梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

早稲月稽古場便り・3

2008年04月30日 | 芝居
『青砥稿花紅彩画』、『極付幡随院長兵衛』の<総ざらい>。
別段何事もなくすみ、細かいことは明日の舞台稽古で、という感じです。
『青砥稿~』は、初日が開けば、幕間も挟んで4時間近い上演となりますが、お稽古場ではどんどん進行いたします。それでも序幕は「花見」「神輿ヶ嶽」「谷間」の3場で1時間ちょっとかかります。これまで客席から拝見するだけだったこの場面、思ったよりずいぶん長いのですね。
桜花爛漫、目にもあやかな神殿を前に、時代物のように始まる芝居が、2幕目にはがらりと世話にくだけるという面白さも味わえるのが通し狂言のみどころの一つかもしれませんが、大詰めの「滑川土橋」まで、各場各場がまさしく<紅彩画(にしきえ)>のようになっているのですね。

『喜撰』と『三升猿曲舞』は今日が舞台稽古で、自分の稽古の合間に拝見することができました。『喜撰』は大和屋(三津五郎)さんの喜撰法師ですので、坂東流の振付です。以前、藤間の御宗家の振付で、所化の住吉踊りに出させて頂きましたが、振りの違いを興味深く拝見いたしました。
『三升~』は音羽屋(松緑)さんの演し物ですが、本興行では大変珍しい曲と存じます。私が中学生の頃、南座での大和屋(玉三郎)さんの舞踊公演で、やはり音羽屋さんが演じられましたのを拝見した記憶がございますが、あれはもう10余年前のことですね。最近は歌舞伎座での特別舞踊公演でなすったそうですが。
4人の奴をからませながらの踊りが古風な趣きです。

明日はいよいよ私たちの舞台稽古。無事にゆけばよいのですが。

早稲月稽古場便り・2

2008年04月29日 | 芝居
今日は『青砥稿花紅彩画』の、通しとしての<附立>、『極付幡随院長兵衛』の<附立>でした。

『青砥稿~』で、初役で鳶頭をお勤めになる師匠。「浜松屋」の場にお出になるのは、実にこれが初めてなのだそうでございます。赤星十三郎はたびたびなすっておいでですが、こちらは「勢揃い」からですものね。
世話物とはいえ、だいぶきっちりと段取りや約束事が決まっている演目でございます。私にとりましてもご縁のない演目でしたから、知らないことばかりです。音羽屋(菊五郎)さんの弁天小僧と、間接的に小道具のやりとりがあるので、あちらのお弟子さんに色々伺いました。

『幡随院長兵衛』では、師匠は長兵衛の子分筆頭、唐犬権兵衛です。平成13年4月以来、7年ぶりとなります。そのおりは私もついておりましたので、こちらのほうは勝手は承知しておりますのでいくぶん楽かもしれません。

…今日は<顔寄せ>もございましたが、この度の公演で、成田屋(團十郎)さんのお弟子さんの市川新七さんが、お名前を4代目新十郎と改められ、名題昇進なさいますので、そのご披露もございました。私が研修生の頃からお世話になった先輩のご昇進、本当に嬉しく、心よりお祝いを申し上げます。

早稲月稽古場便り・1

2008年04月28日 | 芝居
26・27日と2日間のお休みを頂きまして、気力体力ともに充電完了。新たな気持ちで歌舞伎座5月興行《團菊祭五月大歌舞伎》のお稽古を迎えました。
私は夜の部の『青砥稿花紅彩画』の序幕「初瀬寺花見の場」の<腰元>を勤めさせて頂きます。本日はその『青砥縞~』の序幕のみの<附立>でした。この度は、たびたび舞台にかかる「浜松屋」や「勢揃い」だけでなない、<通し狂言>としての上演ですので、手慣れた幕はともかくも、普段やらない場面をしっかりかためようということですが、今回の上演にあたりましては、この序幕部分を、常よりテンポアップした台本で上演することになりましたので、演技演出段取りを作り直す作業も行われたのでございます。
私の腰元は、萬屋(梅枝)さん演じる千寿姫に付き従う奥女中一行の一員ということで、華やかな舞台の彩りとして控えるのみですが、こういうときこそ、位取りと申しましょうか、雰囲気の出しかたが難かしゅうございます。かえってあまり考えずに勤めたほうがよいのでしょうけれど、分をわきまえて、お行儀もよくせねばなりません。短い出番ながら、まだ役どころを掴みかねております。

