梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

平成19年を顧みて

2007年12月31日 | 芝居
いよいよ平成19年も終わりですね。
家内と東京大神宮へ<年越の祓>の形代を納めに行き、1年の御礼。それから4年間使ってきた携帯電話を機種変更、“JーPHONE”が“vodafone”を通り越して“SoftBank”になりました。

さて…。
女形1年生としての平成19年は、新鮮な体験の連続でした。

1月  歌舞伎座  『松竹梅 松の巻』後見/『勧進帳』後見(富樫)/
          『金閣寺』捕手
2月  歌舞伎座  『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』<大序>の大名/
           <七段目>の廓の若い者
3月  歌舞伎座  『通し狂言 義経千本桜』<四の切>の腰元
          (この月より籍を女形に移す)
4月  歌舞伎座  『頼朝の死』申し次ぎの侍女/『男女道成寺』所化
5月  歌舞伎座  『勧進帳』後見(義経)/『女暫』女奴/
          『め組の喧嘩』島崎楼抱え女郎おきみ
6月  歌舞伎座  『妹背山婦女庭訓』<小松原>の腰元
7月  国立劇場  『歌舞伎のみかた』<先代萩>乳母政岡
8月  日本橋劇場 【一心會】『操り三番叟』三番叟/『茶壺』目代/
          『船弁慶』片岡八郎
    国立劇場  【音の会】『仮名手本忠臣蔵 九段目』仲居
    国立劇場  【稚魚の会歌舞伎会合同公演】
          『乗合船恵方万歳』鳥追いおせん/『勧進帳』後見(富樫)
    日本橋劇場 【苫舟の会】『卯月夢醒死神譚』人力車夫
9月  西コース巡業『番町皿屋敷』茶屋娘
10月 国立劇場  『平家女護島』<清盛館>の腰元/『昔語黄鳥墳』腰元胡蝶
11月 歌舞伎座  『種蒔三番叟』後見(三番叟)
12月 南座    『将軍江戸を去る』美濃部の母

有難いことに、台詞のあるお役を多数頂戴いたしまして、大変勉強になりました。ワキとしての台詞回しの難しさは、いまだに苦戦中ですが、その他立ち居振る舞い、鬘のことや衣裳のことなど、女形としての行儀や知識は、先輩をはじめ床山さんや衣裳さんが親切に教えて下さいました。今はどんどん吸収していかなくてはならない時期。25日間興行の毎日を無駄にせぬようどんどん皆さんに伺って血肉としたいものです。
お陰様で化粧による肌荒れは全くなくなりまして、これが先輩方がおっしゃっていた<白粉慣れ>するということなのかなと…。

そしてもう一つ、一生かけて勉強したい<後見>。これまでより少し前進できたかなと思いますのは、舞台で控えている間、ようやく<自然に呼吸>できるようになってきたことでしょうか。これまでは緊張や「後見をやっている」という意識が強くなり過ぎ、グッと息がつまってしまうというか、うまく吸えないような感じで、上半身が固くなってしまっておりました。それが、『種蒔三番叟』の三番叟の後見を勤めさせて頂いたときに、リラックスとはいかないまでも、だいぶ落ち着いた気持ちでとりくむことができ、やっと普段通りの呼吸ができました。この感覚は絶対忘れないでおこうと思います。


…今年は1年間休まず舞台に出ることができました。本当に有難いことです。とにかく今は沢山場数を踏むこと。踏んだ舞台を無駄にしないこと。
楽しくもあり、怖くもある毎日のお芝居。御覧下さる皆様に、なにかが伝わる役者になれるよう来年もたゆまず努力いたします。どうぞ今後とも、ご指導ご鞭撻よろしくお願い申し上げますとともに、この1年、当ブログで、舞台の内外でお世話になった方々に心よりの御礼を、そして佳いお年をお迎えくださいますよう、お祈り申し上げます。

中村梅之 拝


浅草で過ごす年の瀬

2007年12月30日 | 芝居
久々にお昼近くまで布団の中。ウダウダしているうちに、京都から送り返した荷物がやっと届き(ホントは28日に受け取るはずだったのですが、用事ができてしまったので…)、荷開けしがてら自室の片付け。
やっと落ちついた3時過ぎから、浅草公会堂にお邪魔し、初春歌舞伎の舞台稽古を拝見させて頂きました。
『傾城反魂香』『弁天小僧』『金閣寺』『与話情浮名横櫛』と、時代、世話の名作がズラリとならぶ平成20年の浅草歌舞伎。今日のお稽古には、各役のご指導にあたられた幹部俳優さんもお出ででございました。

