梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

中の春稽古場便り・下

2009年01月31日 | 芝居
『勧進帳』の<初日通り舞台稽古>でした。
2回目となる義経の後見。前回に比べてだいぶ落ち着いて勤めることができました。個々の仕事も、ドギマギすることもなく…。
その分、前回と変わった段取りをしっかり確認しながら勤めました。四天王の皆様の合引のかけ外し、後見が通る動線など。明日からはさらに洗練した動きになるよう、イメージトレーニングを重ねておきます。

『蘭平物狂』も<初日通り舞台稽古>でした。
客席にまわって拝見させて頂きました。総勢30名の花四天が繰り広げる大立ち回り。改めて、この演目における立廻りのウェイトの重さを感じました。メンバーが揃わないと上演できないわけですし、様々な技を見せるだけに、ともすれば怪我やアクシデントも起こりかねないハードな内容です。そういう緊張感のある場面にお出になる方々の気迫と申しましょうか、一瞬一瞬にかけるエネルギーの凄まじさを、まじまじと身に受けて、拝見しているだけなのに、自ずと力が入ってしまいました。
どうか、どうかひと月ご無事で終えられますように…!

その後、<劇団 偉人舞台>の鹿島良太さんと、本年最初の飲み会。いろいろお話しいたしました(私ばっかり喋っていたかも)。4月に劇団の公演があるそうですので、拝見できればと思っております。また詳細わかりましたら、ご紹介させて頂きますね。
三原橋の上の<傅八>だったんですけど、鰯と牛タンが売りだそうですが、つみれ鍋はなかなか美味しかったですよ。

オマケ

2009年01月31日 | 芝居
昨晩、NHK教育の<芸術劇場>は、昨年11月の『嫗山姥』でしたね。
あのときのことを色々と思い出しながら拝見いたしましたが、最後、切腹して果てた師匠演じる坂田の時行が<消し幕>で隠される様がアップで映されていたのに、びっくりしちゃいました。

テレビ画面で見ると、実に奇異なる光景ですナ…。

中の春稽古場便り・中

2009年01月30日 | 芝居
昼過ぎから『勧進帳』の<総ざらい>でした。
後見の段取りを、今一度確認しながら臨みました。

このところ、年に1回は携わっている感じの『勧進帳』ですが、何度拝見しましても、名曲、名作であることに感服せずにはいられません。作品の重みをひしと感じながらの後見は、先月の『三番叟』や『鏡獅子』と同じかもしれませんが、今月は押しつぶされずに勤めおおせることができるかしら…。

…当月の名題下部屋は60余名の大所帯です。
『蘭平物狂』もありますので、立役さんが大勢。名題下の女形が出演いたしますのは、この演目の<腰元>役で4人だけ。
先月は全くのゼロでしたし、こういうこともあるのが、面白いというか不思議というか…。かくいう私も、今年に入ってまだ女形のお役に出会えておりません。少し寂しい気もいたしマス。

中の春稽古場便り・上

2009年01月29日 | 芝居
1200回目の更新は、2月歌舞伎座公演の稽古場便りのはじまりです。

昼過ぎからの『勧進帳』の前に、師匠の楽屋作り。
その最中に舞台上で執り行われておりましたのが、『蘭平物狂』の立廻りの<安全祈願修祓式>。
本舞台に、立廻りが行われる<奥庭の場>の大道具を本番通りに組み、立廻りで使う小道具(カラミの持つ得物)なども並べて、蘭平をお勤めになる大和屋(三津五郎)さん、そして30人の花四天役の皆様が、ひと月の無事を祈ってお祓いをなさいました。
歌舞伎で一番大掛かりな立廻り。危険度の高い様々な技が繰り広げられます。直接関係していない私が申し上げるのもおこがましゅうはございますが、どうか何事もなく勤めおおせて頂きたく、皆様の安全を願っております。

さて、今月の私の仕事『勧進帳』、一昨年5月以来の師匠の義経。その後見も2度目です。
富樫のように沢山仕事があるわけではないので、いくぶん気持ちは楽なんですが、笠や笈の扱いを、前回以上に丁寧に、綺麗にできるよう、努力したいと思います。
前回は成田屋(團十郎)さんの弁慶でしたが、このたびは播磨屋(吉右衛門)さん5年ぶりの弁慶です。シンが変われば後見の段取りもまた変わるというもので、もう一度、勉強し直すつもりで臨みます。

