梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

本当に、さようなら。

2010年04月30日 | 芝居
ついに迎えた、歌舞伎座『閉場式』です。
朝、楽屋入りのため劇場前を通りましたら、当日券をお求めの方が長蛇の列をなしておりまして、大道具口の方まで続いていました。
<俳優祭>のときでも、こういうことはなかったのではないかしらん。本当に多くの方々が、歌舞伎座との名残を惜しんで下さっていることに、つくづく有難い気持ちになりましたが、楽屋口で入り待ちなさる方々の多さも含め、<歌舞伎座ホントに最後>となる本日の、劇場まわりの熱気と申しましょうか興奮と申しましょうか、ただならぬ雰囲気にはかなり驚いた次第です。

『都風流』の後見も、一瞬のお役目とは申せ、プログラムにも名前が載りましたのが、大変記念となりました。最後の舞台に立てたことは、何よりの思い出です!
『手締式』は名題俳優さんからの参列でしたが、各師匠について、舞台裏に控えていた名題下の大勢も、一緒に手を締めました。歌舞伎座とのお別れを惜しむ気持ち、新たな第1歩を踏み出す想いはみんな一緒です。

夜の部の終演後、ゆっくりと舞台や楽屋に名残を惜しみたい気持ちはやまやまでしたが、夜からは、俳優協会様のご尽力で新たに確保できた、俳優の芝居荷物保管のための倉庫への“引っ越し作業”がございまして、その荷造り、搬出のためにマァ大変な作業となり…。
数日のうちにあの劇場をほぼ空っぽにしなくてはならないわけですからね。頭と体をフル回転させて頑張りました。

トラック2台で運ばれた荷物たちは、倉庫についてから、俳優有志の手で収納。人海戦術の勝利で大変早く終わりまして、ホッといたしました。

所用があって再び劇場へ。
もう一度、心を落ち着けて舞台とお別れしたかったので、無人となった客席にお邪魔して、しばし本舞台を眺めました。
本当にさよならなんですね。
やっぱり信じられないなァ…。
毎月々、劇場を移りながら仕事しているせいですかね、ひと月したらまたかえって来ることができるような気がしてならないのです。
解体される日まで、壊されゆく姿を見るまで、そんな気分なんでしょうか。

今はなんだか淡々としておりますが、これからジワジワと、思いおこされることがあるのでは?
おりにふれ、お話しさせて頂くことがあるかもしれません。

ただただ、この劇場を支えて下さったスタッフの方々へ、心からの御礼を!

歌舞伎座とお別れの儀式

2010年04月29日 | 芝居
本日、歌舞伎座舞台にて『歌舞伎座 修祓式』が執り行われました。

昭和26年の再開場から60年。明治から数えれば4代目となる現歌舞伎座の建て直しに先立ち、劇場自体に感謝の気持ちを、そしてこの劇場に関わられたすべての先人へ畏敬の念を捧げるため、歌舞伎座の氏神様、鉄砲洲稲荷の宮司様の御執行で、「建築物に対する修祓式」と「歌舞伎座由縁の物故者に対する感謝祭」を行い、俳優、音曲演奏家、会社・劇場スタッフをはじめ、関係者が一堂に会して臨みました。

久々に、2時間近く客席で過ごしました。
あらためて、この劇場の空気、温度を肌で感じました。柔らかく穏やかなぬくもりが、たしかにそこにありました。
昨日も申し上げましたが、一観客だった頃と、少しも変わっていない、いや、もっと深まっているようにも思えました。
式の最後は参列者による献花。上手脇から舞台に上がり、中央祭壇に白菊を供え、花道を通って退場、という順路でしたが、花道にさしかかってふと見上げると、2階、3階、そして4階一幕見席が広々と見渡せ、そのスケールの大きさも含めて、他の劇場では味わえない<何か>があるのだなぁと、しみじみ思いました。立ち止まっていたいのはやまやまでしたが、後がつかえてしまうので涙をのんで“引っ込み”ました。

