梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

義経千本稽古・二日目

2007年02月28日 | 芝居
本日は『渡海屋・大物浦』『四の切・奥庭』が<総ざらい>で、『鳥居前』が<初日通り舞台稽古>でした。
師匠ともお話ししたことなんですが、このお芝居での源義経というお役は、ひと幕ずっと舞台にいるということがないんですよね。『鳥居前』にしても『渡海屋・大物浦』にしても、そして『四の切』でも、必ず1回は退場してしまいます。『渡海屋~』などは、次の出番まで50分近くあるくらいで、その間お待ちになる師匠のお気持ちはいかばかりかと存じます。また『渡海屋~』がすむと、次の出番『四の切』までは5時間近くあくわけで、通し狂言の中の大きいお役で、こういう登場のしかたは珍しいしかもしれませんね。しかしながら、『義経千本桜』の外題が示します通り、このお役はいわばタイトルロールでございます。出番はとびとびでも、全編をつらぬく大切な存在。彼のために苦労する家臣たち、彼に恨みを晴らそうとする武将たち、そしてそれにまきこまれる庶民たち。それぞれが、それこそ吉野の千本桜のように居並んでいるのがこの狂言の魅力でございましょう。

舞台稽古のトップバッター、『鳥居前』は至極順調に終わりました。久々に、師匠の鎧の着付け作業でしたので、(はて、次は?)と手順を考えてしまいましたが、明日からは大丈夫です。
今日の写真は出番を終えた<鳥居>です。

義経千本稽古・一日目

2007年02月27日 | 芝居
本日より、歌舞伎座3月興行『通し狂言 義経千本桜』のお稽古が始まりました。
師匠は、1日を通しての源義経役。平成15年2月の通し上演と同じでございますが、今回は『四の切』のあとに『奥庭』がつくのが、目新しいところでしょうか。
私は、『四の切』で、腰元役を勤めさせて頂きます。これまで立役として舞台を踏んでおりましたが、3月より、女方として日々の勉強をさせて頂くことになりました。一からの修行となりますが、師匠をはじめ周りの方々のご理解あってこそのことでございます。その有難さを骨身に感じつつ、謙虚な気持ちを忘れず、先輩方から沢山教わりながら、将来を見据えて精進して参りますので、よろしくお願い申し上げます。

さて本日は、『鳥居前』が<附総>、『渡海屋・大物浦』『四の切・奥庭』が<附立>でございました。前回の舞台はつい最近のことですので、弟子としての仕事についてはよく覚えておりますので、今回のお稽古では、そうバタバタあたふたしなくてすみそうです。明日はさっそく『鳥居前』が<初日通り舞台稽古>ですが、これも古典演目なればこそできることですね。
むしろ大変なのは、『鳥居前』軍兵、『大物浦』軍兵、『吉野山道行』花四天、『小金吾討死』黒四天、そして『四の切』荒法師と続く、目白押しの立廻りでございましょう。荒法師3人のみの『四の切』は別としても、どれも大人数が出て、トンボの数も多うございます。いくら60名の名題下がいるとはいえ、2役、3役と立廻りの出番が続く方が多くなりますし、そのぶん体力的な負担は増えるわけでございます。今日も本稽古の前に立廻り部分のみの<抜き稽古>が数時間かけて行われておりましたが、どうか皆様無事にひと月勤め上げて頂きたいと思います。

今月は日数が少ない月ゆえに、駆け足のお稽古になりますので、どこまでしっかりしたレポートができるかわかりませんが、弥生月の稽古場便り、よきお慰みになりますよう、努力致します。

無事千穐楽!

