梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

今年の舞台を振返って

2005年12月31日 | 芝居
あと数時間で平成十七年も終わりですが、皆様どのような大晦日をお過ごしでしょうか。
初舞台以来、毎月毎月が新しい役との出会い、日々勉強ということに変りはございませんが、改めて今年の舞台を振返りますと、感慨深いものがございます。
二月、九月と『歌舞伎フォーラム』公演に出演させて頂き、『傾城阿波の鳴門』尼妙天、『棒しばり』大名、舞踊『景清』、『櫓のお七』下女お杉、『松王下屋敷』御台所、以上の大役を勉強させていただけたこと。これは何にもかえがたい貴重な経験でした。体力的にも精神的にも、いつも以上の負担はございましたが、色々なことを考えさせられ、演ずるということの怖さも喜びも、身に沁みて感じました。夏の勉強会での『十種香』武田勝頼も、師匠のご指導という有り難い機会の中で、同じように心身ともに勉強することができました。こうした大役で学んだことは、いつもの公演で勤める役役にも、必ず還元して参りたいと思っております。

本公演でのお役では、一日九回トンボを返った、一月の『ごひいき勧進帳』をはじめ、七月『吉野山』、十一月『鞍馬山誉若鷹』、十二月『五斗三番叟』『京人形』と、立ち回りにも沢山出させて頂きました。立ち回りは不得手だと自覚をしている私ですが、少しでも進歩できるように心掛けたのはもちろん、「皆と合わせる」ことの大切さ、難しさを改めて考えた一年でした。

セリフを頂いたり、師匠の舞踊の後見をさせて頂いたり、自らにとって高いハードルが次々とやってきたような一年でしたが、周りの方々のご指導お叱り励ましのお陰様で、乗り切ることができました。二月にインフルエンザに罹った以外は大病もせず元気に楽しく過ごせました。仲間との楽しい食事や飲み会の思い出もいっぱいです。私にとって本当に実り多き一年となりましたが、このブログを通じての皆様との出会いも、かけがえのない大切な御縁です!
皆様よいお年を!そして来年も『梅之芝居日記』をよろしくお願いします!!

仕事納めでした。

2005年12月30日 | 芝居
昨日は更新できませんで失礼をいたしました。
二十九日は『伽羅先代萩』『鶴壽千歳』の<舞台稽古>、『藤十郎の恋』が<舞台にて総ざらい>でした。
『伽羅先代萩』では、師匠梅玉が仁木弾正妹八汐をお勤めになります。若君暗殺を目論む悪女ですが、師匠にとっては数少ない女役の出演です。私たち弟子の立場の者も、普段の立役のことなら、今までの経験から仕事をこなしてゆけるのですが、女形については慣れないことわからないことばかり。大旦那(中村歌右衛門)のお弟子でいらっしゃる、中村歌江さんに、小道具のことや、襟足に塗る白粉の塗り方、衣裳の着付けなど、万事を伺わせて頂きました。これを機会に、色々なことを勉強させて頂きたいと思います(このブログでもご紹介できたらいいと思います)。
『鶴壽千歳』。十五分ほどの短い舞踊ですが、曲といい衣裳といい装置といい、全てにわたって典雅な気分横溢です。後見の仕事も何事もなく勤まりましたが、こちらの仕事も、雰囲気に合わせて鷹揚に、そして目立たぬよう、気をつけてまいります。

普通、歌舞伎座の年末のお稽古は昨日で全て終了するのが恒例で、三十、三十一、そして元旦の三日間お休みになるのですが、今回は三十日にも『藤十郎の恋』と『伽羅先代萩』の子役の件だけの<舞台稽古>がございました。私も『藤十郎の恋』に、お道具の役で出ておりますので、今日も歌舞伎座へ出勤でした。
三場目の<都万太夫座の楽屋>に出ておりますが、大入りににぎわう楽屋の雰囲気作りと、最後に萬屋(時蔵)さん演じる、お梶の亡骸を、同じ大道具役の四人で運んでくる仕事があります。今日の稽古はほとんどノンストップで終わりまして、かくして私の仕事納めは、正味一時間で終了いたしました。

さあ、今度舞台に立つのは平成十八年です。序幕が『鶴壽千歳』なので、初芝居の、一番最初の舞台に出ることができ、大変身の引き締まる思いがいたしております。来年も、心身ともに健康に、自覚と責任を持って、舞台を勤めてゆけますように。

