梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

『研辰』稽古場だより・四

2005年04月30日 | 芝居
今日は午前十一時から、舞台上で「総ざらい」です。朝一番の稽古ということもあり、何とはなしに出演者のテンションも低め。セリフに詰まる場面もあったりして、昨日の快調さにひき比べるとどうも舞台が弾みません。
随時に照明のチェックもあり、今日は通し稽古とはなりませんでしたが、野田さんも「前半はみんな目が覚めてなかった」とのダメ出し。見抜かれてますね。後半はまあまあだったようですが、今日初めて、私に対するダメ出しがありました。私、例のお化け提灯の他に、第四場「峠の場」で、勘太郎さんが扮する平井才次郎が引っ掛かる「松の木」を演じておりまして(やはり迷彩黒衣で)、両手を広げ片足を上げたポーズで松の木を表すのですが、今日はふとした思い付きで、形をつくるまでのわずかな時間を、ぐるぐる回転してつないでみましたら、目が回ってしまいバランスがとれなくなってしまいまして、静止すべきところで止まれずに、上げた片足を落としてしまったのです。「ああ、しまった」と思っていましたが案の定指摘され、「(私は)結構細かいですよ」と、野田さん独特の目つきで見つめられ、恥ずかしくなってしまいました。
ともあれ小返しをすることもなく一時半に稽古終了。 今日は四時半から「顔寄せ」、引き続き「弥栄芝居賑」の稽古がありましたからしばしの休憩。四時には師匠梅玉の楽屋入り。実にひと月ぶりにお会いいたしました。「顔寄せ」は、今月の出演者全員が顔をそろえる大切な儀式。今月は役者だけでも二百人近いのでロビーは大混雑でした。
続く「弥栄芝居賑」、師匠梅玉、そして私のもう一つの出番です。「口上」を芝居仕立てにしたものですが、私を含め同じ役の六人は、約三十分立ち尽くしというちょっとツライ仕事。しかしながら、他の出演者は幹部俳優さんだけなのですから、一緒に出られるだけでも有り難いことでございます。
五時過ぎには終わりまして、師匠を見送り、私も今日の仕事を終えました。今日は実家にかえりました。パソコンも持ってきましたので、この文章は、横浜からお送りしております。
明日はいよいよ舞台稽古。楽しみです。

『研辰』稽古場だより・参

2005年04月29日 | 芝居
昨日は更新できず失礼をいたしました。実は昨日の歌舞伎座の舞台での稽古、六時に終わる予定だったのが、結局八時過ぎまでかかってしまい、お腹がペコペコに。後輩と銀座で食事をし、そのままその人の家に遊びにいってしまいました。今日は二日分の稽古場レポートをお届けします。
昨日は午後三時から実際の舞台上で。舞台でただの稽古を行うというのは珍しいことで、今回の芝居は装置も通常の歌舞伎とは違いますし、セリ穴が沈みっぱなしの場面もあり危険を伴いますから、出演者に確認をしてもらうためにも、また演技の流れも本番通りになる意味でも、こういう芝居には都合のいい稽古法でしょう。
すでに装置は出来上がってセット済み、その他バックの吊り幕、アトリエ・カオスの特殊小道具も全てが揃いました。
さて前日の続きから始まりましたが、思わぬアクシデントが。今回のセットは、回り舞台にスッポリ収まる大きさの、半弧状のスロープになっていて、高いところは三メートルぐらいあるのですが、このスロープを支える柱が一部曲がっていたのです。このスロープ舞台には大勢の役者が乗って動き回りますから、その衝撃は相当なもの。もし柱が折れでもしたら、役者はスロープごと転落でしょう。稽古中に気がついてよかったですが、もしこのまま上で暴れ続けていたら、と考えるとゾッとしました。急遽稽古を中断して、全ての柱の点検、補強を行いました。
かくて再開した稽古、やはり舞台でやってみるとうまく行かないところは多く見つかるもので、稽古も中断しがち。歌舞伎座の広い舞台から、さらに広い客席まで、しっかりつたわる演技を工夫します。そういうわけで稽古は延長、それでも途中で、他の芝居の稽古の都合もあり、八時過ぎに打ち切りに。考えてみればまだ一度も、「通し稽古」をしていません。まだ四日あるとはいえ、ちょっと不安に、というか、いきなり途中の場面から始めるという稽古にすこし戸惑いも。明日はどうなる? という気持ちを抱いての、銀座ご飯となりました。
今日は十一時から。やはり昨日の続きから。三時から別の芝居の稽古があるので、どう進行するかな、と思いましたが、今日は案外順調に。群集シーンもだんだんとメリハリがついて、ダメ出しも減ってきました。幕切れ、一枚の紅葉が決められた居所に散る仕掛けに、少々かかりましたが、一時半にはとりあえず終わり、休憩を挟んで、あらためて序幕から。これが結局、始めての通し稽古となりました。多少のつっかえがあっても野田さんの「続けて!」の声でノンストップ。そうなってくると自然に役者のテンションも上がってくるもので、流れに乗っていきいきしてくるから不思議です。大詰めまで終わってからのダメ出しでも「急に通し稽古にしてしまったけど、流れはとっても良くなった」との全体評。その後の個々のダメは微に入り細を穿つものでしたが、一貫しているのは、「気持ちの流れ」と「その場でハッキリさせたい言葉」を大事にする、ということ。なるほどと思うことしきりでした。
結局四時までかかってしまいましたけれど、スッキリとした形で稽古が終わりました。私は帰れる身ですが、勘三郎さんはそれから『髪結新三』の附立。すごい体力ですね。
ところで私が勤めるお化け提灯も、今日の稽古でなんとか面白い暴れ方を見つけました。また、からくり人形は亀蔵さんですが、昨日の稽古から手にしたある小道具に一同大爆笑。御期待下さいませ。
二日分の長文になってしまいました。御容赦下さい。