2007年02月26日 | 芝居
お陰様をもちまして、二月大歌舞伎『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』、本日千穐楽でございました。
師匠の3役の仕事、私の2役とも、至極無事に勤めあげることができまして、大いに安堵いたしております。古典中の古典である忠臣蔵に携わるのは、若輩の私などには大変緊張いたすものでございました。まして歌舞伎座の大舞台、学ぶことも多く、とても勉強になりました。
終演後、来月公演のための楽屋の移動作業をすませ、帰宅が午後11時。ささやかにお祝いの杯をあげました。
明日は休みになりましたが、はてさてどう過ごしましょうか…。

よく見てみれば、気がつかなかったことばかり

2007年02月24日 | 芝居
千穐楽を明日に控えて、『十一段目』の討ち入りで締めくくりたいのはヤマヤマなんですが、今回私は塩冶浪士として仇討ちに参加しない<不忠者>でございます。出ない芝居のことをあれこれ申すのもおこがましいので、ふりだしに戻る、というわけではございませんが、最近気がついた『大序』のことをお話しさせて下さいませ。

鶴岡八幡宮の境内に居並ぶ、高師直、桃井若狭之助、塩冶判官、そしてその他の大名大勢、これらの役々は、みな同じ扮装をしております。白羽二重の襦袢に織物の着付、その上に、幅広の袖に大きく紋を染め抜いた<大紋(だいもん)>を羽織り、長袴をはく。頭にはうしろに折り曲げた形の大きな烏帽子、<引き立て烏帽子>をかぶるという出で立ちですが、皆々同じ拵えでも、実は微妙に違えているところがあったんですね。
まず生地の素材。若狭之助、判官は、<精好(せいごう)>という織り方の絹製の大紋、長袴なんですが、師直だけは麻、そして私たち名題下が勤める<並び大名>は木綿になっているのです。素材が違えば、同じ形でも自ずと見た目、受ける印象は変わりますよね。その違いで、役の身分の上下、あるいは役柄(麻だとゴワゴワした感じが出て強く見える)を表現する工夫なんですね。
それから、師直の<引き立て烏帽子>だけは、後ろに折るだけでなく、真ん中から先の部分を巻くように折り畳んであって、幅が狭くなっています。これは小道具方に質問してみても明確な理由はわからなかったのですが、私思うには、師直は老け役ですので、大きなままの烏帽子ではそれらしく見えないからなのではないかと…。あくまで私見ですので、これから調べてみようと思います。ちなみに烏帽子の紐と鉢巻きの部分が、やはり師直のみ紫色になりますのは、高位をあらわすのと、大紋の黒色との色合いの具合でしょう。
さらにもうひとつ師直の烏帽子のことで申せば、どの役の烏帽子にも、全体に皺がつけられているのですが、この皺が、師直のものは他の役よりもあらくなっております。見た目としては他のよりも<強い>印象を受けますが、これも役柄の表現なのでしょうか。

大名は全員<中啓>を懐にさしますが、並び大名は地紙の模様が鳥の子や群青、浅葱色の地に金銀砂子散らしのものですが、師直、若狭之助、判官は、それぞれの紋を散らすことに決まっています。すなわち師直が<五三の桐>、若狭之助が<四つ目結>、判官が<丸に違い鷹の羽>で、これらが鳥の子地金砂子散らしの地紙に描かれますが、これが表側の模様で、裏はただの砂子散らしで紋は入りません。裏側の地紙の色は3役それぞれ決まっており、師直は茶、若狭之助は紺、判官は緑なのです。
主要人物の小道具とはいえ、1回も舞台上では開かない中啓にまで決まり事があるというのも、このお芝居の重さがわかって面白いですね。

正座の行もあと1回です! 無事にここまで勤められたことを感謝しつつ、今夜はこれから同期会です!
以上、SEATTLE'S BESTからでした。

甘い刺身?

2007年02月23日 | 芝居
『七段目』で、九太夫が由良之助に差し出すタコの刺身。おりしも主君塩冶判官の逮夜(月命日)、生臭い食べ物を口にするか否かで、忠誠心の有無を知ろうという魂胆なわけですが、由良之助、いとも簡単に食べてしまいます。
このタコ刺、ご覧になるとわかります通り、由良之助役者は実際に口に含んでいらっしゃいますが、まさか本物のタコでは、すぐに噛み切れるはずもなく、また磯臭いモノを食べてすぐに台詞を言うのも気持ち悪いもの。このような理由で、それ<らしく>見える代用品を用意しております。それは<羊羹>…。
色々ある種類の中で、赤い羊羹がございますでしょう? あれを薄切りにすると、お刺身に見えませんか? 箸でもつまみやすいですし、柔らかいのですぐ食べられ、あと味も、しょっぱかったり苦かったりするよりも具合がよいというわけで、昔から代用されておりまして、これも<消えもの>の範疇に入ります。
『髪結新三』での、鰹の刺身もやはり羊羹。『若き日の信長』で食べる柿の実も、練り菓子を使ったことがあるそうですから、和菓子というのはなかなか便利な食材ですね。

