たろの日記ページ,gooブログ版

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遺恨

2005-07-08 18:54:57 | 時事
日本人は本来は「怨念」というものに敏感で,恨みを買うのが嫌なので,殺傷を嫌っている…という側面があったように思います…。
でも,最近,現代の日本人は「恨み」というものに鈍感になってきているのではないか?…という気がします。というか鈍感(=見てみぬふりをする)ことにより本来嫌いな「怨念」について思考停止しているのではないか?,とすら思ってしまいます。
日本人は太平洋戦争に負けた米国に対して,大きな恨みを持たないように教育されてきました。もちろん日中戦争,太平洋戦争に対して日本の非がある…という考え方に基づいてそういう風になってしまったのかも知れませんが,占領軍を派遣し,その後日本に基地を駐留しているアメリカに対して,むしろそれを歓迎した様なところがあります。
これにより日本は戦時中に(日本人も殺したけど)日本人を殺したアメリカに対してたいした恨みを持たなくなってしまいました。
しかし日本以外の国々を見てると,戦争に勝とうが負けようが,占領しようが占領されようが,殺した外国に対しては恨みをある程度残すのが普通なのではないでしょうか?。
ヨーロッパのいくつかの国はいくつかの地域に進行し占領等を行った歴史が近年まであります。また中東でも国境を越えた血を流した戦いがあります。そういう中で,戦いが終わっても,その遺恨は今だ消えること無く残っているように思います。もしかしたらそれが「普通」の事ではないか?,という気がしてきました。
ロンドンの爆破テロのニュースを見て,ふとそう思いました。
そして,更に日本人が東アジアの国の方に日中戦争時の行為に対して痛烈に批判されていることに妙に鈍感なのは,そもそも日本人が多くの日本の都市を焼いたアメリカに恨みを持たなかったから,そういうことに対して鈍感になってしまったのではないか?…という気がしてきました。恨み恨まれ…というものがいいとは思いませんが,人を恨まなくなったことで恨まれることに対して鈍感になった…,だとすれば,「世界の常識」という意味では…,それが良かったことなのか,ちょっと疑問が残ります。

#普通だからそれがいい…という意味ではありません。念のため。
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