梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

勝手知ったる六助の家

2006年06月30日 | 芝居
本日は<初日通り舞台稽古>。全二場のうち、『毛谷村』は、師匠演じる六助の住居ということで、あらかじめ舞台に設置されている小道具<出道具>が大変多く、しかもそのどれもが、お芝居の進行に密接に関わっているので、置き所の確認や不備がないかのチェックが大変です。
おもちゃ箱、お釜、タバコ盆、お膳、茶碗、盃、布団に屏風、仏壇の中には鐘木、鉦、数珠、etc…。
この他着替えの衣裳を包んだたとう紙は押し入れの中、下手の物干棹には弥三松の着替え。全て開幕前のわずかな時間にセットしなくてはならないのが忙しなく、私が後見をさせて頂いた時は、毎日毎日額に汗しておりました。今回は弟弟子が後見ですから、彼の担当。今日は私や兄弟子も立ち会って様子を見ました。

以前書いたかもしれませんが、黒衣であれ裃であれ、後見というものは、その芝居の一切の責任を負うものだと私は教わりました。芝居の進行をきちんと把握する。師匠の役の動きを覚える。毎日の小道具の管理、手入れをする。師匠の衣裳の着付をする。単に舞台上での仕事をこなすだけではダメなのです。もしアクシデントがおこったとき迅速に対応できるかも大切なところで、黒衣の懐に簡単な裁縫道具や汗ふきをしのばせるのも、そういう事態に備えての心がけなのですね。

あくまでも<陰>の存在なのですが、どれだけ師匠に、芝居自体に尽くせるか。ここが大事なのではないでしょうか。

私も、とりあえず自分のお役を無事に勤め終えましてほっとしております。明日は国立劇場の<創立記念日>で、全館休業、お休みです。朝寝坊をして掃除をして、マッサージにも行って、それから披露宴の打ち合わせにも。なんだかきちんと休めるか不安になってきました…。

その度胸にあやかりたい!?

2006年06月29日 | 芝居
昨日の記事でも少し触れましたが、『毛谷村』の大切な登場人物<弥三松>は、子役ながらも台詞も多く、義太夫節に合わせた動きもこなさねばならない、大変なお役です。
今回、この<弥三松>は、先ごろ初舞台を踏んだ、中村玉太郎さん(加賀屋 松江さん長男)が演じます。お園に抱えられたり、六助におんぶされたりしますから、体型的に小柄な子供さんが選ばれることが多いお役ですが、育ち盛りの玉太郎さん、今このときが、ちょうどよい時期のようにお見受けしました。

歌舞伎に出てくる子役さんは、一般から選ばれる場合は、子役指導の先生(昨年なくなられた音羽菊七さんの厳しくもまた温かいご指導ぶりが思い起こされます)に習って勤めるのですが、幹部俳優さんのご子息が演じられる時は、親御さんはもちろんのこと、お弟子さんも動きをつけたり台詞を覚える相手になったりと大変のようですね。今日までのお稽古でも、加賀屋さん親子(ト東蔵さん・松江さん)のお弟子さんが、脇から出のキッカケを出したり動きの間を伝えたりなさっていらっしゃいました。
当の玉太郎さんは実に堂々、そしてのびのび演じてらっしゃるのが微笑ましい限りです。声も大きいですし、四月の初舞台で演技になれたのでしょうね。

明日はいよいよ<初日通り舞台稽古>ですが、広い広い国立劇場の大舞台に負けない、元気な演技が見られるのが楽しみです!

『彦山権現誓助剣』

2006年06月28日 | 芝居
七月公演の『彦山権現誓助剣』は、心優しき剣豪六助と、男顔負けの剣術使いのお園の偶然の出会い、そして二人が許嫁同士であることがわかり、共に亡父の敵討ちに出立するまでを描いた、<時代世話>狂言です。のどかな田舎の風景のなか、終始テンポよくストーリーが進行しますし、お園の妹の息子、弥三松の可愛らしい活躍もあいまって、本興行でも度々上演される人気狂言です。
この度の<鑑賞教室>では、おなじみの「毛谷村の場」に先立ち、「杉坂墓所の場」をつけた上演になります。「毛谷村」に至までの経緯が、お客様にとってもよりわかりやすくなるかと存じます。

「毛谷村」は、私が入門してからでもこれで三度目の上演です。その以前にも、師匠は巡業公演で演じております。前回、前々回は、私が後見をさせて頂きました。一時間十五分という、決して長くはない上演時間ですが、後見の仕事は沢山ございまして、やりがいを感じるとともに、難しさも身に沁みました。今回は弟弟子が後見を勤めますので、覚えていることは全て伝えました。あとは本人の頑張り一つです。

この演目につましては、色々とお話ししたいことがございます。おって順々に…。

第四回「たけのこ会」!

