梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

2009年を顧みて

2009年12月31日 | 芝居
さきほど、飯田橋の東京大神宮様へ、年越しの祓いの形代をお納めしてまいりました。
今年も残すところ9時間。この1年の、色々なことを思い出しますが…。

まずは私の舞台記録。

 1月 歌舞伎座 『祝初春寿三番叟』三番叟の裃後見
         『鏡獅子』胡蝶の裃後見
 2月 歌舞伎座 『勧進帳』義経の裃後見
 3月 歌舞伎座 『元禄忠臣蔵』「江戸城の刃傷」御坊主関久和
                「御浜御殿」奥女中
 4月 歌舞伎座 『伽羅先代萩』「御殿」栄御前付き腰元
 5月 歌舞伎座 『暫』腰元
         『毛剃』仲居
 6月 歌舞伎座 『角力場』町人の女
         『蝶の道行』助国の黒衣後見
         『門出祝寿連獅子』大名の裃後見
 7月 お休み
 8月 音の会  『棒しばり』着付後見
    苫舟の会 『常磐の庭』『切り禿』『女高野物狂』着付後見
    趣向の華 『血染錦有馬怪異』腰元桐島
    合同公演 『双面水照月』(B班)渡し守おしず
 9月 歌舞伎座 『竜馬がゆく 最後の一日』おかげ踊りの町人
         『桔梗旗揚』腰元
10月 国立劇場 『京乱噂鉤爪 人間豹の最期』群衆・物乞・町人
11月 歌舞伎座 『仮名手本忠臣蔵』「四段目」諸士
                  「七段目」仲居
12月 南座   『一條大蔵譚』腰元
         『封印切』仲居
         『助六曲輪初花桜』揚巻付き詰袖新造

<歌舞伎座さよなら公演>に、8ヶ月出演することができました。お名残の舞台に、少しでも多く立てたらと願っておりましたら、このように沢山の機会に恵まれ、それぞれの月で勉強させて頂きましたこと、有難く思っております。
片岡千之助さんの胡蝶で後見をさせて頂きました『鏡獅子』の緊張感、大和屋(玉三郎)さんの政岡、松嶋屋(仁左衛門)さんの八汐による『先代萩』や、播磨屋(吉右衛門)さんの光秀、天王寺屋(富十郎)さんの春長による『馬盥』の緊迫感。グッと気持ち、肚を“締めて”のぞまねばならない張りつめた空気。舞台に出るにあたっての心構えを、改めて学ばさせて頂いた思いです。

…本年の勉強会は、顔ぶれが大きく変わって、より若手中心となりました。
運営に当りましても先輩方に頼ることができなくなりましたので、準備会議から反省会まで、重い、大きい責任を出演者一同が負っての数ヶ月間でした。この日々の中で起きたこと感じたことは、それこそ山のようにあり、書いたら切りがありませんが、どうすればより実り多き、意義ある会にできるか。そのことをもっと考えなければならないように思います。
来年の会に参加できるかは、歌舞伎座がなくなることによって、各劇場の公演スケジュールが大きく変わる可能性もありますからなんともいえないのですが、基盤作りはしっかりしておきませんとね…!

本当に2009年はあっという間でした! それだけ充実した舞台に出させて頂けたということだと思います。舞台外では、あいかわらずお酒が友達で、ずいぶんフラフラしておりマシタ。歌舞伎以外の舞台を、ほとんど拝見できなかったのが残念といえば残念ですね。
お正月の時点で、入門時から15キロ増えていた体重を、1年かけて6キロ減。もう3キロ減らすのが来年の課題。

          ◯

本年も、『梅之芝居日記』をお読み下さいまして有り難うございました。心より御礼申し上げます。
それでは皆様、よいお年をお迎え下さいませ。



歌舞伎座初春稽古日誌・鶴亀

2009年12月30日 | 芝居
本年最後のお仕事は、『与話情浮名横櫛』の<初日通り舞台稽古>でございました。
30日にお稽古があるのは、歌舞伎座では珍しいことかもしれません。

「見染」の貝拾いですから、あっという間に“仕事納め”になってしまいましたが、花道へ引っ込む途中に与三郎や鳶頭とすれ違うそのキッカケが、前回御園座で勤めたときに目安にしたお囃子の変わり目では、この劇場では間に合わなかった! 昨日同様、<寸法>とは本当に難しい!

