梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

顔見世月稽古場便り・終

2005年10月31日 | 芝居
いよいよ明日の初日を控え、『鞍馬山誉鷹』と『大経師昔暦』が<初日通り舞台稽古>でした。
午後四時過ぎからの『鞍馬山誉鷹』は、昨日のうちに立ち回りを幾度もお稽古いたしましたので、今日は事前に合わせることもなく、全て本番通りの流れで進行しました。とりたてて問題もなく終了しましたが、実際にトンボを返るだんになりますと、我々同士のイキを合わせることが大変必要になるのですが、今回の立ち回りでは一度に八人とか十人という大人数での<総返り>がほとんどですので、なかなか全員がぴたっと揃うようにするのは大変です。とくに今日はお互いが間をさぐり合ってしまう箇所がみられまして、これは明日から改善してゆかねばなりません。
そうでなくても、我々カラミ全員が動きを“合わせる”ことは本当に重要なことで、ひとり勝手な動きや形をしていては、調和を乱して立ち回りを台なしにしかねません。左右で、前後で、お互いを見合って、揃えて、みんなで一つのものを作り上げてゆくという気持ちが必要なのだと思います。かくいう私もこれまでこういうことに全く無自覚で、振り返れば色々な方々に御迷惑をおかけしてしまいました。せめてこれからは、“全体の中の一人”としての意識を持って、皆さんの足を引っ張らないように勉強させて頂きたいと思います!

久しぶりのトンボも無事勤められ、ホッといたしましたが、続きましては『大経師昔暦』です。『鞍馬山誉鷹』との間に、別の芝居の舞台稽古が入ったので、始まりは午後七時少し前でした。こちらは京都の暦屋を舞台とした<世話物>でございますので、商家の店先の雰囲気を出すための<出道具>という備え付けの小道具類(タバコ盆、硯箱、炬燵、帳面、荷物などなど…)が沢山並べられ、それが演技にも密接にかかわってまいります。それらの<出道具>を確認したり、舞台装置にあわせた演技の段取りなどをつけてからの本番となりました。始まってしまえばスムーズに進行、本番の予定上演時間とほぼ同じ時間で幕となりました。
今日は六演目の舞台稽古でしたので、稽古がおして夜中になってしまうかな…とも思ったのですが、予想以上にトントンと進んで、八時に終わることができたのは、とても有り難かったです。

さあ、もうこれからは本番しかございません。<軍兵>と<楓四天>、様々な注意点を忘れずに、久しぶりの歌舞伎座の舞台を、恥ずかしくないように勤めたいと存じます。

今日は<名題下部屋>の着物掛けを。浴衣あり単衣あり袷あり、柄も様々です。

顔見世月稽古場便り・参

2005年10月30日 | 芝居
今日は『熊谷陣屋』が<初日通り舞台稽古>、引き続いて『鞍馬山誉鷹』が<舞台にて総ざらい>でした。『熊谷陣屋』の前に、三演目のお稽古が入っておりましたので、何時くらいから『熊谷陣屋』が始まるかと思っておりましたが、三時半頃となりました。…私は、すぐ上の兄弟子と二人で<軍兵>に出演しておりますので、師匠梅玉の用事は他の兄弟子、弟弟子の皆さんにお願いして、自分達の役に専念させて頂いております。
舞台では、師匠が演じます源義経が登場しますと、兄弟子の軍兵が<敷き皮>という、身分の高い人が座る場所に敷く熊皮の敷き物を敷いて、そこに私が<陣床几>を設置して、座って頂くのですが、<敷き皮><陣床几>ともに、ここぞといういい居所に設置しなくてはなりません。毎日毎日違う場所、というのではいけませんので、気を遣うものです。今日はお稽古なので、舞台上で師匠に伺いながら場所を決めました。あとはこの居所を覚えて、ひと月必ずそこに設置するように注意するわけです。どんなお芝居でも、モノを置く場所、自分が立つ場所は、常に一定に保たれなければいけませんので、そこがなかなか難しいところでございます。

『熊谷陣屋』の舞台稽古は順調に終わり、舞台は『鞍馬山誉鷹』へと道具転換。三十分ほどで一面の紅葉に包まれた鞍馬山へ変わります。大道具がおさまったところで、まず立ち回りのみの稽古。鷹之資さん抜きで、我々の段取りをつけるところから始まりました。…さあ実際の舞台に立ってみると、長唄さん、お囃子さんが上手下手に居並ぶなかで、なかなか今までのお稽古の通りには動けないところがいくつか出てまいりまして、並び方を変えたり、あるいはパートごとに出る人数を減らしたり。変更が多々ありました。一通り変更が済んだところで、鷹之資さんが入り、演奏も加わって再び稽古。鷹之資さんは手順を完璧に覚えていらっしゃいますが、いくつか我々の方で動きをリードする部分がありますので、その辺りの段取りもしっかりとつけておきました。
そうした上での通し稽古となりましたので、全てが終わりましたのが七時ごろでしたでしょうか。

…『鞍馬山誉鷹』、なかなか大規模な立ち回りとなりました。なにしろ出ている人数が十八人ですからね! これは相当多い部類に入ります。私、こういう大きな立ち回り、しかも一から作り上げてゆくものに参加させて頂くのは初めてでして、お稽古の段階から、いろいろと勉強になることばかりでございました。具体的なことはまたおいおいお話させて頂くとしまして、まずは明日の舞台稽古を成功させるよう、共演者の皆さんとイキを合わせて、まとまりのある立ち回りにできますよう、未熟ながらも努力してまいりたいと思います。
巡業以来、久々のトンボも返ります! 怪我には十分注意して頑張りましょう!

