梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

神楽月稽古場便り 木

2006年10月31日 | 芝居
本日<総ざらい>。『伏見撞木町』での<めんない千鳥>も、下座に合わせた段取りがついたおかげで、とてもやりやすくなりました。あとは楽しい気分をしっかり出すことでしょうか。
この場には二人の<末社(太鼓持ちのこと)>はじめ、<仲居><若い者>大勢と、計二十人近くが名題下から出演いたしますが、関西の人がほとんどで、東京出身は私を含め五人くらいしかおりません。座組のせいもあるのでしょうが、ちょっと珍しいことかもしれませんね。

楽屋に小道具も運ばれ、衣裳さんや床山さんも仕込み作業を開始。いよいよ明日は<舞台稽古>です。
今日は短文で失礼します。

神楽月稽古場便り 水

2006年10月30日 | 芝居
お囃子さん、長唄さん、音響スタッフも揃っての<附立て>となり、より本番に近いかたちでの稽古となりました。
やっぱり三味線の音はイイですね! 10月公演が、全く合方がない芝居だったこともあり、<めんない千鳥>の曲が、お囃子とともに聞こえてきた時、なんだか嬉しくなってしまいました。チンチリトチチリ チリトテチン…ゆったりとした節が繰り返されるだけでも、廓の華やかさが表される。すごいことだと思います。仲居や若い者、太鼓持ちを演ずる私たちも、だいぶ感じが掴めてきました。大石内蔵助をはじめ、シンのお役の演技の合間合間に、邪魔にならない範囲で捨て台詞を挟んだり、まわりの人と芝居をするのも、だんだんと自然にできるようになってきました。場面が死なないよう、そしてシンの芝居を殺さぬよう、丁度よいぐあいで抑えるのは難しゅうございますが、さあ本番までどれだけ膨らますことができますでしょうか。

私が出ていない『南部坂雪の別れ』の話なんですが、幕開きに、煤払いの腰元たちが、吉例で「めでためでたの若松様よ~」の唄をうたうんですが、この節回しが、一般的なメロディー(おそらく皆様がご存知のもの)と微妙に違うものだそうで、腰元役の方たちが、「どうしてもいつもの節になってしまう」とおっしゃっておりました。たたでさえ舞台上で唄うのは難しいのに、紛らわしい節まわしとは、さぞかし大変だとお察しいたします。

稽古の合間、自分がかかわらない幕の時間を使って、師匠の楽屋作りも済ませました。稽古終了後は、<稚魚の会友の会 秋のパーティー>の打ち合わせ。役割分担を決めました。今回は私が実行委員なので、いつも以上に頑張らねば。でも、委員自ら落語をしている場合なのかしら…? ちなみに演題は未だ決まらず。初日が無事あくまでは、余計な考え事はしたくないので、全く何も考えておりませんが、公演が始まってから二週間で覚えられるか? 不安といえば不安…。


神楽月稽古場便り 火

2006年10月29日 | 芝居
本日も、昨日と同じ稽古順での<立ち稽古>。
我々<めんない千鳥>組も、だんだんと手順がついてきました。メンバーの中に誰ひとりとしてこの『伏見撞木町』に出演した人がいないので、みんなで相談しながら作ってゆく部分も多うございます。小川の流れがあったり、離れの一間が建っている装置ですので、集団演技の動線も、稽古場ではなかなか決めかねており、これは<舞台稽古>まで保留というところです。
むしろ、血気にはやって内蔵助を難詰しにきた大石主税や不破数右衛門、堀部安兵衛らの堅物ぶり、一徹さを際立たせる意味での、廓の賑やかさ、太平楽の浮かれぶりを、みんなでしっかり表現することを考えなくてはなりません。今日までの稽古では、下座囃子や効果音も含め、音が一切入りませんでしたから、余計感じが掴みにくかったのかもしれませんが(普通下座囃子は<附立>の日から稽古に加わります)、明日からはまた違った雰囲気で、芝居作りができると思います。