そういえば、私も出演させて頂いた『野田版 鼠小僧』で、鼠小僧と間違えられて捕まった<鼠喰う蔵>が、捕まえたネズミをパックリ食べるシーンがありましたが、あれは喰う蔵役の役者さんのアイディアで、<イカめし>に紐で尻尾をつけて、ネズミに似せたものを使っておりました。なかなかの名案だと思いますが、何かに似せて食べ物を誂えるというのは、実は大変なことなんですよ。

どうじゃいな、どうじゃいな

2007年02月21日 | 芝居
そろそろ『忠臣蔵』話も大詰め、「七段目」となります。
大星由良之助が、祗園一力茶屋での放蕩に身を持ち崩すとみせかけて、実は仇討ちの準備を着々と進めていることがわかる場面。俗に<茶屋場>とも申しまして、京の廓を舞台にしたひと幕は、下座唄の<花に遊ばば>や、<踊り地>の合方などの効果もあり、賑やかに華やかに、そして義太夫狂言らしい重厚さにもあふれた作品です。
場所が場所ゆえ、大勢の仲居や太鼓持ちが登場、由良之助と<めんない千鳥>に興じるのも、遊び心に富んでいますが、中盤の九太夫との酒宴においての、<見立て>ごっこは、本筋から離れたお遊びの趣向ながら、場の雰囲気を和ませる役割も担っています。
下座の三味線に合わせて、仲居、太鼓持ちが1人ずつ前に出て、何かの形や人物の姿を真似する<見立て>は、台本には載らないアドリブの演技です。まず仲居、次に太鼓持ちが1人ずつ披露し、最後に別の仲居が、お決まりの、九太夫の頭を箸でつまんで“梅干し”とするのを毎日見せるのが決まりですから、1日に2種類は新しいネタがお披露目されることになります。今月は、“梅干し”役以外の仲居13人と、9人の太鼓持ちが、日替わりで担当することになっておりまして、毎日毎日違う顔ぶれで<見立て>が演じられております。
必ず1人で演じなくてはいけないものではないようで、手伝いに他の仲居や太鼓持ちを駆り出すこともままございます。必要な道具は自前で調達したり、小道具部屋から借りたりするのですが、一力茶屋にありそうなモノでまかなうのが心得とも聞いております。三味線に合わせての台詞も自分で考えなくてはなりませんが、見取り狂言でも度々上演されるお芝居ですので、先人が考案した定番ネタも当然伝わっているわけで、そうしたものも今月いくつか使われておりました。
時事ネタもある程度はOKですから、よいアイディアさえ浮かべばお客様の受けもよくなり、芝居も盛り上がりますが、あくまで『仮名手本忠臣蔵』ですので、兼ね合いには気をつけなくてはいけないそうです。あとでシンの役者さんが重要な演技をするときに使う道具を持ち出したり、同じ仕草をしてしまうと、<行儀が悪い>といわれるのだそうですよ。
さて公演もあと4日となった今日までに、どんな<見立て>がありましたでしょう。仲居の前掛けをふたつ左右に広げて、『暫』(大素襖の袖に見立てた)、大勢の太鼓持ちの背中に赤や黄色の手拭を広げて、四つん這いでグルグル歩かせ『回転寿司』、仲居と太鼓持ちを立たせて『雛人形』など…。実はこういうふうに、見た目を似せるという本来の<見立て>は難しいんです。小道具の名称で、モノ、人の名前を駄洒落のように表すことが多うございますが、それとてもなかなか思いつくものではございません。どちらにせよ、出演者には頭が痛いお役のようでございますが、<若い者>の私などは、舞台袖から、皆様のぶっつけ本番(なにせ日替わりですからね)の演技を拝見するだけ。気楽なものでございます。ときに「君が出ればよいのに」「ホントは出たいんでしょ」と言われるのですけれど、いやはや、軽薄な頭に浮かぶアイディアは、どれも品のないものばかりでして…。

