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「女性が輝く国」で苦闘するフィリピン人女性の現実

2014-08-18 09:21:19 | ダイバーシティ
(以下、JBPRESSから転載)
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「女性が輝く国」で苦闘するフィリピン人女性の現実
DV被害者やシングルマザーが連帯し、助け合いの場を模索

2014.08.18(月) 巣内 尚子

「女性が輝く日本へ?」 「それはなに?」 「私に関係あるの?」

 安倍政権が掲げる「女性が輝く日本へ」とのスローガンを耳にし、こう感じた読者は男女問わずいないだろうか。

 非正規雇用、家庭内で抱え込まれる介護・育児の負担、長時間就労などにかかわる問題が解決されないまま、「女性の就労(=労働力化)」だけ促されても、多くの女性はそう簡単には輝けないだろう。

 さらに、日本政府は、ある女性たちを忘れているのではないか。それは海外出身の女性たちだ。

 日本で暮らす外国人女性の中には、長年にわたり日本で暮らし、就労し、結婚・出産を経験した人も多いが、困難に直面している人も少なくない。彼女たちは果たして「女性が輝く日本へ」というスローガンの対象になっているのだろうか。

 一方、外国人女性の中には、自ら助け合いの場をつくり、連帯する動きが出るなど、「自分の輝く場」をつかみとろうと模索し、奮闘している人もいる。そんな女性たちが集まる外国人女性支援組織「KAFIN(カフィン)」の道のりを3回にわたり紹介したい。

それぞれの物語を共有し、支え合う女性たち

 「自分のよいところを紹介し合いましょう」

 司会のフィリピン人女性がにこやかに、明るい声で、こう呼びかけた。会場には、フィリピン人が多いが、日本人も少なくなかった。日系ブラジル人とウクライナ人も参加している。来日して10年以上の人も少なくない。中には来日20年ほどを数える人もいる。出席者の中心は女性だが、男性も数人参加していた。

 今からおよそ5カ月前、その日は3月8日の「国際女性の日」に合わせてフィリピン人女性支援組織「KAFIN」の会があった。

 KAFINは在日フィリピン人女性を対象に、DV被害者やシングルマザーらの支援を行う団体だ。フィリピン人女性やこれを支援する日本人が協力して組織運営に当たり、日本の暮らしの中で困難に陥った外国人女性たちが助け合う場を形成している。

 都内からおおむね1時間弱のところにあるコミュニティスペースでKAFINのイベントが開かれ、数十人が集まった。

 広々としたスペースの真ん中に、参加者たちは椅子を持ち寄って楕円形に座った。和気藹々とした雰囲気の中、久しぶりに会う仲間と談笑したり、初対面の者同士が挨拶したりする。

 部屋の入り口付近には、料理やお菓子がずらりと並ぶ。具をたっぷり入れたサンドイッチや海苔巻もあれば、目移りするようなさまざまなおかず、カラフルなクッキーやケーキもある。子供連れの参加者も多く、子供たちがにこにこしながら部屋の隅で仲よく遊んでいて、全体的になんともリラックスした雰囲気だ。

 あまりにゆったりし、気を使わない感じなので、私は自分の子供を連れてこなかったことを少しだけ後悔した。取材先に子供を連れていくことは通常ないことだ。ただし、KAFINの集まりの打ち解けた雰囲気と、子供たちが楽しそうに遊んでいるのを見ると、一緒に来ていたら息子はとても喜んだろうにと思えたほどだった。

 今回の会では、何人かの参加者が自分のライフストーリーを話し、それから各人がペアになり自分のことを語り合うことが行われた。この主眼はそれぞれが自分の話をし、相手の話に耳を傾けることで、悩みや思いを共有するというもの。その後、ご飯やお菓子を食べながら、フィリピン人女性家事労働者を描いた映画『ミグランテ』を観るという流れだ。

 イベントの幕開けは自己紹介だった。女性たちは英語か日本語で、それぞれ自己紹介する際、「自分のよいところ」も教えあった。

 「自分のよいところ」を話すことは、この集まりでは何よりも大事なことだった。女性たちは「自分のよいところ」を損ねられるような経験をこれまでに幾度も経験し、さまざまな痛みとともに生きてきたからだ。

 でも、この日は自分のことを自然に話すことができる日だった。

 「私のよいところはハッピーなところです」

 「私は足立区に住んでいます」

 「私は狭山市のお弁当屋さんで働いています」

 「入間市から来ました。私は料理が好きで、とてもフレンドリーです」

 「私はダンスや歌が得意です。孫が2人います」

 女性たちはこうして、1人ずつ、はにかみながら、あるいは堂々と自己紹介した後、2人ずつになりお互いのストーリーを語り合った。仕事のこと、結婚や離婚、育児をはじめ家族のこと、出身地のこと、そしてどうやってこれまで生きてきて何を感じてきたのかを語るのだ。