2006年06月27日 | 芝居
本日国立劇場七月公演のお稽古を終えてから、第四回「たけのこ会」を拝見してまいりました。
「たけのこ会」は、大和屋(三津五郎)さんのご一門による、舞踊の勉強会です。開場は先日改装なった浅草公会堂、台東区の後援も受けての公演です。
演目は『三人形』(坂東功一さん・中村福若さん・坂東大和さん)、『鬼次拍子舞』(坂東三津衛門さん・中村京蔵さん・市川新七さん・市川升平さん)、『戻駕』(坂東玉雪さん・坂東八大さん・坂東三津之助さん)、『三ツ面子守』(特別出演の大和屋(三津五郎)さん)、『笑門俄七福』(三津之助さん・三津衛門さん・大和さん・八大さん・京蔵さん・玉雪さん・福若さん)の五番です。
休憩も含めて三時間ほどの公演でしたが、公会堂の客席は大入り! 一階には補助席も出ておりました。…普段の興行でもかかる演目から、滅多に上演されない珍しいものまで、すべて坂東流の振り付けによる上演は、宗家藤間流で舞踊を学ぶ私にとりましても、演出や振り付けの違いを学ぶことができましたし、ふた月後に勉強会を控える者としても、大きな刺激を受けました!
普段から一緒に働く方達ばかりが出ている会ということもあり、客席も見知った顔ばかり。休憩時間は挨拶に忙しかったり…。
帰りは一緒に観に行った母と、仕事を終えてから合流した家内と三人で、いつもの『小柳』にお邪魔しました。

私達『稚魚の会 歌舞伎会 合同公演』メンバーも負けてはおれません! あらためて闘志をかきたてた次第です。

楽しいひと月でした

2006年06月27日 | 芝居
本日、<六月大歌舞伎>が無事千穐楽を迎えました。
久々の<裃後見>に二つの<新歌舞伎>初体験。難しいところもございましたが、楽しく勤めることができました。ことに後見では、大変な仕事がないゆえでもあるのですが、終始落ち着いた気持ちで勤めることができました。そのおかげで、邪魔にならない歩き方や、無駄のない仕事の仕方を色々と工夫する余裕ができ、毎回ああもしようこうもしようと考えながら勤めました。自分の動きと師匠とのイキが、(ピッタリあった!)と思えた日も何回かあり、嬉しくなりましたが、本当なら毎日そうでなければならないところ。これからの課題として精進いたします。

勉強会、宗家藤間会、来月のお役の稽古に、自らの結婚式や披露宴の準備。いろいろ時間をとってやらなければならないことばかりで、そのためこのブログの更新が滞ってしまったことは申し訳なく思いますし、自分としても残念でしたが、七月、八月も同様のことがおこるかもしれません。今自分がなさねばならぬ多くのことのどれもが、中途半端なものにならないよう気をつけてまいりますが、今後とも、鷹揚のお心持ちでこのブログをお見守り下さいませ。

明日からさっそく国立劇場七月公演『彦山権現誓助剣』の稽古が始まります。

西と東で違うもの 下

2006年06月25日 | 芝居
歌舞伎の舞台衣裳の<帯結び>、女役の結び方には大変な種類がございまして、役柄や場面によって使い分けておりますが、立役の場合はそれほど種類はございません。
その代表的なものとしてあげられるのが、写真の<貝の口>。なんとなくアサリやハマグリの剥き身に見えますね。世話物の町人役はほとんどこれ。侍役でも一部のお役でみられます。舞台衣裳に限らず、一般の男性の着付でも、この結び方がもっぱらでしょう。
さてこの<貝の口>も、東と西で結び方が変わります。下の写真をご覧下さい。


