梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之京都日記・4『初日です!』

2005年11月30日 | 芝居
今日からサブタイトルを入れてみます。写真は我々名題下俳優が過ごしている楽屋です。

さあ、今月二回目の<初日>が開きました。京都の顔見世は午前十時半開演。歌舞伎座より三十分早いです。今回は序幕には関係しておりませんが、昨年は師匠が序幕に『箱根霊験誓仇討』を出しました。そのため師匠の楽屋入りが九時半、我々弟子は八時半過ぎには入っていなくてはならず、いくら通勤がない地方公演とはいえ、いつもよりも相当早い出勤につらい思いをいたしましたのを思い出します。
私の最初の出番『五斗三番叟』、十分なストレッチをして臨みました。昨日の<舞台稽古>でだいたいの感覚はつかめましたので、それほど慌てることなく、落ち着いてできましたが、全体のまとまりはもとより、私個人の動き、間、イキなども、まだまだ改善の余地があります。録画したモニターを見ながら、反省することしきり。もっとキッチリとした、メリハリのある動きを見せることができるよう、努力したいです。
続く『京人形』は、その前の『文屋』とつなげて上演されます。『文屋』の幕がしまったら、休憩をいれず、鳴り物さんが下座でつなぎの合方を演奏し、その間に道具転換。道具ができ次第幕をあけるという段取りです。今日は立ち回り部分だけ、カラミだけで舞台裏で合わせることになっており、早めに舞台裏にゆきましたので、『文屋』から『京人形』への道具転換をつぶさにみることができましたが、それはそれは忙しい、いや、忙しいなんていう言葉が生易しいくらいの、戦場、といっていいくらいの有様でした。実は昨日までの<舞台稽古>では、この二演目を続けていたしませんでしたから、今日がぶっつけ本番の道具転換なのです。お客様の興をそがないよう、なるべく短い時間で仕上げるため、大勢の大道具さん、あらかじめ舞台上に置いてある<出道具>を設置する小道具さん、照明さんをはじめとするスタッフの方々が、一生懸命働いていらっしゃる様子を見て、つくづく裏方さんのご苦労、そしてそのおかげで我々が舞台に出ることができるということの有り難さを感じました。
『京人形』での立ち回りも、昨日よりもだいぶ落ち着いてできました。立師の方が、『(細かいことはともかく)威勢良くやってくれ』とおっしゃったのですが、確かにこの立ち回りは元気にやらねば意味がありません。江戸前のシャレた立ち回りになるよう、この機会をいかして勉強させて頂きます!

…自分のことはさておきまして、今日は初日ということもあり、上演時間が予定よりもだいぶ遅れました。昼の部の最終幕『曾根崎心中』が十五分押しで終演。それにともない夜の部の開演が午後四時四十五分から午後五時に急遽変更。それから多少時間は詰まったものの、もともと午後九時五十分に終演予定の『三人形』は、いったい何時に終演したのでしょう? 先に帰ってしまいましたので、明日聞いてみることにいたしましょう。それにしても、盛りだくさんの狂言立てですので、東京では考えられない上演時間ですね。

明日からも気を緩めることなく、少しずつでも前進してゆけますように!

梅之京都日記・3

2005年11月29日 | 芝居
本日は午前十一時から、六演目の<舞台稽古>。最後の『引窓』が終わりましたのは午後九時過ぎ。やはり演目ごとの大道具の建て替え、芝居を始める前の<居所合わせ>などがありますので、時間はかかってしまいます。
私は『五斗三番叟』と『京人形』。どちらも立ち回りの出演です。『五斗三番叟』では、花四天よりも重い“奴”の衣裳、そして頭に編み笠をかぶった上での演技となるのですが、この編み笠がなかなか曲者で、顔を隠すようにかぶるわけですから、視界は遮られますし、首から上の感覚(重さ)が変わってきますので、なんともイヤなものです。今回はこの格好でトンボを返ることになりまして、奴の衣裳でトンボを返るのは久しぶりということもあり、始まる前は大変不安だったのですが、なんとか今日の稽古では無事に勤まりました。しかしながら、ここ南座の舞台は歌舞伎座に比べて小さく、とりわけ奥行きがございませんで、いざトンボを返るときになって、すぐ目の前が所作舞台の切れ目、(狭いよ~)と心の中で悲鳴を上げてしまいました。さらにいえば、踊りの足さばきをよくするための所作舞台に、足袋はだしで出ておりますので、ツルツルツルツル滑ってしまうのです。踏ん張りをきかせたいところ、ピタッと止まりたいところも、ともすれば浮ついてしまいます。濡れ雑巾で少し足袋を湿らせて滑りにくくいたしますが、まず<腰を入れる>ということを気をつけて、地に足の着いた動きをしてゆきたいものです!
次の『京人形』こちらも所作舞台に足袋という組み合わせ。やはり出の前はみんなで足袋を湿らします。『五斗三番叟』が形をきっちり見せる<時代の立ち回り>なら、こちらはきびきびと軽快な動きを見せる<世話の立ち回り>。気持ちも切り替えて臨みます。昨日も申し上げましたが、常磐津節に合わせながらもあくまで「戦っている」ように見せなくてはならないところが難しいところです。ただでさえ昨日の<附総>一回しか稽古をしないでむかえた今日の舞台ですから、うまくできるか心配でしたが、仲間同士で何度もおさらいをいたしましたので、それほど慌てることなくできたのは有り難いことでした。

どちらの演目でも、立師さんからのダメ出しはもちろんのこと、舞台を映した楽屋のテレビモニターの映像を録画しておき、後から皆で見て反省したりいたしました。もう明日は初日なのです! お客様にきちんとしたものをお見せできるように、我々一同チームワークで頑張りますので、応援よろしくお願いいたします!

