梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之京都日記2の4『無事初日です』

2007年11月30日 | 芝居
1日が歌舞伎座顔見世興行の初日、30日が南座顔見世興行の初日。
ひと月に2回も初日を迎えた11月でした。

おかげさまで無事に初日の舞台を勤めることができました。有り難うございます。
朝が早いのはチトつらいところですが、あがりが早いのがかえって良いかも(間でも空き時間がございますし!)。
先ほど夕食をすまし、明日のおかずの茄子の煮物をコトコトさせながらこの文章を書いております。

さて、京の顔見世と言えば写真にもございますように、<招き>が風物詩となっております。
竹矢来を組んだ上に、出演俳優の名前を墨書きした庵型の看板を掲げます。上部には金銀の短冊を吊るした松を吉例の7本飾り、大変美しく、そしてPR度満点の劇場装飾です。
幹部俳優さんを中心に、名題下より上の出演俳優全ての名前が掲げられます。ですから今月は…。



御覧の通り、昨年名題昇進なすった梅蔵さん、そして部屋子になった梅丸さんの名前もございます。なんだか嬉しいですネ。


梅之京都日記2の3『今日も客席で過ごし…』

2007年11月29日 | 芝居
『将軍江戸を去る』の<初日通り舞台稽古>。
弟子3人がそれぞれお役を頂いておりますので、師匠勤めます徳川慶喜に関する仕事はみんなで代わる代わるすることになりました。段取りがつくまでは少々忙しくなりますが、それも2、3日のことです。

さて「千住大橋」の場、間口の狭い南座の舞台に大勢の見送りの人が並びますが、この場は大橋の袂ということで舞台中央部は<開帳場(かいちょうば 斜面のこと)>になっております。私勤めます“美濃部の母”と、中村寿治郎さんがお勤めになる“久保三弥の隠居”の二人は、居並びの関係でこの開帳場にひれ伏すことになりました。これがまた大変なことでございまして、前傾している斜面に座ってさらにお辞儀するわけですから、だんだんと体がツンノメッてゆくようなのです。伏している時間は10分はございましょう。その間のなんともいえない気分…。お稽古後、寿治郎さんも「こりゃかなわんな」とおっしゃり、体の向きを工夫してみようと話し合いました。
肝心の<泣く>芝居、師匠の動きが見える位置にいる役者さんが、率先して泣く(ヘンな表現だな)ことで決着いたしましたが、いずれにしましても<気持ち>が動かなくては泣けませんよ、ホントに。

朝一番にこの稽古が終わりまして、今日の私はお昼過ぎに仕事が終わってしまいました。昨日同様、その他の舞台稽古を拝見させて頂きましたが、成駒屋さんご兄弟(翫雀さん扇雀さん)によります『俄獅子』は、芸者と鳶の2人だけで終わることが多いところを、後半、10人以上の<廓の若い者>を出しての派手な立廻りが加わり、1日の終幕にぴったりの大変華やかなひと幕になっておりまして、思わずオォと声が出ました。立廻りに使う得物にもご工夫があり、様々な技が繰り出されます。是非お確かめ下さいませ。

いよいよ明日初日! 
3日間で10演目のお稽古。京の顔見世は駆け足で開幕を迎えます。

梅之京都日記2の2『稽古をしたり拝見したり』

2007年11月28日 | 芝居
『将軍江戸を去る』の<総ざらい>と『寿曽我対面』の<初日通り舞台稽古>。
『将軍~』の大詰「千住大橋」は、昨日も書きましたように武家町人男女取り混ぜた群衆が出ますが、名題下部屋ではこの場といえば《泣く芝居》といっているくらいで、これまでの上演では、真山美保さんの演出で、徳川慶喜の台詞の要所要所に、周りからの泣き声、嗚咽が混じったものでした。
今回におきましては、師匠のお考えもあり、そういう箇所が<段取り>や<きっかけ>めいた芝居にならないよう、“気持ちで”やるような配慮がなされました。これまでにくらべれば、泣きが足りないと思われるかもしれませんが、幕切れに近づくにつれてだんだんと哀しみが高まってゆき、最後の最後で群衆の<将軍恋し>の思いが発露される…。そんなふうにできればということです。

とはいえやっぱり難しいのは間合いでございます。慶喜が千住大橋に足を踏み出すが、立ち止まって少しの思い入れ。そして新たに踏み出すその歩みにかぶさるように周りからの泣き声が…という情景をつくるためには、どこかで慶喜の動きを見なくてはならないのですが、並みいる面々、「顔を上げるなよ」という将軍の言葉の通り、大地にひれ伏しております。さァその体勢からどうやって師匠の動きを窺いましょう?
舞台に行ってみないとわかりませんが、<気>みたいなモノが感じ取ることができたらよいのにね…。


