梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

仲春稽古場便り・4

2010年01月31日 | 芝居
『ぢいさんばあさん』『籠釣瓶』の<初日通り舞台稽古>でした。(ということは師匠はお休みというわけで…)

『ぢいさんばあさん』、“お褒め状”を大和屋(玉三郎)さんにお渡しするときは緊張いたしました~。こういうときは、「自分は後見なんだ」というつもりで勤めるようにしています。今の未熟な自分では、役で“演じている”と思うからヘンな意識をしておかしくなってしまう。後見だと思えば、余計な力を抜いて、その仕事だけに集中できるように思っておりますので…。
おかげさまで大過なく勤まりまして、ホッといたしました。これから徐々に、より腰元らしくなれるように努力します。

『籠釣瓶』。「縁切りの場」は、やはり本舞台に場を移しますと居所や動線がいろいろとかわりまして、対応するのが精一杯でした。すでに大勢が居並んでいる場に、あとから加わるのって余計にドキドキしますね。開幕時にすでに登場している状態を“板付き”と呼んでおりますが、そちらのほうがかなり気持ちとしては楽でございます。
今日ももちろん課題は残りましたが、もう明日は本番ですので、とにかく段取りよく動けるように、気持ちを落ち着け引き締めてまいります!

仲春稽古場便り・3

2010年01月30日 | 芝居
『俊寛』が<初日通り舞台稽古>、『ぢいさんばあさん』『籠釣瓶』が<総ざらい>でした。

『俊寛』は何事もなく終わりました(弟子として過去4回もついているのですから、何かあったら恥ずかしいくらいです!)。
あいかわらず、決して広くはない上手舞台袖からあの大船が出てゆくときの大道具さんの“技”には感服いたしました。新しい歌舞伎座では、こういう作業がより簡単に、安全に勤められるようになったらよいですね!

『籠釣瓶』、昨日よりかはまごつかずにすみましたが、はたして舞台に場を移すとどうなりますでしょうか? 人より対応力が足りない私ですので、臨機応変を心がけ、先輩方からのアドバイスを無駄にしないよう気をつけます。

…舞踊劇『爪王』は<舞台にて総ざらい>でしたので、客席から拝見させて頂きました。狐と鷹のお二人(勘太郎さん七之助さん)は衣裳を着けられて、舞台装置は本番通りというかたちでしたが、“散文詩”的、ともうしましょうか、短くも趣きある,美しい言葉たちで綴られた長唄、獣と鳥の“闘い”を踊りで見せる面白さ。数十年ぶりの上演だそうですが、とっても新鮮でございました。

仲春稽古場便り・2

2010年01月29日 | 芝居
『俊寛』は<総ざらい>で、『口上』は<初日通り舞台稽古>、『ぢいさんばあさん』『籠釣瓶』は<附立>でした。

『ぢいさんばあさん』に携わりますのは初めてでございまして、腰元役につきましては、4人出るうち他の3人が経験者でしたので段取りなどを伺い、記録ビデオも拝見して準備いたしました。あっという間の出番なんですが、私は大和屋(玉三郎)さんがお勤めになる“るん”に、お褒め状を手渡す仕事がございますので、所作には重々気をつけて、ご迷惑にならないように勤めたいと思います。

『籠釣瓶』は何度も新造役で“道中”には出させて頂きましたが、今回は続く「立花屋見世先」「兵庫屋縁切り」にも出る八ッ橋付きということで、これまた初めて勉強させて頂きます。先輩方がお勤めになっていた様子はなんとなく覚えていたものの、師匠が栄之丞をお勤めのときは、裏の用事もあってなかなか舞台面を拝見する余裕もなく、やはり経験者のお話と映像をたよりにお稽古に臨みましたが、度々申すことながら、段取りだけを知っていても、その場の雰囲気、流れをしっかり呑込まないうちは、「わかった」うちには入りません! 今日の反省を乗り越えて、明日からが勝負です!

本日<顔寄せ>もございましたが、当月は紀伊国屋(澤村藤十郎)さんのご一門の澤村国久さん、澤村國矢さんが揃って名題披露なさいますので、その御挨拶もございました。勉強会等で度々お世話になりましたお二人のご昇進、本当に嬉しいです。心よりお祝い申し上げます!

