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ポジショントークとその人

2012-01-16 07:41:00 | ココロ
社会に出てある立場を続けていると,自分の本心ではなく,自分の立場に合わせて発言をする必要が出てくる。いわゆるポジショントークというやつ。人は自分の信念とピッタリの組織に所属できるとは限らないし,その組織を必ずしも信奉できるとも限らないので,立場の意見と本音というのは必ずしも一致しない。というか一致していたら気持ち悪い。

組織の外の人から組織の事を問われれば,気心の知れた人ならともかく,あまり知らない人に対しては,自分の本心とは別に会社の立場で答えるのが,まぁ普通でしょう。とはいえ,どこでどういう発言をすべきか?というのは,一種の能力で,常に適切に立場に合わせた発言が出来るかは,人によります。組織の中になると,もっと細く立場がわかれており,役職が変わったり部署が変わったりすると,発言すべき内容は変わるし,それは儀礼的だったりブラフだったりもするんだけど,会議でわざと反対したり,逆に気に入らなくても,賛同したりとかそういうことが必要になってきます。

というか,おもうはそういうことがうまくできる人じゃないと,出世できない。下の方から見ると,上の人は怖くて頑固者に見えるけど,実際は上の人ほど立場が変わればいうことが変わる。本心じゃないことを,あたかも本心のように喋れる…って意味じゃ柔軟な人だったりするわけです。

ふと思ったのは,確かに偉い人はポジショントークがうまいのだけど,本人の本当の本音というのはあるんだろうか?ということ。建前はこうだけど,本当はこう思う…っていうのはちゃんとあるんだろうか?ということ。何十年も立場に合わせた意見を言っていたら,もしかしたら自分の意見など無くなっていて,常に立場をみてそれが自分の意見のように思い込んではいないだろうか?という気がした。

もう一週間も前だけど成人の日にちなんで弁当翁が昨日書いていた若者へ送る言葉はネタではあるんだけど,「これしかできない事を基準とせよ」という言葉はある意味,正しいな…と思った。まぁこれは二十歳の人にはちょっと早すぎる言葉で30~40位の人に言った方がいいと思うが。偉くなって立場に合わせた意見しか持てなくなっている人は,ある意味これしか出来ないって事はないのではないか?と,それはいいことか?というと実は,自分がわからないという意味では,あまり幸福ではないのかも知れない。

だいぶ前にfujiponさんが氏家さんのことを書いていたけど,氏家さんが自分は何もやってないと言ったのも,これだけ偉くなる人は,逆に自分の立場だけで行動をしていたのかも知れない。ある意味,自分の立場に合わせて言動を選べる人は偉くなれるけど,それだけだと,自分の本心,自分が何者か?わからなくなるんではないか?と。

等と考え,少し自分もそういうものをしっかり持たないとな…と思った。
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