写真は京都は錦市場の喧噪です。

無題

2005年12月28日 | 芝居
新聞等の報道で、皆様ご存知かとは思いますが、去る十二月二十六日、尾上松助さんがお亡くなりになりました。享年五十九歳でした。
十一月の新橋演舞場『児雷也豪傑譚話』の仙道上人が最後の舞台となりましたが、私が直接お会いした最後は、昨年十二月の京都顔見世公演のお稽古場でした。この時は、公演初日を前に休演なさり、それから先ほどの『児雷也』まで、ご静養なさっていらっしゃったのでした。
長くお体を悪くされていたとは申せ、あまりに突然のことに愕然といたしました。私たち歌舞伎俳優研修生の講師として、松助<先生>から受けたご恩は並々ならぬものがございます。厳しくもまたお優しいお人柄、噛んで含めるように、未熟な私たちにも解る言葉で教えてくださるご指導風景、様々な思い出が心に浮かびます。卒業後も度々舞台でご一緒になりましたし、勉強会などのご指導でも大変お世話になりました。まだまだ教えて頂きたいことは沢山ございましたのに、本当に残念としか申されません。

心からお悔やみ申し上げますとともに、どうかやすらかにお眠り下さいますよう、願っております。

帰ってまいりました!

2005年12月27日 | 芝居
たった今、我が家に帰ってまいりました。やっぱり自分の部屋は落ち着きますね。来年二月はまた地方公演で空けてしまいますが、せめてひと月は、のんびり快適に過ごしたいものです。
朝九時十五分の<のぞみ>で東京へ。途中、関ヶ原はやはり大雪。一メートル近く積もっていた所もありました。地勢の関係からなのでしょうが、この一帯だけが大雪になるというのは、どうにも不思議なものですね。鄙びたお社が雪に埋もれている様が、とても美しく見えました。

さて、本日さっそく始まりました歌舞伎座初春公演のお稽古。午後一時からの<顔寄せ>のあと、師匠が『口上』の舞台稽古、『伽羅先代萩』『鶴壽千歳』の附立て。私は『藤十郎の恋』の附立てもございました。
『藤十郎の恋』は、成駒屋(扇雀)さんが初役でお勤めになることもあり、また台本にも今回新たにアレンジが加わり、演出もかわるとのことで、お稽古には時間をかけました。大詰めの幕切れの形をどうするか、いろいろと話し合いがございました。明日も色々変わってゆくことでしょう。
私が勤めさせて頂く、大道具方のお役は、大詰「都万太夫座の楽屋の場」に出てまいります。台本に書かれるようなセリフはありませんが、自分で考えるセリフ、いわゆる<捨て台詞>は、沢山言わねばなりません、しかも場面が京都ですので、上方コトバにしなくてはなりません。ここがちょっと難しいところです。今日のお稽古では、動きの段取り決めで終わってしまいましたので、明日からのお稽古の中で、芝居を固めてからどんなセリフを言えばよいのか考えることといたしましょう。

京都も寒かったですが、東京もやっぱり寒いですね。今夜はお稽古後に仲間と、いつものホルモン焼きの『鳴尾』で栄養をつけてきました。京都の疲れを出すことなく、元気に年を越せるよう気をつけて、残り四日の平成十七年を過ごしましょう!

梅之京都日記・終『無事千穐楽!』

2005年12月26日 | 芝居
お陰様をもちまして、京都顔見世公演を無事終えることができました。最後まで大入り満員、<坂田藤十郎>の大名跡の復活という一大興行が、盛況のうちに終わりましたのが、なにより嬉しく思います。
楽屋の撤収も午後九時半には終わり、マンションの方の荷造りも、あらかたまとまりました。あとは近くのコンビニに持っていくだけなのですが、段ボール箱五個にスーツケース一個という大荷物なので、はてさて重労働の予感です。

『五斗三番叟』と『京人形』、ひと月のうちに二つの立ち回りに出演させて頂きまして、勉強になることばかりでした。動き方や気構えなど、なかなか今の技倆が理想、お手本に追いつかず、情けなくもまた悔しい思いばかりでしたが、今できることを精一杯確実にやっていこうと思って取り組みました。立師の方をはじめ、色々な方からお教えを頂きましたが、どれだけそれに応えられたかは、はなはだ不安です。
今はだめでも、いつか再び同じ役をさせて頂いたときに、少しでも前進できていればと思いますが、とにかく色々な課題に気づかされたこと、実りは多き舞台でした。
…それからもう一つ思いましたことは、二つの立ち回りともに、気がつけば、メンバーの中で自分がもう上の方の立場になっていたこと。立ち回り全体をみながら、後輩たちをリードしたり、ときには注意したりする役目も、負わなくてはならない立場になってきてしまいました。
もちろん、私とてまだまだ未熟で、人にものをいうことなど本当はまだまだ先のことなのですが、座組によっては今回のような立場になることが、これからも多々あることと思います。頼れる先輩になることができるよう、まずは自分自身が先輩方の中で揉まれながら、経験を沢山積んでゆかねばなりませんね。
…いろいろ考えることはございましたが、とにかく二役ともに、舞台の上では楽しく、元気に勤めることができて本当によかったです。とくに『京人形』では、歳や、この世界に入った時期も近い役者がそろいましたので、和気あいあいとした雰囲気で、みんなで頑張ってこられたのが、嬉しかったです。本当に、舞台はチームワーク、ですね!