『寿曽我対面』では、芝居がはじまってから衣裳を着出しても十分出番に間に合うという鬼王役。麻の裃に素足という地味で質素ななりは、また者、陪臣という立場をあらわしておりますが、豪華で様式的な拵えのオンパレードである『対面』の舞台面からすると、逆に目立つ存在といえるかもしれません。弟子としての仕事はとっても少ないお役でございますが、『対面』というお芝居自体は、<定式><吉例>が沢山出てくるとっても勉強になるお芝居です。本興行でこの演目に携わるのは初めてですので、これを機会に色々と学んでゆきたいです。

梅丸が太刀持ちを勤める『勧進帳』も<舞台稽古>。久しぶりに正面から『勧進帳』という芝居を拝見しました。すでに3演目となる彼の太刀持ち(芸術祭、歌舞伎座、そして今月南座)。最初のころより身長もだいぶ伸びました。
続く『京鹿子娘道成寺』も拝見させて頂きましたが、こちらは山城屋(坂田藤十郎)さんの喜寿記念の演し物。上方歌舞伎の復興を掲げていらっしゃるお方の演目ということもあり、所化役に、<上方歌舞伎塾>の卒塾生が大勢出演しておりますヨ。

7時過ぎに帰宅、厚揚げとチンゲンサイの煮物を作って夕食。
終日薄曇りの2日目でした。



梅之京都日記2の1『無事京都入り』

2007年11月27日 | 芝居
朝7時50分品川発の「のぞみ」で京都へ。芝居人にとっては結構早い時間ですが、12時くらいに始まるであろう『将軍江戸を去る』に先だって、荷ほどきや楽屋作りをすませなくてはなりませんからね。10時半に劇場着、1時間ほどで諸作業完了。

さて師匠4年ぶりとなります『将軍江戸を去る』、言わずと知れた真山青果氏の名作ですが、これまで演出にあたられた真山美保さんは先年鬼籍に入られました。今回はこれまでの演出をもとにしながら、要所要所では主演の方々のお考えも加わるかたちで芝居作りが行われています。
とりわけ最終場「千住大橋」での群衆演技では、見送る人々と見送られる徳川慶喜との関係が大事なポイントです。師匠演じる慶喜の台詞に対する皆の反応が場の空気を支配しますので、師匠も我々にご指示を下さいました。

梅丸も本日南座に初御目見得。こちらの劇場は楽屋の作りが入り組んでいてわかりづらいので、一緒に<南座探検>。舞台への道順、奈落の通り抜け、楽屋の案内…。これで一人でも迷わないね。お稲荷様が祀られている屋上に出られるのが気にいったみたいです。
続いて『寿曽我対面』の<附総>。萬屋(錦之助)さんの襲名ご披露の狂言でございまして、チラシにもうたわれております通り、劇中口上がございます。どの場面でどんな口上になりますかは、ご覧頂くまでのお楽しみといたしましょう。
師匠は芝居に終結をもたらす鬼王新左衛門です。

夕方には私の出番が済み、ひと月の住家となるマンスリーマンションへ。つくりも新しくまずまず。家から送った荷物も届き、梅之の部屋らしくなりました。ネットもつながる物件なんで助かります。前回はエアーエッジで大騒ぎでしたから…。
料理は明日からということにして、まずはゆっくり休むことにいたします。

思ったより寒くはなかった京都の1日目でした。


東京最後の芝居、終わる

2007年11月25日 | 芝居
つつがなく千穐楽の舞台を終え、さきほど帰宅いたしました。
後見を勤めさせて頂きました『種蒔三番叟』。開幕時、そして幕切れに、後見が深々とお辞儀をいたします。三番叟ものでは定式でございますが、何と申しましょうか、礼に始まり礼に終わるというわけではございませんけれど、舞台に、お客様に対して自ずと「お願いいたします」「有り難うございました」という気持ちになりました。お陰様でひと月大過なく仕事ができまして、今日の幕切れは、いつにもまして心が改まり、清々しい思いでした。

さて、明日一日お休みを頂いて、いよいよ27日から京都入りです。
来月私は、昼の部序幕『将軍江戸を去る』の「千住大橋の場」で<美濃部金之助の母>を勉強させて頂きます。ついに江戸を退く徳川慶喜に、ひと目別れを告げようとやってくる武家の女ということで、実年齢をだいぶ上回るお役です。つねづね老け役や花車方の勉強をさせて頂きたく思っておりましたが、このような機会をお与え下さり本当に嬉しく思います。どこまでできるかはわかりませんが、あまり作らず、気持ちを大事に演じさせて頂きたく思います。

一門の梅丸も『勧進帳』の太刀持と『河内山 質見世』の丁稚で出演させて頂く事になりました。
どのような京都生活になりますことやらわかりませんが、健康には気をつけて、楽しく真剣に南座での毎日を送りたいです。

それでは開設以来2度目の『梅之京都日記』、よろしくお付き合い下さいますよう!