『研辰』稽古場だより・弐

2005年04月27日 | 芝居
今日も引き続き、すみだパークスタジオで。十一時開始で、昨日の続きの場面からです。
昨日追加となった私の出番は大詰です。初めて「役」としてこの芝居の稽古に参加することになりましたが、いやはや、観ているだけではその大変さはわからないものですね。一番「群集の力」を出さなくてはならない場面。さりとてただ騒いでいるだけではダメで、抑えるところ、発散するところをきっちりわけて、芝居の流れ、主演者のセリフにきちんと「反応」しながら芝居をしなくてはなりません。群集役がズラリと居並ぶ中で、私がいるブロックは、どうもやりすぎてしまう役者が集まってしまったようで、度々野田さんから「そこは興奮しすぎ」「アクションが大きい」とダメを頂いてしまいました。しかし盛り上がってもいいところは、皆々声を張り上げての熱演ですから、私も負けじと声を出しましたが、なんだか喉を痛めてしまいそうです。
とりあえず全場が終わり、休憩を挟んでまた最初から。今日は特殊小道具担当のアトリエ・カオスさんが、いくつかの小道具を持ってきましたので、実際に使用することに。カオスさんの小道具が活躍するのが、実は私が「迷彩黒衣」を着て仕事をする第二場「大手馬場先・殺しの場」で、勘三郎さん扮する辰次が、憎き平山市郎右衛門(三津五郎さん)に一泡吹かそうと「からくり人形」を仕掛ける場面です。この人形の動力源が「お化け提灯」。私、このお化け提灯を操っているのです。操ると申しましても、提灯は約百八十センチ。私が提灯に入り、中のベルトで体と連結し、私が飛び跳ねることで提灯が暴れるように見えるのですが、これが重たい! 初演の時もつらかったですが、今日改めて実感。とくにベルトを担いでいる肩に負担がきます。短い出番なのですけれど、跳ねながら、火が燃える仕掛けを出したり、真っ赤なベロをのぞかせたり、仕事も多いので忙しいです。そしてなにより、熱がこもって暑いこと! ですがこの提灯の飛び跳ね方が面白い!と、初演時に当時の勘九郎さんにおっしゃって頂いたのですから、今回もさらに面白いお化け提灯にしたいと思います。
主演俳優さんの都合で三時半に稽古は打ち切り。明日からは歌舞伎座の舞台にてのお稽古となります。いよいよ実寸での演技。今日までとは勝手も変わってくるでしょう。
だんだんと、芝居は固まってまいります。