ああ、ついに2009年の舞台納め。今年もイロイロありました。
明日ゆっくり顧みようと思います。

歌舞伎座初春稽古日誌・梅

2009年12月29日 | 芝居
『与話情浮名横櫛』以外のすべての演目の<初日通り舞台稽古>でした。

まず午前11時より『娘道成寺』。舞台の上手下手に居並ぶ所化のなかで、私は一番上手の端に座っております。
このポジションは、“鈴太鼓”のくだりから“鐘入り”に突入する白拍子花子を遮るように入れ替わる、そのトップバッターとなるのです。長唄と、中村屋(勘三郎)さんの動きを見計らって立ち上がり、動き出さねばなりません。これが大変ドキドキものでして…。入れ替わるのが早くても遅くてもいけませんし、それまで作り上げられてきたイキを壊してはどうにもなりません。
自分の居所から花子の立ち位置まで、どのくらいのスピードで進んでゆけばよいのかを、今日は探りながら勤めましたが、いや~、歌舞伎座は広い! 昨年の博多座でも、山城屋(坂田藤十郎)さんの花子で同じく勤めさせて頂いたのですが、唄のひと文句早めに動かないと間に合わないのです。道理で花子が遠くに見えたわけだ…。

同じことは『勧進帳』の富樫の後見でもいえまして、昨年の巡業は間口の狭い会館ばかりでしたから、簡単に移動ができて仕事ができた箇所が、ここ歌舞伎座ではとてもせわしなく思えるのです。本当に、舞台の<寸法>というものはおそろしいもので、体の中に“歌舞伎座基準”がないと、エラい目に遭うなァ、と…。
その『勧進帳』、後見をさせて頂くたびに、少しでも段取りや動きを無駄なく綺麗にしたいと錯誤しています。先輩方から教わったことが最優先であることはもちろんなのでございますが、その時々で変わりうる諸事情もございますし、いろんなことを大切にしながら、とにかく現時点でのベストを目指したい! 

『松浦の太鼓』は、一門で唯一師匠の源吾を覚えていらっしゃる兄弟子の梅蔵さんが色々と教えて下さいました。意外と扱う小道具が多いのですね、大高源吾というお役は! 今月で私もしっかり覚えなくては!

『春の寿』はとりあえず無事に、という感じでしたが、稽古後、一緒に後見で出ている先輩から、段取りに整理の余地ありということで、打ち合わせをしなおしました。新しいものはやっぱり難しゅうございます。

なんだかんだで12時間歌舞伎座にいました。ろくろく食事もできませんでしたが、それくらいが今の私には丁度よいのです。

歌舞伎座初春稽古日誌・竹

2009年12月28日 | 芝居
<顔寄せ>と、すべての演目の<総ざらい>、あわせて楽屋作り。

今回初めて携わる演目は、新作である『春の寿』は当然としまして、あとは『松浦の太鼓』だけですので、事前の調べものやら打ち合わせ、教わりごとをすることがほとんどなかったので、5演目に関係しているとはいえ、さほどバタバタドキドキソワソワすることがないので助かっておりますが、それでも明日はいよいよ舞台稽古となりますので、気合いはグンと高まってまいりました。

南座『封印切』の仲居も正座でいる時間が長うございましたが、当月も『道成寺』があり『勧進帳』の後見があり…。11月の『忠臣蔵 四段目』の諸士も含め、ここのところ“辛抱系”のお役が続いているような…。

明日はその『道成寺』から<怒濤の>舞台稽古です。




歌舞伎座初春稽古日誌・松

2009年12月27日 | 芝居
26日の晩は、南座の千穐楽を祝って仲間と錦にあるダイニング『恋女房』でささやかな打ち上げ。どの品も味付けが丁寧でしかもお手頃、お酒の種類も抱負、お店の方は親切で優しくてと、申し分のないオススメのこのお店で盛り上がっているうちに午前2時近くでした。
そして午前6時半に起床してホテルの撤収、7時53分の新幹線で東京駅、そこから歌舞伎座へ直行して11時からお稽古。
なんともかんともです…。

さてさっそくはじまりました歌舞伎座さよなら公演『寿 初春大歌舞伎』のお稽古。
2010年の私は、『勧進帳』と『春の寿』の<後見>と、『娘道成寺』の<所化打念坊>、そして『与話情浮名横櫛 見染』の<貝拾いの娘>と、4演目に出演させて頂きます。初春早々頑張りどころです!