今日も稽古は四時半ごろに終わりました。銀座に出て古書の<奥村書店>で数冊購入。調べものがまだ終わりません。

神楽月稽古場便り 月

2006年10月28日 | 芝居
今日から『元禄忠臣蔵 第二部』のお稽古です。
今日は正午より『南部坂雪の別れ』『伏見撞木町』『御浜御殿綱豊卿』の順で<立ち稽古>。演出、段取りなどを決めてゆくお稽古です。
私は『伏見鐘木町』に出演しますので、一時少し前に稽古場入り。控え室で久々に会う仲間と近況報告などしばしのおしゃべり。みんな元気そうでなによりです。
一時半頃から『伏見~』の稽古開始。久しぶりの上演ということもありますので、動きの手順をつけてゆくことに時間をかけてまいります。この幕は二場ございますが、私演じます<若い者>は、その二場目に、仲居とともに大勢で、内蔵助と<めんない千鳥>をしながら登場します。<めんない千鳥>は、いわゆる<目隠し鬼>で、手拭で目隠しされた内蔵助を、手を打ち、囃しながら取り囲んで遊ぶのです。この遊びの一群の登場の仕方、女と男の並びのバランス、囃しだすきっかけなど、出演者一同、今日はまったく手探りで、演出の織田紘二氏のご指示をうけながら、とりあえず流れを確認したというところです。山城屋(藤十郎)さんのなさりよいよう、みんなで工夫してまいりたいと思います。

続く『御浜御殿~』は、師匠がお出になる場面。私は、ここでは裏方に弟弟子ともに徹します。前回での段取りをふまえますが、劇場が違えば(この前は京都南座)、舞台上でも舞台裏でも、あるいは楽屋でも色々と変わることは当然です。臨機応変に対応できるよう心がけます。

稽古が終わったのが四時半過ぎ。それから有楽町にでて用事と夕食。帰宅後は今度の<稚魚の会友の会 秋のパーティー>の案内状作製と、『御浜御殿~』のことで調べものがあったので、家にある資料と首っぴき。更新が遅くなりまして申し訳ありませんでした。

ドキドキから解放?

2006年10月27日 | 芝居
本日無事に『元禄忠臣蔵 第一部』千穐楽!
お陰様で<申し次ぎ>の台詞は、全二十三公演中、一度も噛まずつかえずロレらずに言うことができました。わずかふた言の台詞に、ひと月ドキドキしっぱなしでしたが、これまで苦手だった<台詞のスピードのコントロール>を意識して演じたおかげで、公演中盤からは自分でも<変わった>と判るくらいにテンポを調節できるようになりましたので、少しは前へ進めたかな、と自己採点しております(甘いかな)。台詞のことでは色々と先輩方に相談したり、仲間に悩みを聞いてもらったりいたしました。まわりの皆様のお陰で無事勤め上げることができたようなものです。本当に感謝感謝、この場を借りて御礼を申し上げます。
終演後の撤収作業は、来月も引き続き国立劇場なのでごく簡単に済み(楽屋割りは変わりますが)、なんともラクチンな千穐楽となりました。六時過ぎに帰宅し、お鍋で夕食。今回は鶏ガラスープに味噌を溶き、豆乳で風味を加えただし汁にいたしました。まろやかでコクもあり、具にしっかり味がつくのでなかなかいけます。シメは雑炊、お腹いっぱいになりました。

明日からはさっそく『元禄忠臣蔵 第二部』の稽古がはじまります。楽しみな関西勢の仲間との共演と、師匠四年ぶりの『御浜御殿綱豊卿』、引き続き、楽しいひと月にしたいです。
それでは皆様、また来月も、国立の舞台でお会いしましょう!

