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弱者を助ける理由

2012-06-29 05:58:16 | ココロ
弾さんがなぜ弱者救済が必要か?を論じてます

暗い話を書くと,西洋の教えに弱者救済が無いのは当然です。そもそもキリスト教は階級制度を肯定してますし,異教徒の迫害を否定しませんから,弱者を救済しないのです。

これは別に西洋に限りません。今放送中の平清盛を見ていてもわかるように,権力者(貴族)は下級者(武士)を人間扱いしません。しかし武士が経済力と武力をつけてくると,その力を利用するために,いろいろと権利を分け与えたのです。西洋においても同様で,貴族の時代に商人が経済力をつけてきて,その結果,低い爵位を与えたりとかしてきたのです。選挙制度も結局のところ,暴動となった市民を抑えるように徐々に広がっていったに過ぎません。権力者は本音としては自分より低い階級には権利を与えたく無く,救済をしたいとは考えてないのでしょう。

この様に違う人に対しては,困っていてもなるべく助けようとしないのが,どうやら人間の本能の様な気がします。しかし一方で,というかだからこそ,同じ層の人間同士は,つまり仲間同士は助け合う気がします。

それは,相互扶助というか,自分がそうなる可能性があるという事があれば,いつか自分も助けてもらうかも知れないから…という事なのかもしれません。

ということを考えると,どこまでを仲間と見れるか?が誰までを助けるか?ということになります。海外に良く出かけ人に会い,知り合いが多い人が,外国で困っている人に救済の手を指し述べようと訴えるのは,それを仲間と見るからです。一方で,身近な空間から出ず,人にもあまり会わず,自分が知らない世界の想像もあまりしない人が,人助けをしようとしないのはある意味当然のような気がします。今,震災のがれき受け入れ問題で,震災の影響が無かった地域の人がかたくなに受け入れを拒否したりしますが,そういう人は一方で自分達の地域の中の人に対しては,困ってる人に厚く手を差し伸べていたりするものなのです。別に薄情なわけじゃなくて,仲間の範囲が極めて狭いというだけです。

ぶっちゃけオチをいうと,弱者を助けるのは,仲間と認識する場合で,理由も仲間,いつかはわが身と思うとか,他人事じゃないからでしょう。

ある意味,人助けの範囲を見ると,その人の世界が見える様な気がします。
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