本日は、上演演目すべての<附立>でしたが、『娘道成寺』は所化役のみでの<抜き稽古>もございました。私は“花傘踊り”を、先輩の松本錦一さんとペアで踊らせて頂きます。今回は<押戻し>までですので、“祈り”の踊りもございますが、こちらは鐘が落ちているぶん舞台が狭くなるので、私は座って控えております。
歌舞伎座の初春の舞台、中村屋(勘三郎)さんの花子の『娘道成寺』で踊らせて頂ける幸せ! 心して、行儀よく勤める所存でございます。

『勧進帳』の富樫の後見は、先年の巡業で100回を越えましたが、やるたびに緊張することに変わりはありません。作品の重さ、格調を崩さぬよう、どれだけこの演目にふさわしい後見になれるかどうかは、まだまだ遠き道のりなのだと思います。このたびは成田屋(團十郎)さんの弁慶に、中村屋(勘三郎)さんの義経というお顔合わせ。また新しい気持ちで、勉強いたしますが、この度の太刀持ちは加賀屋(松江)さんのご子息、玉太郎坊ちゃんです。モウ可愛らしくって可愛らしくって!

当月のために作られた祝いの一幕『春の寿』。今日はじめて、どのような踊りなのか見ることができました。20分あるかないかですが、賑やかに、華やかに、典雅に…。初めて接する踊りの後見は、振りや曲に馴染みがないぶん、段取りを覚えるのが大変です。

師匠が10数年ぶりに大高源吾をお勤めになる『松浦の太鼓』。もちろん私も入門する前。当時のことは兄弟子の梅蔵さんしか覚えていらっしゃらないので、色々と教わらねば! 

『浮名横櫛 見染』、昨年名古屋御園座で初役で与三郎をお勤めになった高麗屋(染五郎)さんが、いよいよ東京で初の上演でございます。そのおりも貝拾いの娘をさせて頂きましたが、この度も出ることができて嬉しいです。少しでも雰囲気がある木更津っ子になりたいですね。

…気がつけば午後7時過ぎ。たっぷりの稽古と昨日までの疲れが一緒に襲ってまいりました…。


無精な日記で失礼いたしました。

2009年12月26日 | 芝居
京都南座『当る寅年吉例顔見世』、無事に千穐楽を迎えることができました。
『一條大蔵卿 檜垣』の腰元、『封印切』の仲居、『助六曲輪初花桜』の揚巻付き詰袖新造と、女形3本。大変勉強になりました。どのお役も、それ<らしい>雰囲気が大切なものばかりで、今の自分にはそれぞれをきちんと勤めわけられる力がないのが情けないのですが、少しでもその場の空気に馴染むことを心がけて勤めさせて頂きました。

初めて出演させて頂きました『封印切』の仲居役は、本当に大変でした。これこそ頭で考えたってどうにもならないお役ですからね。上方のホワ~ンとした風情はもとより、シンのお芝居に対してしっかり<反応>しなくてはいけないこと、これまで経験したことのない世界でした。
初日近辺は本当に手も足も出ませんでしたが、ほとんど同期といってもいい、上方歌舞伎塾の1期生、2期生の人たちも同じ役でしたので、色々と教えてくれ、引っぱってくれまして、だんだんと馴染むことができました。最後の方で、やっと楽しんで舞台にいられるようになりましたのは、全く周りの皆様のおかげです。心から御礼を申し上げたいです!

