梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

寒かった~!

2006年02月28日 | 芝居
千穐楽の晩に博多を発ち、陸路はるばる進んできた、一座全員の芝居の荷物を積んだ二台のトラックが、本日午前九時半から荷下ろしということで、師匠はもとより自分の荷物を受け取りに歌舞伎座へ向かいました。
師匠も私も三月はお休み(兄弟子二人は国立劇場に出演なさいます)なので、荷物は自宅へ引き取らなくてはなりませんが、積まれた荷物はどの家の物も、ごっちゃになって下ろされ、どんどんトンボ道場に運ばれ、さらにここで山積みにされます。この山積み状態というものが、よくぞここまで、と呆れてしまうくらい絶妙なバランスとチカラ技で生み出された巨大なオブジェ。こうなってしまうとどこに我々の荷物があるか、さっぱりわからなくなってしまいますので、スムースに撤収を終えるためにも、荷台から下ろされたその場で必要な荷物を受け取ったほうがよいのです。
いつもなら三十分もあれば済むのですが、今日はどうにも荷下ろし作業がうまくいかなかったらしく、私や付き人さん、よそのお家の方や床山さんが、二時間近く表に立ち尽くして、目指す荷物が下りてくるのを待つということに。基本的に作業は業者さんにお任せすることになっております(責任問題もありますからね)から、ひたすら見守るのみ。いやはや、身体の芯から冷えました。
師匠の荷物をご自宅の倉庫へ収めて今日の仕事は終了。このままでは風邪をひきかねないと思ったので、いつも通っている『Fine Fix』で岩盤浴とマッサージを受けてきました。今はやりのデトックス効果抜群の岩盤浴。加熱したセラミックストーンを敷き詰めたベットに横たわり、首から下はカプセルで覆います。顔は外気に触れているので呼吸は楽(サウナですと熱気を吸うので息苦しくなりますでしょう?)、それでいて全身はすぐポッカポカ。凄まじい量の汗が流れてレンタルウェアをぐっしょりと濡らします。(毒素排出、毒素排出)とお題目のように唱えながら、ひたすら耐える三十分。終わってから飲むミネラルウォーターが格別美味しく感じられて幸せになります。その後に受けるマッサージで、立ち回りで疲れた下半身を中心にほぐしてもらったので、随分身体は楽になりました(今日のトレーナーさんは大当たりでした。しめしめ)。
私はマッサージ大好き人間ですので、月に一、二回は全身マッサージとかリフレクソロジーとかに行っています。ベットに横たわってボーッとしてる時間に幸せを感じます(ときにはもみ返しに苦しむこともあるのですが…)。もし私が女性だったら、エステに散財していたことでしょう。

銀座でぶらぶらしてから帰りましたが、まだまだ時間はたっぷりです。夜に博多のマンションから送った宅急便が届くまで、ゴロゴロしましょうかね。
写真は携帯で撮ったので画質が悪いのですが、荷下ろしの風景です。

帰ってきました!

2006年02月27日 | 芝居
早め早めに帰りの荷造りをしたおかげで、千穐楽の昨晩も時間に追われてバタバタすることもなく、今朝、最後まで使う雑貨を梱包して近所のコンビニから発送、午前十一時十五分福岡空港発の飛行機で、昼過ぎに帰京しました。
真っすぐ家に帰ってぐっすり眠りたい! とは思いましたが、以前お話ししました、十八期生の研修発表会での『修禅寺物語』のお稽古が、午後二時半から国立劇場内の研修室でございましたので、半蔵門へ直行です。博多にいるうちに、セリフは覚えることができましたが、はてさて実際みんなと一緒に動くとどうなるか? 緊張してしまいましたが、稽古初日にしては大分落ち着いて演じられたかなという感じでした。
私たち十四期生は全部で十人おりましたから、どのお役も自分たちだけで演じることができたのですが、今期は六人ということですので、私の<修禅寺の僧>と、もう一人の卒業生が<金窪兵衛>役でお手伝いいたします。お稽古の間じゅう、八年前には我々が受けていた、このお芝居の授業風景が、とりとめもなく思い出されて参りましたが、当時より四人少ないだけで、研修室がずいぶん淋しく感じられました。…十八期生もみんな一生懸命でしたよ!

稽古終了後しばらく時間をつぶして、午後六時から今年の勉強会の演目を決定する会議。勉強会に参加するメンバーの中から代表者が集まっての話し合いです。予算、上演時間、役の総数、を考慮しながら、勉強会にふさわしい演目と狂言立てを決定いたしましたが、三時間半近いロングセッション。やはりどんな場合でも意見の相違はあるもので…。でも最終的には皆が納得できる、<今年の>ベストプログラムができました。配役まで決定した段階で、皆様にお伝えすることができますので、今しばらくお待ち下さいね。

そういえば、三月の大劇場公演『當流小栗判官』のお稽古がもう始まっておりましたので、劇場では澤瀉屋(猿之助)さんのご一門の方々と沢山お会いいたしました。このところ舞台でご一緒する機会がないので、久しぶりに見る顔、顔、顔。なんだか懐かしさまで感じてしまいました。

…明日は午前中に、博多から帰ってくる芝居の荷物を、荷下ろし場所である歌舞伎座まで整理にゆくだけです。さあそれからどうして過ごしましょう? 