梅之京都日記・2

2005年11月28日 | 芝居
本日、私は『五斗三番叟』の<総ざらい>と、『京人形』の<附総>、師匠は『五斗三番叟』と『本朝二十四孝』の<総ざらい>、『口上』の<舞台稽古>、『引窓』の<附総>でした。
『京人形』でも立ち回りに出演します。音羽屋(菊五郎)さんの左甚五郎と、大工(に化けた捕り手)が、大工道具を使ってみせる面白い立ち回りです。平成十三年十月、名古屋の御園座で、やはり音羽屋さんの時に出させて頂いて以来です。こちらは常磐津節の曲に合わせての<所作ダテ>で、お三味線をよく聞かないと勤まりません。といって動きが踊りになってはいけませんで、あくまで“芝居”で動いてゆくことが肝心です。そのあたりの兼ね合いが難しいですね。始まる前に立ち回り部分だけ<抜き稽古>をしてから臨みましたが、ちょっと今日は焦り気味になってしまいました。反省です。

今日はお稽古が八時に終わりまして、それから高台寺の夜間特別拝観に行ってきました。南座からは歩いても十五分くらいです。大勢の人出でしたが、素晴らしい景色を観ることができました。境内に大きな池があるのですが、この池を取り囲むように紅葉が植えられておりまして、この紅葉がライトアップされ、池の水面にそれは美しく映っているのです。水面はまるで鏡のように地上の景色を反転させており、なんだか地底へと続く無限の空間のように見えるんです。幻想的、神秘的な光景にしばしみとれてしまいました。
いつのまにか時間が経ってしまい、晩ご飯を食べようとお店を探しても、遅い時間なのでなかなか見つからず(自炊は初日が開いてからにしようと思っておりますので)、コンビニ飯を覚悟したところで偶然見つけた『LA MASA』。おいしいスペイン料理を味わうことができました。松葉ガニサラダも、海鮮パエリアも、和牛グリルも、みんな素材が新鮮。お店の雰囲気も親しみやすく、また行こうかなと思っております。

さあ明日は<舞台稽古>です。立ち回り、トンボ、どれもうまく行きますように!

梅之京都日記・1 

2005年11月27日 | 芝居
いよいよ京都へやってまいりました。久々の早起きゆえ、新幹線でも眠りっぱなし。京都駅からは地下鉄を乗り継いで四条河原町へ。駅の階段を上ると、懐かしい鴨川の流れ、そして南座の姿がとびこんできました。
南座は今回で三回目。勝手は知ったものですが、こちらの劇場は楽屋が入り組んでおりまして、舞台と楽屋、あるいは自分の楽屋と師匠の楽屋との行き来が大変です。そして『顔見世』とあって出演者の数も多く、廊下は芝居の荷物がひしめき合い、行き交う人たちも、お互いよけたりよけられたり。今日はどこのご一門も楽屋作りの日ですから、ただでさえ狭いところを皆バタバタとせわしなく、いかにも師走の楽屋っぽい光景です。
さて今日はお昼から『五斗三番叟』の<雀踊り>の立ち回りの抜き稽古がありました。このお芝居には二つの立ち回りがあります。幕開きすぐに始まる、編み笠をかぶった奴と、音羽屋(松緑)さん扮する亀井六郎が<雀踊り>の立ち回りと、後半で播磨屋(吉右衛門)さん扮する五斗兵衛と、おかしな顔とおどけた動きの<竹田奴(たけだやっこ)>との立ち回りの二つです。
今回私は、五年ぶりに<雀踊り>の奴に出させて頂くことになりました。「ありゃせ、よいせ、よいせ、よいせ、ありゃりゃんりゃんりゃんりゃんりゃん、やっとな、よーいよい」という独特のかけ声(囃し声ともいえるでしょう)を大声で言いながら立ち回りをするという、ちょっと珍しいものです。私がどんなことをいたしているかは、また後日お話しいたしましょう(ちょっと大変なんです)。
今日はこの抜き稽古に引き続いての『五斗三番叟』の<附立>と、師匠が出演いたします『本町廿四孝』の<附立>だけで私の仕事は終わり。四時半過ぎには自由となりましたが、のんびりはできません。今日からひと月生活するマンスリーマンションの鍵を引き取りに四条大宮の不動産屋を訪ね、それから三条のマンションへ道に迷いながら移動。やっとこさ到着したのは五時半。荷物はこれから届くので、とにかく気がかりなエアーエッジの接続を、プロパイダーのサポートセンターに問い合わせながら再挑戦。ところがまたまた難航し、もう駄目かと思いましたが、一時間の電話の末ついに解決策が見つかり、ここに無事接続が完了。ただいまこの文章を書いているというわけでございます。やっと安心できました。