因果は巡る縞財布

2007年02月19日 | 芝居
「五段目」「六段目」は、<五十両入りの財布>をとりまく登場人物それぞれの運命が描かれています。
娘の願いを叶えたい一心の老爺、侍崩れの盗賊、仇討ちに加わりたい浪士。彼らが、たった一つのアイテムをめぐって翻弄される(結局は3人も死ぬのですから!)さまは、大げさにいえば<運命の力>なんでしょうかね…。

さて、かほど重要な小道具たる<財布>は、「六段目」の台詞にもあります通り縞柄になっておりまして、口を黒紐で縛るようになっている袋状のものでございます。小道具方には、この芝居専用の縞柄財布が数種類用意されておりまして、その中から主演者が好みで選ぶようになっています。
「五段目」でまず登場する与市兵衛が、本舞台で懐中から取り出し、遥か祗園の一文字屋へむかって押し頂くところを、背後の稲叢から定九郎が腕をニュッと突き出して奪う。驚く与市兵衛をズブリと斬り殺した定九郎は財布の中に手を突っ込み、「五十両」と勘定してニンマリ。懐にしまって帰ろうとするところを、勘平が猪と間違って撃ち殺す。撃ったのが人間とわかって動転した勘平は薬を持っていないか探るうちに財布を見つけ、迷ったあげくにこれを討ち入り参加のための資金にすべく持ち去る…。
「六段目」では、家に帰った勘平が着替える際に、懐からポロリと落ちるのを見つけて老母おかやが不審顔。あわてて取り繕う勘平に、お軽を引き取りにきた一文字屋お才が、昨晩与市兵衛に渡したものとそっくり同じ柄の財布を見せて事情説明。これに仰天した勘平は、自分が与市兵衛を殺したと思い込んでしまうのです。

さて…この物語に、<縞の財布>はいくつ用意すればよいと思いますか? お才が持っているものの他は、人から人へ巡り巡っているだけですから、ふたつだけでよいと思われるかもしれませんが、実はここに先人が練り上げてこられた工夫があるんですよ。すでにこの幕をご覧になった方は、各場面ごとに、財布がどう使われていたか、どういう状態になっていたか、思い返してみて下さい。そうすれば、果たしていくつ必要なのか、おわかりになると思います。これからご覧になる方は、財布の<紐>にご注目を…。

半年定期にすればよかった?

2007年02月18日 | 芝居
昨日の記事で、二の午祭りに甘酒が出たと書きましたが、お神酒の誤りでした。お詫びして訂正いたします(原文も直しました)。

                      ◎

すでにチラシやポスターも出ておりますが、師匠は3,4月も歌舞伎座に出演です。3月『義経千本桜』では「鳥居前」「渡海屋・大物浦」そして「四の切」での源義経、4月は『頼朝の死』の将軍頼家、『二代目中村錦之助襲名披露口上』にお出になります。
昨年12月から5ヶ月連続の歌舞伎座! 私が入門してから初めてのことではないでしょうか。5月以降の予定はまだわかりませんが、もしかしたら半年居続け、なんてこともあるかもしれませんね。
いくら同劇場に連続出演と申しましても、師匠が使用する楽屋もそのままとは限りません。興行ごとに総出演者の数も変われば、顔ぶれも変わりますから、その都度<部屋割り>がなされるのは当然のことです。結果として変わらないこともありますが、そうなると荷物の移動がなくなるので、簡単といえば簡単です。
私どもはどんなときでも3階名題下部屋は変わりませんが、以前ご紹介しましたように、この世界に入った順番で、毎月ごとの席次を決めています。

…もう4ヶ月歌舞伎座におりますけれど、飽きてしまうことは不思議とございません。これも伝統ある楽屋の力でしょうか?

