梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

卯花月稽古場便り・三

2007年03月31日 | 芝居
病院へ行き抗アレルギーの注射をしてから青山霊園へ。本日3月31日は、大旦那(6世中村歌右衛門)のご命日でございますので、お参りしてまいりました。霊園の桜並木もすっかり満開でした。

今日の稽古は『頼朝の死』の<総ざらい>のみ。申し次ぎの台詞、まだちょっと慌ててるかな。先月の『四の切』で、申し次ぎの侍をなさっていた先輩が、「急ぐ台詞ほどゆっくり言え、と師匠から教わった」とおっしゃっておりました。それを心に留めてひとつひとつの言葉を丁寧に、そのうえで緊張感を出せるよう気をつけます。

今日は師匠が、夜から国立劇場大劇場にて長唄の演奏会に出演。といっても唄や三味線でお出になったわけでなく、大喜利に素踊りで『七福神』を踊られたのでございます(藤間勘祖師 振付)。私たち弟子どもも、付き人さんとともに付き従い、あれこれと楽屋の仕事をいたしました。…この曲、思い起こせば10年前、研修中に教わった踊り。先月の公演中にお稽古があったんですが、それを拝見しておりますうちに、ああ、こんな振りがあった、こう動いたと、記憶の彼方からじわじわ思い起こされてまいりまして、なんだか懐かしくなりました。
宗家の踊りの中では手数の多い作品だそうですが、今日の舞台は18挺18枚という大編成の長唄に、10名のお囃子連中という豪華な舞台で、短いながらも大変華やかに(素踊りの舞台に対して使う言葉ではないかもしれませんが)繰り広げられました。大旦那が自ら描かれた<うら風>の舞扇も、曲趣にぴったりで、とっても綺麗でした。

…ジンマシンがなかなかおさまらないまま舞台稽古をむかえますが、あまり気にせず勤めます。考えちゃうと余計痒くなりそうで…。

卯花月稽古場便り・二

2007年03月30日 | 芝居
本日は『男女道成寺』の<総ざらい>と『頼朝の死』の<附立>。<顔寄せ>もございました。
『頼朝の死』の侍女役では、申し次ぎとして台詞も頂きました。尼御台(政子)が来る旨を、師匠演じる源頼家に告げるというもので、ひと言ではございますけれども緊張することには変わりはございません。女形の台詞をしっかり勉強したいと思っております。
<顔寄せ>では、2代目中村錦之助を御襲名なさる萬屋さんのご披露があり、続いて『口上』の<舞台稽古>。20余名が居並ぶ様は、皆様稽古着でいらしても壮観でした。本番はこれが色とりどりの裃姿になるのですからなおなお華やかになることでしょう。

卯花月稽古場便り・一

2007年03月29日 | 芝居
ブログ更新もさぼってのんびり2連休…と申したいところですが、突如ジンマシンと胃炎のダブルパンチを受け、モヤモヤしっぱなしの2日間でした。おかげさまでどちらの症状もだいぶ治まってはきましたが、まだ本調子には戻らず。何とも情けないですが、しばらくは病院通いが続きそうです。

そんなコンディションでむかえた歌舞伎座『四月大歌舞伎』の稽古初日。私は当月、昼の部『頼朝の死』の<侍女>、『男女道成寺』の<所化>ふた役を勉強させて頂きます。本日は『男女道成寺』の<附立>のみでした。
『京鹿子娘道成寺』をパロディした舞踊でして、筋の流れは元とほとんど変わりません。『京鹿子~』の方には何度か出演させて頂いており、勝手はだいたいわかっておりましたので、今日の稽古も別段問題なく勤まりました。大変有難いことに、花笠踊りを踊らせて頂きますので、日頃の稽古の成果をだせるよう心して勤めます。天下の歌舞伎座の大舞台で踊ることができる嬉しさははかりしれません!