…今日の写真は今月の私の<化粧前>を。おや?鏡に映っているのは誰でしょう?(ヒント・私の同期です)

顔見世月稽古場便り・弐

2005年10月29日 | 芝居
本日のお稽古は『大経師昔暦』『熊谷陣屋』が<総ざらい>で、『鞍馬山誉鷹』がもう一度<附立>でございました(私、師匠が出演する演目についてのコトです)。十二時半からまず高麗屋(染五郎)さん主演の『息子』のお稽古があり、引き続いて『大経師~』となる予定でしたが、稽古に入る前に舞台上での『大経師~』の<道具調べ>が入りまして、これは実際に組み立てた舞台装置を、役者さん、狂言作者さん、時には演出家の立ち会いのもとチェックし、演技する上で不都合な点、あるいは大道具そのものの仕上がりに対するダメ出しをするものです。今日の<道具調べ>では、幕切れ近く、蔵の白壁に、はからずも不義をはたらいてしまった茂兵衛とおさんの影法師が映る場面があるのですが、この蔵の位置をどうするかというのが問題となりました。どの客席からも、影が見えるようにしなくてはならないのですが、回り舞台を使っての転換に合わせて後から押し出すものなので、他の装置との兼ね合いもあり、とりあえずの決定を見るまでに、案外の時間がかかりました。明後日の<舞台稽古>で、また変更があるかもしれません。

引き続く『熊谷陣屋』、またも痺れとの戦いです! 幕切れにしっかりと立ち上がれるかどうかばかりが心配で、決して睡魔が襲ってこないのは、不幸中の幸いでしょうか? それにしても、お稽古場では、熊谷、相模、弥陀六、そして師匠の義経といった重要な役々の演技を間近で見られたのが、ものすごく新鮮な体験でした。息遣いを感じられるまでのところには、普段はまず近付けませんから、役得! と思う一方で、緊張というか、張り詰めたものも感じました。舞台にいってしまえば、だいぶ距離は遠のいてしまうのですけれどね。

さて午後五時半からは<顔寄せ>です。顔寄せでは、その公演で初舞台、襲名、あるいは名題昇進など、もろもろの<披露>をなさる方がいらっしゃる場合は、緋毛氈を敷いた別席に座って、出演者一同に披露されるしきたりがございますが、当月は御承知の通り、初代中村鷹之資さんのご披露ですので、紋付袴をお召しになった鷹之資さんの御挨拶がございまして、さかんな拍手を受けておられました。

さてその披露演目の『鞍馬山~』、今日は稽古にかかる前に我々だけでの稽古をいたしまして、若干役割分担に変更がありましたものの、全体のまとまりはとてもよくなりまして、鷹之資さんとも問題なく合わせることができました。しかしながら、これが舞台に場所を移すと、また勝手が変わるものでして、ゆめゆめ油断はなりません。明日の<総ざらい>は舞台で行うのですが、まず先に、立ち回り部分のみを一回いたすこととなりました。

今日の写真は『鞍馬山~』で私達<楓四天>が着る衣裳です。白地に青葉の楓が散らされておりますね。新規に誂えたものだそうでございます。


顔見世月稽古場便り・壱

2005年10月28日 | 芝居
今日から歌舞伎座十一月公演『吉例顔見世大歌舞伎』のお稽古です。
私は、昼の部二演目めの『熊谷陣屋』に<軍兵>役で、そして夜の部二演目めの『鞍馬山誉鷹』に<楓四天>役で出演することになりました。今日のお稽古は、まず午前十一時からの<楓四天>の立ち回り稽古から始まりました。
以前にも申しました通り、『鞍馬山~』は、天王寺屋(富十郎)さんの御子息、大さんが、初代中村鷹之資(たかのすけ)となられるお披露目の新作演目で、鷹之資さんが演じられる牛若丸と、私をはじめ総勢十八人の<楓四天>との華やかな立ち回りが見せ場となるものです。舞台が紅葉色増す秋の鞍馬山ですので、いわゆるカラミである私達の扮装も、普段なら桜模様の<花四天>なのでしょうが、今回は楓をデザインした衣裳となるそうで、役名も変わるというわけです(歌舞伎では他に黒四天、鱗四天、蜘蛛四天などがございますね)。
新作ですので、当然立ち回りの手順も一から作り上げてゆくわけですが、<立師>という立場の役者さんが考案するということも、以前お話いたしました。今日ははじめてそろった<楓四天>役の人々に、<立師>が手順を説明しながら、誰がどこをやるのか、分担、割り振りを決めてゆくという作業がメインとなりました。大勢が出る立ち回りですので、人数を使って色々な形を描いたり、派手な動きを見せたりと、鷹之資さんの晴れの舞台を盛り上げるような、面白い手順がつきましたが、私達出演者は、いくつかのパートに分かれているこの立ち回りの、全体の流れを把握すること、自分の手順(単に<手>ということがほとんどですが)、出るキッカケを間違えないように気をつけるのが大切となります。何度も申しますが大人数ですので、入れ替わり立ち代わり、出たり入ったりすることが多くなります。舞台上での混乱を避けるために、いわゆる<交通整理>にだいぶ時間がかかりました。
本番では五分から十分くらいとなる立ち回りのお稽古に、約一時間。これは全く新しい立ち回り、しかも大人数のものを作っているわけですから当然かかる時間です。もちろん、なんべんも繰り返してお稽古したことはいうまでもございません。

さて立ち回り稽古終了後はしばらくあき時間となりましたが、午後四時からは『鞍馬山~』の<附立>。師匠梅玉をはじめ、京屋(雀右衛門)さん、天王寺屋さん、播磨屋(吉右衛門)さん、松嶋屋(仁左衛門)さん、そして鷹之資さんが揃います。なにしろ新作ですので、各役の動き、段取りを決めながら、あるいはセリフのカット、変更をしながらのお稽古となりましたが、立ち回り部分につきましては、あらかじめお伝えしておりました手順を、鷹之資さんがしっかりと覚えていらしたので、とてもスムーズに運びました。それにしても、十八人を相手にお一人で奮戦するわけで、覚える手数も膨大なのですから大変だと思います。
お稽古終了後も、鷹之資さんとあらためて立ち回り部分を二度ほど合わせ、さらに手順を固めます。細かい部分もだんだんとまとまってまりました。

