梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅見月稽古場便り・終

2008年01月31日 | 芝居
『仮名手本忠臣蔵 七段目』『熊谷陣屋』『小野道風青柳硯』の<初日通り舞台稽古>。
さすがにバタバタした1日でした。
『小野道風~』の蛙の仕掛けに四苦八苦。歌舞伎らしく、おおらかで古風に蛙チャンを扱うための段取りは大変です。義太夫にも合わせ、師匠演じる道風の演技にも合わせ、そして客席から観て一番効果的な動きとなるような操作…。
やはり、実際の舞台の寸法で動かしてみると、新たな課題が見つかりました。
一連の動作に携わる、ごく限られた人数でしっかりと見せ場を作れるよう、それぞれの<芝居心>を発揮して取り組みたいものですが、明日初日を迎えるとはいえ、しばらくは試行錯誤が続くと思われます。
とにかく蛙の気持ちになるしかない! 
義太夫狂言『小野道風青柳硯』の世界に身を投じるしかない!
なにより<歌舞伎>であることを忘れない!

課題は多いのでございます…!!!

梅見月稽古場便り・3

2008年01月30日 | 芝居
『春興鏡獅子』の<初日通り舞台稽古>、『小野道風青柳硯』『熊谷陣屋』の<総ざらい>、『仮名手本忠臣蔵 七段目』の<舞台にて総ざらい>でした。

『鏡獅子』の後見では久しぶりに立役の化粧。つい1年前まで毎日していたことなのに、羽二重をするところからしてパッパといかなくなってしまったのが、情けないような致し方ないことのような…。
どちらにしてもする仕事は変わりません。綺麗に、さりげなく、行儀良く。松嶋屋(芦燕)さんのお弟子でいらっしゃる、片岡燕治郎さんと2人一緒で仕事をいたしますので、よくよくイキを合わせてまいりたいと思っております。
しかしまあ、あのクリスマスツリーのような牡丹の枝、重たいですナァ…。

『小野道風~』は久しぶりの上演ですので、素稽古を3回行いましたが、それも今日で終わり。道風の台詞や竹本の曲、コトバ、演技の段取りもすっかり整理されまして、短いお芝居ながら、前半のしっとりとした風情、蛙の不思議、後半の相撲の技を使っての立廻り…と、変化に富んだ展開で見どころも多い、なかなか面白いひと幕になったと思うのですが、これはご覧頂くお客様のご判断にゆだねなくてはならないところですね。

『七段目』は舞台でお稽古となりましたので、居所合わせもでき、明日の舞台稽古もスムースにゆくことでしょう。こちらは大勢いるなかの1人として、目立たず自然にその場に<いる>ことができれば。それだけだと思います。
ちょこちょこと出番があり、結局1時間半近く同じ拵えでおりますが、こういう役もそうはございませんね。

『車引』の舞台稽古を拝見させて頂きました。私たち14期生が研修中、播磨屋(又五郎)さんにじっくり教わることができたお芝居。拝見しながらいろんなことが思い出されました。

梅見月稽古場便り・2

2008年01月29日 | 芝居
お昼前から『小野道風青柳硯』の<道具調べ>に引き続き<附立>。
道具調べとは、ほぼ本番通りに飾られた大道具や小道具を、主演者や演出・監修者がチェックして手直しをしてゆく作業です。『小野道風~』は、京の柳ヶ池のほとりというごく単純な舞台面なのですが、ここに、お芝居の進行や演出にあわせ、仕掛けものをしたり、出入りの動線を確保したりいたします。
肝心かなめの蛙チャンがちゃんと動けるよう、大道具さん、小道具さんはもとより、舞台監督ともいえる狂言作者さんともじっくり時間をかけて打ち合わせをし、舞台稽古を2日後に控えて、とりあえずの段取りを作りました。<蛙飛び>の見せ場のために、様々な分野の方々がお知恵を下さいました。やっぱりお芝居はみんなで<作る>ものなのですよね~。

続いて『熊谷陣屋』の<附立>。私が入門してからでも、これで3度目となる師匠の義経。段取りはすっかり承知しておりますので、バタバタしなくていいのが助かります。

<顔寄せ>のあとは『仮名手本忠臣蔵 七段目』の<附立>。初めての仲居役です。何度も拝見している演目ですので、雰囲気はわかっておりましても、いざ自分がその役で出る段になりますと、思わぬところで(?)となるところが色々ございまして、先輩方に改めて伺うことが多うございました。賑やかな祗園の廓らしさが出せるように、そして行儀良く勤めるよう、勉強させて頂きます。

