梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

花咲月稽古場便り・下

2008年02月29日 | 芝居
『春の寿』、『廓文章』の<初日通り舞台稽古>でした。
『春の寿』の「萬歳」の後見。仕事がごくわずかな分何事もなく相済みましたが、幕間なしの三段返しということで、大道具さんは装置の転換が大変そうでした。今日はじめて通すわけですからそれも当然なのでしょうけれど、それにしましても、狂言作者さんの柝やランプの合図だけで、上手下手がばらけることなく転換されてゆくのですから本当にすごいことです。<歌舞伎座大道具>チームの皆様の素晴らしさですね。

私の後見は、上手から出ることにいたしておりまして、今日もその通り出ては見たのですが、竹本の山台の位置との兼ね合いで、控えていてどうもしっくりこず、(こりゃァ下手からのほうがよいな)と思いつつもとりあえずそのままで終えました。そのあと振付の藤間勘祖師からも、やはり下手から出たほうが良いだろうと仰せがございましたので、初日からはそのようにいたします。

たびたびかかる演目ではない上に、前回(平成18年1月)は後見なしでの上演。<前の通り>が通用しないわけで、まして舞台装置も変わったこの度、竹本御連中が舞台のどこに居並ぶのかは、今日の稽古までわかりませんでしたから、こういうことが起こりましても、さほど慌てることもございません。

さて『廓文章』。こちらは大緊張でむかえましたが、先輩が事細かに、そして実践的にご指導くださいましたおかげで、まずは大過なく仕事をこなすことができました。客席からも見てくださり、「今日の感じで大丈夫」とのお言葉を頂きホッといたしはしましたが、仕事は無事でも、それが仲居のしぐさ、振る舞いとして見えなくてはなりません。そういうことを気をつけながら、初日からの舞台を<落ち着いて>勤めたいと思います。

花咲月稽古場便り・中

2008年02月28日 | 芝居
『春の寿』『廓文章』の<総ざらい>。
『廓文章』で、成駒屋(福助)さんがお勤めになる、夕霧の用事をすることになったのは昨日お伝えいたしましたが、短い時間でテキパキと仕事をこなすことは、若輩の私にとりましては大変なプレッシャーです。
それに関して、今日とある先輩から、なるほどな~と思うことを伺いました。
「何事も急ぎがちな俳優さんの用事をするのは、とっても勉強になるのよ」…。

世間一般でもそうなのでしょうが、物事にあたって、何でも早め早めに済ましてしまいたい人もいれば、間に合えばいいという人もおります。それは当然歌舞伎の舞台におきましても同様でございまして、同じ芝居、同じ役でも、お勤めになる方が違えば、舞台上で行われる諸々の作業(着替えやらタバコ盆やお茶など小道具の出し入れやらセリフの運びやら)のテンポはだいぶ変わります。
どちらがどうと言えるものではございませんが、それに関わる立場の者といたしましては、確かに<急がない>方よりかは、<急がれる>方のご用事をこなすのは大変でしょうし、より気も遣いましょう。しかしその分、仕事の手際や段取りのつけ方は磨かれてゆくというもので、それが<勉強になる>ということなのでしょう。

とにもかくにも、今月の私は成駒屋さんのテンポに従うことが使命です。そしてその上で、より手際の良い仕事をこなす…!
明日の舞台稽古が勝負です!

花咲月稽古場便り・上

2008年02月27日 | 芝居
昨日1日お休みを頂きまして、本日より歌舞伎座<3月大歌舞伎>のお稽古がはじまりました。
『廓文章 吉田屋』と舞踊三段返し『春の寿』の<附立>。
『吉田屋』の仲居は初めて勤めさせて頂きます。この度は、幕切れに成駒屋(福助)さんお勤めになる夕霧の<病鉢巻き>をはずし、新しい<打掛>を着せる用事をさせて頂くことになりました。お稽古場では鬘もかぶりませんし衣裳も着ませんから、正直まだ勝手がわかりません。先輩方に段取りは細かくご説明頂きましたが、実際どうすれば鉢巻きが外れるのかは、舞台稽古にならないとわかりませんのがコワい! 毎度毎度申すようですが、こういうお仕事は手際が第一ですので、慌てずに落ち着いて、よくよく気をつけながら、先輩のお教えに従って勤めさせて頂きます。