続いては『熊谷陣屋』の<附立>。このお芝居で私がさせていただきます<軍兵>は、師匠の演じます源義経が舞台上で座る<陣床几>を差し出し、義経の後ろにじっと座って控えるという仕事です。はじめて演じるお役なのですが、何分くらい座ってるんでしょうかね~。あぐらなのですが、だんだんと痺れがきてしまいまして困ります! 最後は立ち上がって引っ込まなくてはいけないので、不様な姿をさらさないよう十分注意いたします。
さらに続く『大経師昔暦』の<附立>は、師匠の演目で、私は出演いたしませんが、本番では<黒衣>を着て控えることになるので、よくお稽古を拝見し、舞台裏での用事、仕事の確認をいたしました。

今日のお稽古終了は七時過ぎでしたでしょうか。仲間と以前のホルモンダイニング『鳴尾』で食事してから帰りました。
…六月以来、久しぶりの歌舞伎座です。やっぱりこの劇場には独特の雰囲気がございますね。今月も、楽しく、真面目にお仕事ができればと思います。
そんなわけで、今日の写真はまだ荷物も入らない「名題下部屋」の一角です。

結局は

2005年10月27日 | 芝居
さて、どう過ごそうか迷った本日のお休みは、たっぷりの睡眠としっかりとしたお掃除で、半日を費やしました。午後三時過ぎの只今、綺麗になった(いつまでかはわかりませんが)部屋でのんびりと過ごしております。

昨日書き残したことがございましたので補足させて下さいませ。九月三十日の記事への、おかあヤン様からの御質問で「千穐楽には千穐楽用の鳴り物があるのか」というのがございまして、それに対して私は「千穐楽には、一日の公演終了時に演奏する<打ち出し>がいつもと変わる」お答えしました。ただ、具体的におこたえするには当方の知識不足のため、詳しくは保留とさせて頂いておりました。
昨日はちょうど千穐楽。これを機会に、鳴り物さんにお話を伺わせて頂きましたので、ここで改めて御説明いたします。
通常の<打ち出し>は初日から千穐楽の前日まで、一日の公演が全て終わった時点で演奏されるもので、最終幕が閉まり、狂言作者さんによる<止め柝>がチョン、と入ったところで、大太鼓のみで、「ドロドロドロ…」と細かく打つことからはじまる演奏となり、これに狂言作者による「チョンチョンチョンチョン…」と細かく連打する柝の音<刻み>が入り、最後に大太鼓の縁を「カラカラカラ…カランッ」と鳴らして終了するのです。このカラカラは、江戸時代の芝居小屋の観客入り口『鼠木戸』を閉める音を表現しているそうで、閉めるということは明日また開ける、つまり以前申し上げました「明日も公演がありますよ」というメッセージになるわけです。
そこで千穐楽用の<打ち出し>ですが、打ち方に大きな変化はないのですが、まず柝のほうで、<止め柝>が入ってからの<刻み>に、千穐楽までは打ち終わりに改めて「…チョン!」と大きく打って終わりとする<あげ>を入れるのですが、千穐楽では<あげ>ることをせず、<刻み>っぱなしで終わります。そして、大太鼓のほうでは、縁を「カラカラ」と叩くことをいたしません。このことで、次の興行までお芝居はお休みです、ということになるわけですね。
おかあヤン様、こんなものでいかがでしょうか?

ちなみに歌舞伎の世界に<舞台稽古>というものが定着したのは明治末から大正にかけてなんですね。調べてみますと、江戸時代ではほとんどが<総ざらい>までで、舞台で稽古をするというのは、玄人にとっては恥、とまでいわれていたそうです。それが、さきほどの明治末年に、帝国劇場が開場してから、劇場の方針として(いわゆる西洋演劇尊重の風潮の影響でしょう)、<舞台稽古>を原則としてから、だんだんと定着してきたのだそうです。比較的新しい習慣、と申せましょう。

さて、このあと午後六時からは、国立劇場で、<稚魚の会><歌舞伎会>の集まりがございまして、早くも来年度の勉強会への会議がもたれます。私も出席いたしますが、大劇場公演を成功させたうえでの、次なる舞台をさらによきものにできるよう、色々と話し合うことになるでしょう。

出かけるまで、今しばらくの休息を味わいましょう。

二つの劇場『千穐楽』

2005年10月26日 | 芝居
本日、無事に国立劇場公演を終えることができました。今日まで御来場下さった皆様、どうも有難うございました。
様々な仕掛け、見せ場を用意しての通し狂言、いかがだったでしょう? これまであえて書かなかったのですが、大詰の幕切れ、石段をセリ下げると、背景の<黒幕>が上がって<ホリゾント>だけとなり、そこには大空と雲、やがて巨大な満月が映し出され、非常に抽象的な光景を背にしての、天王寺屋(富十郎)さんと師匠梅玉の両花道の引っ込み。それに合わせて舞台上で演奏する三味線の合方<送り三重(さんじゅう)>も、今回は左右に一人ずつという新工夫で、さらには聲明の声(録音ですが)をかぶせるという全く新しい幕切れとなりました。客席からは、どう見えましたか?

