梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

リセットできる町です

2008年10月31日 | 芝居
昨日のうちに実家に帰りまして、今日のお休みは母と鎌倉散歩でした。
杉本寺、大宝寺、妙法寺、上行寺、八雲神社、ぼたもち寺、大巧寺など…。
10数年ぶりに訪れるお寺もあり、大変懐かしかったです。

上行寺には、<桜田門の変>に加わった水戸浪士、広木松之助の墓がございます。井伊直弼を討ったあと名を変えて潜伏、この寺に3年ほど隠れ住んでいたそうですが、同士が皆処罰されたのを知り、ここで自刃して果てたそうです。
『大老』に出させて頂いたご縁もありますので、しっかりお参りいたしました。後に明治政府から従5位を贈られたそうで、その旨墓碑に記されておりました。

妙法寺は<苔寺>として有名ですが、日蓮上人の最初の草庵があったところです。本堂裏の急な石段を上ると碑が立っています。7月の巡業では、日蓮上人最後の草庵があった身延山にもお参りできました。ご縁ですね。
このお寺の近くの蕎麦屋<竹之家>さんは“三色そば”が名物です。この時期は、茶そばと柚子を練り込んだものと、新そばを太打ちにした田舎そばの3種類。どれも美味しゅうございましたが、柚子の香りの爽やかさ、田舎そばの、素朴でしっかりとした風味はなかなかのものがあります。

寺めぐりのあとは若宮大路と小町通りを買い物。若宮大路に手拭のお店ができていました。数社の製品を取り扱っているようですが、ポップだったりモダンだったり、お芝居には使えないけど、普段使いや壁飾りに、あるいは手芸の生地にしたりと、いろいろ応用できそうな面白くて可愛い柄がいっぱい! 
小町通りはずいぶん様変わりしましたね。知ってるお店がけっこうなくなっていました。それはそれで寂しいものもありますが、かわってできたお店にもなかなかイイものが。飲食店やギャラリー、雑貨屋さんがまとまった複合施設もできていましたし、これからが楽しみですね。

歩きに歩いた1日ですが、古都の“気”を全身に浴びて元気もりもりです。
明日からの顔見世、全力で乗り切ります!


神帰月稽古場便り・下

2008年10月30日 | 芝居
今日は『吉田屋』『寺子屋』『嫗山姥』という順で、立続けに<初日通り舞台稽古>。バタバタしてしまいました。

『吉田屋』での、2回目となる鉢巻ほどきも無事勤まりました。ほどきに行くキッカケが前と違い、そのためあまり急がなくてもよくなったので精神的にはすごく楽です(前回は、浄瑠璃のこの歌詞までに! というプレッシャーがありまして…)。
その分、より仲居らしく振舞えるよう、手順とか段取りを気にし過ぎず、気持ちで演じてみたいと思いますが、初日からしばらくは、やっぱり緊張するんだろうな…。

『寺子屋』は、一日だけとはいえついこの前やりましたからまだしもでしたが、『嫗山姥』は何度も申しますように8年ぶりですので、カンを取り戻しながらの仕事になってしまいました。『吉田屋』同様、主演なさる方によって段取りもかわる箇所もありましたし、その場その場で対応してゆくことは、未熟な私には大変難しゅうございました。
なんとかしおおせホッとしたのが午後九時半。これからゆっくり反省時間をとり、初日の舞台に備えたいと思います。

…明日は私が関わっていない演目のみの<舞台稽古>ということで、お休みとなりました! アア嬉しい!

