梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

禊月稽古場便り・3

2009年02月28日 | 芝居
『江戸城の刃傷』『御浜御殿綱豊卿』の<初日通り舞台稽古>と、『仙石屋敷』の<総ざらい>でした。

『江戸城の刃傷』。大変緊張いたしましたが、ここでカッカと舞い上がってしまっては、周りの状況が見えなくなるし、相手に“合わせる”こともできません。落ち着いて、落ち着いて…と心にいい聞かせながら勤めた<つもり>ですが、稽古場とは違い、大紋に長袴という出で立ち、本身の刀(もちろん刃はひいていません)を手にした内匠頭を、歌舞伎座の大舞台の上で押しとどめるということに、こんなにも体力気力が必要なのかと思うくらい、総身に汗をかきました!
未熟者ゆえ、いたらぬところは多々あることと自覚しておりますが、「この(内匠頭の)手を離したら、再び狼藉が起こるかもしれない」という必死の気持ちは、なんとしても大事に勤めたく思っております。

『御浜御殿綱豊卿』の奥女中。先日も申しましたように、本年最初の女役です。久しぶりに女形の化粧をしましたが、幸い白粉のノリもよく一安心でした。しばらく鬢付け油を使っていないと、肌に馴染んでくれなくなるんですよ…。
幕開きの<綱引き>のみの出演ですが、20年ちかく前にやったきりの、運動会のそれとは違い、女同士でする遊び気分のものですので、いざ舞台でやってみますと、勝手がわからず難儀をしました。囃し声、嬌声、歓声、とにかく明るく賑やかな“お浜遊び”の雰囲気が出るよう、心から楽しく演じられるよう、早く慣れたいものでございます。

『仙石屋敷』。総ざらいを拝見しながら、明日の舞台稽古を脳内でシュミレーション。師匠演じる伯耆守の登退場のきっかけ、衣裳替えの場所、小道具等々…。なにしろ私にとって直接の記憶がない芝居。先年の国立劇場上演の伯耆守は大和屋(三津五郎)さんでいらっしゃいましたが、お弟子の方が当月ご一緒ですので、記録ビデオを見ただけではわからないところを伺わせて頂いております。

それにしても、稽古場にズラリ47人の浪士が並んだ光景は壮観ですね。




 


禊月稽古場便り・2

2009年02月27日 | 芝居
『江戸城の刃傷』『御浜御殿綱豊卿』が<総ざらい>、『仙石屋敷』は2度目の<附立>でした。

『江戸城の刃傷』、第1場、2場を、これまでの段取りとは変えたことは昨日申し上げました。詳細は実際の舞台でご覧頂きたく存じますが、内匠頭が吉良を斬りつける<その瞬間>が直接描かれていないぶん、事件に動転する人々が描かれる第1場から、内匠頭が登場する第2場までの転換で、芝居の流れが極力中断されないようにし、緊迫感が続くご工夫がなされました。
師匠はじめ先輩方がお揃いになる中でひとり若輩者の私ですが、そんな演出のお力もあり、至らぬながらも、気持ちが無理なく入って演技できますのが、とても有難いです。

…立廻りでからむ、とかいうのではなしに、師匠と芝居でやりとりするというのは、ほとんど初めてのようなもので、緊張もするのですけれど、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。それだけに、しっかり勉強して、きちんと勤め上げたい! そのひと言に尽きますが、明日はもう<舞台稽古>。うわ~。

『仙石屋敷』、拝見しておりまして感じますのは、先ほどの<刃傷>と同じく、やはり直接は描かれない<討ち入り>の光景を、とてもリアルに、活き活きと想起させる台詞の素晴らしさです。仙石伯耆守の尋問に、大石内蔵助はじめ、うち揃う浪士の面々が答えていくという、動きの少ない場面ですが、選り抜かれた言葉が、様々な感慨とともに紡ぎ出され、御覧になる皆様の頭の中で討ち入りが再現される、ということでしょうか。