早くに稽古が終わりましたので病院に寄ってから帰宅。体調も落ち着いていたので、家内と墨田川沿いの桜並木を見に行きました。もうすっかり咲きそろっておりました。ぼんぼりやライトアップで見る桜もまた一興です。墨田区側の遊歩道には、各町内会主催の出店やお休み所が早くも営業開始。大変な混雑でした。胃さえ悪くなかったら、ビールに焼きそば鶏カラ枝豆…なんですけどね。

無事終了

2007年03月26日 | 芝居
『通し狂言 義経千本桜』も本日でおしまいです。
時代、世話、舞踊の各幕に、仕掛けや大立回りなど多くの見せ場が詰まった作品、いかがでしたでしょうか?
私は女形として出演いたしましたが、立場が変わりますと、同じ芝居でも感じ方や見え方がだいぶ変わるものですね。今後もこういう経験が続くことと思います。
何にもせよ、新たな勉強の第一歩を無事につつがなく踏み出せたことは大変有り難いことでした。肌の調子も最後までよかったですが、来月以降も女形修行は続くわけで、しっかりケアしてゆきたいものです。

明日、明後日はお休みです。久しぶりの連休、さあどう過ごしましょうか?

観るだけなら

2007年03月24日 | 芝居
いや~、我が贔屓の<マオマオ>、浅田真央ちゃんの驚異の追い上げもかなわず安藤美姫に金メダル。残念至極ではございますが、男女ともに日本勢の健闘が、世界選手権を大いに盛り上げてくれましたね(高橋大輔も実に男前ですな)。
今日はフィギア、相撲、サッカー、ボクシング、シンクロと、テレビはスポーツ一色でしたね。普段スポーツとは無縁の私も、大いに楽しませて頂きました。
幼い頃からインドア人間でしたが、もうちょっとでも運動に慣れ親しんでいれば、別の人生があったようにも思います。学校時代は、やっぱりスポーツできる男子がモテますからね…。クラスの花形の陰で、劣等感を沸々と抱きつつ、『演劇界』を読みふけっていた日々。ああ暗い! 何故、せめて『少年ジャンプ』ではなかったのかしら。
でもよしとしましょう。それがために今日があるのですから。我が人生に悔いは無し。最後に笑った者が勝ち! ですよね。


♪住み慣れた 我が家に~(吉幾三の声で)

2007年03月23日 | 芝居
今日は私ども夫婦の転居1周年でした。
たいしたことはしませんでしたが、花を飾って、ケーキを食べて…。ささやかながら、2人ともに元気に楽しくこの家で過ごせてきたことをお祝いしました。
<2人ともに>とは書いたものの、家内は地方での仕事も多く、4、5ヶ月は家を空けておりました。私は師匠と行動をともにしておりますから、ずっと東京にいることができましたが、はてさて今年はどうなりますでしょうか。2人とも地方なんてことも十分考えられますね。
最初はどこかよそよそしかった部屋たちも、すっかり<我が家>といえるくらいに馴染んできました。汚れ散らかり狭くなったともいえるのですが、帰ってきて、ほっとくつろげる空間にはなってまいりました。
仲間たちも度々遊びにきてくれています。みんなでお芝居談義ができる<広場>みたいな家になれたらと、夫婦で考えております。

似て非なる2人

2007年03月22日 | 芝居
時代物の芝居には、主人公を捕らえにやってくる<道化敵>がちょくちょく登場いたしますが、『義経千本桜』もご多分にもれず、「鳥居前」「吉野山」それぞれに出てきます。
「鳥居前」には笹目忠太、「吉野山」には早見藤太。この2役、名前も似ていれば扮装もやることもそっくりですが、それもそのはずで、もともとこのふたつのお役はひとつだったのです。
原作である丸本(浄瑠璃)では、早見藤太が「鳥居前」に登場し、静を引っ立てようとするのを忠信に遮られ、挙げ句には踏み殺されてしまうことになっています。そして「吉野山」は静と忠信主従2人のみの<景事>で、捕り手も出なければ立廻りもございません。
それが歌舞伎にうつり、ひいては各場を単独で上演する<見取り狂言>がはじまりますと、単独で「吉野山」がかかることが多くなり、そうなりますと2人だけの道行はなんとも寂しいということで、「鳥居前」に出てきた早見藤太がここに登場することになり、台本が新たに作られることになる。その、藤太が出てくる「吉野山」が浸透してくると、今度は通し狂言のおりにもこの演出が取り入れられるようになりましたが、そうなると「鳥居前」で死んだはずの藤太が再び出てくるのはおかしくなってしまうので、もともとの「鳥居前」に出てくるのを笹目忠太ということにしてしまい(なんだかアベコベの気もしますが)、ここに2人の道化が誕生したというわけです。
というわけで、藤太と忠太は一心同体、根はひとつというお役。厚綿入りの筒袖の着付、裁着袴に陣羽織という拵えが一緒なのもむべなるかな、というところですが、そこは印象が<つく>ことを嫌う歌舞伎の世界。戯れ隈のとりかたや鬘の形、衣裳の柄は違えてありますが、家来に物見をさせるなど、共通の演出もあることはございます。昼の部をご覧のお客様は、この2役をいっぺんに観るわけですので、ちょっと見比べてみて下さいね。