廊下ですれ違えないのです

2007年11月24日 | 芝居
今月の『種蒔三番叟』での三番叟、『土蜘』の蜘蛛の精や四天王たちがはきますのが<大口(おおくち)>と呼ばれる特殊な袴です。
おもにお能や狂言からうつされた演目に使われることが多いですが、時代物の作品にもときおり使われますが、極端に様式化されたスタイルは皆様の印象にも深く残っているかと存じます。
後ろの部分は立体的に作られておりますが、張りを出すため畳表を中に入れて仕立てられております。そんなこともあり結構重たい衣裳でございますが、袴の紐の締め方も通常とは異なる手順があり、<大口あげ>という、木製のY字型の板を帯にはさんでおき、それに紐を引っ掛けるようにして締めてゆきます。

着崩れてしまうとえらいことになるこしらえですので、着付け作業も力がいります。渾身の、といってはオーバーになりますが、グイグイと紐を締め上げるのは、慣れないうちは大変です。コツがつかめたらそれほどではないのですが…。私は一番最初のとき、見事に腕がツリました。

ついでながら今月の『種蒔三番叟』の衣裳について。黒の精好(せいごう)織りの素襖と大口の柄は<向い鶴と亀>で吉祥紋様になっております。素襖の袖下には<つゆ>という紐がついており、これを踊りの途中で手の小指に通しますと、袖を巻いたようなかたちになります。後半、その素襖を脱ぎ去りますと、白と朱の段染め、松の枝を織り出した着付。三番叟の世界から離れ、世話がかった踊りになったことが表現されます。


蛇が、犬が、人が…

2007年11月23日 | 芝居
新宿は花園神社の二の酉に行ってきました。
三連休の初日の晩ということもあるのでしょうか、例年よりも人出が多く大変な賑わいでした。屋台の広島焼きやフランクフルトなど食べながらの参詣です。
今回は念願の「見世物小屋」にも入ることができ、なんともいえない<ユルユル異空間>を体感いたしました。別冊太陽『見世物は面白い』にも取り上げられていたおミネさんの至芸が見られて大満足、これなら木戸銭八百円は高くない?



歌舞伎座深夜の部?

2007年11月21日 | 芝居
夜の部終演後に行われた、《第237回 子供歌舞伎教室》の舞台稽古を拝見してまいりました。
本興行開幕前の舞台を使って、小中学生とその保護者を対象にした鑑賞教室であるこの公演。今回の演目は『太刀盗人』でございます。加賀屋(松江)さんのすっぱ、音羽屋(亀三郎)さんの田舎者、滝野屋(男女蔵)さんの目代、音羽屋(亀寿)さんの従者という配役です。
本番は23日の午前九時から。客席は抽選で選ばれた親子連れでいっぱいになりますので、正面から拝見できるのは今日の稽古だけということで、外で腹ごしらえをしてから臨みました。

すっぱと田舎者のやりとりなどは、お狂言ものだけにおかしみに富み、きっと子供たちも楽しんで見て下さることでしょう。

それにしても、寒さが厳しくなってまいりましたね~。楽屋では風邪ひきさんが増えてきました。かくいう私も、なんだか体調が不安定でして、京都へ行く前に、なんとか本調子に戻したいと思っております。
そんなわけで自転車通勤はしばらくお休み中。思いついたとたんにコレですからね。やっぱり運動には縁がないのかしら。

ただ者ではない…

2007年11月20日 | 芝居
昼の部の『曾我綉侠御所染』、いわゆる<御所の五郎蔵>で、敵役として登場する星影土右衛門。今月は高島屋(左團次)さんがお勤めですが、五郎蔵の女房であり五条坂の廓の太夫でもある傾城皐月に横恋慕するワル者、というだけではないようで…。
終幕「逢州殺しの場」で、門弟を引き連れた土右衛門一行を五郎蔵が襲いますと、門弟たちはアタフタ逃げ出す有様ですが、土右衛門は悠々と廓の見世先、格子の中に<消えて>しまいます。このときの鳴り物は大太鼓による<ドロドロ>で、これは怨霊、化性など、人間ならざるものの演技に伴うものでございます。

