梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

清和月稽古場便り・3

2009年03月31日 | 芝居
本日、3月31日は、六世歌右衛門の大旦那のご命日です。
先輩と一緒にご墓参をさせて頂いてから楽屋に向いました。

『伽羅先代萩』は、「竹の間」から「床下」までが<“舞台にて”総ざらい>でした。

初めてこの演目に出演する身にとりましては、とても有難いお稽古でした。花道を出てゆく感覚とか、腰元同士の居並びが実際どうなるか、確認しながら勤めることができました(小道具の雪洞も使えて良かったです)。
やっぱり、ものすごく“気が張る”お役ですね! そして、それをお客様には感じさせてはいけないということが、とても難しいのだと思いました。サァ明日は衣裳を着ての動きとなります。裾さばき、袂の扱い等、また克服せねばならない課題が増えますが、とにかく無心に…!

夕方の<顔寄せ>を済ませてから帰宅いたしました。


清和月稽古場便り・2

2009年03月30日 | 芝居
『伽羅先代萩』「御殿」、2回目の<附立>です。

栄御前付きの腰元は、とくに仕事があるわけではございませんが、なにもないだけにかえって難しいです。 御殿内にふさわしい居住まい、雰囲気。経験不足の私にとって本当に不安ですが、考えて出せるものではないので、心のあり方には気をつけますが、他は考えないようにします。
先立ちます「竹の間」の場の腰元は、いろいろ芝居もあるうえに、控えている間も長く、本当に大変な、重いお役なのだなぁとつくづく思います。先輩方の舞台から、たくさん学ばせて頂きたく存じます。早く鴇色の腰元が身に馴染むようになりたいです!


夜は、新宿の映画館で『花の生涯ー梅蘭芳』を同期と一緒に拝見いたしました。ご存知、京劇の名女形の波乱の生涯を描いた2時間半の作品。時代と、戦争とに翻弄され、本当の愛をも叶わぬながら、それでも自らの生きる場所を舞台と定め、芸を極めていった一生。フィクションでもないしドキュメントでもないし、不思議な感じデシタ。


清和月稽古場便り・1

2009年03月29日 | 芝居
2日間たっぷりお休みを頂き、気持ちも新たに<四月大歌舞伎>のお稽古を迎えました。

第1日目となる本日は、『伽羅先代萩』の<附立>です。
この度、私は“栄御前付き”の腰元を勉強させて頂きます。雪洞を持って、萬屋(歌六)さん演ずる栄御前に付き従い、花道から出てくるアノお役です。私にとって『先代萩』は、先年師匠が初役で八汐をお勤めになったときが、携わったはじめてでして、お役で出るのは今回が初なのです。一緒に出る仲間が経験者なので、とても心強く、いろいろ教えて頂きました。

先立ちます「竹の間」からお稽古を拝見させて頂きましたが、この作品の格式、重さを改めて感じました。この雰囲気の中に、自分が入ってゆくのか…! と思いますと、ちょっとお腹が痛くなる感じ…。
いつも申すようですが、とにかくそのお芝居らしい存在になれるよう、心を大事にして、行儀よく勤めることに専心いたします。

無事終わりました

2009年03月26日 | 芝居
本日をもちまして、歌舞伎座3月興行『通し狂言 元禄忠臣蔵』は無事千穐楽でございます。
歌舞伎座では20数年ぶりの<新歌舞伎>の通し狂言。大勢のお客様のお出ましを頂き、有り難うございました。

「江戸城の刃傷」での、御坊主関久和。本当に、本当に難しゅうございました。師匠の内匠頭、尾上菊十郎さんの梶川与惣兵衛、そして大和屋(彌十郎)さんの多門伝八郎…。大先輩がたの中で、短い時間ながらも演技をさせて頂き、台詞も頂戴した、そのプレッシャーはもとより、一日の物語の発端であるこの場の、緊迫した雰囲気の中にいるということ…。ドキドキしっぱなしの25日間でした。
その日々の中で、たくさん勉強させていただきました。未熟なところ、至らぬ点ばかりで、なんとも情けない思いでいっぱいですが、とにかく全力で、決して気を緩めることのないように勤めました。しっかり気持ちを作ること、そしてそれを維持し続けることの難しさを、改めて思い知らされましたが、まずは粗相なく勤めおおせられましたこと、今はホッとしております。反省や後悔は、これからジワジワと襲ってくるのでしょうけれど…。

得難い修行の場をお与え下さった皆々様に、心より御礼申し上げます!

