梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

巡業日記<終>・蒲田で千穐楽の巻

2005年07月31日 | 芝居
本日、大田区蒲田『大田区民ホール アプリコ』での二回公演をもちまして、本年度の「公文協中央コース」、そして足掛け四年にわたった「ニ代目中村魁春襲名興行」が幕となりました。
普段の劇場の時と同じく、千穐楽を祝っての御挨拶まわり、大入袋の配布があったりいたします。こころなしか楽屋の様子は浮き立った感じでございました。
舞台のほうは別段変化はございません。ただ、東京での公演ということもあり、<大向こう>の方々が大勢いらしてくださり、さかんに掛け声をかけて、お芝居を盛り上げて下さいました。また『口上』では、加賀屋(魁春)さんが、今日で一連の襲名興行を終える旨をお客様に御報告なさいました。

私も、『吉野山』の花四天、『与話情浮名横櫛・見染めの場』の黒戸の子分、二役ともに大過なく勤めおおせることができました。先輩方からいろいろと教わることができ、また、勉強会ではない、本公演の舞台でお役を勉強させて頂けたこと、本当に有り難く、まだまだお目まだるい状態だったとは存じますが、今回の経験を、次の機会につなげてゆけるように、今後とも精進してまいる所存でございます。

さて、いつもの公演ですと、千穐楽の後片付けは大変バタバタとするものですが、巡業に限っては、毎日毎日が荷明けと撤収の繰り返しなので、いつも通りに作業をすれば完了というわけで、それほど大変にはなりません。加えて、汗になったものは荷物に入れずに手持ちで持ち帰ったり、宅急便で送ったりいたしますので、今までより荷物が減ることのほうが多いですね。そうしたもの以外の荷物は、今晩は運送屋さんが預かり、明日の朝に歌舞伎座に荷下ろしとなります。

さて、無事巡業も終わりました! 『巡業日記』もこれにて筆をおくことといたしましょう。明日からは早速に勉強会の稽古が始まります。師匠梅玉をはじめ、魁春さん、歌江さんといった、巡業で御一緒だった皆様が連日御指導下さいます。お疲れのところを申し訳ない気持ちでいっぱいですが、こちらの精進の成果をもってお返しができればと存じます。

ひと月の間、観光日記ともグルメ日記ともつかない文章におつき合い下さいまして、有難うございました。

巡業日記24・君津の巻

2005年07月30日 | 芝居
本日は千葉県君津市『君津市民文化ホール 大ホール』での二回公演でした。東京駅を午前九時半に出発の「ビューさざなみ」で約一時間。それからタクシーで十分ほどで会舘へ到着です。
君津は、今回の上演の『与話情浮名横櫛』の「見染めの場」の舞台である木更津に程近い街。今日のこの芝居は、いわば「御当地もの」のようなおもむきがございました。ただ、この作品の中では、木更津は<田舎>として描かれておりまして、セリフにも、この地を指して「おりふしは田舎の景色もまんざらではございますまい」といわせているくらいです。その点について、今日のお客様はこの場面をどうご覧になったのか、非常に興味がございます(夜の部では先程のセリフで笑いがおこりましたけれど)。
私達名題下の楽屋が、舞台とは離れていたのが、早拵えには大変でしたが、舞台は広さも丁度よく、何事もなく無事一日が終わりました。
帰りは貸切バスで歌舞伎座までゆくことになっておりましたが、私はそれですとかえって遠回りになってしまいますので、予め断っておいて、電車で帰りました。JRと京成本線で約二時間。千葉といっても広いですからねえ。松戸公演とはえらい違いでございます。

さて、巡業もあと一日となりました。何度も書いておりますことですが、これまで無事に舞台を勤められたこと、得難い勉強の場を与えて頂いたこと、そして沢山の楽しい思い出を作れたこと、あらためて感謝する次第です。有終の美となりますよう、明日も一生懸命勤めさせて頂きます。

巡業日記番外・暑いですね~

2005年07月29日 | 芝居
今日は「休演日」でございます。実家を昼前に出て、小一時間で我が家へ帰ってまいりました。三日間ほど閉め切り状態でしたので、ドアをあけるとモワ~っとした空気が襲ってきました。室温三十六度! 地獄です。急いで冷水シャワーを浴びましたが、気持ちがよいのは一瞬ですね。少したつともう汗が浮かんでしまいます。
もともと私は大の暑がりでございまして、しかも汗かき。夏は大の苦手なのです。ちょっと動くだけで洋服がべたべたになってしまいますし、顔からも同様に、垂れるほどの汗が流れるという、なんとも見苦しい姿を連日さらしております。。
こんな有様ですので、体力的にも疲れやすくなり、いわゆる「夏バテ」に近い状態は慢性的に続いております。体中の細胞が「日なたの水飴」、だらしなく伸びきってしまったかのごとく。精神的にも、ただでさえ足りない覇気がますますなくなります。
そんなこんなで、ついつい冷房に頼りがちなのですが、かえって冷気にあてられ夏風邪をこじらすこともしばしば。夏バテ&夏風邪の組み合わせは、全く人間をダメにするものでございます。
そこで今年は、いっさい自宅では冷房をつけないことに決心しまして、実行中でございます。暑い時でも窓を開けるだけ。あとは団扇が頼りです。外出先はともかくも、電車などは「弱冷房」車両を選び、かならずジャケットをはおって乗るようにしております。
なるべく自然の状態にいるほうが、健康のためにはよいですよね。あとは以前お話したハーブティーや、黒酢を飲んだりしておりますし、食欲はなぜかなくならないのが救いでして、焼肉や沖縄料理など、家では食べられないものを友人達と楽しく外食したり、適度な発散もしながら、夏の過ぎ行くのを待つ日々をおくっております。

それにしては、この夏はずいぶん行動的に過ごしているように我ながら思います。夏に弱いと思い込んでいるのは、私だけなのでしょうか?

