梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

巡業日記2・荒川初日の巻

2005年06月30日 | 芝居
本日中央コース初日。一時半からの昼の部と、六時からの夜の部の二回公演でした。
私は、師匠の楽屋入りの一時間前、十二時に到着。『与話情浮名横櫛』で師匠が使う豆絞りの手拭のアイロンがけなど細々した用事をいたしました。
師匠の楽屋入りの三十分後は、『吉野山』の開演です。花四天役で出演しておりますので、その間の師匠の用事は、『吉野山』に出演していない兄弟子にお願いし、自分の仕度にかかります。
その『吉野山』、立ち回りもアクシデントもなく終わり、次は十分間の休憩時間のあいだで、急いで『与話情』の子分の拵えをしてから、『口上』の「東西触れ」に向かいます。「東西触れ」とは、『口上』の開幕時に大きな声で舞台裏から「とーざーいー、とざい、とーざーいー」というかけ声をかけることで、襲名披露の口上では、襲名する俳優さんの一門が担当することが恒例になっておりますが、今回ご襲名披露なさる加賀屋(魁春)さんのお弟子さんはみな女形さんで、女形さんは「東西触れ」はしないという慣例がありますので、兄である師匠梅玉の一門の立役から三人、魁春さんと同じ「加賀屋」でいらっしゃる東蔵さんの一門の立役から二人、計五人で勤めております。

『口上』は十分ほどで終わります。それから師匠梅玉は休憩時間の十五分で『与話情』の与三郎に変わります。いわゆる「早ごしらえ」ですね。師匠の着付まで手伝い、その後は弟弟子と付人さんにお願いして、私は舞台にむかいます。私は幕が開いた時点ですでに舞台にいる、「板付き」のお役なので、途中から登場する師匠にはついていられないのです。
第一場「木更津海岸見染めの場」、初日ゆえか段取り的にこなれない所があったのが反省点でした。が、じっくり振り返る時間もなく、第ニ場「源氏店の場」への、師匠ニ度目の「早ごしらえ」を手伝わなくてはなりません。といっても、実際は十分間の転換時間と、幕が開いてから師匠が出るまでの十数分ほど、約二十分はあります。顔をはじめとする体に傷を描き(切られ与三、ですからね)、カツラを変え、衣裳を着、最後に豆絞りの手拭で頬かむり。これらの用事を、いちいち楽屋に戻ってしなくてもいいように、舞台の下手側に、鏡とテーブルを置き、化粧道具なども楽屋から持ってきて、「こしらえ場」、いわゆる臨時の扮装スペースを作って行います。
こしらえが済んだ師匠が、舞台に出て、こしらえ場の荷物を片付けてから、脱いだままの自分の衣裳をたたみ、化粧を落として、ひと息つきました。

…これが今回の巡業の、一回の流れです。今日は昼、夜ニ回公演、これをさらにもう一回繰り返しました。
同じ一日の公演でも、同じ芝居を二回するのと、別の芝居をニ本するのとでは、なんとなく疲れ方が違うような気がいたします。
立ち回りもありますし、トンボも返っておりますから、体調には十分注意しなくてはなりませんね。

一日の流れは、これから先どこへ行ってもほとんど変わりません。とりあえず今日は仕事の流れを御説明しておき、明日からは、そうしたこと以外の出来事を中心にお伝えいたします。
…そういえば、昼の部終演後ご飯を食べにいった楽屋口のお向かいのお蕎麦屋『瀧乃家』さん、とても麺が美味しゅうございましたよ。

