梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

暮古月稽古場便り3・後見の巻

2006年11月30日 | 芝居
本日は『勢獅子』の<初日通り舞台稽古>がございました。
師匠がこの舞踊に出演いたしますのは、私が入門してからでもこれで3度目。過去2回は、私はカラミの<若い者>で出させて頂いておりましたが、今回初めて後見をさせて頂きます。段取りなどは同じ舞台に出ていてわかっているつもりでも、いざ自分がやってみると、アレもしなきゃコレもしなきゃと気がつかされることばかりです。
鳶頭・芸者・手古舞・鳶の者・若い者…総勢30人近くが登場する踊りですので、昨日までのロビーでのお稽古はギュウギュウでした。本番通りにはとても並びきれないのが、この踊りのお稽古の常でございます。今日は稽古の前に改めて居所、各役の動線を、振り付けである藤間の御宗家のご指導のもと、決めて頂きました。

…今回は、少々いつもと違う演出になるところがございます。ご覧頂くまでのお楽しみでございますが、そういう部分は、誰も経験したことがない手順となりますので、これは一から師匠と相談して勤めております。用事がある時だけ登場する<黒衣>の後見ですから、お客様の目にもさほど障らぬこととは存じますが、<さりげなく、テキパキと>はどんな後見でも同じです。気をつけて働きたいものでございます。

『出刃打ちお玉』『嫗山姥』『将門』はみな<総ざらい>。『出刃打ち~』は、稽古後に師匠と拵え替えの段取りを打ち合わせさせて頂き、衣裳さんとも段取りを話し合いました。小道具のことなども全て決まりましたし、あとは実際働いてみるだけですね。立廻り2演目も、いよいよ明日舞台上で動いてみるわけで、トンボや集団での動きがどうなるか。不安と緊張はございますが、思い悩んでもしょうがないです。今晩はよ~く柔軟体操をして眠りましょうか。

暮古月稽古場便り2・12年ぶりの…の巻

2006年11月29日 | 芝居
今月師匠が出演いたします夜の部の『出刃打ちお玉』は、池波正太郎さんの作になる世話物で、初演は昭和50年と伺っております。これが久々に上演されたのが平成6年の2月歌舞伎座(同じ月に上演された、先の大和屋<三津五郎>さんの『越後獅子』が懐かしく思い出されます)、そして今回が12年と10ヶ月ぶりの上演となるのです。
今日はこの演目の2回目の<附立>でございました。新歌舞伎ということもあり、寺崎裕則さんを演出にお迎えしておりまして、前回を踏まえながらも、また新たな芝居作りが進んでおります。
師匠演じます<増田正蔵>は、第一幕では23歳、第二幕では51歳。はじめは、まだ女の肌も知らぬ純情ぶりで、ただ父の仇を討つ一心の、ひたむきでまっすぐな青年が、28年の歳月でどうなるか…。それはご覧になってのお楽しみでございますが、このお芝居では、計5場の登場のたびごとに、師匠の扮装が変わるので、その段取りを決めるのも大変です。
久しぶりの上演、しかも<型>のない新歌舞伎となりますと、稽古場で役者の動きが決められてゆくわけで、それを拝見しながら、(さっきの場では上手に引っ込んで、今度は下手から出てくるのか。では<拵え場>はあそこに作ろう…)なんて考えてゆくわけです。また稽古でわかる限りの、各場で必要な小道具、手拭や懐紙などの持ち物もチェックし、その上で小道具さん、衣裳さん、ときには大道具さんと相談しながら、舞台稽古に備えるのでございます。
もちろん前回の上演で何が使われ、何を着たかは、映像資料も残されておりますし、各分野の<附帳>にも記されているわけですが、なにぶんにも、先ほど申し上げましたように、いくらでも演者の好みと工夫でかわるのがもっぱらの新歌舞伎ですから、私ども弟子の立場の者も、常の古典演目の場合とはまた違った、裏方としての仕事の仕方となっております。
<早拵え>になるところもあるので、少しでも段取りよくできますよう、まずは明後日の<舞台稽古>を頑張ろうと思います。

『嫗山姥』も2回目の<附立>、手順はまとまってまいりましたが、あとは義太夫の節に合わせることを考えねばなりません。私がトンボを返るところも、三味線の節のココ! と決まっているので、そこにきちんと嵌るよう、シンへのかかり方、動き方を考えねばなりませんので、気をつけて演じたいと思っております。
『将門』は今日がはじめてのお稽古。ここでもトンボを返りますが、衣裳が重たい<馬簾付き四天>というものですので、サアますます頑張らねば。この衣裳でトンボを返るのは5年ぶり(そうそう、そのときも『将門』で、加賀屋<魁春>さん初役の滝夜叉でした)なので、ちょっと不安も混じりますが、ともかくも全力でゆきましょう!