『研辰』稽古場だより・壱

2005年04月26日 | 芝居
さあ今日から『研辰』の稽古です。昨日は稽古の前に向島百花園に行こうと思っておりましたが、午前中はあいにく空が曇っておりました。花の写真撮影が目当てだったので、これではいい写真が撮れなかろうと、見送りました。
結局家事全般をこなして、二時に家を出ました。そのころから天気が良くなり、もう少し早く晴れてくれたらなと思いましたが、稽古場であるすみだパークスタジオについて間もなく、一天にわかにかき曇り、突然の落雷! 雨まで降り出したのには驚きました。前線が通り過ぎたのですね。
さて三時から、まず群集の稽古。この芝居は群集の動きが大事です。基本的には初演と同じメンバーで、経験者も多いのですが、初めて出る人もおりますから、全体の流れと、居所、演技のキッカケなどの説明、確認からはじまりました。群集の登場場面は多いので、全部の打ち合わせが終わったのは五時。それから幹部俳優さんが合流し、改めて最初からのお稽古の始まりです。
再演とはいえ、四年前と変わらぬ熱気です。演出の野田秀樹さんも、「二度目だけれど、過去をなぞるのではなく、新しいものを創る気持ちで」とおっしゃっていましたが、皆さんセリフ回しにしても動きにしても、新しい工夫をこらしてらっしゃいました。可笑しみの場面では、思わず吹き出してしまうような怪演もくりだし、その場に出ていない役者達もついつい見入ってしまいます。

今日でおし「まい」

2005年04月25日 | 芝居
昨晩の同期会、終電ギリギリまで大いに楽しく過ごしました。それほど量は飲まなかったので、舞台に影響することも無く、本日無事に、千穐楽を迎えることができました。
「主なし」でしたから、師匠の荷物の片づけ等も無く、しかも来月も同じく歌舞伎座の出演ですので、自分の荷物も軽くまとめるだけですみ、楽なものでした。
振り返りますと、地震や反日デモ、そして今朝がたの尼崎の列車事故と、世間ではなにやら不穏なひと月ではございましたが、舞台は連日満員、有り難いことでございます。くだんの道成寺『舞尽くし』では、日を追って面白ネタが増えまして、お笑いのネタから「マイケル」、また「ドングリの舞」と称して、童謡「ドングリころころ」を歌いながらでんぐり返りをしたり、「マツケンサンバの舞」ではお客様の手拍子がおこったり、「今様舞とは、現代でいうところの演歌でございます」とて、氷川きよしや美空ひばりの歌を振りつきで歌いだしたり、今日などは、俗曲「山王さん」を歌いながらの「猿の舞」の最後でバク転まで飛び出しまして、これにはお客様も、そしてなにより出演者も度胆を抜かれておりました。
また『トウ尽くし』では、「宅急便ならクロネコヤマト」「通信販売ジャパネット」、すさまじいのは歌曲『ます』を歌い上げて「シューベルト!(作曲者)」、文字に表せない呪文を叫んで「御祈祷!」…。
楽屋のモニターから聞こえてくるこれらのギャグ(もうこうなったらギャグ、といっていいでしょう)に、毎日笑わされました。
さて、明日からは『野田版・研辰の討たれ』の稽古です。休む間もなく、すみだパークスタジオへ稽古に参ります。明日は三時からなので、その前に、向島百花園にでも散策に行こうと思います。
明日からはしばらく、稽古場だよりになりそうです。

飲み過ぎ注意!

2005年04月24日 | 芝居
今日は夜に飲み会がありますので、今のうちに更新いたします。歌舞伎座正面の向い側『ギンザゼットン』で、「同期会」です。
第十四期歌舞伎俳優研修生として、一緒に修行した仲間と、研修生ではないけれど、この世界に入ったのがほとんど一緒の人で、スケジュールが合った計七人が集まります。まあ普段から顔を合わせているわけですから、別に懐かしさや珍しさがあるわけでも無いのですけれど、まあなにかしらの名目で、一緒に飲みたいだけなのですね。
『ゼットン』はなかなか店内もしゃれてますし、食事も美味しいです。名古屋が本店だそうで(その旨の書き込みを頂きました)、道理できしめんや、八丁みそ、手羽先などが食材に使われているはずですね。地下がバー、一階がスタンドバー、ニ~四階がダインニングです。
昔食べた「ジェノバうどん」は美味しかったですが、まだあるのかな。
平日は予約が無いと危ないですが、皆様是非一度いらしてみてください。