巡業日記1・荒川で舞台稽古の巻

2005年06月29日 | 芝居
さあ、いよいよ巡業の始まりです。旅の振り出しは荒川。まずは東京都内からです。会場は「サンパール荒川」。
今日はこの会場で、午後一時半から出演者全員が顔をそろえる「顔寄せ」を舞台上で行い、それから『口上』の「舞台稽古」、『吉野山』の「附総」、『与話情浮名横櫛』の「舞台稽古」、最後に『吉野山』の「舞台稽古」と、ちょっと変則的な稽古割りでした。
お稽古が始まる前に、まず楽屋作りからはじまりました。昨日の夜歌舞伎座からトラックに積み込まれた荷物が、楽屋内に降ろされておりますから、これらをどんどん開けてゆきます。
歌舞伎座などと違って、今回の巡業で回るような<ホール>の楽屋は、設備が場所場所によって変わります。バストイレ付きの部屋もあれば、鏡と化粧台だけの、楽屋というより控え室のような部屋も。部屋数にも変動がありますが、ここ荒川の会場は、バストイレ付きの部屋で、師匠梅玉と、弟でいらっしゃる加賀屋(魁春)さんとの二人部屋となりました。
師匠の楽屋を作ったら、次は自分の荷物。名題下俳優はみんな一緒の大部屋です。鏡は壁に作り付けですので、化粧道具を並べて、着物を出せば完了。我々の部屋づくりは簡単なものです。
さて、会場ごとに違うのは楽屋だけではございません。舞台の寸法も、毎回変わってまいります。今日の舞台は小さめ。幅よりも奥行きのなさが気になりました。というのも、『吉野山』での立ち回りは、播磨屋(吉右衛門)さんと、八人の<花四天>とで繰り広げられますが、私達がトンボを返る時、奥行きがないと、後ろに控えている仲間や、場合によっては静御前役の加賀屋(魁春)さん、早見の藤太役の萬屋(歌昇)さん、あるいは下手で清元節の太夫さん、三味線さんが乗っている<山台>にぶつかる危険があるのですね。
案の定、『吉野山』の「附総」では、舞台の狭さから思わずハッとする場面がいくつかありました。こういうところが、ホールでの公演の怖いところです。
続く『与話情浮名横櫛』の「舞台稽古」。回り舞台がないので、場面転換の方法など、普段とは勝手が変わります。今日の稽古でしっかりと段取りを確認。どうしても普段の公演より、転換に時間がかかってしまうのはいたしかたございません。芝居そのものは、問題なく終わりました。
それから今日は、また『吉野山』の「舞台稽古」。一日に同じ芝居を二回稽古するのは珍しいですが、さっきの「附総」で感じを掴んでいるので、落ち着いて演じられました。
お稽古が終わったのは七時前でした。

さて、明日はいよいよ初日です。常に自分に言い聞かせているのですけれど、『落ち着いて、冷静に』をスローガンに、これからはじまる二十一ケ所三十七公演を勤めたいです。

闘う段取り

2005年06月28日 | 芝居
今日はニ時から銀座の東劇ビルのお稽古場で、『与話情浮名横櫛』の「附総」と、『吉野山』の立ち回り稽古です。
『吉野山』の立ち回りは、義太夫節、清元節、そしてお囃子さんによる演奏に合わせた、半ば踊りのようにできておりまして、拍子に乗って動かなくてはなりません。こういう立ち回りを『所作ダテ』と申します。この『吉野山』の他には、忠臣蔵のお軽・勘平の道行、いわゆる『落人』ですとか、『近江のお兼』、『お祭り』などで見られます。
歌舞伎にかぎらず、お芝居の世界では、立ち回りのことを『タテ』とも申しますが、これに『殺陣』の字をあてるのは商業演劇、新劇の世界だけで、歌舞伎ではこの表記は使いません。
『タテ』とは、組み立てるの『立て』であり、数々ある基本の型を、その芝居の状況、役柄、設定に合わせて、ひとつの流れに組み立てるのが、『立師(たてし)』とよばれる人です。
『立師』は、長年立ち回りの経験を積んだ名題、名題下の俳優が勤めます。幹部俳優さんには、その一門に一人は『立師』がいらっしゃることが多く、自らが主演する芝居に立ち回り場面があるときは、一門から『立師』を出すことがほとんどです。
とはいえこれもケースバイケースで、一門に『立師』がいらっしゃらない場合や、「この立ち回りは是非この人に作ってもらいたい」というときには、よそから『立師』をお願いすることもままございます。
また、『立師』のお仕事も、全く新しい手順を考案する場合と、昔から伝わる手順を教えるという場合があります。先程の『所作ダテ』などは、だいたいが昔からの段取りが決まっているものです。
一方、新作や復活もので、一から作り上げるとき、あるいは昔からの段取りが残っている演目でも、あえて作り替えると言う場合は、大道具、小道具、衣裳、そして下座音楽をはじめとするいろいろな条件を考え、さらに立ち回りをする俳優さんのイメージ、場合によっては演出家の指示も加味しながら作らなくてはならないわけです。
小道具一つにしても、傘を使うのと刀を使うのとでは、まるっきり動きが変わってまいりますし、この役柄ではこんな動きはできない、ということもあるわけです。
『立師』の方々は、自らの経験と、アイディアを駆使し、美しく、面白く、そして動きやすい立ち回りを作り上げるわけですね。

今回の『吉野山』は、播磨屋(吉右衛門)さんの出し物ですので播磨屋さんの御一門の方が『立師』をなさいます。
私、『吉野山』の出演するのはこれで四度目ですが、『立師』さんが変われば段取りも微妙に変わります。気持ちを新しくして、一から覚え直すつもりで、今日のお稽古に参ります。

終わりました!