その後<顔寄せ>を行って、これで私の仕事は終わり。
久しぶりにリフレクソロジーを受けてきました。
90分、手のひらと足裏モミモミ…。
気持ちよかったデス。


心身ともに休ませて頂きました

2009年01月28日 | 芝居
歌舞伎座<二月大歌舞伎>のお稽古は、早速本日から始まっておりますが、私が携わる唯一の演目『勧進帳』は、今日お稽古がなかったので、お休みとなりました。

昼過ぎまでゆっくり寝て、テレビを見ながらボーッと過ごし日が暮れる…。
いいですねえ、無駄な時間って…。
夜は家内と近所の炉端焼き屋さんで食事。初めて入るお店でしたが、年季が入ったとってもいい雰囲気。また伺いたいと思うのですが、最近、例の新タワー建設にともなう駅前再開発のためでしょうか、周りのお店がどんどん閉店、取り壊されているのです。
どうか、この炉端焼き屋さんと、もう一軒の焼肉屋さんは、ずーっと残って欲しいなあ…。

そういえば、新しい歌舞伎座の完成予想図、施設概要が発表されましたね。
29階建てのガラス張りのビル、ですか。ふ~む。
地下鉄東銀座駅と直結するのは嬉しいナ。
肝心の舞台、楽屋、稽古場…。

まだまだ未知の世界、ですね。


初春興行、無事に…。

2009年01月27日 | 芝居
本日、歌舞伎座《寿 初春大歌舞伎》の千穐楽でございました。
ふたつの後見、無事に勤め上げることができました。心より御礼申し上げます。

師匠の後見は、未熟ながらもこれまで度々してきたことでございます。が、『鏡獅子』での、千之助さんの胡蝶の後見。違うお家のお子様の後見は、初めてのことでもあり、責任の大きさに打ち負かされそうで、大変緊張いたしました。
お陰様で、大きな事故もなく(鈴太鼓が途中で壊れてしまった日が、ひと月で一番衝撃的でしたが…)済みまして、有難く思っております。堂々と、元気に踊り抜いた千之助さんのエネルギーに、むしろ私の方が引っぱってもらったような気もいたしております。

中村屋(勘三郎)さんの『鏡獅子』に、初めて携わらせて頂けたことは、色々な面で勉強になりました。この曲の持つ、おかしがたい崇高さをひしと身に感じ、そんなひと幕のなかで、自分がどういう後見であらねばならないのか。今回は満足できる結果を残せませんでしたが、これからの舞台で、この度の経験を必ず活かしたいと切に思います。

千穐楽の本日は、終盤の獅子の毛振りを、合方2杯分たっぷりとお見せになりました。
昨日までと同様に、三味線とお囃子による1杯目が終わりますと、ふっとお囃子ご連中が演奏の手をとめます。
2杯目は三味線だけではじまるのです。今までのボリュームと賑やかな趣きが一変し、糸の音だけが粛々と鳴り響くことになりまして、舞台の雰囲気が一段と“締まる”ように思えるのです。
…どのくらいこの三味線だけの時間がつづくのでしょう。やがて、2杯目が後半に入るところで再びお囃子が加わります。鼓や太鼓、お笛からの<気>が舞台に満ちてゆくのが肌で感じられます。間合いも早まり、グングンとボルテージが高まってゆく。お客様も興奮しているのが、ハッキリとわかるジワの波紋。
獅子が毛を振り続ける長い長い時間、ひたすら跳び続ける胡蝶のお二人…。

本当に、凄い世界でした。

新年早々、『三番叟』といい『鏡獅子』といい、勤める上での<気持ち>がいつも以上に大事な後見を勉強できましたこと、感謝いたします。
そして、そのどちらもが、つつがなく終わることができたことを、心の底から喜びたいです。
ああ、疲れた。
本当に疲れましたけれど、この疲れを経験できたことが、今はとっても嬉しいのです。

有り難うございました。



そろそろ咲くか梅の花

2009年01月25日 | 芝居
今日は<初天神>でしたね。
さすがに「団子買ってくれ」と駄々をこねる子供は今ドキいないのでしょうが、あちこちの天神様では、ちょうど日曜日のご縁日、さぞ賑わったことでしょう。実家にいた頃は、鎌倉の荏柄天神社によくお参りに行きました。