嫌煙ではないけれど

2005年04月23日 | 芝居
改築はいつ実現するかはわかりませんが、楽屋内ではつい最近、大きな変化がありました。実は我々の「大部屋」が禁煙になったのです。
そもそものキッカケは「ぼや騒ぎ」でした。夜の部終演後、清掃員さんが楽屋内を清掃して回るのですが、その時、大部屋の前の廊下に置いてある大きなゴミ箱から、煙が出ていたのが発見されたのです。調べてみると消えきらないタバコの吸い殻が見つかりました。幸い大事には至りませんでしたが、そもそも、このゴミ箱の横には水を張ったタバコの吸い殻入れがあるのです。ということは、最初からゴミ箱に吸い殻を捨てた不届き者がいたのか、各自の化粧前の、自前の灰皿にたまった吸い殻を処分する時(これは新人が楽屋の掃除をするときの仕事なのですが)、誤ってゴミ箱に捨てられてしまったのか。真相は解りませんが、とにもかくにも、これは各自の、火の元への無責任さに要因あり、ということで、大部屋内での喫煙は一切禁止、タバコは吸い殻入れがある廊下の一ケ所のみ!ということになったのです。
私はタバコはたしなみませんからとくに不便は感じませんが、喫煙家は困っていますね。わざわざ部屋を出て、座るところも無い廊下で吸わされる。出番が終わってからの、楽屋の一服が楽しみだった人もいるでしょう。暇な時間をテレビとタバコで過ごしていた人もいるでしょう、しかしもういけません。「ホタル族」ではありませんが、なんだか追いやられた感じで、みなさん不承不承、廊下にたむろしております。
おかげで楽屋の空気は綺麗になりましたけど……。

よりよき職場へ

2005年04月22日 | 芝居
一部の新聞に、「歌舞伎座改築」の記事が出たそうですね。現在の歌舞伎座は、一九五〇年に完成しましたが、すでに五十余年が経ち、舞台も楽屋も、だいぶ老朽化してきています。その古さ加減が、いかにも「歌舞伎の小屋」の雰囲気をかもし出しているとも言えましょうが、いざその中で働く身になってみると、なかなか不便なところも多いのです。
まして歌舞伎座よりあとに出来た大阪松竹座、九州博多座などの、現代建築によるビルの中の劇場の、使い勝手の良さと比べてしまうとなおさらです。
三階建ての楽屋棟は、エレベーターがないために、年輩の役者、あるいは膝痛に苦しむ役者には、階段の昇り降りが苦痛ですし、部屋の中以外の、芝居の荷物を置く場所が少ない。また洗面台が少ないので顔を洗うのに行列ができてしまうし、さらに驚くべきことには「女子トイレ」が無い!歌舞伎の世界に女性が携わることが無かった時代の名残りが、こんなところに見られるわけですが、今は衣裳さん、床山さん、付人さんに沢山の女性が働いております。その人たちの不便さといったらないでしょう。さらには永年の埃、汚れの堆積による空気の悪さ。業者の測定によると、実に高速道路のすぐ横と同じくらいの汚染度なのだそうです。そんな環境で、ほぼ一日を過ごすのですよ…。

初めて観るなら?