2005年06月27日 | 芝居
日付けは変わってしまいましたが、「六月大歌舞伎」、無事千穐楽を迎えました。
黒衣、そして着付の「後見」、セリフを頂いた『三五大切』のお役。それぞれに課題がございましたが、毎日「今日はこうしてみよう」「ここを変えたらどうなるだろう」と案問しながら舞台を勤めました。結果として、まだまだ不十分なところは残りましたが、初日の舞台よりかは、少しは前進できたのではないかと存じます。しかしながら、これに満足せず、さらに上を目指して、師匠をはじめ先輩がたのお教えを請い、いつかまた同じ仕事をさせて頂く時は、もっともっとよい舞台を勤められるように精進してまいりたいと決意を新たにしました。その意味で、今月は本当に充実した毎日を送ることができて嬉しいです。
楽屋の撤収は十時過ぎに終わりまして、来月の巡業に持ってゆかない荷物は師匠の自宅の倉庫に納めに行きました。それが十一時に完了し、そのあと後輩と外食。結果として帰宅が翌日になってしまいました。
食事をしたのは『韓国家庭料理、焼肉・キムの家』月島店です。
ニ度目の来店ですが、お肉の鮮度もさることながら、梅肉とごま油をベースにしたタレの美味しいこと! 荷造り作業で疲れた体に、一気に元気が戻りました。私オススメのお店です。
さて本日二十七日はお休みです。とりあえずゆっくり睡眠をとり、昼過ぎから掃除と買い物をしようと思います。午後五時からは、勉強会の打ち合わせが国立劇場であります。
いよいよ巡業がはじまろうとしております。パソコンは旅先にも持ってゆきますので、七月中は『梅之巡業日記』にするつもりでおります。
毎日毎日、違う土地からお便りできればと存じます。

旅の後の恐怖

2005年06月25日 | 芝居
巡業中、普段の生活と一番違ってくるのは『食生活』ではないでしょうか。
ひとたび東京を離れると、ほぼ毎日違う土地のホテルに宿泊です。どのホテルでも、チェックインの時に「朝食券」が配付されまして、これを翌朝、朝食会場で係員に渡し、食事がとれるのですが、えてしてバイキング形式のことが多く、「ロールパンと、クロワッサン、バターもつけて」「あ、スクランブルエッグだ」「ピラフがある」「ボイルソーセージも食べよう」「フルーツも欲しいよね」と、いつしかお皿の上にはテンコモリの食べ物たちが。こういう場所では何故か食欲が増すんですよね~。朝から満腹状態で、その日の公演会場に向かうことしばしば。
昼ご飯は各自の調達ですが、出前にしたり、コンビニでお弁当を買ったりいろいろです。朝あんなに食べたのに、もう空腹になっていて、「カツ丼ともり蕎麦にしよう!」「今日の気分は餃子にラーメンだ!」「インスタントの焼そばにおにぎり二つ…」とこれまたがっちり食べてしまいます。
また、会場の楽屋には、どこでもお菓子や飲み物、差し入れを用意した「ケータリングサービス」が用意されているので、ここでも甘いものやらオセンベを間食。
さらに終演後のバス移動、お仕事も終わったのですから、缶ビールを開け「小腹が空いてきた」とおつまみをポリポリ。
挙げ句の果てが今夜泊まるホテルに着いてから、「さあみんなでご飯食べよう!」と、御当地の名物を求め夜の街へくり出す…。
なんだか一日中食べてばっかりのような気がいたしますが、これが現実(私にとっての、ですよ)。当然夜の外食ではお酒も飲みます、もとよりお酒が大好きな私が、旅の空の解放感からか、ピッチも量もアップ。
これでは太ってしまうはずです! 去年は七月、九月の「東コース」「西コース」をこんな感じで回りましたんで、六月に五十九キロだったのが、十月には六十四キロになっていまして、これにはさすがに唖然としました。その後だんだんと減少し、今やっと六十一キロ前後なのですが、来月の旅で、どう変わりますやら…。
「体調管理」ならぬ、「体重管理」をせねばなりませんね。

