梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

予測する舞台稽古

2005年03月31日 | 芝居
今日は「舞台稽古」。今回は比較的スムースに終わりました。役者にとってお馴染みの狂言ばかりだったからでしょう。
舞台稽古のスケジュールは、演目ごとに<何時から始める>と決めて行うことはありません。四つの芝居を稽古するとして、その一番最初の演目の稽古開始時間のみ伝えられ、あとはよほどの事情がない限りぶっ続けで行うのです。ですから、自分の出番が、いったい今日の何時頃になるかどうか、予想をたてながら、化粧、扮装をするのです。
今日の稽古を例にとれば、午前十一時から、『源太勘当』、『与話情浮名横櫛』、『毛抜』、『籠釣瓶花街酔醒』を続けて稽古しました。私は『与話情~』からです。…『源太~』が一時間十五分の芝居。それからダメ出し、舞台装置の飾り直しが三十分間かかるとして、『与話情~』が始まるのは一時頃だろう。となると化粧は十二時に始めればいいかなア…。と、このように自分で考えて動いていかなくてはならないのです。ときにこの判断を誤り、ちょっと出かけて帰ってきたら、あと五分で芝居が開く!なんて事態もあったりして、総体的に皆早め早めの支度となってしまいます。
ところが、いざとなると衣裳さんが来なくて着られなかったり、急に居所を確認するからと舞台に呼ばれ、化粧の途中で駆け出したり、酷いときにはカツラが無い、小道具がない、もうてんやわんやの状況になることもしばしばあり、段取りをつけられない「舞台稽古」は、一番せわしない一日と申せましょう。

稽古の寸法

2005年03月30日 | 芝居
今日は稽古二日目。昨日「附総」だった『京鹿子娘道成寺』が「初日通り舞台稽古」、あとは「総ざらい」でした。
「総ざらい」までが稽古場で行われることは昨日書きましたが、歌舞伎座の場合、劇場の一階客席ロビーに、「上敷(じょうしき)」という長いゴザを並べて敷いて、臨時の稽古場とすることが多いです。
といって、稽古場を持っていないわけではなく、楽屋口の右手にある「喫茶アリス」の地下や、歌舞伎座から晴海に向かう途中にある東劇ビルの一階に、松竹の公演用の稽古場はあるのですが、ロビーで行う方が、楽屋からの行き来も楽ですし、稽古の合間で、舞台上での「道具調べ」、つまり大道具などの舞台装置の点検、だめだしをするのに便利、など、何かと都合がいいので、事情によりロビーを使えない時は、先にあげた二ケ所のうちどちらかを使いますが、ほとんどはロビーでの稽古になります。
とはいえ普段はブロマイドやお土産のお菓子なんかを売っている場所ですから、稽古用に設計されているわけではなく、少々手狭です。歌舞伎座の舞台は間口十五間、つまり二十七.三メートルありますが、稽古場はせいぜい八メートル。奥行きなどは三メートルもありませんから、とても本番通りの演技はできませんし、大人数が居並ぶ芝居などは、役者が上敷の中に入りきらず、ロビーの絨毯に直座り、ということもあります。
ですので稽古場での動きや段取りに不都合があっても、「ま、明日舞台稽古で」なんて一言で片付いてしまうこともしばしばで、私も今でこそこういう稽古に馴れましたが、入ったばっかりの頃は、これでいいのだろうかと不安に思ったものでした。
そして、舞台稽古は舞台稽古でまたいろんなことがおこります。それはまた明日。