明日は午後一時から歌舞伎座の初春公演の<顔寄せ>です。休む間もなく稽古が始まります。朝八時半に不動産屋さんにマンションの鍵を返却してから帰京します。
車中で年賀状書きに励むツモリですが、おそらく寝てしまうでしょう…。

『梅之京都日記』、長々お付き合い下さいまして有り難うございました!

梅之京都日記・27『最後の晩餐』

2005年12月25日 | 芝居
いよいよ千穐楽を明日に控え、今日は打ち上げ! というわけでもありませんが、先輩、後輩と連れ立って、先斗町の中ほどにございます、モツ鍋の『寅屋』で楽しく食事をいたしました。
このお店、なかなかの人気店でございまして、予約なしでは座れない、その予約も平日のみの受け付け、さらにはその予約すらなかなかとれないというありさま。今日は休日ですから飛び込みのみだったので、私より先に楽屋を出られる先輩が、席取りで並んでくださいました。…モツ鍋のお味の方は、濃厚でコクがありながら飽きのこない出汁、全く臭みがない新鮮で旨さのつまったモツの美味しさが、どんどん箸を進ませてくれます。薬味に柚子胡椒を入れると風味もアップ、シメの麺まで、堪能させていただきました。一品料理も、新鮮な食材をシンプルに味あわせてくれまして、お酒の種類も豊富。皆々大満足でした。

明日で京都の顔見世も終わりです。これまで無事に舞台を勤められたこと、本当に有り難く思います。最後の舞台も油断なく、一生懸命に、悔いのないようにしたいものです。
これから荷物の整理をいたしますので、短文で失礼いたします。何時に寝ることができるでしょうか…。

梅之京都日記・26『宴会芸十八番?』

2005年12月24日 | 芝居
今日はクリスマス・イブですね。皆様どのような聖夜をお過ごしですか?
私もこの時期は、キリスト教信者でもない(無宗教)のに、心浮き浮きジングルベル。自宅ならば玄関にクリスマス・リースを飾り、シャンパンで乾杯です。旅の空の下とあってはそうもまいりませんが、今晩は京都駅の地下街にございます洋食の『東洋亭』で食事をして参りました。

さて、私たち国立劇場歌舞伎俳優研修の卒業生の集まりである<稚魚の会>には、後援団体でございます<稚魚の会友の会>がございまして、年一度の勉強会をはじめ、さまざまな場面でいろいろとご支援下さっておりますが、この<友の会>の会員の方々と親睦を深めるためのパーティーが、年一回、我々の主催でございまして、だいたい毎年十二月に開かれており、「クリスマス・パーティー」と銘打たれております。諸般の事情で、一月の「新年会」になったり、春先の「茶話会」になることもあるのですが、会員の方々に、お食事、お酒など召し上がって頂きながら、楽しいひとときを過ごして頂く、アットホームなパーティーです。
そしてこのパーティーのメインが、私たち<稚魚の会>の有志によります余興でございまして、様々な演目、趣向を毎回ご覧にいれております。実を申せば、私、この余興の常連メンバーでございまして、私が俳優になってから今までの七年間で開かれた計七回のパーティーのうち、五回にわたって出し物をさせて頂いております。
最初の二回は、まだ駆け出しの新人ということで、内容は堅めのものがよいということで、長唄『松の緑』の演奏、祝儀舞踊『廓八景』の素踊りをさせて頂きましたが、次第に「もっと面白いものを!」という周りの声が高まりまして、思い切ってコントをやってみようということになりまして、一期上の先輩と、同期との計三人で、私の作による『楽屋俄良加減聖夜(がくやにわか いいかげんにせいや)』を上演(?)、これで一気に、人を笑わせるということの魅力に取り憑かれてしまいまして、翌年はかねてから挑戦してみたかった、上方落語『皿屋敷』を、さらに翌年には江戸落語『千早ふる』を口演させて頂きました。
余興とはいえ人前でお見せするものですから、準備と稽古は真剣です。コントの時は台本作成から演出、音響まで、共演してくださった仲間と朝から打ち合わせ。衣裳の調達から小道具の製作までずいぶんと手間と費用がかかりました。落語は名人のテープを聴きながら原稿をおこし、それを持ち時間に合うようにカットしたり補綴したうえで暗記して、動きをつける。もちろん出囃子も用意します。
その月の公演に出演しながらの準備ですから、なかなか時間が取れないもので、通勤の電車の中でセリフを覚える、なんて、普段でもめったにしないようなことまでいたしましたが、これがまた楽しくもあるから因果なものです。
その結果として、つたない芸ながらも、皆様が笑ってくださり、喜んで頂けるのですから、こんな有り難いことはございません。「来年も楽しみにしてますよ!」なんておっしゃってくださると、もう豚もおだてりゃなんとやらで、ますます発奮してしまうお調子者でございます。
さりながら、実はとても勉強になることもございまして、とくに去年、一昨年とさせて頂いております落語では、改めてセリフの間、イキの大切さを身にしみて感じましたし、『皿屋敷』では<上方コトバ>、『千早ふる』では<江戸コトバ>を、名人たちのテープを通じて接するよいきっかけともなりました。そして一番の収穫は、「人前に出る度胸」をつけることができたこと。パーティー会場は小さいですから、演者が立つステージの数十センチ前には、もうお客様の顔がございます。そんななかで自分の出し物を演じるという経験をさせて頂いてきたなかで、だんだんと、アガらない、太い肝っ玉が養われてきたような気がいたしております。
今年は事情によりまして、来春に持ち越しとなりましたが、是非またあらたな芸を披露できたらと、静かな闘志を燃やしておりますが、「もう見飽きたからイイ!」などといわれないか心配です。
私ばかりの持ちネタを書き並べてしまいましたが、先輩方のネタには、南京玉スダレ、ジャグリング、手品、ウクレレ漫談、歌謡舞踊、一人コント、パントマイム…。じつに芸達者な方ばかり。基本的には会員の方のみの集まりなのですが、会員外の方も参加できますので、興味がおありの方は、是非足をお運び下さいませ!