最後は『春興鏡獅子』の<舞台にて総ざらい>。高麗屋(染五郎)さんと2人の胡蝶は扮装をしてお勤めになりました。
昨日も書きましたが、まさか自分が携われるとは思ってもみなかった演目で、後見としていろいろお仕事をさせて頂ける嬉しさはひとしおなのですが、緊張感もすごいものがございます。新歌舞伎十八番の中でも大曲として知られ、<重い>作品でございます。そういう格を崩さぬ後見でいられるよう、心して取り組みたいですが、舞台稽古を前に、本舞台、初日通りの装置、小道具で稽古ができて本当に良かった! 勝手がよくわかりましたし、ほとんど本番と同じ、ピンと張りつめた空気に慣れることができましたしね…。

その『鏡獅子』の<初日通り舞台稽古>が明日朝一番のお稽古。
早起きをして、しゃっきりとした頭で楽屋入りしませんと!

梅見月稽古場便り・1

2008年01月28日 | 芝居
1日のお休みを頂きまして、本日より歌舞伎座<二月大歌舞伎>のお稽古です。
まずは、本興行では昭和21年12月三越劇場以来、実に62年ぶりの上演となる『小野道風青柳硯』の<附立>。
小野道風が、柳に飛びつく蛙の姿を見て政変を察知し、これは大変と意気込むところへ、悪人方の相撲取り独鈷の駄六が道を遮るが、かつては相撲上手でならした道風、鮮やかに敵を倒して去ってゆく…。
とまあ、筋はいたって単純、ごくごく短いお芝居なのですが、小野道風のお役は、近くは初代の播磨屋(吉右衛門)さんはじめ、先先代の明石屋(友右衛門)さんや十三代目の松嶋屋(仁左衛門)さんもお勤めになってきた、じつに古風、大時代な演目でございます。

今回の上演にあたりましては、過去の映像こそ残っていないものの、義太夫の曲は伝わっておりました。また小道具などは昭和54年8月に<歌舞伎会>の勉強会で上演されたときの資料が残っておりましたし、そのおり小野道風や駄六をなすった方が今も現役でございますので、そういう方々が覚えておいでのやりかたに、「演劇界」「演芸画報」など各雑誌にある舞台写真も参考にして、こんにちでの『青柳硯』を作り直すという感じで、1回目のお稽古が行われました。

小野道風が柳の下で蛙を見込む姿は、花札の絵柄として皆様にはなじみ深いと思いますが、この芝居では、そのお馴染みの場面を舞台に再現するというのがひとつの趣向だそうでして、当然蛙チャンが登場するのですが、師匠勤める小野道風に密接にからむこの生き物が、どのように扱われるか、是非是非お楽しみ頂きたく存じます。

続きましては『春興鏡獅子』の<附立>。胡蝶役に梅丸が出演させて頂いているご縁でしょうか、後見をさせて頂くことになりました。といっても、どなたかのご用事をするというものではなく、小道具や飾り物の出し入れなどを担当させて頂く、いわば<附け後見>です。邪魔にならずスムースに仕事ができるよう努力いたしますが、こういう機会がなければ、生粋の女形舞踊である『鏡獅子』には携われなかったでしょうから、本当に有難く、勉強になります。

早く稽古が終わったので、後輩と日比谷で焼肉。久しぶりのお肉はだいぶ元気をつけてくれましたよ~。



終わってホッとしたひと月

2008年01月26日 | 芝居
本日、歌舞伎座初春興行の千穐楽。
来月も歌舞伎座出演なので楽屋の撤収作業もなく、門前仲町<ココナッツパーティー>でささやかに祝杯をあげてから帰宅いたしました。