稽古も大詰めです。明日は舞台稽古のトップとなる『勢獅子』からお話を…。




暮古月稽古場便り1・立廻りの巻

2006年11月28日 | 芝居
本日より、歌舞伎座<十二月大歌舞伎>のお稽古の始まりです。
稽古場として使われる劇場ロビーに掲示された<貼り出し>を見て、自分のお役を確認。昼の部『嫗山姥』の<花四天>、『忍夜恋曲者 将門』の<力者>の二役でした。これに師匠がお出になる『勢獅子』の<後見>(ただし黒衣ですが)もいれれば、昼の部は三つの舞台に登場いたします。
さて、<花四天><力者>それぞれ、立廻りをするわけですが、本日は午前10時半より、『嫗山姥』の立廻り部分のみの<抜き稽古>から始まりました(その後<附立>)。銘々のパートの割り振りをしてゆきましたが、このお芝居には立廻りが2カ所ございまして、ひとつは橘屋(萬次郎)さん演ずる腰元白菊と、もうひとつは音羽屋(菊之助)さん演ずる八重桐とのカラミとなります。総勢14人の花四天のうち、8人は両方に登場いたしますが、私もこの度、ふたつとも出させて頂くこととなりました。本日立廻りの手を立師の方からうつして頂く作業では、続けざまにふたつの手順を覚えなくてはなりませんでしたので、最初はついてゆくのがやっとでしたが、何回も返して稽古するうちには、きちんと覚えることができました。ただし覚えただけではなんにもならないわけで、形、間、皆とのイキなど、これからどんどん手直しされてゆくと思いますので、必死の覚悟でついてゆこうと思います。

『将門』は、今日は稽古が無かったので、明日からとなりますが、本日はもうひとつ、立廻りを覚えることになりました。師匠がお出になる夜の部『出刃打ちお玉』での、師匠と三河屋(團蔵)さんとの敵討ちシーンの立廻りです。
以前にもお話しいたしましたが、幹部俳優の皆様が立廻りをなさる場合には、まず弟子の立場の者がかわりに立って演じてみせるという作業をよくいたします。出来上がった立廻りを、言葉ではなく、見た目で覚えて頂くわけですね。今回も同様で、師匠のかわりに私、三河屋さんのかわりにはあちらのお弟子さんが、立師の方から教わった動きを演じてみせたり、あるいは口頭で説明しながら立廻り部分を進行いたしました。このお役目は、間違ったことをしてはいけないし、うっかりその場でど忘れしてもなおいけません。とても緊張いたすものです。果たして今日は任務を果たせましたでしょうか…。

今日で計3種の立廻りがインプットされました。明日はこれにもうひとつ! 回線が混乱しないよう、集中力を高めて頑張ります。また、7月以来のトンボも返ることになりましたので、体調管理も万全に…。
本日は立廻りのことを中心にお話しいたしました。今月の稽古場便りは、日替わりで違うテーマでリポートしてみたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

取り立てるほどのこともなく

2006年11月27日 | 芝居
今日は一日お休みでした。
昼頃まで寝て、起きるなり掃除と洗濯。それから散歩がてらに自転車で錦糸町界隈をウロウロ。天ぷらやさんで持ち帰りの天丼を買い、家で朝昼兼用の食事。居間で再びウトウト(しかしよく寝るな~)して、夕方からは浅草を自転車で。
帰宅後はお風呂場の掃除を徹底的に。夕食後は稚魚の会の同人への報告書(先日のパーティーのことなど)を作製。
実に面白みのない一日でした。月曜日でなかったら、国立博物館と江戸東京国立博物館をかけもちしたのに…。
まあ、明日からは盛りだくさんのひと月となりますので、今日くらいは大人しくしてませんとね。