それでは皆様、メリークリスマス。

梅之京都日記・25『カボチャとトンカツ』

2005年12月23日 | 芝居
私が毎日通勤途中でお参りしております、寺町通り三条上ルの<矢田寺>で、本日午前十時から『かぼちゃ供養』が執り行われまして、参加して参りました。
中風除け、諸病平癒、健康を祈願する行事でして、直径七十センチほどの巨大なかぼちゃ(品種は何というのでしょうか)を前にお寺のお坊さん二人による読経があり、それから参拝客がそのかぼちゃを撫でさすります。ご近所の方による、かぼちゃの煮物の炊き出しもあり、実に一千人分用意されたとのこと。私もばっちり頂戴しまして、ご利益にあずかりました。もともと狭い境内はお参りの人でいっぱい。家族連れや観光客(私もですが)、報道関係者やカメラマンも集まってとても賑やかでした。

夜は兄弟子、弟弟子と衣裳さんの計五人で、とんかつの『かつくら』へ。久しぶりに門弟揃っての楽しい食事で、さっくり揚げたてのトンカツを堪能しました。京野菜のカツ、というのが、あっさりとして美味しかったですが、もちろんお肉も、厚みといいいジューシーさといい、久々の揚げ物料理を十分味わうことができました。麦が混じったご飯とキャベツ、そしてお味噌汁がおかわり自由というのがウレシイですね。

…そういえば、今日楽屋で話題になったのですが、近頃健康法としても注目されている<ナンバ>歩行。いわゆる右手右足、左手左足が同時に前に出る歩き方ですね。『日本人は明治時代まではみなナンバ歩行だった』との説があるのですが、はたしてこれは本当なのでしょうか? たしかに浮世絵などの人物画では明らかにナンバ歩行の姿になっておりますし、古武術の動作にも、やはりナンバの形が見られます。だとすれば現在の歌舞伎の演技としての歩行法は、現代の歩き方になっておりますから、ある時期で変わってしまったのでしょうか。
踊りのお稽古でも、同じ方の手足を同時に出してしまうと、「それじゃナンバだよ!」と注意されてしまいますが、逆にわざとナンバにする振りもございますし、荒事の演技で見られる、<六方(法)>や<踏み出し>は、明らかにナンバの動きですよね。
不勉強なので疑問だらけなのですが、<日本人とナンバ歩行>については、機会がありましたらじっくり勉強してみようと思っております。皆様からもご教授願えたら幸いです。

なんだかとりとめのない話になってしまいました。京都もあと三日でお別れです。そろそろ帰りの荷造りをせねばなりません。

梅之京都日記・24『雪景色!』

2005年12月22日 | 芝居
昨日の夜から降り出した雪は、今日の昼過ぎまで降り続け、京都の街は白一色に包まれました。気温も終日零度前後。寒い寒い一日で、冷え性の私など大変過ごしづらかったですが、なぜかしら、雪となりますと心騒ぐものがございます。
関西地域の交通機関も朝方はやや乱れたようで、十時半開演の序幕『女車引』が開いたときには、客席にも空席が目立ったようですが、次第にいつもの活況となり、本当に有り難いことだと思いました。