如月恒例の…

2007年02月17日 | 芝居
今日は歌舞伎座稲荷の〈二の午祭り〉でした。
本来ならば月あたまの〈初午〉の日に執り行われるところなんですが、今年はちょうど節分に重なりました関係で、2巡目の本日の開催となりました。
今日ご観劇の皆様には、参拝なさった方も多いと存じますが、劇場ロビーの右側の売店の裏手に祀られているお稲荷様では、幕間ごとにお汁粉やお神酒が振る舞われました。私たち出演者は、その賑わいを体感することができませんが、楽屋でもお汁粉の炊き出しはございまして、役者もスタッフも付き人さんも、みなみな分け隔てなく堪能いたしました。

このお祭りに欠かせないのが〈地口行灯〉で、芝居の題名やお馴染みの台詞、あるいは諺をもじった洒落コトバを絵入りで描いた行灯(中は電球ですが)が、ロビーの壁にずらりと飾られた光景は、近代建築には少しく不釣り合いながら、かえって独特の趣です。
この行灯、楽屋棟にも飾られています。地口の元ネタを考えながら廊下を歩くのも楽しいものですが、毎年同じものが飾られるものの、今だに意味が判らないのがあったりするものでして…。

カッコいいワル

2007年02月16日 | 芝居
定九郎は典型的な<浪人>スタイルです。
月代がのびた<むしり>といわれる鬘、黒の五つ紋付きの着付を素肌にまとい裾を尻端折り、帯は白献上を<割りばさみ>に締めます。大小刀を<落とし差し>にした様は、なんともニヒル、悪の華といった趣きです。
多くの歌舞伎解説書で、この定九郎の黒の着付の素材を<黒羽二重>としているのを拝見しますが、たしかに初代の仲蔵が明和3年9月市村座興行において考案したのは黒羽二重の着付なんですが、現在では<黒縮緬>を使うことが多うございます。資料をひもときますと、9代目の市川團十郎さんのときから使われだしたようですね。羽二重地のように、照明を受けて光ることがないので、より雨に濡れた感じが出るのと、まくった袖が落ちにくいなどの利点があるそうです。
同じように、刀の鞘の色も、仲蔵考案は<朱色>なんですが、九代目團十郎さんは<蝋色>、深い黒色だったそうで、現在2通りのやり方がございます。今回師匠は蝋色の大小を使っています。いずれにしても、刀身は本身。その重さ、光り方、質感で迫力が増します。
ちなみに9代目さんは帯も紺献上だったそうですが、こちらは今ではあまりみられませんね。
定九郎の紋は、苗字からとった<斧のぶっ違い>。手斧が2本交差したデザインです。

背中側の帯には、雪駄が挟んでありますが、これは雨で地面がぬかるんだので、汚れを厭って脱いだという心。普通の雪駄を左右をひとつに重ねて挟んだのでは、厚くなりすぎて格好がつかないので(死んで舞台に寝たときにゴツゴツあたってしまいもする)、最初から、左右を重ねたような形に一体化し、しかも薄く作られた<挟む専用>のものを使います。
与市兵衛を殺したあと、花道へ行く途中で拾う蛇の目傘は、いたるところ破れておりますが、これは何度か舞台で使われた普通の状態のものを、役者の好みで自由に破って仕立てます。2、3本骨ごととることもありますし、ようは見た目に凄みが出れば
いいのです。糸が通っている縁以外は、思いのほか簡単に破れますよ。

衣裳のことでいえば、昨日お話しした、口から垂らす血糊を、足ではなく、白羽二重のサガリ(褌)に垂らすやり方もございます。そのさいは、公演ごとにサガリを新調するようですね。昔、国立劇場の鑑賞教室で、あちらは1日2回公演ですから、ひと月で50枚(!)ちかくも使ったというエピソードを、今日先輩から伺いました。

