梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

稽古手本忠臣蔵・に

2007年01月31日 | 芝居
本日、『大序』より『道行』まで、つまり昼の部の各幕の<初日通り舞台稽古>でした。
初日通りということで、『大序』では、この通し狂言ではお馴染みの<口上人形>による狂言名題、配役の口上も行われました。古来からのしきたりで、この口上を行う頃には、『大序』の出演者は顔世御前以外全員舞台に控えていなくてはなりません。ですので私たち大名役の者は、早々に化粧、拵えをいたしまして舞台に降りてゆくのです。
この口上から、延々演奏される鳴り物を経ての開幕、そして兜改めが終わるまでが、私たちの<正座時間>。衣裳を着けるとまた感覚がかわります。気持ちもより引き締まり、というか、引き締まるのを通り越して、締めつけられるような緊張感も味わうこととなりましたが、これがこの狂言に出る醍醐味なのかしら?

緊張感、緊迫感は、『四段目』でさらに高まりました。師匠演じます上使、石堂右馬之丞の黒衣後見として、音羽屋さん演ずる塩冶判官の、登場から死までを、同じ舞台で<裏方>として、しかしごくごく間近に接することになったわけですが、物音一つたてるのもはばかられる張りつめた空気、洗練されきった演出が作る儀式性。いくら師匠の陰に隠れているとはいえ、ひと息もつけません。意識し過ぎはかえって逆効果ですが、この幕にふさわしい後見を勤めるには、そうとう努力しないとなあ…。

ここまでで相当気骨が折れたせいか、パッと華やかな『道行』の稽古になったとたん、こちらの気持ちまで晴れやかになったような。ある意味救いのない大名家の悲劇から一転、菜の花と桜が咲き誇る舞台面での若き男女の逃避行(とはいえ多分にお気楽な)で昼の部が打ち出しになる。よくできた構成ですね(関西式では違いますが)。
後見の段取りは、用事が少ないだけスムースにまとめることができました。立廻りを裏から見る初体験でしたが、今日はついつい本当に<見て>しまった感。明日からは気をつけます。先輩仲間後輩多数<花四天>に出演する中で、弟弟子の梅秋が師匠を<返り越し>しての“1人がかり”を勤めておりますので、ひと月気をつけて頑張ってほしいと思います。

さあ明日からは如月、歌舞伎の“独参湯”忠臣蔵の開幕です! 皆様お誘い合わせの上、お出まし下さいますように!

稽古手本忠臣蔵・は

2007年01月30日 | 芝居
本日のお稽古日記の前に、昨晩の出来事を。
以前ご紹介させて頂きました、私が度々拝見させて頂いております劇団『偉人舞台』の俳優、鹿島良太さんと、銀座でお食事をご一緒いたしました。客席から観るだけだった人と実際にお会いできるという機会を得ましたのも、不思議のご縁と申しましょうか。互いにブロガー同士(リンクさせて頂きました)、舞台に生きる者同士、話はたいそう弾みまして、お互いの世界について、Q&Aしまくりの、刺激的なひと時となりました。
我ながら、初対面の方(年上ですし)と、ここまで打ち解けて話せるなんて…。改めて、演じるということについて考えさせられ、舞台で働ける喜びを確認いたしました。二人でなにかできたら…という<夢>もふくらみましたが、これからも末永くお付き合いさせて頂けたらと思います!

さて、『忠臣蔵』のお稽古3日目。昨日同様『道行』『大序』『三段目』『四段目』が<総ざらい>で、『五・六段目』『七段目』『十一段目』が<初日通り舞台稽古>でございました。
以前、<総ざらい>から鳴り物が本格的に入り、音曲が本番通りの演奏をすることをご紹介したと思いますが、『大序』の幕開きは、大変特殊な下座が延々と演奏されます。後日改めてご紹介いたしたいと思いますが、この狂言のこの幕が、ひとつの<儀式>であることを、本日のお稽古で、大名役で座りつつ、ひしと感じておりました(やっぱり正座は辛いのですが…)。この幕開きの鳴り物が醸し出す雰囲気にのってゆけば、自ずとこの芝居にふさわしい<格>が出せるのではないかとも考えております。壮大な物語の序章、そしてその最初の1ページにふさわしい存在になれたら嬉しいのですが。
(配役の変更がありまして、『三段目』の<止め大名>には出ないことになりました)