梅之博多日記終・『色々考えさせられました!』

2006年02月26日 | 芝居
本日をもちまして、博多座二月大歌舞伎、坂田藤十郎襲名披露興行も無事千穐楽となりました。
先月に引き続きましての『伽羅先代萩』、度々関わってきた『源氏店』、そして『大津絵道成寺』と『女伊達』。弟子としての仕事、立ち回りのカラミ、様々なことを勉強させていただきました。
『伽羅先代萩』での、師匠への着付け。これはお陰様で、一月と比べてはるかに手順よく、そして形よく着付けることができるようになりました。都合ふた月、挑戦することができ、数をこなすことができたのも要因かと思いますが、兄弟子はじめ先輩方、衣裳さん、周りの沢山の方々が、本当に親切に教えて下さったこと、これが一番の薬となりました。改めてお礼を申し上げたい気持ちでいっぱいです。今度いつ女形の衣裳を着付けるかはわかりませんが、次の機会にも、また改めて勉強させていただきたいと願っております。そして一方では、<自分が女形を演ずる>という経験も、もっともっと積んでゆきたい、という思いを強くしました。そうすることで、より経験的に、実践的に女形の仕事を覚えることができると思うからです。もとより立役として活動する私ですが、許される範囲内で、色んなお役を学ぶことができたら、そしてそれを師匠の仕事に活かすことができたら、こんな嬉しいことはございません。

立ち回りでは、毎度毎度のことですが<合わせる>ということ。一瞬一瞬の演技を、周りを見、気遣いながら冷静に演ずるということは、経験不足の私には、正直相当なプレッシャーでした。とくに『女伊達』は世話の立ち回りでテンポも速く、キビキビ動かなくてはなりませんでしたが、そんな速度の速い立ち回りで、先ほど述べたようなことを気をつけながら演じるのは大変でした。身体よりも理屈が先行してしまって、周りの方々にはご迷惑をおかけすることばかりでした。自分でも、これではいけないと自覚はいたすものの、いざその場になると緊張ばかり先立ってしまって…。でも、何も気がつかずにノホホンとひと月過ごしてしまうより、悩みながらでも、常に課題に向き合って努力したほうが自分のためになるんじゃないかな、と思うようにしましたので、毎日反省ばかりでしたけれども、ある意味充実した時間を過ごせたんじゃないかなとは思っております。私のいたらなさを気づかせてくれた先輩、励ましてくれた仲間、みんなに感謝です! 今度また、こういうアップテンポの立ち回りに出ることができるならば、今回の経験を活かして、絶対今より落ち着いた立ち回りをしたいです。

悩んだと言えば『大津絵道成寺』での<トウ尽くし>。石山寺、というシバリに苦しみました。振り返って、どんなセリフを考えたかと申しますと…。
『石山寺の月を見て 夜更かししたら風邪ひいた 辛いときには葛根トウ』
『石山寺に来てみれば 空き缶吸い殻ゴミばかり みんなで守ろうエチケットウ』
『石山寺もいいけれど ご当地太宰府天満宮 受験合格祈ってご祈トウ(ご祈祷)』
『成仏できない悪霊たちが 石山寺で大暴れ お堂がガタガタ揺れだして 木魚は勝手に踊りだす 恐怖体験ポルターガイスト』
『辛い浮き世の無情を感じ 石山寺で出家をしたが ホントにこれでよかったかなと 一人悩んで自問自トウ』
『石山寺の秋の月 見ながらあの娘と二人きり 愛とか夢とか語りたい そんな私はロマンチスト』
『石山寺の精進料理 食べたら味が薄すぎる 持っててよかった味のもトウ(味の素)』
『石山寺のあれこれを 調べてみようと思ったら クリック一つで一発検索 今は便利なインターネット』

ウケたものもあれば、ウケなかったものもあります。まあ勝負は時の運、本日の千穐楽には、お祝いの気持ちも込めて、
『藤十郎の名と共に 上方歌舞伎を守り抜く 誓いは堅き石山の 月より清き真心で 未来へつなぐ上方わごトウ(和事)』
とやってみました。
それにしても、十人の奴たちからは、様々な<トウ>が繰り出されました、「今日は中州でオールナイトウ」「こら! なんばしよっトウ」「博多名物 おきゅうトウ」といったものから、博多共通の交通カード「よかネット」、観光名所の「ベイサイドプレイス博多埠頭」というご当地もの、「胸パット」「ブロークンハート」「セクシャルハラスメント」などというキワモノ系、「早く出てこい金メダリスト」「これからの楽しみはフィギアスケート」という時事ネタまで、思わず共演者まで笑ってしまうものも沢山ございまして、笑いをこらえるのに苦労いたしました。一日の舞台がこういう楽しいお役で終わることができたことは大変有り難いことで、文章を作るという、産みの苦しみはさんざん味わいましたものの、お客様の反応が直に伝わる<生>の現場での演技には、心地よい緊張感がございまして、たいへん勉強になりました。

一歩楽屋を出れば、美味しいお魚、美味しいお酒を堪能できる素敵なお店との出会いに恵まれ、そこでの仲間や先輩方との楽しいおしゃべりが、日々の活力を養ってくれたことも、忘れられない思い出です。本当に冬の博多は食べ歩きに困りませんね!

さて明日からは本当に久しぶりのお休みです! ちょっと煮詰まりかけた頭をリセットする、大事なひと月となるはずですが、以前お話しした通り、いろいろと仕事は入っております。メリハリがあって、かえって楽しく充実した日々になるのでは、とも思っておりますが、とりあえずコクーン歌舞伎、パルコ歌舞伎、そして歌舞伎座、国立劇場の舞台と、たくさん拝見ができそうで、今から楽しみにしております。

やっぱり歌舞伎からは離れられそうにありません!