巡業日記23・横須賀の巻

2005年07月28日 | 芝居
本日は、横須賀市『よこすか芸術劇場』での二回公演でした。
私の実家からは横須賀線で一本。三十分ほどで到着です。横須賀駅にははじめて訪れましたが、駅を出るともう目の前には港がひらけておりまして、おりからの晴天のもと、とても気持ちよい眺めを楽しみながら劇場へと向かいました。
今日の会舘は非常に規模の大きな劇場で、客席は四階まで。内装も美しく、さながらオペラ劇場のような感じでした。東京三軒茶屋の、世田谷パブリックシアターにも似た印象を受けました。
その広い客席が、今日の公演では昼夜ともおおかた埋まっておりました。ほぼ毎年巡業公演がお邪魔しているためでしょうか、歌舞伎というものが、この街に浸透していることが感じられ、有り難くもまた、嬉しく舞台を勤めることができました。

楽屋と舞台の階が違ったのですが、エレベーターがございましたので、師匠の移動も簡単に済み、今日は「拵え場」は作りませんでした。
久しぶりの二回公演でございましたが、やはり二回は疲れ方が変わってまいります。「疲れるほど舞台に出てるのか」とお思いになるかもしれませんが、なにしろ同じ芝居を一日に二回繰り返す、というのは、違う芝居ニ本に出るのとはまた違った疲れなのでございます。国立劇場で六月、七月に行われる「鑑賞教室」も連日二回公演なのですが、普段歌舞伎座などでの昼夜別の狂言立てに馴れてしまいますと、一日同じテンションを保つこと、惰性に陥らないようにすること。気を付けねばならぬ点は多く、反省することもしきりです。よく現代劇やミュージカルなどで、○○ヶ月ロングラン、なんていうのを目にしますと、生意気な言い様かもしれませんが、皆さんよくやってるな~と、ただただ感服いたします。
とはいえ、役者は一日ニ回であろうと、観にいらっしゃるお客様は、その日その時その一瞬ががすべてなわけでございます。貴重なお時間をさいていらっしゃった方々に、こちらの都合でいい加減なものをお見せするわけにはまいりません。二回目の芝居には、一回目と同じ、いやそれ以上の気持ちを込めるくらいの心構えで取り組まなければ、私のような若輩者は勤まらないと戒めております。
油断、惰性、馴れ合い。舞台にとっての大敵は、私の心のすぐ内側にあるわけで、なおさら意識をもって勤めなければと存じます。

巡業日記番外・上諏訪探訪記

2005年07月27日 | 芝居
本日は「移動日」でございました。松本から各々の自宅へと帰るだけですので、どういう行程になってもよし。そこで今日は、この巡業中に常磐熱海温泉へ御一緒させて頂いた先輩と、再び連れ立ちまして、上諏訪にございます諏訪大社上社本宮と、上諏訪温泉を訪れました。
諏訪の地は、私が八月の勉強会で出演する『本朝廿四孝』の舞台となっている土地でございます。私が勤めます武田勝頼が、花道を引っ込む時の義太夫は「塩尻さして急ぎゆく」。仕事の上とはいえ、折角近くまで来られたのですし、御一緒の先輩も、やはり勉強会でこの芝居に出演されますので、ゆかりの地にまつられた諏訪大社に参詣し、勉強会の成功祈願をするのが目的でございます。
午前九時五十五分松本発の「あずさ」に乗って上諏訪駅へ。三十分ほどで到着です。駅前の観光案内所で、地図をもらい、市営バス「かりんちゃんバス」に乗って諏訪大社を目指します。「かりんちゃんバス」は車体にカリンの実をキャラクター化したマスコットが描かれた可愛いもの。カリンは諏訪市のシンボルだそうで、よくみると街路樹としてもあちこちで植えられておりました。
さて二十分ほどで到着した諏訪大社上社。下諏訪市には下社がございます。山を背にした境内は広々としており、杉やあすなろの巨木がいくつも聳えたっておりました。苔むした木肌からは、風格と申しましょうか、揺るぎない存在感がひしひしと感じられます。こうした木々にしても、あるいは石塔、灯篭にしても、長い歴史をくぐり抜けることで、はじめて深い味わいが出るものですね。私達俳優も一緒です!
さて、蝉の声に包まれながら回廊をめぐり、本殿へ参拝。玉砂利が敷き詰められた空間はますます神聖さを深めます。勉強会の成功、技芸上達、そして常に気を緩めずに役に向かい合っていけるように祈願。ちとあれこれ頼み過ぎですかね。最後は社務所でお札と肌守を頂きました。勉強会の公演中は、鏡台にお札をおまつりし、肌守を身につけて舞台に出ることといたしましょう。
大社を辞して再び駅前に戻るのですが、バスの時刻が丁度よいのがなく、タクシーを使うことに。電話で配車をお願いし、来るまでの間は、参道のお土産物やさんで「おやき」と心太をいただきました。熱々のおやきには、お店特製の青唐辛子味噌をつけて頂きましたが、これがぴりからでなかなかおいしい。心太も酢醤油と辛子で頂きましたが、御存知のように前の晩(というか今日の朝まで)遊びほうけた体が、辛さと酸っぱさで、しゃきっとする思いでした。