 嬉しかったこと、悲しかったこと、驚いたこと、傷ついたこと、一人ひとりの物語が静かに共有されていった。

海外就労するフィリピン人には高学歴者や専門職経験者も

 KAFINでは、フィリピン人や日本人が、DV被害者やシングルマザーといったフィリピン人をはじめとする外国人女性の支援活動を行う。

 外国人女性からの相談を受け、電話や対面で話を聞き、なにができ、なにが課題となっているのかを話し合い、女性たちが困難から脱出できるよう一つひとつサポートする。いわば外国人女性の駆け込み寺だ。

 DVや離婚問題、離婚後の自立や子育ての悩みなどに直面する外国人女性は少なくない。外国人というと、「一時滞在のお客さん」と思う人もいるかもしれないが、実際には日本で働き、中には結婚をし子供を産む人もいるなど、その実態は「生活者」だ。

 一人ひとりが日本という国で、日本人と同じように、日々ご飯を食べ、仕事をし、家族や友人と交流し生活している。しかし、どこかで道がふさがれ困難にぶつかったとき、外国人である彼女たちが問題の解決策を自力で見出すことは簡単ではない。

 フィリピン人女性の中には、来日前に高校や大学で教育を受けた人も少なくない。「アジア出身の出稼ぎ者」という言葉からは、「貧しい国から来た人」といったステレオタイプのイメージが持たれるかもしれない。

 しかし、実際には、貧困層もいれど、中間層や高所得層もいる。出稼ぎに出るために、就労を仲介する業者に手数料を支払ったり、外国での就労情報にアクセスしたりできる人は、最貧世帯の出身者ではないことが多い。

 仲介業者への手数料は借金を背負う形で、出稼ぎ後に返済していくこともあるが、それでも海外で働けるだけの“健康”な身体や語学力、一定の学力などのような資源を持てる層が出稼ぎに出られると考えられる。

 例えば、フィリピンからは大卒の教師、医師、看護師など専門職の人々が、ほかの国に出稼ぎに出ている。なかには海外で看護師として就労したほうが収入がよいことから、医師が看護師免許を取得し、海外出稼ぎに出るケースもある。これはフィリピンの医療に打撃を与える重大な“頭脳流出”だが、それでも海外就労を選ぶ人が後を絶たない。

移動により下降する地位とヒエラルキーへの組み込み

 けれど、国境を越えて移動することは、就労による収入を得るという経済的な恩恵をもたらす半面、出稼ぎ先社会では外国人ゆえに諸権利は制限され、出身地で得た知識やスキルが十分に生かされない場面に直面する。そして、結果的に社会的な地位が下降する。

 出身地で「メイドさん」と呼ばれるような家事労働者を雇用している女性が、出稼ぎ先で家事労働者として就労することもある。本国で教師として働いていた人が、出稼ぎ先でホステスとして働き、その職業から出稼ぎ先社会で差別的な視線にさらされたり、買春や人身売買のリスクを背負ったりすることもあるだろう。

 こうしたことを踏まえ元エンターテイナーが少なくない在日フィリピン人女性について考えると、外国人であり、アジア出身者であり、女性であり、エンターテイナーのステレオタイプなイメージと結び付けられやすいということは、四重の制約となって彼女たちにのしかかることが想像できる。

 そして、そのことにより、彼女たちが日本社会における民族・ジェンダー・職業のヒエラルキーの下位に位置づけられてしまうことが懸念される。

 女性たちは就労できる分野が限られ、ときに差別的な扱いに遭遇することもある。DVや離婚、シングルマザー/シングルファザーとしての就労と子育てを乗り切るのは、日本人の女性や男性も簡単ではないが、外国人女性はさらに難しい。それは、とても1人で対処できるものではない。

 だからこそ、KAFINに集まることで、相談し合い、助け合い、お互いを認め合う場をつくろうと模索している。KAFINの女性たちは自分の悩みを話し、別の誰かの悩みを聞くという営みの中で、支え合っている。