私は、やはり同じように拝見に来た同期と、後ろのほうの席に並んで見ていたわけですが、幕が開く前の道具調べや居所合わせ、また終わったあとのダメ出しのご様子などが、はたで聞いているだけでも大変勉強になるんです。とくに普段師匠が演じることのない演目とはついつい疎遠になりがちで、そんなお芝居をいきなり勉強会でということになり、後で苦労するなんてことも…。
そんなわけで、よその舞台稽古でも、極力足を運ぶようにしております。

全ての稽古が終わったのは7時半くらいでしたでしょうか。9月の巡業でお世話になった大道具さんが大勢いらしたので御挨拶に行きましたら、『梅之も来いよ」ということで仕事納めの忘年会に混ぜてもらいました。30人くらいはいらしたのでしょうか。マアとにかく陽気な宴会でございました。普段あんまりお話しする機会のない皆さんとゆっくり喋ることができましたが、周りのペースに引っぱられ、盃の数もどんどん重なり(むしろ率先して飲んでいたという意見あり)…。

どんなに酔っても浅草、近所でございますのが嬉しゅうございます。

當ル子歳稽古場便り・梅の巻

2007年12月29日 | 芝居
平成19年の仕事納めは『猩々』『一條大蔵譚』『助六』の<初日通り舞台稽古>です。

『猩々』は、後見としての仕事は1カ所しかございませんので、これまで勤めさせて頂いたなかでは極々落ち着いて勤めることができました。松羽目の舞台、そして裃姿の後見ですので、そういう舞台面に相応しい後見になることを第一に考え努力致します。

『一條大蔵譚』の黒衣の後見も、難しい作業はないのですが、師匠演じます吉岡鬼次郎の背後にひかえ、じっとしている時間が思いのほか長いことに気がつかされました。その間、主演の皆様の演技をじっくりと間近に拝見できますのが、後見の役得と申せましょうが、あまり夢中になりすぎて、師匠の用事を忘れた、なんてお粗末なことにならないように気をつけたいものでございます。…時代物の後見は、黒衣とはいえ舞踊の後見のときと同様に<綺麗ごと>でこなさなくてはなりません。キッカケ、段取りを大事に、そして自然な目立たない仕事をしたいですね。

一番課題を残したのが『助六』の揚巻付き新造。昨日段取りを掴めたとは申せ、まだまだ手際よく仕事ができません。同じ役の者同士話し合い、どうすればもたつかずに仕事ができるか頭を悩ませているのですが…。全員が初めてこのお役を勉強させて頂く身ですので、<手慣れる>ということがまず第一なのでしょうか。揚巻役の成駒屋(福助)さんには、「先輩方に教わってゆくなかで身に付いてゆくのだから」と、悩みすぎないようお気遣いまで頂いてしまいました。申し訳ないやら有難いやらで、ただただ畏れ入るのみでしたが、年改まっての初日に向けて、今一度、<新造ミーティング>をしたのでした。
それにしても、『助六』が上演されるときの楽屋はまさに戦場ですよ。楽屋にいるほぼ全員がなんらかのお役で舞台に出るわけですからね。とくに今月は総人数が少ないので、『助六』の中だけでも、複数の役を兼ねる方も多々いらっしゃいます。衣裳さん床山さんもうち混じり、ショーマストゴーオンの精神で取り組んでいるわけですが、その熱気といったら、真冬の楽屋で暖房いらず。人に酔うという言葉がピッタリなのでした。

課題点反省点を残しましたが、とにかくこれで本年の仕事は終わりました。怪我なく大病なく、無事1年の舞台を勤めおおせることができましたことを祝って、有志が集まりプチ忘年会。楽しくぶっちゃけ、明るく前向きなハナシで盛り上がりました。
皆々、来年こそは! の目標を抱きつつ、3日間のお休みを頂きます。
梅之的2007年回顧は、大晦日にいたしましょう。