…浪士の方々は、あぐらで控えますが、小1時間(今回、この幕も少々台本のカットを施し、テンポアップがなされておりますが)はありますから大変なのではないでしょうか? 私でしたら完全に痺れて、立ち上がれないところですよ。

                 ◯

稽古場には、名題下の配役を記した<貼り出し>が掲示されるのが恒例ですが、さすが『元禄忠臣蔵』、役数の多さは『仮名手本』をはるかに上回ります。各幕各場に出てくるお役の数は、延べて180余。それを記した巻き紙も、上下2段、全長8メートルちかくありました。これに加えて、幹部の方々、名題の皆様のお役もあるわけですからね。名題下部屋に運び込まれた衣裳の量も、この作品の大作ぶりを物語っております。

禊月稽古場便り・1

2009年02月26日 | 芝居
歌舞伎座3月興行『通し狂言 元禄忠臣蔵』のお稽古が早速始まりました。
『江戸城の刃傷』『最後の大評定』『御浜御殿綱豊卿』『南部坂雪の別れ』『仙石屋敷』『大石最後の一日』の6部構成のうち、『江戸城の刃傷』『御浜御殿綱豊卿』『仙石屋敷』に携わらせて頂きます。本日はこの3演目の<附立>でございました。

『江戸城の刃傷』では、師匠がお勤めになる浅野内匠頭とのやりとりがある、御坊主の関久和を勉強させて頂きますが、このようなお役は初めてでございますし、経験不足の身にとりましては畏れ多い限りで、大変緊張いたしております。稽古が始まる前から、ついついあれこれ悩んでしまうのですが、とにかく師匠をはじめ共演させて頂く方々のなさるお芝居の流れに添うこと、予め“こうしよう”とか“ああしたい”とか考えずに、その場でおきていることに素直に反応できるゆとりを持ちたい、そういうふうに願っております。
この度の『江戸城の刃傷』第1場、2場は、従来の演出とは少々違うやり方になりました。殿中での刃傷という、不測の事態の緊迫感をより高めたいという意図によるものです。私のお役も、そんな雰囲気をいささかなりとも作る存在ですので、本当に、本当に心して勤めたいと存じます。

『仙石屋敷』は、師匠が初役で仙石伯耆守をお勤めになります。伯耆守は、赤穂浪士の義挙に対して非常にシンパシーを感じている大名。2場目の、浪士一同に相対しての、討ち入りの仔細をただしてゆく問答は、真山青果の作品ならではの対話の面白さがあふれています。
私、この幕は生まれて初めて拝見いたしましたが、ことを成し遂げたあとを描くひと幕とはいいながら、ぴんと張りつめた空気が場を包み込んでゆく様子に、華やかさとか楽しさとかいうものとは違う、新歌舞伎ならではの面白さ、魅力を感じた次第です。
この芝居の幕開きには、兄弟子の梅蔵さんと部屋子の梅丸が伯耆守の家臣役として揃って出まして、台詞のやりとりがございます。この春中学生になる梅丸も、声変わりにさしかかっておりますが、元気に喋っております。どうかお見逃しなく!

『御浜御殿』は、幕開きのみの出演です。今回は奥女中同士の<綱引き>をお見せすることになりました。私の組の勝敗は、是非是非客席からお確かめ下さいませ…。

2ヶ月の後見もひとまず

2009年02月25日 | 芝居
歌舞伎座<二月大歌舞伎>、本日無事に千穐楽を迎えることができました。心より御礼申し上げます。
2度目の『勧進帳』義経の後見。前回より、少しは場の雰囲気に馴染めたかな、という気はいたしておりますが、やはり十八番物のなかでも“大きい”作品でござますので、気構えと申しましょうか、舞台下手のお幕から出てゆくときにも、自ずと「いざ!」というような想いを抱くものでございまして、そういう意味で、精神的に負けないようにするのが大変なお役目でございました。
大過なく勤め上げることができ、ほっと安堵いたしておりますが、来月は新歌舞伎の通し狂言ですので後見は出ませんし、4月は師匠がお休みの月ということで、しばらくは後見を勤めさせて頂くことはないかと存じます。せっかく1、2月と大曲に接することができたので、ここで得た感覚を鈍らせることがないよう、気をつけたいと存じます。