それでは、また。

実に無事に…

2006年11月26日 | 芝居
『元禄忠臣蔵 第二部』も、盛況のうちに千穐楽をむかえました。
自分のお役も、また裏方としての師匠の仕事も、今月はプレッシャーを感じるというものはなく、ひと月落ち着いて、自然に、そして前向きな気持ちをもって取り組むことができました。あえてあげれば師匠の能衣裳への早ごしらえですが、舞台稽古のときこそドキドキいたしましたが、まわりの皆様のご指導のお陰で、着付けにかかる時間を、少しずつですが縮めることができました(たとえ15秒、30秒でも、その稼いだ時間で、新たにできることは沢山あるのです)。紐、帯など、グイグイ締めるところが多かったので、腕はパンパンになりましたけど、次回はもっと手早くやれるようになりたいと思います。

終演後は楽屋撤収。ふた月過ごした国立劇場ともお別れです。次は歌舞伎座で一日中のお仕事。これまでのようなお芝居巡りや食べ歩きもたぶんできないでしょうが、より多くの仲間と、楽しく働けたらいいな…。
来年の勉強会へ向けての、稚魚の会・歌舞伎会両幹事がそろっての第一回の話し合いを行ってから帰宅しました。

『元禄忠臣蔵』という作品世界にふた月身を置いて、あらためて<言葉の力>のすごさを感じました。それこそ、『武士の一分』ではございませんが、登場人物それぞれがもっている、自分が自分として生きてゆくための倫理、心の拠り所としての思想のようなものが、技巧を尽くしながらも直球で訴えられている。すでに台本そのものに<熱>がこもっているような作品ですから、ひとたび演者の身体を通れば、ますます心をゆさぶります。皆様好みはおありでしょうが、私は、舞台上で、舞台裏で、あるいは楽屋のスピーカーから聞こえてくる台詞で、いつも心地よく、言葉の世界に浸っておりました(だからいつも理屈っぽいって言われるのかしら)。

おそらく来月の歌舞伎座では、しばらくは異邦人の心境になるかもしれません。
明後日からの稽古場便りも、よろしくお付き合い下さいませ。

今月最後の観劇

2006年11月25日 | 芝居
2日間失礼をいたしました。
気がつけば明日は千穐楽。今月は、先月以上に終演後のスケジュールをぎっしりにしてしまいましたので、あちこち出歩いているうちにひと月が過ぎ去ってしまいました。

今日も今日とてシアターコクーンで『タンゴ・冬の終わりに』を立ち見で拝見してきました。いや~、3時間立ったままでの観劇は腰にこたえましたが、今月のお芝居巡りの最後となる公演、十分堪能いたしました。…突然舞台を引退、妻のぎんとともに故郷に舞い戻った俳優、清村盛。弟が経営する映画館『北国シネマ』での3年間の生活のなかで、彼は狂気の世界に足を踏み入れてしまう。そこに盛の昔の恋人の名和水尾、その夫の連が訪ねてくるところから、冬の終わりの映画館は、男女4人の哀しい物語の舞台となる…。
清水邦夫さん作、蜷川幸雄さん演出でございまして、昨年の『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』と同様のコンビ。キャストも堤真一さんや段田安則さん、高橋洋さん沢竜二さんと、共通の顔ぶれが多うございました。
蜷川さんの舞台では、いつも幕開きと幕切れに目を見張るのですけれど、今回も80人のアンサンブルによる<幻の観客>の集団演技には、ゾクゾクいたしました。古い映画館の客席という舞台装置も面白いですね。

『頭痛肩こり樋口一葉』で大好きになった、新橋耐子さんが出ていらして、田舎のおばさん役なんですけれど、洒落ていて愛嬌があって色気もあって。さりげない動きがみんなその役の演技になっている。やっぱりすごい! 堤真一さんの、硬軟自在のしなやかな演じぶりと、ふと見せる表情の切なさ。盛の妻ぎんをなさった秋山菜津子さんの、シンの通った存在感、大人の女性の魅力…。残酷で綺麗で、懐かしくて哀しい<刻>の物語を、素敵な俳優さんで楽しむことができました。2時間並んだ甲斐があったナァ…。

やっぱり舞台は面白い! 映画と舞台、同じ2時間客席に座るなら、生の人間の息づかいを、体温を感じるほうがより楽しいと、私は思うんですけれど、皆様はいかがですか?