『春の寿』は、今月の興行のために構成された一幕で、『三番叟(長唄)』『萬歳(義太夫)』『屋敷娘(長唄)』の3演目をメドレーで見せる趣向です。師匠梅玉は『萬歳』をお勤めになりまして、私はその後見。こちらの仕事は難しくはないものの、やはり踊りの後見としての行儀を崩さぬように注意いたします。

先月とはうってかわって、携わる演目が少なくなりまして、体は楽にはなりましたが、やはり一舞台人として寂しさも感じます。まあ気は持ちようで、せっかく得た自由な時間を、カラダのメンテナンスやし残しっぱなしの家事雑事(ああ、確定申告もしなくっちゃ!)などで有効に使わせて頂こうと考えております。

ここしばらくご無沙汰の寄席、他のお芝居も拝見に行けたらよいのですが。

紙上再現『青柳硯』・上

2008年02月26日 | 芝居
本興行では昭和21年12月以来、実に60余年ぶりの上演となった『小野道風青柳硯』。今回の上演にあたりましては、過去の写真資料、残されていた<鳴物附帳(芝居の進行に合わせ、どこでどの合方、鳴物を演奏するか記したもの)>、また昭和54年8月開催の勉強会である<歌舞伎会>でこの演目が上演されたおりに小野道風役でご出演なすった、音羽屋(松緑)さんのご一門、尾上辰緑(当時小辰)さんからのお話をはじめ、様々な方面からの復元作業がなされました。義太夫浄瑠璃の詞章や曲につきましても、今回出語りをお勤めになられた竹本葵太夫師、三味線の鶴澤寿治郎師によりまして、手が加えられました。

さて、大太鼓によります<雨音>で定式幕が開きますと、浅葱幕が吊るされており、橘逸勢(たちばなのはやなり)の手下である4人の相撲取りが並んでおります。綿入りの格子模様の着付、<泥鰌のぼり>や<稽古髷>という、相撲取り独特の鬘、雨が降っているということで、蓑をつけております。
4人が、主人橘逸勢が謀反を企てていること、その協力を小野道風に頼もうとしていること、万が一道風が拒絶すれば、力自慢の独鈷(とっこ)の駄六に討取らせようということを話す、いわば<筋売り>的な芝居がございまして(これは今回の上演にあたっての加筆です)、4人が上手に引っ込みますと再び<雨音>になり、知らせの柝にて浅葱幕の振り落とし、柳ヶ池の場になります。

正面に東山を描いた<野遠見>、上手に大きく張り出した池、中央からやや上手よりに柳の大木。下手には土橋。池の所々には芦が枝を伸ばしています。

浄瑠璃「急ぎ行く 雨の足音高下駄の 杢(もく)の頭小野の道風」
で花道揚幕より道風の出。雨音に笛の音をからませ、黒地狩衣、白地織物の指貫(さしぬき)袴、黒の三位烏帽子をかぶる、典型的な公家装束。黒塗り、白絹の鼻緒の下駄を履き、右手には紙張りの黒蛇の目傘をもっております。

浄瑠璃「片手に傘(からかさ)指貫の裾も露けき岸伝い」
で花道七三に止まり、景色を眺める心でキマります。

セリフ「絶景かな絶景かな 我民間にありし時は 蓑笠に雨を悲しみ 斯様な景色を見捨てしも 境涯につるる人心 一刻値千金じゃな」
浄瑠璃「しばし佇む柳の蔭」
七三で辺りの景色を見回しながらひと回りし、傘を左手に持ちかえて軽くキマり。


道風が本舞台に入りますと、蛙の鳴き声が聞こえてきます(赤貝の殻をこすり合わせて出す)。道風が、水たまりを避けるように2歩程出ますと、舞台下手の茂みを描いた<切り出し>から、黒衣の後見が遣う差し金の蛙が出てきます。

浄瑠璃「沢の蛙の草を分け 妻呼び顔に這い出づる 柳の糸の枝垂葉に したたる雨のばらばらばら 井出の玉水溜り水 葉に浮く露を虫かとて…」
この一連の浄瑠璃の間に、蛙は舞台前方に進み、道風に向って大きく跳ねてきます。オヤと道風が2歩程後じさることなどあり、トド、蛙は方向を変えて上手の柳の下へと進みます。