『蘭平物狂』では、弟弟子の梅秋が、本舞台での5人越しや花道での返り越しを勤めさせて頂きました。今日まで無事に乗り切って、本当に良かったです。…このお芝居の立廻りは、梯子の上での背ギバや、井戸屋体から石灯籠、そして本舞台への2連続返り落ち(二丁返り、と申しております)をはじめ、難易度、危険度の高い技が多数繰り広げられますが、立廻りに携わる全ての皆様の“気”が醸し出す独特の雰囲気、私などはただ傍から拝見するだけの立場の者ですが、この場の“重さ”というものを改めて感じました。

明日からは早速<通し狂言 元禄忠臣蔵>のお稽古です。
余韻に浸ることもままならない毎日ですが、気持ちを切り替えて、新歌舞伎の世界へ飛び込みます!

梯子

2009年02月24日 | 芝居
当興行の初日前のことなので、千穐楽間際の話題にするのはなんともお恥ずかしいのですが、『蘭平物狂』が、舞台にての<総ざらい>を終えたぐらいの頃、以前下谷神社の境内で出初め式の<梯子乗り>の稽古を拝見させていただいたおりに色々とお話をして下さった鳶の頭が客席にいらっしゃって、こちらがバタバタしていたためろくろく御挨拶もできなかったのですが、あとから伺いましたら、立廻りに使う竹梯子の締め方をご指導にいらしていたのだそうです。

立廻りで使われる竹梯子は、竹材専門店の職人さんが製作しているもので、小道具方は公演中の管理とメンテナンスを担当します。立廻りで使われているうちに、楔を打ち込んで固定した足がかりを補強する意味で巻き付けている縄がゆるんでしまうそうで、放っておくと事故にもつながりかねないものなので、こまめに締め直すのですが、この度は、古来より梯子乗りの技を受け継ぐ鳶の方から、よりしっかりとした、緩みにくい縄の掛け方が伝授されたということです。(決してこれまでが駄目だったわけではございませんので、念のため)

皆様ご存知の花道での大見得は、18尺の大梯子。それから、舞台上手の井戸屋体の屋根へ花四天が上がるときに使われるのは9尺、これは屋体の裏に立てかけるものなのでお客様からは見えにくいかもしれません。そして立廻りで得物として使われているのが6尺。3つの長さ、都合30余本が、ひと幕の立廻りの中で使われています。
6尺のものも、人が乗ったり、支えたりするものは竹が太めのものにしたりと、具合を見て使い分けているそうです。

…梯子の立廻りは、『弁天小僧』の極楽寺屋根上とか、『八犬伝』芳流閣、先頃新たに仕立てられた『鳴神不動北山桜』の大詰でも見ることができますが、やはりこの『蘭平物狂』の立廻りが、一番強い印象を与えますね。

いよいよ明日は千穐楽!
皆様つつがなく勤め終えられますことを…。

三尸が逃げちゃうのです、体から

2009年02月22日 | 芝居
夜の部の切狂言『三人吉三・大川端』から、舞台装置の<庚申塚>をご紹介いたします。
中国の道教の行事が、日本で独自の発展を遂げた<庚申信仰>。60日に一度巡ってくる<庚申(かのえさる)>の日に、寝ないで夜を明かし長寿延命を願う風習があったり、また青面金剛や猿田彦、大黒天など、諸仏諸神を祀るお堂、塚が建立されました。