国立劇場の歌舞伎公演では、毎回出演者、スタッフを対象に『国立劇場賞』の選考がございまして、今月は、奴音平、実は物かはの蔵人満定・崇徳院の二役を演じられた音羽屋(松緑)さんが「優秀賞」を、千束姫実は高倉宮以仁王を演じられた萬屋(梅枝)さんが「奨励賞」を受賞されまして、公演終了後の授賞式で賞状の授与がございました。式後は出演者、関係者全員で<一本締め(もう間違えません!)>をし、公演の無事終了をお祝しました。
それからは、師匠の楽屋で一門そろいましての「おめでとうございます」の御挨拶、そして撤収作業。三十分ほどで片付きました。荷物は師匠の物も我々弟子達の物もみなまとめて、運送屋さんが次なる出演劇場、歌舞伎座へ運んで下さいました。

荷物と一緒に私も、というわけではございませんが、折角早くに作業がすんだので、やはり本日千穐楽の歌舞伎座の最終演目『心中天網島 河庄』を拝見に伺いました。このお芝居は、今年暮に“坂田藤十郎”を御襲名なさる成駒屋(鴈治郎)さんの、“鴈治郎”のお名前での最後の演目となるわけですが、とりわけ今日は、本当に最後の最後の日。その舞台を幸運にも拝見できましたのは有り難いことでございます。大向こうさんの掛け声もさかんに掛かって盛り上がりましたが、『河庄』の幕が閉まってから、成駒屋さんの御挨拶が特別にございました。『河庄』の舞台装置も、治兵衛の扮装もそのままの成駒屋さんお一人による御挨拶でして、今日の日を迎えた感慨と、襲名への決意をおっしゃられ、客席からはさかんな拍手と声援がかけられておりました。こういう場面に居合わすことができて、嬉しゅうございます。

さて、今月も無事終わり、明日はお休みです! ゆっくり身体を休めようか、それとも欲張ってお芝居、高座へ足を運ぶか、朝の気分で決めましょう!

そしてとうとう画像を掲載する方法をマスターしました! まずは千穐楽にはつきものの『大入袋』を公開します! これからも、著作権、肖像権に触れないものを、折々にお見せしたいと思いますのでよろしくお願いします。

稽古場だよりは、明後日からになります。

TVの中の自分

2005年10月25日 | 芝居
四日間の『既成者研修』も今日で終了。皆で協力したかいあって振りもしっかり覚えることができまして、藤間弘師からも、「(参加者全員が)これだけできれば、お稽古に来た甲斐がありました」とおっしゃって頂き、まずは意義ある研修となり一同ホッといたした次第です。

また本日は、NHKの舞台収録が全幕にわたってございました。いずれ放映されることと思いますので、ご覧いただけなかった方、御期待下さいませ。…NHK教育、あるいはBS第二、そして最近では<歌舞伎チャンネル>と、様々なところで、歌舞伎の舞台を放映して頂けますのは、東京から遠い地域にお住まいの方にとっては、歌舞伎を観るための貴重な機会となっていることでしょう。私も二年間の関西生活では、いつTVで歌舞伎が見られるか、待ち遠しかったものです。
歌舞伎俳優になった現在では、自分が出演している映像が世の中に流れるという(オーバーな書き方ですね)こともしばしばでして、とりわけ<歌舞伎チャンネル>では、毎月一本かニ本は、私が出ておりました演目がラインナップされております。
もっとも出ているとは申せ脇役としての出演ですが、一分か二分で消えてしまったり、いたとしてもアップで大写しなんてことはまずありえないことなんですが、それでも、後から自分の姿を映像で見るのは、なんとも気恥ずかしいもので、しかもだいたいが(こんなコトしていたの~!)と、自分の中でのイメージと、現実の演技のギャップに恥じ入ることばかり(これは私の同期も申しておりました)で、なんとも情けないことでございます。
かつて申し上げたことかもしれませんが、自分の<身体イメージ>と、現実の動きをどれだけ一致させるか。この必要性をつくづく感じておりまして、そのためにも舞踊のお稽古、そして諸先輩方のお教えを請うことが大事なんですね。
たとえ短い出番でも、役者として舞台に出ている以上はその場にふさわしい演技をしなくてはなりません。素にならず、過剰にならず、分をわきまえて勤めること。心と身体のバランスをとりながら、<自然な>演技がいつかできるよう、修行してまいりたいです。

今月の仕丁役は、はたしてそういう課題をクリアできたでしょうか? 答えは皆様の胸の中、ですね。

番町蕎麦店鋪

2005年10月24日 | 芝居
今日は『既成者研修』の三日目。私にとっては二日目なのですが、とりあえず「関三奴」は最後まで終わりました。御宗家の方で、四日間のお稽古で一通りできるようにまとめて頂いたおかげでございます。昨日書きましたように、お稽古の時間は約一時間。その後は、楽屋に戻ってみんなで振りのおさらい。新しく振りを教わっても、なかなかその場では完璧に覚えることは難しく、皆で協力して覚えてゆきます。この光景、なんだか研修生時代を思い出しますね。明日は仕上げのお稽古となるのでしょうから、心して臨みたいと思います。

お稽古後は仲間とともに、麹町は一番町にございます蕎麦屋『丸屋』さんで夕食。はじめて伺ったのですが、お蕎麦はもとより、一品料理のメニューも豊富で、いろいろと楽しみながらお酒を頂き、シメにお蕎麦をたぐりました。合鴨焼きやモツ煮込みもさることながら、蕎麦がきがとくに美味しゅうございました。

今月の公演も、残すところあと二日となりました。時間的な拘束が少ない国立劇場の公演日程を活かして、いろいろと出かけることができ、素晴らしい舞台を堪能することができましたのが、なによりの収穫でございます。ひとまず観劇三昧の日々には終止符をうち、来月からは歌舞伎座で、朝から晩までしっかり働くことになりますでしょうが、なにがしかの空き時間はできると思いますので、お稽古に、趣味に、有効に活用してまいりたいものです!