…変わって「御浜御殿綱豊卿」の奥女中の綱引きは、毎日楽しく勤めることができました。
ウキウキした場面ということで、段取りは決まっていても、細部は日によって色々と変わりました。先輩方のイキに合わせて、引っぱられたり引っぱったりの具合、アラララ今日はどこまでゆくのかしら? ということもままございまして…。
そういうことができるのも、この場の面白さかもしれませんね。千穐楽の本日などは、双方本イキでの真剣勝負…といっては大げさですが、引っ込んでから少々息があがってしまいましたヨ。


と、いうわけで…。
これから20年後の歌舞伎座で、どんなお顔ぶれで『元禄忠臣蔵』が上演されるのか、そんな想いも抱きつつ、次々と片付けられる裃の山を見ながら楽屋を撤収いたしました。
明日明後日はお稽古はございません。更新もお休みさせて頂きます。

お腹いっぱい真山青果の弥生興行でした。


今でいえば中学生、なんと立派なんでしょう

2009年03月25日 | 芝居
『最後の大評定』の「元の玄関先」で、大石内蔵助が井関徳兵衛の倅の紋左衛門に年齢を問うたあと、
「いつ、<角(すみ)を入れ>られた」と訪ねます。紋左衛門は
「(略)福川の掛茶屋にて剃刀を借り、急に親父様に願って、<半元服>いたして男になりました」
と答えます。

<半元服>と申しますのは、前髪をすっかり剃り落す正式な元服である<本元服>の1、2年前くらいに行うもので、前髪の左右(小額のあたり)に剃り込みを入れ、生え際のラインが角ばるようにする儀式(これが、角を入れる、ということ)だそうです。いわゆる<角前髪>という髪型が、これで形作られまして、それまでよりも大人びた、凛々しい雰囲気になるわけです。

地域や時代、身分で差はございますが、正式な元服を、15、6歳で行うとして、紋左衛門は14歳。父とともに、浅野家の大事にあたってなんとしても力になりたいと願うにつけ、とにかく「子供のままではいられない」という一心から、急ごしらえの儀式を父子で行ったのでしょうね。

対する内蔵助長男松之丞も、一つ前の「大石家 中座敷」の場におきまして、父に向って、
「私ももはや十四歳。(略)取急ぎ元服のことを願わしゅう存じます」
と強く訴えますが、内蔵助は家代々の嘉例があるといって受け付けません。
元服とは、一人前の男に、大人に、そして武士になるための大事な儀式。松之丞、紋左衛門という14歳同士の若人は、早く大人になって、侍としての生を全うしたかったのでしょう。
…結局、松之丞はしばらく元服を許されないまま時が過ぎ行き、1年後である『伏見鐘木町』(今月は上演されておりませんが)におきまして、ついに親の許しを待たずに勝手に元服し、名前も主税と改めてしまいます(主税は内蔵助の父親の名)。
内蔵助が烈火の如く怒る場面もございますが、『仙石屋敷』での取り調べにおきましては、主税は自身の元服に関して、
「江戸くだりのこと思い立ったるその日、無理から父に願い出まして、元服いたしました」
と述べているんです。
ハテサテ? なんかチグハグな気が…。

自ままの元服はそれとして、父同意のもと、改めての儀式を執り行った、と解釈すれば良いのでしょうかね。

ちなみに『仙石屋敷』で見ることができる主税の元服後の髪型、月形半平太や沖田総司をしのばせる、前髪を狭く剃ったあのヘアスタイルは、「出島」というそうです。床山さんにうかがいました。



盛り上がりましたね~

2009年03月24日 | 芝居
日本万歳!

WBC決勝戦、名題下部屋は大変な騒ぎでしたよ、ホント…。
野球にあまり興味がない私も、今回ばかりは大いに興奮し、ヤキモキし、最後は喜び…。
ちょうど『御浜御殿』の綱引きが終わって楽屋に戻ったところで、延長戦の大詰め。
優勝の瞬間を見ることができて良かったです。本当におめでとうございました!!