梅之博多日記28・『ある日の思い出・恥ずかしかったこと』

2006年02月25日 | 芝居
平成十五年六月、国立劇場の鑑賞教室での『与話情浮名横櫛』は、「木更津海岸見染め」「赤間別荘」「源氏店」の三場構成でした。お富と与三郎の出会いと受難、そして再会までをわかりやすくお見せいたしましたので、学生さんたちにも理解しやすかったのではないでしょうか。
この月私は、「赤間別荘」の場の<赤間の子分>役で出演しておりました。お富の情夫赤間源左衛門(幸右衛門さん)の手下として、間男をした与三郎を捕らえてなぶりものにするというお役です。
お富と与三郎の浮気の現場が、十字屋(桂三)さん演ずる海松杭の松によって押さえられ、逃げようとした与三郎を、私が『待ちゃアがれ』と遮り、もみ合った末に『逃げるんじゃねえ』と突き飛ばす。そこを赤間源左衛門が押さえつけ、刀で体中を痛めつける(これが『源氏店』でのセリフ「三十四カ所の刀傷」となるわけですね)ところで幕となるのですが、短い時間とはいえ、師匠と五分と五分でやり合うというめったにないお役で、緊張しながらも、毎日楽しく勤めさせていただいておりました。ところが……。
ある日のこと、逃げようとする師匠の動きを見計らって舞台下手から登場、逃しはやらじと着流しの裾を格好をつけて端折りあげ、通せんぼをしてセリフを言おうとしたら、(……何て言うんだっけ……!)
そうなんです、突然頭の中が真っ白になってしまったんです! もう大パニック、とにかく何かは言わなくてはいけないんですが、さて「待ちゃアがれ」だか、次の「逃げるんじゃねえ」だか、無意識の世界で混乱混線昏倒困惑、思わず口から出たのが、『まギャルんポ☆℃※〆?!』
その瞬間体中の血液が逆流するのを体感しましたが、それでも芝居は続くのです。なんとか平静を装い揉み合う芝居をし、ようやく落ち着いて『逃げるんじゃねえ』と初めて日本語を発して師匠を突き飛ばし、その後はいつも通りの芝居をすることができたのですが…。幕切れまで、恥ずかしさと情けなさでいっぱい、一刻も早くこの場から消え去りたい気持ちでした。この場が済んでからは、師匠は花道揚幕での<早ごしらえ>だったのですが、自分の拵えを落としてから急いで駆けつけ、折りをみて『先ほどは申し訳ございませんでした』とお詫び申し上げましたが、無事お許し頂くことができまして、ホッと胸を撫で下ろしたという顛末でした。

おそらくその日の私は、完璧に<惰性>に陥っていたのでございましょう。全く不徳の致すところ、そして役を演じる上での気構えの未熟さゆえ。それ以来、二度とこのようなことがないよう気をつけておりますが、舞台では本当にいろいろなことがおこります。周りの方々にご迷惑をおかけしないよう、常に気を引き締めること、何があっても慌てない心を養うことは、一生の課題ですね!

写真は、昨年の公文協巡業での「木更津海岸見染め」の場の松の木です。運搬の便宜を考えて、折りたたみ式になっております。

梅之博多日記27・『芝居以外で疲れました』

2006年02月24日 | 芝居
昨晩は先輩のお誘いで、紺屋町通りのもつ鍋屋『越後屋』へお邪魔しました。具材はモツの他にキャベツ、モヤシ、ゴボウ、ニラ、そして揚げ豆腐(中に柚子胡椒を詰めてあるのです)。白味噌のお出汁で頂きましたが、ダシの旨味を吸って、くたくたになったキャベツの美味しさはたまりません。これだけでも酒が進みます。皆で芋焼酎<黒丸>を頂きながら、シメのチャンポン、雑炊まで、すっかり満腹大満足のひと時でした。二軒目には春吉のバー『SISTA FARI』へ。アジアンテイストの落ち着いた雰囲気の店内で、久しぶりにカクテルを頂きました。

さて本日は、楽しいというかくだらない出来事がございました。福岡地区で午後四時から六時まで放映中の『めんたいワイド』という情報番組があるのですが、いつも天神のイムザというショッピングモールから生中継なんです。いつもなら通行中の人たちが大勢画面に映っているので、今日は博多座の楽屋で、『この番組に<さりげなく>映ってみよう』という話になりまして、私がトライすることになったんです。
『女伊達』の出番を終えてから、喜び勇んで天神へ向かったのですが、はてさてどこにもカメラがない。どうしたものだと、楽屋で番組を見守っている後輩に電話してみましたら、『今日はキャナルシティ(天神とは違う地区にあるショッピングモール)で中継している!』というのです。これは大変と急いで移動、十五分ほどでキャナルシティにつきましたが、さあこれからが大変でした。録画したVTRも流す番組ですから、生中継の部分は実はごくわずか。二、三十分待って二、三分の中継というパターンばかり。しかも中継場所を、あえてギャラリーが映り込まないような所(後ろが池とか壁になっている)に設定されていたものですから、とても<さりげなく>なんて無理という有様で、全くの徒労に終わってしまいました。
番組を見守ってくれた後輩たちには申し訳なかったのですが、これも因果。初めてテレビ収録の現場を見ることができただけでも、収穫といたしましょう。それにしても、スタッフさんや司会のタレントさんが、決して短くはない出番までの空き時間を、ごくごく普通に、というより、冗談やおふざけも交えながら、楽しく過ごされるその姿勢に感服いたしました。決められた時間に舞台に出て、毎日必ず同じ時間に仕事が終わる我々舞台俳優とは全く違う仕事ぶり。ご苦労も多いことかと思われました。

そして今晩は、西鉄福岡駅そばにある、『新鮮魚肉菜炉端焼 七海』へ、先輩や衣裳さんとお邪魔しました。凝った料理はございませんが、うたい文句の通り新鮮な具材をつかったおいしい食事が楽しめます。カウンターにゴロゴロ並べられた食材が、食欲をそそるんです! <黒桜島><黒瀬><炎>」といった焼酎と共に味わいながら、先輩方から大切なお話を聞き、今日は本当に勉強になりました。まだまだ私もアマチャンです。

さて博多座のお芝居もあと二回。もう荷造りの心配をしなくてはなりません。楽しい思い出いっぱいのひと月も、もうそろそろ終わろうとしておりますが、責任と自覚は忘れずに、気をつけて舞台を勤めてまいります。