劇中はっきりと示されることはないのですが、実は土右衛門は<隠形の術>を操る妖術使いという設定です。逢州の実父を殺した犯人であり、主家の浅間家を滅ぼそうとする大悪人でもあり、そういう常人ならざるキャラクターが、この場には名残として表現されております。
もともとこの『曾我綉~』は、河竹黙阿弥が、柳亭種彦の読本『浅間嶽面影草紙』を下敷きに書き上げた狂言ですが、その『浅間嶽~』において、すでに土右衛門は妖術使いというキャラクターになっているそうです。読本特有の、伝奇的、奇想天外な趣向が、芝居にも引き継がれているのですね。

現行の台本では、幕切れ、再びドロドロで登場した土右衛門と五郎蔵の立廻りで幕となることがもっぱらですが、黙阿弥の原作を拝見しますと、立廻りの途中で三たびドロドロにて花道スッポンに消え、それに驚く五郎蔵の姿を見せて幕。その後またまたドロドロで迫り上がり、ニッタリ笑いながら悠々と<幕外の引っ込み>をみせるという演出になっております。



三番叟には珍しい音

2007年11月19日 | 芝居
『種蒔三番叟』に後見として出演させて頂いていて、下座の鳴り物が面白いなァと思いました。
中盤、三番叟と千歳による<宝船>のくだりがございます。本行(お能)にはない、歌舞伎独自の詞章ですが、ここで大太鼓の<波音>がゆったりとしたテンポで入ります。この音が入ると、それまでの<ご祝儀舞踊>とか<儀礼舞踊>というややかたい雰囲気がほぐれて、いかにも<歌舞伎>の踊りの雰囲気になると思うのです。海原を、吉祥宝財を積んだ船がゆっくりと進んでいく、そんな光景が目に浮かびます。

それから後半の<藤内次郎>のくだり。これは三番叟という役柄を離れて、嫁取りの使者藤内次郎というキャラクターになって婚礼の様を見せるのですが、使いに向うために装束を改め馬に乗って出発するまでをマイムのみで見せるといった面白い振りがございます。
馬をひき出して乗り込むところでは、<駅路(えきろ)>という鳴り物が入ります。数個の鈴をいっぺんにならすもので、街道を行き来する馬に取り付けられていた鈴の音を表したもの。
田舎の場面でよく聴く<馬子唄>でも使われる楽器ですが、これがまたなんともおおどかな趣き。おもに世話物に使われる鳴り物が三番叟ものの舞台で聞こえてくるという面白さもあり、先ほどの<波音>同様、振りの光景を助ける素晴らしい音だと思います。

素敵な曲を毎日舞台で聴くことができるのも、後見の嬉しいところです。

子歳の歌舞伎のはじまりは

2007年11月16日 | 芝居
昨日は歌舞伎座恒例の<機関祭>でございまして、歌舞伎座に携わる様々な方と楽しいひと時を過ごすことができました。楽しすぎてだいぶ夜更かし、朝はちょっと辛かったです。

さて、このほど、當る2008年歌舞伎座初春興行の演目が発表となりましたね。師匠は昼の序幕に『猩々』の猩々、『一條大蔵譚』の吉岡鬼次郎、そして夜の部では『助六由縁江戸櫻』の白酒売新兵衛実ハ曾我十郎の3役でご出演です。
『猩々』は、先年坂東流の振り付けで踊られた義太夫の『寿猩々』とは違い、長唄のものでございます。高麗屋(染五郎)さんとの、いわゆる<二人猩々>でございます。

3年連続で初春歌舞伎の開幕を寿ぐ舞踊にご出演となりました(昨年『鶴壽千歳』、本年『松竹梅 松の巻』)。弟子として携わる私も心引き締まる思いです。
なんでも<歌舞伎座120年>だそうでございます。節目の年の新たなはじまりの晴れ舞台。皆様どうぞお出まし下さい。

決着をつけない風土?

2007年11月14日 | 芝居
いよいよお芝居も大詰めとなり、主人公の颯爽とした立廻り。敵役が斬られてめでたく幕ーー
となるかと思いきや、おもむろに柝が「チョーン チョン」と入ったとたん、舞台の役者たち、演技をやめて舞台に正座。
「東西、まず今日はこれ切り」
の口上、一同平伏して幕が閉まる…。

このような、さっきまでのストーリーの決着はどうなるの? と、突っ込みを入れたくなるような演出を、時折見ることがございます。
これは<切り口上>と呼ばれる、口上の一種です。江戸時代は、興行中毎日、最終幕の幕切れに<頭取>さんが舞台に出て来てこの口上を述べたそうですが、現在では限られた演目、そして時と場合に応じてのみしかございません。
現在の公演において、あえて芝居としての決着を見せないのは、脚本通りにやると誰かが舞台上で死んでしまうことになるとか(絵面でキマる事ができなくなり役が悪くなる)、古風さを出す工夫、などの意味合いがございます。