2005年04月21日 | 芝居
三月二十八日の記事『今日は浅草演芸ホールへ』に、今月の十三日に<遊び人>様からの書き込みがありました。今日まで気がつかず、お返事が出来ませんでしたが、書き込まれた内容が、「これから歌舞伎を観てみようと思うけれど、初心者が観るのにふさわしい演目は何か」という御質問でしたので、今日はこの場で、お答えいたしたいと思います。
初めて観る人にも楽しめるお芝居。なかなか一概にはいえませんが、私の考えでは、まずは「世話物」が良いかと思います。歌舞伎の演目には、「芝居」と「所作事(踊り)」の二種類がまずあり、「芝居」も、その内容によって「時代物」「世話物」「新歌舞伎」と大別できます。
このうち「時代物」は、江戸時代より前の時代の、歴史的事件、伝説などを描いたもので、大化の改新、源平合戦、太閤記などを題材とし、主に武将、公達が登場人物となります。
一方「世話物」は、そうした歴史的事件ではなく、一般庶民の恋愛、義理人情、あるいは殺人などを描いたもので、舞台も長家だったり、農家だったり、あるいは油屋とか呉服屋とかの商家だったり、まあ江戸時代のホームドラマといったものです。
そこで何故「世話物」をすすめるかというと、なんといっても「セリフがわかりやすい」。「時代物」はそのセリフの中に、漢語やら故事やらの、予備知識がないと理解できないような単語がよく出てきまして、まるで古文のような言い回しなのです。さらに「時代物」には、ナレーション役といえる「義太夫節」という浄瑠璃が演奏され、これがセリフに輪をかけて難解な文章ときていますから、聞いていて芝居の筋がわからない、なんて事態もおこりうるのです。
その点「世話物」には、そういった難解な言葉はまず出てきませんし、「義太夫節」もほとんど入りません。どちらかというと落語に近いような、ぽんぽんとしたセリフのやりとりが、容易に理解できると思います。
それから「内容がわかりやすい」。「時代物」には、船頭だと思っていたのが実は源氏の大将だった、とか、鮨屋の召し使いが平家の公達だった、とかいうびっくりするようなどんでん返し、あるいは主人の為にわが子を殺す、自分の血を飲ませて病気を治す(!)なんていう、現代の常識ではなかなかうけいれられない展開がしょっちゅうでてきます。これが「歌舞伎ってわかりにくい」という原因にもなっているのでしょうが、「世話物」にはそういうあまりにも絵空事な出来事はおこりません。少年と少女の悲恋とか、行き別れた親子、あるいは恋人の偶然の再会、大泥棒の痛快な活躍…。そこには庶民の喜怒哀楽が、多少の誇張はありますが、存分に描かれております。
そして「上演時間が比較的短い」。だいたい一時間前後で終わるものが多いですから、気楽に見ることができると思います。
長々書いてしまいましたが、そんな「世話物」の演目から、いくつかお薦めするとすれば、今月上演している『与話情浮名横櫛』、来月上演の『髪結新三』、あるいは『魚屋宗五郎』など、面白いと思います。
そういったものを観てゆくうちに、歌舞伎のセリフ回しに慣れるはずです。そうなると、時代物も楽しめてくると思いますし、さらにはセリフがほとんどない「所作事」でも、伴奏の浄瑠璃や長唄の歌詞も聞き取れ、面白くなってくるでしょう。
さて、みなさまのお薦めはなんですか?

『野田歌舞伎』に参加して

2005年04月20日 | 芝居
さて、いよいよ再演となる『野田版・研辰の討たれ』。その初演(平成十二年八月)にメンバーとして加わることができたことは大変有り難いことでした。
というのも、実は私は野田さんのお芝居(夢の遊眠社やNODA・MAP)の大ファンなのです。そのことを知っていらっしゃったとある幹部俳優さんに、「今度の八月は野田さんが書くよ」と教えて頂いたときは、何がなんでも出演させて頂きたいと思いましたが、ちょうど八月は師匠梅玉のお休みの月。スケジュール的にも無理がないので、師匠にお願いして、「主なし」として八月大歌舞伎に出られることになったのです。
『研辰』の稽古は、普段の稽古場ではなく、歌舞伎座の舞台と同じ広さをもったスタジオで行われました。すでにおおまかな舞台装置も出来ており、実際の舞台を想定しながら、ほぼ本番通りの演技ができました。ここのところなど、いかにも新劇のお稽古ですね。
稽古は実に熱気を帯びた、刺激的な、そして楽しいものでした。野田さんの演出は、大勢の群集を使ってダイナミックな動きと盛り上がりを作る大胆さ、そして反対に、セリフの細かいニュアンスや、間、気持ちの動きにもこだわる繊細さがあわさっており、主役も脇役もない、役者全員が作品を輝かすために一生懸命になれる、そういう雰囲気に満ちておりました。
役者の方でもどんどんアイディアを出してゆきます。野田さんを唸らせる名案から、稽古場中の笑いをとったものの、「テーマに合わない」から切り捨てられた迷案まで。主役の方々だけではありません、我々も、どんどん提案してゆけるのです。
演技、音楽、衣裳等、すべてが一から作られてゆくという体験は、本当に面白く、得難いものでした。
結果として大好評となり、それが今回の再演につながったわけですが、今度の『研辰』も、四年前の稽古場での熱気、感動を思い出し、舞台を勤めたいと思います。