今日のお稽古では、師匠が初役で定九郎をお勤めになる『五段目』が、一番の頑張りどころでした。ご承知の方もおいででしょうが、短い出演時間の中で、小道具の受け渡しなどの、裏方としての仕事が多く、開幕前に準備するモノ・コトもなかなかの数です。一門総出で分担作業、お陰様で無事に任務を遂行できました。あとは少しでも手慣れて、段取りをさらに練り上げられるようにいたします。しかしまあ、定九郎はもの凄くカッコいいお役ですけれど、死んでからの時間も長いですな…。

『七段目』は動線も定まり、無事に<台のもの(酒肴が載った大きな膳)>を由良さんのもとへ運び出せました。ホントに短い出番ですが、大勢の仲居さん、太鼓持ちさんの出入りの邪魔にならないことが第一だと思います。
邪魔にならないといえば『四段目』での石堂右馬之丞の黒衣の後見も、ことさら厳粛な<切腹場>の雰囲気、銀襖にかこまれた城内の場面を壊さない動き、段取りを考えなくてはなりません。考えなくては、と申しましたが、先輩方のなすってきたことを踏襲するのが行儀であり、それが<定式>となるわけですが、上演年月を違えた、6、7本の過去の映像を拝見しましたら、その都度後見の方のなさり方が違うんですよね…。同じ歌舞伎座の舞台なのに…? それぞれに理由があってなすったことですから、どれが正解でどれが間違いということはけしてございません。私は、よくよくそれぞれの手順を飲み込んだ上で、<今回のベスト>を選択できたらと思います。けして昔の通りやればよいというわけではない場合があるというのが、本当に難しいところでございますよ。

稽古手本忠臣蔵・ろ

2007年01月29日 | 芝居
本日は『道行旅路の花聟』を先にやり、あとは『大序』『三段目』…と上演順の稽古となりました。これまで花四天でしか出演していなかった『道行』に、はじめて後見で出させて頂きます。立廻りを間近に、そして裏側から拝見できるので、また違った勉強ができそうです。もちろん後見としての仕事も、用事は少ないですがきちんと勤めたいです。
『三段目』で判官を取り囲む、いわゆる〈止め大名〉は二度めですが、『大序』で居並ぶ大名は初めてです。意外と正座している時間が長い! あとで立ち上がり、石段を降りて引っ込みます(しかも長袴をはいて)から、心して臨まなければ…。この役は名題下が演じるものとはいえ、役柄としては塩冶判官や若狭介と同格の者たちと考えてもいいので、貧相にみえてはいけないのですが、さりとて過剰な演技は禁物。分をわきまえたうえで、ふさわしい雰囲気を出すのが難しいですね。
『四段目』では師匠の黒衣の後見。以前お話した〈呼び〉もさせて頂きます。
…『五段目』での師匠演じる定九郎の、裏方としての仕事は、稽古場ではなにも確認できないもの。明日の舞台稽古でやってみるしかないというのが不安でございますが、経験者の先輩に教わった通りにやること。これがすべてでしょう。今日は血糊を手作りしました。
『七段目』も狭い稽古スペースでは本番通りの段取り、動線で演技ができません。なんだか「まあ、舞台稽古で考えましょう…」という事柄が多いのが、小心者にはビビりまくりなんですが、『忠臣蔵』の各役各仕事は、ある程度は心得ていて当然と考えられております。うーん、不勉強の身が恥ずかしい!