結んだ形が、まるっきり正反対になっているでしょう? これが<関西手(かんさいで)の貝の口>なんです。これは、帯を体に巻き付ける方向を逆にすることでつくりあげます。普通の<貝の口>、これも詳しくいえば<関東手(かんとうで)の貝の口>と呼ぶことになるのですが、締める当人から見て反時計回りに帯を回してゆくところを、時計回りに回すことで<関西手>になります。
呼び名の通り、この結び方は上方が舞台になっている狂言でよく使われます。今月で言えば『二人夕霧』で、いや風、てんれつ、小れんの三人の弟子達の着付で見られますし、幕切れに大勢出てくる<藤屋の手代>達も、上から半纏を着ているのでお客様からは見えませんが、帯は<関西手>になっているのですよ。
また同じ上方が舞台になっている芝居でも、今月の『双蝶々曲輪日記 角力場』で登場する大勢の見物人は<関東手>です。厳密に区分されているわけではないのでしょうが、少し不思議な気もします。ただ、<関西手>に締めるのは、より<上方色>の強い演目の場合が多く、あるいはそういうところに、この締め方の使い分けの目安があるのかもしれません。以前『角力場』でも<関西手>だったという仲間の証言もありましたから、時と場合による、ということはこのさいハッキリ申し上げておきましょう。

ありていにいえば、時計回りに帯を回してゆく締め方を<関西手>と呼ぶわけで、<貝の口>にかぎらず、女役の<角出し>、立役の<ハコ結び><片ばさみ>や<吉弥結び>(師匠の演じる伊左衛門はこれ)なども、演目によって<関西手>になります。ただ、普通は<関東手>で締めるのがほとんどですから、役者のほうも、衣裳方さんも、いつもと勝手が違ってやりにくいことがあるようです。
それにしても、どうして帯を回す方向まで西と東で変わるのでしょう? 理由を考えてはみるのですが…。

今回はあくまで歌舞伎の衣裳着付の場合のお話をさせていただきました、テレビや映画などの映像の現場や、一般の着付作法で、呼称や定義に相違があるかもれませんが、あしからずご了承下さいませ。

西と東で違うのもの 上

2006年06月23日 | 芝居
以前にもお話ししたかとは存じますが、歌舞伎俳優にとっての<手締め>は「ヨヨヨイ ヨヨヨイ ヨヨヨイ ヨイ」の拍子がもっぱらで、これを幕内では<一本締め>と申しております。一般では「ヨーオ」で一回だけ締めるのを<一本締め>と申したり、 先の「ヨヨヨイ ヨヨヨイ ヨヨヨイ ヨイ」を三回繰り返す<三本締め>も、色々な場面で見られると思います。

ところが、これら<手締め>も、お国柄が違えばまた変わるもので、関西には、いわゆる<大阪締め>というものもあり、これが今月歌舞伎座の『双蝶々曲輪日記 角力場』や『二人夕霧』という、上方出来の狂言で見ることができます。
シンをとる人の「締~めましょ」の声を聞いてからまず二つ、さらに「も一つせ」で二つ、最後は「祝うて三度」で三つと、計七回締めるのですが、<一本締め>の威勢の良さ、簡潔さに比べますとなんともおおらか、そして華やかさが感じられると思います。
<大阪締め>はもちろん現代にも続く風習です。幕内の例を拾ってみても、近くは山城屋(坂田藤十郎)さんの襲名イベントの中で興行の成功を祈って、また先日の『平成若衆歌舞伎』東京公演の打ち上げパーティーでも、関東初公演が無事成功したことを祝って賑々しく行われたそうです。

私も不勉強ですので、この他各地にどんな<手締め>が伝わるものか存じないので偉そうなことは申せません。ご存知の<郷土の手締め>がございましたら、是非是非お教え下さいませ!

三日間のご無沙汰でした

2006年06月22日 | 芝居
時間に追われ、体力的にも大変な日々も、ようやくひと段落つきました。気がつけば<六月大歌舞伎>もあと四日。もう夏は目の前です。

十九日から昨二十一日までは、終演後から『修禅寺物語』のお稽古。紀伊国屋(田之助)さんもお忙しい中遅くまでお稽古をつけて下さり、本当に有り難かったです。いよいよ<本読み>から<立ち稽古>となり、本番通りに動いてみたわけですが、頭で考えている通りにはなかなか体が動いてくれません。とはいえ私が演じます源頼家は、天下に一人の将軍ですので、動かずに<風格>を見せることに注意をおかねばなりませんが、それなればこそ、数少ない動きの場面はおろそかにはできません。ここで品が失われたり、底が浅くなってしまっては台無しなのですから…。
紀伊国屋さんからは、「あまり凄まないように」とのダメ出しを頂きました。怒りの表現が強すぎたようです。「もっとスッとして、そう、君のお師匠さん(梅玉若旦那)みたいな感じでやってごらん」とのお言葉も頂戴しました。これからの役作りにきちんと反映させたいと思います。