師匠は「浜松屋」の鳶頭ですが、ここは2幕目ですので今日はお稽古なし。まだ師匠にお会いできておりません。

…今日は舞台上で大道具さん方が、「極楽寺屋根立腹の場」の大屋根を造っていらっしゃいました。大掛かりな立廻りが演じられる装置ですので、鉄骨でしっかりと組み立てているのですね。



梅之名古屋日記・終

2008年04月25日 | 芝居
お陰様をもちまして、名古屋御園座《陽春大歌舞伎》公演、本日無事千穐楽をむかえることができました。

地方公演で師匠と離れての出演というのは、10年間で初めての経験でした。昼夜4役に出させて頂きましたが、師匠がいらっしゃらないときこそ、いつも以上に気を引き締めてかからないと、どこかで油断が出るものです。粗相をして、せっかく呼んで頂いたこの度の一座の皆様にご迷惑をおかけしてはなりませんので、その点常に気をつけながらの劇場生活を送りました。

とは申せ、名題下部屋は普段から気心の知れた仲間ばかりのくつろいだ雰囲気で、窮屈な思いは全然いたしませんでした。月あたまのお花見にはじまり、カレーやら鍋やらお歌やら、芝居の後もみんなで楽しい時間をもてました。

大変勉強になり、大変オモシロかったひと月はあっという間、すでに今、東京の我が家にいるのですからね…。

虫喰いが目立った<名古屋日記>になったことをお詫びいたしまして、筆を置きたいと存じます。
どうも有り難うございました。

梅之名古屋日記・18

2008年04月24日 | 芝居
『与話情浮名横櫛』「見染め」の場の<貝拾いの浜女>は今回で2度目でございます。
大勢出れば出るほど、木更津の浜辺の雰囲気は賑やかになりますが、今回は座組の都合もあり、いつもよりかは少ないかもしれません。そのぶん、めいめい思い思いの芝居で盛り上げてきたつもりですが…。

前回(平成16年4月歌舞伎座)のおりにも書きましたが、ひとくちに浜の女と申しましても、それぞれに衣裳や鬘で年齢の違いをだして、変化を付けるようにしてあります。
衣裳の中に、緋色や鴇色、藤色などを使ったり、大柄な模様や太めの縞をあしらいますと、見た目が派手になり若い印象になりますし、逆に紺や緑、細かい模様や縞、格子になりますと、落ち着いた感じになります。
また、帯の結び方、結ぶ位置(胸高なら若く、下げれば老ける)でも違いを出すことができます。
鬘も、あの場面だけでも<潰し島田><島田崩し><おばこ><銀杏返し>というふうに、幾種類もあるのですが、これもその髪型にふさわしい年頃がございますし、同じ髪型でも、挿物や櫛などの装飾品を変えるだけで印象がだいぶ変わるんです。

舞台稽古で各自衣裳と鬘の具合をみて、頭と体、そして化粧の色みが違和感なく調和するように調整をいたしますが、今回のような地方公演の場合でも、衣裳方さんは予備の衣裳を持ってきていらっしゃいますし、床山さんも、たとえ髪型そのものに変更があっても、すぐ対処できるようご準備下さっております。皆様のお骨折りのお陰で、初日には皆々しっくりした扮装となるのです。