         ◯

さあ、明日は本当のさよなら!
『閉場式』でございます。
当日のプログラムのうち、舞踊「都風流」には、師匠も出演いたしますが、私も着付後見で出られることになりました。
歌舞伎座最後の1日に、まがりなりにも舞台に立てる(ほんと一瞬なんですが)こと、有り難く思っております。
続いて5人の花子による「娘道成寺」、「口上」、そして幹部から名題までの俳優が出席する「手締式」。

すごい1日となりそうです。
心して、木挽町最後の公演に臨みたいと思います。


終わってしまったのですが。

2010年04月28日 | 芝居
本日、歌舞伎座さよなら公演<御名残四月大歌舞伎>千穐楽!
すなわち、現歌舞伎座最後の本興行のラストステージでございました!!

まさに「鈴なり」、超満員の客席。
割れんばかりの拍手、歓声。
いつにも増して熱を帯びた(ように聞こえた)大向こう。
劇場全体が、“大千穐楽”に興奮していたように思えました。

ところが不思議なもので、その舞台に出ていた私自身は、正直いってまだ実感がわいていないのです。
今の歌舞伎座での最後の仕事が『助六由縁江戸櫻』の<三浦屋新造>ということで、たっぷり1時間余も舞台にいられるお役。
勤めながら、(今日が最後なんだなあ。この空気、この匂いの中でお芝居できるのは、これが最後なんだなあ)と頭では考えるのですが、どうにも信じられない!
明日は「歌舞伎座修祓式」があり、明後日は「閉場式」があるので、この劇場とお別れするのはまだ早い、というのは確か。
しかし、この劇場があと少しで壊される、なくなってしまうということが、全然信じられないのですよね…。

初めて歌舞伎を観たのが平成4年8月の歌舞伎座。
初舞台が平成10年5月歌舞伎座。
近藤太郎から中村梅之となったのが平成11年1月歌舞伎座。
初めて舞台で怪我をして休演したのは平成12年11月歌舞伎座。
女形に籍を移したのが平成19年3月歌舞伎座。

私と歌舞伎との、18年間のつきあいの中で、節目節目はみんな歌舞伎座でした。
思い出は本当にたくさんございますが、役者になってからよりも、一観客だった頃の記憶が、驚くくらい鮮明なんです。

少しでも良い席を目がけて駆け上がった4階一幕見席。
ワクワクしながら幕が開くのを待っていたこと。
置いてあるものは全部持っていったチラシたち(当時B5サイズ)
母が持たせてくれたお弁当の中身。
お土産に買って帰ったキーホルダーや舞台写真。
隣り合わせた見ず知らずの人から親切にしてもらったこと。
たまたま目撃した舞台上のアクシデントや楽屋落ちのアドリブ。

“上から覗き込んで”覚えた沢山のお芝居。その記憶は今でも宝物です。
素敵な素敵な時間を、小、中学生の私に与えてくれた場所。
私にとっての歌舞伎座は、今でもそういう存在なんですね。

それが“仕事場”になってからは、責任とか覚悟とか緊張とか悔しい思いとか、そういうものが生まれる場所になりましたから、純粋にこの空間を楽しむことができなかったのかもしれない。(それはそれで、得難い経験として記憶に刻まれてはおりますが)
これから先、自分の技倆があがって、過度に気負わず作らず、少しでも気を楽にして舞台に臨めるようになったなら、その時こそは<新しい歌舞伎座>で、また違った時間を過ごせるのでしょうね。

とりとめない話になってしまいました。
明治からはじまる、長い長い歌舞伎座の歴史の中の、大きな転換期に、歌舞伎俳優として立ち会えたことを、心から有難く思っております。


おめでとうございました!