芝居ができるまで

2005年03月29日 | 芝居
昨日の演芸ホールは大盛況でした。ニ時から入場しましたがすでに立ち見。夜の部になるまでの二時間半、すし詰めの客席で足の疲れに耐えながらの見物でしたが、国宝級「昭和のいる・こいる」両師の話芸を堪能しました。
さて、たった一日のリフレッシュ期間を終えて、今日から歌舞伎座「四月大歌舞伎」のお稽古が始まりました。そこで、今日は歌舞伎の稽古の流れを御説明しましょう。
一興行でだいたい六~八本のお芝居を上演する歌舞伎公演ですが、この全ての演目の稽古を、普通は四日、ときには三日で終わらせます。長い歴史の中で、演出、動きの手順が出来上がっているからこそ可能なのでしょう。
一日目は「附立(つけたて)」と申します。「附け」とは「附け帳」、すなわちひとつの芝居のなかで、どんなお囃子、唄を入れるかを記す帳面のことで、江戸時代は基本的に毎公演芝居を書き下ろしておりましたから、稽古の初日にはこの「附け」を書き込む、つまり「立てる」ことから始まるので、この名称が生まれました。それが現在にも残っているわけです。
そして二日目が「総ざらい」。読んで字のごとし、総仕上げとなります。
ここまでが、扮装をしない「素」の稽古。稽古場で行われます。そして化粧をし、衣裳を着て、舞台で行うのが「舞台稽古」となるわけです。舞台稽古も二種類あって、ただの「舞台稽古」となると、進行中不都合があれば随時ストップし、やり直したり、打ち合わせをしなおしたりすることがありますよ、ということになり、「初日通り舞台稽古」となると、これは本番を想定し、よほどのことがない限りノンストップで進行しますよ、ということになりますが、普通は「初日通り」の舞台稽古のみを行い、ただの「舞台稽古」をしたさいは、次の日改めて「初日通り」の舞台稽古を行うのが慣例です。また、化粧をせずに衣裳のみ、あるいは全くの「素」で行う場合もあり、これは主演者の判断にまかされます。
また、主演者が何度も手掛けていて、わざわざ「附立」「総ざらい」と二回も稽古をする必要もない演目の場合は、「附総(つけそう)」と称して一回の稽古にして「初日通り舞台稽古」とするか、あるいは「附立」をして、「総ざらい兼初日通り舞台稽古」とするなど、二日間で済むような方法もとられます。
逆に新作で稽古日数を多く必要とする場合は、一日目を「本読み」、二日目以降「附立」までを「立ち稽古」とするなど、随時変わってまいります。
いずれにせよ、短い時間で芝居を完成させるのは、いかに段取りが決まっているとはいえ、気持ち的に大変なものです。

今日は「浅草演芸ホール」へ

2005年03月28日 | 芝居
今日は久しぶりのお休みです。
昨日までは毎朝八時半に起きていましたが、今朝は十一時までゆっくり寝ることができました。
これから朝昼兼用の食事をとって、部屋の掃除でもしようと思っておりますが、せっかくなので、昼過ぎから浅草へ出て、寄席でも聴いてこようと思っております。
私、大の落語好きでして、寄席へはよく足を運びます。一人で何役も語りわける話術、扇子や手拭をさまざまなモノの見立てる演技、うまい人のを拝見しますと、いろいろと参考になりますし、落語のネタを歌舞伎に仕立てた演目があったり、落語の中で歌舞伎のさわりが出てきたりと、おたがいに関連しあっている芸能ですから、いろいろな知識を得る意味でも、見ていてソンはございません。
また、寄席そのものの雰囲気も大好きです。少しさびれた感じすらする客席には、昼から酒を飲んでるおじさんなんかがいたりして、すこしも上品振ったところがない。舞台でも、仕掛けが解りそうな手品師(マジシャン、という言葉は似合わない)、何度聴いても同じ話の漫談師、ここでしか着られないような派手派手衣裳の夫婦漫才、声色、紙切り、曲独楽、コント…。
どこか懐かしい、時代の流れに乗ろうとしない芸人達の世界に私は惹かれます。そして、そんな世界に飛び込んで、前座でたどたどしくも一生懸命に噺をする若手達にも。
寄席からの帰り道は、いつも心なしか元気になっています。