タラタラ~

2007年02月15日 | 芝居
『忠臣蔵』話も夜の部にうつりまして、「五段目」に参りましょう。
師匠が初役でお勤めになっている<定九郎>。皆様ご承知の通り、初代の中村仲蔵がそれまでの演出、拵えをガラリと変えて上演し、観客の喝采を浴びたという“伝説”が残るお役です。
厳密に申しますと、その時の仲蔵のやり方が、そっくりそのまま現在も踏襲されているわけではございませんようで、九代目の市川團十郎さんが、最後の練り上げをなすったと伺っております。

まあ、そんな能書きはさておきまして、弟子の立場としても、初めて定九郎の用事を勤めることになりまして、短い出番ながら小道具や仕掛けやら、準備するものが多いのに驚かされました。今日はそのなかから<血>の話を…。
定九郎の見せ場は、唯一最短の台詞『五十両』でもありましょうが、猪と見間違えて放たれた銃弾に倒れる死に様こそ、歌舞伎独特の美学が感じられる大きな見どころでしょう。
悶え苦しんだあげくに口からタラーッと垂れた血潮が、真っ白に塗られた太ももに落ち、ジワジワと広がってゆく。被虐美ともうしましょうか、残酷なのに美しい場面ですよね。
ここで使われる<血糊>ですが、出来合いのものもあるようですが、手作りで誂えることが多いです。多くは弟子の立場の者が作ることになりまして、今回も、不肖私が調合させて頂いております。調合というほどおおげさなものではございませんけれど、その原料はまず…、と書きたいのはヤマヤマですが、こういうものはやはり<企業秘密>でございますので、皆様のご想像におまかせいたします。ひと言申し述べれば、全て食べられるものでできております…。
今回定九郎の仕事をするにあたりましては、度々このお役をなすっていらしゃる幹部俳優さんのお弟子さんからお話をお聞きしておりまして、この血糊の作り方もそっくり教わったのですが、色合い、粘り具合など、師匠のやりよいように、そして客席から見た具合がよいように作るのは、なにぶん初めてのことでしたので、最初は手探りでしたが、中日も過ぎてようやくコツが掴めてきたかな? というところです。

それから、もう1カ所血が出てくるのが、定九郎が巻いている<腹巻き>。ハッキリ見せるものではないので、わかりづらいかもしれませんが、この腹巻きにも、銃弾で撃たれた傷から広がる血潮がついています。
こちらのほうは、あらかじめ衣裳方さんから腹巻きを借りて、舞台稽古の日までに、やはり弟子の手で着色されるのが通例。この血の色は、今回は舞台や映像用に調合された専用の血糊を使いましたが、場合によっては違う材料で仕上げることもあるそうです。また定九郎は出番も短いので問題はないのですが、演目によっては、長時間着用しているうちに汗がしみて色落ちする場合もあるので、撥水加工を施すこともあるのですよ。他の衣裳を汚さないための心がけですね。

明日は定九郎の拵えのことなど…。

ひと言で伝わる立廻りの手順

2007年02月13日 | 芝居
勘平と10人の花四天との立廻りは、いわゆる<所作ダテ>とよばれるもので、『吉野山』と同じく、立廻りの手順はおおよそ昔からの手順が伝わっております。

曲は同じメロディを2回繰り返しますが、
「桜々と云う名に惚れて どっこいやらぬワ そりゃ何故に
所詮お手には入らぬが花よ そりゃこそ見たばかり それでは色にならぬぞえ」
と、
「桃か桃かと色香に惚れて どっこいやらぬワ そりゃ何故に
所詮ままにはならぬが風よ そりゃこそ他愛ない それでは色にならぬぞえ」