…南座の楽屋に1日いっぱなしというのは、実は大変息苦しいものなのですが(物理的に部屋が狭いので)、体調も崩すことなく千穐楽まで勤められましたのは、いつにもまして暖かだった気候のせいもありましょうか。
先年もお邪魔しました、劇場の近所の銭湯<団栗湯>さんへは、休業日以外はほぼ毎日通いまして、広い湯船でノビノビして、サウナで汗をたっぷりかいてから帰宅しました。
前回と違い、空き時間が全然なかったのでお寺巡りもできず、夜もあまり出歩かなかった(珍しいナァ)ので、あまり京都らしい日々は送らなかったのが残念といえば残念です…。

今月はほとんど更新ができませず、これは全く私の無精のせいでありまして、なんとも申し訳のないことでございました。


さぼってばかりになってしまいまして…。

2009年12月12日 | 芝居
初日以降、更新が怠りがちになってしまい申し訳ございません。
明日はもう<中日>という時期なんですが、なかなか落ち着いて文章を考える時間が作れません(部屋ではネットが使えないのも一因かもしれませんが)。せっかく一日中劇場におりますのに、ちゃんとした南座だよりを送れず、心苦しいかぎりですが、何卒ご容赦頂きたく存じます。

取り急ぎまして、今月27日に、NHKで早速当月の『封印切』が放映されますことと、師匠が来年1月に引き続き、2月も歌舞伎座公演に出演、『俊寛』の丹左衛門もお勤めになることをお知らせさせていただきます。

小鳥笛

2009年12月09日 | 芝居
『佐々木高綱』では、ウグイス笛の他に<小鳥笛>も使っておりまして、幕開きに「ピピピッ、ピッピッ」とさえずりを聞かせております。

小鳥の鳴き声の出し方というと、私は<虫笛>を使うやり方を存じておりました。



写真の笛が<虫笛>なんですが、笛の先を、容器に入れたお水の水面ギリギリのところに浸けて吹きますと、あら不思議、「り~ん り~ん」が「ピチチチ、チチッ」となるのです。

今回もそれでやることになるだろうと思っておりましたら、全く違う笛があったのです。
それが↓です。



竹の筒に笛が差し込まれています、筒の中に水を入れ、それを吹くと虫笛のときと同じ理屈で鳥の鳴き声が生まれるというわけなのでした。
これですと、片手で操作できるので大変便利。音も出しやすいです。

自分で出した鳥さんの鳴き声聞いて、ああ朝だなあと思う南座舞台裏です。(開演10時半)

梅之京都日記三巻目・気をつけてます

2009年12月07日 | 芝居
京都公演も開幕から一週間がたちまして、気持ちもだいぶ落ち着いてまいりました。
何時に化粧をするとか、これが終わったらあれをして…というような、1日のサイクルも定まり、悪くいえば"繰り返しの毎日"かもしれませんけれど、とにかく無事にひと月を終えたいものです。

さて、「所かわれば水かわる」というのは本当のことで、最初のころは化粧荒れがひどかったんです。11ヶ月いた東京から離れた途端に1日3役。どれも塗り込む役ですから、塗って洗ってを繰り返しているうちに、気がつけばヒリヒリカサカサに…。
今は薬のおかげもあり回復しています。肌のコンディションはそのまま白粉のノリ具合に影響しますので、しっかりケアしませんとね!

荒れやすいとはいいながら、昔に比べればかなり強くなりましたよ、私の"面の皮"…。

梅之京都日記三巻目・初外出でした

2009年12月04日 | 芝居
仲間と清水寺の夜間拝観に行ってきました。
京都はこのところ雨が続いていますが、夜に入ると雲もはれ、綺麗なお月様も顔を出しました。ギリギリで紅葉も残っていまして、澄んだ夜気に包まれながら境内を散策いたしますと、美しい景色に気持ちが洗われるようでした。