タクシーで駅前の温泉街へと参ります。立ち寄り湯が可能な宿を探し、「信州・上諏訪温泉 ぬのはん」さんへお邪魔いたしました。入浴料は一人千円。泉質はアルカリ泉で、ぬめりはそれほどないのですが、肌触りは滑らかなお湯でございました。ちょっと熱めの露天風呂で半身浴。うっすらと汗をかいてくると、風がとても気持ちよく感じられます。のんびり体をほぐしながら浸かっていると、幸せな気分になりました。
湯上がり後は近くの蕎麦屋「八洲(やしま)」で、諏訪の地ビール、焼酎の蕎麦湯割りなど頂きながら蕎麦をたぐりました。食べながら話しながらのうちに気がつけば帰りの電車の時間がせまっておりました。午後二時二十分の「スーパーあずさ」で新宿まで。車中では先輩も私も、心地よい夢の世界に入り込んでおりました。
四時半過ぎに新宿に到着、先輩と別れ、私はそのまま「湘南新宿ライン」で実家へ帰りました。明日は横須賀公演なので、実家からのほうが通いが楽なのです。

今日の小旅行、芝居ゆかりの土地での成功祈願に立ち寄り温泉。楽しくも充実した素敵な一日となりました。思えばこの巡業中には、盛岡街歩き、出雲サイクリングをはじめ、たくさんの名所旧跡、温泉を訪ねることができました。今回の公演日程が、とても余裕のあるスケジュールとなっていたおかげなのですが、巡業というものが、いつもこのようなものとは限りません。一日二回公演ばかりだったり、「移動日」「休演日」が全然ないことも多いのです。毎年毎年日程は変わるもので、たまたま今回が、素敵に自由のきく行程となったというわけでございます。
今後しばらく巡業に出ることはないのですが、いつかまた、今回みたいな楽しい旅ができればな、と思います。
では、これから千穐楽まで、残り三日の『巡業日記』、最後までおつき合い下さいませ。

巡業日記22・塩尻の巻

2005年07月26日 | 芝居
本日は長野県塩尻市『塩尻市文化会舘 レザンホール』での一回公演でした。
午後六時十五分開演という、遅いスケジュールでしたので、私達は午後一時に新宿を出る「あずさ十九号」で塩尻へと向かったのですが、おりからの台風のあおりをうけ、これ以降の「あずさ」はみな運休になってしまいました。私達は運良く間一髪で間に合ったわけですが、実は大部分の幹部俳優さん、演奏家さんは、第二便として、我々より一時間あとの「スーパーあずさ」に乗ることになっていたのです! 運休となってしまった以上は仕方がありません。急遽二便の一行は、「長野新幹線」で松本駅、そこから在来線で塩尻駅というコースに変更となったのですが、到着する時間は大幅に遅れ、結果として、開演時間を十五分遅くして芝居をあけました。しかしながら、遅れてしまったとはいえ、無事に全員が揃ったのですから、これは非常にラッキーなことで、もし新幹線や在来線まで停まってしまったらと考えると、とんでもない事態が想定されるわけで、ともかくも幕を開けることができ、本当に良かったと思います。
開演が遅れたこともあり、今日の終演は午後九時をまわりました。撤収後は貸切バスで松本へ。『ホテルブエナビスタ』が今夜の宿でございます。
今晩が、この巡業での最後のホテル生活となります。これからは東京近郊の公演ばかりで、自宅からの「通い」になります。そういうこともあって、一つ今夜は、ひと月に渡る巡業の打ち上げをやろうじゃないかということになり、私達名題下俳優を中心に、大道具さん、衣裳さん、床山さん、小道具さん、付人さん、そして清元節の方まで、総勢三十余名が揃っての大宴会が、ホテル近くの居酒屋さんで行われました。十時半過ぎの開始でしたが、皆さんよく飲みよく食べよくしゃべり、あっという間に日付けが変わりました。閉店後も、まだまだ意気軒昂の勇士達は、二次会としてカラオケにくり出すこととなり、もちろん私も参加。なんと延々四時間半、午前四時半まで十数人が歌い続けたのでございます。これはひとえに、日付け変わった二十七日が、仕事のない「移動日」だからこそできる荒行でございましょう。私も、福山やサザン、あるいはスマップ、TMNなど、少ないレパートリーから無理矢理ひねり出した駄声を臆面もなく披露してしまいましたが、聞いている人の気持ちを考えなければ、ただ無心に歌うことほど、気持ちのよいことはございませんね。

実はこの文章を書いているのは午前五時なのでございます。これから一寝入りとなるのですが、折角信州に来たので、諏訪大社にお参りしてから東京に帰ろうと思っております。となると午前中にはここ松本を発たねばならず、睡眠時間はいかほどに…?
体力の続く限り、巡業は満喫したいものでございます。

巡業日記番外・お知らせがございます

2005年07月25日 | 芝居
今日は東京での「休演日」ということもあり、今月のお芝居とは関係ないのですが、いくつかお知らせさせて頂きたいことがございます。
まず、八月二十日、二十一日に行われる勉強会『稚魚の会・歌舞伎会/合同公演』について。お陰さまでチケットの売れ行きも良好とのことです。すでに二十日の昼の部、二十一日の昼の部は、全席完売に近い状況だそうで、有り難いことでございます。両日とも、夜の部はまだ余裕があるそうなので、これからお買い求め下さる方は、夜の部になさると、御希望通りのお席が手に入るかと存じます。
また、今回は四演目の上演と盛り沢山でございます。結果として、今までよりも上演時間が長くなっております。夜の部などは午後九時半をまわることになりますので、あらかじめご了承下さいませ。