蛇足ながらひと言。今月の「吉野山」での<花四天>は主演者である音羽屋(菊五郎)さんにちなんで、立涌に乱菊模様の四天着付となっています。これもひとつの趣向ですね。

竹林のなかで

2007年03月21日 | 芝居
2日間のご無沙汰でした。終演後、仲間との外食が続き、ついつい遅くまで話し込んでしまいました。楽しく喋れる友人がいるのは有難いですが、ご覧頂く皆様とのご縁が疎かになってはいけませんね。反省反省。

さて今日は久しぶりの「千本桜」話ということで、成駒屋(扇雀)さんが小金吾を勤めていらっしゃる「小金吾討死」の場についてお話しいたします。
平維盛の妻子、若葉内侍と六代君を守る忠臣、主馬小金吾が、鎌倉方の討手に囲まれ、奮迅の戦いを見せるも、ついに力つきるまでを描くこの場は、黒幕、竹薮というごくごくシンプル、かつ淋しい装置のなかで、カラミの<黒四天>とともに立廻りを見せるのが主眼で、歌舞伎の立廻りの中でも大掛かりなものの一つとなっております。
この場の装置がこれまでのものとは少々趣きを変えておりまして、それまでは歌舞伎大道具の定式にのっとり、平面的に竹、薮笹を配置していたのですが、8本ほどの竹を舞台中央付近に立体的に配置し、あわせて薮の居所も変えて実際の竹林のようにし、黒四天が竹のあいだを縫うようにして現れたり動いたり、立廻り自体にも竹を使うようにしたりと、大変凝った演出になっております。
この原型は前回の歌舞伎座での通し上演(平成15年2月)の折りに考案され、今回はそれにさらに手を加えてのものになっております。前回の上演時には、私も黒四天で出演させて頂いておりましたので、印象深く覚えておりますが、その時は立廻りのなかで、小金吾によって次々と竹が斬られ、バサバサと倒れるという手順がついておりました。今回は2本ほどでしょうか。
その昔、名立師坂東八重之助氏が考案なさった、蜘蛛の巣状になる<捕り縄>の手順も、竹の中を黒四天たちがくぐり抜けながら作るため、これまでとは手順が変わっておりますが、ひと工夫もふた工夫もされた、大変な労作(おこがましい言いようかもしれませんが、前回、今回と担当された立師の方のご苦労のほどは、出ていない私でもひしと察せられました)かと思います。

地味な舞台面に映えるよう<長十手>を使ったり、他の立廻りではあまり見られない技があったりと、見どころ満載、チームワークで見せる迫力ある立廻りをどうぞ御堪能頂きたく存じます。

今日はご縁日

2007年03月18日 | 芝居
今を去ること1379年前の3月18日、隅田川で漁をしていた浜成、竹成兄弟の網にかかって、正観音菩薩様が御示顕なさいました。この菩薩様を祀ったのが浅草寺で、同日は<示現会>、および毎月18日は当寺のご縁日となりました。
本日、大勢の参拝客でにぎわう浅草寺に出番の合間をぬってお参りしましたが、おりしも<金龍の舞>が始まる頃で、人ごみも最高潮でございました。
地元の芸妓さんがたの鳴り物にあわせて、重さ88キロ、全長18メートル(縁日の8にちなんでいる)の龍が、8人の担ぎ手によって操られます。ダイナミックに、厳かに、そして晴れやかに繰り広げられる舞に、大勢の観客は楽しそうに見入っていました。
ご本尊には今後の芸道修行の無事を祈り、仲見世をそぞろ歩いて帰りましたが、日曜日ということを差し引いても、この町のもつ<人を呼ぶ>エネルギーには圧倒されました。