スズナリ初体験

2006年11月22日 | 芝居
今月二度目の下北沢。今日はザ・スズナリでの<燐光群>公演。坂手洋二さん書き下ろしの『チェックポイント黒点島』を拝見いたしました。
旧西ドイツにあった検問所<チェックポイント・チャーリー>をキーワードに、漫画家ヒロコの家庭・ヒロコが描いた漫画の中に登場する<チェックポイント黒点(こくてん)島>、ヒロコのファンの同名の主婦ヒロコの家庭、この三つを中心にして、時も所もバラバラな世界の物語がパラレルに展開されます。

坂手さんのお芝居は初めてだったのですが…。う~ん、ズシンと腹にこたえました。けして重苦しいストーリーではないですし、思想劇でもございませんが、今、この日本が抱えている<本当は誰もが考えなければいけないこと>を、ぐっと突きつけてくるような、真っ向勝負の緊迫感に、正直驚きながらの二時間余となりました。
国と国、民族と民族、私と他人、私と私の中の私…。これらの間に、たとえ目に見えずとも必ず存在する<チェックポイント>。それを越えることはできるのだろうか。そこから自由になることはいけないのか。どちらを選ぶ? どれも選ばない? そのとき<私>という存在は…?

この文章を書いている時点では、私、まだ体験したストーリーを消化中という感じ。ジワジワと、しかし確実に私の中に沁み込んでくるような、ちょっと忘れられない演目になりそうです。
俳優さんでは、いくつもの世界に登場する、それぞれ違った立場の主人公ヒロコをなさった竹下景子さんの純粋さ、軽やかさ、声のきれいさ。これまた各世界ごとに違ったお役で活躍なさる渡辺美佐子さんの台詞まわしの妙味と相変わらずのお元気さ!
求心力に満ちた燐光群のメンバーの方々と一体となって、本当に<濃い>舞台でした。

スズナリは初めてだったんですが、ベニサンよりもこじんまりしているとは思いませんでした。劇場というより芝居小屋といったほうがしっくりするようにも思える、なんだかホッとする<ひと肌>の空間。一階が飲み屋横町なんていうのも、ワタクシ的にはツボでございまして、いっぺんで好きになってしまいました。


後シテは何を舞う?

2006年11月21日 | 芝居
先日頂戴したコメントに、『御浜御殿綱豊卿』の劇中、吉良上野介が舞うはずだった能『望月』についてのものがございました。今日はこちらからお話をさせて頂きます。
実は、真山青果の原作では、劇中能は『望月』ではございません。岩波文庫『元禄忠臣蔵 上』で拝読しますと、吉良が後シテを舞うのは『船弁慶』。平知盛の幽霊となっております。
場面が<御能舞台の背面>になりますと、「伝え聞く陶朱公は…」以下、シテや地謡の声を聞かせ、その間に助右衛門が身を潜める。そこに後シテの拵え、面も着け薙刀も手にした、吉良(実は綱豊)が楽屋から出てくる。助右衛門が槍を突いて立ち回りがはじまると、はずみで面が落ち、綱豊であることがわかるという展開なんです。
しかも原作で興味深いのは、正体を知ったあとの助右衛門は狼狽のあまり、
「むむ、槍先に立つ者は、もはや誰かれの用捨はない」
となおも綱豊を狙うので、ここで舞台を半回しにしての立ち回りがはじまり、再び舞台から聞こえてくる謡の中、幾本もの桜を縫うようにしての必死の攻防は、助右衛門の槍のために「無惨の落花、雨の如く、雪の如し(原作のト書きより)」というなかで繰り広げられ、トド、槍を打ち捨て刀を抜いた助右衛門に対して、「二年このかた辛労して…」以下の、真の忠義を説く台詞になるということになっております。
読んでみますと、緊迫感がますますアップする展開、また、絵のように美しい(といったら可笑しいのかな)立ち回りシーンと、とても魅力的な演出が指定されているのですが、これがいつから、現行の演出になったのか。これはとても気になりますね。
昔の写真を拝見しますと、すでに二代目市川左團次さんが、『望月』の後シテの扮装をした綱豊の姿を残しておられますから、初演されてから、比較的初期の段階で変更があったのでしょうか。詳細を知りたいものですが、皆様からの情報のご提供を切にお願いいたします。(ちなみに前進座さんの上演では、今でも『船弁慶』だそうですね)私もこれからも調べます。

人気作ゆえ、何度も何度も舞台にかかるうちに、先人のご工夫とご努力で練り上げられ、整理されて、今のかたちがあることは承知の上でございますが、頭の中で<原作のままの『御浜御殿』>を想い描いてみるのも、楽しいかもしれませんね。