チケットのお申し込みはこちら

国立劇場インターネット予約受付専用サイト
http://eee.eplus.co.jp/ntj/

国立劇場チケットセンター
0570(03)3333[一般]
03(3230)3000[携帯・PHS]

その他 各種プレイガイド



さて続きましては九月の舞台について。
師匠梅玉は、九月は歌舞伎座に出演いたしますが、私このたび、ひと月師匠の元を離れまして、江戸東京博物館での『第十八回 歌舞伎フォーラム公演』に参加させて頂くことになりました。『歌舞伎フォーラム公演』は、歌舞伎に馴染みのない方、歌舞伎初心者の方に、その魅力、面白さを伝える目的ではじめられた企画公演でございます。今回は、歌舞伎の「効果音」を舞台上で御説明する『歌舞伎の美』、舞踊『櫓のお七』、そして珍しいお芝居『松王下屋敷』を上演いたします。
私は、三演目それぞれに出演させて頂きますが、詳しくはまた後日お話させていただきますね。
何にしましても、八月九月と続けて勉強させて頂く機会を与えて下さり、本当に感謝しております。こちらの舞台も、是非ご覧くださいませ。


歌舞伎フォーラム公演については

日本伝統芸能振興会ホームページ
http://www.atpa.jp/

舞台創造研究所ホームページ
http://www.bu-so.com/

をご覧下さい。チケットの予約も行っております。


これから台風がやってきますね。明日は電車で長野県の塩尻へ参りますが、無事たどりつけますように…。
以上、とりいそぎ御案内まで。

巡業日記21・豊橋の巻

2005年07月24日 | 芝居
今日は豊橋市『アイプラザ豊橋』での一回公演でした。
名古屋駅から新幹線「こだま」で二十分。それからタクシーに分乗して十五分ほどで会舘に到着。舞台と楽屋が同じ階で、距離も近く、このことの有り難みは、昨日の会舘が会舘だけに、我々一行、身に沁みて感じました。とても使いやすい作りの舞台、楽屋でございました。

公演はニ時開演で、終演が四時五十分。本日、一行はそれぞれの自宅へと帰りました。豊橋駅から午後六時十八分発の「ひかり」で一路東京へ。車中で駅弁の夕食、それから豊橋名物の竹輪をおつまみにビールを少々。仲間と話したりしているうちに、気がつけば東京。名古屋~東京間なら、それほど退屈せず過ごすことができますね。
自宅についたのが八時半ごろでしたか。それからなんやかや雑事を済ませ、今、この文章を書いております。

この巡業も、残すところ一週間、七公演となりました。これまで無事に舞台を勤められましたし、楽しい思い出もいっぱい生まれました。このうえは、残りの日々をさらに充実したものにするよう、気を緩めることなく、舞台に、普段に、一生懸命取り組んでまいりたいと存じます。

とりあえず明日は「休演日」! さあ、何をいたしましょう?

巡業日記20・名古屋の巻

2005年07月23日 | 芝居
本日は、宿泊地でもある名古屋市『愛知厚生年金会館』での二回公演でした。ホテルから会館までは、地下鉄と徒歩で二十分ほど。通いは楽でした。

今日の会舘は、舞台も広く、楽屋もきれいでございましたが、舞台と楽屋の階が違うので、移動に苦労いたしました。一階分の階段の段数が多く、しかもいくつも踊り場があって折り返しの連続。これでは時間もかかりますし、第一、扮装をした状態では昇り降りが大変です。
今月は『吉野山』と『口上』の間で十分間、『口上』と『与話情浮名横櫛・見染めの場』の間が十五分間、『見染め』と『源氏店の場』の間が十分間の幕間となっておりますが、幹部俳優さんのなかには、『吉野山』と『口上』とか、『口上』と『見染め』というふうに、続けて出演されている方が多く、当然その都度化粧や扮装を変えなければなりません。師匠梅玉も、『口上』『見染め』『源氏店』という三つの幕にたて続けで、それぞれ違うこしらえで出演しております。

先に挙げた短い幕間時間で、素早く化粧を変え、衣裳を着替えての、いわゆる<早拵え>になるのですが、今日の会舘のように、移動に時間がかかってしまうような場合ですと、いちいち楽屋に戻る手間を省くために、<拵え場>という臨時の扮装スペースを作ることがございます。舞台裏で空いている場所を見つけ、そこに<上敷>というゴザを敷き、ライトをつけた姿見を置き、机を用意して必要な化粧道具を並べれば、これでもう完成です。単に衣裳を変えるだけならば、机や化粧道具はいりません。
師匠につくお弟子さん、付人さん、そして衣裳さんや、床山さんといった扮装に関わる裏方さんが待機し、普段の楽屋での拵えと同じ作業が行われるわけですね。

今日、師匠梅玉は、『口上』から『見染め』への間と、『見染め』から『源氏店』への間、計二回の扮装変えを、この<拵え場>で行いました。化粧も変わりますので、必要な化粧道具は『口上』のための化粧が済んだ時点で<拵え場>に移しました。
この他にも、小道具一式、肌襦袢や着肉などの下着類、頬かむりの手拭と湿らせるための霧吹き、休息用の<高合引>、おか持ちなどなど、結構たくさんのアイテムを、本来の楽屋から移しましたが、どれか一つでも忘れると、大慌てで取りに戻るハメになるのでうかうかできません。皆で責任をもって分担し、確認しながらの移動作業となります。

