光山鉄道管理局・アーカイブス

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大レイアウトを考える・11・「舞台としてのレイアウト」

2011-07-21 21:00:30 | 書籍

 久しぶりに大レイアウトの考察ネタです。かなり退屈な書き殴りですがご勘弁を。

 実物の風景を無批判にジオラマ化した物が理想の大レイアウトになりうるか。

 この点を考える時に思い出される本があります。

 かつて「少年H」でベストセラーを飛ばした妹尾河童の著書のひとつ「河童の語る舞台うらおもて」です。
 妹尾氏は本来舞台芸術家・舞台監督ですから、視覚効果を優先した舞台セットの構築(リアリティと演出効果の両立・視覚的演出の重要性)を熟知している訳で本書では最高の効果を上げる舞台セットの構築が分かりやすく、かつ深く語られています。

 舞台の上ではセットそのものの魅力だけではなく、空間の圧縮・空気感の表現・照明の効果を総合的に駆使し「本物以上に本物らしく見える」「それでいて役者の魅力・演技をも同時に引き立てる」点でレイアウトに通じる物があると思います。

 何故ならレイアウトとは「列車」という役者が「風景」という檜舞台の上を「演出された走り」をもってオーナーや観客を魅了する物といえるからです。

 その為には実物の法則・文法を無視してでも効果を最優先した演出の重要さがいくつもの例をあげて述べられています。
 それらが文章だけではなくイラストレーターとしても一流の妹尾氏の挿絵でも表現されているのでこれを見ているだけでも楽しめます。
 こうした演出は本書では主に「けれん」という表現で書かれています。但し誤解のない様に書き加えるならそれらの「演出」はあくまで作品を効果的に演出する範囲の中でのみ意味をもつという事を強調しておくべきでしょう。こけおどしの演出だけが優先して作品世界まで破綻させたら元も子もありません。

 個人的な感想ですがもし妹尾氏がレイアウトを手掛けるならばかなりパノラミック、且つ列車が生き生きと走りまわる(時には観る物をドキリとさせる舞台転換や舞台崩しを取り交ぜた)物が出来るのではないでしょうか。
 
 「列車の走る舞台」として演出効果まで考慮したレイアウトを意識的に製作した作例はこれまた日本ではまだ少ないと思えます。また、それがあったとしても実物至上主義のマニアから許し難い存在として無視・排斥される可能性も高いと思います。

 実はこの点にも実物至上主義の純粋主義者の陥りやすい陥穽があります。
 この種の人々は「実物そのまま=カッコイイ」という単純な思考からなかなか外に出ないゆえに実物特有の「不潔さ」「煩雑さ」を無視するか認められない事が多く、結局理屈地獄の泥沼から抜け出せなくなります。

 SNSや一部のブログ等のコメントを見ると瑣末な実物の(それも外見上の)相違点を針小棒大に突き回すケースが多い気がします。
 (ですが、その一方で最近のジオラマにはリアリティを逆手にとって意外性のある演出を加えて効果を上げているケースが少しづつではありますが増えてきているのに心強さを感じてもいます。本来なら具体的な作例を挙げたいところですが色々な関係もあって難しいですね)

 海外のレイアウトではこの点、実に魅力的な風景作りがなされているのですが実物の完全な引き写しというのは(博物館も含めて)少数派です。
 実物をモチーフにしつつも「作り手の頭の中にある風景の具象化」に軸足を置いている雰囲気を強く感じます。

  これはレイアウトそのものに対する日本と海外の捉え方の違いもあると思われますがそれについては次回に。

(写真は本題と関係ありません)

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (光山市交通局)
2011-07-22 20:52:32
>UCCさん

 改めておめでとうございます。

 車両単体であっても例えばミニカーなどでは「的確に印象を伝えるための省略」が意図的に行われて効果を上げるケースも多いです。

 又、最近人気のいわゆる「萌えフィギュア」のジャンルでは元々平面の素材を「元絵と同じ印象で立体化する」という意味で極めて高度なディフォルメを行って効果を上げていると思います。

 こうした意図的に感性に訴えようという所が最近の車両模型に希薄なのが気になる点ですね。

 ただ、レイアウトやジオラマの分野ではそうした所が少ない、まだまだアーティスティックな要素で作れるところが救いと思います。

 偉そうに書いてしまいましたが、私が作品でそれを語れるレベルになるにはどれだけかかるやら
(大汗)
返信する
Unknown (光山市交通局)
2011-07-22 20:44:19
>初瀬春日さん

 コメントありがとうございます。

 模型の本質のひとつが実物の縮小であるも確かなのですが「それだけ」になってしまうとおかしなことになると思えます。

 ことモデルの世界の中でも鉄道模型の世界のそれは特に顕著な印象を受けますね。

 リアルさを犠牲にしない範囲で実物の印象を的確にとらえるにはある種のセンス(芸術的な)が要求されると思いますが、そうした感性がもっと評価されなければならないように思えます。
返信する
Unknown (UCC)
2011-07-22 00:19:38
こんにちは。

コメントありがとうございました。
自分でもちょっと驚いています(^^;

>相違点を針小棒大に突き回す
激しく同意です。マニア故のこだわりでしょうが、車輌単体で勝負する世界であれば、それらにこだわらざるを得ないのかもしれません。

Nゲージ(もしくはその他のスケール)に落ちている時点でかなりの演出(デフォルメ)がされているんですけどね。

#演出効果まで考慮
これが私は苦手で、いつも行き当たりばったりでモジュールを作成しています(^^;
結果オーライが結構多いんですね。この辺りをしっかり計算できるようにならないといけませんね。
返信する
Unknown (初瀬春日)
2011-07-21 22:52:58
なかなか深い考察に感服いたします。
レイアウトはサイズ的に実物をそのまま縮尺することが難しいので、いろんなデフォルメや省略がよく行われていると思います。
しかし、車輌工作では記事中でも言われているように、本当に些細なこと、小さな手すりが一つあるかないか、といったことが重要視される傾向もあり、時には間違いだと非難されたりもして、この傾向には憂慮しています。
実感を高めるには実物どおりが必ずしも良いとは限らない、全体のプロポーションや雰囲気作りが本当の意味での実感実だ、という考えがもっと広がるといいと思っています。
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