浄瑠璃「二寸飛んでははたと落ち 三寸四寸いつのまに がばと飛びつく蛙の振る舞い 目放しもせず見入りし道風」
柳の下まで来た差し金の蛙は、ここでジャリ糸で操作する蛙とすり替わります。浄瑠璃の詞章通り、柳の枝を目指して飛びつくが失敗するさまを、飛ぶ高さをだんだん高くしながら表現し(柳の裏にいるもう1人の黒衣後見がテグス糸で操作する)、最後は柳の枝に飛びつかせます。

この間、道風は傘をさしたまま蛙の“飽くなき挑戦”を眺めておりますが、これが花札の<雨の20点>札に描かれたおなじみのポーズ。とはいえ芝居ですので、いつまでも静止静観しているわけではなく、蛙が枝に飛びつくと、傘を横に流して持ち、足を割って(大きくひろげ)、ジリジリと詰め寄るというお芝居らしい動きもあります。

セリフ「はて奇妙奇妙 水面を離れること三尺計り 程を隔てし柳の枝に上らんとする 我が身を知らぬ虫けらの愚かさと見るうちに」
浄瑠璃「初めは一寸二寸五寸飛び ついには枝に取りついたる 魂のすさまじさ 虫と見てあなどるべからず」
(ここは本来の台本では道風のセリフになっているのですが、このあとも延々セリフが続くので、変化をつけるために今回浄瑠璃が語ることになりました)
セリフ「これをもって試みるに 念力だにかたまるときは ついにならずということなし 只今の振る舞いにて 心の悟りたちまち開く(中略)逸勢が望み 今の蛙に等しうして はじめは勢い微かなりとも 謀反の徒党五人付き十人付き ついには日本を斬りしたがえ この青柳の天が下 万乗の位にまで上る大毒虫 ハテおそろしし おそろしし」

道風は忌まわしき蛙(橘逸勢を暗示する)を、蛇の目傘でうち落とし、その傘をパッと開いてツケ入りのキマり。これが
浄瑠璃「はじめて驚く蛙の悟り 画に描き写す青柳硯 末世の鑑となりにけり」
いっぱいにはまります。

これで『小野道風青柳硯』前半の見せ場が終わりました。
続きはまた次回に。


紙上再現『青柳硯』・下

2008年02月26日 | 芝居
さて、柳の枝に飛びつく蛙の姿に橘逸勢の謀反の志しを悟った小野道風を、先ほどの相撲取り4人が取り囲みます。

相撲 1「道風」
相撲全員「やらぬ」
浄瑠璃 「道風やらぬと追ッ取り巻く」

相撲取りは足を踏み出して両手をひろげ、遮る形。
道風は傘を閉じ(黒衣に渡す)身構えて、

道風 「ぎょうぎょうしいやらぬ呼ばわり 己等なんぞ見たか聞いたか」
相撲1「オオ聞いた聞いた 大きなことはみな聞いた 逸勢公のご謀反悟った小野道風
相撲2「汝が味方につけばよし 否といわば生けてはおかれぬ
相撲1「さあ返答は 何と」
相撲全員「何と」
浄瑠璃 「何と何とと呼ばわったり」

相撲取りは四股を踏んで構え、臨戦態勢に。

道風は、以下のセリフの間に佩いていた太刀を外し(わざわざ刀を遣う程もないということ)ます。
道風 (以下のセリフは竹本三味線に合わせた<ノリ地>)フフ、ハハ、フンフン、ムハハハハハ…己が手並みも知りもせず 素人相撲の飛び入り椿(ノリ地終わり) 首の落ちぬ用心せよ」
相撲全員「何を」

これより浄瑠璃に合わせての立廻りです。

浄瑠璃「二人が首同士打ち合わせ 左右へガワと突き倒す 前よりかかるを岩石落とし 後ろから出す二人が腕(かいな) かついでドウと重ね投げ 下駄の当て身にタジタジタジ…」
立廻りの手は、ほぼこの詞章に則してつけられました(立師 坂東三津之助さん)。
まず、道風が左、右と踏み出す足から下駄を奪うことがあってから、
1、左右から抱いてきた力士2人の首根っこを掴んでゆさぶり、頭同士をゴッツンコさせて舞台上手下手に突き飛ばす(詞章「左右へガワと~」。
2、前から1人突っ張りをかましてくるのを、頭をおさえて地面にたたき落とす(「岩石落とし」)。
3、左右から2人が突いてくる手を捻り上げ、前に重ねて倒して自分が乗っかる(「重ね投げ」)。
4、左右から2人が先ほどの下駄を打ち込んでくるので、それを奪い返して脾腹を突き、トンボを返してキマリ(「下駄の当て身にタジタジタジ」。