自由参加のお稽古

2005年10月23日 | 芝居
昨日から、社団法人日本俳優協会の主催によります『既成者研修』がはじまりました。
この『既成者研修』と申しますのは、主に名題下俳優を対象の中心とし、毎月毎月の公演出演のためにお稽古ごとに通う時間がない人たちに、劇場内の施設を使って短期間ながらも芸事のお稽古ができるようにしているものでございます。不定期に開催されておりますが、これまで日本舞踊、義太夫節、長唄三味線、立ち回りなどの課目が、それぞれのプロの方達を講師としてお願いしまして、各劇場の稽古場、研修室などで行われてまいりました。受講料など一切の費用がかからないのも大変有り難く、参加不参加は個人の自由となっておりますけれど、毎回多数の出席者が受講しております。
今月の課目は日本舞踊。宗家藤間流の藤間弘(ひろむ)師の御指導で、『関三奴』でございます。私は稽古初日の昨日は、御承知の通りの用事で伺えませんでした(研修の開催が、お芝居の約束よりも後に決まったものですから)ので、今日から参加。周りの名題下の方々は、昨日教わった振りはもう覚えていらっしゃいましたけれど、私はなにしろ白紙状態ですので、皆さんについてゆくのが精一杯。それでも藤間弘師が、何回もお浚いして下さいましたので有り難かったです。今日新たに教わる振りのところでは、やっと皆さんと同じラインに立ったという感じ。一時間近いお稽古は、ふだんの御宗家のお稽古場での稽古よりかは長いものですし、質問もできますので、未熟ながらも、とにかくじっくりと覚えることができました。残り二日間のお稽古も、しっかり出席して、勉強させて頂きます。

…踊りでも、立ち回りでもそうなんですが、長期間体を動かさないでおりますと、いざというときの<勘>が働かなくなってしまうんですよね。どんな演目、曲にも共通な、こうしたら次はコレ、とか、この音ではこう動く、という決まりごとも、ぱっと頭に浮ばなくて、ただただうろたえてしまうんです。ですので、そういった条件反射的な<身体の動かし方>を学ぶ意味でも、日々のお稽古は必要なんですね。単に『供奴』の振り、『景清』の振りを覚えるという以上に、様々な曲を通じて、<舞踊の基本>を学んでゆく。『吉野山』や『雨の五郎』の立ち回りに出させていただくなかで、<立ち回りの身体>を作ってゆく。お稽古や実際の舞台で学んだものが、日頃の芝居に応用できるようになってゆけたら、と思います。
とまあエラそうなことを申し上げてしまいましたが、今は御指導下さる方々のお教えをしっかりと守り、地道にやってゆくしかございません。いつかこのお稽古が実を結ぶことを信じて、頑張ってまいりましょう!

小さな劇場で・パート2

2005年10月22日 | 芝居
本日は池袋のシアター・グリーンで、<劇団偉人舞台>の新作、『リ・バース ルーム』を拝見してまいりました。こちらの劇団は、御縁があって家族ぐるみで応援させて頂いておりまして、私は今回で四回目の観劇。母と妹とで伺いました。
男性俳優だけの劇団でして、お芝居の中にも、女役が出てきません。そんな制約がありますものの、毎回毎回色々な設定で、面白い舞台を見せてくれます。今回は、密室に閉じ込められた男たちに振りかかる不条理な出来事と、意表をつく真相をサスペンスタッチで描いたストーリーで、舞台転換なしの<一杯道具>を、二時間ノンストップでみせる意欲作。八人の出演者の皆さんの、緊迫感溢れる演技に引き付けられ、とても面白く拝見しました。劇場も客席数が百五十あまりという小空間なのも、お芝居の効果を盛り上げておりました。私の<お芝居月間>を締めくくる、素敵な作品でございました!

それにしても、今日の劇場といい先日のベニサン・ピットといい、手を伸ばせば役者に触れられそうな空間でのお芝居というものは、私どもにとりましては日頃なかなか体験することがないので、とても興味深いです。地方巡業での会舘、あるいは康楽館や金丸座といった一昔前の芝居小屋、もしくは歌舞伎フォーラム公演を行う江戸東京博物館のホールなどは、確かに規模も小さく、お客様との距離も縮まりますが、実は客席と舞台の<高低差>は意外とあるもので、高座、という表現がありますけれども、お客様が見上げる位置に、我々がいるということは、歌舞伎の舞台ではどこでもほとんど変わらないのです(あくまで一階席を基準にお話しております)。
しかしながら現代演劇では、舞台が客席とほとんど同じ高さだったり、あるいは見下ろす、三方、ときには四方を囲むように客席があるなんていうのはザラにあることですよね。そういう環境で演技をするというのは、きっとお客様の視線が痛いほど感じられるのでしょうね。
私なんか、もう大緊張でうろたえてしまうんではないでしょうか。前のお客さんと、目があったりなんかしたら、もう……。

ずいぶん前の話ですが、<ジンジャントロプスボイセイ>という不思議な名前の劇団が、チェーホフの『かもめ』を、駒場大近くのホントに小さなスタジオで上演したのを見に行ったことがあります。十畳程のフロアが舞台と客席。高低差どころか境目もないのです!二方の壁際に設置されたベンチに座って、目の前一メートル足らずで動く役者を見たわけですが、これには観客である私まで緊張してしまって、奇妙な体験でした!

ぶらり浅草

2005年10月21日 | 芝居
なんとなく、浅草を散歩したい気分になり、夜の浅草寺界隈をぶらぶらしてきました。
閉店まぎわの仲見世通りを冷やかし、伝法通りを左に折れて六区に出て、ちょこちょこと買い物などしているうちにお腹が空いてしまいましたので、公会堂の裏手にある「うなぎ 小柳」へ。九月の歌舞伎フォーラム公演中に、御一緒させて頂いた先輩に連れていって頂いたお店なのですが、今日は一人で! 大奮発&大冒険でしたが、女将さんが覚えていてくれたので一安心。この前頂いてとても美味しかった玉子焼きをつまみにお酒を頂き、最後にうな重。時代を感じさせる店内で、のんびり心地よい時間を過ごさせて頂きました。
裏路地をぐるぐるしながら駅へと帰りましたが、こんなところにこんなお店が、と発見ばかりで、こういう夜の散歩も、なかなかオツなものだと思った次第です。
私が住んでいるところからも近いということもあって、浅草は馴染み深い町でございます。雑多で、賑やかで、あったかい町。そういう印象をもっておりますが、各区域ごとに、それぞれの表情と申しましょうか、味わいの違いがあって、それがこの町を飽きさせない理由なのでしょうか。
たまの休みや、今日のような短い時間でも、思い付くままに足を運んでおりますが、だんだんと、行きつけというか「コレを買う(食べる)ならココ」というお店が増えてきたのが、なんとなく嬉しい今日この頃です。先程の「小柳」もそうなってゆのかもしれませんが、ちょっとここで、私のオススメのお店を御紹介させて頂きましょう。短い<浅草歴>でいながらおこがましいかもしれませんが御容赦を。