天神様、菅原道真公は、歌舞伎にもご縁の深い神様。皆様ご存知の名作『菅原伝授手習鑑』から、「加茂堤」と「賀の祝」が、来月の歌舞伎座如月興行昼の部で上演されますので、どうぞよろしくお願いいたします。干支の牛サン(天神様のお使い)も登場いたしますヨ。
また、学問と筆法の神様ということで、歌舞伎座では、狂言作者の皆さんが過ごす<作者部屋>に、天神様を祀る神棚がございます。これは江戸時代からの風習だそう。

なんでも、本日を<左遷の日>ということもあるそうで、これは道真公が太宰府へ左遷されたことからなのだそうですが、どうにもイヤな記念日ですね~。
あやかるのは、知恵と書の技だけにいたしましょうね。


指先が大事

2009年01月23日 | 芝居
『祝初春式三番叟』の中盤に、三番叟と2人の千歳による“手踊り”がございます。
「花が咲き候(そろ) 黄金の花が…」の歌詞は、『舌出し三番叟』からとっておりますが、翁が登場している間の儀式性、荘重さから変わり、ややくだけた、明るく楽しい雰囲気の曲調は、御覧になる方の気持ちをホッと和ませるものと思います。

さて、三番叟も千歳も、<大口(おおくち)>という袴をはき、上は<素襖(すおう)>という着付です。素襖の袖は、様式的にずいぶん大きく、幅広く作られておりまして、普通にしていると両の手先までスッポリと覆われてしまいます。
この扮装で“手踊り”を見せるためには、手先のあがきをよくしなければなりませず、素襖の袖をたくすことをいたします。
千歳は、錦の細帯(お能の鬘帯のような形態)を使ってたくします(ちょっと見たところでは襷をしたように見えるかもしれません)が、三番叟は、素襖の肩の部分と、袖の裄丈の中ほどのところにそれぞれ仕込まれている紐を結び、袖口を肩側に吊り上げる感じで、たくし上げております。

“手踊り”の直前、三味線の合方が演奏されている間、それぞれの後見がいろいろと働いておりますのは、この<袖をたくす>作業をしているのでした。
合方の寸法におさまるように仕上げなくてはならないので、手際が大事。
たくしてからも、重なり合う部分を綺麗にまとめないと、ゴワついてしまって見た目が悪くなってしまいますし…。
初日近辺はドキドキでした。今はようやく、落ち着いて。
三番叟ものの舞踊で、このように袖をたくすのは、珍しいことなんですが、大変勉強になっております。

烏帽子の紐のみならず、素襖の紐も。
やっぱり<結ぶ>ことの難しさを味わう三番叟の後見なのでした。


次の準備もはじめませんと

2009年01月20日 | 芝居
初春興行もあと1週間となりました。
『三番叟』と『鏡獅子』、独特の<厳粛さ><緊張感>を持つ二つの舞踊の後見、なんとか無事に乗り切りたい!

来月は歌舞伎座《2月大歌舞伎》。今日、稽古割りが届きました。
私のお役はと申しますと…。
『勧進帳』、師匠演じる源義経の<裃後見>を勤めさせて頂きます。
おォ、2009年のはじまりは、後見づいておりますネ。
有難いことでございます。

以上、短文にてご報告でした。



何役勤めたことになるんでしょうか

2009年01月19日 | 芝居
これまであんまり考えたこともなかったのですが、師匠のもとに正式に入門したのが平成11年1月の歌舞伎座公演でしたから、本年で<中村梅之>になってまる10年ということになるのですな。
思い返すと、ホントあっという間…。

色々なお役と舞台に出会い、楽しいことも辛いことも沢山経験いたしましたが、これまで本当に恵まれた日々を過ごさせて頂いたなァと、心から思っております。
…過去を振り返るよりも、これからどう生きてゆくかが肝心なのは百も承知で、大好きな歌舞伎の世界で“まずは”10年間生きてこられた幸せを噛み締めなければなりませんね。
私をとりまく全ての方々に心よりの感謝を!

これからの10年はどんなものになるのかな~。
楽しみでもあり、不安でもありますが、
「とにかく沢山の経験を積む」! 
まずはそこから、でしょうか。



どれもおめでたい品でして

2009年01月18日 | 芝居
『寿曽我対面』で、花道から登場する五郎十郎兄弟が手にしているのは<島台>と申しまして、州浜型の台の上に縁起のいい景物を乗せた、祝いの場の飾り物ですが、今回の上演では、乗せる飾りは<宝尽くし>となっております。
五郎が、“小槌”、“宝鑰(ほうやく)”、“筒守(宝巻)”、“丁字”。
十郎は、“金烏帽子”。