神帰月稽古場便り・中

2008年10月29日 | 芝居
お昼前から『嫗山姥』の<総ざらい>、夕方から<顔寄せ>に引き続き『寺子屋』の<総ざらい>と『吉田屋』の<附総>。
平行して師匠の楽屋作り…。

もちろん自分の楽屋の用意もいたします。自分が化粧をするスペースのことを、幹部さんでも我々でも<化粧前(けしょうまえ)>と呼んでおりますが、この言葉、ちょっと見るかぎりでは「化粧をする前」というような感じがしませんか? この“前”は、“ビフォア”の意味ではないので念のため。

で、自分のための、その<化粧前>を作っていてアッと気がついたことが。
「歌舞伎座楽屋には鏡がないのだ」…。
国立劇場でも新橋演舞場でも、あるいは名古屋御園座大阪松竹座京都南座でも、大部屋には出演者の化粧用に、人数分のスタンドミラーが用意されるのですが、歌舞伎座に限っては、各自が自前で用意することになっているのです(楽屋にあるのは衣裳着付け用の大きな姿見のみ)。
ワタクシ、半年ぶりの歌舞伎座出演なのですが、6ヶ月の間にすっかりボケてしまったようです。
鏡を持ってくるのをすっかり忘れてました。
<舞台稽古>がなくて良かった~!

…お稽古の話に戻しましょう。
『吉田屋』では、加賀屋(魁春)さんが夕霧をお勤めになります。
本年3月の芝居日記でもご紹介しましたように、夕霧はこのお役のトレードマークといってもいい<病鉢巻>を、幕切れに外しますが、今回再び、この鉢巻を外すお役目を頂戴しました。
またひと月“合引”と格闘することになりますが、2度目ですからより落ち着いてこなしたいと思います。

今回の『吉田屋』の伊左衛門は山城屋(坂田藤十郎)さんで、前回は松嶋屋(仁左衛門)さんの伊左衛門。主演者が変わりますと、ずいぶんと演出が変わりますね。それぞれの違いを楽しめるのも、歌舞伎の楽しさですね。
私の仲居が夕霧の鉢巻を外す段取りも変わっておりまして、1年のうちに両方を勉強できるということで、大変有難く思っております。

明日は私が関わる全ての演目が立て続けに<舞台稽古>。正念場です!



神帰月稽古場便り・上

2008年10月28日 | 芝居
さあ今日から歌舞伎座11月公演<吉例顔見世大歌舞伎>のお稽古です。
昼過ぎから『嫗山姥』『寺子屋』の<附立>。師匠がお出になる演目のみで、私の出番はございませんでした。

『嫗山姥』では、師匠は煙草屋源七実は坂田蔵人。平成12年以来です。そのとき黒衣の後見を勉強させて頂きましたが、今回も勤めさせて頂きます。
稽古に先立って、自宅のビデオ棚をひっくり返してそのおりの上演テープを見つけ、確認のために見たのですが…。
8年前の自分の後見のまずさに呆れました。
途中から消したくなりました。
今回、「ちっとも変わってない!」と言われないよう、心して勤めます。

『寺子屋』でも、舞台にはでませんが、師匠の源蔵には黒衣でつくことになります。
先年NHKホールでの古典芸能鑑賞会以来ですから、勝手は呑込んでおりますが、劇場が変われば、仕事もまた変わるというもので…。
松王丸は松嶋屋(仁左衛門)さん。松嶋屋さんの松王丸に、師匠が源蔵をお勤めになるのは今回が初めてなんだそうです。当然私も初めてですので、色々と勉強したいと思います。

今日の稽古は歌舞伎座ビルの地下の稽古場。人が出る芝居ばかりでしたから、廊下も控え室もモウ大変な混みようで…。
実に歌舞伎座らしいお稽古場風景でした。

大雨の中の撤収でした

2008年10月27日 | 芝居
国立劇場10月公演『大老』も、無事千穐楽を迎えることができました。
新歌舞伎の通し狂言ということで、舞台も楽屋もいつもとはだいぶ雰囲気が違いまして(なにせ劇中劇の『道成寺』のときしか三味線が演奏されませんし、歌舞伎カブキした扮装、化粧もいたしません。柝もチョンチョンチョン…と“刻む”ことをいたしませんでした)、なんと申せば良いでしょう、どこか<ライト>な感じでした。