今日は無事忘れ物なく済みましたが、過去には「あっ、アレがない!」と急ぎ楽屋へ駆け戻ることもございました。<拵え場>での仕事は、時間に追われてせわしないものですし、忘れ物や不備がないかとあれこれ気を揉むもの。たとえ何事もなく終わっても、なんだかいつもより疲れたような気がいたしますね。

巡業日記19・鈴鹿の巻

2005年07月22日 | 芝居
本日は三重県鈴鹿市『鈴鹿市民会館』での一回公演でした。ホテル前を午後一時に出発、約九十分で到着いたしました。
今日の中部地方はどこも三十度を越える猛暑だったようですね。鈴鹿も例にもれず、うだるような暑さでした。楽屋は冷房が効いて過ごしやすかったのですが、舞台が暑い暑い! 蒸し風呂の中でお芝居をいたしているような感覚でございました。
会館によって、「舞台の温度」は随分違うものです。理由として第一にあげられるのは、「照明」ですね。明るく見せるようにすればするほど、熱量の高い照明を使用するわけですし、その取り付け位置が舞台に近ければ近いほど、その熱は我々出演者に直に伝わるのです。会館ごとに、使用している照明の種類、取り付け数、位置は変わってきますから、舞台に出てみないことにはその暑さはわからないものなのです。
この巡業中にも、天井が低いため、頭上すぐの距離から熱気が襲ってきた所、客席の左右から、野球場のナイトスタンドみたいに照らされた所など、様々なパターンで我々は汗をかいてまいりました。
しかしながら、そうした照明は、すべて今回巡業に同行していらっしゃる照明さんが、現地のスタッフさんと共に、「この会館のこの舞台で、どうしたらお客様に見やすい明るさを作れるのか」と考えて下さった結果なのでございます。多少の暑さで不満を言っている場合ではないわけです!
もちろん、照明だけが原因ではなく、舞台裏の空調設備の問題、あるいは建物の構造で外気が侵入しやすいなどの理由も考えられますが、どちらにしましても、夏は暑くて当たり前。ようはお客様に一時でも暑さを忘れていただけるような、素敵なお芝居を演じることができたら一番です。

私などは未熟者ゆえ、いつも自分で「冷や汗」「脂汗」をかいてばかりなのですが…。

巡業日記番外・忠信の衣裳のバリエーション

2005年07月21日 | 芝居
昨日が出雲での最後の夜だったのですが、駅前のイタリアン『IL DELFINO』で夕食をとりました。地元の食材を活かして、イタリアで修行したシェフが作る料理はとても美味しゅうございました。料金も手頃、お店の雰囲気もよく、前菜、魚料理、パスタ、ピッツア、そしてデザートと、心ゆくまで堪能いたしました。私はワインが大好きでよく飲むのですが、そのわりには銘柄とか産地には無頓着。ですが昨日頂いたシチリア産白ワイン「コロンバ・プラティノ」は、すっきり爽やかフルーティーで、是非覚えておきたい一本になりました。

さて本日は出雲から名古屋への「移動日」でございました。出雲から岡山まで特急「スーパーやくも」で三時間、岡山から名古屋まで新幹線「のぞみ」で二時間。五時間におよぶ大移動でしたが、「スーパーやくも」がたいそう揺れる車両でして、珍しく電車で酔ってしまいました。午前九時九分発車という早い便だったので、早起きした疲れもでたのでしょうか。名古屋でのホテル『ロイヤルパークイン名古屋』にチェックインしたあとは、ふらふらになった体を癒すべく、マッサージに行ってまいりました。

今日も公演がございませんので、番外編で失礼します。今回は、度々取り上げております演目ですが、『吉野山』から衣裳のお話を。
『吉野山』の、佐藤忠信実は源九郎狐役が着る衣裳。これは演者によって様々な違いがございまして、いわゆる<定式>にしばられることが多い歌舞伎の扮装の中では、ちょっと珍しいパターンではないでしょうか。
まず、一番上に着る着物、すなわち<着付>の色の違い。紫がかった紺色「茄子紺(なすこん)」にするか、「黒」にするか。まず二つに分かれます。
続いて<着付>の柄の違い。忠信の紋である<源氏車>を柄として取り入れるか、それとも無地にするか。
柄として取り入れるとしても、小ぶりの紋を<着付>全体に散らすように配置するか、「江戸褄」といって裾の部分に大きく配置するかに分かれるのです。

今度は<襦袢>。こちらもまず色の違いがございます。「赤」にするか、「浅葱」にするかの二つ。
そして再び柄の有無。柄を入れる場合は、やはり<着付>のときと同じく、小ぶりの紋を散らすのか、「首抜き」といって肩から胸元にかけて大きく配置するのかという二通りとなります。
ざっと書いてもこのように様々な選択肢があるのですが、時によっては、模様や柄に、さらに変化が加わることもございます。これらを組み合わせて一つの衣裳となるわけですが、もちろん、演じる方の好み、意向によって選ばれているのです。

実は様々な選択肢があるのは、衣裳だけではなく、忠信のカツラにも、二つの形がございます。顔の左右に膨らんだ髪の部分を<鬢(びん)>と申しますが、ここの部分を「ふかし鬢」にするか「車(くるま)鬢」にするか、という違いです。文章で形状を紹介するのは難しいのですが、簡単にいえば、「ふかし鬢」にすると二枚目、すっきりとした印象になるのに対し、「車鬢」にすると、力強さ、古風さが出てまいります。また、同じ「ふかし鬢」にしても、今度は髷の根元をしばる<元結(もっとい)>の結び目をわざと大きくして、忠信の本性である狐の“耳”を暗示する、という工夫をなさる方もいらっしゃいます。ちなみにこの方の忠信は、最後に白地に宝珠(お稲荷様のシンボルマーク)を散らした衣裳にぶっ返り、狐六法で花道を引っ込むというのが「型」になっております。