「これ切り」というくらいですから、このあとにはお芝居は上演されません。その公演の最終幕でのみ行われる口上ですが、昼の部の切狂言では「まず昼の部は…」と言うこともございます。
また、古風な顔見世狂言の通し狂言ですと、一番目(時代物)のおわりに「東西 続く二番目(世話場のこと) 左様御覧下さりましょう」という口上もございます。

襲名や追善での口上とは違い、決まりきった文言しかいわない<切り口上>。これがいわゆる「堅苦しい言い回し、心のこもらない、突き放したような物言い」のことをさすようになり、一般でも使われるようになったわけですね。

京都に単身赴任

2007年11月13日 | 芝居
舞台にいる時間が短いせいか、日のたつのが早く感じられます。「気がつけば中日」となった歌舞伎座11月公演です。
さあ、そろそろ12月の京都南座『當ル子歳 吉例顔見世』興行の準備をいたしませんと…。
2年ぶりとなる京都の顔見世。師匠は『将軍江戸を去る』の徳川慶喜と、『寿曾我対面』の鬼王新左衛門のふた役で、昼夜の公演にご出演なさいます。
私のお役はまだわかりませんが、大好きな京都の舞台に出られるのが今から楽しみです。

今回もマンスリーマンションを借りました。前回は三条でしたが、より劇場に近い四条の物件でいいのがありました。自炊しながら、のんびり気ままな生活を送りたいものです。
『勧進帳』の富樫、『対面』の曾我五郎で、萬屋(錦之助)さんが襲名ご披露。その他『義経千本桜 鮓屋』『二人椀久』『石切梶原』『娘道成寺』『河内山』『三社祭/俄獅子』…。東西の俳優がうち揃いましての豪華演目。是非是非四条南座までお出まし下さいますよう!

我がものと思えば軽き…

2007年11月12日 | 芝居
夜の部『仮名手本忠臣蔵 九段目』は、しんしんと降り続く雪の山科が舞台。
許嫁の約束を交わした大星家を訪ね、はるばる鎌倉から東海道を下って来た戸無瀬、小浪母娘の一行は、ゆっくりゆっくりと雪道を踏みしめながら花道を進みます。
…戸無瀬は傘をさし、小浪は駕篭に乗っておりますが、それに従う2人の供侍、2人の陸尺(駕篭かき)は、一文字の笠をかぶって合羽を羽織るという姿。その肩には、うっすらと雪が積もりつつあります。

この合羽の雪、お芝居で雪を表す場合に多く使われる綿が貼付けてございますが、雪持ちの松ならぬ雪持ちの合羽、衣裳方の品ではなく、小道具の管轄に入ります。
普通の合羽でしたら、間違いなく衣裳さんが用意するところ。しかしお芝居の演出として雪を取り付けるとなりますと、それに関わる諸作業は衣裳方の領分ではなくなるわけで、担当が移るということです。合羽の仕立てから綿の取り付けまで、全ての行程を小道具方が受け持つことになります。

同じような例がやはり『忠臣蔵』の「道行旅路の花聟」にございます。幕開きに、お軽と勘平が一緒になって羽織っている合羽。あれは2人でまとえるように裄を大変長く仕立てなくてはならないのですが、これはいわば<振り>に関わることですから踊りのための小道具という扱いになり、小道具方が用意するのです。

ホント、お芝居の世界の役割分担って面白いです。


シャラリシャンシャン

2007年11月11日 | 芝居
『種蒔三番叟』の外題にもございますとおり、<三番叟もの>の諸演目では、必ず見られるのが<種蒔き>の振りです。
<鈴の段>とも申しますように、三番叟が朱の房付きの鈴を振り鳴らしながら舞台の四方をまわります。
その動きが田畑に種を蒔く姿に通じ、五穀豊穣を祈念するお目出度い所作となっております。

<種蒔き>のはじめに、三番叟が舞台中央で鈴を3度上下させながら鳴らしますが、これは1回目に7振り、2回目が5振り、3回目が3振りと、七五三の吉例になっております。
鈴自体も、錦を巻いた柄に鈴が3段に取り付けられているのですが、これも上段が3個、中段が5個、下段が7個。やはり古式吉例です。

この鈴の形そのものが稲穂をかたどっているとも伺ったことがございます。…鈴木姓に<稲穂>の家紋が多いことでもわかりますが、古来より稲と鈴の関連は深かったようですね。