昼の部では『猩々』の裃後見に『一條大蔵譚』の黒衣後見。夜の部では『助六由縁江戸桜』の揚巻付き振袖新造と、新春早々沢山勉強させて頂きました。
『助六』の新造役は、常ならば名題俳優さんがお勤めになるようなお役を、全員名題下で勤めさせて頂きましたのが、大変なプレッシャーでございましたし、恐れ多いことでございました。成駒屋(福助)さんお勤めになる三浦屋揚巻が、打掛の裾を上げ下げする場面がございまして、我々はその介錯をせねばなりませんでしたが、中に綿を入れて厚みを出した上に、幾重にも重ねてある裾を、見栄え良くまとめること、それに合わせて、打掛自体にあしらわれた刺繍による模様を綺麗に出すこと。要求される仕事は、当然ながら簡単なものではございませんでした。全員初役の新造一同、毎日試行錯誤しながら勤めさせて頂きましたが、ようやくスムーズにできるようになったかな、という頃がすでに楽日近く。つくづく経験の足りなさを恥じ、なるほど、百戦錬磨の名題俳優さんがお勤めになるのが道理なお役なのだと痛感した次第です。

とはいえ今回、未熟ながらもこのお役を経験させて頂いたことはなにより有難く、本当に本当に勉強になりました。もし次回があるのならば、その時こそ、さらに恐れず慌てずテキパキと、きちんと仕事をこなしたいと、切に思っております。

同じ様な意味で、『猩々』での<能衣裳>、『助六』での白酒売りの<東からげ>も、いわゆる形(かたち)もので、見た目の美しさを要求される着付けでございました。今回その両方をさせていただき、大いに悩むことになりました。こうした仕事は、突き詰めれば突き詰めるほど、難しくなりわからなくなってくる…。もっと精進、精進! です。

また、すでにお伝えしましたように、公演途中で声を痛めてしまい、2日間ほどお聞き苦しい台詞になってしまいました。深く反省、お詫び申し上げます。お陰様ですっかり復調いたしました。今後はこういうことがないよう、十分体調には注意してまいりたいと思います。

さて来月は『仮名手本忠臣蔵 七段目』の<仲居>に出演させて頂きます。それから、大変珍しい『小野道風青柳硯』でも色々と…。
行く1月はあっという間、逃げる2月はどのような毎日になりますでしょうか?


もう取りかかっております

2008年01月25日 | 芝居
今日は平成20年度『第14回 稚魚の会 歌舞伎会 合同公演』開催へ向けての会合でした。
今夏の勉強会に参加希望の役者たちがほぼ全員集まっての話し合いは、すでに年の初めから始まっているのです。公演形態や上演演目など、今から取りまとめておかなければならないことは意外と多うございます。

いずれ詳細を発表できるとは存じますが、演目、配役が決まるまで、あと数ヶ月(長いナ)お待ち下さい。


素敵な素敵な瞬間

2008年01月24日 | 芝居
歌舞伎に限らず、どんな演劇でも、お客様からどう見えるかということを考えて演技、演出が考えられているのだとは思うのですが…。

今月、「これは絶対お客様には見えない光景だろうな~」と思う場面がふたつございます。
ひとつは『一條大蔵譚』の「奥殿」。師匠勤める吉岡鬼次郎の背後に、黒衣の後見として控えながら拝見する、播磨屋(吉右衛門)さん演じる大蔵卿のお背中。
浄瑠璃の「暁の明星が 東へちろり 西へちろり…」で、二重から舞台へ降り、つくり阿呆の体で、ぼんじゃりと空をあおぐそのお姿。その視線の先にあるのは、現実的には大入りの客席なのですが、大蔵卿のお背中越しには、たしかに白々と明けそめた大空が広がって見えるのですよ…。

もうひとつは『助六由縁江戸桜』、成駒屋(福助)さんの揚巻の花道の出。
満場の視線を浴びながら揚幕を出、七三で客席の方に向きを変えて立ち止まりますと、付き従う振袖新造として後ろに並んでいる私からは、番頭新造や禿(かむろ)たちの頭越しに揚巻の上半身が見えるのですが、黒御簾前に鮮やかな金、赤、緑で描かれた、“新吉原 竹村伊勢”の飾り物の書き割りのなかに、艶やかな白いお顔がくっきりと浮かび上がり、これぞ歌舞伎! の彩りの美しさを、本当に間近に拝見することができ、つくづくこの舞台にこのお役で出させて頂けた幸せを思うのです。

初春早々、こういう体験ができる有難さ。11年目に突入の役者人生、ますます充実したものになれるかも!?