稽古手本忠臣蔵・い

2007年01月28日 | 芝居
本日より2月公演『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』の稽古です。
私はこの公演で、『大序』『三段目』の<大名>、『道行旅路の花聟』の<着付後見>、そして『七段目』の<若い者>を勉強させて頂きます。
本日の稽古は、『五・六段目』『七段目』『十一段目』の<附立>。師匠は登場後十数分でお役御免の斧定九郎のみ、私も舞台には数分しかいない若い者だけでした。

私、通し狂言の『忠臣蔵』に出させて頂くのは、これで3度目なんですが、実は過去2回はどちらも<上方式>演出によるもの(平成11年3月松竹座、平成14年11月国立劇場)でございまして、今回は東京式初体験の舞台なんです。色々なことが初めてとなりますので、一から勉強のし直しですが、東西の演出の違いを学ぶよい機会、この芝居日記で紹介できましたらと思っております。
師匠も、石堂右馬之丞と斧定九郎が初役ですので(道行の早野勘平は度々なすっていらっしゃいますが)、弟子としての裏の仕事も初めて尽くし(『四段目』では石堂の<黒衣の後見>もさせて頂きます)。大序、三段目、四段目、道行、五段目、七段目と、1日の半分以上の幕で舞台の表裏で働くことができますのはとても嬉しゅうございます。1月に引き続き舞踊の後見も学べますのも本当に有難いことです。
明日からが本格的なお稽古となります。どんな稽古場便りをお伝えできますでしょうか。

乗り換え3回、1時間かけて

2007年01月27日 | 芝居
彩の国さいたま芸術劇場大ホールにて、彩の国シェイクスピア・シリーズ第16弾『コリオレイナス』を拝見して参りました。
紀元前5世紀のローマを舞台に、勇敢、高潔で比類なき武勲をあげながら、民衆を軽視した故に破滅する武将、コリオレイナスの悲劇が描かれます。
こちらの劇場でシェイクスピア・シリーズを拝見するのは、『マクベス』『ペリクリーズ』『タイタス・アンドロニカス』『お気に召すまま』に次いで5回目です。大きすぎず狭すぎず、ちょうどいい寸法の舞台に、演出である蜷川幸雄さんがどんな魔法をかけてくれるか、それが楽しみで足を運んでおりますが、今回も、観る者をワクワクドキドキ、ときにニヤリとさせる、なかなかの趣向でございました(これから観る方のために詳細は秘密)。
主人公コリオレイナスの唐沢寿明さんは出ずっぱりの大奮闘、戦場での立廻りはもとより、自国ローマの民衆、執政官たちとも、常に闘い続ける武将役。あまりに潔癖なゆえに、許せないものばかりに囲まれた苛立ち、傲慢とも見える自負心の猛々しさが存分に伝わって参りました。対する敵国ヴォルサイの武将オーフィディアスの勝村政信さんも、台詞の声音で若く雄々しき将軍を十二分に表現し、存在感にあふれておりました。コリオレイナスの母の白石加代子さん、民衆の代表という名目で、コリオレイナスを批判、世論操作で群集を煽動する護民官の瑳川哲朗さん、コリオレイナスの数少ない理解者メニーニアスの吉田鋼太郎さん、そして20人近い民衆役の皆さんによる、緊迫した3時間半の舞台に大満足でした。

3月は第17弾『恋の骨折り損』が控えております。観られるかな~、そのまえにはコクーンで『ひばり』もありますし、ホント、時間さえあれば! と思うことしきりのこの頃でございます。

すみませんでした

2007年01月26日 | 芝居
皆様からのご質問に、昨日の更新でお答えしたかったのですが、昨晩は本年度の勉強会にむけての話し合いが午後10時過ぎまでかかり、そのご先輩と夕食、ここでもプチ会議の様相となりまして、帰宅が遅くなってしまいました。
質問へのお返事は、本日中に、昨25日の日付で追記することし、今日の日記も更新することにいたします。
あしからずご了承下さいませ。