ともあれ、上屋敷下屋敷双方に出没した腰元役も、大過なく勤めることができました。とくに5幕目(下屋敷)は、同期(14期)の京三郎さん、16期の春之助さん、17期の京珠さん、18期の京由さんという、ごくごく世代の近い研修生仲間だけで勤めさせて頂き、楽屋もみんな一緒でしたから、いいチームワークができたと思います。
また、老女雲之井役の歌江さんと、再びご一緒できたことも嬉しゅうございました。雲之井役は今度で4回目なのだそうですが、私のような若輩が申すのもおこがましいことながら、自然にお役になりきっていらっしゃるそのお姿には、そばで拝見させて頂いておりまして、本当に敬服させられ、憧れるのでございます。

その歌江さんが、老女琴浦役の中村吉之丞さんとともに<国立劇場特別賞>を受賞なさいました。3月以来、体のお具合もあり舞台を休まれ、ほぼ半年ぶりのご復帰となったこの舞台でのご栄誉、誠におめでたく、心よりお祝い申し上げます!

…休む間もなく11月歌舞伎座顔見世公演のお稽古が始まりますが、こんどは<古典>の世界にどっぷり浸かりたいと思います。

お宅はどちら?

2008年10月26日 | 芝居
『大老』5幕第1場は、「千駄ヶ谷井伊家下屋敷の一室」。
桃の節句を明日にひかえた宵。直弼とお静の方との間に生まれ、幼い命をはかなく散らした鶴姫のための雛人形が飾られています。
可愛らしいお人形、華やかな調度がズラリ並べられた雛壇に、直弼もお静も、雲之井も腰元たちも、在りし日の姫を思い浮かべてちょっとしんみり…。
切ない雛祭りですね。

お内裏様が向って右、お雛様が左という並べ方になっております。オヤと思った方もいらっしゃるかもしれませんが、これが本来の並べ方なんですね。
現在、関東ではこれと逆の配置が一般的ですが、これは、大正、昭和の即位式におきまして、天皇陛下と皇后陛下の立ち位置が、それまでの宮中のしきたりから変わって、西洋式に<男が向って左、女が右>という並びになり、以降皇室でこれが慣例になるとともに、市井の雛飾りもこれにならうようになったからです。歴史的には新しいのです。
関西では今も、写真のように古式の並べ方になることが多いようですが、時代につれてこういうものにも変化があるというのは面白いですね。

この場で飾られている雛人形は、小道具として作られたものではなく本物を使用。近くで見ても、本当に立派です。
三人官女の両脇にいるのは<稚児>というものだそうで、ふ~んこういうのを飾る形式もあるんだと勉強になった次第です。

芸術の秋ですから

2008年10月25日 | 芝居
中学時代の美術部仲間だった同級生が六本木で個展を開きました。
今日がオープニングで、私もめったに足を運ばない街へ駆けつけました。5、6年ぶりの再会。ひゃ~懐かしい。
会場内でワインなど頂きながら近況報告やら思い出話やら。閉廊後は近くのお店に場所を移して。

今は学校で美術の先生をしながら創作活動を続けているんですって。
昔からの友人が、アートの世界で頑張ってる! いい刺激をうけました。



<奥田文子展>

10月25日(土)~11月15日(土)
開廊時間 12時~19時 (日・祝休み)

GALLERY MoMo

港区六本木6-2-6 サンビル第3 2F
03-3405-4339

素敵な油彩画です。どうぞよろしく!