仲春稽古場便り・1

2010年01月28日 | 芝居
1日お休みを頂きまして、本日から<歌舞伎座さよなら公演>『十七代目中村勘三郎追善興行 二月大歌舞伎』のお稽古がはじまりました。
といっても、本日は『俊寛』と『爪王』のみ。携わったのは師匠が丹左衛門をお勤めになる『俊寛』、しかも自分は出ておりませんので、「稽古をした!」という感じではありませんでしたが…。

師匠の丹左衛門は、私が入門してからでもこれで5演目ですが、この度は中村屋(勘三郎)さんの俊寛とのお顔合わせ。これは初めてですので、また新たな気持ちで勉強したいです。

終わりました!

2010年01月26日 | 芝居
歌舞伎座さよなら公演『寿初春大歌舞伎』、本日めでたく千穐楽を迎えることができました。
大勢のお客様の賑々しいご来場に、舞台の熱気もいや増しまして、とても気持ちよく、元気に勤めることができました。心より御礼申し上げます。

たびたび勉強させて頂いております『勧進帳』富樫の後見ですが、今回、なんとなくですが、今までとは変わったかなという気がいたしました。言葉でうまくあらわせないのですが、後見として舞台にどういればよいのかを、これまであれこれ悩んだり考えたりしていたのですが、初めて勤めたときから百数十回。まがりなりにも数を重ねてまいりましたなかで、気持ちのうえでなにかほぐれてきたように思えました。
といっても、自分ひとりで思い込んでいるだけかもしれず、なんとも不安ではございますが、少しでも無駄のない存在になれるように,今後も精進してまいります。
それは、舞台の上だけのことではなく、生き方とか考え方というものにも関わっているのだと思います。今年も公私ともに、ヒト、コト、モノとのよき出会い、体験を重ねたいものでございます!

『春の寿』。京屋(雀右衛門)さんが体調を崩されましたのはなんとも残念ですが、19日のご出演は、心に深く刻まれました。本当に、忘れられない1日です。

『道成寺』の緊張感もなみなみならぬものがございましたが、次の『浮名横櫛 見染め』の貝拾いの女でほどけ、ほぼ1日中の歌舞伎座生活はメリハリがきいて楽しかったです。
明日、1日お休みを頂き英気を養い、続く『二月大歌舞伎』へと突入いたします。
『ぢいさんばあさん』の3幕目の<腰元>と、『籠釣瓶』<八ッ橋付き振袖新造>(「縁切り」まで)に出演いたします!

私と『娘道成寺』

2010年01月25日 | 芝居
当月は中村屋(勘三郎)さんの『京鹿子娘道成寺』に所化役を勤めさせて頂いておりますが、私が初めて観た『娘道成寺』は平成5年3月歌舞伎座で、このときも白拍子花子は中村屋(当時勘九郎)さん。本興行では初めての上演でございました。
当時12歳の私は、舞台面の華やかさ、曲の素晴らしさも含め、この踊りがいっぺんで大好きになりました。いまだにあの日の舞台のことは、鮮明に覚えております。
(そういえば、私の拝見した日の“舞い尽くし”は勘太郎さん七之助さんご兄弟でしたね)

同じ年の12月の京都南座の顔見世でも中村屋さんは『道成寺』をお出しになりましたが、この舞台も拝見することができました。大奮発して(←親が)1階のど真ん中! ドキドキしながら観ていましたね…。

それから10数年が相経ち、今度は自分がその中村屋さんの『道成寺』に出演している…。
感慨ひとしおです。

本日(25日)は、“舞い尽くし”を勤めさせて頂きました。
大緊張いたしました! 当然ながら稽古はなし、ぶっつけ本番ですからね。
冒頭部は昔からのお決まりですが、あとは自分のアイディアで運ばなくてはなりませんが、ここが難しかったです。
ふざけてはいけませんが、洒落と申しますか“遊び”も必要ですし…。
ど忘れもなく噛むこともなく最後まで無事に言い終わって、ホッとしました。


ミカドウミウシ可愛いよ

2010年01月23日 | 芝居
レイトショーで『OCEANS オーシャンズ』を観てきました。
CMをみて、これは是非観なくちゃ! と思っていた作品。泳げないけど海と海の生き物は大好きです(とくに深海魚ね)…。

恐ろしさを感じるくらいの深い蒼の世界で営まれている、たくさんの生物のいわば“日常”が、そのまま壮大な物語になっている! 最新機器と専門知識を駆使した映像が、生命の迫力、美しさをダイナミックに描いていて、引込まれました…。