さて今日からの京都生活。無事に、楽しく過ごせるようにしたいものです。美味しいお店、すてきな場所も、ご紹介して参りますね。
写真は南座の正面に掲げられた<招き>と呼ばれる看板です。庵型の札に、幹部俳優さんから名題俳優さんまでの芸名を書き、並べてあるのです。暮れの京都の風物詩となっております。

明日は旅立ち

2005年11月26日 | 芝居
今日は嬉しいことにお休みでした!
ただでさえ、今月三十日には初日が開いてしまうというのに、お稽古もしないでいいのか、と思われるかもしれませんが、歌舞伎座こそ、昨日二十五日に千穐楽となったものの、国立劇場、新橋演舞場での歌舞伎公演は今日が千穐楽。この二つの劇場から、多数の俳優が京都に出演しているので、実際のところ、今日お稽古することは不可能なのです。
久しぶりのお休みでしたが、私事に追われてバタバタしているうちにこの時間です。ホントは心ゆくまで布団に潜っていたかったのですが…。
有楽町のビックカメラで、京都のマンスリーマンションでもネットができるように、エアーエッジの端末を買いました。同時に契約もしたので、早速接続してみたのですが、設定が間違っているのか、どうにもつながりません! もともとパソコンを使っているのが奇跡なくらいの機械オンチでして、「セットアップ」なる不可解極まりない手続きがどうも苦手です。明日京都で再挑戦いたしましょう! もちろん、サポートセンターと電話で話しながら…。

今日の写真は<荷出しを待つ芝居の荷物たち>です。地方公演にゆく荷物は、あらかじめ指定された場所にまとめて置き、専門の運送業の方が目的地へ搬送します。今回の置き場は楽屋口(ときにはトンボ道場<トンボの稽古場>になることもあります)、今晩十時に、トラックに積まれて出発しました。

荷物に続いて、私も明日の八時台の新幹線で、一年ぶりの京都入りです。早起きしなくてはなりません。大丈夫かな…?

無事終わりました

2005年11月25日 | 芝居
本日、『顔見世大歌舞伎』の千穐楽を無事迎えることができました。
初日にはしびれとの戦いで始まった『熊谷陣屋』も、皆と息を合わせることを目標とした『鞍馬山誉若鷹』も、大過なく勤めることができて、ほっとしております。とくに『鞍馬山誉若鷹』では、一つ間違えば怪我にもなりかねない大勢での立ち回り。何度も書いたことでございますが、カラミの全員が、それぞれの役割や立場を心得て、チームワークで作り上げなくてはならないところに、難しさもあり、またやりがいもございました。振り返ってみますと、初日近辺はどうしても動きがバラバラになってしまうところもあり、お互いが相手の出方を窺ってしまうことがままありました。終わってから、録画しておいた舞台モニターをみんなで見て、問題点を見つけ改善策を考えるという作業を続けながら、少しでもまとまりのある立ち回りができるように努力いたしてきたつもりです。今日までの二十五日間でどれだけ進歩できたのか、とても心もとないのですが、ご見物の皆様に判断して頂きたく思います。

総勢十八人の<楓四天>のメンバーの中には、立ち回りはお手のものの先輩もいらっしゃいましたが、私を始め、まだまだ勉強中、場数を踏まねばならない立場の者も多く、先輩方から見ればさぞ歯がゆいところもあったかと思います。大事なのは、私たちがまだまだ未熟だということを自覚し、そのうえで、毎日の舞台上で少しでも成長できるように学んでゆくことだと思います。その気持ちを失い、惰性で勤めてしまうことが、一番恥ずべきことなのだと私は考えます。

…話が硬くなってしまいました。
さて終演後は千穐楽にはつきものの撤収作業です!九時二十分に芝居が終わり、四十五分には師匠がお帰りになり、それからの荷造り。次なる公演地、京都へ送るもの、師匠の自宅へお返しするもの、ごっちゃにならないように気をつけて、段ボールに詰めたり、ボテ(行李)にしまったり。完了は十時半頃でしたでしょうか。仲間と歌舞伎座の近所のラーメン屋『長浜ラーメン やまちゃん』で夕食をとってから帰宅しました。

自宅では自宅で、マンスリーマンションに送る荷物も作らねばならないし、自分の芝居用荷物も整理しなくてはならないし…時間がいくらあっても足りません!

さて三日の記事に掲載した写真に写っている、私の同期ですが、正解は澤潟屋(段四郎)さんのお弟子さんの、市川段一郎さんでした。もうすぐ一歳になるお子さんがいらっしゃる、パパさんですよ。

見えてますか?