2010年04月27日 | 芝居
本日の歌舞伎座公演第1部の幕間に、『第16回 日本俳優協会賞』の授賞式がございました。

このたびは、
<日本俳優協会賞>に中村 山左衛門さん・尾上 徳松さん。
<同   奨励賞>に松本 錦一さん・鴫原 桂さん(劇団新派)・片岡 千次郎さん。
<同   功労賞>に中村 仲太郎さん。
<同   特別賞>に中村 吉之丞さん。

以上の方々が受賞されました(掲載順は日本俳優協会の会報である<日俳協ニュース>の記載にしたがいました)。

普段お世話になっている方々のこの度のご受賞、まことにお目出度く、嬉しゅうございますが、とりわけ<奨励賞>の千次郎さんは上方歌舞伎塾のご出身。私と年も1つ違いで、舞台上でもオフでもとっても仲良くしている間柄ですので、本当に良かったなぁと思いました。これを励みに、私ももっともっと頑張りたいです。

こんぴら歌舞伎を終えて、単身上京して授賞式に出席、今日のうちに帰京という、忙しい1日だった千次郎さん。お疲れさまでした。そして、心よりオメデトウ!!

有り難うございました

2010年04月25日 | 芝居
本日、フジテレビのドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」におきまして、さよなら公演も大詰めとなった歌舞伎座のうらおもてが取り上げられましたが、私ども夫婦のことも、多分にご紹介下さいました。
分不相応、なんともおそれ多く、ただただ恐縮いたしております。お話を頂きましたとき、当初はご辞退申し上げようかと思ったのですが、歌舞伎を知ってもらう機会にもなるのだから、と引き受けることを勧めてくださった師匠をはじめ、取材にあたりましては本当に多くの方々のご理解をとお力添えを賜りました。この場をお借りしまして、あつく御礼を申し上げます。
これからも、夫婦ともども歌舞伎のために頑張ってまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます!

緊張しながら放送を見ましたが…。
素顔の自分、ゴチャゴチャした自宅、昔の写真、恥ずかしいものばっかり映ってしまいました。とくに舞台写真は、昔のものほど化粧がヘタクソですね。

ひとつだけ、お断りさせて頂きます。
番組中、私が立役から女形に籍を移した理由が「足の怪我」となっておりましたが、たしかに怪我をきっかけに立ち回りやトンボに自信がもてなくなりまして、そういうこともひとつの遠因ではございますが、怪我は平成12年、女形転向は平成19年ですから、やはり直接の理由とはならないと思います。私の説明の仕方が悪かったのだと思います。

番組終了後、早々にメッセージをお寄せ下さいました皆様に、改めて御礼申し上げます。

座っていて気がついた

2010年04月21日 | 芝居
『助六由縁江戸櫻』一幕の、半分以上舞台に滞在している私ですが、目の前で繰り広げられる"江戸歌舞伎"のおおらかさ、古風さが何より面白く、体のことは別として、気持ちの上では辛くはありません。これが息詰る胆のさぐりあいやら悲嘆の涙を絞らせる愁嘆場だったら、ホントにクタクタになっていることでしょう…。

さて、昨日の舞台上でふと気がついたのですが、『助六』では"ツケ"がもちろん入りますけれど、助六以外の役にはほとんどあしらわないのですね。
普通だったら、福山のかつぎが花道から駆けて来るときに「バタバタバタ…」とやったり、続く、くわんぺら門兵衛にぶつかるときも「バテッ」と入れそうなものです。

朝顔仙平が足を踏み出そうが尻餅をつこうが、やはりツケは入りません。
終盤、意休と助六のからみのなかでいくつかありますが、これとても、動きに助六が絡んでいるときです。
『熊谷陣屋』だって、主人公は紛れもなく熊谷直実ですが、彼だけがツケを入れるということはなく、弥陀六だって梶原だって使います。

なにか理由があるのかはわかりませんが、<花川戸の助六>という存在は、それだけ特別なのかもしれませんね(あくまで私見)。

3年間をどうやってゆくか

2010年04月19日 | 芝居
歌舞伎座建替えにともない、これまで楽屋棟で保管していた大小様々の荷物の置き場所が懸念されておりましたが、社団法人 日本俳優協会のご尽力で、歌舞伎座からそう遠くない場所に、倉庫を借りることとなり、5月に入ってからの移送作業を前に、内覧をしてまいりました。

3年間、芝居で使うモノたちを預ける場所。巡業や地方公演の<荷出し場>ともなるとのことですので、いろいろ確認したいことがございました。この目で見てみて、「いざ、使うとき」のシュミレーションというか予測はある程度できましたが、実際搬入してみないとわからない部分もございますからね…。