しかしまあ、イチローさんとダルビッシュさんは、イイところを持って行きますなァ…。
それまでの、過程があるとしても…。
お芝居みたいデシタ。

                  ◯

さて、来月の歌舞伎座興行<四月大歌舞伎>に、出演が決まりました。
『通し狂言 伽羅先代萩』「御殿」の<腰元>を勉強させて頂きます。
大和屋(玉三郎)さんの政岡、松嶋屋(仁左衛門)さんの八汐、萬屋(歌六)さんの栄御前、成駒屋(福助)さんの沖の井、松嶋屋(孝太郎)さんの松島。
続く「床下」は播磨屋(吉右衛門)さんの仁木弾正に、大和屋(三津五郎)さんの男之助。大顔合わせの舞台に携わらせて頂けること、有難く存じます。

歌舞伎座連続出演6ヶ月目! 頑張ります!

「江戸城の刃傷」覚え書き

2009年03月23日 | 芝居
『元禄忠臣蔵』「江戸城の刃傷」の、新たな演出については、<稽古場便り>でも少し触れましたが、開幕時の諸役の出入り、段取りをこれまでと変えました。私自身の心覚えの意味も込めて。少々細かくなりますが、記録しておきます。

まず、これまでの演出をご紹介いたします。

開幕の柝とともに、「御医者、御医者!」「御作事の衆、御畳の用意!」「詰合、坊主!」と、にわかの刃傷にたち騒ぐ大名たちの声が響くなか緞帳があがると、場面は<松の廊下>の南方、大広間の御後通りに続く部分。
上手から下手へ諸士や坊主がいっせいに吉良のもとへ馳せ行く態、続いて、大紋や長裃姿の諸大名が様子を見ようと登場するのを、登川得也、石川良伯、数人の諸士が止めて芝居が始まります。

行こうとする大名、止める坊主のやりとりのうちに、戸沢下野守が登場、制止を振り切って廊下奥へ行こうとすると、
「事、鎮まりました。いずれも様御引取りーー御引取りあられましょう」
と、独特の節を付けて触れ回る小坊主を先頭にして、お座敷番平川録太郎が下手の襖を開けて出てまいります。
平川に、触穢の御咎めありといわれてあきらめる下野守。ふたたび「事、鎮まりました」の触れ声、平川、諸大名、坊主たちは上手へ退出いたします。

一人残った下野守の背後の廊下を、大勢の坊主に介抱されながら、吉良上野介が逃げ行きます。それをみて、思わずキッとなる下野守。複雑な心境を胸に退出してゆく彼の姿を見せながら、ゆっくりと舞台が回ります。

続く舞台は<松の廊下>を正面にみる景。
下手から、刀を手にした内匠頭、それにすがりつく梶川与惣兵衛、御坊主関久和が揉み合いながら登場……。


という具合です。

ではこのたびの変更はと申しますと、幕開き、戸田下野守が登場するまではほぼこれまで通りですが、廊下の奥へ行こうとする下野守の「…制止を承知でまかり通るのだ」という台詞で、登場するのはお座敷番平川だけとし、ここでは小坊主を出しませんでした。
平川とのやりとりは変わらず、あきらめた下野守の「…勅使に対しておそれあり、是非もないことである…」の台詞のあと、ここではじめて、小坊主の「事、鎮まりました、いずれも様御引き取りーー御引き取りあられましょう」の声を“舞台裏から”聞かせ、これを聞いて一同が上手に退出するところで、舞台を回します。

2場目の廊下の舞台が回っている間に、先ほどの小坊主が、触れ声を上げながら廊下を横断することとし、舞台が回りきったところで吉良上野介たちが出てくることに(それぞれ出番が1場ずれたわけです)。それを追うように、内匠頭、梶川、関久和が下手から出る、という流れになりました。

…以上の変更で、舞台が無人になる時間も減りました。転換中も含め、つねに芝居が動いていることにもなり、緊迫感が途切れずに、内匠頭の登場まではこべるようになったと思います。



宣伝です!!