本日千穐楽

2005年03月27日 | 芝居
お陰さまで、本日「三月大歌舞伎」最終日を迎えられました。
歌舞伎やお相撲では、興行の最終日を「千穐楽(せんしゅうらく)」と申しております。語源は雅楽の曲名からきたとも、あるいは能の詞章からきたともいわれていますが、興行の「初日」とともに、大切な日とされております。
ひと月の舞台が無事に終わることを祝し、幹部俳優さんや興行主さんは、各楽屋を「おめでとうございます」と挨拶してまわります。そして出演者や演奏家、関係者各位には「当り祝い」という祝儀を「大入り袋」に入れて配られます。
また、舞台のほうでも、「今日で終わりなんだから!」という考えなんでしょうね。芝居のなかであっと驚くようなアドリブをいれたり、いつもと違う扮装をしたりして、お客様や共演者を面白がらせる方もいらっしゃいます。
舞台も楽屋も、なんとはなしに浮き立った感じがする「千穐楽」ですが、自分の、そして師匠の楽屋の荷物を撤収しなくてはならず、これが結構疲れます。翌月も同じ劇場に出演するのならたいしたことはないんですが、翌月はお休みだとか、地方に行くとなると、鏡台を梱包したり、小物は段ボールに詰めたり、絨毯は丸めて縛ったりと、まるで引っ越し作業のようです。歌舞伎はひと月単位の興行ばかりですから、じつはこの作業、ほとんど毎月ニ回(初日前には荷あけをしなくてはなりませんからね!)おこなっているわけです。
気がつけば、荷造りの達人になっているかも?

役者が芝居を見る時

2005年03月26日 | 芝居
何度も書いておりますが、昼の部の「口上」で終わってしまっている私。それ以降の演目も、見よう、見ようと思っていましたが、今月はなにかと私用が多く、その忙しさに取り紛れ、ついつい怠けてしまいましたが、今日は幸いになにも用事がなく、思い立って、夜の部の最終演目「鰯売恋曳網」まで、すべてのお芝居を拝見することにいたしました。
自分が出演していない演目をどこから見るか。一番落ち着いて見られるのは、劇場に断ってから、空いている客席で見る時ですね。真正面から見ることができますし、客席の中にいると、お客様の反応もわかって、なかなか気付かされることも多いのです。二階の最後列が定席になっていますが、ここにいると、他の劇場に出ている方や、時には幹部俳優さんまでいらっしゃることもあり、気がつくと幕内ばっかりが並んでいることもあります。
ただしこれは空席がある場合のみの話で、今月のように大入り満員で空きがないときは、また別のところから見ることになります。
一つは「花道の揚げ幕」。舞台から見ると、花道の突き当たりには幕があって、その奥が控えの間になっております。この控えの間(鳥屋・とや、という)から、幕を少し開けてのぞき見るのです。ここからだと、少し斜になりますが、ほとんど正面から見ることができます。
もう一つは「幕だまり」。黒、柿、萌黄の三色の「定式幕」がひかれている、客席に一番近い舞台袖のことですが、とくに下手側を指すことが多いです。お芝居を間近に見ることができますが、ほとんど真横に近いアングルになりますし、舞台で演技している俳優さんの目にも触れてしまいます。ですからここから見る時は、必ず黒衣を着なくてはなりません。
そして「照明室」。やはり下手側の二階に、照明操作用の小部屋があるのですが、歌舞伎の舞台は照明操作が少ないので、無人になっていることが多いのです。ですのでここにお邪魔して、斜め上から見るわけです。
だいたいこれぐらいなんですが、揚げ幕から見るのは、花道の出入りが多い芝居には適しませんし、幕だまりは出演者に近すぎて気恥ずかしいし、照明室は、新作物など照明操作が多い芝居の時は邪魔になるので入れません。
そのときどきの演目の状況によって、見る場所を考えなくてはなりませんが、客席から見るのとは違った角度からの観劇は、いろいろなことを教えてくれます。後見の仕事、大道具小道具の仕掛け、近いからこそハッキリわかる衣裳の模様、鬘の形、微妙な表情…。
今日は揚げ幕と照明室から拝見しました。計五時間、舞台を見ることになりましたが、いろいろなことを考え、発見し、そして楽しむことができました。

