武産通信

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浅野温子 語り舞台「日本神話への誘い」京都公演

2009年03月12日 | Weblog
○5月6日(水/休)  平野神社  京都市北区平野宮本町

 時 間  ①16:00  ②19:00  2回公演
 
 鑑賞料  前売 2500円 

 平野神社公演の申込み  TEL 075-461-4450

○浅野温子さんに聞く 「日本神話への誘い」

 舞台を拝見して、古事記はこんなにも情感あふれる世界だったんだと感銘いたしました。改めて古事記の魅力とは?

 やはり、日本人が創った物語ですから、入りやすいですね。まず第一に、日本人の情というか、私たちの琴線に触れるものがぎっしり詰まっている。おおらかさと厳しさ、情の深さと勇敢さ、人だけでなく動物、一木一草に至るまで愛でる情愛の深さ等々。これこそ日本が古来より持ち続けてきた財産なのではないでしょうか。古事記に登場する神々は、喜怒哀楽が豊かで、相手を愛することに熱烈です。そこには、親子や兄弟、あるいは夫婦の情愛がある。そういう強い絆で結ばれています。
 第二は、人間の不完全さと復活力というものを教えてくれていると思います。古事記の神々は、決して完璧ではなく、ときに間違いを犯すけれども、そこから立ち直る強さを持っています。例えば、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の夫婦の神様の物語。あれほど愛した妻の死を悲しんで黄泉の国に迎えに行った伊邪那岐命(みこと)でしたが、醜く変わり果てた妻の姿に驚き、逃げ帰ります。一方、黄泉の世界の掟を破ってまで夫に付いて行こうとした伊邪那美命は、夫の裏切りを嘆き追いかけます。どちらも素直な気持ちを言動にしたわけですが、そのように完璧でないけれども、大丈夫、それでいいんだというメッセージが込められているような気がするんです。
 そして、伊邪那岐命はその後、禊をして天照大御神をはじめ三貴神を生んで、いわば復活していますよね。あるいは、その三貴神の物語では、須佐之男命(すさのおのみこと)は、乱暴を働いて高天原から追放されてしまいますが、やがて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して神剣を天照大御神に献上します。これはたとえどん底に落ちても立派に立ち直る力のある民族が日本人であると伝えているのではないでしょうか。また、その陰には常に姉君、天照大御神の慈愛のまなざしがあります。
 人は完全でないから、情で支え合うんだと思います。自分も他人も完璧じゃないという認識は、やさしい気持ちを持つことにつながります。自分が完璧だと思い込むと相手の痛みが分からない。自分も弱かったり痛みを持っているからこそ相手を思いやり分かってあげられる。日本人はそういうやさしい民族だと思います。やさしさは他人との関係を円滑にする根本の心です。人の愛情を受け止めることのできる人は人に感謝することができる。日本人は愛することも愛されることも深くできる。そういうことを皆に思い出してもらいたいし、そういう民族なのよということを子供たちに伝えていきたい。 (浅野温子公式ホームページ)
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