和菓子 「龍昇亭 西むら」
雷門の前、観光案内所の隣です。夏の水饅頭、秋のお彼岸のきな粉のおはぎ(こし餡を米でくるんで、そのまわりにきな粉をまぶしているのです)もさることながら、季節でデザインが変わる「和三盆」が一番好きです。今日も買ってきました。

和紙 紙製小物 「黒田屋」
雷門のすぐ右にあるお店。和紙を中心にした雑貨、浮世絵の復刻、小物を取り扱っております。私はこちらのオリジナルデザインの葉書を愛用しておいります。ぽち袋のレパートリーも豊富、紙製の小抽き出し、トレイにも、可愛いものがいっぱいです。

鯨料理 「捕鯨船」
浅草寺から六区へ向かう途中のお店。カウンター中心の小さい店構えですが、こちらは今では珍しい鯨料理を食べられることはもとより、浅草の芸人さんがよく訪れることで有名です。お店の壁には、沢山の方々のサインが書き込まれています。ちなみに私はここではじめて「ハイボール」を飲みまして、大好きになりました。

笑いの殿堂 「浅草演芸ホール」
これは度々御紹介しているので御存知でございましょう。とにかく劇場の空気! ここだけ時代が違います!

…この他揚げ饅頭に人形焼き、着物の古着屋手拭屋、洋食天丼お好み焼き、一度行っただけの素敵な店なら沢山沢山あるのですが、今回は自信をもってお伝えできる本当の「私の行きつけ」を御紹介しました。もとより浅草は<芝居町>そして<色街>。様々な演目に、物語りの舞台として登場いたします。そんな歌舞伎と縁のある町に、散歩感覚で足を運ぶことができる幸せをかみしめながら、和三盆のとろける舌ざわりを堪能することにいたしましょう。

小さな劇場で

2005年10月20日 | 芝居
本日は、ベニサン・ピットで、『歌わせたい男たち』というお芝居を拝見してまいりました。
劇作家の永井愛さんが主催するカンパニー「二兎社」の公演ですが、TVでもお馴染みの戸田恵子さん、近藤芳正さんはじめ、大谷亮介さん、小山萌子さん、中上雅巳さん、計五人の俳優さんによる一幕物の新作です。舞台はある都立高の保健室。卒業式をあと二時間後に控えて、新任のノンポリ音楽教師が『君が代』斉唱問題にまきこまれてのひと騒動を、笑いをちりばめて見せるコメディです。テーマになにかと議論の多い問題を取り上げてはおりますが、あくまで人と人とのコミュニケーション、行き違い、すれ違う感情の機微を描いた<世話物>的ストーリーでして、決して政治的、思想的な芝居になっていないところが、素晴らしいと思いました。永井さんのお芝居は、『こんにちは、母さん』や『日暮町風土記』を拝見しておりますが、毎度毎度に、洒落たセリフや爆笑のシチュエーションがいっぱいで、いつも大満足させて頂いております。
帰りはまたまた門前仲町に寄り道しまして、深川不動尊に程近い、お好み焼きの『杉』というお店で夕食。こじんまりしたお店でしたが、おかみさんがとても親切な方でして、楽しく食事ができました。門仲は、イイお店がたくさんありますね~。これからもいろいろ探訪してみようと思います。
…ベニサン・ピットも、はじめて訪れる劇場でしたが、なるほど昔は<紅三>なる染色工場だっただけのことはあって、独特の建物。(ここが劇場?)と思わず口にしてしまいましたが、狭い空間ならではの親近感、臨場感は、他の劇場では得難いものですね。

これからもいろいろな劇場に足を運んでみようと思います。

出たり入ったり

2005年10月19日 | 芝居
朝晩がだいぶ冷えてまいりました。かつて申し上げましたように、人一倍寒がりの私。二、三日前から、セーターを着ております。今年も残り二ヶ月半。風邪をひかずに過ごせますでしょうか。
昨晩は、以前御紹介しました、門前仲町のイタリアン『ココナッツパーティー』で友人と会食。マスターも私のことを覚えていてくれ、なおさらくつろいだ雰囲気で料理を楽しみました。ワインとともにポテトサラダ、ムール貝バター焼き、スペアリブを頂き、最後は私のわがままで好物のタコを入れたパスタを特注してしまいました。気さくに応じて下さったマスターに感謝です!