宝は大切に

2008年01月22日 | 芝居
昼の部の『一條大蔵譚』で、大蔵卿から吉岡鬼次郎に託された<友切丸>。
夜の部『助六由縁江戸桜』では髭の意休が持っている。
来月夜の部『寿曽我対面』では鬼王新左衛門が探し出して持ってくる。

いったい何人の手を渡ってもとに戻るのでしょう?
かりにも「源氏の重宝」ですよ…。

(3作品がまったく別々に成立した芝居であることを承知して書いておりますので念のため)

外れる襟

2008年01月20日 | 芝居
『一條大蔵譚』の「奥殿」の終盤、大蔵卿から源氏の重宝友切丸を託された吉岡鬼次郎は、軽快な竹本の浄瑠璃にノッて、平家打倒を勇んで誓います。
ここで鬼次郎は、着付の上半身を脱ぎ、下に着ていた襦袢を見せる、いわゆる<肌脱ぎ>となるのですが、この時、襦袢の襟の部分をペロリと取り去ります。この取り去ってしまう襟は<掛け襟>といわれているもので、歌舞伎の衣裳に関わる演出として、様々な演目で見られます。

<肌脱ぎ>になるお役のとき、後に見せることになる、下に着込んだ襦袢の柄や色が、上に着ている着付とそぐわない場合、とりあえずお客様の目に触れてしまう襟もと部分のみ、着付に合う色みの布を被せて留めておき、肌脱ぎになったときにその布を取り去るというわけで、見た目の調和やおさまりの良い着こなしを重視する歌舞伎衣裳の知恵と申せますが、歌舞伎では、肌脱ぎをするということは、そのお役やお芝居の局面に、何らかの変化があったことをも表現しますから、そういう劇の展開の<底を割らない>ため、という意味もございます。

鬼次郎の場合では、黒地牡丹唐草の地紋の着付から、紺地に牡丹唐草の織物の襦袢になるわけですが、襟には勝色(青)の掛け襟をかぶせてあり、これは着付の裏地の色と同色ですので、脱ぐまでの間の見た目が落ち着くということです。
掛け襟は、ごくごく軽くしつけ糸で縫い留めることもあれば、<引き抜き><ぶっかえり>でも使われる<タマ>のついた糸で留めることもございます。今回は襟を取るまでの時間が長いこともあり、しっかり固定できる<タマ>で留めております。

…『吉野山』の忠信は、屋島戦物語のくだりで肌脱ぎをします。赤の襦袢を着る場合は、やはりここで、着付に合わせて取り付けられた浅葱色の掛け襟を取るのですが、その後の早見の藤太との立廻りのときには、再び肌を入れてもとの姿になります。となると赤襟のままではオカシイわけで、今度は逆に襟をかぶせるのかというとそうではなく、この襦袢には2重に掛け襟がつけてありまして、さっき現れた赤襟も実は掛け襟。いったん舞台袖に引っ込んだ時、肌を入れる前にこれを取ると、再び浅葱色の襟になるのです。

一方『落人』の勘平も、花四天との立廻りの前に肌脱ぎになりますが、こちらは赤の襦袢に浅葱の襟のままで、掛け襟ではないんです。この場合、肌を入れるのが舞台上で、しかもお軽が介錯をする段取りになっているため、襟のつけ外しがやりにくいということもあるのでしょう。

現実的にはありえない仕草なのでしょうが、シンの俳優さんがこの掛け襟をパッと取り去る姿はなんとなくカッコ良く見えますよね。

足もともよろよろと…

2008年01月19日 | 芝居
3回目の『猩々』話です。
酒好きの霊獣、猩々が、酒売り孝風との邂逅にすっかり機嫌を良くしての、盃を重ねながらの舞が、お能、歌舞伎舞踊共通の見せ場となるのですが、このくだりで見られる特殊な足づかいが、<乱(みだれ)>といわれるものでございます。
<乱>とは、お能の『猩々』における小書(こがき)、つまり特殊演出の名称でして、この演出になりますと、本来ならば中の舞というお囃子にあわせて猩々が舞うところが、独特の拍子の囃子に変わり、摺り足が基本のお能の舞には珍しい、つま先立ちの足さばきも交えた、酔態の表現が見られるのです。

なにぶん門外漢ですので詳細には申せませんが、調べてみますと「ヌキ足」とか「流れ足」、「乱れ足」というような足づかいがあるそうで、各流派によって相違があるようです。
歌舞伎舞踊のほうでも、この箇所は振り付けによって各々違いがありまして、師匠が演過去じた坂東流の『寿猩々』と、今月の藤間御宗家の『猩々』でも、全く違う振りになっておりますし、地唄舞を習っている後輩に聞きましても、これまた独自の足づかいがあるとのこと。