写真の小祠も、中に<庚申>と彫った石塔が祀られてますね。ごくシンプルな形状です。
祠の左右に吊るされた奉納額には<くくり猿>が。庚申の<申>を<猿>とみなして、見ざる言わざる聞かざるの“三猿”は庚申信仰と深く結びついています。そんな謂れで、飾られているというこころですね。

『三人吉三廓初買』の原作ですと、この「大川端」で出会った三人の吉三が、かわらぬ誓いの証しとして、奉納額から引きちぎった三猿をそれぞれ分けて持つくだりがございます。
そのあとの三人が、

和尚「末は三人繋がれて」
お坊「意馬心猿の馬の上」
お嬢「浮世の人の口の端に」
お坊「こういう者があったりと」
和尚「死んだ後まで悪名は」
お嬢「庚申の夜の話し草」

と、庚申と三猿につながる語句を巧みに織り込んで、後の「火の見櫓」の末路を暗示するような台詞を言うのが、興深いところです。

…この舞台装置の庚申塚、祠と石塔は大道具、絵馬と花立て、土器(あとで和尚が割るものですね)が小道具の管轄だそうで、昔ご紹介しましたように、歌舞伎の不思議なルールで分業されております。

私、寺めぐり神社めぐりが趣味ですが、そのおりにはあちこちで庚申塚と出会います。どんな神仏を彫っているか、形状はどうかを拝見するのがとても楽しく、写真にも撮ったりしています。
飯田道夫氏の著作『庚申信仰 庶民宗教の実像』(人文書院 刊)は、複雑に進化していった日本の庚申信仰をわかりやすく説明して下さるもので、大変勉強になりますが、まだまだ謎も多いようですね…。

心よりおくやみ申し上げます

2009年02月21日 | 芝居
本日早朝、中村又五郎先生がお亡くなりになりました。
94歳でした。

先生、と呼ばせて頂きましたのは、ご承知の通り、私どもが学んだ<国立劇場歌舞伎俳優研修>の主任講師を、発足当初より御勤め下すっておられたからでございます。14期生として、2年間、本当に手取り足取り教えて頂きました。
その当時の思い出は尽きることがございません。『白浪五人男・稲瀬川勢揃い』『車引』『引窓』を主に教わりましたが、その頃は「厳しい方」と思っておりましたけれど、のちのち先輩方に伺うと、昔はもっともっと凄かったとのことで、当時を知る方からすれば、私たちの頃はずいぶん「優しくなられた」お姿だったそうです。
研修を卒業してのち、授業でも教わった『引窓』の老母お幸を勉強会で再び勤めさせて頂くにあたりましては、改めてご指導を賜りたくお願い申し上げましたところ、快くご承諾下さり、ご出演中の歌舞伎座の楽屋で、3日間、差し向かいでお稽古して下さいました。この体験は一生忘れられないものでございます。

ここ数年は、舞台を離れておいでで、先日の<古式顔寄せ手打ち式>におきまして、久しぶりにお姿を拝見する機会を得ましたが、それから2ヶ月も経たないうちの本日の訃報で、正直まだ実感がわかないと申しましょうか、信じられないような思いです。

つつしんで、ご冥福をお祈り申し上げます。
本当に、お世話になりました。有り難うございました。
ゆっくりお休み下さいませ。


新歌舞伎を<通し>でどうぞ

2009年02月20日 | 芝居
3月歌舞伎座興行『通し狂言 元禄忠臣蔵』にそなえて、前回、国立劇場所演のビデオを拝見してました。
いや~、この重厚さ、ズシンと腹にこたえます!(夜中にみると尚更か)

1日の公演で通す場合は、昼が『江戸城の刃傷』『最後の大評定』『御浜御殿綱豊卿』、夜が『南部坂雪の別れ』『仙石屋敷』『大石最後の一日』。師匠は『江戸城の刃傷』では前回もなすった浅野内匠頭、『仙石屋敷』では初役で仙石伯耆守をお勤めになります。