當ル子歳稽古場便り・竹の巻

2007年12月28日 | 芝居
昼過ぎから『猩々』、『助六』、午後3時からの<顔寄せ>をはさんで『一條大蔵譚』の<総ざらい>。
実は今回の稽古割りでは、『猩々』と『助六』が同時に別々の場所でお稽古されることになっておりまして、双方に出演している私は、いったいどうすれば…? と思ったのですが、うまい具合(?)に時間がずれ込み、無事どちらにもご迷惑をかけることなくお役を勤めることができました。

『助六』は<舞台にて>の総ざらいでございました。大人数が出るお芝居ですので、本番通りの寸法で動けるのが助かりますね。また、素稽古である総ざらいとはなっておりましたが、三浦屋揚巻を初役でお勤めになる成駒屋(福助)さんが、衣裳や鬘など、本番通りの拵えでなすって下さいましたので、舞台上でいろいろ用事をする私ども新造役の面々にとりましては、勝手がよくわかりましたし、先輩方からのより具体的なご指導も頂け、大変有難かったです。まだ明日の舞台稽古もございますから、今日掴んだことを、さらに落ち着いてこなせるよう頑張ります。

『助六』で自分の出番を終えたあとは、師匠演じます、白酒売り新兵衛実は曽我十郎の仕事をいたします。師匠がお出になってからの、後半の芝居は客席から拝見いたしましたが、やっぱりこのお芝居の舞台の豪華さはピカイチですね。三重に吊るされた桜の釣り枝、三浦屋の格子先は鮮やかな朱塗り、左右の舞台袖は緑と金で描かれた<新吉原 竹村伊勢>の積み物…。全盛の廓の華やぎ、そこで繰り広げられる、おおらかで、粋で、洒落っ気に満ちた<江戸>のお芝居。正月にはピッタリですね。

                     ◯

お稽古が夕方に終わりましたので、久しぶりに劇団偉人舞台の鹿島良太さんと合流し、忘年会(?)となりました。同じく偉人舞台の我孫子泉さんもいらっしゃいまして、楽しいひと時。お芝居以外のハナシでたいそう盛り上がってしまいましたが、お互いうまく時間が合って本当に良かったです。今度は新年会で…?

當ル子歳稽古場便り・松の巻

2007年12月27日 | 芝居
東京駅から歌舞伎座へ直行しての<初春大歌舞伎>稽古初日。
午後1時半から『猩々』、引き続いて『一條大蔵譚』、午後4時から『助六由縁江戸桜』の<附立て>です。
『猩々』での後見は、仕事は1カ所のみですので、大変というわけではございませんが、なにしろ初春を寿ぐお目出度い舞踊、新年最初の興行の、その序幕ということで、きっちり勤めたいと思います。前回中村屋さんご兄弟(勘太郎さん・七之助さん)がお勤めになったおりは、抽象的に浪を描いた舞台装置でございましたが、今回は松羽目になりましたので、なおさら格を大事にいたしたく存じます。

『大蔵譚』では黒衣になって、師匠演じます吉岡鬼次郎の用事をこなします。これまでは兄弟子がなすってきたものを、今回初めて勉強させて頂きます。「奥殿」になってから、色々と仕事がございますので、よく教わって勤めさせて頂きます。
…この演目、私たち14期生が研修中に教わった芝居のひとつ。ご教授下さったのは中村吉之丞さんでしたが、その吉之丞さんが、勘解由の女房鳴瀬役でお元気な姿をお見せになっています。10余年前の授業のことを思い出しながら、今日のお稽古を拝見いたしました。

『助六』での揚巻付きの新造は初めてのお役でございます。有難いことに台詞も頂戴し、吉原一の太夫、揚巻の道中に加わるものとして、なおさら無様な姿は見せられません! 揚巻の演技の介錯的な仕事もございますので、同じ役の者とともに、先輩方によくよく伺って勉強させて頂きますが、歌舞伎十八番屈指の大作、古式ゆかしい名狂言というプレシャーをヒシヒシと感じた次第です。

…しかしまあ、今月の歌舞伎座は、『大蔵譚』にしても『助六』にしても、女形が大勢登場する演目が昼夜に並びました。東西で5座歌舞伎が興行される平成20年の初春、各地に分散することにより、通常よりも少ない座組で各演目をこなさなければならないわけでございますが、それでもこれだけ芝居ができる! どうか皆様、各劇場の初芝居をお楽しみ下さいますように。