祝! 満員御礼

2006年10月26日 | 芝居
名古屋御園座は昨日25日、大阪松竹座、東京歌舞伎座は本日26日で千穐楽をむかえまして、当月の歌舞伎公演は、明日の国立劇場を残すのみとなりました。
お陰様で、国立劇場10月公演『元禄忠臣蔵 第一部』は連日全席完売という、素晴らしい結果となりました。新聞記事によれば、国立劇場で「もうチケットがない!」となるほどの盛況は平成9年初春公演『通し狂言 壇浦兜軍記』以来だそうですね。なにはともあれ本当に有難く、嬉しい事態。出演者の末席として、心より御礼申し上げます!

華やかな場面が、決して多いとはいえない今月の三作品。笑いをさそう場面も少なく、実に<渋い>、じっくり見せる芝居でございますが、役で舞台に出ていても、あるいは<簀の子>で待機をしていても、お客様が真剣に、集中してご覧下さる気配がひしひしと感じられました。とくに大詰『最後の大評定』では、播磨屋(吉右衛門)さんが心中を吐露する長台詞の間などは、客席舞台が一緒になって、ひとつひとつの言葉に聞き入るような、とても密度の濃い空間が作られているように思えております。これぞ芝居の醍醐味! といったところでしょうか。
師匠が演じていらっしゃる浅野内匠頭が、いよいよ切腹するまでを描いた『江戸城の刃傷』の 「田村右京太夫屋敷 小書院」も、淡々と流れる時間のなかで、自らの信義に最後まで背かず、潔く死を迎える内匠頭の、静かな悲しみが描かれますが、舞台を観に来てくれた知人が申しておりましたのは、終盤、内匠頭と家来の片岡源五右衛門の最後の対面、それに引き続く「風さそう…」の辞世を詠むくだりでは、あちこちですすり泣きする方がいらしたとか。そういう舞台に携わることができて、有難いと思います。(ただ悲しいのは真上からしか見られないこと!)
ただ、ここでどうしても申し上げておきたいのは、この場を上演中、今日までに四回ほど、客席から携帯電話がなりだしたことでございます。不思議なもので、静かな場面のときほど着信が入るというジンクスがございますが、大勢の方々のご迷惑になる行為です。どうか必ず電源をお切り下さいますよう、お願い申し上げます!

あと一回の舞台、無事勤められますように…。

梅之途中下車の旅

2006年10月25日 | 芝居
帰宅のために乗り込んだ半蔵門線の電車が、目的駅手前の<清澄白河>どまりだったので、いつもなら数分待って次の電車に乗るのですが、せっかくだから駅近くをブラブラ散歩でもしてみようかと思い、下車しました。
地上に出てすぐの清澄公園。夕焼け空の下、公園を取り囲む樹々はくっきりとしたシルエットのみとなり、少しく寒さが混じった風に揺れる梢の葉音が静かに聞こえる中、しばし広場にたたずんでおりますと、清らかな空気、ゆっくりとした刻の流れが身体に沁み込んでくるようにも思え、あまりに綺麗で寂しい夕暮れの景色に、なんだか別の世界に来てしまったような感覚になってしまいました。

沈みゆく夕日の方へと歩き出し、仙台堀川沿いの倉庫群を通り抜け、なにやら由緒がありそうな、紀文稲荷神社(由来書きは暗すぎて読めなかった)に鳥居外からお参りしたり、幾つも架かる橋の眺めを楽しんだりしながら、永代通りに出ました。
もう少し歩けば、いつもお邪魔している<ココナッツパーティー>に出るかなというところで見つけたのが、鰻の<吉岡>。最近疲れ気味だからな…とふらりと立ち寄ったのが大当たり。こじんまりとした<町のうなぎ屋>といった感じのお店ですが、ふっくらしてちょうどいい脂ののり具合、飽きのこない濃さのタレ、感激しました。ご夫婦で経営されていらっしゃるようですが、お二人とも気さくなお話ぶり。またお邪魔したいと思いました。