本当に、歌舞伎座がなくなるんだなあ、と改めて思った次第です。

ラストスパートですね

2010年04月15日 | 芝居
歌舞伎座さよなら公演<御名残四月大歌舞伎>、中日となりました。
“居残り新造”もあと13回。1時間近くじっとしているので、背筋や腰が疲れますが、もう一踏ん張りですね。

           ◎

…歌舞伎座解体にそなえて、名題下部屋でも荷物整理が始まっています。
先日は奥の戸棚まわりを片付けていた(といっても私は化粧中でしたが)のですが、レンガと炭が出てきました。
レンガと炭。およそ歌舞伎の楽屋にはいらないモノですが…。

私がこの歌舞伎座で初舞台を踏んだ平成10年5月歌舞伎座團菊祭。
とある日の終演後、名題下部屋でみんなで<炉端焼き>をしたんですよね。
危険なことがないようにしっかり準備した上で、カンカンに熾した炭火で炙ったお肉や魚介を食べながら賑やかに…。
考えてみたらスゴいことですが、歌舞伎座楽屋での生活をはじめたばかりの私、「こんなことが行われているのか!」と驚きつつ、みんなで過ごす時間にすっかり楽しくなりました。

この度引っぱり出されたレンガと炭は、そのとき使ったものだったのです。
歌舞伎座とのお別れを目前に、12年前の思い出がよみがえりました。

歌舞伎座名題下部屋では、時折ですが、終演後に大勢集まってワイワイやります。(さすがに炉端焼きは大掛かりでしたから、あれ以来やってないと思いますが…)
先輩、後輩の距離がグッと近づいて、いろいろお話しできますのが嬉しいし、マァ毎回面白いことがいろいろ起こるんですよ…。




襟のこと

2010年04月14日 | 芝居
3月28日の記事に、「D」様から<襦袢の襟はどのくらい出すものなのか>というご質問がございました。
そのおり私は『女暫』の腰元を勤めており、当月は『助六』の新造です。
両方の違いも含めて、改めてご説明申し上げたいと思います。

襦袢の襟の出し方。着る人の体型によっても、また好みによっても変わるので、「こういうものでございマス」と断定はできないのですが、腰元のような、屋敷勤めの“かたい”お役でしたら、あまり出さない場合が多いと思います。まして『女暫』の腰元は、控えているだけの脇役ですしね。これが、『源太勘当』の千鳥とか、『屋敷娘』みたいに、幹部俳優さんがなさるような腰元役でしたら、これはシンのお役ですから、見た様の綺麗さを考えて、出し方はまた変わってまいりますけれども。

一方、新造ですと、これは格は下とはいえ遊女であることにかわりはなく、色気を出すために、襟の出し方はやや広めにしますし、衣紋の抜き方も腰元よりかは大きくします。こうしますと、よりなで肩に見せることもできますから都合が良いのです。逆に、こういうお役で襟を詰め気味にすると、雰囲気はでないと思います。
とはいえ、襟を見せすぎるのも品がなくなります。とくに“居残り新造”は赤襟ですから、ガバリと赤色が剥き出しになると、見た目にもうるさいのです。

私たちは、先輩方に教わりながら衣裳の着方を勉強しておりますが、今まで体験したことから申しますと、以上のようになると思います。
ただ、最初に申しましたように、着る人によっては「自分は肩がいかっているから、なるべくそう見えないようにしたいから」と、襟を広めに出すということもありますし、胸や肩に筋肉がついているとどうしても自然に襟が開いてしまう、ということもあるようです。同じ役の全員がうまく揃っていれば、それがベストなことにかわりはないのですが…。

襟の出し方、抜き方もそうなんですが、裾のひき方も難しいです。立役よりも、着方のバリエーションが多いので、それぞれのお役に合った着方を、それこそ“体で”覚えるのが大変! センチとか寸とか、そういう数字ではなく、感覚の世界ですから…。
まだまだ修行がたりません…。