四月は女

2005年03月25日 | 芝居
歌舞伎座の「三月大歌舞伎」もあと二日となりました。昼の部「俊寛」で出番が済み、次の「口上」が終われば帰れるという、とても楽な毎日でしたので、あっという間に過ぎてしまった感じです。
四月は、師匠梅玉はお休みです。前回書きました通り、私もお休みすることもできたのですが、今回は休まずに、引き続き歌舞伎座「四月大歌舞伎」に出演することにいたしました。
昼夜六本のうちの、どの芝居に何役で出演することになるか、あれこれ勝手に想像しておりましたが、結果を見れば意外や意外、昼の部三幕目「与話情浮名横櫛」木更津海岸見染めの場では<貝拾いの女>、夜の部三幕目「籠釣瓶花街酔醒」吉原仲之町の場では<新造(年期の浅い遊女のこと)>と、女役だけになりました。
男性が女性を演じる、世界的に見ても数少ない演技術としての「女形」。歌舞伎の魅力の一つでもあります。
自己紹介でも書きましたが、私は「立役」つまり男役を専らとしております。「立役」になるか「女形」になるかは、自身の志向や体型的な条件も考えて、自分で決めるものなんですが、ときとして、女形俳優さんが少ない時や女役が大人数必要な時は、立役からも女役に出演することがあります。
来月は歌舞伎が七ケ所で興業されますし、私が出るニ演目とも女役が沢山必要な芝居なので、女形さんが不足しているのでしょうね。
本来の女形さんの御迷惑にならないよう、お客様の目におかしく映ることのないよう、心して勤めたいと存じます。

流行りもの

2005年03月24日 | 芝居
さて、我々が普段生活する「大部屋」。化粧をする、衣裳を着るというだけでなく、ようは控え室ですので、各人いろんな過ごし方がございます。マンガを読んだり仲間とのお喋りはもちろんのこと、ゲームボーイアドバンスを三、四人で接続してのレーシングゲームで盛り上がったり、ノートパソコンでネットを楽しむ人もあり、結構今風な風景がみられます。
最近楽屋で流行っているのが「ジャグリング」です。といってもボーリングのピンみたいなグラブ(棍棒)型やリングではなく、テニスボールくらいの大きさの球なんですが、これが専門家用の本物を使ってやっているんですから、なかなか本格です。一個八00円(さすがプロ用、高いですね)のを三個使うのが基本らしいのですが、十人くらいがマイボールを持ってるんですから驚きです。それを出番の合間にああでもないこうでもないと言いながら練習してるのですよ。なかなか珍しい光景ではありませんか?
うまい人のを拝見しますと、下からキャッチしたり上からとったり、あるいは空中での交差など、いろいろな技法を駆使して、それは見事なものです。しかしながら、大半の人は普通に三個のボールを操るのに苦労されてます。
さてさて、次の流行りものはなんでしょうか?

役者の休日

2005年03月23日 | 芝居
私達がどのような休日を過ごすか。そもそも休日というものが極端に少ないのが歌舞伎役者の大変なところです。
歌舞伎の興行は、基本的に二十五日間公演です。二日~二十六日とか三日~二十七日など、月によって変動はありますが、この二十五日間の公演期間中は、一日もお休みはありません。唯一、三宅坂の国立劇場のみが、休演日を一日設けているくらいです。
そうして歌舞伎の公演は、歌舞伎座のように一年休みなく興行しているのをはじめとして、名古屋御園座、大阪松竹座、京都南座、九州博多座等、地方公演も頻繁に行われています。
ということは、ニ十六日に公演が終了しても、翌二十七日から次の月の芝居のお稽古が始まるなんてこともざらにありまして、月と月の合間に、稽古も舞台もない、休める日が一日あればよいくらいなんです。(短期の公演があったりすると、一週間くらい休みになることもありますが)
ではいつ休めるのか?私達弟子の立場のものは、常に師匠と行動を共にするのですから、師匠が舞台にでない月、これがお休み期間になるのです。こうなると今度は約ひと月、まるまる休めてしまうわけで、なんともバランスが悪い気もしますが、これが我々に与えられる数少ない休暇なんですね。ただし、師匠が休みでも、単独で舞台に出演することは可能です。主人なしで働くことから「主(しゅう)なし」と呼んでいます。
しかし、師匠が休みなく働く一門もあり、もう何年も休んでない、なんてお弟子さんがこぼしているのを聞いたことがあります。