…というわけで、これからあとの文章は、千穐楽の撤収作業を終えて帰宅してから書いております。

心なしか、いつもより長く感じた「寿 初春大歌舞伎」も、無事に勤めおおせることができました。ビールで乾杯、ホッと一息ついたばかりです。
今月は後見をふたつも勉強させて頂きましたが、何もしないで何かする難しさをつくづく思いました。とくに『勧進帳』は演目の重み、する仕事の数、舞台にいる時間…。私がこれまで経験してきたなかでは緊張度トップクラス(『土蜘』頼光の後見もしんどかったですが)ですので、それをどれだけ克服できるか、挑戦のひと月でもありました。

25回の公演を終えて、とりあえず「これだけは前回と変わった!」とハッキリ言えるのは、汗をかかなくなったこと。6年前はじめてさせて頂いたときは、何をやるにも焦ったりまごついたりで、襦袢に沁み込むくらいの汗をうかべてしまいましたが、今月はついに1滴もかかなっかたんです。たんに冬の舞台だからというわけでなく、なにがあっても冷静でいよう、粗相をせぬよう落ち着いていようと、自分で自分に言い聞かせてきたこともあるのですが、師匠の衣裳の着付けも、数だけはこなしてきたおかげで手慣れてきましたので、幕が開くまでの段階で、ある程度の余裕をもって取り組めたことも大きいと思います。
とはいえ課題はまだまだです。今、意識しながら行っていることを、無意識でできるようになるまでは、油断なく、自分に厳しくやってゆかなければ…。もっともっと後見を勉強してゆきたい! 陰から舞台を支えられるようになりたい! 2007年の、というより、一生の目標が、ようやく見つかったように思います。

お陰様で風邪もひかずに新年の公演を終えることができました。来月はさらに寒さも本格的になるでしょうから、演目も『忠臣蔵』でございますし、さらに気を引き締めて頑張ってまいります。
とりあえず、明日は休み! 沙翁劇を拝見に彩の国まで馳せ参じます。


お答えいたしま~す

2007年01月25日 | 芝居
大変遅くなってしまいましたが、今月皆様から寄せられたご質問に、お答えいたしたいと思います。コメント投稿順にやってゆきましょう。

Q1、「劇中食べられているお蕎麦の味は?」
…『三千歳直侍』でお馴染みの、蕎麦を食べるシーン。この蕎麦も<消えもの>になります。私は舞台上で蕎麦を食べた経験はないので、なんとも申せませんが、明治座でいちど直侍をなすった師匠が以前申しておりましたのは、「舞台で食べる物は、演技に集中しているから味はよくわからない」とのことです。このお芝居での蕎麦は、劇場近くの蕎麦屋から定時に運んでもらったり、お弟子さんが簡単な調理器で舞台裏で作ったり(かけそばなので茹でるだけですからね)と、演者によって様々のようです。とある先輩がおっしゃていたのは、「たとえ味が美味しくても、<すする>演技がしにくい蕎麦、いつまでも口に残るような蕎麦ではダメ。お客様に、美味しそうに食べているように見せることができる具合が難しいんだ」とも…。
ちなみに、刻み煙草、お香などは毎回消費されるものですが、<消えもの>とはいわないようですね。

Q2、俊寛が手に持つ海藻は本物か?
…今月の播磨屋(吉右衛門)さんの場合は、本物の若布です。ただし、緑の布でできたニセの若布と合わせて使っているそうです。全部が全部本物でも、かえってそれらしく見えないのですね。

Q3、『廓三番叟』の番新の帯の結び方は?
…女方の帯結びには<あんこう>とか<柳>、<角出し><振り下げ>と様々ございますが、面白いことに番新の帯び結びには、名称がないんだそうです。古い衣裳方さん数人に伺いましても、「……。そういえば(名前が)ないねぇ。いつも<番新の帯>っていってるから…」という返事が。装束史のことはさておきまして、衣裳用語としての名称はないと考えて下さい。
結び目が前後ろにあるように見えたようですが、結んでいるのは前側だけです。片方の端が背中のほうにまわっているので、それがそう見えたのかもしれませんね。

Q4、以前の『金閣寺』と今回の『金閣寺』で違うところは?