『王の男』

2006年11月20日 | 芝居
『試写会のチケットが当たったから』という先輩のお誘いで、九段会館で上映された韓国映画『王の男』を拝見いたしました。
<芸に生きる>ため、漢陽の都にのぼってきたチャンセンとコンギルという芸人ふたり。二人は大道で、時の皇帝ヨンサングンと、その愛妾ノクスのふしだらな関係を、皮肉たっぷりの芝居で描いて大好評を博します。ところがその行為が罪となり、あわや死罪というところを、命がけの<御前芝居>で見事皇帝の心をつかみ、なんと宮廷芸人の地位をつかみます。素晴らしい待遇に喜びあうのもつかの間、女と見まごうばかりの美しさのコンギルに皇帝の心は揺らぎ、それまでなんとか均衡を保っていた宮廷は、愛妾VS芸人・皇帝VS重臣の権力闘争に発展。かたい友情で結ばれていたはずのチャンセン、コンギルの関係も崩れようとするが…。
はたして友情は守り通されるのか、<芸>は<政治>に勝てるのか? 絢爛豪華な宮廷を背景に、欲望、愛憎が入り交じってのストーリー。なかなか面白い作品でした。

前半、貧乏時代の二人が都にのぼって一旗揚げるまでや、はからずも宮中で芝居をするはめになる件など、大いに笑わせる場面ばかりで、これはひょっとしてコメディ映画なのかと思わせるくらいでしたが、後半は一気に宮中の権力闘争へ突入。先帝の威光に重圧された、孤独な皇帝をめぐって、陰謀謀略、なまぐさい駆け引きが続けざまに描かれてゆきますが、そんななかでも、ただ<芸>でしか自分たちの想いを伝えることができない、チャンセンとコンギルの、<業>といいましょうか、哀しいまでに潔い生き様は、ともすれば滑稽に見えるかもしれませんが、私には実に痛々しく、また切ない叫びのように思われました。

手前勝手な好みですが、美貌の女方芸人コンギルを演じたイ・ジュンギさんの魅力はなかなかのものです。本人も意識しない<妖しさ>が、はからずも一国の運命を狂わせる。そういうことを納得させるだけの美しさが十分に伝わって参りました。宣伝写真をご覧になったら、納得頂けると思います。
その唯一無二の友人チャンセンを演じたカム・ウソンさんも、豪快かつ繊細、そしてなにより<大きさ>のある演技で、二時間余のストーリーを最後まで引っ張りました。様々な芸能、曲芸シーンの迫力もふくめて、見どころの多い作品だと思います。

韓国映画は初めて拝見いたしましたが、とっても面白かったです。12月9日からロードショーだそうです。皆様もいかがですか?

芸尽くしのパーティーになりました

2006年11月19日 | 芝居
<稚魚の会友の会 秋のパーティー>、無事に終了いたしました。
あいにくの雨、そして冬のような寒さでしたが、五十余名のお客様がいらしてくださいました。二時間余の宴席でしたが、和気あいあい、アットホームな雰囲気で皆様と過ごせた楽しいひと時。どこまでおもてなしできたかは、甚だ心もとなく思いますが、お忙しい中ご来場くださいました皆様には、心より御礼申し上げます。
さて稚魚の会同人俳優による恒例の演し物も、今回は地唄舞にジャグリング、マジックや南京玉スダレ、二人羽織による化粧の実演、落語と、いつにもましてバラエティーに富んだラインナップとなりました。どれもがあたたかい拍手を頂戴できましたことは大変有難く、実演者一同、出番を終えたあとは心底ホッといたしました(出番が終わってから急に元気になった人もいたり…)。
私は落語『金明竹』をネタおろしさせて頂きましたが、『皿屋敷』『千早ふる』『粗忽の釘』とやってきたなかで、一番納得のゆく出来になりました! これも皆様のお励ましの賜物です。いくらよく出来たとはいえ、しょせん素人の座興ですが、大勢の方々の前で、しかも間近で演じるということは、本当に勉強になりますし、度胸もつきます。また懲りずに、ご披露できたらと思いますが、そろそろ食傷気味ではないですか?

お客様のお帰りになったあとは、同人での打ち上げ、収支決算などをいたしまして、先ほど帰ってまいりました。今日はゆっくりお風呂に入って、ぐっすり眠りたいと思います。
ご来場頂きました皆様、本日は誠に有り難うございました!