始まっております

2005年06月24日 | 芝居
昨日、今日、そして明日と、夏の勉強会『稚魚の会・歌舞伎会/合同公演』の演目『本朝廿四孝』のお稽古です。
昨日は師匠梅玉の指導で、立役の白須賀六郎、武田勝頼役の人たち、そして今日明日は加賀屋(魁春)さんの指導で、女形の八重垣姫と腰元濡衣役の人たちの稽古。ただし地方公演に行っている人もいますので、スケジュールの合う人のみの参加となりました。
このお芝居は「時代物」で、義太夫節に合わせての演技が中心となりますので、義太夫節を録音した音源が稽古には必須です。
カセットテープにとることが多いのですが、今回は、私がMDにダビングし、浄瑠璃の一くさりごとにトラック分けすることにいたしました。こうすると頭出しが簡単ですからね。プレーヤーの操作は、お稽古の参加者で手が開いてる人が交代で勤めます。
お稽古は梅玉、魁春両指導者の楽屋で行われました。当然、格好は着物に角帯、白足袋をはいた「稽古着」です。刀などもろもろの小道具は扇子で代用します。
昨日は私が勤める武田勝頼のはじめてのお稽古でしたから、大変緊張してしまいまして、覚えていたはずのセリフに詰まったりしてしまったのですが、もう一人の勝頼役の澤村伊助さん共々、動き方のコツ、姿勢、セリフの抑揚、気持ちの入れかた等をお教え頂きました。
今日は女形のお役のお稽古でしたから、私はプレーヤーの操作係りでしたが、必要に応じて、本役の勝頼や、長尾謙信(そういえば今月は師匠梅玉が演じておりますね)を演じ、相手役となりました。
来月は全国巡業のため、なかなかお稽古時間がとれないので、六月中のお稽古となったのですが、さあいよいよ始まるのだ、という気持ちがわいてまいりました。とりあえず七月中は、セリフを完璧にして、義太夫節を良く覚え、役の性根や気持ちをしっかり掴んでおこうと思います。
出演者全員がそろうのは八月です! 共演者とのイキを合わせることは、それからのお稽古にかかっています。
まずは私が、しっかりしなくてはなりませんね。

芝居の荷物

2005年06月23日 | 芝居
今日の舞台も無事に終わり、残すところあと三日となりました。千穐楽には楽屋の撤収、そして来月の巡業の荷出しが行われます。
今日は、私達歌舞伎俳優の荷物はどんなものなのか、御説明いたしたいと思います。
幹部俳優さんは、自分専用の「鏡台」「のれん」「座ぶとん」を持っており、これらには、自分の紋がデザインされていることが多いです。また畳に敷く「絨毯」、鏡台の脇に置く「脇机」や「ごみ箱」。これらは“家具”的な荷物といえるでしょう。
そして、浴衣や袷、単衣などの「着物」と舞台用の下着である「肌襦袢」、入浴時の「バスタオル」、「バスローブ」といった“衣類”、「石鹸」「シャンプー・リンス」「洗濯洗剤」「アイロン」「食器」「文房具」「薬箱」などの“生活雑貨”、そして「白粉」「鬢付け油」「筆」「スポンジ」「クレンジング」などの“化粧品”、「合引」「おか持ち」といった“舞台に持ってゆくもの”というように、様々なものがございます。
俳優さんによっては「電子レンジ」「テーブル・椅子」「加湿器」「オーディオ機器」「テレビ」なども楽屋に置く方もいらっしゃいます。皆さん、ほぼ一日を過ごす自分の楽屋を、よりよい環境にするためのものなのでしょう。
これらは『ボテ』と呼ばれる行李、あるいは段ボールや市販のプラスチックケースに収納されて保管されます。ただし「鏡台」は大切なものですから、専用の箱(木製もあればジェラルミンのこともあります)に納められます。
これにくらべれば私のような名題下俳優の荷物ははるかに少ないもので、“化粧品”と“衣類”を中心として、それにこまごまとした備品が加わるくらい。幹部俳優さん一人分の荷物が、『ボテ』や段ボールにしまって、ときとして十数個になるのに対して、我々はせいぜいスーツケース一、二個でおさまります。
これはまあ、我々が自分専用の楽屋を持っていないことが一番の理由でしょう。大勢の仲間とひと部屋を共有するには、お互いに気を遣って、なるべく荷物を増やさない必要があるのですね。
といっても、皆さんそれぞれに<自分ならでは>の荷物を持っていらっしゃるものです。ある人は筋トレ器具、あるひとはティーポットにマグカップ。そういえば、アロマポットを化粧前に置いていた人も、昔いましたね。
私は、とりたてて独自の荷物は持ってはおりませんけれど、尊敬する水木しげる先生のオリジナルイラストのポストカードは、額に入れて、どの劇場の楽屋でも飾っております。
目玉の親父の絵の上に、
『少年よ がんばるなかれ』と書いてあります。