『型』の問題に踏み込むことになりますので、若輩の私には難しいところですが、今回の舞台では、雪姫が縛られることになる桜の大木が、下手にあること(多くは上手側になる)が一番大きな違いでしょうか。今月の筋書の、出演者のコメントコーナーで、大和屋(玉三郎)さんご自身が、こういう演出上の相違点について述べられておりますので、ご覧頂ければと思います。
捕り手の立廻りは、立師さんによって色々変わることもあるでしょう。あの桜が降り積もった舞台で<返り立ち>をしたこともあるのですよ。また、立廻りの最後、捕り手が下手に引っ込むのではなく、花道に入ることもありましたね。

どこまでお力になれたかは心もとないですが、納得頂けましたでしょうか?

3年間の成果がここに

2007年01月24日 | 芝居
本日は、国立劇場第18期歌舞伎俳優研修生の、研修終了発表会でした。
長唄研修や鳴物研修、太神楽研修の発表会でもありますので、お昼から夜までの長い公演でしたが、彼らの演目は、お芝居が『引窓』、舞踊が『玉屋』、立廻りが『英執着獅子』というもの。私は、出番の関係で、1日の最終演目となった立廻りの発表だけを拝見させて頂きました。
6人の研修生のうち、2人が獅子の精(雌獅子)、残る4人が力者役で、長唄の生演奏で、後シテのクルイと立廻りを見せる構成でございました(指導は立廻りの講師でいらっしゃる尾上松太郎さん)。大ゼリから石橋に乗っての登場から幕切れまで、盛り上がった舞台となりました。力者役の研修生がトンボを返るたびにさかんな拍手がおこりますのも、発表会らしい光景でございます。毛振りも見せる獅子の精役ともども、皆々落ち着いて演じているのがよくわかりまして、ハラハラすることもなく幕となりましたのは、やはり3年間となりじっくり時間をかけた研修のため、あるいは<舞台実習>として、たびたび本興行の舞台を踏んできたおかげかもしれませんね。
3月修了式、4月から正式な初舞台となるようですが、新しい仲間が加わりますこと、とても楽しみでございます(ちょっとエラそうかな)。

夕食は国立劇場からすぐ近くの蕎麦屋<さわらび>。以前もご紹介したと思いますが、美味しさはもとより、あたたかなもてなしがなにより嬉しいお店です。つまみ1品で軽く1杯、最後はつけダレの風味抜群の胡麻胡桃そば。1人でも幸せなひと時…。

600回めの記事には皆様から沢山メッセージを頂きました、御礼申し上げます。お芝居につきましてのご質問をいくつか頂いておりますので、明日はそちらに回答させて頂きたいと思います。

開幕を告げる音

2007年01月23日 | 芝居
『勧進帳』をはじめとする多くの<松羽目もの>のお芝居、そして『口上』のひと幕は、「片シャギリ」という鳴り物で幕を開けます。太鼓と能管による構成で、単調なリズム展開ですけれども、おごそかな雰囲気や儀式性が感じられ、この鳴り物が聞こえてきますと、(これから始まるぞ)と居住まいを正したくなるような気がいたします。
この鳴り物で幕を開けるさいは、まずチョン、チョンと柝が直されてから演奏がはじまり、ひととおり演奏が終わってから幕を開けはじめるのが通例(幕が開ききったところで止め柝のチョンが入ります)で、普通のお芝居のように、下座唄やお囃子の演奏と、刻まれてゆく柝の音の中で幕が開いてゆくのとはまた違った趣きになりますね。
ですから、公表されている開幕時間より少し早くから、「片シャギリ」の演奏は始まっているのですが、伺いますとだいたい2、3分は、演奏を聞かせるのが普通のようです。
この鳴り物は、中間部分は同じフレーズの繰り返しで、実はいくらでも演奏し続けることが可能です。ですので、演奏が始まってからの、舞台上でのスタッフや出演者の準備の進行具合(不測の事態がおこることもありますしね)や、お客様の着席率の様子によっては、長く演奏して時間に余裕を持たせることもございます。定刻になった、あるいはすべてが準備OKとなったら、柝を打つ狂言作者さんがお囃子部屋に向かって開幕する旨を告げると、囃子方さんはそれまでの同じフレーズの繰り返しから、最終フレーズへと演奏を移すというわけです(長く続いた演奏を終わらせることを、あげる、と申します)。