度々の登場ですが、<西むら>では今日からおはぎが売り出されました。こし餡、粒餡の他に、きな粉をまぶしたのがあるんですが、それがいちばん大好きです。

快調です

2007年03月17日 | 芝居
女形を勉強させて頂くうえで、必然的に<しっかり化粧>をする機会が増えることになります。
鬢付け油を下地に使い、白粉を塗り重ね、紅を差し、墨を入れる…。化粧をするのも落とすのも、これまでより時間も手間もかかります。
以前にも書きましたが、肌が荒れやすい私。化粧負けに悩まされるのではないかと心配をしておりましたが、昨年春のいちばんひどい肌荒れになったときに出会った皮膚科の先生によい薬を処方して頂き(今でも定期的に通って診てもらっています。ステロイドは全く使っておりません)、また先輩方に荒れ性肌にむいた化粧品や化粧法、洗顔法を教わったこともあり、ほとんど荒れることがなくなりました。
自分の身体が商売道具なのに、これまでの自分のケアの仕方がいかにズサンだったか。大いに反省もしております。単に使うものを変えるだけでない、食事、睡眠など生活全体からのスキンケアが必要なのだと痛感しました。今後は万全のコンディションを維持してゆけるよう気をつけます。

今月の初めから、低分子コラーゲンを飲んでおりますが、これがなかなか効くようで…。

昇り降りにも名前が

2007年03月15日 | 芝居
写真は『渡海屋・大物浦』で使われる<高二重>屋体についている段々です。
これを幕内では<入れ歯>と申しております。なるほど、半円形の段の周囲に、細丸木を縦に取り付けた様は、入れ歯に見えなくもないですね。この<入れ歯>は、『毛谷村』『太功記十段目』『吃又』など、おもに時代物、時代世話の舞台で使われます。高二重の舞台の時は写真のように3段ですが、<常足><中足>など、舞台の高さによっては2段、1段にもなります(2段のときがいちばん入れ歯らしいですね)。



さてお次の写真はやはり『渡海屋』で見られる段。こちらはただの直方体ですが、<白緑(びゃくろく)>と申しております。白緑とは色の名前で、黄土色に緑色を混ぜた“白緑色”に塗られているところからついた名称です。現在では、屋内に置いているという設定の時はご覧の通り白緑色になり、屋外の場合は石肌を描いた灰色のものになることがほとんどですが、昔はどちらの場合でも白緑色のものを使ったのだそうで、色みは違えど今でも双方を<白緑>と呼んでいます。

<入れ歯>にしても<白緑>にしても、歌舞伎芝居での段々は、1段7寸が定式です。<高足><中足><常足>それぞれの二重舞台を、等分できる寸法なんですね。

自分にあげました

2007年03月14日 | 芝居
世間では<ホワイトデー>なる日とて、婦女子の皆様へのお返しの数でステイタスを誇るオノコどももいるのでしょうけれど、こういう行事とは久しく無縁になっている私は、日頃ごひいきの浅草雷門前、<龍昇亭西むら>で、私自身と家内のための練切菓子を買ったのでした。
お菓子の世界も桜時です。見た目で季節が感じられる和菓子はいいですね~。
皆様も<西むら>をどうぞよろしく。練切の他に、舌でとろける和三盆、フワフワな生地と杏ジャム、バタークリームの相性が最高の<羽衣>、古風な味わいのカステラはアイスクリームを添えると大変美味です。
さあこれから頂きま~す!

さあこれからが

2007年03月13日 | 芝居
本日、国立劇場第3研修室にて勉強会にむけての会議がひらかれました。
午後8時から始まった話し合いは11時に終了。私は出番を終えてからなので1時間ちょっとしか参加できませんでしたが、最初からの方々はさぞお疲れになったことでしょう。
1月から度々行ってきた打ち合わせも、今日の集まりで準備段階完了といったところ。演目、配役など、あらかたの決め事はまとまりました。もう少しとりまとめる事項もございますが、皆様のお手元に、仮チラシが届くのも時間の問題ですのでお楽しみに!
私は本興行と同様に、女形で参加となります。どんな姿でお目にかかれるでしょうか?

