続 斉藤守弘語録
指導方法として三段階あります。一つは合わせて練習する方法。二つは抑えにきた気を受けて返し技でかえす方法、三つは完全に抑え込まれたのを返す方法です。正しい基本ができていないと返し技はできません。常に丁寧な気持ちで稽古してください。
合気道は大愛、大和であり、厳しい精神でこれができるんです。
合気道は、掴み技をやらなければならない。両手取りをしっかりとやりなさい。
二教で痛ければ、痛くなくなるまでやりなさい。
合気道において入門者十人あって一人残るだけでいい。岩間においては十人に一人です。常に厳しさが必要です。しかし、稽古は楽しくなくてはならない。痛かったら離しなさい。憎しみの残るような稽古は絶対してはいけません。はやく強くなりなさい。厳しい合気道ほど楽しいですよ。一つ一つの技を丁寧にしてください。時には頑張り合いも必要です。常に楽しく研究しながら技をやり合うことが大切です。
合気道は宣伝してはならない。人に勧めてはならない。自分からやる気で来たものでなければならない。
合気道は誤魔化しはできません。合気道において八百長があってはいけません。合気道は常に真剣勝負です。
意識した気合はいけません。動いているときに出てくるものでなくてはならない。自分の動きに自信のあるときは気合をプラスしてください。気合を大先生は重んじられました。
合気道は難しいなどといわず動くことを習うのです。初めは阿呍もくそもない。不言実行! 手足をまず動かすことです。理屈を捏ねる前にまず動くこと。そうすれば自らわかってきます。理屈はいらない。常に楽しい稽古の積み重ねが必要です。動いて初めてわかるのです。
気、気と気ばかりに執われてはいけません。気が気にひっかかるんです。何もできなくなります。理屈はやめよ! とにかく練習し、稽古してください。
大先生は子供に指導するときでも気を抜かれなかった。
「一つ一つの稽古を無駄にするな!」と。「気を入れろ!」、「気が入っとらん!」と、大先生は手を叩いて𠮟られた。
合気道から呼吸力を取ったら合気道とはいわない。呼吸力のない合気道は力の入らない相撲と同じです。
正面打ち一教で、手と足の基本が逆になっている。基本に立ち返らなくてはならない。
合気道の指導はポイントを指導してください。二教は相手の小指を相手の鼻のほうへ返せば効くんです。
合気道をする人は、大先生の研究された技をもっと研究しなければならない。
一緒に大先生を研究しましょう。
大先生が教えてくださったことが素晴らしい。大先生の技はやっぱり素晴らしい。大先生の演武の技を見てやったのは駄目です。大先生は演武では本物を為されない。それは、技を盗まれるからです。
合気道は誰でもできるし、誰でも理解できるし、誰でも会得できる。我流はいけません。正しい技は整然と理解できます。
相手に掴まれたら相手の武器を預かったと思いなさい。
合気道は、鏡の前に立って姿が写ったと同時に勝負がついていなければならない。陽よりも光よりも速く勝負がつかなければならない。
一本橋の上で敵と遭遇したならば、呼吸法以外に勝負の道はない。大先生は「呼吸法ができれば三日で免許皆伝をやる」といわれました。
ここでは九分以上はガシッと掴み合って呼吸力の鍛錬をします。あとの一分が流れの稽古です。
相手の剣を受けたときはその瞬間に逆に相手を突いていなければならない。
常に臍の前に剣があるように剣を構えるようにしてください。
合気道は、相手が動いたときにはもはや勝負がついていなければならない。まさに相手が剣を振りかぶったときにはもはや突いているというように、正勝、吾勝、勝速の気で捌かねばならない。
私は、合気道の指導中に何かものを考えて指導しているのではありません。大先生の言われたことを、そのまま言っているだけです。
斉藤先生のお宅は道場と地続きだった。
斉藤先生は笠間焼の水差しでサントリーレッドの水割りを旨そうに飲まれていた。
茨城弁で、新婚旅行のとき、京都、大阪で吹田道場の道場開きがあり、大先生とともに大阪へ行っていて結局行けなかった。今でも母ちゃんに頭が上がんねえよな。
酒を飲まないと強くなれないよ。
余談だが、斉藤先生は喧嘩の仲裁に行くときは体に晒を巻き革ジャンを着て出かけたという。
俺のパンチを知らねえな
扨て、斉藤先生にいらんことを書くなと叱られそうなので、このへんで筆を置く。