さて来月は

2005年04月19日 | 芝居
「四月大歌舞伎」も残すところ一週間となりました。久しぶりの女形とも、もうすぐお別れです。
来月も歌舞伎座出演です。十八代目中村勘三郎丈の襲名興行も、東京ではファイナルとなります。
この公演では、昼の部三演目めの『弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)』に、「猿若座の出方」役で、そして夜の部の最後『野田版・研辰の討たれ』に「迷彩黒衣」役で出演することに決まりました。『弥栄~』の「出方」というのは当時の劇場従業員のことで、この一幕は、猿若座という劇場の前で、幹部俳優さんが扮する男伊達、女伊達が勢ぞろいし、新勘三郎丈へお祝いの言葉を述べる、口上代わりのセレモニー芝居です。
そして『野田版~』の黒衣。ただの黒衣ではございません。「黒は無を表す」が歌舞伎の常識なら、それを現代へ転換すれば「迷彩色」!まるで兵隊のような柄を身にまとい、いろいろな仕事をするのです。
この「迷彩黒衣」役(役、というのも変な気もしますが)、じつは平成十二年の初演でも勤めさせて頂きました。その当初から、当時の勘九郎丈は「この芝居は勘三郎襲名できっと再演するからそのときは初演のメンバーでやりたい」とおっしゃっておりました。今回その言葉通り、ほとんどのキャストが初演と同じ。私もその中に加わることができました。
このお芝居にはいろいろ思い出がございます。また改めて、お話させて頂きます。

自然派志向?

2005年04月18日 | 芝居
さて、昨日もふれましたが、風邪が早く治った原因(あくまで推測)ですが、昨年末より始めた「ハーブティー」にあるのではないかと思っております。
既述の通り風邪をひきやすく、喉も弱い私。今まではちょっとしんどいとすぐ薬に頼っておりました。しかしながら、これではかえって体には良くないのではないか、なにか体に優しい治療法、予防法がないかといろいろ探しておりましたところ、風邪に良く効くハーブがあるという話を聞き、まずはハーブティーを楽しむための解説書を買い求めて読んでみると、風邪、喉あれはもとより、かねがね悩まされている不眠や花粉症、慢性疲労など、私の症状にバッチリ効くハーブが多数紹介されておりました。お茶で飲むぶんには、副作用もまずおこらず、ノンカフェインで刺激が少ない。なにより薬ではないから分量、回数を気にせず楽しめる。これは面白そうだと、専門店で数種類のハーブを買い求めたのがはじまりです。
乾燥させ細かくした「ドライハーブ」を量り売りで買い、ティーバッグに詰めてからいれるのですが、ブレンドも可能です。それぞれの風味や効能を見て、オリジナルのブレンドティーを楽しむ。なんだか優雅な、落ち着いた気持ちになります。
もう四ヶ月めですが、確かに喉の調子が良い。寝つきの悪い晩も減ってきましたし、そういえば、インフルエンザにこそかかってしまいましたが、熱の下がりも早かったような。そして今回の発熱も、薬も飲まずに一晩で平熱に戻りましたしね…。
皆様も是非一度お試し下さいませ。風邪にはエキナセア、喉にはリコリス、不眠症にはパッションフラワーがいいですよ。

苦しみながら

2005年04月17日 | 芝居
昨日は朝方から急に発熱しまして、体中も痛みだしてしまい大変でした。実家に帰って家族の世話になりましたので、更新できませんでした。
体調が悪いときの舞台ほど、つらいものはございません。短い出番ならまだしも、じっとしていたり、あるいは立ち回りやトンボを返るときなどはなおさらです。私は風邪をひきやすい体質でして、年に三、四回は苦しみます。まず喉にきて、それから高熱と節々の痛み。お腹にくることはありません。風邪ぐらいでは舞台は休めませんから、薬で抑えて、勤めるわけですけれど、出番の前まで、「舞台で倒れたら…」と心配になります。
今まででつらかった「風邪をひいての役」といえば、まず『車引』の仕丁役。二十分ちかく立ちっぱなし、さらに大声で「アーリャ、コーリャ」という「化粧声」を出さなくてはならず、途中で本当に気を失いそうになりました。
次は『金閣寺』の捕手役。このときは節の痛みが大変ひどく、その状態で織物の重い衣裳を着ての立ち回り、挙げ句にトンボを返ってすぐ三点倒立。失敗するのではないかとそればかり気にしていましたが、なんとか無事に終わりました。
そしてこれは今年の二月のことですが、『傾城阿波鳴門』の尼役と、『棒しばり』の大名役と言う大役をひと月勉強させて頂いたとき。おりからの流行に乗って(?)、インフルエンザにかかってしまいまして、このときは声がでなくなってしまい、勤めている役が役だけに(二役でセリフが約百!)、お客様に申し訳がなく、辛い思いをいたしました。
普通の風邪にしろ、インフルエンザにしろ、かかってしまったら、安静にするしかないのですね。むしろ普段からの「風邪をひかない体作り」が大事だなと、つくづく思います。
ところで昨日からの風邪ですが、今朝は平熱に戻りました。まだ体はすこししんどいですが、予想以上に治りが早く、驚いています。これには実は、とある理由があると思っておりますが、それはまた、明日お話しましょうか。