最近はめっきり大雪になりませんが、私が小学生だった頃は一冬に一度はしっかり積もる雪の日があったように記憶しております。私も、子供のころは風の子(今では風邪の子)でしたから、雪で学校が休みにでもなれば、終日表で友達と遊びました。冷たさに手の先足の先の感覚が麻痺するようなあの感じ、懐かしいです。
祖父母が札幌在住だったので、何度か<雪祭り>も観にいきましたし、庭でそり遊びをしたことも。スキーは関西に住んでいた中学時代、冬の課外学習で初体験しました。私は運動オンチですので、その時も全然滑ることができず、ちっとも楽しくなかったのですが、その後、研修生最後の年の冬の休暇(二週間程)、中学時代の友人十人ほどで、ちょうど冬期五輪に湧いている、長野県野沢温泉に小旅行に行きまして、再びスキーをするハメになってしまいました。
上手くなっているはずもなく、靴のはき方すら忘れているありさま。とりあえず初心者コースを滑り出しましたが、転倒、転倒、転倒でイライラは募るばかり。いつしか仲間ともはぐれ独りぼっち、それでもなんとか進んでゆくうち、いつのまにか上級者コースに入り込んでしまい(分岐点で間違えたのです)、傾斜は急になるわビュンビュン滑ってゆく上級者にぶつかるわで、命の危険を本気で感じました。最後の急斜面滑降などは、よくぞ止まれたというほどの暴走(だって真っすぐにしか滑れないのですもの!)でした。
やっと終わった、と安心したのは数秒でした。上級者コースは山の中程で終わっているので、今度はリフトに乗って上に戻らなくてはならないのですが、私それまでリフトに乗ったことがなく、乗り方がわからないのです。見れば周りの人々は、スキー板を装着したままで、こともなげに歩き、楽々と座席に乗り込み、気持ち良さそうに上がってゆくではありませんか。さりながら当方は、滑ることもできないくせに歩くことすらたどたどしく、止まることなく循環する座席をめがけて進むことなど不可能としか思われず、どうしようかと途方に暮れましたが、もうどうにでもなれ、いざとなりゃア、リフトを止めてもらってから乗ればいいやという覚悟(覚悟でもなんでもないのですが)で、乗り込む列に加わり、とにかく前の人の見よう見まね、やっとこさ着席に成功、無事空中の人になったのです。
しかし苦難というものは続くもので、降りるのは比較的うまくいったのですが、リフトが初心者コースのスタート地点よりさらに山頂よりまでいってしまったので、どうにも私の技術では滑走は無理。第一コース順路がわからないから、友人ともはぐれっぱなしになってしまいます。しょうがないので一度下山し、行きで使ったロープーウェイ乗り場からふたたび登れば、もう一度初心者コースのスタート地点に出られるだろうという結論を出し、では山を下りる方法は? ということで、麓まで続く遊歩道を発見、スキー板を外した靴部分だけで、えんえんと続く坂を、石段を下りるという荒行。担いだスキー板は重たいし邪魔だし、すれ違う散策者からは奇異の目で見られるし、麓には出られることはわかっていても不安になるし、泣きたくなるような小一時間を過ごしたのでした。
なんとかロープーウェイ乗り場で友人とも合流し、ふたたび初心者コースから、道を間違えないように気をつけて出発しましたが、人間一度困難を経験すると、ちょっとのことでは動じなくなるものなのか、さんざん上級者コースで揉まれたせいで、初心者コースを自分でも驚くぐらい快調に、楽に滑ることができるようになっていたのです。それからはネが単純なものですから、嬉しくなって何度もコースを回ってしまいました。
それ以来スキーには行っておりませんが、いつか冬にお休みが頂けたら、是非トライしてみたいです。

…楽屋の屋上にもいっぱい雪が積もりましたので、雪だるまを作ってみました。久しぶりで楽しかったです。なかなか可愛いでしょう?

梅之京都日記・23『忘年会シーズンですが…』

2005年12月21日 | 芝居
本日、来月の公演で師匠梅玉が踊ります『鶴壽千歳』のお稽古がございまして、私も後見をさせて頂きますので、同行いたしました。振り付けが藤間の御宗家ですので、京都にお住まいの宗家藤間流のお師匠のお稽古場をお借りしての稽古。夜の部の『本朝廿四孝』が終演してから伺いました。
この舞踊、私は初めて拝見するのですが、雌雄の鶴の精が、天下太平を寿いで舞い遊ぶという大変おめでたく、また典雅な<祝儀舞踊>とのこと。箏曲による演奏で、曲もゆったりおおらか、歌詞もおめでたい内容で、初春興行の幕開けにぴったりです。
師匠のお稽古を拝見しながら、後見の仕事などを確認。それほどややこしい仕事はございませんが、悪目立ちすることのないよう、気をつけて参りたいものです。

さて…。
この季節、忘年会など様々な催しで、皆様もお酒を飲まれる機会が多いことと存じますが、お好きなお酒はなんですか?
日本酒、焼酎、ワイン、カクテル、etc…。場面場面にもよりましょうが、誰しもお好みの種類はございましょう。私はここ数年は焼酎派です。なかでも芋焼酎が一番好きで、お店で飲む時はだいたいロックで頂きます。芋独特の、あの香りと味わいが好きで、今はいろいろな銘柄を試しているのですが、定番だとは思いますが、<黒霧島>とか<白金乃露>などはお気に入りで、よく飲みます。もしオススメの銘柄がございましたら、是非お教え下さいませ!