2005年11月24日 | 芝居
今日は<SEATTLE'S BEST>から「目の話」です。
私は近眼でして、両目とも視力は0.3です。裸眼ですと、五、六メートル先から来る人の顔もはっきりわかりませんし、交通標識や駅の表示板も読めません。
中学生までは眼鏡をかけておりましたが、研修生になると同時にコンタクトレンズにいたしました。その頃から一日限りのワンデイタイプ。舞台で落っことしても大騒ぎしなくてすみますし、巡業中の忙しい朝晩でも、手入れの必要がないので楽ですし、持ち運びも手軽です。
…時々、うっかりレンズをつけないで家を出てしまったり、予備のレンズを持たないで友人宅に泊まりにいってしまったりして、レンズをしないで舞台にでてしまうことがあるのですが、舞台で演技をする上で、視力が悪いと困ることがあるかと申しますと、私の場合は、まだ程度が軽いほうですから、さしたる問題はございませんが、やはり立ち回りでは、相手との距離感ですとか、自分の居所がはっきり見えないと不安になります。それから<後見>で師匠の用事をするときも、同じように不便なものです(ことに黒衣の後見は顔を紗の黒布で覆っていますからなおさらです)。
逆に遠くが見えないということは客席の様子が判らないというわけで、緊張がやわらぐということもあったりします。皆様が思っていらっしゃる以上に、舞台から客席にいらっしゃる方々のお顔は見えるもので、役によっては皆様の視線でドキドキしてしまうのです(私だけかな?)。
逆にレンズをして困ることといえば、化粧を落とすときにクレンジングで浮かしたお白粉が目に入り、レンズの内側にまできてしまうこと。視界が靄の中のようになり、これは厄介です。洗顔後もしつこく残るときもあり、目薬をさしたり、ときにはレンズを新しいのにつけかえたりします。それからごくたまにですが、化粧中にうっかり外れてしまうことがあるのです。化粧中というのは、両方の手が鬢付け油やドーランなどで汚れていることが多く、できれば触りたくはないものの、しょうがないので拾ってみるともう目に入れたくないくらいの汚れが…。しかしここは我慢で、もとの目に収めるのです。

他の俳優さんでは、重度の近視の方、レンズが体質に合わないのでよく見えないまま舞台に出てらっしゃる方、さまざまいらっしゃいますが、足腰の健康とともに、「目」の健康も気をつけて、生活していかねばなりませんね。とりあえず、寝ながら本を読むのは辞めたいのですが、活字を読まないとなかなか寝付けないもので…。

残念…!

2005年11月23日 | 芝居
今日は合間の自由時間を利用して、前にご紹介しました『北斎展』を観ようと、東京国立博物館まで行ったのですが、あまりの盛況で入場制限されており、待ち時間が一時間とのこと。そうなると、歌舞伎座に戻れるのが『鞍馬山誉若鷹』の出番ぎりぎりになってしまいますので、泣く泣く断念いたしました。祝日で人出も多かったのでしょう。
久しぶりの写真は、夕まぐれの不忍池の枯れ蓮です。

さて…。
この前、浮世絵では歌川国芳が好きなことはお話しさせていただきましたが、他のジャンルの絵画では、日本画では上村松園、福田平八郎、現代絵画では鶴田一郎、金子國義、西洋画では<英国ロマン派>の作品、そしてアール・ヌーボーの旗手アルフォンス・ミュシャがお気に入りです。
どちらかというと、色使いが華やかで、美しい描線の作品に心引かれる傾向があるようです。上村松園さんの作品は、繊細で緊張感漂う輪郭線が作り出す美しい着物のポーズ、たおやかな女性の顔に引き込まれてしまいますし、福田平八郎さんは、男性らしいのびのびとした筆致と、明るく清々しい色使いが面白く、鶴田一郎さんの作品は、かつてCMでもつかわれておりましたけれど、現代の美人画といってもよく、グラフィカルな構図と無機質でいて艶のある美の世界がとても魅力的です。<英国ロマン派>はルネッサンスへの回帰ととらえられておりますが、神話、伝説にテーマを求めた、幻想的で官能的な作品たちには、観ているこちらの想像力を広げさせる力があります。アルフォンス・ミュシャの作品は非常に装飾的、様式的で、追求されつくした<美>があり、ポスター、広告のジャンルで活躍したというのもうなずけます。
金子國義さん、この方の作風はどちらかというと荒めのタッチで硬質な印象ですが、モチーフにはセクシャルで過激なものを選びながらも、表現方法としてはとても禁欲的で、抑制された作風には、ある種のお洒落、オトナの遊び心が感じられます。
そうそう忘れてはいけません、母国から移住した日本で日本画を学び、独特の画風を作り上げ、後に南国、大陸の風俗を鮮やかに描いた、ポール・ジャクレーも、大好きな画家の一人です。

…このごろは展覧会や個展に伺うことも減ってしまっておりますが、まだまだ新たな作家、作品との出会いを求めてゆきたいものです!

