梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

巡業日記14・松戸の巻

2005年07月14日 | 芝居
昨日の須賀川公演後は、予定より一本早い「やまびこ」に乗ることができまして、十一時半には帰宅できましたが、荷物の整理や何やかやで、気がつけば日付けが変わっておりました。

さて本日は、千葉県松戸市にある『聖徳大学 川並記念講堂』での二回公演でした。小学三年から中学一年まで、やはり千葉県の流山市にいた私としましては、馴染みの深い街でございます。今私がすんでいる所からも、京成線と常磐線の乗り継ぎで三十分ほどでした。
また、今月一緒の一座の私の同期が、今も松戸の住人でございまして、差し入れを頂いてしまいました。地元の菓子舗『峰月』のドラ焼きで、変わっているのは甘く漬け込んだ梅の実を、白餡の中に丸ごと入れてありまして、これはなかなかの美味しさ。聞けば保存料など添加物を使用していないとのこと、なるほど、優しいお味でした。

今日の会館は舞台と楽屋の行き来が大変でした。そもそも舞台が講堂の三階。その舞台を挟んで上手側の楽屋と下手側の楽屋と、二つに別れておりまして、それぞれ六階まで楽屋がございますが、その上手、下手それぞれの楽屋を結ぶ道が、舞台裏しかないのです。私達名題下は上手側の六階、師匠梅玉は下手側の二階の楽屋となったので、何か用事をするとなると階段の昇り降りがキツいキツい。
今日はニ公演とも、ここの生徒さんを中心とした鑑賞教室で、以前の桐蔭学園のように『歌舞伎の見方』『吉野山』『源氏店』というプログラムだったので、私の出番が一つ減っていたので、早ごしらえがなかっただけでも有り難かったです。
それにしても、この大学そのものが、小高い丘の上に建てられておりまして、松戸駅前のイトーヨーカドーの、五階にある連絡通路を抜けると大学の入り口になる、というくらいですから、我々の楽屋は、いったい標高何メートルだったのでしょう?

こちらの学校は女子大です。学生さんは皆さん明るく元気な方ばかり。今日はケータリングサービスが屋外に設置されておりまして、お茶を飲みながら広場を行く学生さんを眺めておりますと、手を振ってくれたりしました。学食の食事券を頂いたので行ってみると、広い食堂は、当たり前のことながら女性に埋め尽くされておりまして、なんとも賑やかなこと! 少数派の我々公演関係者は、なんとなく恥ずかしいというか、照れるというか…。

…それから今日の舞台で大変なのはなにも楽屋の行き来だけではございません。舞台や楽屋に、大道具や荷物を運び入れる入り口を<搬入口>と申しますが、ここの会館の<搬入口>は舞台裏にあるのですが、先ほど書きました通り今日の舞台は地上三階。大きな扉を左右にスライドさせると、ぽっかりと外の景色が開けますが、真下を見れば足場もなんにもない、ただ垂直に壁があるだけ。撤収作業を見ていると、書割りや、支木(しぎ)という支えの棒を、ロープで縛ってから手作業で階下に降ろしておりました。幕などの布製品は風呂敷で包んでそのまま放り投げておりましたが、一つ間違えば事故、怪我となる危険な作業。これを今日だけの手伝いも含めての十数人で、迅速、かつ慎重に行う姿は、「すごい」の一言に尽きました。荷物を運び入れる搬入作業の時は、もっと大変だったのではないでしょうか。本当に、大道具スタッフさん方の毎日のお仕事には感謝しなければなりません。

今日も無事終了いたしました。明日から再び東京を離れます。