思えばお酒との付き合い方は、この世界に入ってから、先輩方との度々のお付き合いの席の中で、だんだんと鍛えられてきたような気がいたしますが、二日酔いやら悪酔いやら、後悔が混じる飲み方も何度も経験してしまいました。その場を楽しくする飲み方を心がけねばなりませんが、時に心得違いから、周りにご迷惑をかけてしまったこともございます。そんな苦い体験を繰り返さぬよう、気をつけながら嗜むことにしておりますが、心を惑わす魔性の水、ついつい浮かれてしまうんですよね…。ちなみに私が酔いますと、いつもおしゃべりなのがいっそう饒舌になりますが、舌が回らないので、周りの人は何を言っているかわからないらしいです。

そういえば、古谷三敏さんの漫画『BAR レモン・ハート』は、色々なお酒のウンチクが楽しめる素敵な作品です。ストーリーはいたってウェル・メイドですけど、巻を重ねるのもうなずける、ほのぼのとした味わいです。これを読んでお酒に詳しくなろうと思っているのですが、どうにも知識は右から左。やはりお酒は頭でなく、舌で学ばねばなりませんね。

今日の写真は魔性の水、ならぬ京都の名水<天神水>です。錦通りと新京極通りが交わるあたりにございます、<錦天満宮>の境内に湧いている清水で、持ち帰り自由、朝立ち寄りますと、近所の方がペットボトルにたくさん詰めていらっしゃいます。お酒を割っても美味しいのではないでしょうか?

梅之京都日記・22『きりたんぽ!』

2005年12月20日 | 芝居
昨日、私のマンションに仲間二人をお招きして、ささやかながら『キリタンポ鍋パーティー』をひらきました。食材は南座近くの高島屋の地下で買い物。比内地鶏もばっちり手に入れ、正真正銘のキリタンポ鍋ができました。
比内地鶏の肉から沁み出る、黄色がかった脂が食欲をそそります。定番の芹、牛蒡、舞茸に、焼き豆腐や糸こんにゃく、葱も入れたのでボリュームは満点、これにキリタンポですから、食べきれるかちょっと心配だったのですが、三人であっというまに平らげてしまい、これならもう少し比内地鶏を買っておけばよかったと後悔しました。
それにしてもよく飲みました! 乾杯のビールはもとより、持ち寄ったワイン二本もすぐ空いてしまい、すぐ近くのコンビニで日本酒を買い足しました。九時過ぎからはじめて、一時くらいまで盛り上がっておりましたが、気のおけない友人とのおしゃべりは、時のたつのを忘れますね。一人関西在住の後輩がおりまして、当然ながら終電を過ぎましたから、私の部屋にお泊まりでした。
東京の自宅でも、時折仲間を呼んでわいわい騒ぐ集まりを企画しております。だいたいは鍋料理になることが多いのですが、居酒屋などお店に行くよりも、時間を気にしたり予算の心配をすることがないから気楽です。お酒やおかずも持ち寄りで、協力しながらというのが、かえってアットホームな感じで楽しいです。いつも以上に突っ込んだトークになったりすることもしばしばで、それもまたホームパーティーの魅力でしょうか。

さて本日で、京都公演も残り一週間となりました。ここまでくれば、あと一息。油断なく、最後まで懸命に勤めたいものです。
来月のお稽古割りも届きました。来月は昼の部の序幕『鶴壽千歳』の後見と、『藤十郎の恋』の大道具方を勉強させていただきます。
残り少ない『京都日記』、最後までお付き合い下さいませ。

梅之京都日記・21『オイシイ洋食の一日』

2005年12月18日 | 芝居
京都は未明から雪が降り出し、今日一日、粉雪が降ったり晴れ間が見えたりの落ち着かない天気でした。冷え込みも本格化。楽屋でも風邪をひいた人がちらほら出てきました。私も前半体調を崩しましたが、残り一週間の公演は、元気に過ごしたいものです。
今日は私の母と妹が、日帰りで京都旅行に来ましたので、『京人形』出演後に落ち合い、昨晩も参りました先斗町にございます、オムライス専門店『ルフ』さんで家族久々の昼食。それぞれ色々な味付けのオムライスを頂きながら、つもる話に花が咲きました。『ルフ』は初めてお邪魔いたしましたが、やや薄口の味付けながら、豊富な具材の旨味はしっかり効いており、ボリュームもあって大満足でした。…母と妹は朝五時半に家を出て、六時台の新幹線に乗ってきたとのこと。私と会う前に、三十三間堂と清水寺を拝観してきたそうです。三十三間堂の一千一体の観音立像に感動しておりました。その他仕事のことや家での話に盛り上がりましたが、最近なかなか実家に帰ることができないので、家族でゆっくり話ができて本当に楽しかったです。今年の暮れには、実家に帰らなくてはなりませんね。最後は鴨川べりをお散歩してから別れました。今頃はもう、神奈川の家に帰っているでしょう。

さて本日は、はからずも夕食まで外食となりました。先輩のお誘いで、四条通り沿い、花見小路に出る手前のビルの四階のイタリアン『ラ・クチーナ・ディ・フジイ』でご馳走になりました。久しぶりのイタリア料理でしたが、前菜からメインの肉料理まで堪能させていただきました。どの品も大人の味、と申せば、私ごときがおこがましいかもしれませんが、新鮮な素材の味が活きていて、嬉しくなるようなものばかり。おいしいイタリアワイン<ラ セルヴァネッラ>も頂いて、すっかりご機嫌になってしまいました。…お誘い下さり有り難うございました!

