武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

戦前の合気道(1)

2009年03月01日 | Weblog
 開祖植芝盛平は、生涯に「守高」と「常盛」の名を用いられた時期がある。それは大本から皇武館の頃にみられるが、その時代背景を窺えば、後の岩間へとつづく開祖の心的な変遷が浮かびあがる。

 各地の武術道場へ参りまして見ますのに、神様のお祀りしてある道場は甚だ少ない。とくに学校等で殆んど全てが神様をお祀りしていないのであります。現代の人々はただ身体を動かすことによって武道を体得し、武術を修練することができると思っているようであります。かかる精神によって指導されて、汗を流して一生懸命に武術の稽古をしている人々を見ます時に、私は一種いうことのできない哀愁と重大なる責任を感ずるのであります。
 道場とは読んで字の如く道の修業場であります。今日の道場はむしろ工場といった方が適当のように思われます。

 人は刀によって切られる前に先ず切尖(きっさき)より迸る殺気によって切られるのであります。
 例えば少し剣道に達してくると刀を振り下ろして来る敵の意志相念は時間空間を超越してこちらへ直感できるものであります。また私が両三度経験したことは、ピストルの弾丸等も実弾が発射する前に約一寸位の白色の想念の弾丸がシュツと音をは発して飛んでくるのであります。
 しかし真(まこと)の武道からいいますと敵の行動を単に予見するのはまだ至らざるものでありまして、敵を自分の意志の通りに働かす力、即ち一切を自己の内に抱含する力量が備わってきてこそ誠の神の道を宣揚(せんよう)することができるのであります。

 これは武道に関する霊的体験の一端でありますが、今日の武術家にして神を敬い、霊体一致の修業を必要とする点に覚醒されたならば、その心境は自ら驚嘆されるものがあろうと思うのであります。 (植芝守高文「武道」武道宣揚会版)

写真:合気道開祖植芝盛平
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