2年相経ち候…で

2007年03月12日 | 芝居
本日で『梅之芝居日記』、開設2周年でございます。
1周年のときも申し上げたかもしれませんが、こどもの頃から<継続>という言葉と無縁に育ってきた私が、よくまあここまで続けられたものだと、我ながら感心しておりますが、日々お送りさせていただいております文章が、皆様のお気慰みにふさわしい中身となっているかは、はなはだ心もとなく思います。
もう少し幅広い趣味があれば、より多くのジャンルでお話ができるんですけれど、悲しいかなどうしても舞台から話題が離れません。皆様食傷気味ではございませんか?

ただ、少々言い訳がましく申し上げることをお許し頂けるのなら、私は、曲がりなりにも舞台に生きている者でございます、未熟であること、まだまだ勉強の身であることを承知の上で、皆様に何かお伝えできることがあるとすれば、やっぱり<歌舞伎>のことしかないのです。
当ブログをはじめた理由のひとつに、劇場に足をお運び下さる皆様に対して、多くの歌舞伎の解説書入門書、あるいはメディアが伝える<知識>とは異なる、違った立場からの<情報>をお伝えしたい。リアルタイムに進行している、<今、ここにある>歌舞伎のもようをお知らせしたいという、分不相応かもしれない気持ちが私の中に生まれたということがございます。
昨日たまたま15年前の『千本桜』を話題にしましたが、あの舞台と今月の『千本桜』は確実に違っています。演者が変われば演出も変わる、その時その時の事情、意向、アイディアで、古典である歌舞伎は実はいくらでも変化しています。そうしたことをともすれば忘れがちになり、「◯◯とはこういうもの」「☆☆はああでなければならない」といった言葉だけが、ご覧になる方々の中で先行してほしくはございません。
2年間つらつら書き続けてきたこの拙文が、もし皆様のお役に立てることがあるのだとしたら、そうした「正しいのだけれど“絶対”ではない」歌舞伎の諸々に関する知識に、ささやかながら補足をさせて頂くことに他なりません。そのためにも、誠心誠意舞台で修行し、ひとつひとつのお役を勉強して参ります。
どうかご理解頂けますようお願い申し上げますとともに、今後とも、末永くご愛読のほど、ひとえにお願い申し上げます。

15年前の千本桜

2007年03月11日 | 芝居
私が生まれて初めて生で観た歌舞伎が、『通し狂言 義経千本桜』でございました。
平成4年8月歌舞伎座でございましたが、納涼花形歌舞伎と銘打たれ、中村屋(勘三郎)さん、大和屋(三津五郎)さん、成駒屋のご兄弟(福助さん、橋之助さん)といった顔ぶれでしたが、中村屋さんが権太、相模五郎、「道行」の静御前、そして「四の切」の義経。大和屋さんが昼夜通しの忠信と入江丹蔵、成駒屋(福助)さんは典待の局、お里、「四の切」の静御前、成駒屋(橋之助)さんは平知盛と「四の切」の亀井六郎…。多くの出演者が2役3役をお勤めになり、いやがうえにも熱気のこもる舞台となったのでした。

当時11歳の私は、母と2人で昼夜を通して3階席から拝見。初めての歌舞伎座で、体に響く大太鼓の音にドキドキしたり、浅黄幕の振り落しなどの独特な演出に驚きながら、いつしか「千本桜」の物語に惹きこまれていったのでした。
…初めての舞台は、やはり深く記憶されるものですね。中村屋さんの魚尽くしの「ハヤ、サヨリなら」の台詞回しとか、成駒屋さんの知盛が海に飛び込む姿、あるいは「道行」で静の使う金銀の姫扇が照明に当たってキラキラしていたこと…。ささいなことでも、今もはっきりと目に浮かぶんです(大向こうがどんな掛け声をかけたかまで!)。
おこがましい言いようかもしれませんが、大変すばらしい舞台が<初歌舞伎>となったおかげで、それ以来歌舞伎が大好きとなり、今の私がいるように思えてなりません。そしていま、同じ歌舞伎座の同じ通し狂言に自分が出ている。本当に有難く、嬉しいことでございます。


そういえばあの時は、「道行」に藤太が出ませんでした。歌舞伎座で静と忠信のみの「吉野山」が出るのは、そうそう多くはございませんね。