先日の宣言通り、後半戦は京都の美味しいものとの出会いが続きそうです! 明日はいよいよ念願の◯◯パーティー開催かも…? 次の更新まで、お楽しみに!

梅之京都日記・20『冷や汗をかきました』

2005年12月17日 | 芝居
今日の『五斗三番叟』で、アクシデント(?)が発生しました。
雀踊りの奴の衣裳を着終わり、さあカツラをかぶって編み笠を、と思った矢先、急に鼻先からツツーッと滴るものが。なんと突然の鼻血! あと十五分で幕が開くというのに…。一瞬動転しましたが、幸い、顔を見せないように編み笠をかぶるものですから、ティッシュをぐいぐい詰めて、そのまま舞台に出ました。舞台で演技している間も、出血は止まっていなかったようなのですが、粗相をすることもなく、無事出番を終えることができまして、本当によかったです! 共演する皆様には、ご迷惑とご心配をおかけしまして、申し訳ございませんでした。

その後はなんともなく、一日の仕事は終わりました。今晩は、中学時代の友人と久々の食事。先斗町のなかほどにございます、洋風居酒屋『厨厨(ずず)』にお邪魔しました。カウンターがメインのこじんまりしたお店ですが、大繁盛のにぎやかな店内。食事もバラエティーに富んでおりましたし、値段もお手頃。お店の方も皆さん親切で、大満足でした。九条ネギをたっぷりのせた地鶏の焼き物や、セイロで蒸した温野菜のサラダ、美味しかったです! また足を運ぼうと思っております。
…これを幸い、というわけではございませんが、今月前半にお邪魔したすてきなお店を、まとめてご紹介いたしましょう。
まず以前の記事にも書きましたスペイン料理の『LA MASA』は、御池通りを寺町通りで上がった左側。コンビニの隣です。
たまたま入って美味しかった、おばんざいの『もり』は四条通りを花見小路で上がってすぐのところで、一人で切り盛りする女将さんの、ドライ&クールな人柄が魅かれます。お料理ももちろん美味しいです。
それから、これは先輩にご紹介いただいたのですが、やはり四条通り沿いの『かぼちゃのたね』。こちらはおばんざいと鰻がメインのお店。鰻は江戸前の焼き方ですから、東京人にも抵抗なく頂けると思います。
四条通りを木屋町通りで上っていった左側にあるバー『BBS ほら穴』は、一時間千円で飲み放題。一時間以降は追加料金が加算されますが、お手頃価格で豊富なドリンク&フードメニューを頂けるのでオススメです。お店の方もとっても気さくで、楽しく過ごせると思います。

この他、南座出演者がよくお世話になります、喫茶と軽食の『中谷』さんや『山本』さんも、是非ご紹介させていただきたいお店。これからも自分の足と舌で、いろんなお店を探して参りますので、お付き合いくださいませ。

今日の写真は、京都ホテルオークラのライトアップです。そういえば、もうすぐクリスマスですね。一人きりのクリスマス・イブには、もうすっかり慣れました…。

梅之京都日記・19『大盛り上がりのダーツ大会!』

2005年12月16日 | 芝居
昨日は更新ができず失礼をいたしました。
タイトルにも書きましたが、昨日は河原町のダーツバー『BEE』でのダーツ大会がございまして、そのため終日外出しておりました。
今名題下若手を中心に、ダーツがはやっております。今月も南座出演中のメンバーに愛好家が揃っておりまして、ひとつ大勢で大会をひらいて盛り上がろうということになり参加者を募ったところ、名題下俳優はもちろんのこと、衣裳さんや付き人さんも多数集まり、総勢二十六名での大、大、大会となった次第。
メンバーを五チームにわけての対抗戦。数あるゲームの種目の中から、一番簡単な<カウントアップ>(刺さった場所の点数を加算してゆき、八ラウンド、計二十四投の総得点を競う)で勝負です。熟達の腕前の持ち主もいれば、今日初めてダーツを投げる人もいる混成部隊ですが、鮮やかな投げぶりに歓声があがったり、思わず笑ってしまうような珍プレーも続出。もとよりサービス精神あふれる人ばかり、しかもお酒も入るものですから、約二時間のゲーム時間は、本当に楽しく、和気あいあいのうちに進みました。
かくいう私は、ダーツは好きでも、熱心に通うほどではないので、たいして腕はありません。それでも、一ラウンド三投での合計点数がちょうど百になる<LOW TON>を出した時は、周りからも歓声がおこり、ちょっと興奮してしまいました!
最終的には、我がチームは優勝できずに終わってしまいましたが、賞品も出た表彰式(というほど大げさではないのですが)も大盛り上がりでした。
最後に私のカメラで集合写真を撮りましたので、掲載いたします。ご覧になればおわかりでしょうが、だいぶハジけた人もいます。一夜限りの宴ということで、大目に見てください。
最後に、この大会の実行委員的な働きをしてくれた尾上音之助さん、尾上音一郎さん、中村京珠さん、本当にお疲れさまでした!