舞台を写す

2005年06月22日 | 芝居
歌舞伎座をはじめ、名古屋御園座、京都南座、大阪松竹座などの大劇場のロビーでは、『ブロマイド』が販売されております。一枚五百円(税込み)で、幹部俳優さんを中心とした出演者の舞台姿が手に入るわけですね(安いと感じるか、高いと感じるか、これは各人各様でしょう)。
初日から一週間くらいの間で、専門の写真家さんが客席から撮影し、できあがった写真は、写っている俳優さんのチェックを受け、OK写真のみが販売されます。写真家さんは、どの写真も「今がシャッターチャンス!」と撮影されるのでしょうが、当の役者さんから見れば、表情、姿勢など、意にそわないものもあるのですね。
このような手順を踏んでいるので、どうしても公演の前半には売りに出すことができません。通常「中日」以降からの販売となっております。
また、公演プログラム、いわゆる『筋書』も、中日過ぎから写真付きにかわりますね。『ブロマイド』はどちらかというと個人を写すアップが多いのに対して、『筋書』の写真は、舞台の「誌上再現」的な、芝居の場面場面をロングで撮ったものが多く、それぞれおもむきは違ってまいりますね。
『ブロマイド』にしても『筋書写真』にしても、撮影した<その日>の記録です。舞台はなま物、という言葉を持ち出すまでもなく、毎日毎日どこかが変わるのが当たり前。ときには公演中に大道具や衣裳、カツラまで変わることもございます。販売されている写真と、皆様が実際ご覧になった舞台に相違がある場合もございます。
その辺り、予めご了承下さいますと、有り難いことでございます。

いろいろ入ってます

2005年06月21日 | 芝居
ほとんどの幹部俳優さんは、お弟子さん、あるいは付人さんがついています。今までにもお話しましたように、楽屋づくりから始まって、朝晩のお迎え、お見送り、衣裳の着付などの仕事がございます。
さて、師匠の拵えが準備万端整って、いざ舞台へ向かう時、お弟子さんか付人さんが持ってゆくのが、『おか持ち』です。
これは出番前、あるいは出番と出番の間に、舞台裏で必要となるモノを入れておく把手付きの箱でして、その俳優さん用の、特別誂え(多くは家紋入り)を使う方もいらっしゃれば、市販のカゴを使う方もいらっしゃいましていろいろです。
中身も俳優さんによって千差万別ですが、「飲み物(水、お茶など)」「煙草と灰皿(喫煙家のみ)」「ティッシュ」「汗拭き」「裁縫道具」「ペンライト(暗転中の移動に)」「櫛(カツラの乱れを直す)」「喉飴、うがい薬」「手鏡」「口臭除去のマウススプレー」「台本」「団扇」「ビロード(綿を詰めて閉じ、衣裳についた白粉を拭き取る)」などを携帯いたします。俳優さんによってはお清め用の「塩」、「香水」、簡単な「化粧道具」も入っていることもあるようです。
これらを、必要に応じて取り出し師匠に手渡すのが、我々や付人さんの役目です。また衣裳の綻びやカツラの乱れ等、見つけ次第、その場ですぐ直せるように気を付けておかねばなりません。

例えばですが、師匠が汗をかいていったん舞台裏に引っ込んできました。まず飲み物を渡して乾きをいやし、汗拭きで汗をおさえて団扇であおぐ。手鏡で化粧の崩れがないか確認してから、ちょっと一息で煙草を吸い、一服の後はマウススプレーで息リフレッシュ。さあ次の出番だと、お清めの塩を振って舞台へ向かう…。
こんな流れで、『おか持ち』の中身が活躍することになるのですね(これはあくまで想定例で、特定の俳優さんの実例ではありませんよ)。