『子供歌舞伎教室』がございます

2005年11月22日 | 芝居
明日二十三日午前九時から、『第235回 子供歌舞伎教室』が開催されます。
『子供歌舞伎教室』は、財団法人<都民劇場>の主催、東京都の共催で開かれている催しで、都内在住、あるいは在学の学生さん(十八歳未満)と、その保護者の方を対象に、本公演が始まるの前の歌舞伎座の舞台を使って、解説者による「見どころ」の説明と、一幕もののお芝居、あるいは舞踊をご覧頂き、歌舞伎に親しんでいただこうというものです。昭和二十七年から始まっているそうで、年に数回開催されます。
たいていの場合は、本公演で上演している演目を、配役を変えて上演するのですが、ときには違う演目をだすことも。今回は本公演でも上演している『連獅子』が上演されますが、本公演では高麗屋(幸四郎?染五郎)さん親子が、お勤めになっている<狂言師 後に獅子の精>を、松島屋(愛之助)さん、萬屋(梅枝)さんがお勤めになります。そして、萬屋(信二郎)さんの<浄土の僧遍念>を名題俳優の中村又之助さんが、成駒屋(玉太郎)さんの<法華の僧蓮念>を、やはり名題俳優の松本錦弥さんが勤めます。今回もそうなのですが、お勤めになる俳優さんにとって、<初役>となる場合が多いようですね。
昨日の夜の部『大経師昔暦』終演後に、この舞台稽古がございまして、私も拝見させていただきました。遅くから始まるお稽古は、お出になる方達も、スタッフの方々も大変だと思いますが、逆に明日の本番は午前九時開始! みなさん何時に楽屋入りになるのでしょう…?

かくいう私も、平成十一年二月の『子供歌舞伎教室』で、舞踊「落人」のカラミの花四天で出演させていただきました。当時私は鎌倉に近い実家で生活しておりましたから、朝六時に起きて支度と通勤、八時には楽屋に入った記憶がございます。しかもそのときは、本公演でも上演されていた演目ながら私は出ておらず、『子供歌舞伎教室』のための配役変更で、急遽メンバーに加わったものですから、まだ立ち回りに不慣れだった新人時代ということもあり、メチャクチャ緊張したことを覚えております。

…一回ぽっきりの本番は、演ずる人も、後見も、みなみな大変です!

終演後のお楽しみ?

2005年11月21日 | 芝居
先ほど用事があって新橋演舞場の楽屋にお邪魔しましたら、今日は昼の部一回公演で、終演後に<パーティー>があるとのこと。名古屋での初演、京都での再演を経て、満を持してのこの東京公演がもうすぐ千穐楽ですので、お疲れさま、という意味での催しだそうです。
歌舞伎以外の商業演劇では、公演期間中に、例えば中日ですとか千穐楽、あるいはその近辺にパーティーを開いて、出演者、スタッフ、劇場関係者の皆さんが集まって、お互い労苦をねぎらうという習慣が一般的なようです。食事をし、お酒を酌み交わすだけでなく、余興があったり、賞品が当たるゲームが行われることもあるということを、商業演劇に出演している方から以前伺いました。
では歌舞伎界はどうかと申しますと、そういう催しはほとんど行われません。歌舞伎座を例に考えてみますと、一年十二ヶ月、毎月歌舞伎を興行しているわけですし、その出演者も、いってみればいつも顔を合わせているお馴染みばかり。パーティーで親睦を深める必要もないくらい、いつも一緒に行動をしておりますからね。
それに千穐楽などは、<撤収作業>が大変ですから、そんな忙しい日にパーティーなどできない、ということもあるでしょう。さらにいえば、<パーティー>なる催しをするという考え方そのものが、古来の日本にはなかった、ということはあるかもしれませんね。
しかしながら、今日の演舞場のように、公演期間中にパーティーがある公演も、近年では増えてまいりました。歌舞伎座でも、八月の花形歌舞伎では、数年前からパーティーが行われるようになりましたし、浅草公会堂での初春歌舞伎でも、行われているそうです(しかも千穐楽当日とのこと!)。
ちなみにパーティーの会場は、お客様が帰った後の、劇場食堂を使って行う場合が、多いようですね(もちろん違う会場、あるいはお店になることもあるようですが)。
私も二、三度このようなパーティーに出席させていただいた経験がございますが、一つの興行に、これだけの人たちが関わっているのだとびっくりするくらいの人、人、人。会場は熱気で汗が出るくらいでした。仲間同士でおしゃべりしたり、普段一緒にならない分野の方と交流できたりと楽しいことばかりですが、ついつい美味しい食事にばかり夢中になってしまう自分が、浅ましいやら情けないやら…。
そういえば、以前は夏の勉強会『稚魚の会』でも、中日にパーティーがありましたが、あれはいつからなくなったのかな…。