私はこの度、『江戸城の刃傷』の御坊主関久和、『御浜御殿綱豊卿』の奥女中を勉強させて頂くことになりました。
関久和は、殿中で激昂する浅野内匠頭に、梶川与惣兵衛とともにすがりついて制止する御坊主。私にとりましては、畏れ多いお役目を頂戴いたしました。このような機会をお与え下さったことに心より感謝、御礼申し上げますとともに、皆様のご迷惑にならぬよう、よくよく精進、努力して勤める決意でございます。何卒よろしくお願い申し上げる次第です。

『御浜御殿』の奥女中は2度目となりますが、松嶋屋(仁左衛門)さんの綱豊卿には初めて携わらせて頂きます。また色々と勉強できますのが、楽しみでございます。

そして、この奥女中が今年初の女形!
ようやく、でございます…。

さよなら公演3ヶ月目も、どうか大勢の皆様のお出ましを賜りますよう!

(25時 記)

おおいに初笑い

2009年02月19日 | 芝居
国立演芸場2月中席公演昼の部を拝見してまいりました。
親しくお付き合いさせて頂いております林家彦丸さんもご出演。『権助提灯』でした。
金原亭世之介師『小粒』、古今亭菊春師『道具屋』、彦丸さんのお師匠さん、林家正雀師は『お血脈』、金原亭馬生師は『稽古屋』を。色ものの演し物がないので、噺のあとに声色や踊りを披露される方もいらっしゃり、これもまた楽しく拝見させて頂きました。

そして本公演の話題の演し物が、鹿芝居『らくだ』。
落語『らくだ』を芝居に仕立てたのが歌舞伎の『らくだ』で、今度はそれを噺家(はなシカ)芝居でやるというのが面白いですね。脚本は自在にアレンジされており、『たらちね』みたいな場面もあったりして盛り上がります。
なんとも残念なことでしたが、歌舞伎座で来月の“鬘合わせ”があったので、最後まで拝見できなかった!
肝心の死人のカッポレ(原作はカンカンノウ)が見られなかったのが悔しい~。

小間物屋の娘役で“潮来出島”の踊りを披露した彦丸さんの、なんとも綺麗な町娘姿を拝めたのが唯一の救いデシタ。

(20日 記)


自分でも考えてみよう

2009年02月18日 | 芝居
本日は、歌舞伎座稲荷<二の午祭り>です。
昨年と同様、初午と節分が近すぎたので、一巡りずらしての開催となりました。

このご祭礼には切っても切れないものが<地口行灯>。
芝居や唄の文句、ことわざなどといったお馴染みの言い回しを、洒落でもじって別の言葉にして楽しむ遊びが<地口>ですが、お稲荷様の祭礼には、この<地口>をユーモラスな絵とともに書いた行灯を飾るのが古例となっております。
見る側は、描かれた絵や言葉から、元ネタを考える楽しみもありますよね。

今回は、歌舞伎座楽屋棟にも飾られている<地口行灯>から、お芝居ゆかりのものを中心に、いくつかご紹介させて頂きたいと思います。


『大目の小僧だ』→「近江の小藤太(対面)」
こんなのが工藤の横に座ってたらガクッときますね。

『風邪に恨みは数々ござる』→「鐘に恨みは数々ござる(道成寺)」
何故こんな相撲取りみたいな男の絵にしたのでしょう。マスクとのギャップが可愛いですね。

『暇なワイフに授業料』→「縞の財布に五十両(忠臣蔵六段目)」
ワイフ、って言い回しも時代ですが、なんの授業をさせたのやら。

『天道様はからすがお好き』→「天王様は囃すがお好き(暫)」
舞台面上手に座っている敵役の大名が言う台詞です。これは「わいわい天王」という江戸時代の物乞いのことで、猿田彦の面をかぶった男が「わいわい天王囃す(騒ぐ)がお好き」などと囃しながら、牛頭天王のお札を撒いたのだそうです。
それにしても、お天道様を見返る男の人、ポーズが決まってますね~。