2009年03月22日 | 芝居
いつもお世話になっております、鹿島良太さんが所属している『劇団 偉人舞台』が、4月に新作の公演を行いますので、ご案内させて頂きます。

鹿島さんご本人からメッセージを頂きましたので、そのまま掲載いたします。



梅之さんファンの皆様、こんばんは。偉人舞台の鹿島良太と申します。
梅ちゃんにはいつも仲良くして頂いています。梅ちゃんもご推薦!? 私共のお芝居、お時間のございます方には是非とも足を運んで頂きたく思っています!
運が良ければ劇場で梅ちゃんにバッタリ なんてこともあるかもしれませんよ♪


え~、別に劇場で私に遭遇したからといって、なんの有難いこともないわけですが(笑)、とにかく私も必ず観にゆく予定の新作『シンクロニシティ』は……


2009年4月10日~15日
新宿 シアターミラクル

キャスト
FLIP-FLAP(yuko&aiko)
我孫子 泉
鹿島 良太
吉村 啓史
南部 孝司
我孫子 令


10日(金)19:30
11日(土)14:00/19:00
12日(日)14:00/19:00
13日(月)19:30
14日(火)19:30
15日(水)19:00

全席自由・前売り3,500円/当日3,800円


です。

チケットのお申し込みは、鹿島さんのアドレス
kashimatei@yahoo.co.jp
でも取り扱っているそうです。

なにとぞよろしくお願いいたします!

歌舞伎座風景 1

2009年03月20日 | 芝居
歌舞伎座取り壊しも1年後と迫り、一出演者として思いますことは、やはりこの劇場のもつ雰囲気は、他では絶対に味わえないもので、私たちの<ホーム>であり、また<グランドステージ>なんだなあということです。この舞台に、当たり前のように立てている幸せ、それと同じくらいの大きさで感じる畏れ。いろんな気持ちが去来しますが、これから、不定期になることとは存じますが、<出演者にとっての歌舞伎座>のそこかしこを、この場をかりてご紹介できたらと考えております。

今日は、花道揚幕の脇の小部屋《鳥屋(とや)》をご覧頂きます。
花道からの出番を控えた役者が待機するスペース。畳3畳分くらいの広さでしょうか。
姿見、小机、扇風機。扇風機の前の赤い箱には、お清めの塩が入っております。

待機するだけでなく、演目によっては、ここで化粧や着付け作業をすることもままございます。
この、決して広くはない場所が、臨時の楽屋のようになり、お弟子さん付き人さん、衣裳さん床山さんが待機したり…。
白熱球の灯りしかございませんので、姿見から少し離れると、ほの暗い空間に包まれます。
揚幕をくぐり抜けて、客席の熱気やざわめきがとてもよく伝わります。
もう、この場所が、お芝居の一部のようにも思えることが、私はございます。
なにか、違う世界へと続く、<扉>みたいな感じ…。

言葉はヘンですけど、やわらかな緊張感、というような…。

海の向こうの話

2009年03月19日 | 芝居
蜷川幸雄氏演出の『十二夜』出演者の皆様が、揃ってイギリス公演へ出発!
今月末まで、バービカン劇場に出演されますが、シェークスピアの国に乗り込んでの歌舞伎版『十二夜』が、大きな反響を呼ぶことを、そして皆様つつがなくご無事に帰ってこられますよう、心からお祈り申し上げます。
同期の段一郎に、向こうのお酒をお土産に頼んどいたけど、忘れてないよね…。あ、税関とかややこしいのかしら。

話変わって…
このところ、WBCの話題がしきりですが、楽屋内も大盛り上がりです。試合の時間帯が、ちょうど皆で“テレビ観戦”できる頃で、マァこんなに野球好きな方がいらしたのか! とビックリするくらいアツい歓声が名題下部屋に沸き上がっております。
私は、スポーツ全般にあまり興味がないので、それほど盛り上がることはできませんが、ひとつわからないのは、日本はあんなに負けたのに、なぜ準決勝に進出できるのですか? トーナメント戦ではないの?
日韓戦が4回もあったワケがさっぱり理解できない“インドア派”梅之でした。


(20日 記)

おめでとうを4人分

2009年03月18日 | 芝居
3月生まれの仲間や衣裳さんが4人もいたので、合同でお祝いを。
銀座のお店で、終電ギリギリまで盛り上がりました。
なんだかんだいってしょっちゅう集まっているメンバーなんですが、こと誕生日のお祝いともなれば、プレゼント(洒落のきいたヤツね)を渡したり、楽しさも格別というもので…。
久しぶりに、心の底から笑うことができました。

私たち梅玉一門は、梅蔵さん、私、梅秋が皆7月生まれということで(梅丸は9月です)、この時期は巡業シーズンのこともあり、あるときは地方の会館、またあるときは移動の列車の中でお祝いしてもらったこともありました(どちらもややサプライズ気味でしたナ)。
いい年をして<お誕生日会>か!、とおっしゃらないでくださいね。いくつになっても楽しいし嬉しいですよ、皆様にお祝いして頂くのは!