というように、歌詞は違えてありまして、これに合わせて、桜の<花枝>を持った花四天、そして時折伴内が勘平にからむわけですが、短い時間のなかで、トンボを返る箇所は比較的多いと思います。
今月、弟弟子の梅秋が勤めております<一人がかり>は、勘平を<返り越し>することから始まり、今月ですと最後は<後返り(バク転)>で終わるという、なかなかアクロバティックなパート(後返りでなく<三徳>のことが多いですが)で、誰でもできるというものではありません。お客様の反応も上々の見せ場ですが、このパートを、ちょうどそのとき語られている浄瑠璃の歌詞からとって<桃か桃か>と幕内では異称しています。
「◯◯さん、あなた<桃か桃か>できる?」なんてやりとりがなされるわけですが、立廻りを作ってゆくなかで、昔から手順がある程度決まっている箇所には、俗称がついていることが多うございまして、役者同士の符牒のように使われております。
例えば『吉野山』で<飛び越え狐>といえば、1人の花四天を返り越しするところ(やはり浄瑠璃の歌詞からきています)、<チリレン>といったら、静御前の笠と杖を持ったまま返り立ちするところ(チリレンはその時弾かれる三味線の節)。また『妹背山婦女庭訓・三笠山御殿』で、鱶七にからむ力者を、<チャチャラカ>といったり、『義経千本桜・大物浦』での、入江丹蔵にからむ武士を<丹カラ(丹蔵のカラミ、の略)>とも申します。また『京人形』のカラミは、みな大工道具を得物にしますから、それぞれの道具名を云えば、手順をいちいち説明するまでもなく、各々の役割はわかるのです。

たとえ異称がなくとも、昔からのやり方が伝わっている立廻りでしたら、若輩の私どもでもある程度は心得ておりますので、一から作り上げてゆく場合よりも、まとめるのは早いとは思います。しかし、昔から決まっているものだけに、細かいところに約束事があったり、形や動き方に先人方のご工夫が残されていたりと、かえって難しいことも多いのです。また、動きが決まっているからといって、踊りじみてもいけないということは、先輩からたびたび教えられました。本当に<兼ね合い>というものは難しゅうございますが、今月は勘平の後見として舞台におりますので、いつもよりかは客観的に、「落人」の立廻りを勉強できるかと思っております。

気がつけば本日<中日>。折り返しが来てしまいました。残り半分も、元気に勤められたらと思います。
写真は花道揚幕に行く階段下に保管されている<花枝>です。

洒落を言ってる場合でしょうか

2007年02月12日 | 芝居
鎌倉から逃げてゆくお軽勘平の行く手をさえぎる者こそ、鷺坂伴内。
いったいどういうつもりでそんな格好してきたの? とツッコミをいれたくなるようなお間抜けファッション。浅葱と赤の段鹿の子の湯文字姿に、玉子色のしごきを帯がわり。紫の襷も赤の鉢巻も長くダラリと垂らした拵えは、とても戦いに来たとは思えません。
10人も家来を連れてきたのはいいけれど、結局みんな勘平さんにやられちゃう情けなさ。でもどこか憎めない、愛嬌満点の<道化敵(どうけがたき)>ですが、言うこともなかなか人を食っています。
三味線の節に合わせての<ノリ台詞>で、お軽を渡せ、さもなくばえらいめにあわせてやるぞと脅すわけですが、この部分が今月は<鳥尽くし>になっています。

「さあこれからはウズラ ヅル(うぬが番) おカモ(軽)をこっちへ ハト サギ ヨシキリ(渡さばよし) いやだなんぞとクジャク(ぬかす)が最後 とっつかめえて ひっつかめえて やりゃぁしょねえが返答は サ、サ、サササササ… 勘平返事は タンチョウタンチョウ(なんとなんと)」

このやり方は昔からあるもので、演者によっては使われる鳥の名前が変わりますし、<鳥尽くし>ではなくて「(略)…とっつかめえて ひっつかめえて 千六本に切り刻み 粟麩すだれ麩 椎茸なら 干瓢返事は なんとなんと」という 乾物ばかりのもの、また私は実際に拝見したことはございませんが、「お軽をこっちへホウレン草」というように、野菜ばかりの<青物尽くし>、一座の俳優の名前を折り込んだ<役者尽くし>もあるそうで、伴内役者の遊び心で色々な趣向が楽しまれてきたようですね。『嫗山姥』太田十郎も煙草の銘柄を並べた<煙草尽くし>をいうこともありますし、『吉野山』の早見藤太が<役者尽くし>をしたのも拝見したことがあります。来月上演の『千本桜・渡海屋』の相模五郎の<魚尽くし>も有名ですから、こうした<◯◯尽くし>は、端敵(はがたき)や道化敵の常套手段ともいえるかもしれませんね。