梅之<大奥>ばなし

2006年11月17日 | 芝居
お待たせをいたしました。<大奥>のお話をさせて頂きたいと思います。
<大奥>という呼称は、正確に言えば江戸城内、つまり将軍家に限った言い方で、諸大名家では<奥向き>、<奥御殿>と言われておりました。『御浜御殿綱豊卿』の主人公、徳川綱豊は、徳川一族ではございますが、今の時点ではまだ将軍職にはついておりませんから、<大奥>とは申せません。もちろん青果氏の台詞の中でも、<奥向き><お奥><奥御殿>となっております。

さて『御浜~』に登場する女たちには、<上?(ろう)><中?(ろう)><御右筆>など、その職分を名の上につけておりますね。奥向きには、20近い職分、階級がありましたが、その実際はどんなものだったのでしょうか?
まず、中村歌江さん演ずる<上?(ろう)>浦尾。これが、奥女中の中では地位的に一番高位の役職。正室の輿入れとともに一緒についてくるのがほとんどだったそうです。御台所の側回りの御用、催しごとの差配や相談役が仕事でした。
この下に、奥向き一切の取り締まりをする、本当の実権者<御年寄>、将軍家、諸大名家からの使いを取り次ぐ<御客会釈(あしらい)>、御年寄の補佐、代理役である<中年寄>と続いて、上から5番目の位が、成駒屋(扇雀)さん演じます<中?(ろう>お喜世。殿様、御台所の身辺の世話が役目で、ほとんどが若く器量のよい者だったそうです。ここで殿様の目にかけられるといわゆる<お手つき>となり、<側室>となるわけです。
この下に<お小姓><お錠口><表使(おもてつかい)>があって、9番目が、加賀屋(魁春)さん演じる<御右筆>江島。この役が以外と下位にあるのが不思議ですが、この役職は日記作成、手紙、記録文書等の執筆がメインである一方、諸家からの献上者の検査や御台所の代参も勤めたそうで、実力がなければ勤まらない重要な役職で、政治向きの内情にも立ち入る場合もあるわけですから、実質の立場としては上位にあると考えてよいようです。
この下にまだズズ~ッとつづいて、先日申しました、梅丸演ずる<お犬子供>、また、各奥女中が自費で雇う<又者(またもの>がおり、<又者>もタモンとかゴサイなどという身分の上下があったといいますから、ややこしい話です。
…以上述べました役職の順位は、時代によって変動もあったようですので、ご了承下さいね。

こうして各役の仕事ぶり、あるいは立場などを知った上で舞台をふりかえると、例えば浦尾VS江島の嫌みの応酬とか、その江島が京都近衛関白家の動向を知っていること、お喜世と綱豊の関係…。なるほど、この役職なれば、と思える場面が多々ございますね。
…しかし、この江島が、12年後に<江島生島事件>で失脚するとは! そんな予感を露ともみせない御浜遊びの賢女ぶりですな。

いいお休みでした

2006年11月16日 | 芝居
鷲神社の二の酉は、昨15日深夜から本日午前2時頃まで、たっぷり堪能してきました。本当なら今日の日記に書かなくてはならないのですが、夜明け前のことでもありますし、今日は今日でいろいろとございましたので、昨日の日付で追記させて頂きます。

さて、今日は昼まで寝坊。幸せでした。さすがに窓から差し込む日差しが強くなって、布団からはい出しましたが、もしかしたら1日中寝られたかも…?
起きてからは部屋の片付け。家中の窓を全開にして、掃除機がけ、洗濯、窓拭き、ゴミ出し、洗面所磨き…。たまった汚れに呆れつつも、綺麗になってゆく楽しさで気分は上々です。昨日はいらないものを整理して、ゴミ袋(大)5袋分の<遺物>を処分しました。やっぱりシンプル・イズ・ベストですね。部屋も気持ちもとてもスッキリいたしました。