梅之京都日記2の29『お別れとなりました』

2007年12月26日 | 芝居
本日、京都南座「當ル子歳 吉例顔見世」千穐楽。
京都日記も最後のページとなりました。

『将軍江戸を去る』での美濃部の母は、本興行での初の老け役でございました。思えば19歳のときに第1回<音の会>の『引窓』でお幸を勉強させて頂きましたときは、<老け>ということを考える余裕もないままに突っ走ってしまいましたが、今回は、すこしでもその役<らしい>仕草や声音になるよう気をつけるくらいの余裕はできました。
とは申せ、形ばかりになってしまうことなく、心の底から美濃部金之助の母になってひと言の台詞と言うということ…。難かしゅうございました!
数日前に、いつも鬘をかけてもらっている床山さんから、『すっかり(胡麻の鬘が)馴染んじゃいましたね~』なんて言われてしまいましたが、無理して作らなくても、自然にその役の雰囲気が出せるようになるまでは、まだまだ遠き道のりを歩まねばなりません。しかし、今回この舞台で、そういう修行の第一歩が踏み出せましたことは、本当に有難く思います。分不相応なお役を勉強させて頂きました幸せ、そしてそんなお役ともお別れとなった寂しさ、いつも以上に感慨ひとしおの最後の舞台でした。

快適だったマンション、ノビノビできた<団栗湯>、たくさん巡ることができたお寺お社。今回の京都生活は、これまでで一番エンジョイできました。楽しい思い出をお土産に明日帰京いたしますが、さっそく昼過ぎから来月のお稽古…。
気持ちを切り替えて頑張りましょう!



梅之京都日記2の28『気がつけば、もう』

2007年12月25日 | 芝居
昨晩の鍋パーティーもお陰様で楽しく終わりました。豆乳鍋にしたんですが、水菜、長ネギ、白菜、人参、春菊、椎茸、シメジと、野菜をたっぷりにしたのが好評でした。その他欲張って鱈、鮭、豚肉、意外と美味しかったのは高野豆腐で、たっぷりだし汁を吸っていて、体があったまること! 〆めはうどんにいたしました。

本日も『猩々』のお稽古。それからマンションに戻って片付け作業。そうです、明日は千穐楽です。舞台も観光も楽しかった京都の日々ともお別れとなりました。最後の舞台も一生懸命勤め、有終の美を飾らなければ…。

梅之京都日記2の27『初春に向けて』

2007年12月24日 | 芝居
本日『将軍江戸を去る』のあと、来月の歌舞伎座初春興行で師匠がお勤めになる『猩々』のお稽古がございました。
振付けは藤間の御宗家です。丸太町にお住まいの宗家藤間流のご師匠のお稽古場をお借りしての振り渡しです。
高麗屋(染五郎)さんとの<二人猩々>でございます。酒を酌み交わしながらの連舞、猩々独特の<乱(みだれ)>も華やか。
この度も後見を勤めさせて頂くことになりました。新しい1年を寿ぐお目出度い舞台。気が引き締まります!

2008年の初仕事は、この後見と、夜の部『助六由縁江戸桜』の<揚巻付き振袖新造>を勉強させて頂きます。

さて本日はクリスマスイブでございますね。家内を東京においてきた身で、ロマンチックな夜は過ごせませんからね、誰と過ごすというでもない面々で、鍋をすることにしましたヨ。

梅之京都日記2の26『同じ芝居で違う本』

2007年12月23日 | 芝居
夜の部序幕『梶原平三誉石切』は、先だっても申しましたように、梶原平三景時を、唯一善人として主役にすえた作品。毎年どこかの劇場でお目にかかるくらいの人気狂言でございます。
いろいろな解説書にも触れられておりますが、この梶原役を当たり役になすった、15代目の市村羽左衛門さん、初代の中村吉右衛門さん、初代の中村鴈治郎さんの演技が現在引き継がれ、<橘屋型><播磨屋型><成駒屋型>、3つの演出が伝わっているというのも、面白いことだと思います。眼目の、手水鉢を斬るくだりにしても、後ろ向きに斬るか前向きに斬るかという違いがあったり、成駒屋さんの場合では、舞台が鶴岡八幡宮ではなく、別院である<星合寺>になるなど、同じお芝居とはいえ印象は大きく変わってきますが、そのどれもに独自の面白さ、魅力がございますから、見比べる楽しさがございますね。