梅之博多日記26・『与三郎あれこれ』

2006年02月23日 | 芝居
昨日もちょっとお話ししました『与話情浮名横櫛』いわゆる「源氏店」は、私が入門してからでも今度で四回目となるくらいの、師匠の持ち役でございます。さすがにこれくらいこの芝居にたずさわりますと、弟子としての仕事もすっかり覚えることができました。以前の『巡業日記』でも触れた部分があるかもしれませんが、あらためてこまごまお話しさせていただきましょう(写真も載せられるようになったことですしね)。

与三郎は、意外と小道具を使います。まず懐にはうこん色の布でできた財布。口を綴じる紐はつけません。常式ですと横幅は六寸くらいなんですが、師匠の場合は、後にここから小判を取り出す時手を入れやすくするために、七寸くらいの幅に誂えてもらっております。
それから莨入れ。叺(かます)にむき出しの煙管を挟んで携帯する、<叺莨入れ>で、これは世話物の芝居で見られます。煙管はむき出しとはいえ、最初の一服は、あらかじめ雁首に詰めておきます。このお芝居では、舞台で四、五服は吸うでしょうか。ですので叺の中にも、多めの刻みたばこが入っております。
そして履物。鼻緒が、細い糸を束状にしたものになっております。これを<千本草履>と申しております。『義経千本桜』のいがみの権太もこの履物です。
あとは昨日お話しした小石、舞台にすでに置いてある<莨盆>。これらを使いながら、いかにも江戸、の粋な芝居を演じていらっしゃるわけですね。

頬冠りの<豆絞り>に関しましては、『巡業日記』の記事をご覧頂きたく思います(七月十六日分)が、巡業でも使用してきた手ぬぐいが、さすがにくたびれてきましたので、今月から、新しいものをおろしました。といっても簡単にはいかないもので、師匠自前の豆絞りのストックの中から、ちょうどいいシボの大きさのを選び、しかもかぶったときに真ん中になる部分(つまりお客様によく見えるところ)が、いちばん綺麗なシボの並びになるように切らなくてはなりませんでした。今までのよりほんの少しシボが大きくなりましたが、舞台では気にならない範囲。むしろ新規なので布のコシがあり、折り目の山形が綺麗につけられて、具合はとてもよいです。もう少しこなれれば、味も出てくると思っております。今月も、あいかわらずアイロン係です。

初めて二枚目の写真を載せてみましたが、こちらは<傷>の顔料と筆です。こちらは全て前回通り。今月は兄弟子と弟弟子が一緒に作っております。いずれこうした仕事も引き継がれてゆくことになるでしょう。

…私が初めて師匠の『源氏店』にたずさわったのは、平成十一年十一月の文化庁巡業でした。このときは序幕が『源氏店』、そして高麗屋(幸四郎)さんの『勧進帳』。師匠は与三郎で引っ込むと大急ぎで傷を落として、化粧を直し、次のお役の富樫左衛門へ早ごしらえでした。兄弟子方はみな番卒にでておりましたから、私と付き人さんと二人っきりで大わらわでした。
その時は、お富が「そんならお前は、私の兄さん」と驚くのを、多左衛門が「ああイヤ、火の用心を(柝の頭)頼みましたよ」で幕になっていたのですが、その後の平成十五年国立劇場での上演から、平成十七年の公文協巡業、そして今回も、多左衛門が去った後、再び番頭藤八が出てきてお富にしなだれかかるところに、奥から与三郎が出て悶絶させ、すっかり打ち解けたお富と二人並んで幕になるという演出になりました。どちらがどうとは申せませんが、二つの印象は大分変わりますね。

思えば師匠の与三郎に、蝙蝠安でお出になっていらした、音羽屋(松助)さんも、大和屋(坂東吉弥)さんも、もうこの世にはいらっしゃらないのです。本当に悲しいことです。

梅之博多日記25・『もう自炊はできないかも…?』

2006年02月22日 | 芝居
外食は昨日で終わるはずだったんですが、お誘いは断れません! 昨晩は春吉という地区にある韓国料理の『たもん』にお邪魔しました。韓国料理に惚れ込んだ日本人の店長が作り上げた、<日本人向けの韓国料理>ということですが、なかなかどうして辛さも味付けも本格派。キムチの盛り合わせはもちろんのこと、旨味たっぷりの参鶏湯や特製ジャガイモ餅の食感、独自の味付けの手羽先唐揚げに舌鼓を打ち、マッコリを飲み干しました。久しぶりに飲む焼酎以外のお酒でした。福岡ドームに試合に来た野球選手も多数訪れるらしく、お店の壁にはサインが沢山飾られておりましたよ。
今日は川端商店街そばの『金蛸ダイニング』へ。地元の食材を活かした創作料理がメインです。お造り盛り合わせ、三瀬地鶏の岩盤焼き(脂がのっていて、タレとの相性抜群!)、特製がんもどき(魚のすり身や明太子がベースでぷりぷり)などを頂き、芋焼酎は<喜六><純真にごり><かめ壷仕込み 焚(たき)>を味わいました。
両日とも、年の近い仲間との食事でしたが、普段から一緒にいるのに、よくまあ話題に困らないものだと思います。終始しゃべりっ放し(主に私が)のひとときでした。ちなみに昨日の相手は同じウィークリーマンションの同じ階。今日の相手はすぐ近くの別のウィークリーマンションで、帰りにはお宅拝見して間取りチェックしてきました。向こうの方が、ちょっと部屋は広いかな? 二口ガスコンロなのがうらやましかった(なんとも世話場)ですね。