午後3時からは銀座に出まして、歌舞伎座顔見世興行昼の部の大切『七枚續花の姿繪 源太/願人坊主』を拝見させて頂きました。両演目とも初めて拝見する踊りなのですが、とりわけ「願人坊主」は、今月私が習っておりました「うかれ坊主」の原曲でございますので、大変興味深く拝見いたしました。昭和4年に六世尾上菊五郎さんが、地の常磐津を清元にかえ、さらに他曲から<まぜこぜ踊り>のくだりを挿入して「うかれ坊主」となったそうですが、「うかれ坊主」になじんだ身として今回の「願人坊主」を拝見しますと、曲、振り、こしらえなど、当然のことかもしれませんが共通するところが多うございましたが、こちらのほうが、装置なども含め、いっそう古風な趣きのように感ぜられました。
先立ちます「源太」も常磐津の舞踊ですが、源平時代の二枚目の武将の廓通いの風情、戦物語からガラリと廓話になる趣向…。先年歌舞伎フォーラム公演で踊らせて頂きました『景清』と、これまた相通ずる踊りでございますね(詳しくいえばこの「源太」の好評から、のちに同趣向の「景清」が作られたのだそうですが)。景清は黒の羽織、着付、袴に傘をさすという出で立ちですが、こちらは藤色羽織、着流しの着付け、兜をつり下げた梅の花枝を持つという洒落たこしらえでございました。
…一幕見席で拝見しましたので、後見のお仕事ぶりなどもよく見えまして、いろいろと勉強になりました。

用事があったので名題下部屋にお邪魔してから、すずらん通りの皮膚科へ。昨日からじんましんができてしまって…それほどかゆみはひどくないのですが、原因がわからないのが不安でして。とりあえず注射と飲み薬の処方をしてもらいましたが、明日には良くなってくれるといいのですが。…というか、だったら1日家で休養すればいいのにと、我ながら思うのですけれど、<今日しかできないこと>は沢山ございましてね…。

その他買い物も済ませて7時頃帰宅。これから残りの家事と落語の稽古、そうだ神棚の掃除もしなければ…。

酉の市! その弐

2006年11月15日 | 芝居
仲間が「16日の<二の酉>、市が始まる午前0時から行ってみよう」と誘ってくれましたんで、夜更けのお酉様へとくりだしました。午後10時に雷門前で待ち合わせして、のんびり歩きながら千束方向へ。仲間の話ではそろそろ出店も始まって、賑やかなころだとのことでしたが…見えてきた屋台群はまだ仕込みの状態だったり、あるいはすっかりテントを下ろしているところが多く、だいぶ淋しき風情。「ホントに賑やかになるんでしょうね!?」と、縁日屋台大好き人間の私としては多いに不安、仲間に何度も問いかける始末。とうの仲間も「たしかやってるハズだったんだけど…」と心もとなげで、熱燗、焼きそば、たこ焼き、焼き鳥、今夜のために夕食をお預けにしてきた私の立場はどうなる? と本気で嘆きましたが、神社に近づくにつれて営業中の屋台が増えてきて大安心。湯気を立てて煮込まれるおでん、モツ煮。お客さん用に何列にも並べられたテーブル、ケースの中でキンキンに冷えたビール、ソースの香り、炭火のにおい。コレですよコレ、お祭り(市は祭じゃないのかしら)はこうでなくちゃ!
時刻はまだ11時。とりあえずあとからくる後輩を待ってから参拝することにして、来客を待つ市の店先をひやかしたり、もうじき静まりかえることになる吉原の街角をブラブラ探訪。そうこうするうちに後輩とも合流し、再び神社に戻ったのが11時50分ごろでしたが…。
いつの間にか人人人! 本殿からの行列が、もうじき鳥居からはみ出してしまいそうなくらい。一時間前の静かさが嘘のよう。屋台も神社周辺はほぼ全店営業開始。すでにほろ酔いの参拝客も見られます。…順番に並んで待っているうちに、本殿から突如太鼓が打ち鳴らされました。これが午前0時の時の太鼓。さあこれから24時間の<二の酉>の始まりです。境内は一層賑やかになり、賽銭の飛び交う音、鈴の音、柏手、歓声、そしてすぐそばの熊手の店からの呼び込み、三本締めのかけ声…。熱気ムンムンの中、すっかりウキウキで参拝を済ませ、皆でぐるりと市を見て回りました。
一通り巡ったあと、やっと出店タイム。長々の空腹に、まずお好み焼きを放り込み、続いて後輩と焼きそばを半分こ。立ち飲み屋台では日本酒を飲みながら焼き鳥をつまむ…。素敵な時間です。そんなに多くは飲まなかったので、しゃきっとしたまま解散したのが16日午前1時半ごろ。立ち通しでしたがそれほど疲れを感じなかったのは、きっと興奮していたからでしょう。その証拠に帰宅後も寝付けず、結局4時近くまで起きてましたから…。