昨日はまた、夜の部『暗闇の丑松』終演後の休憩時間に、舞台にて『第十二回 日本俳優協会賞 表彰式』が開催されました。
平成七年から年一回実施されているこの賞は、年間を通じて舞台で優秀な成果を上げた脇役、客席からは見えない、舞台の陰で活躍している俳優が選ばれておりますが、本年度は、<日本俳優協会賞>に中村吉之助さん・市川新蔵さん。<日本俳優協会賞 奨励賞>に劇団新派の石原舞子さん。そして<日本俳優協会賞 功労賞>に市川左升さんが選ばれました。皆様お目出度うございました!

あいかわらず、勉強会の事務にはかかりきりですが、一般前売りも順調に進んでいるようで有り難いです。平日の夜の部が、一番お求めやすくなっております。ご観劇の参考までにご報告いたします。
あとわずかの日々、舞台以外にも色々と頑張らねばならないことばかりですが、家内の支えのおかげで乗り切ってゆけそうです。感謝感謝です!

劇場の内外で

2006年06月18日 | 芝居
昨晩は、先日入籍を済ませたばかりの仲間の結婚パーティーに、夫婦そろって出席させて頂きました。歌舞伎座近くのバーを借り切っての宴席で、大勢の役者仲間が集まり、オモシロい演し物、心憎い演出もあって大盛り上がり! 楽しいひとときでございました。…私も当事者なわけなんですが、このところ、名題下俳優がゾクゾク結婚しておりまして、ちょっとした<結婚ブーム>の様相です。仕事柄、一緒にいることが多いので、入籍までの手続き、引っ越し、はては円満な夫婦生活の秘訣まで、お互い教えられたり教えたりです。

さて、関東も梅雨入りしてしばらく経ちましたが、劇場内でも『荒川の佐吉』『暗闇の丑松』の劇中に、雨が降っております。
どちらも昭和に入ってから創作された<新歌舞伎>でございまして、演出も多分にリアルなものとなっておりますが、両演目で<雨>をどのように表現しているかを比べると、その違いは大きなものがございます。
『荒川の佐吉』第二幕第一場。零落した親分、鍾馗の仁兵衛の家を穿つ雨は、古典的な道具<雨団扇>で表現します。<雨団扇>は、大きい渋紙の団扇の片面に、小豆大のビーズを糸でいくつも結びつけたもので、これを細かく振ることでパラパラパラッという、雨がものにあたる音を作り出すものです。歌舞伎では大昔から使われている古典的な効果音。この道具を扱うのはたいてい我々のような弟子の立場の者で、どれくらいの音量を出したいかによって、操作する人数を増減させます。

一方、『暗闇の丑松』の第二幕第一場。板橋の宿屋を見舞う大風と土砂降りの雨は、機械が作り出した、音響による<風の音>と、実際に演者を濡らす<本雨>で表現しております。
一般に<SE(サウンドエフェクト)>と呼ばれております、録音再生となる効果音は、専門の音響スタッフさんがブースに控え、芝居の進行に合わせて操作し、音量やフェイドイン・アウトなどの調整も、全て演出家および演者の指定通りにすることになります。私などには専門外のことなので、これ以上はご説明できかねます。
さて<本雨>。文字通り本物の水を使って雨を表現することで、滝や池といったもので実際の水を使う時は<本水>です。今回は、宿屋の入り口の扉を開けると、表から激しく雨が入り込んでくる、という舞台設定ですが、舞台裏まで長いホースを引っ張ってきて水道とつなぎ、園芸や車洗い用の手元操作で放水ができるシャワーを取り付け、舞台で誰かが扉を開けるたびに放水するというわけです。演技と密接に関わる操作をいたしますので、弟子の立場の人が操作をしております。
演目によっては、舞台天井から一面に降りしきることもございますが、これも原理は同じことで、無数に穴をあけたパイプから放水されるというわけです。

古典演目でも<本雨>を使う時もあれば、新歌舞伎で<雨団扇>を使う時もある(先月の『江戸の夕映』がそうでしたね)。両者の使用区分は時と場合によりますし、演出家、演者の好みも入るものです。いずれにしても、その場にお出になっている方自身の<雨の中にいる>という演技表現とあいまって、劇場内が虚実取り混ぜてのおしめりとなる次第。
それにしてもうっとおしいこの時期。『三人吉三』の夜鷹ではございませんが、「スイバレは真っ平」でございますね、

合同公演チケット情報!