師匠が平成11年7月国立劇場での鑑賞教室で初役でお勤めになったおりは<橘屋型>でございまして、私は後見をさせて頂きました。また、平成14年6月博多座、松嶋屋(仁左衛門)さんの梶原のときは供侍に出させて頂きまして、松嶋屋さんも橘屋型に基づいて演じていらっしゃいますので、橘屋さんの型にはなんとなくなじみ深いものがございましたが、今回の高麗屋(幸四郎)さんは<播磨屋型>でお勤めでございます。舞台稽古を拝見したり、次の幕『対面』の準備をしながら、楽屋スピーカーや舞台モニターでお芝居の様子を見ておりましても、それぞれの違いがよくわかりまして、勉強になります。

演技のことに関しましては語る資格をもちませんが、梶原の台詞や竹本の浄瑠璃など、台本自体に相違があるというのが興味深いですね。
ことに後半、六郎太夫父娘に、石橋山の合戦の様子を語るくだりは、台詞や浄瑠璃語句が全然違いまして、一方では竹本が語るところを梶原が台詞で言ったり、三味線にあわせての<ノリ地>があったりなかったり、おなじ情景を表現するのに、まったく違うアプローチとなっているのです。
どういう経緯で、別々の台本ができたのかというのも調べてみたいところですが、私にとって未見の<成駒屋型>の台本も、先輩に伺いますと、またこれらとは違っているとのことですから、いにしえの主演者の皆様のお考えや、当時の狂言作者さんのお知恵が加味されてそれぞれの本が成立したのでしょうね。
そんなわけですから、竹本の太夫さん三味線さんは、梶原を初役でお勤めになる方の『石切』を担当するときは、どの型でなさるのかあらかじめ伺うのだそうですよ。

ちなみに、梶原の裃ですが、黒地に家紋である<矢筈>と唐草をあしらうのは<橘屋型>も<播磨屋型>も共通なんですが、橘屋型は柄を小ぶりに<織り>で、播磨屋型は柄を大きく<縫い>で出すんです。これだけでも、受ける印象はだいぶ変わります。台本の違いとともに、こういうところでも、梶原平三という人物を、どう表現するかというご工夫がなされているのですね。

いずれ、<成駒屋>の『石切』の舞台も、経験してみたいですね~。


…気がついたらこれが900回目の更新となりました。よくまあここまで続けてこられたなぁ…。
ご覧頂いている全ての皆様に、心よりの御礼を申し上げます。そして来年の春には迎えるであろう1000回まで、よろしくご後援下さいますよう!

梅之京都日記2の25『40余年前の顔見世で…』

2007年12月22日 | 芝居
一門の大先輩、中村歌江さんから伺った、京都の顔見世の思い出話…。

先代の中村屋(17代目勘三郎)さんが『助六』をなすったときのことだと申しますから、昭和35年のこと。
当時の顔見世興行では、初日は<昼夜通し上演>。通常の1部の料金がちょっと高くなったくらいの入場料で、昼夜の演目をずっと見物できたそうなのですが…。
その頃の顔見世といえば、上演演目数の多さはビックリするくらいなもので、まして初日ともなれば装置転換の段取りもつかず、芝居はどんどん押せ押せに。
この年の初日もご多分に漏れず、夜の部4番目の『助六曲輪菊』の開幕はすでに深夜となってしまい、なんと中村屋さんお勤めの助六が、花道での<出端>を終え、本舞台でキマッたところで、「東西、まず本日はこれぎりィ…」の<切り口上>、とうとう時間切れとなり、終演になったのでした。

ちょっと驚きの展開ですが、考えてみれば、揚巻もすでに<悪態の初音>の見せ場は済ませてはおりますし、意休、白玉など、主要な役はすでに登場したあと。ここで打ち切ることになっても、なんとかご見物のご了承は頂けそうですね。
ところがところが、本当ならこの芝居のあと、『石橋』の所作事が大喜利としてあるはずでした。ご出演の高砂屋の福助さん(五代目。三代目梅玉氏のご子息)はじめ獅子の精の方々、隈取りもして、すっかり拵えがすんだところでこの事態。たいそうガッカリなすっていたそうです。

