武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

戦前の合気道(2)

2009年03月08日 | Weblog
 合気道の植芝守高(盛平)先生は、武道界特異の存在である。先生は幼少の頃から膂力衆にすぐれ、しかも、あらゆる武術を稽古された現代稀にみる達士の人である。従って植芝先生の合気道を単一的なものではなく、各流武術の粋を集めた素晴らしい綜合武術であると賞賛する人もある位である。しかし、実はそれは誤りで、先生ご自身の口から、常日頃、自分の合気道は決して他流の粋を集めるといったいわゆる綜合武術ではないと、門下その他の人々に語っておられるのである。

 先生の合気道は、事実、不抜の信念と一種の霊感から生れた先生独自の創案で、しかも思議することのできない剛柔兼ね備えた精妙な武術である。その驚嘆すべき魅力は一抹の神秘性さえ漂わし、まさに他の追従を許さない植芝先生独特のものとして既に定評のあるところである。現にある武道師範などは「植芝のあとに、植芝なし」とまでに激賞しているのである。

 元来、合気道は当身が主であって、その上に形式から見ると、外見にあらわれるところは全く後先主義の、相手から攻撃があって防禦をし、攻撃に移るとか、または防禦と同時に攻撃をするように緩急いろいろである。決して相手から掛かって来ないのに自分の方から仕掛けてゆくというような事を好む好戦的な態度は、真の人間としてはとらぬ所だし、またそうすることは人道を乱す非礼な暴行であるとさえ断じ、平和を愛好する紳士、真の人間にとっては最も恥ずべき行為として厳しく戒めているのである。

 この威力ある決定的武術の称ある合気道は、後先主義をもって説明され、また稽古も行われている。勿論、形の上では後先に見える術技であっても、必ず先々の先の心構えで、咄嗟の場合にも、臨機応変、有効適切な処置が施される。攻撃されてから技を起す考えとなるのでは間髪を入れない精妙な術技ができる筈はなく、不確実であり、全く不安である。常に油断のない、虚のない心構えがあってこそできる「先手なし」である。

資料:小西康裕「空手入門」魚住書店
写真:植芝盛平「武道」表紙/昭和13年
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