さて次の28日<三の酉>には行ける余裕があるかな。今度はどこの神社にしましょう? それとも昼間の鷲神社に再度訪れ、全店営業の屋台村の活況を見てみましょうか…。
結局は、屋体が目当ての不信心者です。

創作舞踊を観てきました

2006年11月14日 | 芝居
友人の舞踊家が参加した『第16回 創作自由市場 』を拝見しに、下北沢に行ってきました(会場は北沢タウンホール)。
タイトルが示す通り、日本舞踊の一ジャンルとしての<創作舞踊>を研究していこうという若手の方々が中心で、テーマ、音楽、衣裳、演出など、既成のものにとらわれない面白い試みがなされておりまして、全7番の演目を、大変興味深く、また楽しく拝見することができました。
なかでも、擬人化された洗濯機が、その仕事ぶりを踊るという快作『シリーズ “家電を踊る” ―洗濯機―』は、コミカルで洒落っ気の効いた、洗い・すすぎ・脱水の振りを、箏曲『春の海』を地にして繰り広げるというアンバランスさが場内の爆笑を呼び、演者のお茶目な魅力がいかんなく発揮されておりましたし、ラヴェルの『ボレロ』に乗せて、魅かれては別れ、求めては離れる、男女の想いをダイナミックな動きで表した『ボレロ ―二態―』は、男性舞踊家と女性舞踊家との連舞(お二人とも私と同い年とのこと)でしたが、お二人の、内に力をためた緊張感ある身体からの迫力、始終イキの詰んだ踊りぶりには、会場全体自ずと引き込まれておりました。照明の使い方もよく、とても濃密な舞台でございました。
…あくまでも<日本舞踊>であることの難しさもあるのだろうと思いましたが、より<伝える>ということを考えるであろう創作の世界、これからも応援させて頂きたいと思います。

久しぶりに足を運んだ下北沢。駅前の喧噪は、なんだかホッとする賑わい方でした。会場までの小一時間をブラブラ散歩でつぶしましたが、小路を曲がるたびごとに何か発見できそうな、おもちゃ箱みたいな町ですね。

点と線の迷路へ

2006年11月13日 | 芝居
Bunkamura ザ・ミュージアムで、『スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡』を拝見してまいりました。
いわずとしれた<だまし絵>で有名な版画家ですが、今回の展覧会では、それだけにとどまらない多彩かつ異彩の作品群を160点、そして残された下絵、版木、工具などの豊富な資料を通じて、人間エッシャーの不思議世界を探訪できる好企画。子供の頃から大好きだったので、じっくり堪能いたしました!
版画制作を始めた当初から、すでに彼独特の<線>が描かれていたのにまず驚きました。イタリアの風景や自画像、寓意画の挿絵など、描くモチーフはごくごく普通なんですが、彼の目にはいったいどう映っていたのかしら…。私からすれば<病的>なくらい細かく緻密な線と点で切り取った一瞬の<刻>は、光と陰のコントラストも独特で、観る人を、スポッと異空間にひき込んでしまうかのようでした。

続くモチーフとなった<平面と立体の正則分割>。複数のパターンを無限に組み合わせてゆく、幾何学図形のような作品から、そろそろ私たちが想い描くエッシャーの世界が始まります。展示されていた創作ノートには、ことこまかに製図理論が書き込まれていて、邦訳もついていましたが、私にはさっぱり意味がわかりませんでした。平面を埋め尽くすように形作られ描かれた魚、鳥、トカゲ、虫…。おもしろがって作ったというよりも、なにか強迫観念にとらわれて生み出されたもののように、やはり思えてしまうのでした。
そして、三次元ではありえない空間世界を描いた作品群。相変わらず精緻な描線で描かれた、不可能な建物、矛盾した景色。それらは不思議と穏やかで、「どうかいたしまして?」といわんばかりなのですが、風邪をひいたときに見る悪い夢みたいな怖さも感じました。
どうにも私、エッシャーの作品には、<業>みたいなものを感じずにはいられないのですが、自画像にみる彫りの深い顔立ち、常に凝視しているような目の強さ。この人から当分離れられそうもありませんな。
オランダ銀行の新紙幣のデザインコンペに参加したら、<あまりに装飾的>すぎるので落選した、というエピソードには思わず笑いましたけれど…。

そんなわけで、梅之大奥ばなしは明日以降に延期させて頂きます。申し訳ありません。