今では考えられないことですが、昔はこのように、時間やその他の都合により、芝居を<預かる>ことがしばしばあったそうですね。
資料を見ますと、この年の狂言だては昼の部に『業平吾妻鑑』『いもり酒』『道成寺』『番町皿屋敷』『一本刀土俵入』、夜は『妹背山 三笠山御殿』『隅田川』『将軍江戸を去る』『助六』『石橋(芽生牡丹競石橋)』の10演目。豪華な演目がならんでいますね。昼の部は10時開きで、夜の部終演時間は午後11時11分。いや~見物にも体力がいりそうです!
そしてこのとき、6世歌右衛門の大旦那は白拍子花子、腰元お菊、酌婦お蔦、斑女の前、揚巻…!!
想像もできません。

京阪電車の<顔見世列車>のことなど、私は話に聞くだけ。往時の顔見世のことなど、お聞かせ下さいます方がいらっしゃいましたら、お便りをお待ち申し上げております。

梅之京都日記2の24『五たび京都観光…』

2007年12月21日 | 芝居
本日は<終い弘法>ということで、東寺にお邪魔してきました。
ご承知の通り数多の出店で賑わうご縁日。家内からは骨董店が面白いと聞いていましたが、出店の定番、焼きそばたこ焼きドテ焼きはじめ、飴屋に団子屋乾物屋、はたまた下着屋暦屋笊屋、各店の<味>と、売る人買う人冷やかす人、それぞれが面白い「露天商のテーマパーク」と化した境内…。
絶対買い物しないと決めていたのに、結局古着屋で稽古用にピッタリな袴と、昆布茶がさらに濃厚に、さらにフレッシュになったような<メカブ茶>を200g買ってしまった…。

参拝も忘れてはおりません。講堂の、21体の仏像による立体曼荼羅にも興奮いたしましたが、金堂の薬師如来三尊仏に心震える思いでした。本尊の薬師如来様の風格はさることながら、脇侍の日光・月光菩薩の素晴らしさ! 恥ずかしながらウルッときてしまいました。…広い堂宇の静まった空気の中、そこに<坐(いま)す>たたずまいの気高さ、清らかなお顔。毎度申すことながら、想像もつかない永い時をひとつ所に経てきたからこその、揺るぎない確かな美。しばし見惚れてしまいました。





梅之京都日記2の23『10~12月にわたり』

2007年12月20日 | 芝居
10月末のNHK古典芸能鑑賞会での『寺子屋』の武部源蔵。
11月歌舞伎座顔見世の『土蜘』の番卒次郎。
そして当月南座『寿曽我対面』の鬼王新左衛門。

この3役に共通するコトがあるのですが、さてそれは…?
答えは「髪型が一緒」なのでした。
私も床山さんが教えてくださるまで全ッ然知らなかったのですが、3役とも、昔から<油付き櫛目の町人髷(まげ)>と呼んでいる鬘なんだそうです。時代過ぎず世話過ぎない見た目が、義太夫もの、狂言舞踊、そして古劇という、雰囲気は全く違う3種類の芝居、3種類のお役に通用するのですね。

歌舞伎の鬘って本当に面白い! 写実あり誇張あり、様々な約束事に基づいた、職人技の<作品>には、伺えば伺うほど、深い意味、その役“らしく”見せる工夫があるんですよね~。


梅之京都日記2の22『四たび京都観光…』

2007年12月19日 | 芝居
南座近辺のお寺巡りに行ってきました。
まずは建仁寺。「喫茶養生記」を記し、日本にお茶を飲む風習を伝えたといわれる臨済宗開祖、栄西禅師が開山の古刹ですね。
方丈はとっても広く、いくつかの庭を囲むようにしてしつらえられた部屋は開放感にあふれております。俵屋宗達の「風神雷神図」(複製)、十六羅漢像、禅語の軸など色々な作品を見ることができますし、こんな申し様では甚だ罰当たりかもしれませんが、お寺の中というよりも、洒落たギャラリーのような趣き。のんびりゆっくり堪能いたしましたが、<大雄苑>なる枯山水の前庭には息をのみました…。ホント、空間アートですよ、あれは。



法堂には平成14年に、小泉淳作画伯によって描かれた「双竜図」。これがまたすごい! 厳しくたくましい筆致からつたわる気迫にうたれます。陰影のつけ方なのでしょうか、本当に虚空を飛翔しているかのようでしたが、平成の世に誕生した作品とはいえ、その品格や風格は古来のものと比べても決して負けていないと思うのですがいかがでしょう。