2006年06月16日 | 芝居
夏の合同公演にむけて稽古は着々と進行しております。
舞踊三題の出演者達は、出番の合間をぬって渋谷の藤間宗家稽古場へ。『引窓』『修禅寺物語』は歌舞伎座地下稽古場をお借りしての稽古。三越劇場から駆けつける人もございますが、多くの合同公演参加者が、今月歌舞伎座に出演しているので、メンバーが集まりやすく、おおいに助かっております。

一般前売りも始まりましたが、お陰様で非常に好調な滑り出しで、すでに残り枚数わずかの公演日もあるようです。総体的に、昼公演よりも夜公演の方が、チケットがお求めになりやすいようです。どんな興行でもそうですが、休日の昼公演は先に売れてゆくものでして、私達出演者も、目下平日の夜公演の宣伝販売に力を入れてゆかねばなりません!
まだふた月も先のことですから、ご予定をお立てになるのが難しいとは存じますが、「よい席は お早めに!」です。

私も、自分管轄のチケット持ち分に、全てご注文を頂き、その上さらに追加注文まで来るという事態で、嬉しい悲鳴をあげております。多くの方々がいらして頂けることは本当に有り難いことですが、出演者の知人友人親戚ばかりでなく、広く歌舞伎を愛する方々全般のご来場を、心よりお待ち申し上げております。

見ても聴いても楽しい芝居

2006年06月15日 | 芝居
二日間の休載、失礼をいたしました。
最近、色々な用事に追われてちょっと疲れ気味です。芝居を終えて家に帰るのが午後十時。それから夕食をとり、用事をするのですが、気がつけば日付がかわっているという毎日で、なかなかパソコンに向かう時間がとれません。今月中は、更新が滞ることもままあるかと存じますが、どうぞ寛容なお心でお付き合い下さいませ。いずれ休載日の欄に、お楽しみ画像や情報を追記できたらと考えております。

今日は『二人夕霧』から、面白い下座唄をご紹介いたします。
劇の中盤、伊左衛門の指導のもと、成駒屋(翫雀)さん、瀧乃屋(門之助)さん、加賀屋(松江)さん演ずる弟子たちが<傾城買い>の稽古をしているところに、三河屋(團蔵)さん演じる借金取りが手下とともに踏み込んできて、借金のかたに身ぐるみを剥いでゆこうとします。三人の弟子はこれはかなわぬと一目散に逃げ出しますが、このとき、弟子達の花道の引っ込みで使われるのが、以下の歌詞です。

おたやん 天狗に 般若の面 出そうで出まいのは石原竹の子 畑の蛤 ほってもないこと 惚れそで惚れないヘチャムクレ こっちの思いはうわの空 我らに惚れても ほってもないこと おたやん 天狗に 般若の面(以下繰り返し)…

「ほってもない」は「掘ってもない」と「惚れてもない」の洒落になっておりますが、太鼓、鉦などによる賑やかなお囃子と、陽気なメロディが、なんともお気楽な歌詞にぴったり、一度聞いたら忘れられない一曲です。
…唄の有無に限らず、下座ひとつでお芝居の雰囲気は変わるもの。この演目は昭和四十年四月<第四回 莟会>(六世歌右衛門の大旦那の自主公演)で復活されたもので、当時の演出、振り付けがほぼそのままに踏襲されておりますが、はじめにこの下座を使おうとお考えになった<附師(つけし。その芝居で使ういっさいの下座を決める職分)>のお知恵には脱帽です。