楽屋の光景

2005年03月22日 | 芝居
さて、私達「名題下」が一日の大半を過ごす「名題下部屋」。単に「大部屋」とも申しますが、だいたい三十畳ぐらいの広さがあります。三方の壁に作り付けの化粧台(抽き出しつき)があり、ここに自前の鏡を置いて、各自扮装をいたします。定員は四十二人、公演によってはそれ以上の出演者となりますから、その場合は楽屋のまん中に、臨時の化粧台を増やして対応します。
席順は年功の順に奥から座ることになっています。ただし、女形さんはまん中にひと固まりで並ぶことになっておりますから、奥から見ると、1、立役の古い先輩~中堅 2、女形全員 3、立役の若手 という配置になるのです。
楽屋には、洋服や着物をかけるハンガーラック、テレビ(舞台モニターも見られる)、冷蔵庫、電子レンジもあり、奥の方には卓袱台もありまして、ポットやお茶をいれる道具一式も置いてあります。劇場での日常を過ごすのに不便がないように、設備を整えているわけですね。
楽屋の掃除は新入りの役者が勤める習わしです。毎日掃除機をかけ、備え付けのゴミ箱を空にし、卓袱台を拭きポットのお湯を取り替える、等々。
私も、この世界に入ったばかりのころは、先輩が楽屋入りする前の朝早く、掃除機をかけていたことを懐かしく思い出しますね。

ただいま「名題下」

2005年03月21日 | 芝居
「名題下」とは、簡単に申しますと俳優のランクです。誰かの弟子となり、この世界に入ってきた者は皆この「名題下」から始まります。そうして舞台経験を積み、しかるべき技量が身についてきたとなると、「名題」になるのですが、これには試験がございます。初舞台から十年以上の舞台歴を持つ者に資格が与えられ、筆記(歌舞伎や歴史の知識を問う)、審査員となった幹部俳優の前での実技(ある役の一部分の演技)の二科目を審査されるのだそうです。
また、試験に合格した時点で「名題」になるというわけではなく、合格後の舞台で、しかるべき役を演じ、「名題昇進披露」をしなければ、「名題」俳優にはなれないとされています。
またこの試験を受ける受けないは各人の自由なので、何十年のキャリアがありながら、試験を受けずに「名題下」の先輩、あるいは合格しても披露をせずに「名題下」に留まる方もいらっしゃり、各人の考え方、事情によってさまざまなのです。
「名題」になることにより、それまでよりも、さらに演技力を求められる役を勤めることになります。楽屋も、「名題下部屋」と「名題部屋」に別れていますので、名題昇進とともに移動することになります。
……私は入門七年目。まだ駆け出しのヒヨッコです。

ピンチ!

2005年03月20日 | 芝居
スギ花粉、飛んでますね~。
十年来の花粉症患者なので、毎年この時期は辛いです。
今日は「俊寛」に出ている最中にくしゃみが出そうになって大変でした。舞台の雰囲気を台なしにしてしまいますからね。むずむずする鼻と数分間格闘しました。
先輩から聞いた昔話で、腰元役の女形が、舞台で座っている最中に「ハックショ~ン!」とやってしまったものだから、お客が笑って芝居にならなかったことがあったそうです。

突発的なアクシデント。七年間の舞台経験の中で、自分に起きたこと、人のを目撃したこと、いろいろありました。
「書き割りの立ち木が倒れて役者が下敷きになった」
「小間物屋の場面で、瀬戸物を並べた吊り戸棚が突然落下、ほとんどが割れた」
「回り舞台が回らなくなり、幕を開けたままでの舞台転換ができなくなった」
「天井から照明機具が落ちてきた」
などなど。これらはみな、お客さまの目の前で起きたことなんですよ。一歩間違えれば大事故の可能性もあるわけで、油断はなりません。まさしく「舞台は戦場」ですね。