さて今日の写真は『源氏店』の木戸口の光景です。柳の立木に天水桶、そいて師匠がお勤めの与三郎が、しばらく暇つぶしに弄ぶ、石ころが散らばっています。
この石ころ、綿を詰めた布製で、ごくごく軽くつくられております。師匠にとってやりやすい居所に配置しなくてはなりませんので、これは弟子が準備することになっておりまして、今月は私がセットしております。『大津絵道成寺』での出番を終えて、急いで化粧を落として舞台へ向かい、この石ころのセットと、屋台の中の煙草盆の居所を確認してから花道揚幕に向かうと、ちょうど師匠が到着しております。『大津絵道成寺』には、私と、二人の兄弟子が出ておりますので、与三郎の用事は弟弟子がみなやってくれております。
ちなみにこの石ころ、私が入門したばっかりの頃は七つ並べておりましたが、最近はご覧の通り五つになりました。演じる俳優の好みと都合で、こういうものはいくらでも変更がございます。

梅之博多日記24・『私と沙翁』

2006年02月21日 | 芝居
博多座ビルの一階に、演劇関係書のみを扱う<紀伊国屋書店>がございます。歌舞伎はもとより、宝塚、能狂言、ストレートプレイなどあらゆるジャンルの脚本集、解説書、俳優写真集が集められ、小さい間取りながらも充実した品揃えです。
先日ここで、『シェイクスピア作品ガイド37』(出口典雄 監修/成美堂出版)という本を買いました。シェイクスピアの全作品のあらすじ、みどころ、ウンチクを、豊富な写真とともに紹介する、見て楽しく読んで納得のお得な一冊です。

中学生の頃、なんとなく『ロミオとジュリエット』や『オセロ』を読んだ(おそらく福田恆存訳)ことはあったのですが、さほど興味は魅かれませんでした。それが、私が歌舞伎俳優になり、そして歌舞伎以外の舞台も拝見するようになってから、あらためて各作品の面白さに気がつき、虜になっております。
よく言われることですが、やっぱり<コトバの魅力>ですね。ストレートに言えば三十秒で済みそうな用件も、美辞麗句と機知に富んだ言い回しで、五分近い長セリフになったりするのが、冗漫といえばそれまでなんでしょうが、そこがなんともいえないお芝居らしさ、遊び心ですよね。本来ならば英語の押韻があったり、駄洒落があるわけですが、小田島雄志さん、松岡和子さんはじめ、翻訳家の方々のご苦心で、日本語でも十分楽しめるのは、有り難いことです。

これまで、『夏の夜の夢』『マクベス』『リチャード三世』『ロミオとジュリエット』『ハムレット』『ペリクリーズ』『タイタス・アンドロニカス』『お気に召すまま』を生の舞台で拝見(ほとんどが蜷川幸雄さん演出)し、『冬物語』『オセロ』『ウィンザーの陽気な女房たち』をテレビ中継で観ることができましたが、まだまだ観たい演目はいっぱいです。
そういえば、シェイクスピアと歌舞伎のご縁も深いですね。古くは明治初期に『ヴェニスの商人』を翻案し『何桜彼桜銭世中(さくらどきぜにのよのなか)』の外題で上演したのを始めとして、仮名垣魯文の『葉武列土倭錦絵(はむれっとやまとのにしきえ)』は二十年ほど前に高麗屋(染五郎)さんが上演なさいました。また、なにも歌舞伎に翻案することもなく、ストレートプレイとしてのシェイクスピア劇に、歴代の歌舞伎俳優が主演なさっていることは皆様ご存知でございましょうし、昨年の菊五郎劇団による『NINAGAWA 十二夜』は大きな話題となりましたね。
コトバ遊びや洒落が駆使されるセリフ、エンターテイメント性豊かな芝居作り、共通する部分は多いと思いますが、人の心を打ってこそのお芝居。どちらも数百年の時を超えて、現代に生きる我々のに何かを伝えてくれるというのは、すごいことですね。

ありえないことですけれど、もし私がシェイクスピア作品のどれかを主演することになったら、何を演じるでしょうか? う~ん、観た演目からしか考えられないですけど、『ハムレット』のハムレットは面白そうだな…。『夏の夜の夢』で劇中劇をする職人さんたちも楽しそうだし、いっそ『マクベス』の魔女は?
でもその前に、今の私の滑舌では、あの長いセリフの一行もろくに言えません!

最後に…。

この世界はすべてこれ一つの舞台 人間は男女を問わず すべてこれ役者にすぎぬ

『お気に召すまま』に出てくるセリフです。

梅之博多日記23・『ガーター、ガーター!?』

2006年02月20日 | 芝居
今日はボウリング大会でした。床山さんの主催のもと、衣裳さん、付き人さん、もちろん役者も集まって、総勢四十二名、長浜にございますボウリング場のワンフロアを貸し切って盛大に執り行われました。特別ゲストの萬屋(時蔵)さんの始球式で口火を切り、七つのレーンに分かれて二ゲーム勝負。個人とチームのそれぞれで成績を争いましたが、大勢揃ったこともあり、会場は大盛り上がり、あちこちで歓声があがっておりました。
ゲーム終了後の表彰式では、成績発表と、幹部俳優さんや劇場からのご寄付による賞品の授与。<上方歌舞伎塾>の一期生達がそろって好成績をあげ、総合一位はやはり歌舞伎塾の二期生。関西勢おそるべし! その他付き人の女の子や床山さんたちも、焼酎や商品券、iPodなどの豪華賞品を手にして喜んでおりました。
かくいう私は、下手の横好きが幸い(?)して、見事ブービー賞を獲得しました! あまり自慢になりませんね。でも博多座のすぐ横のホテルオークラのお食事券を頂戴することができまして、思わず大はしゃぎしてしまいました。
…ボールを真っすぐに投げられない、九ポンドより重いのは持てない、「なんで大会に出るの?」といわれてしまうくらいのダメさなんですけど、何故だか楽しくなっちゃうんですよね、ボウリング…。結果として、今日はいい思い出ができて大満足ですが、さてこのお食事券、今月中に使うことができるのでしょうか?