皆様に、もしついつい口ずさんでしまう下座唄がございましたら、もう相当な歌舞伎国の住人ですね。


芝居終われど…

2006年06月12日 | 芝居
今日は夏の勉強会にむけて『修禅寺物語』のお稽古。午後七時半から九時半まで、場所は歌舞伎座稽古場をお借りしました。
監修でいらっしゃる紀伊国屋(田之助)さんがお越しになる予定でしたが、ご都合で来られなくなり、<自主稽古>に切り替わりました。私は夜の部の終演まで体があかないので、『二人夕霧』が終わってからいそいで駆けつけまして、第一場だけをお稽古させて頂きました。
今回は、先月のお稽古に時間の都合で来られなかった人も多く集まることができますので、できる限り数を重ねたいところです。幸い紀伊国屋さんが、夜からのお稽古を快くご承諾下さったので、<立ち稽古>を中心に、五日間ほどご指導を受けることになりました。有り難いことだと思います。

さてこの勉強会の一般前売りも今日から始まりました! 本日午後五時からインターネット受付、明日十三日午前十時より電話受付、明後日十四日より国立劇場窓口にての販売という順番です。
私達出演者も、自身の手で草の根の宣伝、販売活動を行っておりますが、いよいよ全国の皆様にチケットが届きます。お申し込みはお早めに! ご近所となりの方への御宣伝もお忘れなく!

…オーストラリア戦、残念でしたね!

主さま参る ご存知より

2006年06月11日 | 芝居
『二人夕霧』で、加賀屋(魁春)さん演ずる“先の夕霧”が、思いのたけを書き綴った、長い長い手紙を広げるくだりがございます。例えは悪いかもしれませんが、いわばトイレットペーパーのように巻かれたこの手紙、上の縁が赤く染められておりますので<天紅(てんべに)>と申しておりまして、これは廓から送られる書状に共通の約束事でございます。
広げた長さは一丈(十尺=約三メートル)近くございますでしょうか。縦の幅は七寸(約二十一センチ)。本来女形が使う手紙の縦幅は六寸五分(約十九・五センチ)ですが、今回は舞踊劇で使うものということで、見栄えが良いように大きくなっているのです。また、素材も本来ならば和紙で仕立てなくてはならないのでしょうが、振り事の中で扱いやすいよう、また繰り返し使用できるように、裏打ちをして適度な固さにした布(一見紙のようにみえる種類がある)でできています。アイロンをかければシワもすぐとれますし、何かに引っ掛かって破れるという心配もなくなるというわけです。

以前お話し申し上げたように、文字は<狂言作者>さんがお書きになります。文面は、あくまでそれ<らしく>見えればよいので、厳密な決まり事はございません。今回は『二人夕霧』での義太夫節の詞章が抜き出して書いてあります。ちょうどこの手紙を読ませる場面、つまり“先の夕霧”が、伊左衛門に対して、自分が死んだということにしておいた理由を述べる部分の歌詞を使っておりますので、手紙の内容と芝居の進行がピッタリと符合するのです。
またこの手紙、振り事の途中で、真ん中からプッツリ切れるのですが、これはあらかじめ二つに切れてあるものを、両面テープで軽く留めておくのです。テープの粘着度は低くしてあるので、左右から引っ張れば簡単に離れるというわけです。

長時間巻いたままで保管しておきますと、巻きぐせがついてしまい、舞台で広げても端がすぐ丸まってしまい、後の演技がやりにくくなりますので、最初は逆方向に巻いておき、舞台で使う直前に巻き直すという作業をいたしております。

それにしても<天紅>の手紙の、なんと風情のあることでしょう。澤瀉屋(猿之助)さんの『金幣猿島都』の一場面で、本来なら<天紅>を使えない場面設定のところを、ご承知の上であえてご使用になり、それが素晴らしい劇的効果をあげたという事例を考えましても、小道具一つがお芝居の雰囲気を大きく変えるという恰好の見本と申せましょう。

万事能舞台から

2006年06月10日 | 芝居
今月昼の部の『藤戸』はもとより、夜の部の『身替座禅』、他に『棒しばり』や『船弁慶』『土蜘』など、お能や狂言から歌舞伎に移された『松羽目物』では、登場人物の出入りのために<お幕>と<臆病口(おくびょうぐち)>というものが舞台に設置されます。
どちらも本行の能舞台から移したものでございますが、お能の方では<お幕>とは呼ばず、<揚幕(あげまく)>、あるいは<切り幕>と呼ぶそうですし、<臆病口>は正式には<切戸口>(きりどぐち)というのだそうです。