楽屋での服装

2005年03月19日 | 芝居
昨日からだいぶ暖かくなってまいりましたね。寒がりの私も、そろそろコートをしまおうかと思えてきました。
たまに「いつもお着物を着て生活してらっしゃるのですか」なんて聞かれることがあって、かえってこっちがびっくりしてしまうんですが、そんなことはありません。劇場の行き帰りは私服です(もちろん着物でもいいんですけど)。
基本的に楽屋では着物になります。化粧をしたり、舞台衣裳に着替えたりと、脱ぐことが多いので、長襦袢や半襦袢はつけずに、素肌か、肌襦袢をつけるだけ。その上に、5~8月は浴衣、9~4月は浴衣と単衣(真冬なら袷)を重ねて着ます(時期はあくまで目安)。角帯も楽屋では締めません。「部屋帯」と呼んでいる、角帯よりも薄くて幅の狭く、短いものを用います。足袋ははいてもはかなくてもかまいません。
もっとも、これは楽屋での着こなしでして、お稽古では、角帯、足袋(白)の着用が義務となっています。単衣や袷ならば、長襦袢か半襦袢もです。そして我々役者は、この角帯と足袋を着用していれば、どこへでも外出してよいことになっています。楽屋での恰好は、人前に出るには行儀が悪いのですね。
…もっとも、黒衣のまま場外馬券を買いにいった、なんて人もいたそうですけどね。

黒衣は見えていないつもり その弐

2005年03月18日 | 芝居
黒衣のお仕事についての続きです。
舞台で草履を脱いだ、あるいは懐紙を投げ付けて散らばった。これらの草履や懐紙が、あとの演技に関係がないときやかえって邪魔になる場合、撤収するのも黒衣の役目です。ただ出て行って、引き取ってくればよいというわけでなく、芝居の邪魔にならないように、キッカケをよくみなくてはなりません。
それから、鷹や鶴、ネズミや蝶といった小動物も舞台には登場しますが、当然実物は使えないわけで、これも黒衣が、似せてつくった人形を操作するのです。「差し金」という細長い棒を人形につけて、それを黒衣が持って遠隔操作するわけですが、この差し金も、黒く塗られており、「黒は無を表す」の約束事がここでもいきているわけですね。
同じように、正座した姿を大きく見せるためにお尻の下に入れる「箱合引」や、本当は直立しているという約束事で使用する、腰の高さより少し低いくらいの腰掛け「高合引」も黒く塗られており、これも黒衣が芝居に合わせて座らせるのです。
いくら約束事で「見えていないつもり」でも、主役の演技の邪魔にならない、控えめで、それでいて気遣いを忘れない仕事が、黒衣には求められます。
私も、そんな「影の名人」を目指して頑張っております。

黒衣は見えていないつもり その壱

2005年03月17日 | 芝居
昨日は急な用事が深夜まで入ってしまい、更新できませんでした。
ではさっそく「黒衣」について。
タイトルにも書きましたが、黒衣というものは、物語上は「いない人」です。歌舞伎の約束事に「黒は無を表す」というのがありますので、全身を黒い衣裳で包めば、舞台上で平然と仕事ができるんですね。
ではどんな仕事があるか。例えば、舞台上で着物の脱ぎ着をするとき。歌舞伎の衣裳は普通の着物より厚手になっていたり、形が誇張されていたりするので、自分一人ではスムーズには脱ぎ着できません。舞台上で四苦八苦する姿を見せるわけにはいきませんから、黒衣に手伝ってもらうわけです。
また、芝居の途中で、懐から手紙や小道具をとりだすといった場面でも、最初から懐に入れていては、手紙だったらしわくちゃになってしまうし、大きなものなら出っ張ってしまい見た目が悪い。そんなときは、懐には入れておかずに黒衣に預けておき、その場面になったら取り出すフリをして手を後ろにまわし、背後にいた黒衣に手渡ししてもらい、さも本当に取り出したかのようにみせる、ということをします。
…まだまだ黒衣の仕事はありますので、また明日に。