今月『勧進帳』の後見を勤めさせて頂いておりまして、この「片シャギリ」が聞こえてまいりますと、さあ1時間頑張ろう! と気合いが入ります。そして、この鳴り物で幕を開ける演目にふさわしい、品と落ち着きにも気をつけなくちゃ…とも。
舞台の神様にお参りするような気持ちで、臆病口の裏に控えております。

毎度毎度の…

2007年01月22日 | 芝居
《草加健康センター》にて恒例の新年会がございました。
参加者は昨年より少々減りましたが、それでも約70人。有志によります余興の番数はいつもと同じくらい(多かったかも?)でしたから、なかなか<濃い>宴会とはなりました。
本当は、客席でお酒を飲みつつ演し物拝見、といきたかったのですが、今年は演し物をする方の手伝いにおわれてしまって、ほとんど控え室にいっぱなしという悲しい結果に。当然飲み食いもできなかった…。
全てのプログラムが終了し、お開きとなった午前零時過ぎから、本日の夕食となった次第(草加行きの電車に乗る前に、マクドナルドに寄って軽く食べておいて本当に良かった!)です。
どっと疲れてしまいましたけれど、お手伝いした演し物が、無事つつがなく演じられただけでも良かったと思わなくてはいけませんね。

今回はなかなか面白い演し物が揃ったようで、昨日のもようを録画したビデオを、今日楽屋で上映したのですが、見ますると(ああ、コレ生で見たかった!)と思うようなものばかりでした。同期も何人か出ましたし、常連の先輩方の至芸もあまた。あくまで一晩限りの座興ですので、詳細を述べることはかないませんが、みなさん色んな<引き出し>を持っていらっしゃるものだとつくづく敬服いたしました。

今年の1月は色々集まりがございましたが、これで本当に終わり! 来るべき『忠臣蔵』にむけて、緩みかけの(緩みきったかもしれない)餅腹心を、もののふ心に改めましょう!

職人技?の着付け

2007年01月21日 | 芝居
約束通り『金閣寺』からお話を。
先日このお芝居での立廻りのことはご説明させて頂きましたが、そのおりに触れました捕り手の拵え。織物の着付に、やはり織物の袴を<股立ち>にいたしますが、この<股立ち>という袴の着方、提灯ブルマをどうかしたような見た目ですし、着る人の足がニョキっと露出されるのがあられもなく、実に独特な格好でございます。

正式には<高股立ち>と申しまして、厳密に言えば、単に<股立ち>というときは、普通にはいた袴の、紐のすぐ下(帯のあたり)の部分を引き上げて、外側の裾をたくしあげる形のこととなります(『伽羅先代萩・刃傷』の仁木弾正が一例)。高股立ちの場合でも、袴の形状は普通と変わりはないのですが、後に説明いたしますけれども、はしょった裾を挟むときに、抜けにくくするための玉(布製で綿が詰まっている)が数カ所と、股間部分で裾をまとめるための紐が、裏地の部分に取り付けられております。