お腹いっぱいになったところで散歩は終了、門前仲町から乗り継いで帰宅したのが六時半なんですから、もう有難いはなしです。部屋の掃除もできました…。

上空で独り…

2006年10月24日 | 芝居
本日の<簀の子>にて…。
花びらを降らせるまでにはまだ十分間があって、なにをするというでもない待機時間。急に目がかゆくなって、ゴシゴシとやっておりましたら、右目のコンタクトレンズがポロッと外れてしまいました。幸い黒衣の胸元に張り付いていたので、無事もと通り装着できましたが、天井部分は当然ながら暗いので、つけ直すのはけっこう大変でした。まあ使い捨てタイプでしたし、楽屋に戻れば予備もあるので、別に支障はなかったんですけれど、足もとは<簀の子>の名の通り、隙間だらけですので、そのまま舞台に落っこちてしまったら、照明があたってキラリと光りながら落下…なんてことになっていたりして。ごくごく小さい物ですから、目に立つこともないのでしょうが、余計な心配をしないですんでよかったです。

散り花などの効果で、舞台の上から作業をするとき、気をつけなくてはいけないのが<落とし物>です。黒衣の懐には、普段は万が一のための裁縫道具や汗ふきなど、細かなものが入っているのですが、<簀の子>から下を覗き込みながらの作業中、ポロリと懐中から落っこちてしまったら大変ですよね。私は<簀の子>にあがるときは、懐を必ずからっぽにしています。お客様の前に出るわけではないので、装着する必要のない頭巾や手甲も、いつもなら腰帯に挟んでおくところですが、これも何かに引っ掛かって外れるのが怖いので(なにしろ簀の子は狭い!)楽屋に置いておきます。
舞台で演ずる方々に何かあってからでは遅いですので、念には念を入れて、というところでしょうか。

以前夏の舞台で、自分のお役の出番を終えてすぐさま<簀の子>にあがって仕事をしなくてはならないとき、走って移動するものですから、汗が吹き出てしまいまして、それが下を見ているうちにポタポタ…となってしまい、幕開きで無人の舞台だったからよいようなものの、黒衣の袖で額を拭いながらの作業に難儀をした思い出がございます。

寒い晩には

2006年10月23日 | 芝居
仲間と終演後に、麹町の<光知乃(みちの)>という、海鮮料理とおでんのお店にお邪魔しました。
はじめて入るお店でしたが、気取らない雰囲気と、お店の方々の気さくさにすっかりくつろいでしまいました。一品一品が、けして凝ってはいなくても、丁寧に作られていることが、ひと口頂いただけですぐ解る美味しさ。さっぱりめのダシながら、具には十分しみ込んでいるおでんも含め、良心的な値段でお腹いっぱいになれる素敵なお店です。冷やおろしですっかりご機嫌になって、ずいぶんあれこれ喋りました。また来月も行こうッと!
写真は瀬戸内海でとれるという<でびらがれい>の炙りです。

今日は久しぶりの雨模様で、寒い一日でしたね。楽屋でも風邪をひいた人、ひきそうな人がチラホラです。かくいう私はいっぺんに三つも口内炎ができてしまい困っています。ビタミン補給と<ラズベリーリーフ>のハーブティーで、早く治さねば…。

羊を数えるかわりに…?