解散後は、後輩と親不孝通り沿いにある海鮮料理『兼平鮮魚店』に行ってみました。昨日と負けず劣らず、美味しいお魚を頂きました。海鮮さつま揚げが、ぷりぷりの食感としっかりした味つけでとても良かったです。

明日右腕がツらないことを祈りつつ、寝ることにいたしましょう。

梅之博多日記22・『あと一週間です』

2006年02月19日 | 芝居
様々な課題と戦いながら(打ち負かされてばかりの気もいたしますが…)の博多座公演も、もうすぐゴールが見えてきました。少しでも前進! と自らに檄を飛ばすものの、やはり出の前には余計に緊張したり、ドキドキしたり。一幕終わって『今日はよかった!』と自分で納得いく日が来るように、まだまだ努力致します。

九州地方は最近やっと寒くなってきたようです。表に出ると、朝晩の風が身にしむようになりました。それでも、マンションが新しいせいか、室内には冷気が入ってこないのでエアコンを少しかけるくらいで十分、寝るときのために家から持ってきた電気毛布は使わずに済んでいます。楽屋も暖房で暑いくらいで、寒がりの私としては有り難いことですが、空気の乾燥には気をつけねばなりませんね。

昨晩はとある幹部俳優さんのお食事会に、一門共々ご招待頂き、美味しいうどんすきをご馳走になりました。モチモチの麺が旨味たっぷりのダシを吸い込んでいて、まさしくこの鍋の主役、という感じ。いっぱい食べさせていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
…しかしまあ、このところの外食続き。お酒も結構飲んでますから、身体の方で悲鳴を上げないか心配になってきました。今後は食事はともかく、お酒の方は控えめにいたしたいものですが、本日は後輩や衣裳さんと共に、大名という地区にある『太助』という居酒屋さんへ行ってまいりました。新鮮な魚が味わえるお店ということで足を運んだわけですが、聞きしに違わず、生簀から揚げたての、まだピクピク動いているお造りや、手作りの塩辛、濃厚な白子。その他にも、飾らずシンプルな料理に舌鼓を打ちながら、<晴耕雨読><天使の誘惑><萬年>といった焼酎を味わうことができました。
話題もどうしてもお芝居関係になってしまいます。日々の反省も含めて、どうしたらもっといい舞台を勤めることができるか。そんなことばかり話し合っておりました。

…仕事が終わってからの、本来ならば息抜きのための食事の場でも、ともすれば仕事の話になってしまうことはしばしばです。気が変わらない、といってしまえばそれまでですが、逆に考えれば、こういう時こそ、普段できない仕事上の話ができたり、衣裳さんや床山さんといった、違うジャンルで働く人たちから、貴重なお話を聞くことができるよき機会ということができるというものです。お互いが協力しあってこそ成り立つ世界ですから、私たち役者がどんなことに気をつけねばならないのか、相手は何を注意すればよいのか。指摘したり教えられたりで、毎日の舞台が勉強であることに気づかされるのは、こんな風にお酒を交えてのときとなることもままございます。

明日も大事なイベントがあって外食となりそうです。おってご紹介いたしますね!

梅之博多日記21・『博多座ご案内!』

2006年02月18日 | 芝居
昨晩は中州のまん真ん中にございます『豆狸(まめだ)』にお邪魔してきました。もつ鍋をメインにしている居酒屋さんですが、こじんまりとして、いい具合に年季の入った店構えは落ち着きます。気さくな大将さんの人柄に触れながら、ホルモン鉄板焼きやレバ刺し(新鮮で臭みが全くなし!)、ツボ鯛の西京漬、自家製のキュウリの床漬けなど、いろいろとつまみながら<黒霧島>をロックでチビチビ。すっかり話し込んでしまいました。もつ鍋は食べずじまいでしたので、今度は是非頂くことにいたしましょう。

さて、中州へは徒歩で十分もかからないという距離にある<博多座>は、歌舞伎を上演する大劇場では、一番新しく建てられたものです。エントランスも近代的なデザインの、いわゆるビル型劇場です。一階が楽屋口、大道具の搬入口、その他複合施設(飲食店、郵便局など)。二階が客席入口。三階、五階の楽屋に挟まれるように四階の舞台があり、その四階にも楽屋はございます。そして最上階の六階が洗濯室と倉庫となっております。舞台は歌舞伎をはじめミュージカルやストレートプレイ、あらゆるジャンルに対応できるようになっており、奥行きがあるので、複数の装置を分解せずに保管しておけます。客席も、前に座っている人の頭で視界が遮られない<千鳥>という座席配置(前列の席の並びのあいだあいだに後列の席をつくる)ですし、ゆるやかなスロープもあって、どの席のお客様も舞台が見やすくなっている、とても優しい設計です。
優しいといえば、私たち出演者にとっても便利な設備が沢山ございます。なんといっても舞台と楽屋との行き来に二台のエレベーターを使えること。重い衣裳を着ての階段の上り下りはつらいですからね。膝が悪い役者も大助かりです。もちろん、上手下手両方に階段もありますので、エレベーターを待っていられないときも大丈夫です。
それから廊下が広いこと。これは楽屋の荷物を並べるのに大変助かるんです。いわゆる<ボテ(行李)>や簡単な棚などを置いても、衣裳を着た俳優同士がラクにすれ違うことができるスペースが取れるので、人が大勢出入りする芝居でも混雑がありません。いたるところに大型のゴミ捨てボックスが設置されているのも、重宝いたします。
また。われわれ名題下や名題俳優が入る階では、非常に広い洗面台がございまして、廊下を挟んで二列に並び、十数個ほどの蛇口(もちろん温水も出る)がございますので、顔を洗う順番待ちもしなくて済みます。
この他どの部屋にもテレビモニターがあること、細かい身の回りのモノをしまえるカゴや、それを置くための棚があることも嬉しいですね。
付き人さん達にとっては、乾燥機付き洗濯機が沢山あること、屋上に広い干し場があることも、仕事の上では大変便利ですし、衣裳さんや床山さんが入る部屋には、あらかじめ大型の棚が作り付けられていて、衣裳、カツラの保管が簡単です。
何か問題や不都合があっても、<楽屋事務所>があって、常に控えていらっしゃる四、五人の楽屋係さんが、親切に対応してくれます。電球の取り替えから共同部分の清掃、はてはグルメ案内まで!