昨日に続いて

2005年11月20日 | 芝居
昨日は<軍兵>の衣裳についてお話しさせて頂きましたが、「立ち回りの扮装」は実にさまざま。今日はそれらをまとめてご紹介いたしましょう。
<四天>については過去にお話しさせていただきました。裾の両脇にスリットが入っているのが特徴です。<四天>という名称は、仏像の四天王の服装からきたという説、黄檗宗の僧衣が、裾の部分で四つに裂けていて、<四天>と呼んでいたからという説もありますが、真偽のほどはわかっておりません。その色による<黒四天>、柄による<花四天><鱗四天>などがお馴染みですね。
この<四天>の裾に、金、銀、白などの細い房をくっつけたのが<馬簾(ばれん)つきの四天>。青地に銀の立涌(たてわく)模様になることがほとんどで、舞踊『将門』『執着獅子』などの立ち回りで見ることができます。大時代な拵えで、化粧も「むきみ」という隈をとります。
袴を太ももの付け根までたくし上げた形の「股立ち」で、立ち回りをすることもよくみられます。着付けの袖は襷であげることになります。着付け、袴が織物になりますと、化粧も先ほどの「むきみ」になることが多く、『金閣寺』で此下東吉にからむ役がこの拵え。木綿の着付け、袴になりますと、やや写実となり、『彦山権現誓助剣』の「一味斎屋敷」や、大阪式の『忠臣蔵』三段目の「裏門の場」で見られます。
『大津絵道成寺』や『葛の葉道行』では<奴>の衣裳。綿を入れ厚手にした繻子の着付けを、裾を「捻じ切り」という形にはしょります。『五斗三番叟』では、木綿の衣裳になり入れる綿も少なく、やや世話っぽくなります。
ぐっと世話になりますと、今月も上演されております『雨の五郎』や『女伊達』に見られる<浴衣>姿。多くは、主演俳優の家の柄、紋をアレンジした染め模様になりまして、必ずといっていいほど、豆絞りの手ぬぐいを「喧嘩かぶり」にして出ることになります。
この他『逆櫓』では「蛸絞り」の柄の船頭姿、『お祭り』や『勢獅子』などに出てくるのは、祭り半纏に紺の股引といった祭礼姿。これ以外にも、演目によって扮装はかわりますが、まあ、カラミが着る衣裳といえば、これまで挙げたものが代表的でしょう。

当然、これらの衣裳を着てトンボをはじめ様々な技を見せるわけですが、衣裳によって動きやすいものそうでないもの、違いがあります。<馬簾付きの四天>は普通の<四天>より重たくなりますし、「股立ち」の拵えになりますと、袴の裾が全部腰回りに集中しますから、重心というか、重さのバランスがいつもと変わって、なんとなく感じが違ってきます。織物になりますとなおさらです。繻子の<奴>も全体的に重くなるので大変です。
また、衣裳によって足袋をはく、はかないの違いもあり、はく時は舞台との滑りがよくなり足さばきが楽になるものの、踏ん張りが利かなかったり、はかない場合はその逆になったり。時には草蛙をはいて動き回ることもあるのですから、さらに勝手は変わります。
私も、舞台稽古で衣裳を着てみて「これでトンボ返るの~!?」と思うこと度々。ひと月の公演中にはだんだんとなれて参りますが、最初のうちはやりにくいことやりにくいこと。着方や、帯、紐の締めどころを変えてみたりして、少しでも動きやすくしてみたりと、試行錯誤しながら勤めます。さすがに<四天>はそんなことを考える必要もないくらい、沢山経験させていただきましたが…。
衣裳によるいろいろな制約をこえて立ち回りをこなせるよう、まだまだ修行してゆかねばなりません!

軍兵の衣裳について

2005年11月19日 | 芝居
今月私が『熊谷陣屋』の<軍兵>役で着ている衣裳は、玉子色(鮮やかな黄色)の着付けに茶と白の横縞のたっつけ袴(足首と膝下を紐で結ぶかたちのもの)。わりあいと派手な色合いですね。着付けには、二本の白い筋模様が、胸元から袖口にかけて通っております。背中の方も同様で、この模様を<二引き(にびき)>と申しており、我々の中では、「二引きの軍兵」と聞けば、ぱっとそのビジュアルが頭に浮かびます。筋の色が黒になる場合もありますが、時代物に出てくる<軍兵>といえば、まずこの扮装になることが多いです。
『熊谷陣屋』では陣床几や敷皮を運んだりするだけの<軍兵>ですが、様々な演目で、立ち回りのカラミとして<軍兵>が出てくる場合がございますね。そういう時の<軍兵>の衣裳としましては、先にあげた<二引き>の他に、緑の地に白く唐草模様を描いたものもございます。この<唐草>の衣裳の場合は、まず袴をはくことはございません。先ほどの<二引き>でも袴をはかないことがありますが、そのさいは、赤無地、あるいは赤地に黒で素網(すあみ)模様を描いた「紐付き(ひもつき)」をはくことになります。またこの他に、めったに使われることはありませんが、赤みの橙色の地に、白で六弥太格子を描いた着付けもあります。
<二引き><唐草>、ともに歌舞伎独特のデザインであって、多分に誇張された意匠ですが、<唐草>の方が、<二引き>よりもおおらかで古風な趣きになり、<二引き>の中でも、袴をはかない方が古風になります。逆に写実な<軍兵>の衣裳となりますと、<ゴブラン織り>の生地で仕立てられた深緑の着付けと袴に、俗に「スルメ」といっている革でできた薄っぺらな鎧と具足をつけるという衣裳もございます。