なお、『おか持ち』の他には、出番までの間腰掛けるための『高合引』や携帯チェアーも、持っていくこともございます。

師匠の衣裳を着せる

2005年06月20日 | 芝居
「衣裳さん」の仕事のお話の中でも書きましたが、幹部俳優さんが衣裳を着る時は、「後ろから着せかける人」つまり衣裳さんと、「前で腰紐を使って着付をする人」の二人が主なる作業をし、これに「左右で作業の介錯、補助をする人」も加わえた数人によって行われます。
「前」「左右」は、衣裳を着る俳優さんのお弟子さんの受け持ちですが、前で腰紐を使い着付をすることを『前にまわる』といいまして、師匠の着付の全責任を負う大切な仕事です。
襦袢や着物の、合わせた襟が崩れたり、裾が<あんどん(腰回りに裾がぴったりつかずに、ダボッと見えてしまうこと)>になったりしないように着付けてから腰紐を結び、帯を上過ぎたり下過ぎたりしない、丁度いい居所で締めるように、介錯をいたします。
また袴の紐の<箱結び>、狩衣や松羽目物の役につきものの<石帯(せきたい)結び>など、帯結び以外の結び物も、前に回るお弟子さんがいたします。
仕上がりを綺麗にすることももちろんですが、腰紐を、師匠にとって丁度いい締め所に、丁度いい締め具合で締めるのも、大事なことです。いたずらにギュウギュウに締めればいいというものではありませんで、セリフも喋るわけですし、踊りも踊ることもある。動きやすく、かつまた着崩れないという頃合があるわけですね。
左右での手助けも、大事な役割です。腰紐や帯を締める時、袂を巻き込まないように持ち上げたり、衣裳さんの手が届かないところを代わりに押さえたり、引っ張ったり。衣裳さんに、次に着るパーツを手渡すこともいたしますし、場面場面で潤滑に着付け作業ができるようにとりはからうわけですから、こちらも気をつかいます。衣裳付けは、前、そして左右のお弟子さん達と、衣裳さんとの共同作業なのですね。
弟子として入門したばかりのころは、まず左右の手伝いから始まることが多いですね。それから比較的簡単な「着流し」、次に裃など袴の<箱結び>をするもの、馴れてくれば、より綺麗に着付けることを要求される舞踊の衣裳や、腕力が必要な<大口(おおくち。能からとった演目で着ることが多い分厚く大きい袴)>など、技術を要するものを担当することになります。
私も、最近はよく前に回らせて頂いておりますが、今月の『教草
吉原雀』のような、<東(あずま)からげ>という着方などは、まだまだ経験不足の身ですので難しいです。裾を左右でつまんで帯に挟むので、裾が描く線が斜めになるのですが、角度がつきすぎてもいけず逆でもいけず、粋に見えるような合わせ方、はしょり方を、いろいろ工夫しております。

衣裳はお客様に直接見えてしまうもの。見苦しいものにならないよう、毎日気を付けながら、作業をいたしております。

出番までのひととき

2005年06月19日 | 芝居
歌舞伎座の楽屋棟から、舞台へ向かう途中に、『集合場』と呼ばれるスペースがあります。ニ畳ぐらいの広さで、ライト付きの姿見と、床几(しょうぎ)というベンチ状の腰掛けがあり、天井には舞台を映すテレビモニターが取り付けられています。
だいたいの俳優さんは、出番までに、余裕をもって自分の楽屋を出て、この『集合場』で一息ついてから、舞台に向かいます。多い時には五、六人が来合わせることもありまして、ようはこれから舞台に出る俳優さんが集合する場所、なのですね。
ここで衣裳のチェックをしたり、煙草を一服したり、世間話の花を咲かせたり。ときにはモニターで映し出される芝居を見ながら、「ここは昔はこういうふうにやりましたね」とか「この場面でこんなハプニングがありましたよ」なんて昔話になることもございます。
この『集合場』、幹部俳優さんだけでなく、われわれも使いますが、幹部俳優さんがすでにいらっしゃる場合、あるいはあとからでもいらっしゃった場合は、遠慮して同席はいたしませんのが暗黙の礼儀となっております。
…これから舞台で殺しあいをする俳優さん同士がにこやかに談笑していたり、女形さんが煙草をふかしていたりと、扮装はしていても「素」の姿でくつろぐこの小空間、いかにも『舞台裏』らしい光景が垣間見られます。

再び身辺雑記

2005年06月18日 | 芝居
今日はいくつか御報告を。
七月の巡業での私のお役が決まりました。『吉野山』の「花四天」と、『与話情浮名横櫛・木更津海岸見染めの場』の
「黒戸子分(三)」のふた役を頂きました。「花四天」では、播磨屋(吉右衛門)さん演ずる佐藤忠信(実は源九郎狐)との立ち回りがございます。また「黒戸子分」というのは、木更津の中の「黒戸」という地区を縄張りにしているチンピラのことで、全員で四人いるなかの三番目です。セリフも頂きましたので、しっかり勉強させて頂きます。

それから八月の勉強会の前、八月八日~十四日まで開かれる『小学生のための歌舞伎体験教室』に、お手伝いで参加することになりました。これは小学生から希望者を募って、『寿曽我対面』をテキストにして、歌舞伎の演技を体験してもらおうという、ワークショップ的な催しです。最終日には衣裳、化粧も本式通りに、国立劇場小劇場での発表会もございます。小学生達に演技を教える講師として、師匠梅玉も参加いたしておりますので、その補佐も含め、舞台での後見役や着付の手伝いなど、いろいろすることは多そうです。