紛争地からやって来た女性が立ち上げたKAFIN

 こうした女性たちが集まるKAFINとは、どうやって生まれたのか。それを知るため、KAFINを立ち上げたフィリピン南部ミンダナオ島出身の長瀬アガリンさんを訪ねた。

 西武線のある駅で待ち合わせたアガリンさんは、穏やかな雰囲気の人だった。黒目がちでくりっとした大きな目が印象的で、見つめられるとなんだかどぎまぎするほどだ。

 駅の改札口でアガリンさんに自己紹介すると、彼女は少しはにかんで、流暢な英語で自己紹介をしてくれた。すぐに打ち解けた雰囲気になれ、改札を出てすぐのところにある店に入り、ドーナツとコーヒーをそばに置いて話を聞いた。


KAFINを立ち上げた長瀬アガリンさん(筆者撮影)
 アガリンさんは1963年生まれで、ミンダナオ島ジェネラルサントスの出身だ。ミンダナオ島はマニラ首都圏のあるルソン島に次ぐフィリピンで2番目に大きな島。

 ダバオの麻栽培に日本からの移民がかかわった歴史があるほか、太平洋戦争時には日本と米国が戦闘を行うなど、日本にもなじみが深い。フィリピン出身の世界的なボクサー、マニー・パッキャオもミンダナオ島ブキドノンの出身として知られる。

 しかし、ミンダナオ島ではこれまで、モロ・イスラム解放戦線などの反政府勢力とフィリピン国軍との武力紛争が続き、多数の犠牲者を出してきた。

 私はフィリピンにいた際、マニラ首都圏のマカティで暮らし、仕事をしていた。周辺は住宅や学校、オフィスビル、商業施設が立ち並び、紛争などとても考えられない雰囲気のところだ。

 人々は休日、マカティのショッピングモールで映画を観たり、カフェに行ったりして過ごしており、同じ国で紛争が続いているとは思えないほどだった。だが、そんなマニラ首都圏でも、新聞などにミンダナオ島の紛争の情報が途絶えることはなかった。

 紛争が続くことなどから、資源に恵まれつつもミンダナオ島の経済開発には課題もあり、貧しい地域が残されている。マニー・パッキャオがフィリピン人の心を強くとらえるのは、苦難を抱えるミンダナオ島の貧困家庭に生まれながらも世界に知られるボクサーへと駆け上がったという彼の物語が、庶民たちの心情に訴えるものがあるからだろう。

 こうしたミンダナオ島で生まれたアガリンさんだが、自身も紛争に巻き込まれ、つらい思いをしてきた紛争の当事者であり、被害者である。

 だが、アガリンさんは被害者として打ちひしがれているばかりではなかった。1983年から10年以上、紛争により被害を受けた女性を保護・支援する女性センターで働いたのだ。紛争により夫を亡くしたり、攻撃を受け傷ついたりした女性たちの支援活動に当たった。そうしてコミュニティ内での支援活動のノウハウやスキルを蓄積していった。

来日して初めて知ったフィリピン人女性が抱える問題

 そんなアガリンさんが日本とのかかわりを持ったのは、ボランティアでフィリピンに来ていた現在の夫と出会ったことがきっかけ。その後、2人は結婚を決め、アガリンさんは1996年に夫とともに来日した。

 来日当初は、台東区と荒川区にまたがるいわゆる「寄せ場」と呼ばれる「山谷」を訪れるなどし、日本が抱える課題を目の当たりにすることもあった。「豊かなはずの日本なのに、不利な立場に置かれた人がいる」ことに驚いたという。

 一方、アガリンさんは当時、日本でフィリピン人女性がエンターテイナーとして多数就労していることは知らなかった。しかし、日本で過ごすうちに、多数のフィリピン人女性が日本で暮らしていること、そして悩みを抱えるフィリピン人女性が少なくないことに気がついたのだ。

 特に大きな問題だと感じたのは、パートナーからのDVだった。日本人の夫や恋人によるDVで、心身が傷つけられたフィリピン人女性がいたのだ。

 そうしたフィリピン人女性の多くはエンターテイナーとしての就労をきっかけに日本で暮らし始め、後に日本人男性と結婚したり、付き合うようになったりした人たちだった。

 ミンダナオ島で女性支援活動を行ってきたアガリンさんは、日本にいるフィリピン人女性を放っておくことができず、自ら支援組織を立ち上げることを決断した。それがKAFINなのだ。1998年に埼玉県内にKAFINを設置し、活動を開始した。

 そして今、KAFINはフィリピン人女性を中心に外国人女性が集まり、助け合う場となっている。DVや離婚、シングルマザーといった課題について、当事者自らが協力し合いながら問題解決の道を模索している。

 ではKAFINに集まる外国人女性たちには、実際にどんなことが起きているのだろうか。次回は、フィリピン人を中心に外国人女性が直面した問題について見ていきたい。

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