お能の演出との関係で申せば、舞台上に大きな酒壷を出すのも、やはり小書にあるもので、流派により<置壷>とか<瓶出>と言われているそうです。坂東流の『寿猩々』では出しません。酒を汲み交わすところは全て中啓を使って表現します。
猩々が2人出るのは<和合>とか<双之舞>という小書。猩々が7人出る演出もあるそうですね。

何故か私、この『猩々』には心惹かれるものがございまして、いろいろと喋りたくなってしまいます。
無類の酒好きという共通点があるからでしょうか?
神でもなく、人でもない、不思議な存在『猩々』…。

「酔いに臥したる枕の夢の 覚むると思えば泉はそのまま 尽きせぬ宿こそめでたけれ」という詞章を聴いていると、なんだかジ~ンときてしまいます。夜通し語り合い、舞を楽しんでいた孝風と猩々。空白々と明ける頃、気がつけば猩々は波間に消え、目覚めた孝風、あれは夢かと思ったものの、猩々から授かった汲めども尽きぬ酒壷はまさに目の前に。やっぱり本当だったんだと海のかなたを見送る…。
そんな光景が、自ずと浮かんできましてね。2人はまた会えるのかなァなんて…。

赤尽くし菊尽くし

2008年01月18日 | 芝居
今日は合間の時間に、無料で無線LANが使用できる<SEATTLE’S BEST>から更新しようとパソコンを持ってきたのに臨時休業。パソコンを持ってネットカフェに入るという、なんとも無駄なことになってしまいました…。

さて、猩々です。
猩々は中国の想像上の獣で、古くは「礼記」「山海経」に記されております。
海中に棲み、人語を解し、赤い毛に覆われ顔も赤ら顔、よく酒を好むというのが特徴とされる猩々は、そのキャラクターの面白さからでしょうか、日本に伝わってからは各種の芸能に登場するようになりました。
その決定版とも言うべきものがお能の『猩々』で、孝行者の孝(高)風が霊夢によって市で酒を売ると大繁盛となり一家は栄えるが、毎日店に来ては酒をたらふく呑む謎の客がおり、素性を訊ねると「海中に棲む猩々だ」と言って客は立ち去る。その夜孝風が潯陽の入江におもむくと、はたして海中から猩々が現れ、舞つ唄いつの酒盛りとなり、夜も明ける頃、猩々は孝風に汲めども尽きぬ酒壷を与えて再び海中へと戻ってゆく…。というストーリーは、中国には出典とみられる文書がないことから、日本での創作とみられているそうです。

全身が赤いというのは、酒に酔っている様をあらわしているのでしょうか。お能では、面、かぶりものの毛、大口袴や着付、唐織にいたるまで、すべてに朱色や紅色、緋色を使い、猩々の姿を表現いたします。唯一足袋だけは白なのですが、かつてはこれも赤く染めていたことがあったと、手元の資料には書いておりました。
歌舞伎になりますと、さすがに顔まで赤くすると「赤ッ面」になっていしまいますので、普通の化粧ですが、その他の扮装はほぼ本行通りになっております。

大口袴の柄が<青海波>模様なのは、海中に棲むことを表しています。また、菊の露を飲んで700余才の長寿を保ったという彭祖の故事や、重陽の節句に菊に被せた綿にしみ込んだ露で邪気を祓うことが、<百薬の長>といわれる酒のイメージと重なることにより(今でも日本酒の銘には<菊>が多いですね)、着付の上にまとっている唐織、唐織りを締める紐から垂らす石帯には<菊>の模様が入ります。お能『猩々』の詞章にも「老いせぬや老いせぬや 薬の名をも菊の水」や「ことわりや 白菊の着せ綿をあたためて 酒をいざや酌もうよ」とありまして、この演目と菊とはゆかりが深いようです。

もうひとつ、本行に倣っているのが中啓で、これは必ず<百草図>という柄なのです。百草とは、四季折々の花々を等間隔に描き出したもので、朝顔、桔梗、女郎花、蒲の穂などもございまして、実に可愛らしく、また品のある柄でございます。これも地の色はやっぱり赤。徹底しております。