なんだかいたれりつくせりですが、我々が気持ちよく舞台に出ることができるのも、素敵な劇場と沢山の方々のお力ですね。もう少しでお別れかと思うと淋しいです…。

梅之博多日記20・『映画の話』

2006年02月17日 | 芝居
あいかわらず『女伊達』では悩んでおりますが、だんだんと、先輩方からの教えがわかりかけてきた感じです。とはいえまだまだ未熟未熟。飲み込みが遅いので我ながらもどかしいですが、もう少し自分をいじめましょう!
さて昨日の『祇園鉄なべ』では、女将さんのご親切もあり本当にお腹いっぱい食べさせていただきました。俳優の中尾彬さんがお一人でいらしてました。テレビの取材のお仕事で、博多にいらしたそうですが、ミーハーな私、あの方のトレードマークのねじりマフラーを見て大興奮でした。

さて、先日、先輩の女形さんから『面白いから観てご覧なさい』と、成瀬巳喜男監督『流れる』のDVDをお借りしました。マンションのパソコンで夜寝る前に観ましたが、いや~面白い! 洋画邦画にかかわらず、あまり映画を観ない私ですが、約二時間、白黒画面に引き込まれました。
大川端沿いに居を構える芸者置屋<つたの家>。家運が傾きかけているものの、女将のおつた(山田五十鈴さん)の切り盛りで、抱えの染香(杉村春子さん)やなゝ子(岡田茉莉子さん)達と共に、なんとかなりたっておりますが、金銭を巡る苦労は絶えません。そんな所に、夫を亡くし、職を求めてやってきたのが梨花(田中絹代さん)。梨花はここで女中として働くことになりますが、彼女はここでの日々の中で、今まで知ることのなかった、置屋、芸者のリアルな生活を見ることになるのでした。
物語では劇的な展開もクライマックスもありません。ただ淡々と、誰も気がいていないゆるやかな破綻とともに、置屋の人々が泣き、笑い、策謀をめぐらし、とにかくその日を過ごしてゆく。それがなんともいえない妙味をともなっているのがすごい。
くわえて女優陣の着物の着こなしや、仕草の自然さ。あれはもう演技以前の本人の日常動作なのでしょうね。ちょっとした動きが、いかにも芸者の風情で見とれます。それに出演している皆さんの、日本語の美しさも忘れられません。少なくとも、今、テレビや映画館で聞こえてくるソレとは、あきらかに次元の違うものだと思われました。

古き良き日本の文化を描きながら、決して単なる懐古ではなく、滅びつつあるものとしても捉える冷徹な視線もあり、そこが作品に深みを増しているのではないでしょうか。個人的には、おつたの店の経営乗っ取りを密かに考えている昔の芸者仲間、お浜を演じていらっしゃる栗島すみ子さんの演技にうならされました。

映画といえば、博多座からほど近い、キャナルシティーという大型ショッピングモールの中に、シネコンがございまして、オールナイトやレイトショーなど、様々なプログラムで興行しておりまして、博多座出演中の人たちもちょくちょく足を運びます。今『THE 有頂天ホテル』が、午後十時開始の回があるので、いつか観に行こうと思っております。

今日は全然お芝居のお話ができませんでした。せめて写真だけでもということで、楽屋内に置かれた<衣裳棚>を。衣裳を運ぶためにいれる<ボテ>という行李の蓋や本体をうまく使って、このような仮ごしらえの棚が出来上がります。入っているのは、腰元の衣裳ですね。

梅之博多日記19・『今日から五日間外食です』

2006年02月16日 | 芝居
まず始めに、今月十三日の記事へ、沢山の方から温かいお言葉を頂戴しましたことを、この場を借りて心から御礼申し上げます。書いてゆくうちにどんどん気持ちが高まってしまったので、ちょっと感傷的というか生っぽい文面になってしまいましたが、書くことでこちらの気持ちの整理もできました。このブログが、単なる私の自己満足で終わるようではいけないと、常々自戒しておりますが、仕事をしてゆくなかで、上手くいったこと、全然だめだったこと、喜んだり悩んだりの私の気持ちは、正直に書いていかなければならないと思っております。皆様に上辺だけの<中村梅之>を知っていただくつもりはございません。これからも、誠心誠意、拙文ながらも書き連ねてゆきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、ここしばらく<食>情報が停滞しておりましたので、今日は最近いったお店をご紹介いたしましょう。
冬の博多は魚が美味しいことは以前にもお伝えしましたが、魚料理の『八千代丸』は、漁船直結の新鮮な食材を、豪快に食べられる素敵なお店です。今月このお店で、生まれて初めてフグ(ご当地ではフク、でしたね)を食べることができ、我、民間に育ちました者ですから大感激です。この他アラ(クエとも申しますね)も旨味があって美味しかったです。
そして写真にも載せました<カレー丼>が美味しい『都そば』。ここは、とある幹部俳優さんから、美味しいから食べてみなさいとオススメを頂いて、今日のお昼に出前で頼みました。そば屋ならではの、和風のダシの効いたさっぱりとしたカレーに、生卵が加わってまろやかな風味となり、沢山入ったカシワとともに頬張れば、幸せな気分になること間違いなしです!