続いて六波羅蜜寺へ。念願の空也上人立像に会うことができましたが、意外な出会いとなったのが<阿古屋塚>で、『壇浦兜軍記 阿古屋の琴責』でお馴染みの、五条坂の遊君阿古屋の供養塔があったのです。このお寺も、実はお芝居ゆかりの地といえるのでは…。



そして六道珍皇寺。小野篁が毎夜地獄へ通うために潜ったという井戸が残っております。このテの伝説が大好きな私、是非とも現物を見てみたいと思っておりましたが…。
井戸があるお庭は開放はしていないそうで、戸口の小窓からしか拝めませんでした。それでもなんとかデジカメのデジタルズームを使って…。



小野篁は百人一首にも選ばれておりますね。子孫があの小野小町。歌舞伎でも、惟喬親王VS惟仁親王の皇位争いを描く《御位争いの世界》の芝居にはレギュラー的存在として登場いたします。

最後は八坂庚申堂。可愛らしいくくり猿が境内のいたるところに。申年生まれの私、なんとなく心引かれます。
庚申といえば『三人吉三』。奇しくも来年正月の南座初春興行は前進座の皆様による『三人吉三』の通し狂言。聞けば主演の皆さん、先日こちらで成功祈願をなすったんですって。



パンフレットによると、くくり猿は「欲望の心をコントロールするアイテム!」だそうで、では私は、百も二百もぶら下げて歩かねばなりませんなァ…。

梅之京都日記2の21『数を重ねて』

2007年12月18日 | 芝居
昼の部上演の高麗屋(幸四郎)さんの『勧進帳』、本日12月18日の上演をもって950回を達成なさいました。1000回まであと少しですね! おめでとうございます。
私が初めて富樫の後見をさせていただいたのが高麗屋さんの弁慶のときでした(平成13年11月文化庁巡業)。あの折は何回目だったのかな。
部屋子の梅丸は、奇しくも本年、太刀持ち役として、高麗屋さんの弁慶で年を明け(1月歌舞伎座)、そして当月年の暮れを迎えました。面白いものですね。

梅之京都日記2の20『俄 仁輪加 二◯加』

2007年12月16日 | 芝居
南座顔見世の打ち出しは『俄獅子』。鳶頭と芸者が、『相生獅子』を吉原情緒で巧みにもどいた歌詞にのって、粋に華やかに踊ります。
この踊りの外題にもある《俄》とは、《仁輪加》とあてることもございますが、旧暦8月1日の<八朔(はっさく)>からひと月の間、吉原で繰り広げられたお祭りで演じられた即興演芸のことだそうです。廓内の芸者、太鼓持ちが、歌舞伎もどきの寸劇、曲芸や歌舞音曲を街頭で披露したのですが、実は『俄獅子』という曲、この催しで上演するために作曲されたものでございまして、もともとは歌舞伎のための演目ではなかったとのこと(開曲 天保5年)。
曲が良かったのでやがて歌舞伎に取り入れられたのでしょうが、<俄>での上演はどのような演出だったのでしょうね。
ちなみに、1昨年の顔見世で上演された『女車引』も、この<俄>で初演されたものだそうです。

現行の演出では、鳶頭と芸者による振りがほとんどですが、流派によっては芸者のみだったり、太鼓持ちが出ることもございます。装置も、今月のように仲之町を背景にした屋外の場合もあれば、見世の座敷内にすることも。
歌舞伎で<◯◯獅子>という外題ですと、後シテが毛を振り回すイメージがございますが、これはあくまで<獅子もの>のパロディーですので、扇に鈴をつけ、赤や白の布を垂らした<扇獅子>という小道具で石橋のクルイを表現します。
カラミが出ての立廻りは、上演ごとにあったりなかったりです。師匠が松嶋屋(秀太郎)さんと踊られた時はございませんでした。今回は立ち回り部分に、長唄『七福神』の一部を差し込んで使っていらっしゃいます。

<にわか>は江戸だけのものではなく、大阪俄はやがて新喜劇へと発展しました。また、博多俄では寸劇に<目がつら>(目だけにかぶる長方形のお面で、舞踊『紅勘』でも使われます)を用いていたのですが、これをデザインしたお菓子が博多名菓《二◯加煎餅》。二◯加とは面白い当て字ですね。