井上ひさしさん、お疲れさまでした…。

2010年04月12日 | 芝居
9日、井上ひさしさんが75歳でお亡くなりになったという報を聞き、大変ショックを受けております。

井上ひさしさんは、「物語」の、「ことば(日本語)」の面白さを私に最初に教えてくれた作家です。
小学校6年でしたか中学1年でしたか、初めて氏の『ブンとフン』を読んで、なんといったらいいのでしょうか、それまで小説に対してもっていた固定観念をぶち壊されたような(それも痛快に!)感覚にすっかり虜になってしまいました。
それから、まさに貪るように『吉里吉里人』『腹鼓記』『手鎖心中』(読書感想文にこれを選んだ)『国語事件殺人辞典』『偽原始人』…。伊能忠敬を描いた『四千万歩の男』での、<愚直>に生きる主人公の姿には、今も励まされているのです。

そして数々の戯曲。
『国語元年』『シャンハイムーン』『イーハトーボの劇列車』『頭痛肩こり樋口一葉』『藪原検校』『天保十二年のシェイクスピア』『父と暮らせば』『もとの黙阿弥』『たいこどんどん』…
読んで面白く、観て楽しい“お芝居”。小説でも戯曲でも、パロディとか洒落とか、氏独自の遊びがふんだんに盛り込まれて、なおかつ、けっしてそれだけに終わらずに、今、日本人にとって大切なものはなにか、なにを失ったために今この日本になってしまたのか。そんなことがグッと胸に迫ってくる。

ずっと創作の最前線にいらしていただけに、闘病中との報道は存じていましたが、あまりに突然の訃報で最初は信じられなかった。
心より、お悔やみ申し上げます。
たくさんのものを頂きました。本当に有り難うございました。

合掌

チケットのこと

2010年04月07日 | 芝居
有楽町のチケットショップに立ち寄ったら、当月歌舞伎座公演の千穐楽のチケットが1枚売りに出されておりまして、価格はなんと20万円!
いくらなんでも、と思いましたが、お求めになる方がいるということを見越しての値段設定なんでしょうかねえ…?

ネットオークションでも、同様な価格で取り扱われているものがあると聞きました。
確かに『歌舞伎座本興行、最後の公演日』のチケットですから、ある程度のプレミアがつくのはいたしかたないとは思いますが、ちょっと行き過ぎな気もいたしますね。

チケットショップでは、他の公演日のチケットも売られていましたが、だいたい定価より1.5~3倍くらいの価格となっていました。
…ふと思いましたのは、これらチケットが売れなかったら、結局<空席>になってしまうわけですよね。
多くの方々がお望みになっている当月のチケットが、はからずも、定価をかなり上回って市場に出ているために、気軽にお求めになれなくなっている。その結果、<売切御免>なはずの客席にはポツンポツンと空席が…。なんてことになるのは悲しいですね。
歌手のライブ、人気劇団の公演でも、転売目的のチケット購入が問題になっているという報道も聞いておりますし、なんだか複雑な心境でございます。

私どもの勉強会でも、データの上では<完売>している公演でも空席がでたりすることがままありまして、それにはいろいろな理由が考えられるのですけれど、やはりいい気持ちはいたしません。

やはり、「ご覧頂いてこそ」の舞台でございます!!

お花見決行!

2010年04月04日 | 芝居
雨は降ったり止んだり、気温は冬のように寒い…。
そんな悪条件の中、お花見を決行いたしました。
高速上の<祝橋公園>で、名題下の仲間を中心に15人。午後9時半スタート(私が加わったのは10時過ぎでしたが)。
運良く雨は止んでいましたが、さすがに冷えは厳しかった!
でも、皆でテンションを上げて、楽しく喋って、飲んで、食べて…。

寒さを忘れるほど、とはさすがにいかなかったですが、少しは温まって、お開きを迎えることができました。

(4月5日 記)


スカイツリー効果!?

