梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

巡業日記番外・『吉野山』巡業演出

2005年07月18日 | 芝居
昨晩は、ある幹部俳優さんの御一門のお食事会に、御一緒の舞台に出させて頂いている御縁で、私をはじめ御一門以外の名題下俳優も御招待下さいました。楽しいひとときを過ごさせて頂き、この場をお借りしまして御礼申し上げたいと存じます。

さて本日は福井県『福井市文化会館』での一回公演なのですが、公演終了後、長時間の移動のため、更新が間に合わなくなるのもなんですので、度々ではございますけれども番外編にさせて頂き、昨日お伝えした通り、今回の『吉野山』での、いつもとは違う演出を御説明いたしましょう。
本来ならば、播磨屋(吉右衛門)さん扮する佐藤忠信実は源九郎狐は、静御前の打つ鼓の寝に惹かれ、花道の「スッポン」からの<セリ上がり>で登場します。「スッポン」から出入りするのは、人間ならざるモノ、という約束事に基づいているわけですが、巡業でまわる会館には、このスッポンがないところがほとんどです。
そこで今回は、忠信の出を花道にせず本舞台下手側とし、きっかけになると、黒衣の後見が二人で、<消し幕>と呼ばれる赤色の大きな幕で忠信を隠しながら下手から出て、丁度いい居所までたどりついたところで、いっぺんにこの幕を消し去り、お客様にパッとその姿を見せるという段取りになっております。<消し幕>は本来黒なのですが、舞踊や様式性の高い芝居では、見た目の美しさをだすために赤を用います。どちらにしても、今までいなかった人が、突然そこに出現した、ということを表現しております。ちなみに師匠梅玉がやはり巡業でこの忠信を演じましたおりは、出のキッカケでいったん舞台照明を真っ暗にし、その間に花道に出てしまい、照明が戻るとすでにお客様の目の前にいる、という演出でした。

一番変わったところが幕切れです。本来ならば静御前と忠信が本舞台から花道にさしかかったところで早見の藤太が花四天を連れて再度登場、それを忠信が、手にした笠を投げ付けてあしらい、見得に合わせて花四天が一斉にトンボをかえるのが柝の入るキッカケ。それから静御前の引っ込みに合わせて定式幕がひかれ、そのあとは忠信一人になって、下座囃子に合わせての<幕外の引っ込み>となるのですが、これまた会館によっては定式幕がなく、緞帳だけのところも多く、演出を変えねばならないのです。
たんに緞帳を同じきっかけで降ろせばいいのではないかと思われるかもしれませんが、そうはゆかないのでございます。というのも、定式幕ならば、お囃子さんが控えている下座、つまり<黒御簾>から、花道での忠信の演技が見えるように幕の閉め方を幕引きさんの手で簡単に操作できるのですが、緞帳は機械操作ですし、舞台全面を遮蔽するようにしかできないので、お囃子さんは花道が見えず、演技に合わせての演奏ができないのです。
そこで今回は忠信が花道を引っ込むまでは、定式幕でも緞帳でも、幕を引かない段取りを新たに作りました。静御前が引っ込むと、大太鼓の「ドロドロ(妖怪変化の演技に伴うお囃子)」がかかり、本舞台の藤太や花四天は狐に化かされた気持ちで後ろ向きに座り込み、気を失っている感じで控えます。それから忠信の狐のクルイがあって見得をしますと、本来ならば長唄さんが下座で歌う「見渡せば」の歌を、本舞台にいる清元節で歌い(鳴り物は下座で)、引っ込みのはじまり。途中忠信が本舞台の我々をたぶらかす振りを見せると再び「ドロドロ」になり、一同はっと気がつきますが、それこそ「狐につままれた」ように右往左往、花四天が五人組んで台を作り、その上に藤太が乗っかり、花道を悠々と引っ込む忠信を見送る、その脇には残りの花四天三人が「見ざる言わざる聞かざる」の<三猿>の真似、という形で幕となります。
いつもと違う幕切れになるわけですが、これはこれで、見た目の変化もあって面白いのではないでしょうか。

また、今回公演する劇場によっては、定式幕もすっぽんも完備しているところもございます。ではこういうところでは、本来通りの演出に戻しているのかというと、今回に限ってはそうではございません。日によって演出を変えるとなると、スタッフさん、地方さん、もちろん我々出演者ともその都度打ち合わせをしなくてはならなくなりますので、どこの劇場でも、統一した<巡業演出>でいたしております。

巡業でしか見られない演出、是非一度、お確かめ下さいませ。