忠信のバリエーション豊富な扮装に対して、静御前はどなたがなさってもほとんど変化がございません。衣裳を、赤の中振袖の着付と、同じ色の打掛けというのにするのか、打掛けのかわりに「常盤衣(ときわごろも)」というものにするか、そしてその「常盤衣」の色を白地にするか赤地にするか、というくらいで、あとは織り出す柄に好みを出すくらいでしょう。カツラはどなたも、お姫さまのカツラである「吹輪(ふきわ)」です。

ちなみに今月播磨屋(吉右衛門)さんの忠信は、無地の茄子紺の着付、赤地に源氏車の紋散らしの襦袢で、カツラはふかし鬢。
加賀屋(魁春)さんの静御前は、赤の中振袖に赤の常盤衣となっております。

同じ役でも、色々な方のいろいろな扮装の違いを楽しめるのも、歌舞伎の魅力の一つかもしれませんね。

巡業日記18・出雲の巻(本編)

2005年07月20日 | 芝居
本日は出雲市『出雲市民会館』での二回公演でした。御承知の通り出雲は歌舞伎の祖、出雲の阿国の出身地。その御縁もあってか地元の方々の歌舞伎に対する御支援も並々ならぬものがございました。会館前には出演者の名前を染め抜いた幟が並び、会館正面入り口には、いわゆる<招き>と呼ばれる、庵型の看板に出演俳優の名を勘亭流で書いたものが掲げられ、その両脇には「歓迎 出雲阿国歌舞伎」の立て札が。二回公演ながらお客様の入りも良く、有り難いことでございました。
楽屋内のケータリングサービスにも、普段の飲み物、お菓子の他にも、果物や巻寿司、ドーナツ屋さんのドーナツまで並び、二回公演の身としては、ちょっとした栄養補給に、大変有り難かったです。

今日の出雲は昨日に引き続き快晴&猛暑でございました。昨日公演がなかったため、一昨日の汗が染み込んだままの舞台衣裳や、各自の部屋着が、いっせいに天日干しされました。巡業中は基本的に、毎日会場内のどこかに<干し場>といわれる物干スペースを設置しまして(作るのは運送屋さんの係り)、重しをつけた支柱にロープを張ったり、あるいは植え込みの街路樹の、枝から枝へとロープを張って作ります。舞台衣裳は相当に演者の汗がしみこんでしまい、放っておくと変色、いたみ、ヘンな話ですがニオイの元になりますので、できる限り乾燥させなくてはならないのです。衣裳さんは専用の簡易乾燥機を持参しておりますが、いっぺんに対応できる数にも限りがございますし、たとえば我々の花四天の衣裳などは、着用する各自の管理になっておりますので、お日さまの力を借りて、また気持ちよく着られるようにするというわけです。

また<干し場>があるからには当然<洗い場>もあるわけで、洗濯用にニ層式洗濯機を一台、そして曇天や雨の日用に乾燥機を一台、巡業公演用に用意しております。これらは公演関係者全ての人のためのものなのですが、これがあるからこそ、幹部俳優さん方の付人さんたちが、師匠の舞台用肌着を毎日洗うことができるのですね。一昔前などは、こうした用意もなく、付人さんたちはわざわざ自分の泊まる宿で手洗いしていたそうで、往時の苦労が偲ばれます。このような洗濯機や乾燥機は、行く先々の会館から、いちいち電源や水道を引いて使用するのですが、時には接続の不備からか、ホースが外れて辺りが水浸し! というアクシデントもあったりいたします。また、洗濯機があるといえど、簡単な肌着や、化粧中に使用する手拭きなどの小物は、今でも手洗いで済ませることが多いです。

ともかくも、何かと不自由の多い旅の空の下の公演を、できるだけ普段の通りに仕事ができるようにするために、巡業一行の裏方さん、現地会館のスタッフさんの、様々なお骨折りがございます。そのおかげをもちまして、私達役者は、毎日気持ちよく舞台を勤められているわけでございますね。

たまに、表に出した衣裳を着る直前まで干しっぱなしにしてしまい、あわてて取り込み着込んだら、あまりのポカポカさに、着ただけで汗をかいてしまうこともございます。何事にも、限度というものはございますね。

巡業日記17・出雲でサイクリングの巻

2005年07月19日 | 芝居
本日は、島根県出雲市への「移動日」でした。新幹線と伯備線を乗り継いでの約四時間の道中ですが、公演があるわけではございませんので各人自由行動のようなもの。今日中に出雲のホテルにチェックインできるように予定を組んで、各自切符の乗車変更をされていたようです。
さて私は、仲間や付人さんとの計五人で、午後一時ごろに出雲に着く電車に乗り、当地での半日を、サイクリングで楽しむことにいたしました。
本日のホテル『ツインリーブスホテル出雲』に、とりあえず荷物を預け、駅前のレンタサイクルで自転車を借り、出雲大社をめざします。大社までは約七キロ。整備されたサイクリングロードがあるので安全、安心ですが、今日の天気のなんと暑いこと! 三十度を越す気温に、梅雨明けした真夏の日ざしが降り注ぎます。
百円ショップで帽子を買っておいて大正解。それでも漕ぎ出してしばらくすると汗が額に浮かびます。
道のりは、駅から離れるにつれて商店から住宅地、そして小さな工場や畑へとその姿を変えてまいります。とくに美しい風景や珍しいモノがあるわけでもないのですが、風を切って走る爽快感を久しぶりに味わえました。