イグアナが海底からワラワラと這い上がってくるシーンがあったんですけど、あんなのが普通にいる土地があるのね…。
荒波にのまれる小さな灯台。レイ・ブラッドベリの『霧笛』の趣き。
生きたままヒレだけ取られて捨てられる鮫の最期。手足をもがれて海底へ沈んでいくその残酷さ。それを人間は食べているのか。

皆様も是非御覧下さいませ。

ただただ、身の引き締まる思いでした

2010年01月19日 | 芝居
本日、『春の寿』におきまして、初日以来休演されていらっしゃいました京屋(雀右衛門)さんがご復帰なされ、久方ぶりのお舞台を踏まれました。
本当に喜ばしく、嬉しいことでございました。
さらに申し上げますれば、そのお舞台を支える大勢の皆様のお心、お力の暖かさ! 拝見していて心をうたれました。
誠に、貴重な“時”、得難い“瞬間”に立ち会わせて頂いたのだなと、身の震える思いでございました。

合縁奇縁

2010年01月16日 | 芝居
いつもお世話になっております銀座の病院の先生が、医師会の観劇会とやらで夜の部を御覧になると聞いていたのですが、『道成寺』で舞台に出てみますと、1階2列目にいらっしゃり、探さなくてもお目にかかれマシタ。お楽しみ頂けましたでしょうか…?

その『道成寺』、所化の手ぬぐい撒きは投げ方(上投げ・下投げ)にこだわらず、遠くの席の方々にも届くように、ということになりましたので、腕に覚えの先輩方は、かなり“遠投”なさっていらっしゃいますが、かつて申しました通り、私はノーコン弱腕でございますので、あいかわらず近くの皆様にお渡ししております。(それでも狙い通り届かないのですからなんともかんとも…)

終演後は、門前仲町<ココナッツ パーティー>で、鹿島良太さんと今年最初の食事。
またしても私ばかりが喋っていたような…でしたが、名物スペアリブを頂きながら、楽しいひとときでした。
あと4ヶ月の歌舞伎座に、是非とも来てもらいたい! とお願いしました。

中日でした

2010年01月14日 | 芝居
本日、歌舞伎座さよなら公演<寿初春大歌舞伎>の中日でした。
昼夜4役に出演させて頂いているせいか、あっという間に日が過ぎていくようで、このままでは、気がつけば千穐楽という感じになるのではないかしらん…。

『勧進帳』と『道成寺』での正座も、“しんどい状態”に足が適応してきましたので(運動生理学上イイことかどうかはわかりませんが)、辛くなくなってきました。ヤレヤレです。




作品と生き方とに憧れて

2010年01月13日 | 芝居
先日の記事で杉浦日向子氏を“心の師”と申し上げましたが、これは誇張でもなんでもなく本当のことで、何度も何度も読み返しては、色気と洒落気に酔っております。

舞台以外の私の<師>。

水木しげる(大先生、とも)
杉浦日向子
萩尾望都
中島らも
  ◯
高田純次

どうでもよい情報ですね。すみません。
…いつか、<私の好きな◯◯>でもやってみますかね。あ、皆さん興味ないか。



『勧進帳』のデザイン

2010年01月12日 | 芝居
『勧進帳』のそれぞれのお役の衣裳にあしらわれた模様が面白いので、ちょっとまとめてみましょう。

まず弁慶。いちばん上に着ているのは黒の<水衣(みずごろも)>ですが、そこに散らしているのは金糸で縫われた“梵字”。
多分に装飾的に変形していますが、「カ(ー)ン マン」、すなわち<不動明王>の意でございます。
大口袴には“輪宝”の模様で、これはどの演目でも、弁慶役には必ずといっていいほど使われている柄でございます。

富樫は薄納戸色の素襖、長袴(これも大口袴と同じように仕立てられています)。“松皮菱”の破れ(とぎれとぎれに描く)に、向い鶴と亀という模様。このカメさんが、近くで見るととても可愛らしい。後見しているおかげで気がつきました。

義経は、紫一色の水衣に鶸一色の大口袴で,模様らしい模様はあまり目につきませんが、水衣の上から締めている石帯(せきたい)には、笹竜胆が刺繍されていますので、お見逃しなく。