小槌は“打ち出の小槌”なんて話もあるように、願いが叶うアイテム。宝鑰は鍵のことで、財産がたまるように。ありがたいお経を書いた巻物が宝巻で、それを筒に納めたものが筒守だそうで。丁字は香辛料のクローブのことで、香りも良く、また薬効もあり、平安時代に我が国に渡来してからは大変貴重なものとして尊ばれました(昔、薬師寺で写経をさせていただきましたとき、心身を清めるためということで、この丁字を口中に含みながら行いました)。
烏帽子は高い身分の象徴ということで、出世するようにとの願いをこめて。

いずれも、お芝居の小道具らしく、彩りも派手に作られております。

…さて、さきほど<今回の上演では>とお断りさせて頂きましたのは、ご存知のお方もおいでかとは存じますが、主演なさる方によりまして、この飾り物がガラリと変わることがあるからでございます。
と申しますのも、古来、江戸三座で『対面』を上演する際には、それぞれ独自の飾り物だったそうで、先ほどご紹介しました当月の<宝尽くし>は市村座のものなのだそうす。
森田座は<松竹梅>で、五郎十郎ともに、松の枝を中央に据え、根元に竹の葉、左右に紅白の梅の花を挿したものを持ちます。
中村座は<大工道具>で、墨壷と差し金なのだそうです。

森田座式のものは、昨年2月の歌舞伎座での上演時に、大和屋(三津五郎)さんの五郎、成駒屋(橋之助)さんの十郎のおりに使用されましたね。昔、成駒屋(翫雀さん、扇雀さん)ご兄弟が南座でお勤めになった時もこれでした。
中村座式は拝見したことがございません。というか、相当久しい間使用されていないと思うのですが。どんな形なのかな?

江戸三座というものがすでに存在しない以上、厳密な古式というものはないといえるのかもしれませんが、主演なさる方の家系と申しましょうか、伝えられる芸の流れに基づいて選択されていることが多いようですね。
…それにしても、市村座式、どうして五郎ばっかりてんこ盛りなのカナ。


もうひと踏ん張りです

2009年01月15日 | 芝居
今日は<中日>でした。
あと半分、無事に乗り切りたいものですが、楽屋内では風邪が流行りだしてきました。
私も気をつけないと…。
皆様も、くれぐれもご自愛下さいませ。

…『かぶき手帖』2009年版が発行されました。
303名の歌舞伎俳優のプロフィールが記載され、演奏家・スタッフ名鑑、劇場案内、そして巻頭特集『歌舞伎の人類学』など、読み応え十分のガイドブックです。
歌舞伎を上演する各劇場、全国書店で販売しておりますので(詳しくはこちら)、是非お手元に1冊!

ただ今名題下俳優は122名。11年めの私も、入った順番だけでいえば真ん中より上になってしまいました。もっと精進せねば!!

浄瑠璃ぶれ、ふたたび

2009年01月14日 | 芝居
昨日ご紹介いたしました<浄瑠璃ぶれ>ですが、人形浄瑠璃<文楽>の公演で、段ごとに太夫、三味線の名前を黒衣姿の者が申し述べてから演奏に入る光景を思い起こされた方も多いかと存じます。

こちらのほうが起源的には古いものなのでしょうが、面白いもので、義太夫地の歌舞伎舞踊の『櫓のお七』、あるいは『妹背山道行』を人形振りで上演する時などは、やはり黒衣姿の役者が本行に模して<浄瑠璃ぶれ>を行うことが多うございます。
これもまた、古風な趣きがするものですが、普段は絶対喋ることのない黒衣が、お客様の前で滔々と役人替名を述べるというのも、不思議なものですね(ただし、現行のやり方では、こういう場合の黒衣はたいてい黒繻子の生地で仕立てられた“衣裳”としての黒衣を着用し、普通ならば「目立たぬように」と折り込む頭巾の角をわざと出したりと、常の後見としての黒衣とは別物だということを表現してもおりますが)。

さて、私もこの<浄瑠璃ぶれ>の黒衣を“1度だけ”勤めさせて頂いたことがございます。
平成15年1月松竹座、加賀屋(魁春)さんの襲名披露興行での『二人夕霧』です。
6世歌右衛門の大旦那が復活なすったこのお芝居、後半から義太夫の浄瑠璃出語りとなりますので、いったん登場人物が全員退場したところで、くだんの<浄瑠璃ぶれ>となります。