礼に始まり…

2005年04月15日 | 芝居
前回は「楽屋風呂」のしきたりについて書きましたが、今日は楽屋内、そして役を演じる上でのしきたりについてお話しましょう。
まず楽屋の中は、どんなに遅い時間でも、初めて会う人には「お早うございます」と挨拶します。先輩後輩の区別はありません。衣裳を着るときは、担当してくれる衣裳さんに、着る前に「お願いいたします」、着終わったら「有難うございました」。また、女形さんの中では、同じ場面で大勢出るときなど、着終わった時点で、まだ着ていない人たちへ「お先でございました」とも申します。
カツラをかぶるときもやはり「お願いいたします」「有難うございました」。舞台へ行く前には、共演者に「お願いいたします」といって楽屋を出て、終わったあとは「有難うございました」といって楽屋に戻ります。カツラをはずすときも「有難うございました」、衣裳は自分で脱げて畳めるときは何も言いませんが、女形の衣裳など衣裳さんが畳んでくれるときはやはり「有難うございました」です。
お風呂のことは前回通り、仕事が終われば、「お疲れ様でした」か「お先に失礼します」といって楽屋を出ます。
楽屋内では挨拶が一日中飛び交っています。この挨拶がちゃんとできることが、まずは役者の修行の始まりなのです。

舞台の後は

2005年04月14日 | 芝居
長時間であれ、一瞬であれ、出番が終わって楽屋へ戻り、衣裳を脱いで化粧を落とせば、仕事終了!となるわけですが、汗をかいたとき、手足や襟足など、洗面台では洗いきれない部分まで白粉を塗っているとき、まさかそのままでは帰れませんから、「楽屋風呂」に入ります。
三階まである楽屋棟には、一階に、大幹部俳優さん用の風呂が大、小ニ室、二階に幹部俳優と名題、名題下俳優用の風呂が一室あります。我々が利用する二階の風呂は、約六畳の浴室に、脱衣場がついたもので、浴室には家庭用のものよりやや大きく深めの浴槽が二つ、シャワーが二つございます。
ここに、最大で八人くらいがいっぺんに入ることになるのですが、楽屋風呂は、あくまで化粧を落とすところとされ、浴槽はお湯を汲むところ、浴槽に入ることは遠慮するもの、となっています。ただし、混み合っていないときなどは、さっと体を温めるくらいに、浸かることもございます。また化粧を落とすといっても、顔の部分は、風呂に行く前にある程度落としてゆくのが礼儀とされています。
礼儀と言えば、浴室に入る際には、先に入っている人に対しては、先輩後輩関係なく「お疲れ様でした」と言ってから入り、逆に出るときには「お先に失礼します」や「御免下さい」といって上がるというのも、必ず守らなくてはならないことです。また脱衣場の入り口で、履物を脱ぐわけですが、もし履物が脱ぎ散らかしてあったら、そろえて並べておく、という気配りも必要です。
また、一日のうち、風呂に入る時間は、ひと月必ず同じにしなくてはいけない、という決まりがあります。例えば「道成寺」が終わったら入ることにしたら、二十五日、そのキッカケで行かねばなりません。これは皆が好き勝手な時間に入ると、混雑を生じてしまうからなのでしょう。どうしても、いつもと違う時間になってしまったときは、「新狂言(いつもと違うこと、という意味)です。ごめんなさい」などと、断わらなくてはなりません。
なんだか窮屈なように思われるかもしれませんが、風呂場でのお喋りも楽しいですし、一人になったときなど、家よりもはるかに広いのですから、銭湯気分でのんびり湯舟に浸かっちゃったりします(誰もいないからですよ)。