さて<お幕>ですが、これは舞台下手の出入りに使われるもの。花道の出入りがある場合には、いつもの揚幕(劇場の紋を染め抜いたもの)を外して取り付けられます。写真をご覧頂ければお分かりかと思いますが、五色の緞子を縫い合わせた幕の下端に、細い竹棹を結びつけ、開閉の係の者が二人でこれを持ち上げることで幕が開きます。幕の開閉は、基本的には出入りする俳優の弟子が勤めますが、黒の筒袖の着付に茶の細縞の袴、白足袋という、お幕係専用の拵えをいたします。この扮装は衣裳方の管轄ではなく、<小裂(こぎれ)>という、舞台で使う布製品全般を管理する部署が担当することになっております。
二人がかりとはいえ、やってみると意外と重いもので、大人数が連なって出る時などは、しばらく腕が上げっぱなしになるので辛いですね。上げる早さも、演目や役によって変わります。

一方<臆病口>は、舞台上手に作られた、横に引いて開けるかたちの扉です。間口はごく狭いので、どんなお役でも、いったんしゃがんでくぐり抜けるように出入りしなくてはなりません。<お幕>同様、使う役者の弟子が開閉をいたしますが、後見が出入りする時は自分で開閉します。
なぜ<臆病>口なのかと申しますと、お能の方で、ストーリー上、シテに斬られたとか、滅ばされたとか、あるいは逃亡する役が、多くここを使って退場するからなのだそうですよ。

以上にご説明した舞台面は、夜の部『身替座禅』でご覧頂けると思いますが、実は『藤戸』の方では、<臆病口>をなくして、上手にも<お幕>を設置するという、少々異例の舞台面になっております(写真もその上手側のお幕です)。演出上の理由でございますが、ぜひその目でお確かめ下さいませ。…下手上手に花道と、計三カ所の<お幕>ということで、お幕係も六人です! 

チリトテチン

2006年06月10日 | 芝居
『二人夕霧』の劇中で、師匠演ずる藤屋伊左衛門と、加賀屋(東蔵)さんの吉田屋女房おきさが、三味線を連れ弾きするくだりがございます。
写真がその場面で使う三味線です。役者が手にする道具ですので、管理管轄は<小道具方>でございますが、三味線に限らず、舞台上で使用する<楽器>は、実際に音を出す場合には、専門の和楽器店からひと興行単位で借用するかたちとなるのだそうです。今回も、大きな音は出さないものの、二人で調弦をする時に軽く弦を弾きますから、ちゃんとした演奏にも耐えうる品物が用意されております。昼の部の『荒川の佐吉』でも、松嶋屋(孝太郎)さんが爪弾く三味線がございますが、これも同様です。他に和楽器店から借用するものには、小鼓や太鼓などがございます。

一方で、演奏には使わないもの、例えば『盟三五大切』での立ち回りで、刀で皮を破られる三味線、あるいは単なる情景描写で、そこに置くだけのものは、小道具会社にもとからあるものを使用します。こういったものは、見た目はそれ<らしく>できていますが、演者が扱いやすいように、演奏用のものより軽く作ったりいたします。三味線袋に入ったままのものなどは、発泡スチロールのような素材で、輪郭だけをそれらしくしたものもあるそうです。

ひとつおことわりしておきたいのは、『阿古屋の琴攻め』で使われる琴、三味線、胡弓、この三つの楽器は、阿古屋をなさる俳優さんがご自身専用の品を誂えていらっしゃるもので、小道具方の管轄からは外れることになります。他の演目におきましても、演奏なさる俳優さんのご意向によっては、同様のことはままございます。

写真に写っている二挺の三味線、上の緋色の胴掛けがおきさ用、下の浅葱の胴掛けのが伊左衛門用です。両方とも本調子に合わせています。幕が開く直前に合わせ、大道具の壁に取り付けた三味線掛け(これも小道具)に掛けるのですが、約二十分後の使用時には少々音が狂ってしまいます。照明があたって弦も伸縮してしまいますし、弦巻きもどうしても緩むので、これはいたしかたないところ。ちょうど二人で調子を合わせる演技がございますから、その時にご自身で合わせて頂いております。

舞台上で弦が切れたり、皮が破けたりすることがないよう祈りつつ、後見を務めております。