2006年10月22日 | 芝居
最近飲んでいるのがこのお茶、<バレリアン・ティー>です。
バレリアンはハーブの一種。オミナエシの仲間で、根に薬効がございますが、<天然の鎮静剤>なんて別名もあるくらいで、リラックス効果、安眠効果に優れております。ちょっと独特のにおいがございますが、それほど気にもなりませんし、薬っぽい味も慣れれば平気です。
実はここ最近、いろいろ考えごとがあったり、緊張する場面が多かったものですから、夜すんなり寝られないことが続いておりました。寝られなかったら寝なきゃいいんだ、別に死にゃあしないとは思うものの、翌日の体調を考えると余計に不安になったりしてしまうものですから、どうしたものかと案じておりました。一昨年来続けているハーブティーに、その答えがあるだろうと思い、いつもハーブを買いに行っている、銀座三越の<ボタニカルズ>というハーブティーショップで、店員さんと相談して選んだのがこれ、というわけ。バレリアンだけのシングルティーではなく、実際はパッションフラワーやカモミール、リンデンフラワーもブレンドされています。
まあ、「これが効く!」という思い込みの力(プラシーボ効果、でしたっけ)もあるのでしょうが、寝る前に、ホットでこのお茶を飲むと、なんだか安心するんですよね。今月などは、楽屋にも持ってゆき、言いにくくて長い台詞まわしの申し次ぎ役の出番前にも飲んだりして、心を落ち着けています(これは半分ゲン担ぎかな)。

まだまだ未熟者ゆえ、緊張とか不安、悩みとの付き合い方がどうにも上手くなくて…。甘えてるんじゃない! と怒られるのを承知で告白いたしますが、その月々で演じるお役や仕事によっては、初日や舞台稽古前日など、一睡もできなかったり、夜中にハッと目が覚めて、それから明け方までドキドキしっぱなしだったりということも、そうそうではないにせよ、あるのです。
諸先輩がたにも、プレッシャーの対処法を伺ったりしてみるのですが、やっぱりこういうことはその人ごとの、<個人>の問題なのでしょう。<怒り>や<悲しみ>の感情も含めて、私の問題は私しか解消できないのです。だから逃げてはいけないし、やけになってもいけない。結婚もいたしましたことですし、責任ある大人として、課題にはしっかりと立ち向かい、気持ちの持ちように改めるべきところがあれば少しずつでも改め、新しい自分に変わってゆきたいとは切に思うのですが、正直、「つらい」「苦しい」と声に出したいときも、ございます。

お読み下さっている方々には、甚だご迷惑かもしれませんが、ブログを通じて、自分の気持ちを整理できる機会を得ましたのは、私にとりまして本当に有難いことでございます。当初はそんなことは思いもよらなかったですが、お芝居のことにせよ、趣味の話、食べ歩きにせよ、<伝える>ことでどれだけ私自身が癒されたかわかりません。
それだけに、言葉の重み、発信者としての責任の大きさも、常に感じております。気がつけば記事数が五百をこえた当ブログが、皆様にとって、<楽しい>とか<面白い>といった、明るいエネルギーに満ちたものであり続けられますよう、これからも、拙いながら取り組んでまいります。

…ハーブ紹介が変な方向に向かってしまいました。これも今の<気持ち>でしょうか。
皆様の不安解消法はなんですか?

引き続き『元禄忠臣蔵』

2006年10月21日 | 芝居
来月のお役が決まりました。
序幕『伏見撞木町』の第二場、「揚屋笹屋の奥庭離室のあたり」に出てまいります、<若い者>でございます。
台本を拝見しますと、仲居や太鼓持ちと供に大勢で、内蔵助とめんない千鳥の遊び(目隠し鬼)をするお役。おなじ<若い者>役は他に何人も出るようです。伏見撞木町といえば、京都指折りの廓。『娘道成寺』の廓尽くしにもでてきますね。江戸の吉原とは風俗もだいぶかわりますから、東京人として上方の雰囲気を出せるかどうか不安ですが、来月は上方籍の仲間が沢山出演しますから、みんなに合わせてゆけば大丈夫だと考えております。久しぶりに上方歌舞伎塾の面々と一緒の舞台、楽しみですね~。

師匠は二幕目『御浜御殿綱豊卿』の徳川綱豊、後の六代将軍家宣公を演じます。平成十四年五月、京都南座でなすって以来です。私も携わっておりましたので、裏の仕事は覚えておりますが、今度の上演では、演出など多少変わることもあるやもしれません。お稽古を拝見しながら、あらためて段どりを考えたいと思っております。