古い女方の先輩に伺いますと、昔(それこそ、11代目の成田屋(團十郎)さんが与三郎をなすっていたころ)の貝拾いの浜女は、若い綺麗な拵えの人が多かったそうで、「近頃はなんだか地味なのよ」とおしゃっていました。その日の食料を採りに来てはいるのでしょうが、遊山、娯楽でもあるわけで、そんなウキウキ楽しい雰囲気は、明るい色みの衣裳や鬘からも醸し出されなくてはならないのかもしれません。
もちろん、現在の舞台に若い拵えの者がまるっきりいないわけではございませんし、同様なアドバイスをして下さった他の先輩のおかげで、“娘率”が増えた例もございます。

浜女がお富より目立っては元も子もないですが、より場面に“風情”がでるように、ということですね。

…舞台で貝を拾うとき、なるべく膝をつかないようにしゃがんで芝居するんですが、これは、浜辺ですから着物が濡れないようにしているのです。先輩から伺った心得ですが、細かいようですけれど大切なことと思います。

オマケ

2008年04月23日 | 芝居
私が初めて御園座に出演したのはちょうど10年前の平成10年10月ですが、はじめて御園座に芝居を観に行ったのはその少し前、平成7年4月でした。
たしか御園座創立100年の記念でもあったかと思うのですが、天王寺屋(富十郎)さん、大和屋(玉三郎)さん、中村屋(勘三郎)さん、成駒屋(福助)さんほか豪華な顔ぶれで、私が拝見した夜の部は『十種香』『白浪五人男 (浜松屋から滑川土橋まで)』『鷺娘』という狂言立てでした。(昼の部は『神霊矢口渡』『素襖落』『鰯売恋曵網』)

その頃私は中学三年でしたが、どの演目も大好きなお芝居でしたので、ワクワクしながら観ていましたが、『白浪五人男』の「大屋根」の立廻りの後の、大道具の<ガンドウ返し>に、お客様からの歓声があがったこと、初めて拝見した大和屋さんの『鷺娘』の照明の美しさに、開幕早々ホワーとなったこと、今でも目に浮かびます。

こんぴらでも、南座でもそうですが、自分が観客として見つめて来た舞台に、今出演者として立てている幸せ。
これからも忘れずにいようと思います。

梅之名古屋日記・17

2008年04月21日 | 芝居
『源太勘当』の眼目は、何と申しましても源太景季による<宇治川先陣争い>の物語です。母延寿が見守る中、自分と佐々木高綱との駆け引きを、当人はもちろんのこと、合戦に居合わさなかった平次景高や腰元千鳥までが、浄瑠璃の派手な節に合わせて再現するこの場面は、いかにもお芝居らしい醍醐味にあふれております。

源太が「高腰御免」といって悠々と葛桶に座り、威儀を正して「弟景高承れ」と切り出しますと、やおら舞台正面の襖が開かれ、その奥の広々とした座敷の景がお客様の目に触れることになります。
この座敷の背景、<千畳敷(せんじょうじき)>と申しておりまして、字の如く、千畳も敷き詰めたかのような奥行きを描き出しております。これは平面的な書き割りではなく、畳を描いた部分は傾斜をつけてあったり、壁のところも斜めにとりつけるなど、立体的な装置となっており(ごく簡単に言えば尻すぼまりの大きな箱の中に描いているような感じ)、客席のどこからみても違和感なく遠近の差を感じられるように計算されております。

この<千畳敷>は時代物の作品にまま見られるもので、『伽羅先代萩 御殿』『一條大蔵譚 奥殿』などでも使われますが、この<千畳敷>が現れるのは、たいてい、その芝居が内容的に<新たな局面>をむかえたときとなっております。
『源太勘当』なら、これから<物語>がはじまるということで、ひとつの区切りをつけるということ、目先の変化でお客様の気分を高め、集中させるという意味合いもございます。

同じようなことは<千畳敷>にかぎりません。『熊谷陣屋』なら、義経の登場、すなわち<首実検>からは、正面の襖を開け放ち、<山遠見>をみせ、『忠臣蔵 七段目』なら、由良之助が顔世御前からの密書を読むくだりで、座敷の暖簾を振り落とし、庭や向こうの部屋を描いた景色を。また上方演出の『対面』ですと、工藤左衛門祐経の「思いいだせば オオそれよ」で、襖を開くと富士山が見えるというやり方がございますが、これも、河津の最期を語りだすという局面にあたっているわけです。