舞台の下の池が鏡のようになって樹々が映りこむ眺めは神秘的ですね(高台寺でも感動しましたが)。

かなり冷えましたが、行ってよかったなぁ…。

池の面に 拝む御堂と冬の月

拙句失礼。


梅之京都日記三巻目・初体験『封印切』

2009年12月03日 | 芝居
初めて『封印切』という狂言を拝見しましたのは、小学校5年生のときで、当時の成駒屋(鴈治郎)さんの忠兵衛に天王寺屋(富十郎)さんの八右衛門、松嶋屋(秀太郎)さんの梅川。おえんは桜彩さんでしたねぇ…。
以来いろいろな方のお舞台は拝見しましたし、近松座の巡業では師匠が治右衛門をお勤めになったりしましたが、私が実際に出演するのは11年目にして初めてでございまして、勤めさせていただいて、改めて知ることばかり、大変勉強になっております。

なるほどなァと思いましたのは、居並んだ仲居たちの体の向きが、八右衛門を避けるようになってるんですね。下手の木戸を開けた八右衛門の姿が見えたら上手向きに、続いて上手に座り込んだら下手向き。忠兵衛が2階から降りて来たらいったんはそちらの方に向き直りますが、その後の小判のくだりで八右衛門が悪口厭味を並べたてるとまた下手向きになる…というかんじです。
忠兵衛と八右衛門の芝居に反応しているのですね。単に体の向きだけでなく、八右衛門のセリフに対しましては、顔を背けたり俯きがちにしたり、いろいろと思い入れをするようになっておりまして、こういう点は、例えば『大蔵譚』の「桧垣」の腰元のように個々の芝居を控えてじっとしているものとはかなり雰囲気が変わりますよね。

なにしろ初体験なので、周りの皆さんに合わせていくのがやっと。自然に新町井筒屋の仲居になれるようには、まだまだ経験が足りません。今月はこの場の空気を掴むことが第一目標です!


梅之京都日記・「助六」さまざま

2009年12月01日 | 芝居
当月松嶋屋(仁左衛門)さんによります「助六」は、『助六曲輪初花桜(すけろく くるわのはつざくら)』ですが、音羽屋(菊五郎)さんのお家には『助六曲輪菊(すけろく くるわのももよぐさ)』があり、先年大和屋(三津五郎)さんが襲名披露でなすったのは『助六桜の二重帯(ふたえおび)』、そして市川宗家(成田屋)は、ご存じ『助六由縁江戸桜(すけろく ゆかりのえどざくら)』。

助六役をなさる方によって、外題が変わっているのが面白いのですが、歌舞伎十八番の内である『由縁江戸桜』は、荒事の元祖市川宗家のいわばオリジナル、登録商標みたいなものです。他のお家はそれに敬意を払って、それぞれ違う外題を用いているのだそうです。
単に外題だけでなく、助六の登場場面で演奏される音楽も、市川家が河東節を使うのに対して、松嶋屋の『曲輪初花桜』は長唄、音羽屋の『曲輪菊』は清元、大和屋の『桜の二重帯』は常磐津となっていますし、台本や役名にも相違があったりします(『曲輪菊』では助六が後半紙衣に着替えない・助六の母親が"織江"になる、など)。

逆にいえば、主演者それぞれが、「我が家の『助六』」をもっている、と考えることもできるかもしれませんね。お客様にも、見くらべる楽しみがございましょう。

私の初「助六」が、当月と同じ松嶋屋さんの『曲輪初花桜』でした。平成1〇年1〇月名古屋御園座でのご襲名の興行。まだ本名の頃で、同期全員でいわゆる"居残り新造"をさせていただきました。
右も左も分からない時分でしたから、周りの方々にはご迷惑をおかけしてしまいました。橘屋(羽左衛門)さんのくわんぺら門兵衛が、舞台上でさりげなく我々の行儀をチェックなさる! 怖かったなァ…。

その後市川家の『由縁江戸桜』では、幕内で"野郎め"で通っている、助六に棒っきれを持ってかかる若い者や、揚巻付きの振袖新造を勉強させていただき、今回が4回目の「助六」出演です。

出演者の総数が、一幕ものの演目ではおそらく歌舞伎界で一番だろうというくらいの大掛かりなものですから、そうそう上演されるものではありません。今後どのようなかたちで携わることになりますでしょうか。
今回も、いろいろと勉強させていただきたく思っております。