<軍兵>が出てくる立ち回りがある演目といえば、『義経千本桜』の「鳥居前」や『ごひいき勧進帳』の「安宅新関の場」、『嫗山姥』、『義賢最期』、『土蜘』などが代表的ですが、「鳥居前」では、袴をはいた<二引き>になるときと、紐付きをはいた<唐草>になるときの両方があり、『嫗山姥』では、<軍兵>ではなく<花四天>になる場合もあります。<軍兵>になる時は、袴をはいた<二引き>です。『義賢最期』は、必ずゴブラン織り。同じ扮装でも『盛綱陣屋』に出てくる役名は<盛綱の臣>です。

…こうしてみますと、衣裳の柄が与える印象と、その演目の雰囲気が、ぴたりと合っていることに気づかされます。<軍兵>は、様式的な演技演出となる時代物の演目に多く登場するのですが、その中でも、古風さが必要なのか、あるいは写実になったほうがよいのか、先人たちが工夫して、選択してきた結果が、今日まで伝わっているのですね。
逆に言えば、衣裳によってその場の雰囲気も変えることができるというわけで、舞踊劇である『土蜘』のカラミに、以前お話ししました<四天>ではなく、<二引きの軍兵>が選ばれたのも、先人の工夫の成果なのでしょうね。

ついでながら、<唐草>、あるいは袴をはかない<二引き>の衣裳の時は、化粧も変わることがあります。目尻を下げるように隈をとり、鼻の下に、うすい青色でチョビひげ状のものを描くのです。これも、古風さを出す工夫なのですが、場合場合で、したりしなかったり変動がありますので、あくまでご参考程度に…。

さて来月は

2005年11月18日 | 芝居
ただいま昭和通り沿いの「SEATTLE′S BEST」から書き込んでおります。
昼の部の『熊谷陣屋』を終えてから、新橋演舞場にお邪魔しまして、『児雷也豪傑譚話』の三幕目大詰、「地獄谷の場」の立ち回りを拝見させていただきました。正面の紗幕越しに、鳴り物さん、細棹、太棹の三味線さんの演奏する姿を見せ、迫力ある演奏とともに<火の粉四天>が大活躍です。普段の立ち回りでは使わないような小道具も使い、動きも見た目も一工夫もふた工夫もされた鮮やかな立ち回りに、驚くやら感動するやら。お出になっている方達はさぞ大変だろうと思いましたが、立ち見も出てている満員の客席も大盛り上がりで、さかんな拍手が送られていおりました。…こちらの<楓四天>も、負けずに頑張りましょう。

さて本日、来月の京都の顔見世での自分の役がわかりました。昼の部の『五斗三番叟』の<雀躍りの奴>と、『京人形』の<大工>。両方とも立ち回りのカラミです。
写真を見ていただけるとおわかりかと思いますが、地方公演での名題下の役は、「葉紙(はがみ)」という短冊状の和紙に書かれて配布されます。上に役名、下に芸名が筆で書かれております。興行の総配役が決定した時点で、まず<附帳(つけちょう)>という大福帳のような冊子に書き記し、それから個別に<葉紙>に書き分けて参ります。<附帳><葉紙>、ともに書くのは狂言作者さんの仕事です。
地方公演でない場合、つまり歌舞伎座や国立劇場などでは、各演目ごとの名題下の配役を、一枚の巻き紙に書き連ねた<はり出し>が、稽古初日から稽古場に張り出されますし、国立では、これとは別に、便箋に役名を書いたものが、送られてきます。
どちらにしましても、<はり出し>や<葉紙>を見るまで、自分の役は正式にはわからないものなのです。
さて、このところ立ち回りにでる機会が多く、責任を感じるとともに体調管理もしっかりとせなばならず、気を抜けません。皆様に楽しんでいただける、きれいでまとまりのある立ち回りになりますよう、先輩方の教えを請いながら、気を付けて取り組みたいと思います。