浄瑠璃「かなわぬ許せと逃げてゆく」
で、コテンパンにやっつけられた相撲取りが上手に逃げ、道風はそれを追い込む形で、左足を踏み出し上手を見込んでツケ入りのキマリ。
道風「ヤアいずくまでも逃しはせじ」
なおも追いかけようと上手を見込んだところで、花道揚幕の中から
駄六「道風待った 待ちゃァがれ エェ」の声。

浄瑠璃「と声をかけ のさばり出(いず)る独鈷の駄六 立ちはだかって声をかけ」
駄六は赤ッ面、全身肉襦袢を着込み、黒、臙脂、萌黄の3色が大胆に使われた太縞のドテラに土器色の繻子の帯を前結び。鬘は側頭部の毛が張り出している<鬢(びん)バラ>というもの。鬱金色木綿の鼻緒の高下駄を履き、竹の子皮の一文字笠を肩にひっかけて出てきます。

駄六は花道七三で止まり、
駄六「何と道風 久しいナァ(以下のセリフは本舞台へ歩きながら)貴様も俺も大工のときは きつゥい馴染みであったが いつの間にやらえらい形(なり)になったのゥ 貴様の蔑みの通り 逸勢様のたくみの<臍> 大方<地はならして>あれど 自力ではゆかぬゆえ 道風を<柱>と頼む算段 貴様がうんといえば俺も出世 否と言やァ打ち殺してでも出世する どちらにしても<のこぎり>商い 否か応かたったひと口 男を見込んで頼む コレ 頼まれてくだァれ 頼まれてくだァれ」
浄瑠璃「臑であしらう野放図者」
道風の下手に立ち、肩の笠を外して左手に持ち、左足を踏み出して、横柄にキマります。セリフ中の<>で括った語句はいわば大工にゆかりの言葉で、二人の前身にちなんでいるのでしょう。

道風「オオ優しくも申したり しかし汝等に言い聞かすは牛に経文 帰れ帰れ」
浄瑠璃「と寄せつけず」

道風はそっぽを向いて上手向きになります。

駄六「エエ待ちゃァがれ(ここで笠を後ろに投げ捨てる) この独鈷の駄六が頼みかかった上からは 一寸でも後へは寄らさぬ 是非否(いや)ぬかさば腕ずくでも」
道風「ナニ 腕ずくとは」
駄六「コウ 腕ずくで」

駄六は高下駄も脱ぎ捨てて道風の腰に取りつきます。

浄瑠璃「と狩衣の 脇から差し込む胸づくし」
駄六は道風の上手に回り込み、道風の狩衣の上前を引きちぎります。襟が外れて下に着ていた白綸子の着付があらわになります。

道風「エエ てんごうすな」
浄瑠璃「と振り放し互いにエイヤと組む拍子 烏帽子に手をかけ引き倒さんと 引きつ引かれつ大わらわ」

駄六が烏帽子の紐を引っぱるはずみで烏帽子が外れ、下手に烏帽子を持った道風、上手に駄六、ツケ入りのキマり。
これからが第二の見せ場、相撲の立廻り。下座は場面設定を無視して<相撲太鼓>を賑やかに打ち込み、さながら『角力場』のようです。竹本三味線も<メリヤス>を弾き流し。
道風は狩衣を肌脱ぎし、白綸子の着付を全てみせます。駄六もどてらを脱ぎ、藍絞りのサガリ(褌)一丁。立師・坂東三津之助さんが、現役の関取さんに技を教わった上でお作りになった、様々な<相撲の手>を組み合わせた立廻りが繰り広げられます。

立廻りが一区切りしたところで(相撲太鼓も終わる)、
道風「邪魔ひろぐな」
浄瑠璃「邪魔ひろぐなと突き退くる」

道風が駄六を突き放すと、相撲の技では叶わないと思ったのか、
駄六「もうこの上は 駄六が端武士(はぶし)の真剣勝負 こたえてみよ」
浄瑠璃「肩口ポッカリ食いついたり」