それから<焼酎>について。これは九州産ではないのですが、私の父方の祖母が、瀬戸内海にある島にすんでいるのですが、その島だけで採れるという<白いも>というサツマイモ。これを最近焼酎にすることに成功したので、出来上がったものを送ってもらっていたんです。今月ウィークリーマンションで味わっておりましたが、ちょっとクセがあるものの、なかなかいけます。その名も<七幅芋焼酎 あんぶん>。皆様よろしくお願いいたします。
また先ほどの『八千代丸』で頂いた<甕仙人>は、手作り甕仕込みということですが、やや甘めで飲みやすいですね。

今晩は、以前お邪魔した『祇園鉄なべ』へ先輩方と参ります。どんなお話が聞けるでしょうか?
まだまだ行ってみたいお店はいっぱいです!

梅之博多日記18・『足下のおしゃれ?』

2006年02月15日 | 芝居
劇場で働く私たち歌舞伎俳優、演奏家さん、そして付き人さん衣裳さん床山さんといったスタッフの方々に至るまで、劇場内ではいわゆる<楽屋履き>を履いて、廊下や舞台裏を往来しております。
<楽屋履き>には、必ずコレ、といった規則はございません。雪駄をはじめとして、サンダルとかスリッパなど、様々です。サッとつっかけて出てゆけるのが身上ですから、まかり間違ってもスニーカーやズックなどの靴類は選ばれません。俳優さんは、雪駄が大半でしょうか。私は、写真のような履物です。裏はゴムなので滑りにくくていいです。
俳優さんによっては、足に白粉を塗る役用の履物を別に用意して、普段使いの履物が白粉で汚れないようになさったりもいたしますね。

雪駄や草履を履いておりますと、使い込むうちに鼻緒が切れたり裏革がはがれたりと、壊れてしまうことがございますので、その都度新しい物にとりかえたり、あるいは修理に出したりいたします。東京歌舞伎座ですと、楽屋に履物屋さんが営業にいらっしゃるので、その方から購入したり直しをお願いしたりいたします。
私は壊れるたびに新規に購入です。そそっかしい上にバタバタ走り回るので、しょっちゅう鼻緒が切れてしまいます。ですのであまり上等な物は買えませんが、柄や形状にはこだわって選んでおります。
…名題下部屋ですと、時には五十人以上の俳優がいるわけですから、楽屋の上がりかまちには、沢山の履物が並びます。そんな状態で、すぐに自分の履物を見つけるのはけっこう大変なんです。全く同じ形の履物を、三、四人が履いていることもざらで、何か目印をつけなくては判別できません。みなさん、たいていは鼻緒やかかとが当たる部分(履いたら見えなくなる)に印を書くことが多いですね。「◯◯三郎」という芸名なら「三」を書いたり、紋を簡略化して書いたり。なかには暗号のようなものもあったりして、なかなか楽しいです。誂えで、焼きごてで自分の芸名や屋号などを焼き付けてらっしゃる方もいらっしゃいます。

私の履物も、そろそろ鼻緒が緩んできました。東京に帰ったら、次のを選びませんとね。

梅之博多日記17・『中日です』

2006年02月14日 | 芝居
やっと折り返しです。ここまで怪我も病気もなくやってこられたので、今後も油断しないで頑張ります。
『女伊達』の立ち回りでは、先日、今まで全然気がつかなかった部分で、一緒に出る人にとってはやりにくい動きをしてしまっていることを、ダメ出しのときに先輩からご指摘があり、改めよう改めようと努力しておりますが、無意識でやってしまっていたことを、意識しながら動くのが大変です。しかも考え考えしながらなので、余計におかしくなってしまったりと、我ながら情けない限りです。ヘンに意識しないでも、綺麗でみんながついてゆきやすい動きをするのは、本当に難しい! 十二日間やってきてコレか! とお叱りを受けても申し開きもできませんが、まだ半分ある! の気持ちで、先輩がたが下さるアドバイスを無駄にしないように努力します。改めて、自分の意識の甘さに気づかされました。

さて、本日はちょっと先のお話で恐縮ですが、四月歌舞伎座の公演のご案内をさせて頂きます。
今年の四月大歌舞伎は、師匠のお父様で、平成十三年三月に亡くなられた、六世中村歌右衛門の大旦那の五年祭とございまして、その『追善興行』となりました。合わせて、四代目中村玉太郎改め六代目中村松江・五代目中村玉太郎(今の玉太郎さんのご長男)の襲名、初舞台のご披露もございます。
昼夜に並んだ演目は、どれも六世歌右衛門の大旦那に所縁の狂言でございまして、大旦那が初演したもの、復活したものもございますし、平成十四年の、一年祭の『追善興行』とは、また違った趣きがあるかと思います。

すでにチラシやポスターで目にされた方もいらっしゃいましょうが、ここで改めてご紹介を。

《昼の部》
一、『狐と笛吹き』
二、『高尾』
三、『沓手鳥孤城落月』乱戦・糧庫
四、『関八州繋馬』

《夜の部》
一、『井伊大老』
二、『六世中村歌右衛門五年祭追善口上』
三、『時雨西行』
四、『伊勢音頭恋寝刃』油屋・奥庭

…また、以下の内容は、師匠梅玉の公式ホームページでも発表されておりますが、この興行を機に、私の兄弟子梅蔵さんと、加賀屋(魁春)さんのお弟子でいらっしゃる歌松さんが名題となり、その御披露をなさいます、歌松さんは名前も<春花(しゅんか)>に改名なさいます。
そしてもう一人、「歌舞伎俳優になりたい」という夢を持ち、長らく師匠が預かっていらっしゃいました九才の男の子、森正琢磨君が、正式に師匠の部屋子となりまして、<中村梅丸>の名前で初舞台を踏むことになりました。高砂屋、加賀屋にとりまして襲名や初舞台、名題昇進のご披露と、お目出度いことが重なりまして、私も一門として嬉しい限りです。いっそう気を引き締めて、働いてゆく所存です。

師匠が五役に出演いたしますので、私たち弟子の立場の者も、いつも以上に忙しくなることは必死ですが、三月ひと月休んで蓄えた体力を総動員で頑張ります!
皆様、是非是非この興行に、足をお運び下さいますよう、心からお願い申し上げます。