…これは本当に歌舞伎らしい割り切り方だと思いますが、例えば『源太勘当』では、<千畳敷>を見せる前にも幾度か襖は開閉されるのです(延寿や腰元の出入り)が、このときには、<千畳敷>の手前に、白壁の書き割りを立てており、お客様には絶対<千畳敷>が見えないようになっています。
<千畳敷>はあくまで新たな局面をむかえるまでは使わない。用がないときは見えないようにするという、歌舞伎の原則論に基づいているわけですけれど、理屈からいえばなんともおかしな話で、あの白壁はどこへ? と思ってしまいそうですが、歌舞伎の装置はあくまで<記号>ですから、リアリティを求める方が無理なのでして…。

壁が急に消えようと、あり得ないくらい広い座敷が出現しても、なにとぞ鷹揚のご見物のほどを。

梅之名古屋日記・16

2008年04月20日 | 芝居
昼の部の『鬼平犯科帳 大川の隠居』は、昨年の5月、新橋演舞場におきまして<歌舞伎>として初演され、今回名古屋初お目見えになった次第でございますが、歌舞伎の興行の中で「鬼平」ものが上演されましたのは、平成2年歌舞伎座の『狐火』以来ということになるのでしょう。

稽古場便りのなかでも触れましたが、全編、歌舞伎の演出で芝居作りがなされております。場面場面の雰囲気を作る音楽は全て黒御簾での下座囃子で処理し、舞台の進行は狂言作者の柝で指揮されます。鳥のさえずりや犬の声も、歌舞伎ならではの笛、声色を使って役者が勤めておりますし、まさしくこれは世話物なのです。
なればこそ、芝居の途中で<劇中口上>が入っても、お客様にすんなりと受け入れていただいているでしょうね。


序幕の『源太勘当』で時代物をじっくり味わっていただいたあと、30分の休憩で、第一場<大川端船着場>がはじまりますが、田舎の大尽、船頭、芸者と箱屋の若い衆、苗売り、行商人、漁師…。様々な職の男女が行き交う江戸の町の賑わいが一気にパアッと広がります。

時代と世話、重みと軽やかさの対比が面白い2演目がスッキリと並んだ、素敵な趣向の御園座昼の部でございます。

梅之名古屋日記・15

2008年04月19日 | 芝居
一昨日から降り続いた雨も止み、今日は朝から快晴。
暖かな陽射しに包まれ、お気に入りの曲を聴きながらテクテク劇場へと向う15分間、とっても幸せな気分です。
この前もご紹介しました白川公園を通り抜けるコースをとっているのですけれど、園内のケヤキ並木を通り抜けるときの清々しさ! 今日などは、雨上がりのせいでしょうか、樹々の香りがいつにもましてみずみずしく、なかば寝ぼけながら家を出る体も、楽屋入りする頃にはシャキッとしているのですから、自然はありがたいです。

そのケヤキ並木の下に、『緑陰』と彫られた碑がポツンとありまして、これまでこのこの言葉に対しては<木陰>と同じくらいのニュアンス、イメージしか抱いておりませんでしたがそうではありませんね。幾重にもかさなり合う若葉を通り抜けて降り注ぐ光が、ちらちらと見え隠れするその場その空気、それ自体がほのかな緑色に染まっているのですね。

オマケ

2008年04月18日 | 芝居
今月の仕事の後の楽しみ。
先月沖縄公演に行った同期に買ってきてもらった<三線>。
今月ヴィレッジヴァンガードで買った<テルミン>(『大人の科学』の付録)。