2010年04月03日 | 芝居
第1部の『熊谷陣屋』のあと、いったん帰宅いたしまして、休息やら家事やらを済ませてから第3部『助六』に間に合うように楽屋に戻るのですが、マァ地元の駅前が大変な混雑になっておりまして…。
はい、<東京スカイツリー>見物の方々でございます。

東京タワーを抜いて、日本で一番高い建造物になったという報道がなされてから、にわかに混み合うようになりました。老若男女がカメラ、ケータイを片手に、あちこちで記念撮影していらっしゃいます。
この地に引っ越して4年。初めて体験する、「賑やかなわが町」。
嬉しい気持ちではございますが、微妙な部分もあるのです。

建築途中のタワーを、大勢の方がわざわざ御覧に来て下さったことは有難いのですが、<タワーを見たあと>もこの町を楽しんで欲しいものの、いかんせん、今この町に大勢の皆様をおもてなしするパワーは不足しています!
せっかくいらして頂いたこの町で、美味しいものを食べて帰って欲しいし、見どころ遊びどころをおススメしたいところなんですが、タワー周辺で賑わっているのが、コンビニとマクドナルドだけというのは、悲しいじゃぁありませんか。

全くないわけじゃなないのです。一部のテレビ番組では、ご当地グルメ的なお店を紹介して下さったのですが、それがどれだけ浸透しているか。いや、その前に、どれだけこの町自身がアピールをしてきたか…?
すごい美味しいお蕎麦屋さんもあるのです。稲荷寿司の老舗もあるのです。鶴屋南北翁のお墓もあるし『鬼平犯科帳』岸井左馬之助寄宿の地でもあるのです。

私ごときがエラそうなことはいえませんが、この町の面白さを、タワー完成までにもっともっと発信してもらいたい! そのためには“おしなり君”にも頑張ってもらわなきゃね。
といって、観光地化するのは反対ですけれど…。
普通に、いい町なんです。ホントに。

もしいらして下さいましたら、ちょっとお時間をさいて頂き、プラプラお散歩して下さい。きっといい出会いがございますよ!

いよいよ本当の<さよなら公演>です

2010年04月02日 | 芝居
歌舞伎座さよなら公演の掉尾を飾る<御名残四月大歌舞伎>、開幕でございます!

客席は大変な賑わい! 有り難い限りでございます。
去年1月、さよなら公演が始まった頃は、正直言って歌舞伎座とお別れするという実感がわいておりませんでしたが、ただいまは、本当にこれで最後なのだと思うと、ただただ寂しい思いでいっぱいです。
常ですと、「ああ大変だ」「つらいなぁ」とばかり考えてしまう『助六由縁江戸櫻』の“居残り新造”ですが、歌舞伎座最後の公演の、その一番最後の狂言に、少しでも長く“滞在”できることを思えば、むしろ有り難いことなのではないかな、と。

実際、12年ぶりに勤めさせて頂いた正直な感想を申しますと、ホントに「面白い!」のです。
目の前で、助六が、揚巻が、意休が、くわんぺらが朝顔が福山のかつぎが繰り広げるお芝居を拝見できる。我々が座っている床几は特等席ですよ、本当に!

27日間、心して勤めさせて頂きます。

最後の歌舞伎座稽古場だより・3

2010年04月01日 | 芝居
『熊谷陣屋』と『助六由縁江戸櫻』の<初日通り舞台稽古>でした。

この2演目を続けて稽古でしたので、先に新造の化粧をして師匠の用事。舞台にお出になるまでついて、それから衣裳を…。
初舞台の19期修了生、苦戦しながら着付け。兄弟子の方々や衣裳方さんに教わりながらになりますので、どうしても時間がかかりますが、それは私の初舞台でも同じこと。少しでも力になれればと思いますが、私だってまだまだ勉強中ですし、余計な手出しになってはいけませんからね。気がついたことはいいますけれど、エラそうにならないように…!

おかげさまで12年ぶりの“居残り新造”は無事に済みました。鬘も痛くならず、帯も苦しくならず。とはいえやっぱり長いなが~い時間! いい姿勢を保つのが大変と言えば大変です。

歌舞伎座正面のカウントダウン掲示板も、ついにあとひと月となったことを知らせています。