今月『江戸城の刃傷』『第二の使者』『最後の大評定』と携わっているおかげか、来月の台本を読んでおりましても、(なるほど、綱豊のこの台詞は、今月のあの場のことを言っているのか)などと、より理解が深まったと申しましょうか、台詞の意味がすんなりと伝わってまいりました。作品同士がしっかりと呼応しているのが改めてわかりまして、ますます『元禄忠臣蔵』が好きになってきました。


無題

2006年10月20日 | 芝居
先ほどインターネットのニュース記事で知たのですが、中村屋(勘三郎)さんご一門の、中村源左衛門さんが、本日七十二歳でお亡くなりになりました。

昭和三十年に初舞台ということだそうですから、芸歴は五十年を越えていらしたのですね。
私も度々ご一緒する機会がございましたので、その舞台姿はとても印象深く覚えております。『籠釣瓶花街酔醒』の太鼓持ちや『与話情浮名横櫛 木更津海岸見染め』での噺家相生、『髪結新三』の鰹売り…。私ごときが申し上げるのは、はなはだ不遜なことかもしれませんが、出ていらっしゃると<江戸>のかおりがさっとわき起こるような、粋で軽妙で、さりげなくて深い味わい、雰囲気に、正直あこがれに近い感情を抱いておりました。普段もとても気さくな方で、ときにはご自分のお役のもろもろについて、色々とお教え頂くこともございました。そうしたお話の数々は、とても大切なものとして、忘れ得ぬものでございます。
普段からお着物で過ごされていたあのお姿に、もう会うことがないと思いますと本当に淋しい限りでございます。ご家族はもとよりご一門の方々のお心落としはさぞかしとお察し申し上げますが、大大輩の一人として、心よりお悔やみ申し上げますとともに、つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。

ご無沙汰しました

2006年10月19日 | 芝居
二日間の休載、失礼をいたしました。
実は十七日(月)の公演終了後大阪へまいりまして、松竹座出演者や大阪で知り合った友人と会い、翌十八日、松竹座『染模様恩愛御書』の昼の部を拝見、さらに終演後名古屋に移動して所用を済ませ、本日昼過ぎに東京へ帰還、東京駅からまっすぐ国立劇場へ楽屋入りして本日の『元禄忠臣蔵』夜の部を勤めたという次第です。
パソコンを持ってゆきませんでしたし、夜遅くまで人と会っておりましたので更新ができませず、申し訳ございませんでした。
せっかくの休日をフル活用しようと思っての強行軍。なかなか濃い一日半でしたが、ちょっと疲れも出ております。
おかげさまで本日の公演も、何事もなく勤めおおせることができましたが、休み明けの舞台は、どこか気のゆるみというか、一日のリズムが変わってしまったことによる時差ボケにも近い不思議な感覚がつきまといます(ましてめったにない夜公演ですしね)。明日からはまず体調を整え、これまで通りのテンションを保ちながら、しっかりと舞台を勤めてまいります。

松竹座『染模様恩愛御書』のリポートは、昨十八日の日付で追記いたしますね。
東京~大阪(新幹線)、大阪~名古屋(近鉄)、名古屋~東京(新幹線)。約六時間の移動中に、村上春樹さんの『海辺のカフカ 上・下』を読破できました。昔買ったまま、手をつけなかった作品だったんですが、いざページを開きますと、ひとつひとつの言葉が、すっと体にしみ込んでくるような、不思議な感覚にとらわれ、ぐいぐいストーリーに引き込まれました。一見まったく不条理な、常識では理解できない状況に生きる人たちの姿が描かれますが、ああこの人はこういうふうにする必然があるんだな、この<今>を受け入れなくてはいけない<なにか>があるんだな…なんて、ストンと納得できちゃう、痛いくらいに共感できちゃうのが、読んでいる私自身が意外に思うくらいで、『風の歌を聴け』以来、ほとんどの作品を読ませて頂いておりますが、作品に入り込めた度合いから言えば、今回は本当に面白かったです。

公演も残り八回。悔いの無いよう頑張ります!