『きんかん一つこの島へ』→「俊寛一人この島へ(俊寛)」
名も知らぬ遠き島より流れよるキンカンひとつ…失礼しました。どこか楽しそうな表情に癒されます。

この行灯は専門の業者さんが作られているのですが、地口の内容は、江戸時代からあるものや、最近考えられたとおぼしきもの、色々ございます。
今年は楽屋棟には飾られなかったのですが、『勝った側連立のしがらみ(桂川連理柵)』なんて、当時の時事ネタ(だいぶ古い話だ!)で芝居の外題をもじるというハイレベルな作品。
まさか<地口ライター>がいるわけではないと思いますが、これからも、思わずクスッとさせられるような新作がでてくるといいですね。

古風で迫力があってドキドキして

2009年02月17日 | 芝居
しかしまァ随分と花粉が飛んでおりますね。
目は痒い、鼻水は出る、クシャミが止まらない…。
こういう時期の後見は非常に危険ですが、こんなときに限って、1時間でずっぱりというのが、なんともかんとも…。
お薬の力を借りて乗り切りましょう!

さて…。
『蘭平物狂』の立廻りは、30分ちかくかかる非常に大掛かりなもので、歌舞伎の演目では最長でしょう。
形の美しさ、トンボをはじめとする技の妙で堪能させる場面となりますが、印象が単調にならないようにいろいろな工夫がございます。
下座音楽も、最初は<大太鼓入り合方>で、途中から<どんたっぽの合方>に変わります。
捕手の得物も、<刺股(さすまた)><袖搦み><突棒>という3種の責め道具にはじまり、梯子、十手、六尺棒が代わる代わる登場します。

そして、捕手の衣裳も、途中から変わっています。
同じ“四天”という衣裳なんですが、最初は<毘沙門亀甲>という柄、帯は紫、襷はなし。中盤から、柄が<紫の立涌の中に雲>になり、帯は白献上、赤の襷をした姿に変わります。
からみの衣裳が途中からかわる例は、この『蘭平物狂』くらいではないでしょうか。ふつう、黒四天にしても花四天にしても、髷を結った鬘のときは襷をするのが通例で、『新薄雪』の水奴や『道成寺』の鱗四天のように、髷を結わずにザンバラの鬘のときのみ、襷をしないものなのですが、『蘭平物狂』前半の四天は、髷を結った鬘ですが襷はナシで、これも珍しい例。

主人公、奴の蘭平も、伴義雄の正体を現したという意味で、かの有名な18尺の<大梯子>の見得の前に、“ぶっかえり”をいたしまして、それまでの、白繻子の着付を肌脱ぎした、赤白市松模様の襦袢姿から、浅葱地に孔雀の模様となりますが、これは伴義雄の通称である、《孔雀三郎》からとった意匠です。

残り8回となりました公演、立廻り出演の皆様には、どうかご無事に勤め上げて頂きたいものと切に願っておりますが、この演目の、この場のもつ他にはない緊張感、最高の盛り上がりを、これからご覧頂くお客様には存分に味わって頂きたく存じます。

勉強させて頂きました

2009年02月16日 | 芝居
国立劇場小劇場での文楽公演、第1部の『鑓の権三重帷子』を拝見してまいりました。
仕事の前に浄瑠璃を拝聴できるなんて、夢みたいなことが叶ったのがとても嬉しく、また演目が、歌舞伎では久しく上演されていないものでしたので興味津々。床に近い席をとったので、人形も浄瑠璃もしっかり堪能させて頂きました。

近松翁の<姦通物>ということですが、夫の留守を守る立場であるおさゐの、抑えがたい権三への恋慕や嫉妬心、、愛し合う女がいながら、茶道の奥義を授かるために別の娘との口約束の婚約まで決めてしまうような権三の優柔さ、登場人物の抱える様々な心情がからみあって、まさにのっぴきならない状況へ<陥って>ゆくありさまがリアルに描かれており、300年前の物語を、とても新鮮に感じることができました。
吉田文雀師の遣われるおさゐが、なんとも色気があって若々しくて…!