そして今日は、師匠梅玉が出演する十月の公演用の「宣伝写真」の撮影がございました。チラシやポスターに掲載するため、扮装をした写真を事前に撮るわけです。『輝虎配膳』が終わった後、輝虎の化粧を落として、あらためて写真用の化粧。十月公演で使用する衣裳、カツラをつけて、小道具も持ち、一時から撮影開始。全身、あるいは上半身を、角度やポーズを少しずつ変えながら数十枚撮影しました。どこの劇場の何のお芝居かは、正式発表までお待ち下さいね。

今月のお芝居もあと八回です。最近ようやく、『教草吉原雀』の後見で、それほど汗をかかなくなりました。それまでは襦袢の襟に染み込むくらいの量だったのですが、今では額に浮かぶくらいです。まだまだ仕事は不出来ながら、気持ち的には落ち着いてこられたかな、と思います。もっともっとリラックスして、そして無駄のない仕事をいたしたいです。

それでは、今日はこの辺で。

舞台を支える5・楽屋番、口番

2005年06月17日 | 芝居
今日は勉強会で勤めさせて頂く『十種香』の武田勝頼の「カツラ合わせ」でした。鬘屋さんと、いつも師匠梅玉のカツラを担当する床山さんが立ち会って下さり、以前作った私用の「台金」を若干手直しして、使うことになりました。

今回は、私達が普段過ごす<楽屋>の用事一切を担当する、「楽屋番」「口番(くちばん)」についてお話いたしたいと思います。
正確にいえば、「口番」は「楽屋番」の仕事の一部分となります。まず「楽屋番」の説明からいたしましょう。我々は一日の大部分を楽屋で過ごします。そういう楽屋生活の中で、鏡台前の電球などの備品の管理、楽屋風呂の清掃、楽屋宛に送られてくる荷物、手紙の保管、一日の公演終了後の見回りなどを担当する係のことを「楽屋番」と申しております。みな男性で、常時四、五人が待機し仕事をしていらっしゃいます。
そしてその中でメインとなる仕事が「口番」で、これは楽屋入り口にある下足箱の管理をするのです。幹部俳優さんが楽屋入りをする時、上がり框にサッと楽屋履き(多くは雪駄。スリッパのこともあります)を出し、脱ぎ捨てられた靴を入れ替わりでしまう、というわけです。この仕事、簡単そうに見えて実はなかなか大変なのです。というのは、そういうふうに履物を出してあげたりしまったりするのは、幹部俳優さんだけでなく、お囃子さんや長唄さんといった演奏家さんも含まれますから、そういう人たちの<顔と名前>を覚えることから始めなくてはなりません。さらには、何時ごろに誰が楽屋入りする、というおおよそのタイムスケジュールを把握しておくことも必要ですし、履物を出すタイミングも見計らいが必要です。慣れるまでは相当の時間が必要なのではないでしょうか。
こうした「楽屋番さん」のお仕事はまだあって、舞台で使用する「床几(しょうぎ)」というベンチ状の腰掛け、この管理と舞台設置も仕事ですし、長唄囃子連中が並ぶ「雛壇(ひなだん)」や出語り浄瑠璃が座る「山台(やまだい)」に敷かれる緋色や紺色の「毛氈」も、「楽屋番さん」が敷くことになっています。その他、転換ごとの舞台の清掃(降った雪や花を片付けるたり、釘等が落ちていないか確認する)、また花道の「揚げ幕」の開閉も、「楽屋番さん」の中から選ばれた数人が、交代で勤めているのです。このへんは、もう「楽屋」の用事ではありませんけれども。
この方達の他にも、楽屋廊下やお手洗いを清掃して下さる清掃員さん、電気系統の管理をする機関室の方達も含め、このような方達の、朝から晩までのお勤めによって、私達は安心して舞台に専念できるのです。これも立派な「舞台を支える」お仕事ではございませんか?

