ネットで「『悩むこと』と『考えること』の違い」という文を知りました。悩むことが良くない…のかどうかはわたしにはわかりませんが,悩むと考える…ということは違う…ということには同意。その違いも‥若干違うかなと思うところはあるけど,おおむね同意です。ちなみにこれを見つけたのはdankogaiさんのところで,ここで彼は「悩みこそが考えの母」とされてます。
悩むことがいいことか悪いことか?…については,わたしは良くわかりません。というか,わたしは長年ずっと「悩む」ということが良くわからなかったのです。それどころか「考え込む」と言うこともあまりやったことがありませんでした。つまり答えが出ないことを長時間頭の前に持ってきて何度も繰り返す…ということを経験上ほとんどやったことがなかったのです。正確にいうと出来なかった。
わたしにとって考えるということは,最初のリンクと同じで,今時分が持ってる情報,状況を元に並べてみて最適だと思われる答えを出す。そのパターンを並べるためには時間をかけるけど,出尽くしてしまえば,それからすることを選んで終わり,それ以上は意識していても仕方ない…という感じで,忘れてしまうと。もちろん最適と思われる答えが出ないこともよくあります。でもそのときは,さらに情報を求めるか,人に話を聞くとか議論をします。それでも出ないときは,「考えても仕方がない」と思ってそのまま進めるか,もうやらないか…ととにかく考えなくなる。
自分の思考パターンはずーっとこうだったので,堂々巡りで同じことを頭に浮かべるということがほとんどなく,だから考え込む…というのもパターンを創出してる間とか決めるために判断してる間はそうですが,終わって決めるともう気にとめてませんでした。なので悩むということがどう言うことか良くわかってなかったのです。
ですが,病気になったあと…は答えがないところをぐるぐる回ることをやっていて,今考えるとあれは「悩む」ということだったのだな…と。
あのときは病気のことが重すぎるし,また判断材料も足りなくていくら並べても良くわからないことばかり。いまでもわからないのだけど,でも「わからないから仕方ない」とは思えませんでした。挙げ句のはてに「自分がどうしたいのか?」すらわからなくなって,良く自問自答してました。病気のことを無かったこと…には出来ないし,以前のような体にすぐ戻れるわけでもない。戻れるかどうかは可能性の問題であり,それ以上の判断は出来ない。当然寿命とかも可能性の問題。もし寿命がもうあんまり無いとしたら,どうしたいのか?。自分は何が嫌で,こんなに不快な気分になってるのか?…,散々材料を並べてもなかなか冷静になれなかった…。
今考えるとあれは「悩んでいたのだ」と今最初のリンクの文章を読むと思います。
まぁでも,その悩みから今は脱してるか?…と言われると,疑問ですが,以前より悩まなく…考えなく…なったのは,答えが出たわけではなく,少し悩み疲れたのと,飽きたのと(^^;),あと体の不調が徐々に軽くなってるから…というのがあるように思います。答えが出ないから考えても仕方がないと思えるようにもなったけど,それは時間と体調が解決してくれた気がします。やっぱり人間って体調と気分にかなり左右される生き物だな…と:-)。悩んでも仕方がないと思っても体調が悪いと,無視できないわけだし…。
そういうわけで,悩むことがいいことかどうかは良くわからないけど,自分も悩むのだなぁ…とちょっと思ったりもしました。あまり悩まない性格なのは変わらないと思うけど,悩んだ経験はあると言えることになったというか(^^;)…。
悩むことがいいことか悪いことか?…については,わたしは良くわかりません。というか,わたしは長年ずっと「悩む」ということが良くわからなかったのです。それどころか「考え込む」と言うこともあまりやったことがありませんでした。つまり答えが出ないことを長時間頭の前に持ってきて何度も繰り返す…ということを経験上ほとんどやったことがなかったのです。正確にいうと出来なかった。
わたしにとって考えるということは,最初のリンクと同じで,今時分が持ってる情報,状況を元に並べてみて最適だと思われる答えを出す。そのパターンを並べるためには時間をかけるけど,出尽くしてしまえば,それからすることを選んで終わり,それ以上は意識していても仕方ない…という感じで,忘れてしまうと。もちろん最適と思われる答えが出ないこともよくあります。でもそのときは,さらに情報を求めるか,人に話を聞くとか議論をします。それでも出ないときは,「考えても仕方がない」と思ってそのまま進めるか,もうやらないか…ととにかく考えなくなる。
自分の思考パターンはずーっとこうだったので,堂々巡りで同じことを頭に浮かべるということがほとんどなく,だから考え込む…というのもパターンを創出してる間とか決めるために判断してる間はそうですが,終わって決めるともう気にとめてませんでした。なので悩むということがどう言うことか良くわかってなかったのです。
ですが,病気になったあと…は答えがないところをぐるぐる回ることをやっていて,今考えるとあれは「悩む」ということだったのだな…と。
あのときは病気のことが重すぎるし,また判断材料も足りなくていくら並べても良くわからないことばかり。いまでもわからないのだけど,でも「わからないから仕方ない」とは思えませんでした。挙げ句のはてに「自分がどうしたいのか?」すらわからなくなって,良く自問自答してました。病気のことを無かったこと…には出来ないし,以前のような体にすぐ戻れるわけでもない。戻れるかどうかは可能性の問題であり,それ以上の判断は出来ない。当然寿命とかも可能性の問題。もし寿命がもうあんまり無いとしたら,どうしたいのか?。自分は何が嫌で,こんなに不快な気分になってるのか?…,散々材料を並べてもなかなか冷静になれなかった…。
今考えるとあれは「悩んでいたのだ」と今最初のリンクの文章を読むと思います。
まぁでも,その悩みから今は脱してるか?…と言われると,疑問ですが,以前より悩まなく…考えなく…なったのは,答えが出たわけではなく,少し悩み疲れたのと,飽きたのと(^^;),あと体の不調が徐々に軽くなってるから…というのがあるように思います。答えが出ないから考えても仕方がないと思えるようにもなったけど,それは時間と体調が解決してくれた気がします。やっぱり人間って体調と気分にかなり左右される生き物だな…と:-)。悩んでも仕方がないと思っても体調が悪いと,無視できないわけだし…。
そういうわけで,悩むことがいいことかどうかは良くわからないけど,自分も悩むのだなぁ…とちょっと思ったりもしました。あまり悩まない性格なのは変わらないと思うけど,悩んだ経験はあると言えることになったというか(^^;)…。