菅でできてます

2008年10月24日 | 芝居
頭にかぶる<笠>にはいろいろ種類がございますが、写真は大詰<桜田門>に出てくる井伊家の侍がかぶっている<一文字笠>です。名称は、勾配がない真っ平らな形からきています。
御覧の通り、実際にかぶってみますと、お盆が乗っかっているようでちょっと面白いですね。どちらかというと侍が使うことが多いですが、町人、百姓が使うこともあります。

笠に取り付けられた紐は丸ぐけです。左右に輪になってついておりまして、耳を輪の中に入れるようにあてて、片方に付けられた平紐を顎の下を通して反対側にひっかけ、折り返した端を顎の上で結ぶ。これはどんな笠でも一緒です。
髷の下に通っている紐は<わたり>とも申しますが、これが髷に引っ掛かるので前にかぶりすぎることがないのです。逆に笠をとる時は、このわたりが髷に引っ掛からないように気をつけます。

…一文字笠といえば『吉野山』の佐藤忠信。スッポンからこの笠を手にして登場します。
この場合、紐は踊りには必要ないので、綺麗事ということで、あらかじめ外してあります。
幕切れは、早見の藤太にフリスビーよろしく投げつけるくだりも。それをキャッチした藤太は背中に回して仏様の後光の洒落。

あとは『鈴ヶ森』の立廻り、からみの雲助がこの笠を両手で持ったまま、飛び跳ねた瞬間にパッと足の下を潜らせるという技も、大きな見せ場になっていますね。

とりとめもなく笠の話でした。

さすが地元の味!

2008年10月23日 | 芝居
我が家で<沖縄パーティー>を開催、石垣島出身の衣裳さんが腕をふるってくれました。
前日から仕込んでおいてくれたラフテーをはじめ、ゴーヤチャンプルー、フーチャンプルー、島らっきょう・スパム・島豆腐の天ぷら3種、ゆし豆腐、ミミガー、パパイヤ味噌漬け、海ぶどう、ジューシー…。
おつまみ以外は全部手作り! 食材は全て<わしたショップ>で調達、もちろんビールは<オリオンビール>。

食べるのに夢中になり写真を撮るのを忘れてしまったのが悔やまれてなりませんが、テーブル一杯にならべられた沖縄のおふくろの味。壮観でした。
お腹いっぱい食べ、これまた別の衣裳さんが持ってきてくれた手作りの梅酒で話が弾み、いや~楽しい一夜でした。

年内の予定

2008年10月21日 | 芝居
今日は楽屋でも<歌舞伎座建て替え>の話で盛り上がっておりました。

さて、11月12月はその歌舞伎座に出演いたします。
師匠は11月に『寺子屋』武部源蔵、『嫗山姥』煙草屋源七実は坂田蔵人時行の2役を、12月は『高時』の北条高時、『石切梶原』の大庭三郎景親の2役をお勤めになります。
源蔵はたびたびなすっていらっしゃるお役、源七は2度目、高時と大庭は初役です。
5月團菊祭以来、久しぶりの歌舞伎座、楽しみです。

私は、11月は加賀屋(魁春)さんが夕霧をなさいます『吉田屋』の、仲居を勉強させて頂きます。本年3月に続いて2度目です。12月はまだわかりません…。

本当に、月日の経つのが早く感じられますヨ。
新しい歌舞伎座の舞台に立つ日も、案外すぐにやってくる(ように思える)のでしょう。





再来年4月でお別れ

2008年10月20日 | 芝居
歌舞伎座の建て替え計画が、正式に発表になりましたね。
楽屋、舞台の雰囲気は大きく変わることでしょうが、耐震性、観やすさ、使いやすさ等、よりよい劇場に生まれ変わることを、一出演者として切に願います。
10年ぽっちしかお世話になりませんでしたが、とても寂しい思いがいたします。

今のうちに、写真や映像で、私なりの記録を残しておこうかな、と考えております。

お星様いくつ

2008年10月19日 | 芝居
『大老』3幕目第1場「井伊家上屋敷広庭」の場は、日米修好通商条約調印を祝うパーティー会場。
能舞台もあるお庭に、テーブルやら椅子やらを並べ、星条旗を掲げてアメリカの人々をお迎えしてますが…。

この星条旗、星の数が違いますね。
ご承知の通りアメリカ合衆国の国旗は、独立時は州の数にちなみ、星の数、縞の本数が13。それから州が増えるに従って星の数が増えてきました(当初は縞の数も増やしていたのだそうですね)。
というわけで、この場の星条旗は、条約調印の年、1858年のときのもの。カリフォルニア州が加わって星の数が<31>になったものが使われております。

