties"が分からない。ググってみてもわずか131件しかヒットしない、ということはあまり使われないコロケーションである可能性が大きい。宗教関係の引用を除外すると、以下のように使われるようだ。
Despite the standard pieties that patriotism usually evokes, one of the most familiar comments about patriotism is Samuel Johnson's remark that "patriotism is the last refuge of a scoundrel.
There's an ideological mass reaching the critical point here, ready to force its way through the standard pieties.
他にいくつか用例を見て、「おためごかし」程度の意味で使われているのだろう見当をつけた。
その後いろいろ辞書を見てみたが、英和辞典では『ジーニアス英和』が圧勝だった。"standard pieties"はないが、"pieties"で「慣習追従的な[偽善的な]姿勢[言葉、行為]」とある。すべての辞書を見たわけではないが、他の辞書にはこの語義は見あたらない。なぜ『ジーニアス』だけが可能だったのだろうか。


「マカロン」か「マクロン」か

2009年06月20日 | 雑想

 

森鴎外の有名な翻訳論、「飜訳について」の中に次のようなくだりがある。
「ノラの食べる菓子を予はマクロンと書いた。それを飴玉と書けと教えて貰つた。これなんぞはあつとばかりに驚かざること得ない。Almondを入れたMacronは大きいブリキの缶に入れたのが沢山舶来していて、青木堂からいつでも買はれる。」
鴎外が言いたいのは、何でも日本化すればいいものでもなかろうということなのだが、今回はその問題とは関係がない。カラスヤサトシの新刊『カラスヤサトシのおしゃれ歌留多』(講談社)を見ていたら「カラフルマカロン」というのが出てきたので思い出したのだった。果たして鴎外の「マクロン」と「マカロン」は同じものなのだろうか*。同じものだとしたら、ずいぶん昔から日本に入っているわりにはあまりポピュラーにならなかったことになる。(今、おしゃれなお菓子としてはやっているらしいが、初めて食べたという人もいるからだ。)それはともかく、「マカロン」は英語ではmacaroon、フランス語ではmacaron、鴎外が原本にしたドイツ語ではMakaroneなのである。イプセンのオリジナル(ノルウェー語)ではmakronで、これが一番「マクロン」に近いが、鴎外の綴りmacronはこれとも違う。(macronは普通は長音記号を指す。)「鴎外翻訳全集」に注があるのかもしれないが、平積みになっているので取り出す気がおきない。知っている人いたら教えて下さい。

*と言っているうちに「ノラのマカロン」というのがあるのを見つけた。
ここの11月9日のエントリーに写真がある。同じもののようです。


日露戦争前の「通訳」の地位

2009年06月09日 | 雑想

第二次大戦での通訳については回想録も多く、ある程度わかっていたが、日清、日露戦争ではどうだったのだろうか。
田岡嶺雲・宮崎来城(1900/M33)『侠文章』(大学館)の中に、「海外出兵につきその筋と通訳官」という一節がある。ここで日清戦争中と後の通訳者の地位が分かる。
 「回顧すれば今に六年、明治二十七八年に日清の干戈を交ゆるや、通訳官は実に戦時に於ける一大必要のものとして聘せられたるが、サテ愈よ出発の暁には如何といふに、之れが待遇は無惨にも陸軍下士、乃ち一等軍曹か二等軍曹には過ぎざりき、憐れ(・・・)下士待遇という名目の下に、牛馬も同然に取扱はれ、船でも汽車でも下等の切符はまだしも、昨日までは外国の縉紳はおろか名将大臣と東洋の経綸を策したる身を以て、所謂る一本筋の少尉どもまで、オイコラ通弁などと如何にも卑下に看做さるるに到り(・・・)一時軍医の欠乏を補はん為めに雇はれた僻村のヤブ医先生でさへ士官待遇という名目の下に勲六等を拝受したるも、ひとり通訳官のみは如何に功労のありたるにもせよ、下士待遇の悲しさ、勲七等に過ぎたるものは一人もなかりき」
それで、雲行きが怪しくなってきたので、再び通訳官を募集したのだが、馬鹿馬鹿しくて応募する人がいない。とんでもないのが採用されたりする。
 「△氏は曾て台湾総督府の通訳として苗栗支庁に勤務せしが、支那語と来ては、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十(イー、アル、サン、スー・・・)でも解せぬ位なり、」
という状況だったらしい。
 4年後の『戦地職業案内』(1904)の「通訳」の項を見ると、「露語通訳は昨今に至りて志願者稍や増加したるも元来払底の方なり。俸給は百円内外より四十円内外までの所なるべく、戦地に於て増給の見込あるは勿論なり」「功労に依りては、年金付の六等七等勲章を授けらるるもあり、一時金を授けらるるもあるべし。志士の奮って志願すべき所なりとす。」
履歴書の提出先は大本営、軍司令部、師団司令部などになっている。すこぶる人気のない職業だったことがよく分かる。この文書はどちらも国会図書館の近代デジタルライブラリで見ることができる。


引っ越し中です

2009年05月03日 | 雑想

神戸女学院での集中講義、何とか乗り切りました。藤濤先生を始め、松縄先生、田辺先生、長尾先生、河原君、本條さんまで来てくれて賑やかでした。4コマ連続は大変ですが、こういう機会があると徐々に自分の考えを詰めることができます。

神戸から帰ってからは引っ越し作業を本格的に開始。連休で帰ってきた息子を使って大物を車で運んだり、粗大ゴミ(40個ぐらいにはなる)の手配をしたり。PCの引っ越しもようやく完了。


大東同窓会など

2009年04月28日 | 雑想

24日(金)は大東文化大学大学院の通訳コースの同窓会。久しぶりに近藤先生や染谷さんにも会う。(染谷さん、髪型変です。)卒業生も、通訳者、翻訳者、国際機関職員、大学講師、大学職員など、それぞれの分野で活躍中のようで何よりです。
新宿の東口でやったのだが、昔と違ってだいぶこぎれいになっていた。

明日、神戸女学院で集中講義をするため、今日はこれから神戸方面に向かいます。


今年の東大の桜(と猫)

2009年03月31日 | 雑想
院生の皆さんと長沼さんが退職のお祝いをしてくれるというので、本郷三丁目駅で待ち合わせてまずは東大でお花見。何とか花見になる程度には咲いていた。ついでに東大本郷キャンパスツアー。写真は安田講堂前のしだれ桜と三四郎池近くで見かけた黒猫。その後近くの店で一杯。皆さんどうもありがとうございました。