遠征リポート『染模様恩愛御書』

2006年10月18日 | 芝居
当月の大阪松竹座は、約一世紀ぶりに復活となる『通し狂言 染模様恩愛御書 細川の男敵討』!
男同士の愛(衆道)、敵討ち、火事場と、見せ場盛りだくさんの狂言が、高麗屋(染五郎)さん、松嶋屋(愛之助)さん、そして澤瀉屋の方々、段治郎さん春猿さん猿弥さんという珍しくも華やかな座組で上演されております。
かねてより文献でしか知ることのなかった<細川の血だるま>が、まさか私が生きているうちに日の目を見ようとは! と、ネがオタク系な私すっかり興奮し、国立劇場の休演日を利用して道頓堀に駆けつけた次第。

上演時間は一回の休憩(二十分)をはさんでも三時間半弱というちょうどよい長さ。客席は満員で大変な賑わい。きけば関西系列のテレビや情報誌での宣伝がたいそう華々しかったようで、その効果が発揮されたということでしょうか。

ストーリーや見せ場をここでご紹介しては、これからご覧になる方のご迷惑でしょうから、詳細は述べませんが、階段をいくつか配置したタッパのある構成舞台(木目の模様になっている)ひとつを利用して、すべての場を表現することで、転換のためにかかる時間が大変短縮されておりました。お客様の目の前で舞台が回って、新たな景が見えてくるのも面白かったです。
いわゆる<衆道>を、現代でのボーイズラブと捉えての脚本作りがなされているわけですが、むしろ本筋は<敵討ち>で、事件の発端から大団円までをスピーディーに見せてゆくので解りやすくてダレることがない。お客様の集中力が途絶えないように各場に見せ場(もちろん主役二人の濡れ場もそうですし、名題下俳優によるチャリ場も、十分にお客を湧かせておりました)があるのも、また筋の補足説明として、ご当地の講談師、旭堂南左衛門師の語りが随所に入るのも、<楽しませる>ためのご工夫でしょうか。
最大の見どころは最終場の<火事場>で、燃え盛る宝蔵から、家宝の御朱印を救い出すため命をかけて働く高麗屋(染五郎)さんの大車輪の演技と、最新の舞台効果と古典的手法とを織り交ぜての、劇場全体が火事になったように見える演出には驚かされました。実際の<火>は、現代では消防法の関係から、大量にはつかえませんし、演者、スタッフの安全の面からも危険なシロモノ。火を使わずに火を表現する難しさを感じるとともに、今回の演出中、一番の迫力を体感しました。

筋書きの<今月の出演者>欄を見ると、本当に少人数の座組だということに気がつかされましたが、舞台面ではそういったものをちっとも感じさせませんでした。照明や音響、下座の使い方など、<今>を織り込みながら、埋もれた歌舞伎を蘇らせる。すごいことだな…と、一演者としても考えることしきりでした。

ひとこと日記になってしまいました

2006年10月16日 | 芝居
今日は終演後に稚魚の会の<幹事会>がございました。一期から十七期まで、各期から一名ずつ幹事をおいておりますが、その中から、都合のつくメンバーが集まっての話し合いです。今回の議題は、恒例の<稚魚の会友の会>の方がたをお招きしてのパーティーの開催について。いずれ改めてご報告いたしますが、年内の開催が決定したということは、この場を借りてお伝えいたします。たぶん私も参加できると思います。今回は何の噺をいたしましょう(気が早いか)? どうぞお楽しみに。

私用を片付けているうちに、もう日付がかわりそうです。今日はごくごく短文にて。