京都での生活は

2005年11月17日 | 芝居
すっかり冬の陽気になってしまいましたね。皆様、お風邪を召されていらっしゃいませんか?
私は、おかげさまでいたって健康です。先日のインフルエンザの予防接種の直後は、身体が抗体を一生懸命作ってくれていたのか、少しふらつきやだるさを覚えましたものの、一昨日からはそれもなくなり、少々筋肉痛のほかは、珍しく元気な十一月をおくっております。
さて、歌舞伎座の顔見世大歌舞伎も残り一週間あまり。今度は京都の顔見世が近づいてまいりました。京都の顔見世は、例年十一月三十日が初日になっておりますから、今月中に二回も<初日>を迎えることになります。
今夏の<中央コース巡業>では、毎日毎日違う公演地、宿泊地でございましたが、来月はひと月間の京都滞在。どっしりと腰を据えて、旅の空の下での生活が始まります。
ひと月間の地方公演の場合でも、ホテル暮らしになるのが基本です。幹部俳優さんでも、我々名題下でも同じです。劇場周辺のホテルに分散して滞在するわけですが、希望すれば、旅館を選択することもできます。どちらにしても宿泊費は製作劇場側が持つことになっておりますが、最近ではそういう宿泊施設を使わずに、マンスリーマンションを利用する方も、増えてきました。
といって、個人の勝手で決めてよいものではございません。公演中の庶務一切をとりしきる<頭取>さんを通じて、出演する劇場、製作である(株)松竹の担当の方に、マンスリーマンションを使いたい旨をきちんと申請し、その上で、一切の責任を自分で負って、不動産会社を調べ、物件を探し、契約まで行わなくてはなりません。
契約料、賃貸料については、本来ホテルにひと月宿泊した場合にかかる費用(一日あたりの宿泊費×宿泊日数)が、ホテルを使用しない代わりに支給されますので、そこから支払うことになるのです。
かくいう私も、今度の京都ではマンスリーマンションを使用します。掃除を自分でしなくてはなりませんが、キッチンがあるので料理ができ、食費の節約にもなり外食による栄養の偏りも防げますので大助かりです。また洗濯機もありますから、わざわざコインランドリーを探すこともありません。その他の家具や生活用品も、だいたいはそろっておりますし、自分の家のように気楽に過ごせますから、それほど不便は感じません。

ホテルにしても、マンスリーマンションにしても、ひと月の生活を快適に過ごすにはいろいろ工夫が必要です。ビデオデッキやDVDプレイヤーを持参してテレビにつないだり、加湿器を入れたり、マイ枕を持ってきたり。着替えの収納、洗い物の干し場作りには、誰もが悩まされるものです。
来月は、はたしてどんな毎日になるでしょうか?

七年前の十一月

2005年11月16日 | 芝居
私にとりまして、十一月は思い出深い月です。といいますのは、今から七年前、平成十年の十一月から、師匠梅玉のもとでの修行が始まったからなのでございます。
大阪松竹座での<十一月大歌舞伎>。この興行の昼の部で上演された『花桐いろは』が、<三代目中村梅玉五十年祭追善狂言>と銘打たれておりました。
地方公演での<初仕事>。前月が名古屋の御園座でしたので、ホテル暮らしには慣れたものの、師匠の仕事をしながら自分の役も勤めるということは全くの初体験。しかもこの月は、昼の部では師匠が『花桐いろは』の主演で、タイトルロールの歌舞伎役者役を演じ、劇中劇の『お夏笠物狂い』の娘姿から普通の男姿、そして数十年後の老人の姿へと早ごしらえの連続、そして続く播磨屋(吉右衛門)さんの『一本刀土俵入』では辰三郎、夜の部では『保名』を踊られ、切の『松竹梅湯島掛額』では寺小姓吉三郎という計四役。お出にならないのは夜の序幕の『一條大蔵卿』と『女伊達』だけでした。そして私は『花桐いろは』で芝居見物の町人と旅の巡礼客の二役に『一本刀土俵入』の町人、『一條大蔵卿』の腰元、『松竹梅湯島掛額』の捕手と計五役。師匠の用事と自分の出番で楽屋と舞台を往復しっぱなし。もちろん、私だけが忙しいのではなく、兄弟子方もみなさん四役五役を勤めていらっしゃり、みんなで忙しく働いていた記憶がございます。
新参者ですから、衣裳を着せたり後見をしたりということはございませんでしたが、楽屋作りから始まって、師匠のお迎え、お見送り、<おか持ち>を持って師匠について回ったり。初めて立ち会う<こしらえ場>の緊張感にドキドキしたり、なにもかもが初体験でしたから、慌てたりまごついたりときに失敗してしまったり、周りの方々にはご迷惑をおかけしてしまいましたが、皆さんが親切に一から教えてくださいましたし、師匠もいろいろと話しかけて下さり、そんなおかげでなんとかくじけずに働くことができました。
ところが、やはり気がつかないところで疲れが溜まっていたのでしょう。後半でひどい風邪をひいてしまい、忙しい仕事がさらにしんどくなってしまったり、水が合わなかったのか、女形の化粧で肌がひどく荒れてしまったり。大変なこともありました。一日が終わっても、今のように夜の街に繰り出す力もなく、コンビニ弁当ばっかりでした。
ともあれひと月なんとか無事に終わったときは、安堵感と、東京に帰れる嬉しさでいっぱいでしたが、翌十二月の歌舞伎座でも、今度はインフルエンザにかかってしまったのですから、今思えば、あのころは相当<無理に>頑張っていたのかな、と思います。
…それから七年! 早いものです。歌舞伎役者として生きてきて、本当にいろんなこと、いろんな出会いがありました。それらを糧に、少しずつでも成長していければと常々思っておりますが、まだまだ未熟ですね…。