“稽古”ではなく、“遊び”で弾いておりマス。

梅之名古屋日記・14

2008年04月17日 | 芝居
カレーの翌日はスッポンでした。
これまたお料理上手の先輩が、自室(もちろんウィークリーマンション)でスッポン鍋を作るというのでお邪魔いたしましたが、なんとも本格的でございました。
私がお部屋についた頃は、まだ元気なスッポンちゃんが流しでウロウロしておりまして、先輩自らこれを捌くのでございます。マァその手並みの鮮やかなこと! ひっくり返すことで首を伸ばさせ、そこを掴んで一気に包丁を入れるところなぞはとんと職人でございました。内蔵をとり、切り分けたお肉に熱湯をかけて薄皮を剥く<しもふり>という作業をお手伝いいたしましたが、さっきまで生きていた生物が、今バラバラになって我が手の内に…。なんとも奇妙な体験でございました。

たっぷりの酒と醤油、塩、生姜、昆布でとったお出汁でいただく初体験のスッポン、臭みも全くなく、プリプリの食感と思いのほかさっぱりとした味が大変美味しく、うち集まった一同感激。シメの雑炊も旨味がたっぷりしみ込んでいて!
鍋に入れるお餅まで、餅米を炊いてその場で搗いて作るという驚きの食卓。先輩の心づくしに、まさに<もてなされた>思いです。

梅之名古屋日記・13

2008年04月16日 | 芝居
腕に覚えの“料理人”名題下2人による『カレー対決』が、私の部屋を会場にして繰り広げられました。
前日(15日)に仕込み、16日が本番。12人の審査員(名題下+床山+衣裳)が試食して、<味><見た目><香り>などを評価、50点満点で採点いたしました。
仕込みの様子をビデオで撮影しておき、それを上映して<調理>も採点するのですから念がいっております。

牛バラ肉もニンジンもでっかくゴロゴロ、スパイスをふんだんに使った『本格派』か、市販のルーを使いながらも、そこに一工夫加えた鶏肉とチーズの懐かしい『庶民派』か。
審査員は汗をかきかき2品を試食、ワイワイいいながらの採点作業も面白いものです。
結果は僅差で『本格派』の勝ち。付け合わせの野菜にまでこだわったセンスの勝利でしょうか。
結果発表の後はそのまま飲み会へ。カレーの他にも手作りのオードブルやサラダも沢山用意したので、日付が変わっても酒宴は賑やかに続きました(台所にまで人があふれてましたけどね)。

ウィークリーでパーティをすることはままありますが、<対決>は初めてでしょう。同じ建物に仲間が何人も住んでいるので、料理人に台所の提供ができました。仕込みの段階から手伝いをしたものですから、それぞれの料理の仕方がわかったり、教わることもあったり。私も料理はいたしますけれど、人様のお口に供するような品はとてもとても。
でも、今度は私と同期で<パスタ対決>しろとおっしゃる先輩がおりまして…。

(17日 記)

オマケ

2008年04月15日 | 芝居
名古屋といえば味噌煮込みうどんと思われる方も多いとは存じますが、「山本屋総本家」と「山本屋本店」、似て非なる2店の味を、2日続けて食べてきました。


「総本家」では名古屋コーチンの<親子煮込み>とご飯。汁の味がとっても濃いですね。おネギの青い部分がいい具合にクタクタで、甘みが出ていて美味しいです。コーチンにもしっかり味がしみてますし、肉の脂も程よく汁にとけ込んでいました。
麺はごくかため。真ん中に落とされた玉子は、あと少しで固まりきるくらいで、これをこのまま具とともにご飯に移し、汁をドバドバとかけてかき混ぜてかき込むと、美味しいシメとなりますね。


翌日は「本店」。前日は夕食でしたが、今度は昼時ということでお客さんが行列をなしておりました。20分程待って入店、ご飯もついている<コーチン煮込みセット>を注文。
こちらのお汁はややあっさりしてました。おネギもクタクタではないですが、薬味というわけではないですけれど、生の辛味がアクセントになってました。麺は「総本家」よりかは柔らかいのかな。コーチンがゴロゴロ入っているのが嬉しいところ。玉子はほぼ生のまま出てきましたが、注文すればもっと固くしてくれるらしい。お漬け物の盛り合わせが美味しかったです。

私はよく事情は知りませんが、この2店、どういう関係なんでしょ?