なんと道風の左の肩口にガブリと噛み付き、足で蹴ったり殴ったりする始末。これには道風も怒ったようで、
浄瑠璃「道風駄六の腕捩じ上げ」
道風「諸人の見せしめ これを見よ」

道風もお返しで駄六の右肩をガブリ。

浄瑠璃「双方一度に血は滝津瀬 泥に滑ってたじろぐ駄六 首筋掴んでエイと差し上げ ザンブと打ち込む水煙」
鳴り物は<水音>に変わり、ひるんだ駄六の首を掴んでのけぞらせ、バランスを崩したスキをついてさんざん弄び、最後は上手の池の中に投げ込み、裏向きのキマり。駄六が池に飛び込んだ瞬間には、下から<水気(すいき。銀色の竹ヒゴの先に玉をつけたものを何本も並べ、水しぶきを表現する小道具)>が上がるのが、このお芝居らしい古風な演出です。

道風「この上は 逸勢と直(じき)応対 逃しはせじ」
浄瑠璃「と駄六を見捨てて只ひとり 敵の館へ駆けり行く」

道風は勇み立ち、再び太刀を掴んでバタバタで花道へ。七三で一度キマってからツケ入りで駆け去ります。

さて、無人の舞台に下座から<フチ廻し>というちょいと呑気なお囃子が聞こえてきますと、最前の池の中から駄六が浮かび上がってきます。頭には柳の枝やら藻のようなものやらをからませた情けない姿、鬘の鬢(びん)も捌けてしまいました。
陸に上がってから頭のゴミを取り、寒さにブルブルと震えるおかしみがあり、耳に入った水を出すべく片足でトントン跳ねながら舞台中央へ出、へたりこんだところで飲み込んでしまった水をブワ~と吐き出します。これは<本水>でございまして、毎回客席は大ウケでした。

鳴り物が<アバレ>に変わり、駄六は蛙の動きを模した<蛙飛び>を見せます。何故駄六までが蛙に? などという詮索はいりません。そういう<趣向>を楽しむのがこのお芝居の味わい方でございましょう。

駄六「おのれ道風 どこまでも」
浄瑠璃「後を慕いて」


<水音>が高まりバタバタで花道へ。右足を踏み出してのキマりがお囃子の<飛び去り>のキッカケ。これからが<蛙六方>でございます。相撲取りということで、突っ張りをするような動きを見せながら2足、蛙が飛び跳ねるように2足、それから普通の飛び六方で揚幕へ。

柝の刻まれるなか、幕―。


というわけで、『小野道風青柳硯』、一関係者の視点から再現してみました。ご覧頂いた皆様の頭の中に、ぼんやりとでも舞台の様子が浮かんできたら嬉しいのですが…。

どっぷり歌舞伎座のひと月も

2008年02月25日 | 芝居
本日、歌舞伎座<二月大歌舞伎>千穐楽でした。

『小野道風青柳硯』の復活の現場に立ち会うことができ、『仮名手本忠臣蔵 七段目』では初めて<見立て>をさせて頂き、『鏡獅子』では、まさかこの演目で勤めることができるとは思わなかった後見を勉強させて頂きました。
朝から晩まで盛りだくさんの1日、大変充実した日々を送ることができましたが、盛りだくさんすぎて体力が追いつかず、少々バテ気味の25日間となってしまいました。

当ブログの更新もままならず、失礼をいたしました。
来月は、舞踊3段返し『春の寿』の「万歳」の後見と、『吉田屋』の仲居ということで、昼の部のみの出演になりますので、今月の分まで色々とお伝えできたらと思いますが、まずは今月の『小野道風青柳硯』につきまして、昔の<演芸画報>の記事ではありませんが、“見たまま”的なレポートをさせて頂きたく考えております。約60年ぶりの上演でしたが、テレビ中継用に収録されることもございませんでしたので、なんとなくでも、お読みになって舞台を想像して頂けるような文章を目指します。
ここ数日のうちにはお目にかけることができると思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

両生類哺乳類鳥類

2008年02月22日 | 芝居
『小野道風青柳硯』に<蛙>。
『車引』に<牛>
『関の扉』に<鷹>。

今月の歌舞伎座昼の部には動物がよく出てきますね(夜の部には蝶々も)。
『忠臣蔵 七段目』にはさすがに…とは思いましたら、九太夫との酒宴のお膳には<鯛>の姿焼が。
これを仲間に加えるのは、ちと強引すぎましょうかね。