昼ご飯を食べずに出発しましたものですから、一行は小一時間ほどでバテ気味に。途中サイクリングロード沿いを流れる高瀬川の河原や、長浜海岸(実に久しぶりに海を見ました!)の展望台で休憩をとりながら進みますが、どうにも出雲大社は見えてまいりません。もう限界、というダンになってやっと大社への入り口を発見。進んでゆくと、今は廃線になったものの、<日本最古の木造建築駅舎>として残されている「旧JR大社駅」の向いに『手打そば本家 大梶』という蕎麦屋を発見、早速入ることにいたしました。出雲はいわゆる<割子そば>が定番だそうで、これを全員注文。三段の器に、海苔、浅葱、紅葉おろしを添えたやや太めの蕎麦が入れられて運ばれました。麺に直接ツユをかけて頂くわけですが、蕎麦の歯ごたえ、やや甘めのツユの風味、飾らない味わいが大変美味しく、空腹も手伝ってか、さらに二杯追加してしまいました。「そのまま飲んでも」と出された蕎麦湯がこれまた濃厚、ただ湯がいただけの汁がこの味なのですから、麺の美味しさにも納得がゆきましょう。

腹ごしらえもすんでやっと力を取り戻し、午後三時に到着した出雲大社。三年前の巡業の時も参拝いたしまして、これでニ度目なのですが、今回はゆっくりと観て回ることができました。「因幡の白ウサギ」など、神話の一部分を再現した銅像があったのに初めて気がつきましたが、あらためて、広い境内に満ちみちた神さびた空気と、ゆったりと流れる時間に、「神話の古郷」出雲を実感。そういえばここ出雲大社は、参拝時には、ニ礼、「四拍手」、一拝なのですね。それから面白いのは、拝殿に張られた注連縄。この注連縄から垂れ下がっている、藁を房状に束ねた形のモノに、下からお賽銭を投げ付けて、うまく刺さって落っこちないと縁起がよいとのことでございます。三年前は何度やってもうまくいかなかったのに、今回は二回目にしてスンナリと刺さってくれました。お土産に、家内安全祈願の木札を頂いてまいりました。

参拝後は再び自転車で、『島根ワイナリー』へ。実際にワインを製造している過程が見学できます。ガイドがつくわけではございませんが、広いガラス窓越しに、搾汁機や発酵器、流れ作業で瓶詰めにする設備など見ることができ、なかなか面白かったですが、なんといってもここでのお目当ては、当工場製のワインの無料試飲でございます。赤、白、ロゼ、十種類ほどのワインを自由に試すことができます。とはいえ帰りも延々自転車を漕ぐ身とすれば、チビチビと一口二口味わうくらいが精一杯です。それでもだんだんとホンワカとした気持ちになってしまい、これはいかんとベンチでひと休み。不思議なものでアルコールが入ると、それまで気がつかなかった疲れがどっと感ぜられてきてしまい、正直帰り道はクタクタになりました。

一行事故にも会わず道にも迷わず、無事ホテルにたどり着いたのは午後五時半ごろでしたでしょうか。約四時間のサイクリングは、メンバーのキャラクターのせいか、面白おかしい珍道中となりましたが、とても楽しいものとなり、少々の疲れもこの際どうでもよいくらいです。

夜は、先日とはまた違う幹部俳優さんのお食事会に御招待頂きました。実は私、昨日十八日が誕生日だったのですが、実は高砂屋の門弟はみな七月生まれでして、今日のお食事会には門弟一同ご招待いただいておりましたので、そのお祝いまでしてくださり、御心づかい本当に有り難く、この場をお借りしまして御礼申し上げたいと存じます。

御承知ではございましょうが、当地は歌舞伎の祖、出雲の阿国の出身地とされております。明日はこの歌舞伎ゆかりの土地での公演となります。常にもまして、気を引き締めて勤めたく思います。

巡業日記番外・『吉野山』巡業演出

2005年07月18日 | 芝居
昨晩は、ある幹部俳優さんの御一門のお食事会に、御一緒の舞台に出させて頂いている御縁で、私をはじめ御一門以外の名題下俳優も御招待下さいました。楽しいひとときを過ごさせて頂き、この場をお借りしまして御礼申し上げたいと存じます。

さて本日は福井県『福井市文化会館』での一回公演なのですが、公演終了後、長時間の移動のため、更新が間に合わなくなるのもなんですので、度々ではございますけれども番外編にさせて頂き、昨日お伝えした通り、今回の『吉野山』での、いつもとは違う演出を御説明いたしましょう。
本来ならば、播磨屋(吉右衛門)さん扮する佐藤忠信実は源九郎狐は、静御前の打つ鼓の寝に惹かれ、花道の「スッポン」からの<セリ上がり>で登場します。「スッポン」から出入りするのは、人間ならざるモノ、という約束事に基づいているわけですが、巡業でまわる会館には、このスッポンがないところがほとんどです。
そこで今回は、忠信の出を花道にせず本舞台下手側とし、きっかけになると、黒衣の後見が二人で、<消し幕>と呼ばれる赤色の大きな幕で忠信を隠しながら下手から出て、丁度いい居所までたどりついたところで、いっぺんにこの幕を消し去り、お客様にパッとその姿を見せるという段取りになっております。<消し幕>は本来黒なのですが、舞踊や様式性の高い芝居では、見た目の美しさをだすために赤を用います。どちらにしても、今までいなかった人が、突然そこに出現した、ということを表現しております。ちなみに師匠梅玉がやはり巡業でこの忠信を演じましたおりは、出のキッカケでいったん舞台照明を真っ暗にし、その間に花道に出てしまい、照明が戻るとすでにお客様の目の前にいる、という演出でした。