『東西、このところ御覧に達しますは、景事「嫐競街文章(はでくらべくるわのぶんしょう」二人夕霧の段、語ります太夫◯◯…三味線△△…、役人替名☆☆…。
右の役人残らずまかりいで、相勤めまする。そのため口上左様。東西東西、東西』

3名の太夫、3名の三味線、4人の役名と俳優名。これをソラで言わなくてはならないというもの。
いや~緊張しました~。
無音の舞台にツカツカ出てきて、一人喋りまくって引っ込んで…。
こういう仕事はテレてしまうものなんですよね…。

…実はこの<浄瑠璃ぶれ>をやったのは舞台稽古まで。初日からは、上演時間の関係と、「前半の流れのまま芝居をみせたい」というご意向で、カットになったのです。ですから“1度だけ”というわけ。

それ以降、『二人夕霧』の上演では、<浄瑠璃ぶれ>は行われておりません。
いつか再び、このお役目を勤める日は来るのでしょうか?

朧夜に憎き物は、男女の影法師

2009年01月13日 | 芝居
音羽屋(菊五郎)さん、萬屋(時蔵)さんがお出になっている『十六夜清心』は、河竹黙阿弥の作による世話狂言ですが、第1場は清元節の浄瑠璃とともに進行してゆくというのが面白く、また情緒のある場面でございます。

幕開きの、中間、酒屋、町人の3人によるひとくさりが、とても歌舞伎らしい演出です。
酒代を払わない中間と酒屋の喧嘩を町人がとめる。酒屋が落としたという証文を拾って読んでみると、これが、これから演奏される浄瑠璃『梅柳中宵月(うめやなぎ なかもよいづき)』の“浄瑠璃ぶれ”の口上書きで、3人仲良く読み上げて退場、やがて浄瑠璃のはじまりとなる…。

“浄瑠璃ぶれ”は、義太夫、清元、常磐津などの、語り物の音曲によるひと場面の始まりに先立って、語り手である<太夫>、演奏担当<三味線>の名前、さらには出演俳優の配役までを申し述べるものです。
もともとは、開幕時に一座の<頭取>が勤めていたそうで、古い台帳(台本のこと)を拝読しましても、「ト、頭取出で浄瑠璃の口上ぶれあって…」なんて記述を見ることができます。

つまりは劇が始まる前の演奏者紹介のようなものなんですが、これを頭取ではなく劇中の登場人物にやらせ、芝居仕立てで見せるというのは、幕末からはじまったものなのだそうです。

…町人が連名を読み上げるのに合わせ、さっきまで争っていた中間と酒屋が、仲良く「東西、東西~」と声を張り上げるのがなんともおおらか、洒落っ気に富んでいますね。

浄瑠璃ぶれにつきましては、次回もお話しさせて頂きたく存じます。




何かの暗号とかいうわけではないようですが

2009年01月12日 | 芝居
当月の『祝初春式三番叟』は、いくつかの“三番叟もの”の曲を今回の上演用に構成しなおした作品ですが、天王寺屋(富十郎)さん演じる<翁>が登場する前半は、ほぼ長唄の『式三番叟』(正式には『翁千歳三番叟』)に基づいております。

翁といえば、三挺の鼓とともに唱えられるコトバが印象的です。
歌舞伎では、長唄との掛け合いになります(三味線は入らない)が、今月の上演に拠って以下に書いてみます。

翁 『とうとうたらりたらりら たらりあがりららりとう』
長唄『ちりやたらりたらりら たらりあがりららりとう』
翁 『鶴と亀との齢にて』
長唄『幸い心にまかせたり』
翁 『とうとうたらりたらりら たらりあがりららりとう』
長唄『ちりやたらりたらりら たらりあがりららりとう』

…はてさて、どういう意味なのでしょう?

どうも、正確には判明していない、というのが正直なところのようです。
「笛や鼓の楽譜を音にしたものである」
とか、
「猿楽の唱歌である」
「チベット仏教の呪文である」
とかがよく解説書に見られる解釈ですが、
「古代ポリネシア語で太陽を讃える意味である」
という説まであるとかや。

なににもせよ、新たな世、命のはじまりを<清め><寿ぎ><祝う>意味であろうというのが、最大公約数的な理解の仕方でございましょう…。

舞台上での、天王寺屋さんの朗々たるこの<神歌(かみうた)>を、私は下手の<お幕>の蔭で控えながら拝聴しておりますが、なんとも気持ちの引き締まる思いです。
やはり、言霊というものはあるのだと思います。