私も、来年はいよいよ30歳ですか。
ハアァ……。


(20日 記)

皆様のお陰によりまして…。

2009年03月17日 | 芝居
『元禄忠臣蔵』は、昼夜で6演目の上演。杯数(場面の数)はあわせて26!
先月の歌舞伎座が11ですから、倍以上ということで、これは大変な多さです。
1日の公演がはじまると、舞台裏では装置を組み、ばらしてゆく作業の繰り返し。ごくごく短い転換時間中、芝居の流れやお客様の集中力が途切れないように迅速な仕事をなさってくださる大道具方、照明の皆様のご苦労はいかばかりかと思います。

暗転転換とか、回り舞台による明転、道具替えの方法は色々ありますが、書き割り、屋体、畳をあらわす上敷や雪布などの敷き物、立ち木、襖、障子…。これらは、必ずしも各場ごとにまとめて保管してあるわけではなく、舞台の上手下手、奥、そして天井と、あちこちにわかれて収納されていることが多く、キッカケを合図にそれぞれの場所からいっせいにワ~ッと集まってきて組み立てられる様は、まさに職人技としか申せません。
逆もまたしかりで、回っている舞台の中から、ガガ~ッと一直線に屋体を外に押し出して撤収してゆくなんて、凄い仕事ですよね。

本当に、チームワークが必要な現場。
上手係、下手係と、はっきり分担されているのも、なるほどなぁと思います





『仙石屋敷』から

2009年03月15日 | 芝居
『仙石屋敷』「大書院の場」での、大石内蔵助の台詞に、
「…三日以来の大雪、ことさら昨夜は月の光冴え渡り(略)…まずは“雀色時”の薄明かりほどでございました」
というくだりがございまして、“雀色時”とは何時くらいなのかしらと思って調べてみますと、夕暮れの頃を指すようですね。
雀色というのが、雀の羽の色のような、やや灰色がかった茶色のことだそうで、たしかに黄昏どきの空はそんな色をしているようにも見えますね(夕空の色は複雑ですけど…)。

討ち入りは吉田忠左衛門が言うように、八つ過ぎ(深夜2時から3時の間)だったようですが、雪明かりと皓々と照る月に助けられ、夕方くらいの明るさはあったということわけですね。とはいえ江戸時代の夕まぐれですから、今とはかなり違う感覚でしょうが。

雀色時。いい言葉ですね。

                   ◯

最後の「元の大玄関」、浪士たちがそれぞれのお預かり先に赴く場面で、数日前から新たな音響効果が加わりました。
仙石邸から出てきた浪士たちを見物に来ている群衆の<声>です。
大石の台詞にもあるように、<世上百万の眼>が注目するであろう義士たちの快挙。噂を聞きつけ、屋敷のまわりにはすでに野次馬が集まっているというこころで、ワヤワヤとしたざわめきが、玄関先にも聞こえてくるのです。

この場の雰囲気、大いに変わりました。お確かめ頂ければと思います。



まだまだまだまだ

2009年03月14日 | 芝居
今日は<中日>でした。

残り半分も、一生懸命勤めるのみ! ひと月、惰性にならずに、気持ちを高め続けることは本当に難しいです。まして『江戸城の刃傷』関久和のお役は、内匠頭を押しとどめる、刀にすがりつく<必死>なお役。こちらが少しでもスキを見せたら、内匠頭の無念も、梶川与惣兵衛の懸命の働きも、みんな絵空事になってしまいますもの…。
とにかくあの場の空気を壊さないよう、心に張りつめたものを感じながら、お役としてその時を生きれるように。今の自分の腕前では、ただの高望みなのかもしれませんが、心がけだけは忘れぬようにいたしたいと思っております。

…花粉のせいなのか、それとも風邪なのか、よくわからない慢性的な頭の鈍重感にみまわれております。
早くスッキリしたいんですが。