ユーモアがあるのは3人の番卒さんたちで、軍内さんは“蕪”、兵内さんは“雁窓(がんまど)”、権内さんは“雲板(うんぱん、くもいた)”というもの。
蕪はそのものズバリですが、雁窓というのは不思議な名前ですな。鳩サブレのエックス線写真みたいなデザインですが、ありゃ雁なのですか…?
雲板は、禅宗で使われる金属製の銅鑼のようなもので、これを鳴らして作務の合図にしました。

太刀持ち音若の肩衣(かたぎぬ)には、背面に大きく“蝙蝠”が羽を広げています。富樫の「いかにそれなる強力、止まれとこそ」のくだりになると、客席に背を向けて控えますから、是非見てみて下さい。
いまでこそ気味悪がられる蝙蝠は、かつては縁起のよい生き物。蝠→福に通じるからだそうですが…。
市川家にとっても、蝙蝠は由縁の柄でございます。

以上ざっとで失礼いたしますが、歌舞伎のデザインって、本当に面白いですね!


立つ鳥後を濁さず、で

2010年01月11日 | 芝居
楽屋入りしましたら、名題下部屋に張り紙がしてありまして、
『歌舞伎座改装にともない、楽屋に保管している荷物類は責任を持って撤収及び処分すること』
という旨のお達しでした。

国立劇場も新橋演舞場も、コクーンや浅草公会堂だってあるけれど、御園座南座松竹座、金丸座だってあるけれど、やはり歌舞伎座は私たちにとってのホームグラウンドでございます。それゆえに、楽屋棟のあちこちに、“自分の荷物”があるものなのです。
よその劇場に出演するときも、そこからその月いるものだけ持っていったりね。
そんなことができるのも、あと3ヶ月ということですか…。いよいよ<歌舞伎座さよなら>を実感してまいります。

以前ご紹介しました、尾上多賀之丞さんの姿見や、自由に閲覧できる数十年分の『演劇界』のバックナンバーなど、個人のものではない貴重な品々はどうなるのでしょうか? ちょっと心配です。
トランクルームを借りるったって、年数が結構かかりますからねぇ。費用とか責任の所在とか、現実的な問題も色々ありましょうし…。

それにしても、3月4月の狂言立てはまだかしら~?

こんな1日もある

2010年01月09日 | 芝居
お昼前からBSハイビジョンで『人間豹の最期』が放映されたのを録画しておいて、ただいまそれを観ながらこの文章を書いておりますが、一生懸命踊り歌った序幕の<ええじゃないか>は、あんなにも暗い場面だったのですか。自分で自分を発見できませんでした。そして師匠演じる陰陽師鏑木幻斎は、あんなにもアブナい人だったのですか。正面から見るとまた印象が違いますなァ…。

本日歌舞伎座では“とんぼ道場開き”。今の劇場では最後のお祀りごとです。新しい歌舞伎座では、どこに土俵(砂場)が作られるのでしょうか…?

夜は首都高沿いのドラム缶の上で焼く焼肉屋さんに。骨付きカルビがすっごく美味しい! マッコリが進んで進んで…。
店員さんの親切なサービスも嬉しいお店。また行きたいですね。

聴かせどころをピックアップ

2010年01月08日 | 芝居
夜の部序幕のご祝儀舞踊『春の寿』は、今回のために構成された作品でございまして、長唄の既存曲をいくつかつなぎ合わせてまとめられたものでございます。

義太夫や清元、常磐津といった“浄瑠璃”は、歌詞に物語性がございます。誰が何をしているか、今何が起きているかを具体的に描くので、歌詞の内容と舞踊の展開は密接につながっています。一方長唄は“唄もの”で、実は歌詞の内容自体には物語性はほとんどございません。いくつかに分かれているくだりは、それぞれ独立した内容になっておりますので、ある意味メドレーといってもよいのかもしれません。『道成寺』にしましても、白拍子花子という登場人物が背負う物語と、「鞠唄」や「山尽くし」の歌詞とは直接的なつながりはございませんよね。
(もちろん、長唄にも物語性の強い作品もございますし、清元や常磐津の曲の中にも、他の作品にも流用できるくだりがあることはままございます。あくまで、浄瑠璃と唄ものの端的な区別を申し上げました)

今回の『春の寿』も、様々な作品から、新玉、春を寿ぐくだり、天下泰平、君臣豊楽を願うパートを主にして“抜き差し”してまとめておりますが、それが自然に1曲の作品として成立するのが、不思議といえば不思議ですね。

ちなみに師匠演じます<春の君>が踊るシヌキの部分は『六歌仙』の「業平」からとっています。