開幕前の『三番叟』も拝見でき、ひさしぶりの文楽を、こころゆくまで楽しむことができました。
客席も大入り、嬉しいことでございます!

素敵なひと時でした

2009年02月15日 | 芝居
今月の『勧進帳』にご出演なさっている長唄三味線の方が、実はごくごくご近所だということがつい最近わかりまして、そんなご縁もありまして、その方がご指導なさっているお弟子の皆さんの<お弾き初め>の会を拝聴させて頂きました。
お昼過ぎから、これまた我が家の近くの割烹のお座敷にて。『雛鶴三番叟』や『末広がり』、『秋の色種』より“虫の合方”など5演目です。

…やっぱり三味線の音色っていいな~。
つくづくそう思いました。
私にとっての<職場>である劇場で、のべつ聞こえてくる音、空気みたいに当たり前になっている音。こうして場所を変えて、意識して“聴く”ことになりましても、決して「ああ、またか」という気持ちにはなりません。
新鮮に、そして懐かしく体に響く糸の調べ、拍子の妙…。

自らのお稽古事に、<三味線>を追加しようかなと、強く思ったのでした。

暖かい1日でした

2009年02月14日 | 芝居
今週は飛び石更新になってしまいました。申し訳ございません。
昨日13日は<中日>でした。夜の部の1演目にしか携わっておりませんので、ずいぶん早く日々が過ぎ行くように感じられます。そろそろ3月大歌舞伎『通し狂言 元禄忠臣蔵』への準備を始めなくてはいけませんね。

お陰様で、当月の興行も連日大入り満員で、有難い気持ちでいっぱいです。
客席からの熱気、興奮が、どれだけ舞台を盛り上げて下さるか! 
皆様のお力は、『勧進帳』舞台下手に控えておりましても、ひしひしと感じられます。



ややこしい話ですが

2009年02月12日 | 芝居
舞台衣裳に限らず、着物の柄には「縞」とか「格子」模様が多いですが、『弁慶格子』というのがありますね。
「弁慶」といえば、今月も『勧進帳』に登場する、歌舞伎にとってはお馴染みのキャラクターで、では弁慶役の衣裳によく使われる模様だからこの名前がついたのかと思われるかもしれませんが、どうもそうではないようです。

『勧進帳』におきましても、弁慶が着ている着付の柄は『翁格子』でございまして、これは太い線の格子の中に、細い線の格子が入っているもの。
『弁慶格子』は、お芝居では『千本桜 鮓屋』のいがみの権太の浴衣とか、『妹背山 御殿』の鱶七の裃の柄として使われているものが代表的で、黒とか藍、茶などの色を基調にし、その濃淡2本の太い線で組み合わせた格子のこと。格子の大きさや地色にはいろいろバリエーションがあります。

弁慶が『弁慶格子』を着ている例を、先ほどまでず~っと考えていたのですが、なかなか思い浮かびません。むしろ、色々なお芝居の弁慶の扮装には、どこかに必ずと言っていいほど「輪宝(りんぽう)」の柄が入っており(『鳥居前』『芋洗い勧進帳』『弁慶上使』『五条橋』他、こちらはスラスラ浮かんでくる!)、義経の「笹竜胆」とか曽我兄弟の「千鳥・蝶」と同様、これこそ“弁慶の定番”模様のようにも思えてきます(『勧進帳』の弁慶の大口<袴>の柄もやはり輪宝です)が…。

じゃあどうして「弁慶」の名がついたのかなァ…。
ご存知の方はお教え願います。

以上は歌舞伎衣裳の用語で説明させて頂きました。
一般の服飾、和装の現場での表現と違う場合があるかもしれません。念のためお断りさせて頂きます。