今日はマラソン

2008年02月17日 | 芝居
今日は『第2回 東京マラソン』でしたね。
歌舞伎座周辺の道路も交通規制で、普段車で楽屋入りをなさっていらっしゃるのを、今日だけ電車で…という方もいらっしゃいました。
『小野道風青柳硯』では、独鈷の駄六が本日だけのご趣向を見せるひと幕も…。

<応援六法>を御覧になれたかたは幸せでございますよ~。


あと半分

2008年02月13日 | 芝居
今日は<中日>でございまして、歌舞伎座で長い1日を送っている私としましては、ようやく折り返し地点通過という感じ。風邪が流行る楽屋の中で、残り半分を無事乗り切れるか、ちょっと気になってもおります。

1日の最後のお仕事が『春興鏡獅子』の裃後見なのですが、舞台に飾られた祭壇を片付けるとか、獅子の精が乗る<二畳台>に牡丹の花枝を取り付けるとか、主演者の演技に直接関わる役目ではないのですけれど、「新歌舞伎十八番」のなかでも屈指の大曲ですし、柿色の裃を着て鬘もかぶり化粧もする本式の後見。演目の格の大きさを損ねてはいけませんので、本当に緊張いたします。

ふと思ったのですが、この演目の幕開きの、お局の台詞に、お小姓弥生の踊りのために「…長唄お囃子連中の用意ととのい…」とありまして、そのあと正面の襖が取り払われると、緋毛氈の雛壇に居並んだ本当の長唄囃子連中が現れるのですが、もしかしたら、この演奏家の皆様は、半分は作品の登場人物なのだとも考えることができるなァ、なんて…。
翻って私の後見も、わざわざ上手の襖を自分の手で開けて出てくるくらいですので、これまた<後見役>をおおせつかった誰か(家来?)なのかしら、とも。
そう思ったからといって、普段の後見と変えるようなことはしていませんよ。念のため。

多くの解説書にもある通り、弥生の踊りは「将軍様が観ている」という設定です。
それだけに、やっぱりあだや疎かにできない後見なのでした。

ドキドキしました

2008年02月09日 | 芝居
昨年2月の『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』のおりにもご紹介したと思いますが、「七段目」の中盤で仲居や太鼓持ちたちが勤める<見立て>は、日替わりで勤めるのが恒例になっておりまして、本日私の出番でございました。
<見立て>初体験でございますので、大変緊張いたしましたが、お陰様で無事勤めることができました。
若輩の身でございますので、大先輩の中村歌江さんにネタや台詞を教えて頂き、教わった通りに演じさせて頂きました。いずれ経験を積んで、もっとしっかり仲居らしい演技ができるようになったときには、自分のアイディアを出してみようと思います。

…楽屋では体調を崩す人が増えてきました。寒さがますます厳しくなってきているようですので、皆様どうぞお体にはお気をつけて。

寒い毎日ですね

2008年02月04日 | 芝居
2月大歌舞伎、4日目でした。
おかげさまで、舞台の裏表の仕事にだんだんと慣れてまいりました。これからは落ち着いて、じっくり課題と取り組んでまいりたいと思います。

体調が悪いというわけではないのですが、ちょっと疲れがたまっているようです。更新が飛び飛びになるかもしれません。ご了承下さい。

蛙は無事に跳びました

2008年02月02日 | 芝居
本日、歌舞伎座『2月大歌舞伎』初日。
師匠の仕事自分のお役、あれやこれやで12時間楽屋にいっぱなしでしたが、お陰様で諸々の役目は無事に勤めることができました。

もちろんそれぞれに課題はございます。とりわけ『小野道風青柳』は、蛙の仕掛けや後見の段取りなど、過去のお手本が現存していない演目。お稽古場で作り上げてきたわけですが、実際舞台で動いてみて初めてわかることも多く、舞台稽古をしたとはいえ、今日の本番におきましても、改めて発見する諸問題が多々ありました。
1日でも早く完成形をお見せいたしたいものと、裏方の人間として切に願い、日々改めてまいります。ご覧頂いた方々には、どうぞご意見ご感想をよろしくお願い申し上げます。