
西郷隆盛
鳥羽伏見の戦いを読む ~一月三日の西郷隆盛~
慶応四年一月三日申の刻(午後3時~5時)、鳥羽伏見の戦い勃発。戦いの前線に出ないようにいわれていた西郷隆盛(京都在)が、大久保利通( 京都市上京区石薬師通寺町東入る)に宛てた手紙。
戦線は鳥羽と伏見に展開されていた。ここでは初戦の大勝の報告。幕府軍は官軍の三倍の兵力で心配もあった。西郷は早く追討将軍が任命されるのを願っている。(城南宮宮司・鳥羽重宏)
西郷隆盛書簡
大久保一蔵宛 慶応四年正月三日
今日は御叱りを蒙るべき事と相考え候得共、戦の左右を承り候処、たまり兼ね、
伏見迄差し越し、只今罷り帰り申し候。初戦に大捷(大勝)、誠に
皇運開き立つ基と大慶此の事に御座候。兵士の進退実に感心の次第驚き入り申
し候。追討将軍の儀如何にて御座候や。明日は錦旗を押し立て、東寺に本陣を
御据下され候得ば、一倍官軍の勢いを増し候事に御座候間、何卒御尽力成し下
されたく合掌奉り候。頓首。
正月三夜 西郷吉之助
大久保一蔵様
西郷は国許に二通の手紙を書いた。一通は親友であり、家老である桂右衛門にあてた。鳥羽・伏見の戦争のことを報告した、よろこびにあふれるものであり、一通は川口量次郎にあてたものである。(海音寺潮五郎『西郷隆盛』)
川口量次郎宛 慶応四年正月十日
此のたびは私には一向戦いには出られず、八幡は要地難戦と相心得候に付き、
先晩より窃か(密か)に抜け出し候て参り候処、訳もなく打ち破り、大慶此の事に御座
候。三日の晩と、たった両度戦場に参り申し候。八幡へ参り候節は、
君公(島津忠義)より大いに御叱りを蒙り候次第にて頓と戦地へ臨まれず、込まり入り候儀
に御座候間、定めて信吾抔(西郷従道など)よりかんどう(勘当)を申し付け申すべきと、残念此の事に
御座候。此の旨急々一左右(一報)迄、此(かく)の如くに御座候。以上。
正月十日 西郷吉之助
川口量次郎様
鳥羽伏見の戦いを読む ~一月三日の西郷隆盛~
慶応四年一月三日申の刻(午後3時~5時)、鳥羽伏見の戦い勃発。戦いの前線に出ないようにいわれていた西郷隆盛(京都在)が、大久保利通( 京都市上京区石薬師通寺町東入る)に宛てた手紙。
戦線は鳥羽と伏見に展開されていた。ここでは初戦の大勝の報告。幕府軍は官軍の三倍の兵力で心配もあった。西郷は早く追討将軍が任命されるのを願っている。(城南宮宮司・鳥羽重宏)
西郷隆盛書簡
大久保一蔵宛 慶応四年正月三日
今日は御叱りを蒙るべき事と相考え候得共、戦の左右を承り候処、たまり兼ね、
伏見迄差し越し、只今罷り帰り申し候。初戦に大捷(大勝)、誠に
皇運開き立つ基と大慶此の事に御座候。兵士の進退実に感心の次第驚き入り申
し候。追討将軍の儀如何にて御座候や。明日は錦旗を押し立て、東寺に本陣を
御据下され候得ば、一倍官軍の勢いを増し候事に御座候間、何卒御尽力成し下
されたく合掌奉り候。頓首。
正月三夜 西郷吉之助
大久保一蔵様
西郷は国許に二通の手紙を書いた。一通は親友であり、家老である桂右衛門にあてた。鳥羽・伏見の戦争のことを報告した、よろこびにあふれるものであり、一通は川口量次郎にあてたものである。(海音寺潮五郎『西郷隆盛』)
川口量次郎宛 慶応四年正月十日
此のたびは私には一向戦いには出られず、八幡は要地難戦と相心得候に付き、
先晩より窃か(密か)に抜け出し候て参り候処、訳もなく打ち破り、大慶此の事に御座
候。三日の晩と、たった両度戦場に参り申し候。八幡へ参り候節は、
君公(島津忠義)より大いに御叱りを蒙り候次第にて頓と戦地へ臨まれず、込まり入り候儀
に御座候間、定めて信吾抔(西郷従道など)よりかんどう(勘当)を申し付け申すべきと、残念此の事に
御座候。此の旨急々一左右(一報)迄、此(かく)の如くに御座候。以上。
正月十日 西郷吉之助
川口量次郎様