舞台を支える4・床山、鬘屋

2005年06月16日 | 芝居
ゆうた様、十三日のコメントにお返事いたしました。ご覧下さいませ。
さて、今日はカツラを扱う二つの職掌を御紹介しましょう。
我々が舞台でかぶっているカツラ。基本的にはかぶる人の頭に合わせて作られております(ただし、名題下俳優の立役では、町人とか捕手の役などのカツラは、すでに出来上がっているもののなかで、一番自分の頭に合うものを選んで使うことも多く、完全な<オーダーメイド>というわけではありません)。
この、役者に合わせたカツラを作る作業は、まず「鬘屋(かつらや)さん」によって行われます。
カツラの土台は薄い銅板です。「鬘屋さん」が、まずおおまかな原型を用意し、これを役者の頭にあてて様子を見て、余計な部分を切ったり、足りない部分は木槌で叩いて伸ばしたりして整え、形を決めます。こうして出来上がった型を『台金(だいがね)』といいます。それから錆び止めの加工をし、その表面に、毛を植えた羽二重絹を張り付けます。
こうして出来た、まだ結い上げられていないザンバラ髪状のカツラを作るまでが、「鬘屋さん」の仕事です。
さて、これからが「床山さん」の仕事です。「鬘屋さん」から届いたザンバラ髪を、その役に相応しい髪型に結い上げ、必要な飾り(簪、櫛、元結など)を取り付けて完成させるのです。
そして公演中は、出来上がったカツラを役者にかぶせる、はずすといった作業と、補修、あるいは結い直しなどのアフターケアー。このあたりは「衣裳さん」と似たような仕事のしかたですね。「床山さん」も、担当の役者を持つことは昨日書いた通りです。
「鬘屋」「床山」は、完全な分業で、一つのカツラを作っているのですね。ただし、『台金』を作る「鬘合わせ」の時には、「床山さん」も普通同席し、形を見たり注文を出したりします。

やはりこの仕事も、役者の担当となるまでには経験と技術が必要のようです。新人さんは結い上げは出来ませんから、まず名題下俳優のカツラの掛けはずしからはじまり、次に簡単なカツラから、結い上げ方を先輩に教わり、だんたんと難易度を上げてゆくそうです。
ちなみに、「床山さん」そして昨日の「衣裳さん」には、女性の方も沢山いらっしゃいます。

舞台を支える3・衣裳

2005年06月15日 | 芝居
今日は間の時間に、白山神社の「紫陽花祭り」に行ってきました。雨が似合う花ですから、今日の天気も気になりません。境内に植えられた紫陽花はほぼ満開で、沢山いい写真が撮れました。

今日は「衣裳」のお話をいたしましょう。役者が舞台上で着る衣類一式は、「衣裳さん」の管轄です。
「衣裳さん」は、役者に衣裳を着せ、脱がせ、そして管理と修繕が担当となります。生地の染め付けであるとか、仕立て等、<着物になるまで>の仕事は、それ専門のスタッフの仕事となります。
幹部俳優さんの衣裳は、歌舞伎座でしたら一階、二階にある「衣裳部屋」に、名題下、名題俳優はそれぞれの楽屋のなかの棚に保管され、着る時になると取り出して、「衣裳さん」が着る人の後ろに回って着せかける、それをお弟子さん、あるいは着ている本人が腰紐で締める。帯結びは「衣裳さん」の受け持ち、袴の紐はお弟子さんか本人がする、というように、ようは自分の手が届かない所を「衣裳さん」が担当するわけですね。ただし私のような名題下俳優が、立役の着流しなど、いたって簡素な拵えをする時は、「衣裳さん」に頼らず自分一人で帯結びまでいたします。
舞台が終わったら、どんどん脱がせて引き取り、汗が沁みていれば霧吹きをかけてから乾かし(こうすると汗の塩分が結晶しない)、白粉がついていればベンジンで拭き取り、ほつれがあったら縫い直す、というようなアフターケアをしてから、アイロンがけをして皺をとり、一式を畳んでまとめて仕舞う。この繰り返しとなるわけですね。

「衣裳さん」、そして明日お話しようと思います「床山さん」は、どちらもいわば役者のコスチュームですから、各役者さんと密接なつながりがあります。ですので、だいたいの幹部俳優さんには、<自分担当>の「衣裳さん」「床山さん」が決まっています。もちろん、その俳優さんにしかつかない、ということではありません。だいたいは複数の幹部俳優さんを担当してらっしゃいます(そうしないと人手が足りない、ということもあるのでしょうが)。俳優からの、「この人に自分の衣裳を着せてもらいたい」「この人に自分のカツラを結ってもらいたい」という、信頼関係から生まれるものなのでしょうが、当然、担当になるだけの技術、経験も積んでおく必要もあるわけで、新人の「衣裳さん」はまず三階の大部屋や名題部屋から始まり、それから若手幹部さん、中堅さん、と、場数を積んでゆくわけです。

…新作を上演する時、珍しい芝居を復活する時は、どんな着物を着るのかということから始まり、柄、染め等、いちから作り上げなくてはなりません。そうした時、担当する俳優の好み、アイディアを聞きながら、デザインを決定する。これも、「衣裳さん」の大事なお仕事です(これを『衣裳を立てる』といいます)。