幕切れ、勘平にこてんぱんにやっつけられても、なおもしつこくお軽を追いかけようとする伴内を遮るように、定式幕が<下手から>閉まってまいります。それにあおられてヨタヨタしたあげく、最後は伴内が自分で幕を閉めるというのが定番ですが、この演出のために、幕開きも<上手から>幕を引くことになっています。こういう開閉の仕方を<逆幕(さかまく)>と申しております。

ちなみに、伴内の<鳥尽くし>を受けての勘平の台詞「…おのれ一羽で喰い足らねど 勘平が腕の細ねぶか 料理塩梅食ろうてみよ エェ」での<ねぶか>は長ネギのことでして、「ネギみたいに細い腕だけど、腕前はスゴいんだから覚悟しろよ」ということになります。なんともまあ悠長な敵味方の会話でした。





美しき落人

2007年02月11日 | 芝居
モノトーンの「四段目」から、色鮮やかな舞踊劇「道行旅路の花聟」へとまいりましょう。
台本だけ見ますれば、東海道は戸塚の山中、しかも夜明け前という設定。とはいえ実際の舞台面は、遠く富士山を望み、菜の花咲き乱れる<野遠見(のどおみ)>の書き割りに、桜の立ち木が数本、作り物の菜の花も舞台後方に並べられ、春うららの昼下がりといった趣きですが、これが芝居の芝居たるところでしょう。
つかの間の逢瀬を楽しんでいたために、主君塩冶判官の大事の場にあり合わすことができなかった早野勘平と、顔世御前つきの腰元お軽が、鎌倉から山崎へと落延びる逃避行。原作にはない場面ですが、天保時代に増補されて以来人気曲となり、今日ではすっかり『仮名手本』の一員となっております。

お軽勘平の2人は、勤務中にこっそり逢引をして、そのまま逃げてきた設定ですので、服装も奉公中の装束です。勘平が黒羽二重に主家の<丸に違い鷹の羽>の紋服を東からげにし(原作の「三段目」なら、この上に裃を着ていたわけです)、お軽は白縮緬に紫の矢絣の振袖着付をお端折に着て、帯は黒繻子に菊などの花を刺繍したものを<矢の字結び>。ただしお軽の衣裳にはバリエーションがあり、小豆色の地で、<御所解き>模様の振袖になることもあれば、矢絣に<花の丸>を縫いだしたりと、演者の好みで変わることがままありまして、帯の柄もそれに合わせて変わります(今月は最初にご紹介したパターンです)。

今月の演出では、浅葱幕の<振り落とし>で、道中合羽に身をくるみ、竹の子の皮で作られた<饅頭笠>で雨を除けている体の2人の姿を一瞬で見せるやりかたですが、2人が花道から出てくることもあり、こちらのほうが古い演出だと聞いております。
勘平は、鼠色の縮緬風呂敷の荷物を背負っているのですが、はてさてあれには何が入っているつもりなのでしょう。とるものもとりあえず鎌倉を出奔した彼に、道中の支度はできないでしょうけれど…。しかしこの小道具一つで、<旅>の趣きがグッと深まるのですから、すごいことです。踊りで使用される風呂敷包みは、立役はたいてい鼠色、女方は紫と相場が決まっております。目立ち過ぎず、地味すぎない、考え抜かれた配色ですね。包みの真ん中が、鼠色には紫の、紫色には赤の羽二重絹の紐で結わえてあるのもお約束です。
お軽の襟元に挟んである小物(振りでも使われます)は<筥迫(はこせこ)>と申しまして、御殿女中や武家の子女が、懐紙、鏡など身だしなみのためのアイテムをしまっていた箱状のもの。刺繍で美しく飾られ、銀のビラビラ簪もついておりますので、大変可愛らしいものです。

今日は恋人2人の外見についてでした。明日はもう1人の奇天烈な登場人物のことなど…。