織物の着付を着る時点から、高股立ち用の着方となります。足が太ももから見えてしまうわけですので、着付を尻の辺りまでたくして着込み、帯を締めます。それから袴となりますが、紐を締めるまでは通常通り。それから、まず外側の裾を内側から捻りだして両脇にはさみ(このとき玉が使われる)、後ろの形を整え、残りの裾を一気に前に持ってゆきます。股の部分を、先ほど申しました紐で縛ってまとめてから、写真のように、正面部分にヒダをとってゆくわけです。もとからの仕立てのヒダをいかしながら、ゆるやかにカーブしてゆくように折り込んでゆき、余りをどんどん外へと持ってゆく。最後に残った余りの部分はやはり捻って挟み込む…。
文章でかけば簡単ですが、着付けを担当して下さる衣裳方さんにとっては大変な作業です。着せてもらっている役者のほうは、介添え程度のことしかいたしません(というか本人ではできない作業ばかりなんです)。衣裳方さんが、左右の幅や形のバランスをみながら、綺麗にヒダをとって下さるのです。今回のように織物の衣裳ですと、かたかったりごわついたりしてまとめるのが難しいそうですが、さりとて薄い生地ではすぐ型くずれしてしまうとのこと。どんな場合でも、格好よく仕上げるのには、一筋縄ではいかないようですね。着ている役者のほうも、ある程度着方を心得ていないと、あとで動きにくい形になったり、あるいはグズグズになってエラいことになってしまったりもするので、気を遣います。
普通の着付けなら、5分もかからずすむのですが、股立ちですと10数分はかかりますでしょうか。見た目本位の、いわゆる<形もの>の拵えですので、出番の直前まで、型くずれには気をつけます。

意味合いとしましては、袴姿で動き回るときに、袴を着付ごとたくし上げた着方(浮世絵にしばしば見られますね)を美化、発展させたものなのですが、そんなことを忘れてしまうくらい、非現実化された扮装にも見えますね。
その証拠に、鑑賞教室とか地方巡業の舞台に、この格好で登場しますと、学生さんや地元の方々が「何アレ」という感じでザワザワするんです。大の男が足むき出してブルマばき? ということでしょうか。出ているこっちも恥ずかしくなる始末で…。
しかしながら、『金閣寺』はもとより、『本朝廿四孝・奥庭』、『だんまり』など、立廻りのカラミのコスチュームの定番でもございます。この格好、カッコいい! と思って頂けますよう、心よりお願い申し上げます

寒い一日でしたね

2007年01月20日 | 芝居
虫喰い穴のような更新で失礼いたしております。
昨晩は〈同期会〉で銀座で痛飲(結局、また…)、本日は実家に帰っております。
公演はあと一週間。正座の行もあと少しです。明日は『金閣寺』からお話をさせて頂きたいと思いますので、今しばらくご容赦を。
雪も降り出す寒さです。皆様ご自愛のほどを…。

『三大名作』のうちの…

2007年01月18日 | 芝居
すでにチラシやポスターでご存知のお方もいらっしゃいますでしょうが、歌舞伎座2、3月公演は、『仮名手本忠臣蔵』と『義経千本桜』の通し狂言でございます。
数多くある義太夫狂言のなかでも、このふたつと『菅原伝授手習鑑』をあわせた3作品は<3大名作>とか<3大丸本歌舞伎>ともよばれておりまして、各演目の各幕それぞれが見どころ多く、大変充実した構成になっております。みっつとも幕場が多い狂言ですから、どこかひと幕を抜き出しての<みどり>方式の上演もままございますが、1日の上演で、ある程度ストーリーが首尾一貫できる場割りでの<通し狂言>も可能なため、折に触れて、お客様にどっぷり義太夫狂言をお楽しみ頂く興行もございまして、この度はふた月連続での上演となりました。

師匠も両月出演いたしまして、2月『忠臣蔵』では石堂右馬之丞・「道行旅路の花婿」の早野勘平・斧定九郎の3役、3月『千本桜』では、「鳥居前」「渡海屋・大物浦」「河連法眼館・同 奥庭」の3幕で、源義経を通し役でお勤めになります。
私自身は過去三作ともに<通し狂言>に出演させていただきましたが、これまでとは師匠が演じるお役も変われば、自分が携わる幕場も変わると思います(私のお役は未定)。名作と言われるだけあって、お役のそれぞれに、色々としきたりがあったり、先人がご工夫なさってきたやり方がございますので、ひとつひとつ勉強してゆければと思います。

どうぞ早春の歌舞伎座で、こころゆくまで古典歌舞伎をお楽しみ下さいますよう!