梅之名古屋日記・12

2008年04月14日 | 芝居
『閻魔と政頼』の裃後見は、化粧をし、鬘をかぶるという、本式で古風な拵えです。
鬘はいわゆる<袋付き>と呼ばれる髪型で、髱(たぼ。後頭部)をふっくらとふくらませたもの。世話物の町人等もこの髪型なのですが、後見でかぶる<袋付き>と、芝居でかぶる<袋付き>は微妙に違うのだそうです。
髷の大きさ、鬢(びん。側頭部の毛)の張らせかた、髱の形などをごく<おとなしく>仕上げるのだそうで、これは後見は<役>ではありませんので、舞台上で鬘が“主張しない”ようにするためなのだそうです。毛を植える前の段階、つまり銅板で顔の横の生え際のラインを作るときにも、お芝居で使うものでしたら、役柄によっては部分的に角度をつけて、アクセントをつけたりしますが、後見ではそういうこともいたしません。
その一方で、髷の根元に結わえる<元結(もっとい)>の巻き数は、芝居のときよりも多くなり、所作事の様式的な舞台面にふさわしい格を出しているのだそうです。さきほど<おとなしく>という表現を使いましたが、さりとて貧弱になってはいけないわけでして、そのあたりの兼ね合いを出すのは、世話の袋付きを結い上げるのとくらべると、少々気を遣うと床山さんはおっしゃっておりました。

私は、7、8年くらい前に作った、後見専用の鬘をいつも使っております。女形に移りましても、後見は立役です。『道成寺』や『鷺娘』などで、女形さんの後見が、紫帽子付きの鬘、中振袖の着付という拵えでお勤めになることがございますが、ごくごく古風な演目や舞台面のおりに、ご本人や主演者のご意向でなさるものです。私も、いつかこの拵えをする日が来ないとも限りませんが…。

ちなみに後見の顔の色は、演目やなさる方によって、肌色に近かったり白粉でキレイに塗ったりと色々ですが、顔はどんなにキレイに塗ったとしても、様々な用事をする手は塗らないものなのです。

梅之名古屋日記・11

2008年04月13日 | 芝居
昼過ぎからぐずつきだした天気が、私が楽屋を出る時間になってどしゃ降りとなり、傘を持ってこなかったので「エエままよ」と歩き出しましたがやっぱりいけませんでした。『名月八幡祭』の大詰もかくやとばかりのシトドの濡れよう、それでも春の雨でしたから冷たくはなかったのが幸いでしたが、<ずぶ濡れ>とはこういう状態を指すのかと、生まれて初めて理解いたしました。この経験を今後の舞台に活かしたいと思っております(どこで?)。

さて、名古屋御園座陽春歌舞伎も本日<中日>を迎えまして、いよいよ折り返しとなりました。師匠の舞台の用事をすることがない、自分のお役だけを勤めればよいということで、他の出演者の皆様よりかは幾分ノンビリとした楽屋生活を送らせていただいておりますが、そういう月ほど、過ぎ行くのはあっというまでして…。
おかげさまで、気のおけない仲間たちと劇場の内外で楽しい毎日を過ごしておりますが、こんな日々もあと2週間足らずと思うとさみしくもあります。まだ行っていないお店、やっていないことが色々ありますから、スケジュールをしっかり組んで…。

さて、写真は御園座のすぐ近くにある喫茶店<Salty Suger>のパフェです。昨日書きましたように、初めて名古屋に来た10年前からこのお店にはお邪魔しておりまして、毎度のようにパフェを食べています。写真はマンゴーのパフェですが、抹茶、チョコレート、イチゴなど種類も色々、中ではブルーベリーヨーグルトがオススメです。
実はこれより相当大きなパフェがこのお店の名物なのでして、私は店内の写真でしか見たことがなく、いつかは挑戦してみたいと思っているのですけれど、大のオトナの男が、40センチのジャンボパフェを1人で黙々と食べるなんて、サマにはなりませんやね。