ハリスが日本下田の港に着いたのは1856年8月。そのとき、自家製の星条旗を掲げたそうですが、この旗も星数は31で、現在も保管されているんですって。

矢絣2態

2008年10月18日 | 芝居
私が勤めております井伊家の腰元、2回ある出番は、それぞれ<矢絣>の着付で出ておりますが…。


3幕目第1場『井伊家上屋敷広庭』では、大柄で、色は紺色(生地は羽二重)。


5幕目第1場『井伊家下屋敷一室』は、柄が細かくなり、紫色になっております(生地は縮緬)。

矢絣、というと、テレビや映画では腰元の衣裳の代名詞のように思われておりますが、歌舞伎では実は意外と少ないんですよ。脇の腰元が矢絣を着るのは『河内山』ぐらい。たいていは無地の鴇色とか納戸色、鶸色、あるいは縫いの模様の入った振袖など…。
(さくら様のコメントで思い出しましたが、『鏡山』の「奥庭」の幕切れに出る腰元も矢絣でした。追記させて頂きます。
10月19日)

シンになるお役では、『忠臣蔵 三段目』文使いのお軽。『落人』でのお軽は、矢絣の方もいらっしゃれば、御所解模様でなさる方も。『魚屋宗五郎』の召使いおなぎも、矢絣か黄八丈か、演者によって変わりますね。
あとは舞踊『屋敷娘』も、宿下がりの奥女中の姿を描いたものですので、矢絣になることが多いです。

立役で矢絣を着る珍しい例が、先年師匠も演じられた『忠臣連理の鉢植』「植木屋」の弥七実は千崎弥五郎。上方出来で、江戸浅草が舞台の和事芝居という変わった趣きの演目ですが、主人公のもつ色気、柔らかさが、この柄によっても表現されています。

…先日も申しましたように、井伊家の上屋敷にも下屋敷にも現れている私ですが、先日、とうとうお静の方(をなさっていらっしゃる加賀屋(魁春)さん)に、
「君、スパイでしょ」
と見破られてしまいました…。



わしゃモウ見えぬ、だったんですが

2008年10月17日 | 芝居
更新は3日間のお休みを頂きました。
15日の昼公演が終わると16日は“休演日”、そして本日17日が夜公演でしたので、ちょっと息抜きの小旅行をしてきました。こんなことができるのも、国立劇場なればこそです。

お昼に東京に帰ってきまして、その足でコンタクトレンズを買いに行ったのですが、最近どうも見えづらいので視力検査をしたら、やっぱり落ちてました。
しかも右目が特に。
昔、利き手ならぬ<利き目>もあるというのをどなたかから聞いたことがあるのですが、使いすぎたのかな。
夜寝る前に布団に入って読書するのがいけなかったのでしょうか。それともパソコンのし過ぎ?

今までは左右同じ度のレンズだったので、装着するのが簡単だったのですが、明日からは「こっちが右用、これは左」と確認しながらつけなくてはならない…。
ああ面倒くさい。

つけ間違ったらどうなるんでしょう?

終わりました

2008年10月13日 | 芝居
藤間の御宗家でのお稽古は今日で終わりです。
順々に進んでゆく御宗家のお稽古は、自分の演目でなくても、後ろで一緒に踊らせて頂けます。
そんなわけで、国立劇場から一団となって訪れた面々の、ほぼ全てのお稽古に同席させて頂きましたので、全てが終わる頃は浴衣もぐっしょり。私が唯一進んで体を動かすコトが<踊り>なんですが、約2時間のお稽古後は、さすがに、なんとも…。

でも気分は爽快!
いっぺんに、こんなにいろんなお役を踊らせて頂けるんですもの。
たしかに疲れますけどね、嬉しい疲れですよ、これは。
あとは、<どれだけ身につけることができるか>なんですが…。
本当に、有難い時間を頂戴しています。