さて、お芝居の話をいたしましょう。本日は「役者の登退場」について。
歌舞伎の様々な演目で、襖、障子、あるいは御殿などの舞台装置に見られる<瓦燈口>に吊された<瓦燈幕>が、役者の登退場に合わせて、さながら自動ドアのように勝手に開閉する演出が見られます。登場のさいは、役者の姿がいっぺんにお客さまの目に飛び込んでくるわけですし、退場では、後ろ姿を瞬時に消してしまうことで、物語の次なる局面への進行をキッパリとさせる。<出>と<引っ込み>を大切にする歌舞伎らしい方法ですね。
こういう場面での襖や瓦燈幕の操作は、ことわるまでもなく人力ですが、襖や障子は登場する役者の弟子が勤めることが多いのに対し、瓦燈幕は大道具さんが勤めるのが基本となっておりまして、ここにも歌舞伎の微妙な分業がみられますが、やはり場合場合によって変わることもあり、一概には申せません。
ただ、襖、障子に関しては、ほとんど役者が担当するものと考えて頂いてよいと思います。私も色々な演目で、師匠の登退場を影でお手伝いさせて頂いております。
襖は左右一枚ずつ開かれる<両開き>がほとんどですから、弟子二人が左右に分かれて開け閉めするわけですが、登場のさいは、まだ舞台裏にいるわけですので、師匠も小声で「はい」と開けるキッカケを下さるので楽なのですが、舞台から退場してくるときは、例えば後ろをむいたらとか、ちょっとキマッてからというような、動きをキッカケにすることになりまして、こういうときは、舞台裏から舞台での動きが見えるように、大道具の一部にごくごく小さなのぞき穴を開けてもらい、ここから見ながらキッカケをうかがうのです。登場する際でも、舞台にいる人の動きにあわせて開けまくてはならないこともあり、こういうときは師匠も自分ではキッカケがわかりませんので、やはり弟子がのぞき穴からキッカケを見ることになります。
また、左右に分かれた弟子のイキも大切で、二枚が同じスピードで開かれてゆきませんと、見た目も悪いので、お互いが気をつけなければなりません。閉じる時も同様です。またスピードといえば、芝居の内容、場面によって、微妙に開閉のスピードが変わることがございます。私がさせて頂いた経験から申しますと、『河内山』では計二回、正面の襖から松江出雲守が登場しますが、一回目はともかくも、二回目の登場では、河内山に騙された怒りに満ちておりますので、襖もササッと素早く開け、緊迫感を出しますし、反対に『忠臣蔵 四段目』の判官切腹の場での、塩冶判官の登場では、判官の重く沈んだ気持ち、場の静粛さを出すために、ややゆっくりめにするのです。これらは特に速さが変わる例ですが、基本的に時代物はゆっくりめ、世話物ではもたつかず。お芝居の雰囲気に合わせて変わってくるものなのです。
そして障子ですが、こちらは『十種香』や『熊谷陣屋』で見られるような、上手や下手に作られた小部屋の正面に立てられた数枚分の障子を、いっぺんに引き取ってしまうという演出が多く見られまして、これを<一本引き>と申しております。こちらは、お弟子さんが担当することが多いです。また、襖と同じような開閉のしかたも、もちろんございます。
一方、大道具さんが担当することが基本で、まれに役者も操作する瓦燈幕ですが、これは左右二枚に分かれた幕につけられた綱を引っ張ることで開閉させる仕組みです。襖と同じく、登場の際は出る役者がキッカケを出し、退場の際は、大道具さん自身がキッカケを見るか、あるいは狂言作者さん、時にお弟子さんがキッカケを出すことになります。何故大道具さんがすることになっているのか、これは後日伺ってみたいと思います。

それから商家や田舎の民家の場面でお馴染みの<暖簾>、これも時として、登退場時に、手を触れないのにめくり上がることがございますが、こちらは暖簾の裏側に取り付けられた<ジャリ糸>を、舞台裏で引っ張ることで操作するもので、これはお弟子さんの仕事になる場合が多いです。私は『毛谷村』でさせて頂きました。
それと、またまた微妙な分担となるのですが、舞台上手にある<揚幕>、これは花道の<揚幕>同様、専門の開閉係がいるようにお思いかもしれませんが、実際はそうではなく、大道具さんがなさる時もあれば、弟子の仕事になる時もあり、まったく複雑です。『紅葉狩』や『千本桜 鳥居前』でさせて頂きましたが、とくに『紅葉狩』では、更科姫の引っ込みや維茂の引っ込み、あるいは後ジテの鬼女の出に、演じられる方のイキをよっく見なくてはらない箇所があり、だいぶ緊張いたしました。

いずれの場合の開閉も、キッカケが大事になりますが、役者の動きであったり義太夫の節だったり、下座囃子だったり、演目によって様々です。お芝居の雰囲気をこわさぬよう、登退場する役者さんの気持ちをこわさぬよう、気をつけたいと思いながら、今月の『貞操花鳥羽恋塚』でも、二幕目第二場での師匠の登退場で、襖を開け閉めしております。

再び、三たび

2005年10月17日 | 芝居
昨晩は、日生劇場に出演中の仲間や衣裳さん達と集まって飲み会をいたしましたので、更新が間に合わず失礼いたしました。七月の巡業以来のカラオケも楽しんでしまいましたが、レパートリーは全く増えておりません。

来月の公演にむけての話が、楽屋でも聞かれるようになってまいりました。自分がどのお芝居にでることになるのか、師匠の舞台に何を用意すればよいか、踊りのお稽古に伺えるくらいの空き時間が生まれるかどうか…。少しずつ、気持ちが次の芝居に移ってゆきます。
師匠梅玉は十一月は歌舞伎座の<吉例顔見世大歌舞伎>に出演で、、昼の部の『熊谷陣屋』に源義経、夜の部の『鞍馬山誉鷹』に吉岡喜三太、『大経師昔暦』に手代茂兵衛、計三役を勤めます。『鞍馬山~』は、天王寺屋(富十郎)さんの御子息、大さんが、この度、初代中村鷹之資となられますので、そのお披露目の新作演目でございます。
そして『大経師~』の茂兵衛役は、平成七年十一月歌舞伎座以来となりますが、『熊谷陣屋』の義経役は、昨年十月の歌舞伎座でも演じておりまして、ほぼ一年のうちに、再び同じ役をなさることになります。
いまだ弱輩とは申せ、私も約七年間師匠のもとで働いておりますと、この義経役のように、師匠が同じ役をなさる機会に立会うことが幾度かございます。
あくまで、私が入門してから、というお断りをしておきますが、それでも七年間で『籠釣瓶花街酔醒』の繁山栄之丞、『与話情浮名横櫛』の切られ与三郎、『河内山』の松江出雲守、この三役が過去三回、『一條大蔵譚』の吉岡鬼次郎、『頼朝の死』の源頼家、『引窓』の南方十次兵衛、『勧進帳』の冨樫などが過去二回で、二回なさっているお役は他にも沢山あります。ちなみに『引窓』の十次兵衛は、今年の暮の京都で三回目となります。