…ゲームは十時から始まったので、終了は午前0時。そのあと打ち上げで飲みに行き、実はマンションに帰ったのが午前四時。今日一日、だいぶ眠たかったですが、舞台は無事に終えることができましたのでご安心を。
食費を節約するためにマンションで自炊をしておりますし、また体調を崩したこともあり、今月前半は、あまり出歩いたり催しを企画することなく終わってしまいましたが、後半戦では、京都の夜を満喫するつもりです。今日までの記事もずいぶんとかたい内容が続いてしまいましたので、年忘れの楽しい話題をご提供できればと思います。
とりあえず、今日は早寝をいたしましょう。

梅之京都日記・18『重た~い!』

2005年12月14日 | 芝居
本日はNHKの舞台収録がありました。山城屋(坂田藤十郎)さんの襲名演目が中心ですが、昼の部の舞踊『文屋』、私も出演しております『京人形』も収録されました。いつも収録となると緊張してしまう私ですが、今回はあまり気負わずリラックスして取り組めてよかったです。
京都南座での襲名披露の演目は、『夕霧名残の正月』『曾根崎心中』そして『本朝廿四孝』の「十種香・奥庭」ですが、「十種香」には師匠梅玉も、白須賀六郎の役で出演しております。
このお役、武田勝頼の命を奪うための上杉謙信からの刺客というわけで、義太夫にもある通り「心も足も血気の若武者」という設定ですから、扮装も荒々しく、派手なつくりになっております。

腰から足首までを覆う<紐付き>をはいてから、まず袖無しの白の襦袢、次に<素網(すあみ)>という、黒紐で編まれた長袖のシャツのようなものを着ます。これは鎖帷子(くさりかたびら)を着ているということを表す衣裳で、この役のような荒武者の役々ではよく着用します。その上に、<千早(ちはや)>という袖無しのチョッキ状のものを着て、お次ぎは<下四天(したよてん)>という、腰から下だけにかいこむ馬簾(ばれん。金糸銀糸で作られた房)がついたものをつけます。
そうしていよいよ着付け。<馬簾付きの四天>を、“東からげ”という、左右の裾をつまみあげた形に着てから、帯を<割ばさみ>に締め、浅葱の縮緬の<しごき>を上からさらに結び、最後は着付けの上半身を“肌脱ぎ”にして、<千早>から下を見せるようにして完成です。
この衣裳、<襦袢><素網><しごき>以外はみな織物製。しかもやはり織物の裏地もついており、大変重たいのです。さらには<下四天>と着付けの<四天>についている<馬簾>も、紐をよって作られた房を裾まわりに百本近くも縫い付けたものですから非常に重みがあるものですので、衣裳全体の総重量はびっくりするくらいです。
師匠がこの衣裳を着る時は、私が衣裳さんに、着てゆくパーツを渡してゆく係をしているのですが、持ち上げてから渡すまでのそのわずかな時間でも、(重たいな~)と思ってしまいます。
この衣裳を着て、数分間とはいえ派手な三味線に合わせて跳ねたり飛んだり回ったりの演技をするわけですので、さぞかし大変なことだろうと推察はいたしておりますが、こればっかりは、実際に着て、動いてみなくてはわからない世界でしょう。
織物となると厚みも出ます。厚手の衣裳は常にもましてしっかりと腰紐で締めないと、着崩れしてしまいます。兄弟子が前に回って着付けの介錯をしておりますが、やはり相当の腕力を使っているそうです。
ちなみに衣裳の柄、色味も、役に合わせて強いものになっています。<千早>は鶸(ひわ)色地に白の龍の丸、帯は紺地に金の唐草と龍の丸、着付けは鶸色地に金の立涌、それに“雨龍(あまりゅう)”というだいぶ抽象化された龍と、雲を散らしておりまして、いたるところに龍の姿を見ることができます。

カツラはまげの先端、いわゆる<刷毛先(はけさき)>をくせ毛(パーマ状)にして四方に広げてふくらませた<八方割れ>に樺色の鉢巻き、化粧は<むきみ>という隈をとり、全てがこの役の性格をばっちり表現するデザインとなっております。

写真は畳まれた状態での、白須賀の衣裳一式です。畳んでいてもこのかさ張りですよ!