一番変わったところが幕切れです。本来ならば静御前と忠信が本舞台から花道にさしかかったところで早見の藤太が花四天を連れて再度登場、それを忠信が、手にした笠を投げ付けてあしらい、見得に合わせて花四天が一斉にトンボをかえるのが柝の入るキッカケ。それから静御前の引っ込みに合わせて定式幕がひかれ、そのあとは忠信一人になって、下座囃子に合わせての<幕外の引っ込み>となるのですが、これまた会館によっては定式幕がなく、緞帳だけのところも多く、演出を変えねばならないのです。
たんに緞帳を同じきっかけで降ろせばいいのではないかと思われるかもしれませんが、そうはゆかないのでございます。というのも、定式幕ならば、お囃子さんが控えている下座、つまり<黒御簾>から、花道での忠信の演技が見えるように幕の閉め方を幕引きさんの手で簡単に操作できるのですが、緞帳は機械操作ですし、舞台全面を遮蔽するようにしかできないので、お囃子さんは花道が見えず、演技に合わせての演奏ができないのです。
そこで今回は忠信が花道を引っ込むまでは、定式幕でも緞帳でも、幕を引かない段取りを新たに作りました。静御前が引っ込むと、大太鼓の「ドロドロ(妖怪変化の演技に伴うお囃子)」がかかり、本舞台の藤太や花四天は狐に化かされた気持ちで後ろ向きに座り込み、気を失っている感じで控えます。それから忠信の狐のクルイがあって見得をしますと、本来ならば長唄さんが下座で歌う「見渡せば」の歌を、本舞台にいる清元節で歌い(鳴り物は下座で)、引っ込みのはじまり。途中忠信が本舞台の我々をたぶらかす振りを見せると再び「ドロドロ」になり、一同はっと気がつきますが、それこそ「狐につままれた」ように右往左往、花四天が五人組んで台を作り、その上に藤太が乗っかり、花道を悠々と引っ込む忠信を見送る、その脇には残りの花四天三人が「見ざる言わざる聞かざる」の<三猿>の真似、という形で幕となります。
いつもと違う幕切れになるわけですが、これはこれで、見た目の変化もあって面白いのではないでしょうか。

また、今回公演する劇場によっては、定式幕もすっぽんも完備しているところもございます。ではこういうところでは、本来通りの演出に戻しているのかというと、今回に限ってはそうではございません。日によって演出を変えるとなると、スタッフさん、地方さん、もちろん我々出演者ともその都度打ち合わせをしなくてはならなくなりますので、どこの劇場でも、統一した<巡業演出>でいたしております。

巡業でしか見られない演出、是非一度、お確かめ下さいませ。

巡業日記16・金沢の巻

2005年07月17日 | 芝居
本日は宿泊地である金沢の駅前にある『石川県立音楽堂 邦楽ホール』での二回公演でした。
ここ金沢は、師匠梅玉、師匠の弟でいらっしゃる魁春さんにとっては大変所縁のある、初代歌右衛門の出身地でありまして、初代の菩提寺、真成寺がございます。本日は公演前に、当寺で初代の法事が執り行われまして、高砂屋、加賀屋一門をはじめとする関係者一同が打ち揃いました。
伝え聞くところによりますと、初代中村歌右衛門は、加賀藩の御典医の息としてこの加賀の国に生まれたそうでございます。その後大阪や江戸に出て、歌舞伎役者となり芸道の修行をされ、初代の歌右衛門を名乗り、立役を中心に活躍、人気俳優となったそうです。初代から三代目の歌右衛門までは、屋号は「加賀屋」。出身地をそのまま名乗ったわけですね。この「加賀屋」の屋号が、現在魁春さん、東蔵さんに受け継がれているわけでございます。

本日の会場『石川県立音楽堂』は、完成してからまだ十年と経っていない新しい劇場で、クラシックのためのホールと、演劇のための舞台と二つのステージを持つ立派な劇場です。本花道、回り舞台も備えている本格的な舞台で、楽屋数も多く、大変近代的なつくりでございました。
お客様も、二回公演ながらどちらも大勢お越し下さり、補助席も出ておりました。お芝居への反応も良く、大変有り難いことでございました。さすが芸所金沢でございますね。

この巡業で、本花道があったのは、秋田『康楽館』とここ『音楽堂』ぐらいなものです。やはり花道は舞台と直角に交わり、客席を貫く形が本来で、演技もしやすいものです。今月の『与話情浮名横櫛』の「木更津海岸見染めの場」では、本花道がある場合に限り、与三郎と鳶頭の金五郎が、客席を回った後、花道ですれ違う土地の人間(貝拾いの女や子分達)の人数をいつもより増やしております。そうしないと、花道を歩く時間の芝居がもたなくなってしまうのですね。
そうでなくても、巡業で回る会館の舞台設備によって、普段の公演とは演出が変わる場合は多々ございます。今月の『吉野山』でも、今回限りの演出がいくつかございます。それはまた、明日お話いたしましょう。

金沢とも、今晩でお別れです。