師匠が同じ役をなさる場合は、基本的には弟子が勤める仕事、用事も過去と同じになります。こんな小道具が来て、あそこに<拵え場>を作って、ここで黒衣で<後見>して…と、前回の記憶をもとに段取りを作れますから、準備はそのぶん楽になります。細かい点が変わることもありますが、大筋を心得ているわけですから、そうそうまごつくことはございません。
やはり大変なのは、全くの新作ですとか、師匠自身が<初役>でお勤めになる演目の場合で、こういうときは兄弟子方としっかり相談して、仕事の分担、段取りを一から決めてゆくのですが、師匠御自身にも相談することはいうまでもございません。

何度も同じ芝居で仕事をするうちには、師匠以外の役々の仕事も勉強できますし、お芝居そのものも覚えることができます。これからますますそういう機会が増えると思いますので、ただ漫然と仕事をこなすということにならぬよう気をつけながら、できるかぎりのことは、覚えてゆきたいと思います。

芝居の「文字」

2005年10月15日 | 芝居
歌舞伎では、<手紙>や<書状>といったアイテムが、重要な役割を果たす演目が多々あります。『俊寛』では、自分の名前が書かれていない<赦免状>を手に、俊寛が悲嘆の演技を見せますし、『忠臣蔵 七段目』では、仇討ちについて書かれた巻紙の<密書>を読む大星由良之助、縁の下から窺う敵方九太夫、上手の部屋から鏡で覗く遊女お軽という三人が、一通の手紙をめぐって緊迫した構図を舞台に描きます。この他『籠釣瓶』の<起請文>ですとか、『人間万事金世中』の<遺言状>など、実に様々な<文書>が登場いたします。
今月の『貞操花鳥羽恋塚』も御多分にもれず、師匠梅玉が勤めております源頼政は、帝からの<綸旨(りんじ)>という書状を、もう一役の渡辺亘では、恋人である袈裟御前が、遠藤盛遠から送られた<恋文>を持って、演技をしております。
これらには、客席からはご覧になれないかもしれませんが、きちんと芝居の内容に合わせた文章が書かれており、<綸旨>でしたら、三井寺の頼豪阿闍梨への、貴僧の願いは延暦寺への許しがないので叶えられない、という文面、<恋文>でしたら、袈裟御前へ、一目会ってからというもの、恋慕の情が募って仕方がないので、どうか我が思いを遂げさせてくれ、という内容になっているのです。もちろん、どんな演目でも同様です。

では、これらの文章は誰が書くのかといいますと、これは全て<狂言作者>さんのお仕事となっております。<狂言作者>という職分は、舞台上での芝居の進行を統括し、セリフのプロンプ、<柝>を打つこと、ひと月の上演演目全ての配役表である<附帳(つけちょう)を作成するなど多岐にわたり、現代演劇での舞台監督的な職業といわれておりますが、先に挙げましたように、文章を書く、というのも、大きな仕事の一つでございます。
演目によって用紙も書式も形態もかわる様々な<文書>を、いわゆる<定式>に沿って、毛筆で書き上げ、封をしたり、折り畳んだり、包み紙にしまったりと、舞台で使える形にするまでを担当し、出来上がったものは、<作者部屋>という、楽屋の入り口近くにある小部屋に備え付けられた状差しに保管されまして、これを、舞台で扱うことになる役者さん、(あるいはその弟子)が取りに行くのです。
芝居によっては、毎日やぶり捨てられたりくしゃくしゃになったりしますし、そうでなくとも同じものを何度も使うとコシがなくなり扱いづらくなることもありますから、状況に合わせて、その都度新規に作成いたします。

また、狂言作者さんが文字を書くのは、なにも紙だけにかぎったことではなく、小道具に、何か文章を書き加えなくてはならない場合も、狂言作者さんが担当します。今月の例でいえば、二幕目で出て来る和歌を書いた<蛤の貝殻>。貝殻は小道具が用意しますが、和歌は狂言作者さんが書きますし、大詰めで、やはり<袱紗>に和歌を書いたものが出てきますが、これも同様です。違う芝居では、舞踊『関の扉』で、血潮で「ニ子乗舟」と書いた<片袖>が出てきますが、これも狂言作者さんが赤い顔料で書くわけですし、面白いのは『河庄』などで見られる<掛け行灯>に記された「屋号」も、狂言作者さんが書くのだそうです。

基本的に、<消えもの>とよばれる毎公演ごと使いきりのものが、狂言作者さんの受け持ちになるとのことですが、あくまで原則的なものでして、時と場合によって変化するのは申すまでもございません。長い年月の中で、誰が担当すれば一番よいのか、自ずと決まってきたと言うのが実情でしょう。
『お染の七役』での立ち回りで使う、主役の俳優の屋号を大きく書いた<番傘>、『熊谷陣屋』の<制札>、様々な芝居でみられる<提灯>、これらに書く文字は小道具方の担当です。分担はいろいろ分かれてはおりますが、お芝居に出てくるこれらの文字も、芝居の雰囲気を出す重要なものでございます。なにかのおりには、ちょっと御注目くださいませ。

何のお芝居でしたか、遊女と客が取り交わす<起請文>の文末に、グルグル渦巻き状の記号のようなものが書いてあって、これは何の意味なんですか? と狂言作者さんに伺いましたら、なんと「血判」のツモリ、だそうで、なるほど、血で捺した指紋を表わしていたのですね。客席からは見えない細かいところまで、こだわって作られているのに感心した覚えがございます。