えもいわれぬ香り

2007年01月17日 | 芝居
2日間のご無沙汰でした。
初日以来、飲み会や宴席などで外食が続きまして、少々肝臓が疲れ(たように感じる)気味。朝も早いので、なるべく夜更かしはしたくないものの、楽しく喋っているうちに、日付が変わるということもしばしばでした。いけないいけない! しばらくは身体をやすめないと…。

さて今日は、私は出演しておりませんが『俊寛』からお話を。
絶海の孤島<鬼界ヶ島>に流された俊寛僧都が住む、朽ち木で作った庵。屋根には板きれと昆布を渡してあるという有様ですが、この昆布、本物の昆布を使っているのはお気づきでしたか?
乾物屋で売られているような長さのある昆布を、水で戻してから使用するんですが、調達から舞台でのセッティングまでは小道具方の担当(屋根への置き方は、見た目のバランスもあるので役者も関わります)。同じものを数日は使うことができるので、終わるたびに回収し、吊るすなどして保管します。

公演中、毎回、あるいは数回に一度といったペースで消費されるものを<消えもの>と申しておりまして、おもに劇中で役者が口にする食べ物のことをさすことが多いのですが、この昆布も<消えもの>に入るそうです。<消えもの>は、たいていの場合小道具方が準備することになっておりますが、かかる費用は劇場(製作サイド)が負担するというのが通例と伺っております。もちろん、公演、演目によっては様々な場合があるでしょう。
ちなみに歌舞伎座での昆布の調達先は、やっぱり築地だそうですよ。

さてこの昆布、当然ながら<磯の香り>を漂わせております。客席にまで届くほどではないと思うので、芝居の雰囲気を醸し出しているとまでは申せませんでしょうが、出演者一同は必ずこの香りを嗅いでいるわけです。日がたつほどに増すもので、とくに夏場の上演時などは…。この庵のすぐそばで座ることになる多くの船頭役の方たちは、実に“臨場感”あふれる体験をしているわけでございます。
なお、演者のご意向や興行形態の条件などでは、本物を使わず、布製などになることもございますので、お断り申し上げます
                    ☆

さて、今回で600回目の更新となりました。ここまで続けられましたのも、ご覧下さる皆様のおかげです。あらためて御礼申し上げます。次は1000回まで続けられることを目指して、あせらずに、奇をてらわずにやってまいります。新年早々にも申し上げましたが、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

茶事でもないのに、袱紗

2007年01月14日 | 芝居
写真は紫縮緬の袱紗でございます。
おもに舞踊の演目で、舞台上に小道具や後見の仕事で必要な小物類などを置いておくときに、これを上からかけて目隠しといたします。
歌舞伎では黒が<無>をあらわしますので、黒の<消し布>を使ってもよさそうなものですが、様式性の高い演目ですと、黒では少々そぐわないこともあり、さりとて赤の消し布では大仰な…というときに、この色が使われます。松羽目ものの演目では、たびたび見ることができると思いますが、それ以外でも、時と場合によりまして、まま使われるものでございます。
『勧進帳』では、四天王が使う<箱合引>や、中盤で登場する布施物などが、この袱紗に覆われて、開幕時にはすでに長唄お囃子連中のいる雛壇の上手、下手に置かれています。また今月では、『松竹梅』の<松の巻>でも、師匠がいったん脱いだ沓を、後半再び履くときまで、この袱紗で隠しています。舞台に沓がむき出しで、ぽつねんと置いてあるのも不自然でございますので、使うことにいたしました。
袱紗は小道具方の管轄で、サイズも色々ありますので、隠すものの大きさにあわせて選びます。

また、やはり松羽目ものを中心とした舞踊演目では、大きなものや複数のものを同時に運ぶために、黒の塗り盆を使うこともあります。このときも、載せたものはたいてい袱紗で隠すことになります。

いずれにしましても、いかに目立たず、綺麗事で仕事をするかという心配りが、こうした形になっているわけですね。