…猩々につきましては、もう少しお伝えしたいことがございます。それはまた明日ということにいたしましょう。



同題異曲

2008年01月17日 | 芝居
今月昼の部の序幕『猩々』で、師匠は高麗屋(染五郎)さんと猩々役をお勤めになっておりますが、師匠はかつて『寿猩々』でも同役を演じております(平成16年6月博多座/同年10月歌舞伎座)。

『猩々』は『二人猩々』とも題することも多く、長唄の曲。明治7年河原崎座の初演で、同座に伝わる脇狂言「猩々」をもとに作られたものが原型で、それにさらに手を加えたものが現行の曲だそうです。
一方の『寿猩々』は、昭和21年に8代目の大和屋(三津五郎)さんの振り付け、西亭(文楽座の野澤松之輔師の筆名)の作曲で作られたもので義太夫の曲です。

どちらも能の『猩々』をもとにした歌詞なのですが、義太夫『寿猩々』は、ほぼ本行通りの詞章なのに対し、長唄『二人猩々』は、中盤にやや世話がかった酒尽くしの歌詞が挿入されるのが特徴でしょう。「弥生は桃酒桜色 皐月は花の菖蒲酒」とか「酒は葡萄酒 養命酒 薩摩の国の泡盛」など、なかなか面白いと思います。

長唄のほうで猩々が2人出るのは、本行での<小書(こがき)>によるもので、お能では通常演出ならば1人なのです。
『寿猩々』は初演以来松羽目の舞台で演じているようですが、『二人猩々』は舞台装置は一定しておりません。唐土は潯陽の入江という設定ですので、浪を描いた屋外の装置になったり、今月のように松羽目になったりです。
同じ題材でも、曲によってだいぶ雰囲気が変わるもので、両方で後見をさせて頂きました身にとりましても、その違いがとても興味深いです。

余談ですが、義太夫『寿猩々』は、昨年10月の国立劇場『うぐいす塚』で、高麗屋(染五郎)さんが鼓、太鼓の腕前を披露する場面でたっぷりと使われましたから、覚えておいでの方も多いと思いますヨ。私はその場に腰元役で出ておりましたが、曲を聴きながら、いつも4年前の師匠の舞台を思い出しておりました。

明日は、そもそも<猩々>とは? というところからお話をさせて頂きたいと存じます。

失礼をいたしました

2008年01月16日 | 芝居
私の声の不調により、6日間のお休みを頂きましたが、本日より更新を再開させて頂きます。
早々に咽喉科の先生に診て頂き、適切な処置を施して頂いたおかげで、ガラガラ声は2日で治まり、今週月曜日からはほぼ通常通りの声が出るようになりました。諸先輩方、仲間たちはもとより、揚巻をお勤めになっていらっしゃる成駒屋(福助)さんからも、「気にしすぎないように」との有難いお言葉を賜りまして、多くの皆様のお励ましのお陰で苦境を乗り越えることができました。
乾燥シーズンですので今後も油断はできませんが、ひと言の台詞とは申せ、誠心誠意心を込めて喋るためにも、喉のコンディションには重々気をつけ、お客様に失礼のない芝居ができますよう、残り10日の舞台を勤めてまいりますので、何卒よろしくお見守り下さいますよう、ひとえにお願い申し上げます。

中村梅之 拝

申し訳ございません

2008年01月10日 | 芝居
2、3日前から空咳が出てきて(これはいかん)と薬を飲んで対処はしていたのですが、舞台での発声がつらくなってしまいました。
お客様に申し訳ない思いでいっぱいですが、1日も早く本復させるのが第一と心得て、喉のケアに努めます。
調子が戻るまで、しばらく更新をお休みさせて頂きます。悪しからずご了承下さいませ。

角のお店

2008年01月09日 | 芝居
全然お芝居に関係ない話で恐縮ですが、晴海通りと昭和通りの交差点に面している、現在<PRONT>が入っている建物。
あそこは、私が役者になったときから考えても、少なくとも3、4回はテナントが変わっていると思うのですが、ではどんなお店が入っていたかと振り返ってみるとなんとも曖昧で、(ケーキを食べたような気がする…)(なんかのショールームだったような気がする…)とおぼろげな記憶しかないのです。

ふと考え出したら気になってしょうがありません。
どなたか覚えておいでの方はいらっしゃいませんか?